黎明遊泳-2
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「このように、スペースシャトルというものは、アポロ計画よりもずっとコストダウンをし、より簡単に

宇宙に出て行く事ができるというものだ。この時代では、私の時代で言う飛行機に乗るように、宇

宙船に乗る事ができるようだけれども、21世紀の時代ではそうではない。まず、宇宙旅行など、

金持ちの道楽でしかなかったし、私のいた21世紀初めの時点では、民間人の宇宙旅行者など、

世界を数えても数人しかいなかったんだ。

 

 このコロニーが宇宙に浮かんでいるものであったならば、今も私は宇宙旅行をしている事にな

ると言えるのだろうか。アポロ計画が終了し、宇宙に出ると言う事に大きなリスクを払い、実際、

悲劇的な事故も数多く起こっている。その事から、私のいた21世紀初頭では、実際のところ宇宙

開発はあまり進んでいない。宇宙空間に出ると言う事よりも、地球で起こっている諸問題の解決

の方が重要だったからだ。

 

 人々も、宇宙は危険なものだと思っていたし、出る必要も無かった」

 

 私はハルカの家でネットを介して集めた、21世紀時代の宇宙の写真や資料を教室に設けられ

た大型光学画面に流しながら、生まれて初めて高校生向けの授業を行っていた。

 

 私の得意分野、スペースシャトルの技術的な話をしても良かったのだが、それではこの時代の

高校生にも理解するのは難しいだろうと思い、もっと分かりやすい話に変えておいた。

 

 テーマは、21世紀の宇宙観というものにした。21世紀の人間が宇宙と言うものをどのように考

えていたのかを教えれば、自ずと彼らも、私のいた時代の事を理解できるだろうと思ったのだ。

 

 私は、教室の目の前の空間に、スペースシャトルの立体映像を映しながら説明していた。どうも

この立体映像というものの操作が慣れず、遠隔から、リモコンのようにポイントし、画面を、模型

のように次に展開させる事が私には上手くいかない。

 

 まだこの時代に慣れていないという事を、高校生達の前で披露しているも同然だ。その状態に

私は戸惑いを見せる。

 

「私のいた21世紀の技術と言ったら、このようなものだよ。iPhone、手で画面に直接触れて、画

面を操作する事ができるもの。音楽も聞けるし、電話もできる。発売したばかりの時、私はとても

優れたものだと思ったし、実際私も持っていた。新幹線。時速300kmで走行する列車。それに、極

端に情報技術が発達した時代でもある。ウィンドウズにインターネット。私が見た限り、この時代

の情報技術にも受け継がれている技術の基礎が幾つもある」

 

 と、私がそこまで説明した時だった。

 

「でも、料理をするときに火を使っていた時代だ。身近に危険なものが幾つもあって、落ちついて

電話なんかしていられない」

 

 どうやらこの新関東コロニーの移民二世であるらしい、黒人の少年がそのように私に言って来

た。この世界の英語教育は相当に進んでいるらしく、英語が堪能なのは良い。だが、生意気な口

調もしっかりと現れている。

 

「その通り、火を使って料理をしていた。この時代にあるようなクッキングヒーターなんて存在しな

い。でも、皆、気にせず料理をしていたね。他に質問は?」

 

 私がそのように質問を促すと、最初は皆、戸惑ってはいたものの、だんだんと教室の中に質問

が響く様になって来た。

 

「列車が細っそいレールの間を走っている。風で飛ばされちゃったりとかはしないの?」

 

 新幹線の立体画面を見ている少女がそう言って来た。

 

「私は新幹線には乗った事が無いが、そんな事故は聴いた事も無いな」

 

「でも、時速300kmでしょう?まだリニアモーターカーとかは無かったの?」

 

 この時代はリニアモーターカーが列車の基本である事を私も知ったばかりだ。

 

「まだ、実験開発中でね。問題として金がかかるのと、私がいたアメリカでは車が主流だ。列車は

あまり発達していなかったな」

 

「車を、こんな輪っかで、しかも人が運転するなんて、しょちゅうぶつかったりしそうだ」

 

 今度は私が展開した、フェラーリのスポーツカーの立体画面を見た少年が言って来た。その少

年は白人で、この学校の教室だけでも、半数は日本の人種ではない。

 

「まあ、交通事故は起こるときは起こっていたが、皆、きちんと運転していたよ。私も交通事故は

起こした事がない」

 

「僕のお父さんは、今の技術なら、100年に1回も交通事故は起こらないって言っていた」

 

 と少年はまるで言い残すかのようにそう言った。

 

「なるほど、それは羨ましい。この時代にあるものは、全て、私達の時代の人間だったら憧れるも

のばかりだ。私が紹介したこれらの技術も、結局のところ、先進国でしか広がっていない技術でし

か無い。

 

 飢餓に貧困、戦争や紛争にテロ。こうしたものは幾らでも起こっていた。私がスペースシャトル

のパイロットになり、この世界へとやってくる事ができたのも、豊かな家庭に生まれ、しっかりとし

た教育を受けられると言う、ごく僅かな人間でしか得られない世界にいたからだ」

 

「よく、そんな世界に、一緒にいられたよね」

 

 そのように言って来たのは、ハルカだった。彼女は興味があるのかないのか、窓側の席に座っ

て、外の景色と私をちらちらと見比べていたが、ようやく口を開いてきた。

 

「それは、どういう意味だい?」

 

 私はハルカは特別扱いせず、一生徒として扱うものとした。彼女の質問も同じように答える。

 

「おじさんが言った、飢餓や貧困、戦争の世界と、一緒の地面に足を付けているって事。よく、そ

んな事ができたよね。

 

 だって、21世紀じゃあ、まだ世界の半分くらいが、まずいご飯を食べて、ポンコツの車に乗っ

て、吐き気がするくらい汚染された空気の中で生活していたんでしょ。わたしだったら、耐えられ

なくなって自殺しているよ」

 

 彼女の言葉は異様な響きを持っていた。その言葉は攻撃的であり、差別的でもある。

 

 だが私は彼女だけではなく教室にいる生徒にも、しっかりと答えようと思った。

 

「なるほど、確かに彼女の言う言葉は最もかもしれない。飢餓や貧困は確かに21世紀にまだあ

った。戦争、テロ。こうした野蛮な行為も確かにあり、幾らアメリカ国民であろうと、その恐怖を感

じていた。私は子供だったのでよく覚えていないが、冷戦時代という、ロシアがまだソ連だった時

代には、アメリカ国民は、核戦争に備えて、自宅に核シェルターを作っていたくらいだよ。そう言え

ば子供の時、私も入った事がある。

 

 だが、私達は今のこの時代にあるように、別々の世界に移り住むような事はできなかった。皆、

地球と言う大地に足を付けて暮らすしかなかった。どんなに貧しい人達も、どんなに裕福な人達

も、一緒の地面に足をつけて暮らす。でも、それは自然な事だよ。例えどんなに貧困な世界が身

近にあったとしても同様さ」

 

 私は教室にいる皆にそのように説明した。それは確かな私の本心であり、そこには何も飾った

姿はない。私の話している生き方こそ、21世紀流の生き方なのだと、確かにそう思っているから

言える言葉だった。

 

「でも、いつ誰に襲われるか分からない世界で生きるなんて、とてもできないわよ」

 

 ハルカのそのように発した言葉が、この時代に生きている人々の、素直な21世紀の世界への

感情なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

「この度はありがとうございました。丁寧なご教授で、生徒達にも良き刺激になったと思います」

 

 授業の後に職員室に招かれた私は、ハルカの担任の教師に深々と頭を下げられ、そのように

感謝の意を示された。わざわざ茶や菓子まで出されてしまう。

 

「いえいえ、私はただこの時代の事を良く知りたい意味もあって、話をさせてもらっただけで、大し

た事はしていません」

 

 私は相手のあまりの感謝の姿に、思わずそのように答えていた。

 

「と言う訳で、先生。わたしの欠席を全部消してくれるよね?」

 

 ハルカの方は職員室で落ちつかない様子で、窓際に立ってそのように言っていた。やはり彼女

の関心事は自分の出席の事だけなのだろうか。

 

「是非とも、また今度、機会がありましたら」

 

 教師の方は、ハルカの言葉など聞こえてはいないという様子で、私にそのように言ってくる。

 

(ちょっと、先生。わたしの言った言葉は聞こえているの?)

 

 ハルカが身を乗り出して教師にそのように言い放った。出席を帳消しにしてもらわれる側の立

場としては、随分なものだ。

 

(カワシマさん。欠席と言うものは帳消しにはできないものです。あなたが今日出席した単位は認

めますが、今までのものは認められません)

 

 教師は私に話しかけてくる態度とは、がらりと姿を変えて冷たい声でハルカに言う。

 

(ちょっと、はあ?そんなの聞いていない!この人を連れてきたら、出席は帳消しにしてくれるって

言っていたのに!)

 

 ハルカは大声を上げていた。職員室にいる教師達が一斉にこちらを向いてきている。

 

(それは、あなたが勝手に言っていた事です。わたしは別に帳消しにするとは言っていませんよ)

 

(何だって、ふざけんなよ!あたしは、確かに、約束したんだ!)

