黎明遊泳-3
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「ハルカはポイントを加算されてしまっていましてね。このままでは、追放処分になりかねないとい

うレベルまで行っています。もし、私がきちんと警察に口を利いてやらなければ、とっくに追放され

ていたでしょう」

 

 久しぶりに家に帰って来たシンジと、私は日本酒を互いに交わす事になった。

 

 その場で酔いの回ったシンジからこぼれおちるように出た言葉が、私の気に止まった。

 

「前から気になっていたのですが、そのポイントというのは、一体、何の事ですか?」

 

 私はそのようにシンジに尋ねる。

 

「ポイントですよ。もうご存知かと思っていましたが?」

 

 と、シンジは言ってくる。

 

 だが私がここ一カ月で調べてきた事と言えば、ほとんどが、スペースシャトルの技術開発や、宇

宙開発の歴史などばかりで、そうした常識的な事は所々欠いていた。このカワシマ家にも、どこ

の家にもあると言う、ネットワーク端末を使えば、幾らでも調べる事ができたものを。

 

 だが、シンジの話からすると、そのポイントというものが何であるのかは、大体察しがつく。

 

「そのポイントというのは、いわゆる、違反切符のようなものですか?このコロニーの中で問題

や、犯罪を犯したりすると、ポイントが貯まり、一定数に達すると、コロニーから追放されるという

事になる。そんなところでしょうか?」

 

 私は、お猪口から酒を飲みながら、シンジにそう言った。

 

「まあ、そんな所です。そのシステムはもう何世紀も前からある。そうする事によって、コロニーは

平和を保っていられるし、その人物に課せられたポイントを調べることで、その人物の人となりが

分かると言うものだ。まあ、滅多な事ではかたぎの人間にポイントがつくような事はありませんよ。

そして、ポイントが一定まで溜まり、コロニーにいられなくなった者は、地球へと強制送還される事

になる」

 

 シンジは何とも無機質な声で、私に向かってそう言って来た。

 

「地球へと?」

 

 地球という言葉に私は反応する。するとシンジは口調も変えないままに言って来た。

 

「ええ。地球は、極悪人の巣窟とも言われている。コロニーに来る資格の無い、低所得層の連中

が溢れ返る世界だ。私は地球の大地というものに足をつけたことはありませんが、あそこは普通

の人間がいくような所じゃあない」

 

 まるで地球を巨大な流刑地であるかのように言う彼の態度に、少し私は戸惑った。私は地球出

身であるし、元に私がいた時代では、地球という大地の住みやすい住宅地に私は住み、住みや

すい家を建て、子供達を裕福な環境で育てたつもりだった。

 

 それが、この時代では流刑地であるかのように言われてしまうのだ。

 

 私が調べた限りでは、地球の環境は21世紀後半に一旦回復し、クリーンなエネルギー開発も

一気に進んだ。しかし人々がコロニーに移るようになってからと言うもの、地球と言う大地はまる

で見捨てられたかのように、次々と荒廃していった。旧時代のエネルギーによって発電され、コロ

ニーに住む事が出来ない低所得層で溢れ返る。

 

 戦争や内戦も変わらず行われ、貧しい土地では20世紀時代にも満たない水準の貧困の生活

を送っている人々もいるという。

 

 このコロニーの世界と言うのは、ごく限られた人々、それも、全人類の5%程度しか暮らす事が

出来ない場所なのだ。

 

「私はハルカに地球には行って欲しくない。あんな所に行ったら、甘やかして育った彼女は1年も

生きていられないでしょう。だから私は彼女のポイント加算を食い止めている。ここだけの話です

が、警察に口を効いてね。

 

 彼女のポイントは、あと一回でも、警察に世話になるような事にもなってしまったら、親子が切り

離され、地球送りにされてしまう」

 

 シンジの声が暗い口調になった。彼の話を聞く限り、シンジはハルカの事を本気で想っている。

決して仕事が忙しいからと突き放してしまっているわけではない。

 

 シンジはハルカに会う機会が少なく、すれ違いから彼女に誤解されてしまっているのだ。

 

「親子でさえ切り離される?残酷な話だ。しかも彼女はまだ未成年でしょう?それなのに、地球送

りにされるのですか?」

 

 私は酒を飲む手を止めながらそう言った。

 

「全ては、コロニーでの安全を保つためです。殺人事件でも起ころうものならば、コロニーはパニ

ックになり、犯人が捕まろうならばすぐに地球送りです。それは野蛮な死刑などよりも、ずっと効

果的です。その恐ろしさを、私は子供のころから彼女に教えてきたつもりだ。それなのに、ね。困

ったものだ」

 

 シンジはまるでハルカに全てを尽くしてきたかのように言う。だが、まだ足りていない部分が確

かにある。

 

 シンジがもっと、ハルカと良く話をし、一緒に旅行の一つでもすれば良いのだ。無重力遊泳施設

でもいい。忙しい仕事の合間とはいえ、親子の関係をもっと深めればそれでいいのだ。

 

 お互いのすれ違いがあるからこそ、ハルカは過激な行動に出てしまう。

 

 その親子関係と言うものは、この時代でも変わっていないはずだ。幾ら時代が進歩し、技術が

発達したとしても、人間の心も関係も変わっていない。私はそれをこの一ヶ月間のホームステイで

痛感していた。

 

 シンジはハルカの気持ちを理解していない。私はそう思い、この酒の席を借りて彼にそれを伝

えようとした。

 

「カワシマさん。あなたがいない間、ハルカさんは、私を色々な所に連れていってくれた。その時、

色々と彼女と話をしたんですがね」

 

 私がそこまで言いかけた時だった。突然、私達のいるリビングルームの扉が開け放たれ、ハル

カの使用人であるアジサイの、特徴的な青みがかった黒い髪が目に飛び込んできた。

 

「シンジ様。大変です。お嬢様がいらっしゃりません!」

 

 

 

 

 

 

 

 ハルカの部屋は、私に与えられている客室と同じく広々としているが、内装や雰囲気はやはり

年頃の女の子としての姿のものだ。ベッドもピンクがかったシーツに覆われ、ぬいぐるみが置い

てある。

 

