「あなたとわたしは彼女と僕の」第4章
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  第三.五章「症例」

 

 その患者は「マサビシ脳萎縮性ジストロフィー(略称MBAD)」の一種と診断された。

 確実な有効性が確認されている治療法が無い希少難病であるMBADは、症状が現れる箇所が分布的で進行度もまちまちであるという特徴がある。

 近年、MBADの原因物質が、過去に世間を騒がせたBSEと同じくある種のタンパク質であると考えられている。しかし一方で、そのタンパク質だけで発症するわけではなく、遺伝子異常による脳内物質の異常分泌が引き起こすレセプタ変質が発症のトリガーになっているとの研究結果も報告されている。どちらにせよ、現在、有効な治療法が確立していないことに変わりはない。

 MBADはそれまで正常に発育していた子供の脳が、萎縮というよりは退化し始めるという特異性がある。ただ、他の脳萎縮性の病気と違うのは、脳の大きさが縮まっているにも関わらず脳細胞自体は活発に活動し、その脳神経の回路ネットワークを広げようとしていることが挙げられる。

 ネットワークを広げようとする脳が逆に縮んでいく。その矛盾を抱えたこの病気は、十歳以下の幼少に発病し数年以内に死に至る。

 今も年に十数例のペースで、新たに発症する子供は確実に報告されている。今はだだ、MBADに名前を冠するMBADの発見機関、マサビシ研究グループの今度の研究に期待する他ないだろう。

 

                           某医療雑誌コラム抜粋

 

 

 

 

 

  第四章「藤堂作弥(とうどう・さくや)の場合」

 

 

 意外に小綺麗な部屋だ。

 

 それが藤堂作弥の所感だった。

 似たような目的の部屋にはこれまで幾度となく連れ込まれた経験があったが、このような公式の場は今日が初めてだった。

 

「もう一度確認する。お前が藤堂作弥なんだな?」

 

「その質問には先程、明確にお答えしましたが?」

 

「……」

 

 私の明瞭な言葉に、その男は沈黙をもって返事をした。

 

 確かにその気持ちは分からないでもない。

 作弥自身、自分のプロフィールと見た目のミスマッチは自覚するところでもある。

 

 人間である限り、必ず先入観はつきまとうものだ。

 先入観とは、冷静客観かつ洞察的判断を鈍らせる原罪、それと同時に判断を反射的に行う合理性の現益なのである。

 だが、そういう固い頭の判断は嫌いではない。

 むしろ考えが読みやすい分、好ましいとまで感じる。

 

「刑事さん。もしや信じておられないのですか?

 確かに貴方のお気持ちは察します。

 ただ、貴方と貴方同僚がお調べになった経歴ではないですか?

 警察の調査結果を警察が信じなくてどうします?」

 

「……確かにこちらの資料通りの性格だな。藤堂作弥は『傍若無人』その一言に尽きると」

 

「それは私にとって誉め言葉にしかなりませんよ。嫌味で言っているなら、およしなさい」

 

 私は口元に余裕の笑みを浮かべる。

 実際の余裕の有無には関係なく顔に出る笑み。それこそ私の生き方のようなものだ。

 

 刑事に言われるまでもなく取調室に連れてこられた人間のとる態度ではない。

 そんな事は作弥自身、よく判っている。

 しかし、この性格は生まれつきのもので自分でも如何ともしがたい。

 それ以上に、たかが国家権力の最下層相手に態度を変えるなど、この藤堂作弥の名折れである。そう考える。

 

「刑事さん。手早く本題をお願いします。時間は有限なるもの。

 それを世間話では実に勿体ない。そうは思いませんか?

 こちらは任意で来ているのです。お聞きになりたいことがないのであれば、帰らせてもらいますよ」

 

「そうはいかん。こっちも仕事でね」

 

「貴方の立場は尊重したいのですが、刑事訴訟法一九八条を御存知でないはずがない。

 必要性、緊急性、相当性が無い現状で私の退去を拒む根拠が、貴方たち、警察には存在しないでしょう?

 それとも逮捕状でもあるのですか?