 

 ハルカは教師に向かって詰め寄る。今にも殴りかかりそうなほどの声を上げている。

 

(欠席は欠席で認めなさい。進級できなくなっても、それはあなたの責任ですから)

 

(ふざけやがって!やっていられるか!こんな学校!)

 

 そのように言うといきなりハルカは壁を蹴り、わざと激しい音を立てた後、職員室から荒々しく扉

を開いて出て行った。

 

「すみませんね。粗暴の悪い子で。ただ、大企業の娘さんだからと言って、特別扱いはできませ

んよ」

 

 教師はハルカに言った時とはまた態度を変えて、私にそう言って来た。ハルカの欠席がどうなっ

たのかは、言葉が分からなくても私には理解できる。

 

 ハルカと私は、全くの他人ではない。彼女が私に、ホームステイを強く要望したのだから。私は

ハルカの後を追う事にした。

 

「失礼」

 

 ハルカを冷たくあしらった教師にはそのように言い残し、私は職員室を飛び出して彼女の後を

追った。

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「あいつ。いつもそうなんだよ」

 

 学校の敷地の中にある、人工で作られた川にかかる橋によりかかっているハルカを見つけた。

彼女はふてくされたような顔をしており、さきほどの教師の態度が相当に不満であったらしい。

 

 教師とハルカとの間で交わされた約束の事については、私も知らないが、約束したはずの事を

裏切られてしまったと思いこむのは、この年頃の子どもたちには相当に腹立たしく、それは我慢

もできない事だろう。

 

「あのな。だけれども、欠席を帳消しにしてくれるっていうような考えは、やはり無理なものだよ。

それは21世紀でもそうだ。私も大学に行っていた時、そんな事をしている連中がいたが」

 

「いいよ、おじさんのそうした話はしなくて」

 

 ハルカが橋の手すりに寄りかかって、遠くの方を見つめながらそのように言っていた。そういえ

ば彼女は21世紀の世界の事を毛嫌いしているようにも思えた。

 

「ああそう。でも私は、君が欠席を帳消しにするだけの目的で私のホームステイを強く勧めたわけ

じゃあないって、そう思っているんだけれどもね」

 

 ハルカと同じように、橋の手すりによりかかる。まるで学生同士でそんな事をしているかのような

気分だった。そう言えば、遠い昔、21世紀に通っていた大学で、友人と似たような事をした記憶

がある。

 

 だが今はコロニーという世界の中に私達はおり、私の隣にいるのは、私の娘ぐらいの年頃の、

日本国籍の少女だ。彼女があまりにも洗練した英語を話してくるから、そんな事も忘れてしまいそ

うになる。

 

 私はじっと、休み時間の学校の中を歩く学校の生徒達を見つめた。ここは高校と言うよりもむし

ろ、大学のような姿を感じられる。

 

「おじさんがうちに来て欲しかった理由は4つあるの」

 

 ハルカは突然に私にそう言って来た。

 

「4つか。多いのか、少ないのか」

 

 どうやら、欠席を帳消しにするという目的だけではなくて安心した。そして、ハルカはようやくそ

れを私に明かしてくれるのだ。

 

「1つ目は叶えてくれた。それは、おじさんが学校で21世紀の事を皆に教えてくれるって言う事。

まあ、あんな感じで十分。私も21世紀の事は大分調べていたし、もう十分におじさんが教えてく

れた。ただ、だからと言って21世紀に行ってみたいなんていう風には思わないよ」

 

「ああ、そう。それは残念だ」

 

 私はそう答える。この時代の高校生に私のいた時代に来て欲しいために、あの授業をやったわ

けではないが、それでもハルカの遠慮ない言葉には残念な気持ちにさせられる。

 

「あとの3つの理由を聴きたいよ」

 

 私は残念な感情を包み隠し、ハルカにそう尋ねた。ハルカは指を折り数を数えながら話し始め

た。

 

「2つめは、私の欠席を帳消しにしてほしいから。これはどうやら無駄だったみたいだけど、おじさ

んのせいじゃあないから。

 

 3つめは、おじさんをある場所に連れていきたいから。4つめはまだ話せない。内緒」

 

「ある場所ってどこの事?」

 

 私はハルカの思わせぶりな口調が気になってそう尋ねた。

 

「それは秘密よ。4つめの理由も秘密」

 

 秘密にされる事が恐ろしい事とは感じない。だが、私をホームステイさせるほどの理由だ。それ

はハルカにとっては大きな事なのかもしれない。彼女に利用されるつもりはないが、私は私だ。

彼女に惑わされないようにしたい。

 

(おおーい。ハルカ)

 

 そのようにハルカの名を日本語で呼ぶ声があった。川にかけられている橋の、学校の校舎側

から呼んでいる声だった。

 

 私が振り向くと、そこには何人かの男子生徒がおり、ハルカを呼んでいた。よく見れば、さっき

私の行った授業に出ていた顔が何人かいる。あの生意気な態度を取っていた白人の少年だ。彼

がハルカを呼んでいた。

 

(何か用?)

 

 ハルカが動こうとしないので、彼女の方に、男子生徒達の方から近づいてきた。5人いる。しか

し全員、どことなく顔が不良じみていて、あまり良い印象を与えない。彼らは日本人と言うよりも、

アメリカにいるような人種ばかりだったから、私には彼らの態度の悪さがはっきりと分かる。そうし

た態度や雰囲気などは何年たっても変わらないようだ。

 

 しかも奇抜な服装をしており、いかにも社会のルールを守らなそうな姿をしている。

 

(お前も、明日のパーティーに来るんだよな?)

 

 恐らくリーダー格かと思われる白人の少年は、ハルカに日本語で言っていた。

 

(ええ、行くわよ。明日、なんだからね)

 

 少年は、私の方をじろじろと見てくる。その目つきが非常に攻撃的に感じられた。

 

(この、野蛮人も連れてこいよ。きっと面白くなるぜ。この時代って奴を教えてやるんだ)

 

 私には言葉の意味は分からなかったが、非常に攻撃的なものである事だけは分かった。

 

(ちょっと、止めなよ。このおじさんに対して失礼だよ)

 

 ハルカは何やらそう言って少年達を制止しようとした。だが、少年達は笑いながら私の方を見て

くる。

 

(どうせ、言葉分かんねえんだろう?そんな野蛮人だ)

 

(火を使って、人を殺すだけの道具を使っていたような時代の奴だぜ)

 

(だから、止めなって)

 

 口々に言ってくる少年達に、ハルカはどうやら困りつつそう制止しようとする。

 

(まあいいや、明日、そいつも連れてこいよ。そっちの方が楽しそうだからよ)

 

 そう言うなり、少年達はこの場から去っていった。

 

 私はその少年たちの背後を見つめながら、嫌な印象しか感じる事が出来なかった。ハルカも確

かに髪を緑色に染めるなどして、格好としては奇抜な所もあるが、彼らは態度にも不良さが滲み

出ている。

 

「ごめんね。あんまり、雰囲気のいい奴じゃあないでしょう?でも、あたしのチャット仲間だから」

 

 ハルカの言って来た言葉に私は少し戸惑う。

 

「彼らが、君のチャット仲間なの?まさかとは思うけれども、君が毎日出入りしている、環境問題

を話し合うとか言うチャットの?」

 

 それは間違いであると信じたい。確かに私のいた21世紀とこの時代では何もかもの感覚が違

うのかもしれないが、あんな不良じみた連中が環境問題を話し合っているなど、とても想像だにし

がたい

 

「そうだよ。今、このコロニーに古臭いエネルギー開発を持ち込もうとしている連中がいるの。そ

いつらに反抗してチャットやコミュニティを作っているのよ」

 

「少し、信じられないな」

 

 私はさすがにと言った様子でハルカにそう答えて見せた。だがハルカは、何という事は無い、当

然と言った様子で私にそう言ってくる。

 

「それで、今、言われたんだけれども、明日のあたし達のパーティーに参加してくれない?それ

が、あたしの次のお願いなんだけれども」

 

 ハルカはそう言って私に迫ってくる。私は戸惑った。ホームステイをするという事は、確かにステ

イ先の家庭には合わせる必要があるが、何もハルカのお願いを聞く為にホームステイするわけ

ではない。

 

 だがハルカの次の言葉は、今の私の境遇にとっては殺し文句のようなものだった。

 

「この世界を知る為にも、絶対役に立つって。どんな奴が悪いやつなのか、絶対に理解できるよ」

 

 仕方が無い。所詮高校生同士のパーティーだ。大人として、彼らが羽目を外しすぎないように、

保護者的な役割をしても良いかと思った。

 

 だが、ハルカの友達連中が私に対してどのような意識を持っているのか、日本語が分かって気

づいていたならば、私はそのパーティーには参加しなかっただろう。

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 翌日、私とハルカは、新関東コロニーの中でも都会である街に来ていた。そこは、新清澄川と

呼ばれる地区で、どうやら都会の中でも、繁華街というよりもオフィスビル街に位置するようだっ

た。

 

 ハルカが彼女の友人たちと会うと言っていたものだから、てっきり、若者ばかりがいる繁華街な

どに来ると思っていたのだが、予想外にそこはオフィスビル街にだった。

 