 つい先ほどまでハルカがいたという事を感じさせる。彼女が出て行ってしまってから、それほど

時間は経っていない。

 

「確かにハルカお嬢様が勝手に外出しないように見張っていました。申し訳ございません。ベッド

のシーツをお取り換えに伺ったら、突然いなくなってしまわれて」

 

 ハルカお付きの使用人であるアジサイがシンジに謝罪する。彼女は良く出来たロボットで、その

表情にもはっきりと謝罪の色が現れていた。

 

「どうせまたくだらない連中と出かけてしまったんだ。今度ばかりは私もどうしようもない。何をした

としても、ハルカの責任だ。例え地球に送られてもな」

 

 シンジはそのように冷たく言い放つ。

 

(私が、探しに行きましょうか?ハルカお嬢様の行かれる所ならば、大体)

 

 そのようにアジサイは日本語で言いかけるのだが、

 

(いやいい。もう世話を焼く必要など無い。勝手にさせておけばいい)

 

 シンジはそう言ってハルカの部屋から出て行ってしまった。彼は彼女を冷たくあしらってしまった

が、私はそう言う訳にはいかなかった。

 

「ここ数日、彼女は私に話しかけて来なかった。ずっと部屋にこもって何かをしている様子で、どこ

となく変だった」

 

 私はアジサイに向かってそのように言った。すると彼女は、

 

「ハルカお嬢様の事です。そうした事は珍しくありません」

 

 と、彼女の事を何もかも知っているかのような口ぶりで言ってくるのだが、

 

「この前、無重力体験施設に行った時、こんな事を言っていたんだ。日本語だったから意味が分

からない。“ジブンデキメル”って、そう言っていた」

 

(自分で決める、ですか?)

 

 アジサイは日本語でそのように言った。

 

「その意味は何だい?」

 

「意味は、decision for oneselfかと思われます。つまり、誰にも頼らないで、自分自身で決定してし

まう事ではないかと」

 

 アジサイのプログラムに内蔵された翻訳システムは人間のものよりずっと完璧なものだろう。

 

 ハルカは何かに追い詰められていたようにも見える。自分で決めるとは何を自分で決めるつも

りなのか。

 

「彼女の使っていたパソコンの中身は見れる?」

 

 私は、ハルカの部屋に置いてあるコンピュータデッキを指し示して言った。

 

「ハルカお嬢様のプライバシーを守るために、アクセスにはパスワードが必要ですが、シンジ様の

命令で、ハルカお嬢様のパスワードは私だけが秘密で知っています」

 

「そうか、じゃあ、彼女が部屋に籠って何をしていたのか、見せて欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

 十分ほどもすれば、ハルカのパソコンでここ数日何をしていたのかは、全てが明らかになってし

まった。

 

 ハルカの過激な行動を考えれば、パソコンを監視に置く事はすべき事だったのだろう。だがシ

ンジはその監視をずっとしていたわけではないようだ。

 

 相変わらず彼女は、過激な思想を持つ連中と付き合いをしている。メールも来ていれば、チャッ

トにもかなり参加しているようだった。

 

 私はこの時代のコンピュータにまだ不慣れだったから、操作はアジサイにやらせた。彼女は首

元にあるファイバーを繋ぐソケットにファイバーを繋ぎ、キーボードなどには触れず、直接コンピュ

ータを操作してしまっていた。

 

 人間には不可能なほどの速度で文字を打ち込み、ウィンドウを展開する事ができてしまえるよう

だ。

 

 だからハルカが今日、一体何の為にこっそり出かけようとしていたのかは、すぐに明らかになっ

た。

 

 チャット画面の履歴を調べ、彼女が旧世代エネルギー開発反対の過激な思想を持った連中と

の付き合いが相変わらず続いていた事が分かる。

 

 私が画面に素早く目を通している間にも、アジサイは次々と画面に並んでいる文字を、目では

なく、機械としての頭脳で解析しているらしい。私よりもずっと早い段階でハルカの目的が分かっ

てしまったようだ。

 

「本日、ご主人様の会社の、原子力発電部門に、地球で生産された原子力発電所で用いられる

資材の第一の納品があるようです。場所は新関東コロニー北側の貨物宇宙船発着場。時刻は

午後5時ちょうどです」

 

「それを、どうしようと言うんだ?この連中は?」

 

 私は慌てた様子でそう言うしか無かった。

 

「どうやら、このチャット内だけの話ですが、貨物発着場に爆弾を仕掛けて、資材や貨物船もろと

も爆破してしまおうという計画のようです」

 

 何とも恐ろしい事だが、ロボットゆえか、アジサイはその顔に全く表情の変化を見せない。

 

「馬鹿な。ハルカがそんな事をすると思うか?」

 

 いくらなんでも、ハルカがそんな事をするわけがない。だが私の言葉は無表情のアジサイの言

葉によって切りかえされる。

 

「私も信じたくはありません。ですが、ハルカお嬢様が参加されていたチャットには、テロ分子と思

われる人物も参加しています。特に旧時代のものに対して過激な行動を取る組織が、この新関

東コロニーにあり、ハルカお嬢様のご友人にその知り合いがいるようです」

 

 アジサイは淡々とした口調でそう言ったが、彼女のその言葉からは、私にとっては嫌な予感以

外の何者も生まれなかった。

 

 過激な行動を取る組織。それはつまりテロリストの事だ。しかも彼らは今日、爆弾テロを企てて

いる。

 

 ただ、ネットワーク上でガセ情報を流している連中がいるのかもしれない。しかしながら、彼女

が父親にした過激な行動を考えると、次はテロ行為を実行犯にはならないまでも、巻き込まれて

しまう可能性は十分にあった。

 

「なあ、コロニー北側の貨物宇宙船発着場という所にはどうやって行くんだ?」

 

 私はそのようにアジサイに尋ねる。

 

「以前に無重力センターに行かれた列車の逆方面に乗れば行く事ができます。ただ、貨物発着

場には関係者以外は入る事ができません」

 

 私はハルカのコンピュータに残されていたデータを、そのまま紙を抜き取るかのように抜き取

り、自分に与えられた情報記録端末。クリアカードのようなものにそれを納めた。

 

