「あなたとわたしは彼女と僕の」第3章
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  第二.五章「過去に抱いた願い」

 

 

 その発端は、かのアルベルト・アインシュタインに遡る。

 

 稀代の天才アインシュタインの功績は言うまでもない。

 アインシュタインの関係式、量子論、相対性理論、アインシュタインモデルの提唱、そして統一場理論。

 

 近代物理を根底から覆し、現代物理の礎を築いたその人物の頭脳は全世界の凡人たちにとって羨望の的であった。

 

 なにゆえに解るのか?

 なにゆえに閃くのか?

 なにゆえに天才なのか?

 

 誰もが羨む天才的頭脳、その謎に迫りたいと思うのは、脳医学の専門家ならば誰でも考えることだ。

 だからこそ、あの事件は起こった。

 アインシュタインの脳解剖が。

 

 アインシュタインの死後、遺族に無断で行われた脳解剖。

 その先にあったのは天才の因果。

 天才たる理由。天才の証明。

 

 凡人と天才の明らかな差異を探し出すその研究は、解剖医トーマス・ハーベイ博士の蒸発、そしてアインシュタインの脳と解剖報告書の紛失で闇へと消えていった。

 これが世にいう『アインシュタインの脳事件』である。

 

 失われてしまった天才への鍵『アインシュタインの脳』はその後約四十年間、歴史裏方へとなりを潜めてしまう。

 その間、天才への探求は行われなかったのだろうか?

 人間は天才の欲しなかったのだろうか?

 それは否。

 

 当然の如く罪深きヒトは天才を求めた。

 そうして、この研究所で一つの形を得る事になった。

 それは神に臨む研究。誰もが望む天才の形。それが実現するというのだ。

 この年、この時が歴史の一ページと綴られる記念すべき日なのだ。

 

 それは奇しくも、一人の日本人とトーマス・ハーベス博士本人により『アインシュタインの脳』が再び歴史の表舞台に浮上した年でもあったのだから。

 

 

                        研究員・黒川将人の回顧録より

 

 

 

  第三章「古里沖(こざと・おき)の場合」

 

 まぁ、別にどうってことはないんだよ。

 世間様がどんだけ騒ごうが、俺には関係わけで、どうしてこの国には、こんな宗教制度が存在するんだっちゅーの。

 全く理解に苦しむったらありゃしない。一体、こいつら何が楽しいのだろうな?

 

 皆が皆、個性のカケラもなく、似たようなお決まりの行動を取りやがる。

 ある奴は嬉しそうに、ある奴は複雑そうな顔。

 まぁ、どいつもこいつも生き生きとしてるんだな、これがまた。

 こんな行事に何日も前から準備してる奴だっている。

 ほんと俺には理解できねぇよ。

 そういったものに使う労力をもっと工業的に利用すれば、この国に不景気なんざ来やしない。

 そう思うのは俺だけかい?

 なぁ、セントバレンタインさんよ……。

 

 

「千二百八十円になります」

 

「お待ちのお客様、空いてるレジにお進み下さい。

 ……申し訳ございません、お客様。

 御用が無いのでしたら、レジ前には立たないで下さい」

 

 俺の時給850円の営業スマイルに、そのお客様はピクリともしない。

 全く、さっさと散ってくれってんだよ、このバカ女が。

 

「こ〜ざ〜と〜く〜ん!」

 

「何でしょうか、お客様?」

 

 このバカ女、バイト中の俺に向かって大声出しやがる。

 そんなに俺の名前を叫びたいか? 迷惑してるのが見りゃわかるっしょ?

 

 このバカ女が俺の名前を言えるにはワケがある。

 勿論、コンビニアルバイト中の俺は胸に名札を下げてるわけで、初対面の人間でも俺の名字を言えても不思議ではない。

 しかし、それをこの女が俺の名前を知っている理由というには少し無理がある。

 理由はもっと単純な話。

 つまり俺、古里沖と、このバカ女は既知の仲。つまりは知り合いってことだ。

 

「今、何時か分かってる?」

 

「二十三時五十分を回ったところですね。あちらに時計がございますので」

 

 おお、なんて大人な対応。

 いくらバイト中とはいえ、このバカ女に不当の受ける嫌がらせに耐えるなんて、俺ってもしかしなくてもかなり出来た人間?