 コロニーの中に、ここまでのビル街がある事に私は驚く。何しろ、21世紀のニューヨークのマン

ハッタンにも匹敵するほどのビル街があったからだ。ここが地球の大地ではなく、宇宙空間にあ

る巨大な宇宙船の中だとは、21世紀からやって来た私にとってはとても想像できない。

 

 しかも、ただビルが広がっているだけでは無い。通りには無数の広告やらが立体画面として流

れており、行き交う車も私が見た事がないようなものばかりだった。だが、それでも、これはあくま

で21世紀から来た私の感覚で言うのだが、車のデザインや建物のデザイン、そして広告などは

比較的落ち着いた姿をしている。

 

 繁華街にあるように、無駄に派手な装飾は無いし、広告の姿も比較的落ち着いていたからだ。

 

 つまりここは、このコロニーの中にあるビジネス街なのだろう。それも大手企業などが軒を連ね

ているような街なのだ。ハルカの住むカワシマ家や、彼女が通っている学校とはまた違う姿をした

街だ。

 

 しかし疑問があった。最初はこの街の高層ビル街に圧倒されてしまって忘れてしまいそうだった

が、何故ハルカ達は、こんな大人の街でパーティーを開くなどと言ったのだろうか。

 

 ハルカの家が金持ちだから、いくら高校生であってもこんな街でパーティーを開く事ができる。そ

ういう事なのだろうか。

 

 だがハルカの姿はあまりに場違いである。私でさえ、この場にフォーマルなスーツも着ずにやっ

てくるのは場違いだと思っていた。道を行き交うのは、どこを見ても、黒い服を着た、会社員や企

業の人間ばかりで、私達のような、ラフな服装をしている者達はこの場にはあまりにもそぐわな

い。

 

 まして、そんなビルの一角にあった、テイクアウト式レストランから出てくる者達など、このような

場所にいる資格さえなさそうな人物のように見えた。

 

(ハンバーガーが一個10新円もしやがる。一体、ここはどんな連中が物を買う場所なんだ?)

 

 そう言いながら、袋に入った食事を持ってきたのは、ハルカの友人であると言う、高校の男子生

徒だった。彼らは、このコロニー内のビジネス街にやってくるのにもかかわらず、そのラフな服装

をさらに崩し、まるで喧嘩を売りにきたかのようだ。

 

「なあ、あんた。おごってくれるか?大人としてよ。新円だ?分かるか?金貨じゃあなくって、こうい

うカードを使うんだぜ?」

 

 そんな服装をしていて、ハンバーガーの包み紙を平気で歩道に捨てるような連中だったが、英

語を話す事ができるのは、この時代の特徴だろうか。彼らはほとんどネイティブとも言える言葉を

操る。多少、私の知らない言葉が混じるし、攻撃的な口調をしているが、それでも言葉を話す事

が出来ているのだ。

 

 彼らが捨てたハンバーガーの包み紙は、綺麗に整えられた歩道からやって来た、ゴミバケツの

ようなロボットが、アームを使って回収していった。どうやらロボットが歩道のゴミを探知して回収

してしまうらしい。

 

「やめなよ、あんた達。おじさんに失礼な言葉をきくのを」

 

 ハルカは間に割り入った。だが、男子生徒が私に見せつけてきたカードが何を意味しているの

かは、私にもすぐ分かった。

 

 彼が持っているのは、クリアガラスで出来ている、薄いカードでそこを光学画面が流れているよ

うなものだったが、そのようなものくらいは、私の時代にだってある。

 

「クレジットカードだ。そうだろう?私も持っている」

 

 そう言って、私は移民局の人間から渡されていた、この時代での金である、クレジットカードを見

せた。これがないと不自由するからと、病院を退院する前から私はそれを渡されているし、実際

に使っていもいるのだ。馬鹿にされる筋合いは無い。

 

「じゃあよう、この馬鹿みたいに高いハンバーガーの金は、あんたが払ってくれよ」

 

 そう言ってハルカの友人である、タケヤという少年は、私にハンバーガーを渡しながらそのよう

に言って来た。

 

 もし彼らがもっと態度の良い人間だったら、この場にいる5人の者達にハンバーガー代くらいは

おごってやったかもしれない。だが、今、彼らにハンバーガーを奢るという事は、彼らの差別的言

葉に屈する事を意味するかのようだった。

 

「おじさんはいいから。あたしが全員分奢ってやるから」

 

(よう!さすがは大企業の娘だな!ええ)

 

 ハルカがそのように言い、突然、彼女の友人の一人が声を上げるのだった。だがハルカにはこ

のような高校生達と突き合い、昼食代をおごるのはして欲しくはない事だった。

 

「あんたにも伝えておくぜ、パーティーが始まるのは、奴が来てからだ。ハルカに言わせれば、今

日の午後1時にここを奴の車が通る。そうしたら、パーティーを始めるんだ」

 

 タケヤがそのように言うパーティーとは何であろうか。私は興味を抱くが、どうやらよからぬ事で

あると言う事だけは分かった。

 

 もし彼らが危険な真似をするならば、大人であるこの私が止めなければならない。ハルカが巻

き添えになるかもしれないし、何より誰かを襲うのだろうと私は思っていた。

 

 ハルカは、ホームステイ先の家庭の娘であって、1週間前までは知りもしない人間だった。だが

今では彼女が何か危険な事に巻き込まれる事が、私には見て見ぬふりのできない事だったの

だ。

 

 だから、高校生達の間で交わされる、何かのパーティーに私が参加する事で、危険な方向に行

かないように抑える事ができると思っていた。

 

 午後1時。通りにある広告と共に並んだ、光学画面に時計が表示されている。残り10分しか無

い。彼らは一体何をしようとしているのだろう。

 

「もうすぐだぜ、そろそろ隠れていた方がいい。防犯カメラは、あそことあそこにある。きちんと用

意しておいたか?」

 

 タケヤはそのように言い、通りに設置されているらしい防犯カメラの位置を指し示した。防犯カメ

ラの位置を気にするとは、やはり何か犯罪的な行為をしようとしているらしい。

 

「あんたは俺と来な。いいか、ここで起きた事を誰にも言うんじゃあないぞ」

 

 と、やはり生意気なほど高圧的な態度で、タケヤは私に向かって言って来た。

 

「おいおい、何をしようとしている?もしかして、誰かに暴力を振るうとか、そういう事をするつもり

なのか?」

 

 私はタケヤの腕を掴んでそう言った。さすがにそう言う事ならば見て見ぬふりはできない。だ

が、彼は私の手を振り払うなり言い放ってきた。

 

「正義だ。俺達がしようとしているのはよ。野蛮人に正義の制裁をしてやるのさ」

 

 と私に指を突きつけてそのように彼は言い放ってくる。

 

 正義と言う言葉を彼らが使うとは。どうせろくでもない事になりかねない。私はいざという時は彼

らを止めようと思った。相変わらず杖をつかなければ歩く事はできないが、高校生の子供たちくら

いならば止める気でいた。ハルカは危険な事に手を出そうとしているのは明白だ

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 やがて午後1時になった。私達は建物の物陰に隠れる。タケヤは、ジュースの缶を飲み干し、

その缶を地面に落とすなり踏みつぶした。

 

 乱暴に踏み潰された缶。しかしその時、路地裏の奥の方からロボットが現れ、タケヤが捨てた

缶を回収しにやって来た。

 

「来た。行くぜ」

 

 タケヤはまるで何も知らないかのように外へ飛び出していこうとしていた。

 

「おい待て。今のロボットに顔を見られているぞ。君が何かをしでかせばバレる」

 

 私はそう言い、彼の腕を掴んだ。しかしタケヤは乱暴に振り払い、路地裏から外へと飛び出して

いく。彼が持っていたのはスプレー缶のようなものだった。

 

 タケヤは一目散に仲間たちとともに道路に向かって飛び出していく。彼とハルカを中心にした仲

間達は、一台の車を目指していた。それは黒塗りの車であり、私はどこかでその車の存在を知っ

ているような気がした。

 

 一点の汚れもないかのような車。外からは見る事が出来ない窓ガラス。タケヤはその車に向か

って、スプレー缶を向け、古めかしいライターで火を点けた。するとあたかも火炎放射器のように

車に向かって火が放たれる。

 

「お、おい。止めろ!」

 

 私は杖を突きながら、思わず道路に飛び出していた。

 

 一人の取り巻き連中は、車のフロントボディに向かって、レーザーのようなものを照射し、何か

を描きつけている。ハルカはと言うと、車に向かって空き缶を投げつけていた。

 

 タケヤが放つ火炎放射器まがいのスプレー缶を、私は思わず叩き落としていた。とんでもない

事をする連中だ。パーティーというのは車を襲う事だったのか。

 

「うるせえな。俺達は偽善者に本物の正義ってやつを教えてやっているんだぜ。野蛮人は引っ込

んでいやがれ」

 

 そう言ってタケヤに振り払われた私は杖と共にバランスを崩し、道路に倒れてしまった。歩道を

行き交う人々が唖然となってこちらを振り向いてきている。

 

(警報。警報。3−22地区で事件が発生しました。付近の皆さまはすぐに避難するよう…)

 

 警報機が鳴った。周囲が赤い色に照らされて、サイレンが鳴る。事故や事件が起こると、すぐ

に警報が鳴るシステムがこの時代にはあるらしい。

 

「よし、あらかたできたな。ズらかるぜ」

 

 タケヤは無責任にそのように言い放つなり、持っていたスプレー缶を車へと投げつけた。車に

は、焦げ跡もできていなかったが、彼が火炎放射器まがいの凶器を使うとは。

 

「じゃあね、おじさん。あたし、逃げないと」

 

 ハルカもそのように言い、車へと空き缶を投げつけるなり、仲間たちと共にその場から逃げてい

く。

 

「お、おい。待ちなさい」

 

 私はそのように言ったが、ハルカとその仲間達はあっという間に歩道から姿を消してしまう。ま

だ杖をついて歩いている私は、道路に倒れたまま、ようやく身を起こすまでに時間がかかってしま

った。

 

 目の前で黒塗りの車から出てくる黒服の人物がいる。どうやら中の要人の警護であるらしく、大

柄な体にサングラスと言ういで立ちだった。

 

(大丈夫ですか?)