 ハルカに何も起こっていなければそれはいい。彼女は自分のコンピュータのデータを持ち出さ

れたと知ったら激昂するかもしれない。だが今は彼女の身が心配だった。

 

「コロニー内にテロリストがいるんだぞ。警察に連絡した方がいい」

 

「それはできません」

 

 アジサイが無機質な声で切りかえしてきた。

 

「何故だ?ハルカが何か事件に巻き込まれるかもしれないんだぞ!」

 

 その言葉を発した時、私は自分がハルカに対して、自分でも思っていないほどに感情移入して

いる自分に気づいた。

 

 それはまるで他人とは思っていない、自分の娘であるかのような感情だった。

 

「ハルカお嬢様が、なるべく警察に関わらないように、諸問題はこの家だけのものとして処理する

ようにと命令されています」

 

 冷たい口調、初めてロボットとしてのアジサイの姿を見たような気がする。その言葉には一種の

残酷ささえ感じられた。

 

「なるほど、それがこの家のやり方か。だが、私はホームステイしているだけで、この家の人間じ

ゃあない。直接ハルカに会いに行って、こんな事は止めさせて見せる」

 

 私はアジサイにそう言い放った。

 

 もう杖も必要なくなるほど足が回復していた私はその足で歩き、ハルカの元へと向かう事にし

た。

 

 すると背後から当たり前であるかのようにアジサイが付いてくる。

 

「何だ?君も行くのか?」

 

 てっきり、私一人だけ行かせてしまい、自分はただハルカの帰りをまつだけだと思ったアジサイ

が、私の背後から付いてくるではないか。それは意外だった。次に彼女が発した言葉も意外なも

のだった。

 

「私も、ハルカお嬢様の事を、案じておりますので」

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 できればハルカが事を起こすよりも前に、彼女を止めさせたい。そう思いつつ私達は列車に乗

り込んだ。

 

 この時代の列車に乗ると言うのも、私がだんだんとこの時代に適応してきているのだと言う事を

示しているかのようだった。

 

 背後に、使用人のロボットであるアジサイが付いてきているが、ほとんどの行為を私は自分一

人で行う事ができるようになっていた。

 

 列車に乗るには切符なるものは不要であるようだった。私達が、改札口に当たるゲートを通過

することで、持っているクレジットカードに入札記録が記録され、下車するときにゲートを通過し、

金が引き落とされる形になっている。無駄を省いたかのようなシステムだった。

 

 列車は、私が行った事も無い、新関東コロニー内の北側とされている方向を目指し、一気に突

き進んでいった。

 

 住宅地を過ぎていくと、途端に無機質な建物が多くなっていく。それはちょうど、私のいた21世

紀の時代にあった工場の、煙突などを取り除いたかのような姿のものであり、巨大な積み木のよ

うなものが並んで置かれている世界と言っても良い場所だった。

 

 ここはコロニー内の工業施設か何かに違いないと私は思う。同じコロニーの中とは言え、南側

と北側では大分世界が異なるようだった。

 

「まだ、マルコム様のしようとしている事が、私には理解できません」

 

 アジサイがそのように言って来た。私達は前とは違い、列車内の個室では無くボックスシートに

向かい合わせで座っていた。

 

「理解できない?どういう事だ?」

 

 私はアジサイに向かってそのように尋ねる。

 

「何故、ハルカお嬢様のしようとしている事に干渉なさるのです?」

 

 ロボットにそんな事を言われるとは心外だった。彼女には私の感情を理解する事ができるのだ

ろうか。それは自分でも、最近ようやく感じ始めてきた感情なのだ。

 

「私が答える前に、そっくりそのままその質問を君にしたいね。君が私についてくる理由は一体何

だ?」

 

「さっきもおっしゃった通り、ハルカお嬢様の安全を守るためです。もし危険な事に手出しをするよ

うでしたら、私がそれを止めさせます。シンジ様のご命令通り、警察沙汰になる前に対処して見せ

ます」

 

 アジサイはそう言った。無機質な表情と言葉だった。それこそが使用人のロボットとして与えら

れた彼女の使命なのだろう。

 

「私も、そのつもりだ。ハルカは明らかに誤解している。彼女はただ自分が父親に構って欲しいだ

けだ。親に構って欲しいだけで、父親を襲ったり犯罪行為に手を貸したりするのは馬鹿げている

と思うが、あの年頃の子だ。くらだない友人なども持ってしまえば、そんな行為に走ったりする事

もあるだろう。それが、私には分かる」

 

 私はアジサイの目をしかと見て答えた。彼女の眼は人間の眼のような質感を持っており、義眼

のようなものとは違う。しっかりとした意志をその眼から感じとることができる。

 

「ですがマルコム様、あなたは本来ならばカワシマ家に何の関連もありません。ただ同居している

というだけです。何故、ハルカお嬢様の事をそこまで気遣うのですか?」

 

 その質問に対しては私も答える事ができるかどうか分からなかった。だが私は自分のありのま

まの気持ちをもってして、彼女に答えた。

 

「さあ、私は自分でもその事が良く分かっていない。だけれども、私が確かにハルカの事を無視で

きないでいるのは確かだ。

 

 君はロボットだから、ここで私が言った事を理解する事はできないかもしれないが、不思議と重

なるんだよ、まるで私の本当の娘であるかのような気持ちにさせられてしまう。彼女が戸惑って、

誰に対してもぶつける事ができない気持ちが、私にははっきりと分かってしまうんだ。だから私は

彼女を見過ごす事ができない。

 

 この時代に突然やって来てしまってからというもの、私はとても孤独だった。この36世紀と言

う、地球でさえない世界は、私が知っているどのような世界よりも遥かに遠い存在だ。そこで私は

ただ一人、たった一人だけやってきてしまっている。私の子供でさえ遠い昔にすでに寿命を終え

ているだろう。私の子孫がどうなってしまったのかという事さえも分からない。

 

 そんな中、カワシマ家は私を受け入れてくれ、ハルカは私を頼ってくれ、学校や、無重力体験施

設など、色々な所に連れて行ってくれた。だからこそ、私は彼女に親近感を抱いているんだろう

な。もちろん、ただ友達のような存在と言うだけであって、シンジから彼女を奪い取って、お父さん

ぶるつもりなどないさ」

 