 ああ、俺って、なんて素晴らしい人間なんだろう。

 

「あんたね、わかっててやってるんでしょ?」

 

「何のことでしょうか、お客様?」

 

「あ〜 も〜 まったく。これだからアンタは友達も彼女も出来ないのよ!

 そのアマノジャクなんとかなさい。私は要件があって来ているんだから」

 

 ほう、俺が天の邪鬼(あまのじゃく)だって? だったらお前はどうなるんだ?

 この女のひん曲がった性格を棚に上げておけるほど、俺の心の棚は頑丈に出来てない。

 

「……あのなぁ、さっきの客が最後でさ。今、店内に客がいないからいいけど。はっきりくっきりしっかり一言で言ってだ。邪魔!」

 

 遂に俺の営業スマイルもはがれ落ちる。

 まぁ元よりこのバカ女にスマイル0円だって勿体ない。

 

「そんなのわかってるわよ! 私は古里君の邪魔してるんだから」

 

「はぁ? 要件があるじゃねぇのかよ。何で邪魔するんだ?」

 

「あんたが邪魔だからでしょ?」

 

「だから、何言ってるんだ? バカかお前?」

 

「『バカ』なんて、アンタに言われても何ともないわよ。

 少なくとも古里君と比べれば、私の方が頭いいんだから」

 

「知識量の点の話じゃねぇよ。言ってみてば『人間のデキ』としてだ」

 

「それなら尚のこと、私の方が数ランク上の人間よね。営業スマイルとナンパしか能のない古里君と比べたら。

 そうそう一昨日も駅前で女の子に声かけまくってたんですって? どうせアンタのことだから全敗なんでしょ?

 みっともないから程々にしなさいよ。自分がモテないことぐらい自覚する頭はあるんでしょ?」

 

 この女の口の悪さと来たら、ホント憎たらしい。

 顔は綺麗なんだから、黙ってたら声ぐらいかけてやらんこともないだろうに……。絶対こいつは誘ってやらねぇ!

 

「けっ、言ってろ! そして要件とやらをさっさと済まして行っちまえ!」

 

「…………」

 

 とても俺の言葉が堪えたようには見えなかったが、バカ女こと悠木有紗は黙ってしまった。

 いや、黙っただけなら静かになっていいのだが、俺から目を逸らせて黙られると、まるで俺が悪いみたいじゃないか。

 俺が何かしたか?

 

「…………」

 

「おい?」

 

 まぁ、バカ女を心配したわけでもないが、さすがに目の前で女に黙られて無視する度胸を、俺は持ち合わせていないわけで。

 

「何?」

 

「『何?』じゃねぇよ。だから、お前こそ何なんだよ?」

 

「別にぃぃ」

 

 そう言う悠木は完全に明後日の方向を向いてしまった。あからさまに何か言いたげだ。

 そういう態度、小学生じゃあるまいし、何なんだよこの女。本当に俺に恨みでもあるのかよ。

 

「なっ! あんな〜 俺はそういうのが大キライなんだよ」

 

「あらそう? 私も古里君は大嫌いなの」

 

 さすがに効くな、こいつの『大嫌い』は。くそったれ!

 悠木みたいな美人に、面と向かって『嫌い』と言われて傷つく男の純情を考えたことあるのかよ!

 

「こっ、このアマ! 何にほざいてやがる。 俺が嫌いなら絡んでくんなよ! さっさと散れ」

 

「そうもいかないのよねぇ……。用事があるって言ったでしょ」

 

「用事か要件か知らねぇけど、さっさと済ましたらいいだろ?