 それも無意味というもの。私を有罪にする難しさは刑事さんが一番御存知のはず」

 

「さすがに詳しいんだな。天才様は」

 

 ほぅ、そこまで調べてあるのか? 刑事のわざとらしい言い回しに私も感嘆せざるを得ない。

 どうやら、十年前の事についてはほとんど調べがついているということか。

 つまりは研究チームの誰か、又は複数人が警察に自白した。

 消去法的に思考すれば……深山あたりか。警察と司法取引紛いの事をしそうなのは。

 まぁ、あの男は小心者であったから、それも詮なきことか。

 

「勿論、私の専門は司法ではありませんので、必用とあらば弁護士を呼ばしてもらいましょう。

 ですが、私は善良な一般市民です。警察には出来るだけ協力したいとは考えています。

 ですが刑事さん。今後、私を『天才』と呼んだ場合、一切の証言を拒否する事とします。

 それは私にとって侮辱にしかなりませんよ。嫌味で言っているなら実に効果的ですがね。

 私にはね、嫌いな事を何事もなかったかのように押し殺す日本人的発想は全くないんですよ。

 私に協力を求めるなら、私のご機嫌を損ねない事をお勧めしますよ」

 

「取調室に初めて来て、その饒舌。とてもあんたが黙りをするような性格には思えないが?」

 

「私は必用な時に必用な分しか喋りませんよ。無駄、徒労、非効率は私の敵ですからね。

 私は時間が足りなくて困っている身の上です。やることがないのなら寝ていた方が遙かに有益。

 私が喋るという事は、今この言葉全てに意味があるという事ですよ。刑事さん」

 

「ほう、頼もしいことだ。出来ればそのまま饒舌で、こちらの質問に答えてもらいたいものだな」

 

「えぇ、何なりと答えましょう。とりあえず形式的に、アリバイを証言しておいた方がいいのでしょうか?

 それでしたらありませんよ、深山浩殺しのアリバイは。

 まぁ、身内の証言でよろしいのでしたら別ですが。なにせ自宅にいたものでね」

 

「別にアンタが犯人だなんて思っちゃいねぇよ。心配すんな、ちゃんと裏はとってあるから」

 

「では、何が聞きたいのでしょうか? 残念ながら、私は今回の事件に全く関与していませんので、現状すら把握していない始末。まさに蚊帳の外って奴です。

 もし犯人が誰なのかを聞きたいのでしたら黒川ですよ。

 えぇ、そうでしょう。単に予想でしかありませんがね。

 他にいないんですよ。然るべき役者が」

 

 私と相対する刑事の後ろで記録係を行っていた若い警察官の手が止まる。役者という表現が気に入らなかったのか。

 それでも声一つあげないとは、割合見込みがありそうですが、まだまだですね。

 相手の言葉に一々反応するようでは、取り調べをする人間としては二流。

 その点、私の正面に座っている男は微動だにせず、私の一挙一動に目を向けている。

 

「黒川という名前には驚かないんですね?」

 

 私の言葉に刑事は何も言わず、数枚の紙の束を差し出した。

 

「これは? ほぅ」

 

 私は思わず声を上げた。

 十年前の安国病院の内部資料。それも研究に関することが詳しく書かれたレポートだった。

 それは本来警察が手にするはずのない極秘文書のはずである。

 

「……正直。警察がここまで調べているとは思いませんでした。

 それこそ、私には初めから手持ちのカードなどなかったのですね」

 

「藤堂作弥。あえて聞きたい。これは何なんだ?」

 

「随分抽象的な質問ですね? そう聞かれたら私も抽象的に答えるしかありません。

 そこに書いてある通りです。嘘偽りなく真実です。

 刑事さん、よくあるでしょ、映画とかで取って付けたような安易な設定。

 つまり、そういうモノなんですよ。これは」

 

「そんなもんがこの日本でまかり通ると思ってるのか!」

 

 物静かな面持ちだった刑事が初めて表情を崩す。

 それは怒りの表情。その声にも明らかな苛立ちを見せる。

 

「刑事さん、それは心外だ。この類の研究は古今東西、どこにでもあった。

 アメリカ、ヨーロッパ、もちろんアジアでも。

 だだ、マスコミやら団体やらが『倫理!倫理!』と五月蝿いので地下に潜っていただけの話です」

 

 刑事の表情は苦々しいものに変わる。私の話に嘘偽りがないことも分かっているのだろう。

 

「日本でこの手の研究が盛んでなかったのは、日本人として誇りに思ってもいいんじゃないでしょうか?

 私のような研究者にとっては悲しむべき事ではありますが」

 

 刑事が机を叩きつける。

 威嚇行為。藤堂作弥はその威嚇を恐ろしいとは感じなかった。

 私にはそういう感情は無い。つまりはそういうことだ。

 そして、刑事が核心を切りだそうとしているとう事実だけが、私の認識として残る。

 

「何なんだ! あの黒川将人(くろかわ・まさと)は!」

 

 やはり警察は深山殺しの犯人が黒川だと知っていた。

 そして既に黒川と接触を持ったという事か。

 

「何か、ありましたね?」

 

「……」

 

 刑事も若い警察官も何も答えなかった。

 

「別に仰りたくないのでしたら、私はそれで構いません。

 ただ、本当に私は今回の事件については何も知りませんし、全くノータッチといった状態です。

 その私から、私の知りうる情報を引き出したいのであれば、私になんらかの情報をインプットする必要性があるのは明白でしょう?