 私は外の無機質な景色を眺めながら、アジサイにそのように言うのだった。彼女に私のそんな

感情を理解してもらう事はできただろうか。

 

 だが彼女はあくまで使用人としてのロボットでしかない。私のそんな人間的な感情など理解する

事はできなかっただろう。

 

 そう思ったが、アジサイは私のそんな思惑とは予想外な答えを返してきた。

 

「マルコム様のお気持ちは、大体分かりました。わたしもハルカお嬢様が危険に巻き込まれない

ように最大限の努力をします」

 

 彼女のその言葉は、果たして本心から出てきたものなのだろうか。だとしたら、このロボットはよ

くできているなと私は思う。しかしもしかしたら、そのように答えるようにと、プログラムされていた

だけかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 コロニー北側の貨物船発着場は、コロニー内を縦断して運行する列車の終着駅になっていた。

どうやらこの貨物船発着場や、付近の工場などで働く人々が主に利用する駅であるらしく、市街

地の駅に比べて飾り気がなく、無機質だった。

 

 駅で降りる人々はそれほどいないようだったが、妙に駅の外が賑わしい。駅の改札口を出て駅

舎から出てみれば、そこには、無機質な印象の大きな建物が建っている。

 

 地球での、それも21世紀での感覚で言えば、ここは言わば海辺に面した貨物港のようなもの

だ。

 

 そんな所に人が群がっていても意味が無い。ここにやってくるのは物言わぬ貨物だけであり、

大型の旅客船で長い船旅に出るような人々を見送るような場所ではない。それだというのに、と

ても賑やかだった。

 

 決してその場の雰囲気は良いものとは言い難かった。駅を出て眼にしたのは、貨物船発着場

に群がる多くのデモ隊だったのだ。

 

 攻撃的な表情をした人々が駅前の広場に居座っている。彼らの行く手を塞ぐようにして、警備

員らしき人物と、大型の黒い色のロボットが何台も立ち塞がっている。おそらく暴動鎮圧用か何

かのロボットだと私はすぐに理解した。

 

 多くの弾幕のようなものが、光学画面で作られて張られている。それは街中で見かけた広告の

ようなものとは違い。インパクトを与えるような色調で、大きく書かれた文字だった。

 

 私にとってまだ日本語は不慣れだったが、大体、この場に集まった者達が言いたい事は分かっ

た。

 

「大体、読める。あれは、何反対と書いていあるんだ?」

 

 しかしながら結局はアジサイに頼るしか無かった。私がこのコロニーで知った日本語で一番苦

労するのはその表現の多彩さだった。

 

「あれは、“原子力発電反対”と書いてあります。隣には、“コロニーに平和を”。下には“核のエネ

ルギーなど不要”と書かれてあります。他にも読みましょうか?」

 

「いや、いい。大体分かったよ」

 

 アジサイは本当に、ここに無数にあるデモ弾幕を読み上げそうだったから、私はそれを制止し

た。1枚や2枚の意味が理解できれば分かる。

 

(あなたも、原子力発電所の開発には反対でしょう。私達と一緒にこの場所で訴えるのです)

 

 そのように言いながら、いきなり私達にスティック状の電子機器を押し付けてくる人物がいた。

 

 何の確認も取らずに、いきなりスティック状に収納された電子ペーパーのビラを渡された私は、

それを広げて見るが、そこには大きく日本語が書かれている。

 

「“原子力発電所建設反対”ですか」

 

 私が何も言わずともアジサイがそのように訳してくれるのだった。

 

 私は原子力発電所の建設に対して反対でも何でも無い。むしろ、原子力発電が重宝された時

代に生きていた人間なのだから、コロニー内での生活をより良くするためには、必要なものだとさ

え思う。

 

「こんな事をしている場合じゃあない。さっさとハルカを探さなきゃあな」

 

 私は電子ビラをゴミ箱に投げ捨てるなり、周囲を見回した。ここにいるのはデモ隊だけで、どう

やらハルカの姿は無い。

 

 しかし私が周囲に視線を見回した時、ある人物と目線が合ってしまった。

 

(これはこれは。ディビッド・マルコムさんじゃあありませんか。マルコムさんも、デモ隊に参加です

か?21世紀の人間としての観点で?)

 

 そのように日本語で突然言いながら、私の方に近づいてくるのは、記者らしき女だった。見覚え

がある。確か、私が病院に入院していた時、病室まで入り込んできたあの女だ。あの時は自分で

カメラを持っていたようだったが、今回はテレビか新聞かの取材なのか。スタッフを何人かひきつ

れている。

 

 カメラマンらしき人物が、私の方へ、小型のカメラを向けてくる。

 

(デモ隊に参加されている理由は?原子力発電についてはどのようにお考えで?)

 

 そのように私に向かって、言い寄ってくる記者の女。しかしながらこの女は分かっていない。日

本語でそのように言葉をまくし立てられても、私には意味が全く分からないのだ。

 

「何を言っているのか分からない。私は忙しいんだ。そこをどいてくれ」

 

(はい?何でしょう。コメントがありますか?)

 

 困った事に今度は私の言葉が相手に伝わらないらしい。カメラマンやスタッフが私の周りを取り

囲んでしまい、身動きが取れなくなってしまう。

 

 しかしそんな私達の間に、アジサイが割り入った。

 

(すみませんが、サイトウ様。マルコム様は今、とてもお忙しいのです。取材の件でしたら、また日

を改めていらしてください)

 

 アジサイは丁寧そうな日本語で、頭を深々と下げながらそう言うのだった。

 

(使用人ロボットごときが、随分生意気な口を効くのね。あなただって、カワシマの手先なんでし

ょ?私は、この人に話があるのよ)

 

 そのように記者の女は私の方を指差しながら言ってくる。

 

(それでしたら、まずは英語を話す事ができる記者の方をよこすように、あなたがたの出版社に

おっしゃってから来て下さい。残念ですが、マルコム様は日本語がごくわずかしか理解できませ

ん)

 

(じゃあ、あなたが通訳すればいいでしょう)

 