 それとも何か? 俺の邪魔をする事そのものが目的なのか?」

 

「まさか。私がそんな陰険な人間に見える?」

 

 目の前の女、悠木有紗は正直に言えばそんな人間にはどうやっても見えはしない。

 まるで外人モデルのような容姿。

 まぁ、どっかの国の血を四分の一ほど受け継いでるそうで、金髪と青い瞳、そして白い肌をした西洋風の特徴はある意味当然。

 そうだとしても、細い唇とはっきりした目元は美人の要素を完全に満たしていた。

 まぁなんだ、多少性格はヒネくれている部分はあるが、そんなのは実際問題、許容範囲でしかない。

 それこそ『美人は得をする』ってやつだ。

 

 顔さえ良ければ大抵のことは許される。それがこの世界の絶対法則。

 その法則に俺自身、難癖をつけようなんて思わない。

 もし仮に、全く以ってありえない事だが、悠木有紗が美人でなければだ、営業スマイルだなんだ言わずに、とっくに店を叩き出しているだろう。

 

「まぁ、何しに来たのか知らねえけどさ、さっさと済ました方がいいんじゃねぇのか? 終電も近いことだし」

 

「そう……。

 私を心配してくれるの?」

 

 悠木有紗の語調が緩む。

 その途端にこいつに色気を感じるのは、全く俺も健康優良児ってことか……。

 

「別に心配ってほどのこともねぇけどよ。年頃の女にこんな時間までうろちょろされるのはかなわねぇんだよ。

 ……まぁなんだ。お誘いとかはなかったのかよ? 男からよ。

 今日はバレンタインデーなんだぜ?」

 

「アンタには関係ないでしょ!」

 

 なんだ。結局、男に振られたわけか? それで俺に八つ当たりとは、全く悠木有紗も大人げないねぇ。

 

 俺に図星を付かれたからか、彼女は青い瞳を吊り上げていた。

 それでもその表情は場所が場所ならそれだけで歓声が上がりそうなもの。

 美人ってのは怒った顔もいいもんだ。

 

 そんな悠木有紗を振った男か、ちょっと興味あるかも。

 

「せっかくの雪なのに……」

 

「雪?」

 

 悠木有紗の声につられてディスプレイガラスの向こう側に目をやると、宙にはコンビニの明かりを反射する光が舞っていた。

 

「雪降ってるのか? ホワイトクリスマスならぬホワイトバレンタインか……。

 まったく、彼女持ちには、うってつけのデート日和ってか?」

 

「古里君、彼女は?」

 

「いたらこんな日にバイトもせんし、ナンパもしてねぇよ」

 

「なるほど♪」

 

「うるせぇ、お前だって、今いないんだろ?」

 

「……そうね。今はいないってことなのかな?」

 

「なんだその言い口は? すぐに新しいの見つけるってか?

 はいはい、どうぜ美人は違いますよ、俺みたいなモテない君とは」

 

「それは心外ね。私はそんな尻軽じゃないわよ。こう見えても一途なの」

 

「嘘くせぇ」

 

 俺のその一言に悠木有紗の口元が少し緩んだようにも見えた。

 

「まぁなんだ。ここは社交辞令で、お前を誘ってやりたいけどな。こっちは朝までバイトなわけよ。」

 

「別にぃ、そんな社交辞令いらないわよ。相手が古里君じゃねぇ」

 

 けっ、なんだその言い草は。

 あ〜 ちょっと同情して誘ってやれば、全く可愛くねぇ。

 こんなバカ女、振って正解だよ。なぁ、まだ見ぬ元彼君?

 

「これ以上……待っても無理かな」

 

 悠木有紗の独り言は聞き取れない程に小さかったが、確かにそう聞こえた。

 

 なんだ、こんなコンビニで待ち合わせだったのかよ。

 バイトのこっちには迷惑な話だ。

 それでバレンタインの夜にすっぽかしに合うとは、この女も男運ないってことか。

 

「そろそろ帰ろうかしら……」

 

「……」

 

 振られた女にかける言葉なんて知らねぇ。

 まぁ傷心旅行に行くなり、髪を切るなり、明日には忘れて新しい男を探すなり、勝手にしてくれや。

 

「これ買うわ。冷やかしはまずいんでしょ?」

 

 悠木有紗が手に取ったのは駄菓子の酢昆布。全くこいつの趣味も分かんねぇ。

 そんなんだから男に振られるんじゃないのか?