 

 そう言ってくる日本語があった。私よりも大柄な彼は、私に手を差し伸べてくる。

 

(ダイジョウブデス)

 

 そのようにおぼつかない言葉と足取りで立ち上がる私。次に私の目に飛び込んできたのは、や

はり予想していた人物だった。

 

「マルコムさん。こんな所で何をやっているのです?」

 

 黒塗りの車から出てきたのは、思っていた通り、ハルカの父親の、カワシマ・シンジだった。彼

は警護達を押しのけ、私を気遣ってくる。

 

 何故こんな所にいるかと言えば、それはハルカの事を心配してだ。彼らが何か危険な事に手を

出そうとしている事を危惧して、私はここまでやって来たのだ。だがまさか、ハルカ達が車を襲お

うとは思っていなかった。

 

 しかもハルカは自分の父親の車を、仲間達と共に襲ったのだ。その事をシンジに言おうとも思

った。しかしながら、言って良いものだろうか。

 

 自分の娘に襲われたなどと父親に言って良いものだろうか。だが、シンジはそんな事はお見通

しだったようだ。

 

「ハルカに言われて、ここまで来たんですね?だが、まさか彼女がこんな過激な事をしているなん

て知らなかったでしょう?私から謝ります」

 

 シンジはそう言ってくる。どうやら彼も、自分の娘に襲われた事は分かっていたらしい。

 

「全く困った娘だ。私の会談のスケジュールを盗んだ上に、あんな連中と組んで父親を襲う。勘当

してやりたいくらいの気持ちにさせられる」

 

 シンジはそう言いつつも、随分と落ち着いた顔をしていた。娘とその仲間達に襲われたのだ。も

っと動揺して取り乱しても良いと思う。

 

 私は彼の車のボディに、先ほどレーザーのようなもので刻まれた文字を見た。それは日本語の

漢字で書かれていて私には理解できない。

 

「“野蛮人”と彫り込まれています。まあ、このくらいの傷は消してもらうように業者に頼めますけど

もね。所詮高校生の子供らには、私のしている仕事が野蛮人のする事としか思えないんでしょ

う。気にしてはいませんよ。所詮、こんなものは子供の遊びですからね」

 

 シンジはそう言うなり、自分のスーツを整える。

 

「ハルカには私から叱っておきます。二度と、あんなくだらない連中と付き合わないようにとね。ど

うせあんな連中も、近くポイントを貯められて、コロニーから追放されるんですよ。例え高校生であ

ったとしてもね」

 

「はあ、ポイントが?」

 

 私にはシンジの言っている言葉の意味が良く分からなかった。

 

「家まで送りましょうか?この度は巻き添えにしてしまって申し訳ない。あなたもあまりハルカに関

わらない方が身のためですよ。親である私が言うのも何だが、ハルカはあなたを利用しようとした

のかもしれません」

 

「ではお願いします。歩いていきたい所ですが、まだ歩くのが少し大変でして」

 

 私は杖を付きながらシンジの申し出に従った。

 

 ハルカが私を利用しようとしているというのは明白だった。21世紀からやって来た、この時代の

事を何も知らない私を利用している。それも彼女は自分の父親を襲う為に私を利用しようとした

のだ。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の晩。

 

 コロニーが管理している巨大な照明システムは、円筒型になっているコロニーの中心軸付近に

は浮かぶようにして存在している。その照明はあたかも地球上であるかのように、夕方とされる

時刻、例えば夏ならば午後5時くらいから夕日のような姿を見せ、午後8時にはすっかり新関東コ

ロニー内は暗くなる。

 

 夜と言う概念をわざわざコロニー内にまで備える理由。カワシマ家に戻った私は、それを考えな

がら庭の中を杖をつきながら歩き回る。大分、杖をついて歩くという行為も慣れてきていた。

 

 夜というものを作ってしまえば、夜の闇を利用した犯罪が起こる。治安も悪くなる。例えコロニー

内が、犯罪が起こらないほど平和だったとしても、暗い場所を歩けば見えないものに躓く事もある

だろう。

 

 だが、人間にとってやはり夜と言うものも必要なのだろう。むしろ大人は夜を好む。夜のように

暗くなければ眠る事が出来ないと言う人間もいる。だからコロニー内でも夜という概念が必要な

のだ。

 

 ハルカが帰って来たのは夜11時も過ぎた頃だった。私とは別に帰ってきており、すでに家には

彼女の両親が待ち構えていた。

 

 今日起こった出来事と、16歳の少女がこんなに遅くに還って来た事を考えれば、家の中でどう

いった事が起こるかは私にも容易に想像がつく。そうした事はこの時代でも変わらないはずだ

し、シンジは家に帰ってきてからというもの、妻とも口を利かずに、いかにも怒りを篭めたような顔

をしていた。

 

 ハルカが帰って来た時を見計らい、私は家の庭に出ていた。カワシマ家でそれから起ろうとして

いる出来事を見たくはなかった。

 

 庭に出てしまうと、家の中の音は一切聞こえないようになっている。カワシマ家の庭は庭園とな

っており、そこでは静かに流れている小川の音が聞こえるようになっていた。落ち着いた雰囲気

を持つ庭だが、これは全て人工によって作られたものであり、人の手が加えられたものだ。

 

 家の中の音が聞こえないようになっているのも、人の手が加えられた言わばシステム的なもの

であり、この社会では全てのものが完璧に管理されている。それは完璧に安全な世界を求めて

作られた結果なのだろうか。

 

 カワシマ家の中で起こっているであろう事から気を紛らわすため、私がそのように思いながら、

庭にあったベンチに腰を降ろしてしばらくした。

 

 家の中からハルカがその姿を現した。かなり時間が経っていたように思える。だからてっきり私

は彼女が泣き出してしまうほど、厳しく叱られたのだろうと思っていたが、そんな事はなかった。

 

 ハルカは涼しい顔をしており、家の中で何も起こらなかったかのような表情をしていた。

 

 だが左の頬がはっきりと分かるほどに腫れていた。

 

 それは彼女がシンジによって、頬を叩かれたのである事は確かだった。しかも跡が残るほどか

なり強く殴られている。

 

 そんなに激しい言い争いがあったと思われるにも関わらず、ハルカの顔と言ったら涼しいもの

だ。まるでそんな事をしょっちゅうされて、今では慣れ切ってしまっているかのようである。

 

「随分と、時間がかかったみたいだが」

 

 私はハルカの表情を伺いながらそのように尋ねてみた。

 

 するとハルカは、至っていつもの口調で答えてくる。

 

「別に、ただちょっと叱られていただけよ。そんな風に叱っておきながら、警察には自分が襲われ

た事は無かった事にしてもらっているって言うんだから、笑っちゃう」

 

 ハルカはそう言って見せていた。しかし、親がわざわざ頭を下げて、自分の子供が犯した犯罪

を警察に無かった事にしてもらうと言うのは、この時代でも大変な事なのではないだろうか。

 

 ハルカの父であるシンジの権力がどれほどのものかは知らないが、彼がした事は娘を思っての

事である。ハルカはそうした親の心配をまるで分かっていないようだから、私から理解させてやる

事にした。

 

「それは、君を心配しての事だ。親なら君の父親がしたみたいな事はする。だけれども、君が今

日やった事は、どう考えても間違っている」

 

 私ははっきりと言った。自分が彼女を止める事も出来たが、あの時はできなかった。もうこれ以

上、ハルカに自分の父を襲うなどという事はして欲しくない。

 

「わたしの父は、偽善者だからよ。わたしのお父さんがしようとしている事を、自分から止めようと

するまでは、わたしは、今日したような事を続ける」

 

 途端にハルカの表情が変わる。突然に目を輝かせたかと思うと、まるで熱弁するかのような口

調で私に言って来た。

 

 だがハルカの言葉は抽象的なものを指しており、私にとっては何の事やら分からない。

 

「はあ?偽善者?一体、何の事を言っているんだ?」

 