 アジサイと記者の女が言い合っている。アジサイはいたって冷静だ。感情に惑わされないという

のは、ロボットの最大の利点かもしれない。記者の女の方はというと、感情的になっているよう

だ。

 

 21世紀からの使者が、この時代の原子力発電反対のデモ行進に参加している。となれば、ス

クープになると思って熱くなっているのだ。

 

「もういい。行こう」

 

 私はそう言ってアジサイの腕を引っ張った。しかし私はいつの間にか記者の連中に周りを取り

囲まれてしまっている。

 

(さあ、マルコムさん。少しお時間はよろしくて?もっとじっくりとお話をしたいと思いますの。あなた

がデモ隊に参加しているとなれば、この場にいる人達の励みになりますの。21世紀からの使者

が、自分達と同じように原子力発電に反対していると)

 

 記者の女はそう言いながら、私の腕を引っ張ってくる。何ともしつこい取材というものだ。

 

 その時、アジサイが私と記者の間に割り込んで、彼女の身体に掴みかかった。そして女の体格

とは思えないほどの力を発揮して、彼女を押し倒してしまうなり、私への活路を開いた。

 

「マルコム様。早く行ってください」

 

 言葉と同時に、私にはアジサイから、指ほどのサイズのメモリーが渡された。

 

「分かった!」

 

 アジサイが注意をそらしている隙に、私はハルカを探しに行かなければならない。アジサイはロ

ボットであり、人間とは違う。だからあそこまで力を出す事ができるのだろう。彼女の行動に、私

は報いなければならない。アジサイが渡したメモリーを頼りに、私はデモ隊のいる場所を後にし

た。

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 アジサイが注意を引いてくれたおかげで、記者達をまく事が出来た。貨物コンテナらしきものが

並ぶ場所を私は歩いて行く。

 

 そこには警戒した様子でゴミバケツのような姿をした警備ロボットが行き来をして警戒を払って

いたが、私はそのロボット達に向かって、すかさず、アジサイから渡されたメモリーを向けた。する

と、ロボットは警戒を解き、私の横を素通りしていった。

 

 どうやら渡されたメモリーの中には、この貨物作業員であると言う身分証明書が入っているよう

だった。ロボットはそれをスキャンすることで認識して、私をただの貨物作業員としてしか認識しな

い。

 

 そして、これはハルカのコンピュータの中に入っていたデータだ。つまりハルカも同じように、こ

の貨物作業員だと言う身分証明書を持ち、この施設に侵入してきていると言う事だ。

 

 私はメモリーの他の部分に入っている情報。この貨物施設の地図を、光学画面を開いて確認

する。

 

 ハルカはきちんと目標となる場所に記しをつけており、そこまでの経路まで記録していた。

 

 だから私はその経路を辿っていく。デモ隊の騒音も聞こえないほどの奥地にまでやってきてしま

えていた。ハルカ達が目指しているのは、エアロックのすぐ近くの区画だった。宇宙空間と、コロ

ニー内の空気を隔てているロックのかなり近い場所に記しがしてあった。

 

 警備ロボット達は何も警戒する様子無く、ただその場を徘徊していた。貨物施設も奥地までやっ

てくると、全くデモ隊の騒音なども聞こえない。とても静かだった。

 

 だが私はやがて、大きな音と共に巨大な機械が動き出す音を耳にした。思わず上を見上げる

と、貨物施設の上にある、大きなピストンが動き出していた。そのピストン一つだけでも建物一つ

ほどはあろうかという巨大なピストンだった。そして、貨物室の更に奥につながる部屋を私は見つ

けた。

 

 そこはピストンなどに比べれば小さな入り口になっており、作業員一人がやっと通過できる程度

の大きさの扉があるだけだ。

 

 その扉は透明な扉で出来ていた。私が近づくと、横にスライドして開く。そして中はどうやら人間

の貨物作業員の詰所のようになっているらしい。今は誰もいないが、昔からある作業員詰所に良

く似た場所だった。ただ、その壁には幾つかの宇宙服がかけられている。

 

 ここから先は、空気の無い空間があるのだろうか。宇宙服は何の為にあるのだろうか。

 

 その疑問はすぐに解消した。作業員詰所の先の細い通りは、どうやら減圧室になっているらし

い。今は開け放たれていたが、無機質な印象の部屋に、日本語でも英語でも減圧室と書いてあ

る。そしてその先がエアロックだ。

 

 宇宙空間を航行してきた貨物船が、そのエアロックに入る時、エアロック内に充満していたコロ

ニー内の空気は、一気に外へと吸い出されてしまう。そのための緩衝地帯になっているのだ。

 

 ハルカが見取り図にしるしをつけていたルートは、エアロックに入ったすぐ手前の部分で終わっ

ていた。私はどうやら彼女にかなり近づいてきたようだ。

 

 エアロックを出る扉の向こう側で、誰かが会話をしている。私はそれをそっと聞き耳を立てた。

 

 光学画面も全て閉じ、私はそこにいる者達の会話に耳を立てるのだった。

 

「ここがいいぜ。さすが、計画通りだな。元テロリストだっていう噂は本当のようだ」

 

 どこかで聴いた事のある声だ。英語で話している。私は透明のガラスでできている扉越しに、ち

らりとエアロックのすぐ向こう側を見やった。すると、エアロックの向こう側は巨大な空間が広がっ

ている。

 

 どうやらここに宇宙船が入って来るらしい。そのための施設はとても無機質で、21世紀で言うと

ころの、大きな工場にも似ていた。

 

 ハルカ達はすぐ手前側の通路にいる。橋渡しになっている通路のようだ。無機質にできていて、

コロニー内の住みやすく、落ちついた雰囲気とは一線を異にしている。

 

「このC爆弾があれば、貨物船一つ丸々とまではいかないが、かなりのダメージを与えられる。エ

アロックが吹き飛んじまうかもな?そうなったら、てめえらは大犯罪者だぜ」

 

 今度はどすの利いた声で別の男が言った。今度は聴いた事も無いような声だった。洗練された

英語を話している。訛りのない、どうやら母国語としての英語を話す人物がいる。

 

「爆弾ですって?そんな野蛮なもの!」

 