 そう思いませんか、刑事さん?」

 

「……警部」

 

「…………」

 

 若い警察官が何か言いたそうではあった。

 それに対応して、刑事は何か言葉の飲み込んだ。後一押しか。

 

「刑事さん。この事件。いや、あの研究の黒幕は刑事さんも名前を聞いたことがある政治家と財界人です。

 私はそれら人物の名前を今ここで言うことも出来ます。

 そういうことをすれば地検は大喜びでしょうね。

 ですが、彼らを抑える事は出来ません。

 何せ証拠が無い。私の証言など裁判では何の証拠能力もないのは刑事さんもお解りでしょう?

 結局はトカゲの尻尾……、いや私などトカゲの尻尾にすらなれない末端です。

 しかし、黒川は正真正銘のトカゲの尻尾です。何かあれば直ぐに切られる存在」

 

「……トカゲの尻尾か。ゆ、いや藤堂さん、そのトカゲは尾に毒針でも仕込んであるのか?」

 

「毒針? これまた比喩的ですね」

 

「いや、そのままの意味だ」

 

「と仰いますと?」

 

「一昨日の夜、いや昨日の朝になるか」

 

「路武(みちたけ)さん!」

 

 若い警察官が声を上げた。私はそのミチタケというのが目前の刑事の名前であることを初めて知った。

 いや、前に名乗ったことはあるのだろうな、警部という階級を含めて。

 私も彼らの全てを知っているわけではないのだ。

 

「いや、いいだろう。遅かれ早かれマスコミにも発表することだ」

 

 路武の言葉で若い警察官は渋々引いた。

 しかし、その顔には「どうなっても知りませんよ」という諦めの表情が浮かんでいた。

 

「昨日の朝のことだ。アンタ以上に重要参考人だった黒川には、以前から二人の刑事がマークをしていた。その二人が死体で発見された」

 

 それこそお決まりのパターンということか。

 もう少し話が面白い方に向かうのではないかと予感めいたものがあったのだがね。

 

「なるほど、身内を殺されて警察も躍起になってるわけですか」

 

「これを見て感想を聞きたい」

 

 そういって路武警部が二枚の写真を出した。路武の同僚であろう二人の遺体。

 ただ私の予想よりも少し上をいった内容だった。

 

「………」

 

 今度は私が黙る番だった。

 

「どうやったらこうなる? どうやったらこんな風に殺せる? お前等は何なんだ?」

 

 しばらくの沈黙。それは私、藤堂作弥にとっては十分な考察時間だった。

 何もおかしいことはない。前例はある。ただ少し予想外なだけだ。

 

「刑事さん。誤解の無いように言っておきましょう。

 私の知るあの研究は、先程提示して頂いた資料でほとんど、と言っても七割程度ですが、後の三割はまぁ、それほど代わり映えするものでもありません。

 つまり、刑事さんが戸惑うように私もこの亡くなった方の無惨な遺体にショックを隠しきれません。

 私の考察を申せば、十年前の安国病院破棄で私の知る研究はストップした。

 しかし黒川は……黒川の属する『トカゲ』はまだ研究を続けていたということでしょう。

 そしてその研究成果がこれなのでしょう。

 どうやら、私の知る頃と方向性は異なるものとなったようですが」

 

「つまり、『切られて干からびたトカゲの尻尾』のあんたには分からんということか?」

 

「いえ、大体の推測は可能です。

 ですから、あえて申します。

 もし貴方たち警察がこの事件の早期終結を望むのでしたら、何もしないことです」

 

「指をくわえて見てろっていうのか!」

 

「いえいえ、私はこれ以上首を突っ込むなと脅しをかけているのではありませんよ。

 私は私の知る情報を元に、もう既に事が動いているのだということを推論したまでです。

 恐らく事件はあと数日中に終わるでしょう」

 

 ですが、その終焉は解決とは言えないでしょうけどね。

 

 藤堂作弥は心の中でそう付け足した。

 

 

 

 

(第5章につづく)

説明
 悠木有紗にとって僕がどういう存在なのか、気にならないと言えば嘘になる。
 でも、僕が彼女にとって特別な存在だなんて妄想は、僕の頭の中にしまっておく。

 ただ一つ、ただ一つ言えることは、僕には彼女が必要だったって事だ。

 僕は運命なんて信じない。
 信じられるわけがない。
 ただ、信じられるものは、彼女と僕の……。
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