 私は間が抜けたかのような声で尋ねたが、ハルカは座っているベンチの隣に座り、真剣なまな

ざしをして話してくるではないか。

 

「父は、このコロニーに住む人達の生活をより良くするために、という名目で、原子力発電所をコ

ロニーに造ろうとしているの。それが自分の会社に課せられた使命なんですって」

 

 ハルカの話してくる事は私も知っていた。ハルカの父親はエネルギー開発関連の企業の社長

だ。だが具体的にどう言った事をしているかは知らない。

 

「何故、原子力発電所を造る事が、偽善者なんだい?」

 

 私の時代の常識では、エネルギー関連の企業が、原子力発電所を作るという事は何も不思議

な事では無い。だがそれはあくまで私のいた21世紀での話だ。

 

 ハルカの表情からして、この時代ではそれは異なるようだ。

 

「原子力発電所よ。ちょっとの量でとてつもないエネルギーを生み出すって言う力。そんなに危険

なものをコロニーに造る事でどんな事が起こると思う?核爆発を起こして、それからエネルギーを

得ようっていうのよ?」

 

 ハルカは熱弁する。まるで彼女の父親が恐ろしい兵器を創り出しているかのような話し方だ。

 

「おいおい待ってくれ。この時代のエネルギー開発の事は全然知らないが、原子力発電は核爆発

とは全然違う。それは知っているのかい?」

 

 そう。原子力発電所は核爆発とは違う。同じ原子力の力を使うが、核爆発よりもずっとゆっくりと

核反応を起こすことで、原子力発電所はエネルギーを生み出す。その力は今までに人間が見つ

け出してきた発電の力よりも遥かに大きい。

 

「ええ、でも事故を起こしてばっかりだったでしょ。チェルノブイリなんていうのも、あたし、調べた

んだよ。もし、大事故が起こったならば、その土地は永遠に人間が住めない場所になっちゃう。も

しコロニーの中でそんな事故が起こったら、地球よりももっと酷い事になるのは目に見えている

わ。

 

 おじさんのいた時代よりもずっと後での話だけれども、コロニーを稼働させる為に、太陽光発電

が主流になってきたの。でも、それだけじゃあ、全然エネルギーにならない。豊かにならないって

言うのよ。わたしの父は、人間がもっと豊かにじゃんじゃん電気を使う事ができるようにって、コロ

ニーの中に原子力発電所を造ろうとしているの」

 

 ハルカの言いたい事は私のもだんだんと掴めてきた。どうやら彼女はわざわざ父親がやろうと

しているエネルギー開発について、21世紀以前の時代にまで遡って調べたらしい。研究熱心な

のは結構だが、彼女は原子力発電と言うものに対して、恐れにも似たような感情を抱いているよ

うだ。

 

 しかし、それは間違いである。

 

「おいおい、君は原子力発電所を、何か爆弾でも抱えるかのようなものだと思っているようだが、

それは違う。危険な発電方法じゃあない。それは事故も過去には起こっていたかもしれないが、

ごくたまにしか起こらない事なんだ。チェルノブイリやスリーマイルノの事故は私も知っているが、

もっと洗練された技術と、放射性物質の再利用ができれば、これほどクリーンで高発電なエネル

ギーはないんだ。そのぐらいの技術力は、この時代にはあると思っていたが?」

 

 私の知識が、どれほどこの時代に通用するかは分からない。だがハルカの父親に対しての攻

撃的な感情が解けるのならば、きちんと説明しておきたい。

 

 だがハルカは譲らなかった。

 

「いいえ、父がやろうとしているのはとても危険な事なの。止めなきゃあいけない。例えどんな事を

しようともね」

 

 ハルカは熱弁を続けたが、私にはどう聞いても彼女のしようとしている事が、幼稚なものであ

り、暴力的なものであるとしか感じられなかった。

 

 しかしながら、ハルカは私に寄ってきて嘆願する。

 

「わたしがおじさんにこの家に来てもらった理由の3つ目はそれなの。わたしの父のしようとしてい

る事を止めて欲しいと思うの。21世紀に生きていた人ならば分かるでしょ?どんなに原子力発電

が危険なものか」

 

 危険じゃあない。ハルカが思っているほど原子力発電所というものは危険じゃあない。そう彼女

に説明したかった。

 

 だがこの時代の人間に、私の説明だけで納得させる事ができるのだろうか。

 

 そもそもハルカは、本気で原子力発電所をコロニー内に持ち込ませないという確かな思想を持

ち、そのための活動をしているとは思えなかった。今日、彼女が父親に対してした事は、デモ活

動のようなものとは違う。破壊的な行為。そしてただの喧嘩を仕掛けたと言う、

 

 子供じみた行為に過ぎない。

 

 もし本気でそうした技術に対して反対運動をするのだったら、デモ行進にでも参加すればいい。

彼女がした事はあくまで、父親に対して暴力をした事に過ぎない。

 

 私には理解できた。ハルカはただ父親に反抗したいだけだ。その理由として、父親が行おうとし

ている事業に反対をするという理由を作っているに過ぎない。

 

 私は、彼女の、いわば思春期のわがままの手助けをする為に、この家に招かれたと言うのだろ

うか。そんな事は御免だった。

-5ページ-

 ハルカは父親と仲が悪い。それは確かな事だろう。

 

 親子の仲が悪くなる。特に思春期の子供はとても多感であり、その上親から早く自立をしたが

る。それに対して細かい事まで干渉してくる親に対して反抗する。

 

 そうした親と子の姿と言うものは、この時代でも変わらないようだ。現にそうした親と子の関係と

言うものは、私がいた21世紀から遡った1500年前から続いているような関係だ。

 

 特にハルカの父親、シンジは仕事で忙しいと言う事もあって、滅多に家に帰って来ないと言う。

もちろん今日のような日は別だ。

 

 ハルカは父親に手を上げられるような事をし、それは私がこの家にホームステイしてくるよりも

前から続いている。その場に私が入るべきではない。この時代の人間関係がどのようなものか、

1500年も昔からの来訪者の私が干渉すべき事ではない。

 

 だが、ハルカのしようとしている事を私は止める事ができる筈だ。できる事ならば、私は彼女を

止めたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 ある事を思い出していた。それはハルカの家庭ではなく、私の家庭で起きた出来事だった。

 

 21世紀に起きた、あくまで一つの家庭内で起きた出来事であり、それは遠い時代の彼方に消

え去ってしまったようなものだが、私にとっては、つい数ヶ月くらい前の事のように思える。

 

 ハルカの家庭での出来事を、私は直接見たわけではないが、知る事になってしまった。他人の

家庭の出来事、それも私からは手の届かないほど遠くにある時代の家庭の出来ごととは言え、

やはり自分の家庭でおきた出来事と重ねて見てしまう。

 

 どこの家庭でも親と子の衝突と言うものはある。

 

 だが、私にとってもあの思い出は辛い出来事だった。私自身、子育ての途中でスペースシャト

ルの事故に会うという出来事と共に、この時代にまでやって来てしまったのだから、子育てを完成

させた事はない。

 

 私としても、今でも私の子供たちに会いたいという気持ちはある。しかしそれはどうしようもない

事だった。

 

 思い出していた記憶というのは、今日、ちょうどハルカの家庭での出来事を目撃していたせいも

あるだろう。

 

 それは私の中でも否応なしに思い出してしまうほど、忘れられない出来事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 私には二人の息子がいて、確かに彼らの育ちは良かったと言えるかもしれない。上の兄が10

歳で、下の弟が5歳の時までが私が育てる事が出来た。彼らがその歳から先にどうなってしまっ

たかは私も知らない。

 

 二人とも豊かな環境で育ち、育ちが良かったとは言え、二人とも男の子で、お互いにあまり仲が

良いとは言えなかった。それが私にとって気がかりな事だったのだが、あるときに起きた出来事

は、私の心の中にずっと今も確かにある。

 

 私は上の兄の子の為に、大きなスペースシャトルの模型を作り、それを誕生日の日にプレゼン

トした。大きなスペースシャトルの模型だった。値段も高く、精巧な作りをしていたし、何よりもスペ

ースシャトルと言うもの自体が私の人生の象徴だった。

 

 その模型を誕生日プレゼントとして上の子にプレゼントした時、彼はとても喜んだ。彼は大切に

それを飾った。そして彼の行為は私を父親として認めて貰う事ができる。そんな象徴であるような

気がしたのだ。

 

 だが、その誕生日プレゼントの一週間くらい後であろうか、私の子供達が些細な事から喧嘩に

発展した。10歳の子供にとて、5歳の弟はちょうど生意気な年頃であったのだろうか。兄が見た

がっていたテレビ番組のチャンネルを、弟が無理矢理に変えようとした事から始まった喧嘩だっ

た。

 

 最終的に勝ったのは力も勝る兄だったが、弟は、兄の、自慢の象徴であったスペースシャトル

の模型を、見るも無残な姿に踏み潰すと言う行為に出た。

 

 それは弟にとって、力で劣っている分にとっての、最大限の主張だったのだろう。そうすることで

しか、自分の不満を表す事ができなかったのだ。

 

 兄は憤怒したが、それ以上に感情的になってしまったのは私だった。

 