 甲高い声がエアロックに響いた。それはハルカの声のようだった。

 

「そのくらいやらなきゃあ駄目なんだぜ。てめえのパパに思い知らせるためにゃあな。爆弾で、貨

物船が吹っ飛んだとなりゃあ、原子力発電所の計画は中止だ。テロリストをコロニー内に入れな

いようにって、また別の運動が始まる。俺達が変えられるんだぜ。こりゃあ、すげえことだ!」

 

 そのように言っているのは、どうやら、ハルカのクラスメイトのタケヤであるようだった。ハルカは

まだあの男と付き合っているようだった。

 

 しかし、父親を襲った一件で全く懲りていないのか。今度は貨物船を爆破しようなどと考えてい

るようだ。

 

 エアロックには、警報装置がついていた。赤いスイッチで、それを押してしまえば警報がなるよう

になっている。事故などが起こった時に使うものだ。

 

 もし私が今、この警報装置を押したらどうなるだろうか?ハルカ達は慌てて爆弾をセットして爆

発させてしまうかもしれない。その時、ハルカが巻き込まれてしまうかもしれない。今は様子を伺う

しかないようだ。

 

「わたしは、何も、爆弾をしかけてまで、こんな事をしたいんじゃあない」

 

 そうハルカの英語が言った。

 

「何だと?言い出したのはお前だろう?親父の顔に泥を塗りたいってな」

 

 タケヤが乱暴な口調で言っていた。どうやら、ハルカに向かって掴みかかっているらしく、激しい

音が聞こえた。

 

「おい、何をやっている。あまり騒ぎ過ぎるとバレるぞ!おれ達はさっさとやりたいんだ!」

 

 今度は英語を訛り無く話す事ができる男がそう言った。

 

(わたしは、こんな事がしたいんじゃあない!)

 

 ハルカの言葉が響いた。すると彼女は何をしようとしているのか。激しい物音が通路の方に響

く。

 

 私はたまらず扉を開いて、通路へと飛び出した。ハルカを危険にさらすわけにはいかなかった。

 

 ハルカは、長身でこわもての白人の男の持っている、白い包みのようなものに向かって掴みか

かろうとしていた。

 

 私はすかさずその男に向かって、ハルカと共に掴みかかる。エアロックの外の通路は狭くて、今

にも私達は、宇宙船のやってくるであろう空間、下を見れば、建物の10階ほどの高さはありそう

な場所へと投げ出されそうになった。

 

 私は男から爆弾であるらしきものを奪い取ろうとしたが、奪い合いをしている内に、その爆弾

は、私達の手の間をすり抜けて、通路の下へと落下していってしまった。

 

「何だ!お前は!」

 

 こわもての白人の男が叫ぶ。

 

「やばいぜ!バレちまった!ズらからねえと!」

 

 タケヤがそのように言い放ち、彼はその場から一目散に逃げていくではないか。白人の男と掴

み合う私だったが、相手の男の方がずっと体格は大きく、私は押し負けてしまう。

 

 男も、私が入ってきたエアロックの方へと逃げて行ってしまった。押し倒された私だったが、彼ら

の後を追うかのようにして、エアロック内の赤いスイッチを目指し、そのスイッチを押した。

 

 すると、警報装置が鳴り響く。男達を逃がすわけにはいかない。彼らはこの宇宙船発着場に爆

弾を仕掛けようとしたテロリストなのだ。

 

「ハルカ!」

 

 私は、私と同じく通路へと投げ出された、ハルカの身体を起こす。彼女は身を床へと打っていた

が、どうやら無事なようだ。

 

「大丈夫か?」

 

「おじさん?どうしてこんなところに」

 

 意外そうな声でハルカは言ってくるのだった。私がここに来るという事は、ハルカにとってはまっ

たくの予想外だった事らしい。

 

「大丈夫か。あの連中に何かされなかったか?」

 

 私はそのように言い、ハルカの身を起させた。周囲を見回すが、さっきの連中以外、ハルカの

仲間はいないようだった。

 

「大丈夫だって。一応、友達なんだから。おじさんこそ、どうしてこんな所に」

 

 ハルカは私を安心させるかのようにそう言った。だが私は、嫌悪感でも抱くかのような気持ちに

襲われ、周囲を見回した。

 

「あんな連中が友達だって?いいか?彼らは、ここに爆弾を仕掛けようなんて考えている連中

だ。あんな連中と付き合っちゃあいけない。私と、アジサイと一緒に家に帰ろう。今日の事は無か

った事にするから」

 

 私はハルカの黒い瞳と目線を合わせてしかと言った。

 

 しかしながらハルカは目線を泳がせる。そして、まるで何か、すでに考えていたかのような言葉

を私に向かって言うのだった。

 

「私は、お父さんのしている事を止めさせるためにここまで来たの。それが済むまでは帰れない」

 

 ハルカは私に泳ぐ目線と共に言って来た。だが私はそんな泳いでいる彼女の目線を自分の方

に向けさせて言う。

 

「違うんだ。違うんだよ、ハルカ。君がやろうとしている事は、お父さんのしようとしている事を止め

させたいという事じゃあない。君は、お父さんに構って欲しい。ただそれだけの事なんだ。君は、

私にも、お父さんにも構って欲しくて、こんな事をしているんだ。今からでも遅くない。だけれども、

今、帰らないと、君は一生後悔する事になってしまう。

 

 地球送りになってしまってもいいのかい?あそこは今、君が住めるような場所にはなっていない

と聞いた。君はまだ若い。両親の元で幸せに大人になった方がいいんだ」

 

 私は必死になってハルカにそう言っていた。まるで彼女が自分の娘か妹でもあるかのように必

死な声で私は言っていた。

 

 ハルカは私から目線をそらす。だが、小さく呟くように答えた。

 

「おじさんも、一緒にいてくれる?」

 

 ハルカが尋ねてくる。それは自信も無い、戸惑ったかのような言葉だったが、私はしっかりと答

えた。

 

「ああ、一緒にいてあげるさ。私もこのコロニーが好きだ」

 

「そう。ありがとう」

 

 ハルカはそのように答えた。

 

「じゃあ、すぐにこんな所からは出よう。外にはアジサイがいるから、君と会えた事を連絡するよ」

 