 

 俺は事務的にレジを通してお金をもらう。商品を受け取るやいなや、悠木は酢昆布の箱を開けて口に放り込む。

 全く、金を払ったとはいえ店内で開封するなよな。ホント小学生かこいつ。

 

「古里君もいる?」

 

 悠木は酢昆布の赤い箱を俺の眼前に突き出した。独特の臭いが鼻につく。

 

「いらねぇよ、そんなもん」

 

「……そう。やっぱりチョコレートじゃないとダメなのかしら?」

 

 いや、確かに今日はバレンタインだけど、そういう問題でもないだろ。

 

「それとも、わたしのプレゼントが受け取れない?」

 

 いや、酢昆布のお裾分けはプレゼントに分類しないだろ、普通。

 

「あら? 好きじゃないんだ?」

 

 別にそういうわけでもないが、他にあれこれ理由を考えるよりも、その言い方が合っている気がする。

 でも、好きじゃないなら嫌いと決めつけるのは早計な話で、悠木の事を好いてるってわけでもない俺が、悠木のことを嫌いだと言われると絶対に否定する。

 まぁ、そんな感じだ。

 

「せっかく賄賂を受け取ってもらって一仕事頼もうと思ったのに」

 

 いやいや、酢昆布では賄賂にならんだろ。賄賂にしたければ1諭吉は出せ。

 それがこの世のルールだ。そして俺に仕事をさせたければ時給850円を出せ。それが俺のルールだ。

 

「一体俺に何させる気なんだよ? 言っておくが、俺は金と女でしか動かねぇぜ!」

 

「それは宣言するようなことでもないと思うけど? ……そんなに私が欲しいの?」

 

「ははは、俺も女は選ぶ。女は顔じゃねぇ。コ・コ・ロだ、心。

 俺の求める女は俺を包んでくれるような寛容寛大な女性なんだよ。悠木には無理だな」

 

「何それ、マザコン?」

 

「いや、別にそういうわけでは……」

 

「あらら、図星? そっかぁ。古里君はマザコンか。だったら安心だね、色々と。

 ……まぁいいわ。これ預かってくれない?」

 

 悠木有紗は下げていたトートバックから、可愛くラッピングされた袋を取り出す。

 こんな日にそんな包装の袋なんて、まず間違いなく中味はチョコレートだ。

 

「これを……俺に?」

 

「アンタバカでしょ? さっさと死ね! もれなく死ね! だから、泣くな!」

 

「だっで〜 バレンタインチョコなんで〜 初めで〜」

 

 まぁ、そんなの冗談でのオーバーアクションだが、悠木のリアクションを観察するのもなかなか楽しいもので……。

 

「何を勝手に喜んでるのよ。誰が古里君にあげるなんて言った?」

 

 そういって声を震わせる悠木の顔はちょっと赤かった。

 

「じゃあなんだよ、これは?

 まさかあげる男に振られたからって、俺に捨てておけ、なんて言うつもりじゃないだろうな」

 

「だから言ってるでしょ。預かっててよ。

 一日ぐらいして取りに来なかったら、捨てるなり古里君が食べるなりしてもいいから」

 

「なんだよ。結局はチョコレートなのかよ、これ?」

 

 ばつが悪そうに顔を歪めた彼女からの返事はなかった。

 ただそれで要件は済んだかのように立ち去っていく。

 

「おいちょっと待てよ、悠木」

 

 その言葉に振り返って、悠木は自分の要件だけを口にする。後から思えば悠木はこの一言を言いに来たのだろう。チョコを預けたのは成り行きだし、俺の邪魔はホントについでだ。

 

「古里君、あの男には気をつけてね」

 

 それだけ言うと、悠木有紗は雪舞い散る街頭へと、消えていった。

 

 あの男? 誰だそれ? このチョコレートを渡そうとしてた相手か?

 俺がこのチョコレートを持っていたら襲われるとでも言うのかよ。

 

 俺、古里沖には事態も事情も悠木有紗の事も、何も分からなかった。

 

 

 

 

(第4章につづく)

説明
 悠木有紗にとって僕がどういう存在なのか、気にならないと言えば嘘になる。
 でも、僕が彼女にとって特別な存在だなんて妄想は、僕の頭の中にしまっておく。

 ただ一つ、ただ一つ言えることは、僕には彼女が必要だったって事だ。

 僕は運命なんて信じない。
 信じられるわけがない。
 ただ、信じられるものは、彼女と僕の……。
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