 私の下の子が踏み潰したスペースシャトルは、着陸に失敗したかのように無残に潰れ、見る影

もなかった。私の忙しい仕事の合間を縫って作ったスペースシャトルのパイロット達は惨事に遭

い、上の子がそのスペースシャトルに抱いていた思いも、全てが押し潰されていた。

 

 自分でも絶対に子供達には手を上げまいと思っていたが、無理だった。スペースシャトルは、例

え模型とは言え、私にとって人生の象徴のようなものだったし、上の子にとっては夢のような存在

でもある。半年以上もかかって作った苦心の作でもあった。

 

 それはプラスチックの塊でしかない。一瞬で押し潰されてしまった。それもたかだか、テレビのチ

ャンネル争いから始まった兄弟喧嘩程度で。

 

 あの時から私は下の子供と嫌悪になってしまっていた。

 

 思い出したくはない。だが、その私の家庭で起きた兄弟喧嘩の2か月後に、私はスペースシャト

ルの事故で死亡した事になってしまった。

 

 子供達は、私をどう思いながら人生を送ったのだろう。

 

 しかしそれを思い出してももはやどうしようもない。彼らはもはや私の今いる時代には生きては

いない。そして、私の残したスペースシャトルの模型の残骸も、今では跡形もなく残されていない

事だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ハルカは学校以外の外出禁止を命じられていた。一週間と言う外出禁止は、カワシマ家の使用

人達によって厳守されていたが、どうやらハルカは、例のネットのチャットによって外の世界とは

繋がっていたようである。

 

 ハルカが環境問題に熱心に取り組んでいると言うのは、ただ父親に反抗したいだけなのだとい

う事は私にはもはや分かってしまった。技術というものには、危険もあれば利点もある。スペース

シャトルやコロニーもしかりだ。だが、ハルカは父親が推進している原子力発電の危険な面だけ

にしか目を向けていない。

 

 そして同じように、社会に対して何らかの反抗をしたい人間達と結託をして、子供じみた破壊工

作をしているに過ぎない。

 

 そのような親と子の感情と言う者は、どうやらこの時代でもそう変わらない出来事のようだ。

 

 一週間というハルカの謹慎期間が長かったのか、短かったのかは分からないが、ハルカはや

がて外出する事ができるようになった。父親によって、これ以上、人に迷惑をかけるような事をし

たら、警察に融通を利かせるような事はしない。と釘を刺された彼女だったが、ハルカにはそれ

が耳に入ったのかどうかは分からない。

-6ページ-

 その一週間と言う後、ハルカは私をある場所へと連れて行ってくれた。私が一緒だから大丈夫

だろうと、ハルカの両親は彼女の外出を許可した。

 

 まだ、1500年前からの来訪者というレッテルを貼られ、一部のマスコミが嗅ぎつけている事を

私は知っていたが、ハルカがどうしても連れて行きたい場所があるというので、彼女に同行した。

 

 カワシマ家からは使用人の運転する車に乗り、私達はコロニー内を移動して、ある列車の駅に

までやって来ていた。列車といっても、二本のレールの上を走る鉄道ではなく、高速のリニアモー

ターカーが更に進化したものだった。

 

 カワシマ家はわざわざ私達に個室車両を用意してくれ、私はハルカと彼女のお付きの使用人の

ロボットであるアジサイと一緒に列車に乗り、しばらく移動した。

 

 車窓を見ていると、例えコロニーという閉鎖された空間の中であっても、実に様々な地形や風景

がある事が分かる。それは人がコロニーの中で人工的に作り上げたものでしかないのかもしれ

ないが、山もあれば森林もある。住宅地からどんどん離れていき、都会の雰囲気は無くなる。どう

やら郊外へと向かっているようだった。

 

 私は、カワシマ家にホームステイをする事になって一カ月ほど。その間に、カワシマ家にあった

コンピュータを使い、このコロニーの情報についてはかなり調べた。

 

 この時代における常識についても調べたし、コロニーの構造や地理、そして私が宇宙空間を漂

っている間に流れてきた、知られざる歴史についても全て調べたのだ。

 

 コロニーとは簡単に言ってしまえば巨大な宇宙船であり、閉鎖された空間も同然である。地球と

は違い、内側に閉じた形になって、その円筒型の殻の内側に私達は足を付けているわけだが、

こうして高速列車などで移動してみると、本当にこの世界が閉じられた空間の中なのかと、疑わ

ざるを得ない。

 

 高速列車はコロニーの円筒を縦断するように伸びているらしい。新関東コロニーの端にまで

は、1時間もかからないでついてしまった。ここまで私はハルカにただついてきているだけで、どこ

に連れて行ってくれるという話は一切聞かされていない。

 

 よもや、またハルカは過激な悪さをしでかしてしまうのかとも思ったが、今日、ハルカが連れて

いってくれる所は、カワシマ家の使用人の一人である、アジサイもついてきているし、ハルカの母

親も容認している所であるらしい。

 

 今日の彼女は、私を利用しようなどと考えているわけではないようだ。彼女は、このコロニーに

しか存在しない、ある場所へと連れて行ってくれるようである。

 

 だが、高速列車の駅から出る頃には、いい加減、私もハルカに質問したくなってきていた。

 

「今日は、私をどこに連れて行ってくれるんだい?」

 

 私はハルカにそう尋ねる。私達が降りた駅は、コロニーの隅の方にある場所で、建物も少なく、

見通しの良い町にあった。周りを見回してみると、結構この地には子供が多い事が分かる。同じ

列車に乗って来た親子連れが多い。だが、小さい子供はいない、皆、小学生ぐらいの年頃だ。

 

「おじさんに、このコロニーでしか体験する事ができない事を紹介してあげるの」

 

 ハルカはそう言うばかりだった。

 

 だがやがて、私も彼女がどこへと連れて行ってくれようとしているのか、それが分かる時が来

た。

 

 そこは、観光名所というよりも、何かの遊園地であるかのような趣をした施設で、その施設の入

り口では電子型のパンフレットが配られていた。

 

「君は、この私に無重力を体験させてくれるっていうのかい?」

 

 私はハルカに向かってそう言った。施設の入り口で配られていたパンフレットには、無重力遊泳

ジーレスパークという施設名が書いてあった。

 

「そう。このコロニーでしか味わえないのよ。もちろん、別のコロニーに飛んでく宇宙船の中でも無

重力は味わえるけど、それとは違って、ここは遊ぶ事ができるようになっているの」

 

 そんな事ならば早く言ってくれれば良かったものを。私はハルカがいつも何かを隠しているかの

ような素振りを見せるものだから、いい加減不安になってしまう事もある。

 

「無重力なら、私は幾らでも経験してきているぞ」

 

 私はハルカにそう言った。せっかくこの施設に連れて来てくれたハルカには申し訳ないかもしれ

ないが、私は21世紀でスペースシャトルのパイロットだったのであり、無重力の訓練は幾らでも

受けて来ている。私の体はその感覚を忘れてしまっているかもしれないが、別に初めての経験に

なるわけではない。

 

 私がハルカにそう言っていると、カワシマ家から付いてきた、アジサイと言う名の人間と見間違

えそうなロボット使用人は、私達の間に割り込んできた。

 

「マルコム様。この施設は、一種の遊園地です。新関東コロニーの北側の端部は宇宙船の発着

場と停泊施設になっていますが、南側の端部は無重力を体感する事ができる施設があるので

す。マルコム様もご存知のように、このコロニーというものは…」

 

「円筒の中心軸付近は遠心力による重力を受けない。つまり無重力になっていると言う事だろ

う?」

 

 私はアジサイに向かってそう言った。

 

 実際に髪の色がアジサイの花のように青みがかかった黒色の使用人ロボットは、説明を遮られ

た事など気にもしていないかのように、にっこりと私に微笑んできた。

 

「その通りでございます」

 

 相手がロボットだと、言葉を遮っても不快には感じないだろう。それは私の勝手な想像にしか過

ぎない事だが。

 

 私は周囲に展開している施設を見まわした。この地はまだ、コロニーの円筒の殻の内側にある

だけで、しっかりとしたコロニーの遠心力による重力を受けている。

 

「じゃあここから、エレベーターでも使って、コロニーの中心にまで行くのかな?」

 

 私はそう尋ねてみた。電子パンフレットにも、コロニーの中心軸付近にまで行く事ができる、巨

大なエレベーターのようなものが画像として載っている。

 

「エレベーターじゃあなくって、リフトって言うの」

 

 

 

 

 

 

 

 そのリフトというのは、21世紀でいう一般的なエレベーターよりも遥かに大きな物だった。ちょう

ど、大きな映画館ほどの大きさがあり、それが一つのリフトの箱となるのだ。乗った人々は映画

館のような座席シートに座り、体を固定する。これはコロニーの中心軸に近づくにつれ、重力が無

くなっていき、身体が浮かんでしまうからだろう。

 

 その巨大なリフトでは、この施設の案内放送が流れ、ちょうど映画館のように3Dの立体画面が

展開した。放送は日本語で流れたが、わざわざ各座席ごとに、外国語で案内が流れるイヤホン

があったので、私は英語でこの施設の案内を聴く。

 