 そう言って、私は小さなペン型の携帯電話を取り出して、外のアジサイに連絡を取ろうとした。

ハルカを捕まえたことで、私はほっと一安心してしまっていたせいもあるかもしれない。

 

 だが不意をつかれた。

 

 突然、大きな爆発音が響き渡り、エアロック内を激しく揺り動かす。その爆発は私達のいる通路

を崩しかねないほどの激しいものだった。

 

 先程、男ともみ合った時に通路から下に落とした爆弾は、作動していたのだ。作動した爆弾は、

エアロックと真空のコロニー外の宇宙空間とを隔てる扉に穴を開けてしまっていた。

-4ページ-

 真空の空間に向かって穴が開かれてしまったため、私達のいるエアロックから一気に空気が抜

けていく。それはあたかも、風呂の栓を抜いたかのような勢いで、一気に空気が抜け出て行くも

のだった。

 

「ハルカ!」

 

 私は、発生した空気の強烈な流れに逆らい、通路の手すりに手をかけ、ハルカの方へと手を伸

ばした。ハルカはと言うと、その細い腕で必死に通路の手すりを握っているが、空気が抜け出て

行く勢いは思ったよりも強い。

 

 私が手を伸ばして掴んであげなければ、ハルカの体は真空の宇宙空間へと抜け出ていってし

まう。だが、空気が一気に抜けて行く力は容赦なかった。ハルカの体を宙へと浮かせ、エアロック

内にある空気を全て抜き去ろうとしている。

 

 警報が鳴り響いた。非常事態が発令され、赤い警告灯が鳴り響く。そして、爆発で起こった穴を

塞ぐかのように、遮断壁がもう一つ降りて来ようとしていた。

 

「安心しろ、ハルカ。もう少しだぞ」

 

 これで穴を塞ぐ事ができるはず。そう思った。だが、それだけでは終わらなかった。

 

「おじさん!あいつらは、もう一つ爆弾を仕掛けていったの!」

 

 ハルカの叫び声が、激しい気流の中で聞こえてくる。その声が響き渡った直後に、オレンジ色

の閃光が光った。爆発が起こり、今度は、筒状のエアロックの横腹の辺りに爆発によって穴が開

く。

 

 ハルカの悲鳴が聞こえた。爆発は激しかったが、飛び散った破片は私達の体を避けた。しか

し、今度は最初の遮断壁によって塞がれた穴とは別の方向の穴が開いてしまう。

 

 煙と炎の向こう側に、黒い空間を覗く事ができる。宇宙空間だ。それが見える。

 

 だが今はあの無重力遊泳施設で体感したものとは違う、手すりから手を離してしまえば、私達

の身体は、無限の宇宙へと吸い出されてしまうのだ。

 

「ハルカ。手を伸ばすんだ!」

 

 私はそう言って、ハルカに向かって手を伸ばす。

 

「できないよ!」

 

 だが、ハルカの悲痛な叫び声と共に、彼女の体はエアロックの上を、まるでロケットであるかの

ように突っ切っていき、宇宙空間の外へと吸い出されていってしまうのだった。

 

 私は叫び声を上げた。宇宙空間の外へと吸い出されてしまったら、彼女は死んでしまう。長くは

持たない。

 

 だが私は知っていた。例え、宇宙空間に生身の人間の体をさらしたとしても、即死するわけでは

ない。意識はブラックアウトするかもしれないが、数分は生きている事ができるはず。

 

 21世紀時代の話だが、宇宙船の外の船外活動の訓練中、真空の空間に生身をさらしてしまっ

たパイロットがいた。彼は真空の空間に数分間いたが、生還する事ができた。

 

 ハルカも不可能ではない。

 

 私は頭を猛烈な勢いで回転させた。渾身の力を篭めて、エアロックから、先ほどの作業員室へ

と戻ろうとした。

 

 空気が一気に吸い出されている今では、どこが上か下かも分からない。だが、私は宇宙の船外

活動の訓練も受けており、その記憶も真新しく残っている。すぐに自分の位置を把握し、自分が

入ってきた扉の方へと手を伸ばした。

 

 空気が吸い出されている中で、自分が入ってきた狭いエアロックの方へと戻るのは、かなりの

重労働だったが、戻ってしまえば、後は一旦、扉を閉じればいい。すると、小さなエアロックでは、

抜けていった空気分の加圧が行われた。

 

 私は焦っていた。だが、冷静にならばければならない。落ち着いて、一つ一つの行動を確実に

迅速に行い、ハルカを助け出さなければならない。焦れば失敗するだろう。そうすればハルカの

命は無い。

 

 ポケットにしっかりと入れていた携帯電話を取り出し、ある人物へと連絡を入れた。

 

「もしもし、アジサイか?すぐにこの施設の、警備担当でもレスキュー隊にでも連絡を入れてくれ。

エアロックが、テロリスト達の爆弾で破壊された。それで、ハルカが宇宙空間へと吸い出されてし

まったんだ」

 

(ハルカお嬢様が?)

 

 アジサイは、電話の端末を使わず、自分のロボットの頭脳を直接周波数に当てている。だから

アジサイは今頃、独り言でも言っているかのように周りから思われているだろう。

 

「ああ。今から私が救出に行く。必ず助け出すが、すぐに救命処置をしなければならなくなるだろ

う。急いで貨物作業員のエアロックへと人を回してくれ!」

 

 私はアジサイにそこまで言うと、さきほどの作業員詰所の扉が自動で開くのを確認した。加圧が

終わり、コロニー内と同じ気圧になったために開いたのだろう。

 

(助け出す?マルコム様がですか?危険です!)