「本日は、無重力遊泳ジーレス(G Less:無重力)パークにお越しいただきまして、誠にありがとう

ございます。当施設では、お子様からご年配の方まで、誰でも気軽に無重力の世界を体感して頂

く事ができます。多数の遊戯施設、体験施設、そして、無重力での世界の公開実験をご覧になる

事ができます。

 

 当施設を利用されるに辺り、何点かの注意事項がございます。

 

 まず、10歳以下のお子様、並びに70歳以上のご年配の方は、無重力がお体の発育に悪影響

を及ぼす可能性があるため、ご利用できません。次に、当施設のお一人様の利用時間は、最大

で4時間までとされています。これはお客様のお身体が無重力に慣れてしまい、再び重力下に戻

った時、お身体に大きな支障を起こさないためであります。この利用時間だけでも、重力下に降

りた時に、お体に支障をきたす方は、遠慮なく係員におっしゃってください。無償にて、元の重力

に慣れて頂くための医療施設がございます。

 

 続きまして、無重力下におきまして、宇宙酔いと呼ばれる現象になってしまう可能性がございま

す。不快感、頭痛、吐き気など、無重力下で不快な症状を感じられましたら、すぐに最寄りの医療

施設にお越しください」

 

 無重力下というものは、重力下にいる事に比べ、あまりにも環境が違いすぎる。私はそれを身

をもって知っていた。スペースシャトルのパイロットになるという事は、その無重力に慣れなけれ

ばならない。

 

 宇宙空間に出るという事は、例えそれがプロの宇宙飛行士であっても、民間人でも、最も気を

付けなければならない事は、スペースシャトルの事故でも、宇宙空間に放り出されると言う事より

も、いかに重力の変化に慣れるかと言う事だ。

 

 特に、無重力下での平衡感覚の慣れや、スペースシャトルの打ち上げの際にかかる重力の影

響が身体に大きな負担を及ぼす。慣れれば大丈夫なのだが、一般人にこうした施設を公開して

も、果たして万人に受け入れられる事ができるかは、私も疑問に思う。

 

 ただ、医療施設が無重力施設内に幾つかあると言う事からも、万全の態勢は取られているの

だろう。

 

「只今、0.8G地点、コロニー内面から50メートルの地点を通過しました。あとおよそ5分で、無

重力圏に入ります」

 

 と、アナウンスがあり、私はだんだんとシートから離れそうになっている自分の体を感じる。0.8

G地点を通過したと言う事は、私達の体重は80パーセントに減少している。だが、エレベーター

が上昇する重力加速度があるから、体重はもう少し重いはずだ。

 

 私は、隣のシートに座っているハルカの顔を見た。

 

「君は怖くないかい?」

 

 私はそう尋ねてみた。自分の体の重さがどんどん無くなっていってしまう感覚。彼女はそれをど

う感じているのだろう?

 

 だが、体の重さが無くなっていく事に恐怖を感じると言う事は、この時代では恐ろしいものでは

ないらしい。同じリフトに乗っている人々など、まるでその感覚を楽しんでいるかのようにはしゃい

でさえいた。

 

「何が、怖いって言うの?」

 

 ハルカはそう言って来た。むしろ彼女より私の方が無重力に恐れを抱いている。

 

 無重力下に長い事いれば、人間はどんどんその筋肉が衰えていく。それは驚くほどだ。スペー

スシャトルで活動をする時、私達は一日6時間以上の筋力トレーニングをしていなければならな

かった。重力が無いと言う事は、骨さえも一気に衰えさせる。

 

 だからこの時代の施設でも、遊泳していられる時間が定められている。もし1日でも無重力の世

界に身を投じ続ければ、元の重力に戻った時の負担が大きなものとなってしまう。訓練された宇

宙飛行士ならまだしも、一般の人間には辛い事だ。元の重力に慣れるには相当な時間がかか

る。

 

 この施設は、私にスペースシャトルでの活動をしていた時の事を思い出させる。私の体感的な

時間の感覚では、それはほんの数か月前程度でしかないが、実際の時間は、遥かな時の果て

だ。

 

 

 

 

 

 

 

「では、私は出口で待っておりますので、ハルカお嬢様。どうかお気を付けください。マルコム様

も、ハルカお嬢様をよろしくお願いします」

 

 カワシマ家の使用人である、アジサイとは、私達は無重力施設のリフトの出口で別れた。彼女

は自分が監視役のように付きっきりでは、ハルカや私に失礼だと判断したのだろうか。自分だ

け、入り口付近の施設の方へと向かっていった。

 

 彼女も見かけはほとんど人間と変わらない。だが中身はロボットだと言う。このような遊技施設

で楽しんでも、楽しいという感情は無いのだろうか。

 

「いいよ。余計な心配は。アジサイは適当にふらふらしてて」

 

 ハルカが邪魔なものを追っ払うかのようにして、彼女をあしらってしまう。アジサイは表情を変え

ずに私達とは別の方向に、泳いでいった。

 

 無重力遊泳施設である、ジーレスは、確かに無重力の空間だった。ドーム状の姿をしており、

上も下も無いかのようだが、施設全体が、ドーム状の頂点を上としているかのように設計されて

いるためか、頭ではだんだんとドームの頂点が上だという事を認識する。だが、重力はほぼ無

い。ドームの中心軸に行くほど重力は無となるが、このドーム型の施設全ての重力が無いと言っ

て良いだろう。

 

「おじさん。上の方へと行ってみよう。あたしも子供の時、ドームのてっぺんまで行ったんだ」

 

 そう言いながら、ハルカはドームの頂上を目指し始めた。私も彼女と同じように、ドームの上の

方を目指していく。

 

 上という表現は適切ではない。何しろ、この施設に上ってきたリフトが目指していた上とは、私

が今足下に向けている床となっている部分へと、横向きに移動してきたのだ。

 

 このドーム状の施設は、コロニーの円筒の中心軸の外側に向かって、横向きに張り出す姿でつ

いている。ドーム全体が宇宙空間に向かって張り出しているから、まるで宇宙空間に出たかのよ

うな感覚を味わえる。

 

 宇宙空間を目の当たりにし、私は改めて、自分が今までいた世界が、コロニーという場所であ

ると言う事を実感させられた。

 

 しかしながら、この宇宙空間に泳ぎ出していくような感覚と言うのは、人間にとって恐ろしささえ

抱かせるだろう。特に、コロニーや地球上の重力と言うものを絶対的な概念として、生まれた時

から生きていた人間にとっては、恐ろしいものと感じてしまうだろう。

 

 何しろ、上も下も無い感覚で、張り出したガラス面は、宇宙空間の無限の深淵に向かって伸び

ているかのようになっている。

 

 つまり、超高層ビルの屋上の、ガラス張りの床から地上を見下ろしているような感覚ともとる事

ができる。私は実際に宇宙空間で船外活動をした記憶が真新しいものだから、それほど恐怖も、

平衡感覚がおかしくなるような事もないが、今まで重力下にいた人間がここに出てくる事は果たし

て平気なのだろうか。

 

 と思ったが、その心配は無用なようだ。大きな野球スタジアムほどの大きさがあるこの施設内

には、多くの人々が遊泳をしている。ここは巨大なプールのような所であり、皆、無重力を楽しん

でいるのだ。

 

「おじさん。ジュースを買って来たよ」

 

 と言いながら、ハルカが私の下から泳いで来るようにやって来た。無重力の良い所は、一度加

速を付けてしまえば、水の抵抗のようなものが一切無く、無限遠まで移動できるところだ。ただ、

この施設内では呼吸ができる酸素がある。空気の抵抗があるから、無重力とは言え、どこまでも

加速できると言う訳ではない。

 

 ハルカは私の下の位置からやって来て、私の手を引っ張った。そして私に渡されたジュースと

いうものは、パックに入れられたものだ。無重力下では、紙コップに入れられたものでは液体は

風船のようになって飛んでいってしまうから、パックに入れて、チューブで吸うしか飲む方法が無

い。そのスタイルは昔から変わっていないようだ。

 

 私はジュースの入ったパックを掴みながら、ハルカと共にドームの上を泳ぐように目指した。ド

ームの上にはガラス越しに、無限の宇宙空間が広がっている。

 

 私達がドームの頂点に辿り着くのには、それほどの時間もかからなかった。ドームを覆っている

透明なガラスに触れてみたが、それはどうやらプラスチックにも似た素材で出来ているらしい。厚

さも相当に厚い。このすぐ向こう側は宇宙空間になっているから、かなり強化された素材がドーム

を覆っている。

 

 無重力下では、上も下も無い。ここが野球球場ならば、私達はその屋根のすぐ下に浮かんでい

る事になるが、逆とも考えられる。ここが底であって、私達は上から下りてきたのだとも。そうした

上も下も無い感覚が、三半規管を狂わせて、乗り物酔いにも似た症状をもたらしてしまう。

 

 だがハルカはと言うと、全然平気な様子で、ガラス越しに宇宙空間を眺めている。

 

「ねえ、君は、大丈夫なのかい?」

 

 私がそう尋ねると、ハルカは、ジュースのパックを咥えながら私の方を見てくる。

 

「はあ?何が?」

 

 と、恥じらいも無いような姿で私を見てくるものなのだ。年頃の女の子なのだから、ジュースパッ

クを咥えながら話をするのは止めて欲しい。

 

「ええっとだね。ここは無重力だ。重力の上にいるのとは全然違う。耳の中にある三半規管と言う

のが、上も下も無いような感覚で狂ってしまうんだ。それは乗り物酔いよりもはっきりと現れてしま

う。私は訓練を受けた。だけれども、ここに来る人達は、ほとんど一般の人だろう?酔ったり、恐

怖を感じたりしないのかって思ったんだ」

 

 私がそのように言うと、ハルカは、何やら私が言った事を面白い物であるかのような顔をして見

せた。

 

「ふふっ。またおじさん、そんな専門用語を使っちゃって。難しい言葉ばっかり。学者さんって皆、

そうなの?まあ、そこの所が面白いんだけれどもさ」

 

 そうハルカに言われてしまって心外だった。確かに彼女にとっては難しい言葉を使ってしまった

かもしれないが。

 

「学者?まあ、専門的に勉強したから、学者にもなれたが、私はむしろ宇宙飛行士の方さ」

 

 私は彼女の言葉にすぐに訂正した。すると、ハルカはその事など気にもしなかったように、ドー

ムの頂上のガラス面に両手で触れ、宇宙空間の広大な風景を眺める。そして私の方は見ずに話

し始めた。

 

「わたしは何度もここに来ているの。子供の時からずっと。気が滅入ったり、ムカついたりした時

は特にね」

 

 ハルカの言葉を聞きながら、私はじっと宇宙空間を彼女と同じように眺めた。宇宙飛行士だっ

た時は、宇宙服越しでしか眺める事が出来ない広大な世界が、今では目の前に広大に広がって

いる。

 

 コロニーとは、あくまで宇宙空間の中に浮かんでいる、巨大な円の筒でしか無い。その筒の中

心軸へと私達は向かう訳だが、この36世紀の時代にまで技術を進歩させていた、人間の技術力

には感心する。

 

 私が組み立てに参加していた宇宙ステーションは、あくまで実験的な施設でしかなかった。だ

が、この新関東コロニーを初めとするコロニー群はスケールが違いすぎた。例え、他のコロニー

と何らかの形で断絶してしまうような事があったとしても、このコロニーだけで自活でき、数百万人

の人間が永久に生活を営める。

 

 そういう意味では、他国の資源や、地球それ自体の資源に依存しなければ生きていけなかっ

た、21世紀とは何もかもが違った。

 

「昔は、わたしのお父さんによくここに連れて来てもらった思い出が、わたしにはある」

 

 ハルカは私にそう言って来た。彼女が宇宙空間を眺めている眼は、私とは異なるものだった。

私が広大な宇宙空間に、感動にも似たものを得ているのに対し、ハルカの眼は、宇宙空間を見

ていない、まるで別のものを見ているかのようだった。

 

「子供のころは、父親も子供が可愛いものさ。色々な所に連れていってあげたくなる」

 

 私はそう言ってみせた。無重力中を漂いながら、ハルカの隣に並ぶ姿勢になる。

 

「でも、どうして今は、あんなにムカつく父親になったんだろ」

 

 ハルカは独り言のようにぼそりと呟いた。その言葉は大きな意味を持っているように感じられ

た。正にハルカが父親に抱いている真の感情が篭められている。

 

 何故、彼女が父親の乗った車を友としている連中と共に襲いかかったのか、そして彼女が父親

に対して大きな反感を抱いているのか。その理由が私には分かる気がした。

 

「お父さんには、いつ頃から、ここに連れて来てもらっていない?」

 

 私はそれとなくハルカに尋ねてみる。すると彼女は少し考えた後で答えてきた。

 

「小さかった時に、何度か連れて来てもらっただけ。それ以来は、全然連れて来てもらっていな

い。家で顔を合わせる事もほとんどなくなった。どうしてかは知っている。私のお父さんは、わたし

なんかよりも、ずっと仕事の事の方が大切になったからよ」

 

 ハルカのその言葉で、私には決定的に分かってしまった。それは子供ならば誰でも抱くような自

然な感情だ。私自身も持っていたし、私も自分の子供に向けられた事もあるような感情だ。ただ、

ハルカの場合はそれが過激な形で放出されているに過ぎないのだ。

 

 私はハルカの手を繋いで言ってあげる事にした。彼女の手はまだか細く、繊細なものでしかな

い。その繊細な手が示しているように、彼女の心境というものは、非常にデリケートなものなの

だ。幾ら、過激な行動に出る事ができたとしても、彼女の神経は、ガラス細工のように繊細なもの

だ。

 

 私はそれをはっきりと理解するのだった。

 

「何よ、おじさん」

 

 彼女は、私が手を繋いで来た事が、少し心外だったらしい。だが私は彼女に向かってはっきり

と、しかしなるべく優しい口調で言うのだった。

 

「君は、お父さんに構って欲しいんだ。小さい頃は、よく連れて来てくれたこの施設に、昔と同じよ

うに連れて来て欲しい。そう思っている」

 

 私はハルカにそう言った。彼女にとってダメージにならないように、ただ、しっかりとした口調で

私はそう言った。

 

 ハルカは少しきょとんとした表情を見せた後で、私から恥ずかしそうに目線を外して言った。

 

「おじさん。わたし、高校生なんだよ。そんな、子供じみた感情は」

 

 ハルカはそのように言いかける。私からしてみれば、十分ハルカは子供でしかないのだが。

 

「いいや、君は、お父さんに構って欲しいんだ。もっとね。だから君は色々な形で、お父さんにアピ

ールをしているけれども、残念ながらお父さんはそれを快く思っていないようだ」

 

 アピールという言葉は、あまりにも不適切だろう。下手をしたら、ハルカは自分の父親に暴行を

する所だったのだから。

 

「わたしは、お父さんのしている事を止めようとしているんだよ。このコロニーの人達の為を思っ

て」

 

 ハルカは髪を緑色に染めたり、派手な格好をしているが、それは内面のもろさを隠しているに

過ぎない。彼女の本来の姿は、ガラスのように繊細な心なのだ。そして、父親が自分から離れて

いく事を、彼女自身でも気づかない内に感じとってしまっていたに違いない。

 

 そうした感情は私にも理解できる。例え、10世紀以上もの時が過ぎていたとしても、人間の根

本的な精神は変わっていないはずだ。

 

「君のお父さんが、このコロニー内に原子力発電所を作る事に対してかい?いいや違うね。君は

既に知っているはずだ。お父さんは決して危険なものを作ろうとしているんじゃあないという事を。

ただ、悪い連中にそそのかされてしまっているだけさ。それがちょうど、君の感情と重なってしまっ

ただけ」

 

 だが私がそこまで言いかけた時、ハルカは私の手を離した。それはまるで、きっぱりと縁を切っ

てしまいたいかのように。

 

「駄目だな。おじさんなら、分かってくれると思ったのに。いいや違う。結局誰でも良かったのかも

しれないけど、結局は誰もわたしの事なんか分かってくれない」

 

 ハルカは私からはそっぽを向き、さらに宇宙空間の見える光景からもそっぽを向いてしまい、

無重力下を漂いながら、そのように言うのだった。

 

 彼女のガラスのような精神に、不用意に触れてしまったのかと、私は彼女に向かって言った。

 

「何が、駄目だって?私は、君に呼ばれて、君の家にやって来たようなものだ」

 

「でも、私を選んでくれた。おじさんの所には、一体、どのくらいのホームステイの受け入れが来た

の?百?それとも千?その中から、わたしの家を選んだのは、何故?」

 

 ハルカは私の言葉を遮るかのようにしてそう言って来た。その質問は、まるで私が、彼女の家

をホームステイ先に選んだのではなく、彼女自身を選んだかのように、訴えてくるようだった。

 

 どう答えたらよいのか戸惑う。私はこの時代の文化や慣習に合わせるための環境を手に入れ

たくて、カワシマ家を選んだようなものだ。ハルカはたまたまそこにいただけに過ぎない。

 

 それが現実だ。私はハルカと一緒にいても不快には感じない。ただ、彼女が危険な道に足を踏

み入れて欲しくない。そう思っている。

 

 だったら、はっきりと彼女に言っておこう。

 

「すまないが、君を選んだわけじゃあない。君の家を選んだ。君の事は、もう他人とは思っちゃあ

いないが、私は君を助けてあげたり、君の要望に応える為に君の家をホームステイ先に選んだ

わけじゃあない」

 

 私のその言葉を、ハルカは膝を腕で抱え込みながら聞いていた。無重力のままだから、彼女の

体はゆっくりと回転を続ける。誰かがそれを止めなければ、彼女はずっとそのままの姿勢で回転

しているだろう。

 

 実際、彼女は私の言葉を最期に黙ったまま、無重力の中で膝を抱えたまま回転を続けていた。

 

(おじさんは、教えてくれない。わたしが、自分で決めるしかない)

 

 ハルカは日本語でそのように言ったが、私にはその意味が理解できなかった。

 

説明
超未来のコロニー世界を描きながらも、そこでの生活というものを描いています。
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