 

 私はすぐに作業員詰所に戻り、そこに並んでいる宇宙服の一つをひっつかんだ。そして素早く

その装着方法を確認する。

 

「私を誰だと思っている。宇宙ステーションの組み立てにも携わっていた、宇宙飛行士なんだぞ」

 

 その言葉はまるで自分に言い聞かせるかのようだった。宇宙服はどうやら、21世紀のものより

もずっと簡素なものになっているらしい。つめられている酸素も少ない。非常時用と言う事もあり、

10分程度しか持たない事を計器類が示している。

 

「安心してくれアジサイ。宇宙服を見つけた。無重力での活動なら任せておけ」

 

(マルコム様。ではこのまま通信を続けてください。携帯電話の画像に、ハルカお嬢様の居所を

示した映像を、私は送る事ができます)

 

 アジサイはそのように言ってくる。どうやら私の行動に納得したようだ。

 

 装着は数十秒で終わった。だが、こうしている間にも、ハルカの命は宇宙空間の彼方へと消え

去ってしまおうとしている。

 

 ヘルメットをかぶり、宇宙服内の気密が保たれた事を確認する。全てオーケー。私は21世紀に

自分が行った訓練を思い返すようにして、まずは自分の安全を確認した。だがこの宇宙服はきち

んと、安全が保たれた事を表示する装置が付いており、私は自分の目の前の画面に現れた表示

を確認する。

 

 簡易的な宇宙服であっても、この時代では、光学画面がヘルメット内部に表示されるようになっ

ているのか。感心しつつももう一刻の猶予も無い。私は宇宙服を着たまま、素早くエアロックに戻

り、扉を突き破るようにして貨物船エアロックの大きな空間へと飛び出した。

 

 途端に、私を一気に吸い出すかのような気流の動きを感じる。先程は、宇宙空間へと一気に抜

け出してしまうこの空気の流れに逆らわなければならなかったが、今はそうではない。ハルカを救

うために、宇宙空間へと飛び出していかなければならないのだ。

 

 私は自分と共に吸い出されていく、何かしらの物体に激突しないように気をつけながら、あたか

も飛び込み選手がプールの中に飛び込んでいくような姿勢で、爆弾によって開けられた穴へと吸

い出されていくのだった。

 

 あっという間だった。貨物船の発着するエアロックを一気に飛び越え、私は、宇宙空間へと飛び

出した。

 

 巨大なコロニーの壁面が私の目の前にある。宇宙空間から見ると、あたかもそれは上下左右

に永遠に広がっているのではないかと思えるほど巨大な物体だった。

 

 これを人間が創造したのかと感心している暇は無い。今は、この宇宙空間に飛び出してしまっ

たハルカを捜さなければ。

 

(マルコム様。ハルカお嬢様は見つかりましたか?私も今、そちらに向かっています。既に警備に

は連絡を入れました)

 

 アジサイからの連絡が入る。彼女はロボットのはずだが、その声には焦りの色がある。ロボット

にもハルカを守りたいと言う切なる感情があるのだろうか。

 

「私がそれよりも先に見つける。ハルカはそんなに遠くに行っちゃあいない」

 

 私はアジサイから送られてきた、ハルカの位置を示すマップを光学画面で開き、確認する。そ

んなに遠いところにはいない。100メートル以内に彼女はいる。

 

 だが、爆弾の爆発によって宇宙空間に吹き飛ばされた、コロニーの破片が邪魔をする。私は自

分の着ている宇宙服に推進装置がある事を知っていた。でもなければ無闇に宇宙に出たりはし

ない。

 

 推進装置の操作は両手の先にあるグリップで行うようだ。アクセルとブレーキがあり、方向転換

は自分の身体で行う。それほど難しい事じゃあない。簡易的な宇宙服ではあったが、私のいた2

1世紀の宇宙服よりも遥かに精密な操作ができるようだ。

 

 私は自分を落ちつかせ、ハルカの位置を確認する。宇宙空間に吸い出され、更にどこまでも加

速できる無重力空間だから、彼女に追いつくためには、私は宇宙服の推進装置を全開にしなけ

ればならない。

 

 宇宙空間の中を突き進み、アジサイがくれたマップを確認し、ようやく私はハルカの居場所を見

つける事ができた。

 

 彼女は無防備な姿勢のまま宇宙空間を漂っている。私とは違い、宇宙服を着ていない彼女。も

う、彼女が無重力に吸い出されてからどのくらい経つか。5分も経っていないはず。

 

 生身の人間が宇宙空間に吸い出されれば、息ができないばかりか、体内の気圧が極端に低下

し、血液が沸騰してしまう。更に太陽や宇宙線などの放射線にさらされた上に、宇宙空間は気温

も低い。

 

 とはいえ、すぐに死亡するわけではない。私はある事故を知っている。真空にさらされて2、3分

ほどなら、意識はブラックアウトするが、即死するわけではないという事実は確かにあった。

 

 ハルカもそれに耐えられるはずだ。

 

 無防備なハルカの体を、何とか私は細かな推進装置の操作によって掴む事が出来た。

 

 さて、どうしたら良いか。このまま推進装置を使って、コロニーに開いた穴に戻るか。それまで

ハルカの身体は真空や宇宙線に耐えられるだろうか。

 

 彼女の体は爆発した時の破片などによって、細かな傷を負っていて、そこから、泡のようになっ

て血液が出ている。気圧が極端に下がって、出血が酷くなっているのだ。

 

 私は焦る。私の着ている宇宙服を彼女に着せるか?そんな血迷った真似はできない。そうした

ら、私が宇宙空間にさらされてしまう。

 

 この場所から私が最速で戻るしか方法は無い。しかし出血も酷く、すでに宇宙空間に3分近くは

さらされているハルカの体は耐えられるだろうか。

 

 そう思いつつも急いで、コロニー内に開いた穴の方へと戻ろうとする私。すると通信が入った。

 

(マルコム様。あなたが着ていらっしゃる宇宙服には命綱としてケーブルが付いています。それを

一気に引き寄せる装置を使えば元のコロニー内に戻る事ができます)

 

 アジサイからの通信だった。そう言えば、私は外に出るときに、自分の足元から命綱が伸びて

いる事を知った。

 

「具体的にそれはどうやるんだ?」

 

 私には初めて着た宇宙服の操作方法がまだ分かっていない。だが、私が考えるまでもない事

だった。

 

(今、あなたが着ていらっしゃる宇宙服のマニュアルをダウンロードしました。私から直接遠隔操

作をする事ができます)

 

「本当か?」

 

 私がそう答えるような間も無いまでの出来事だった。私の体は一気にコロニーの方向に引っ張

られていく。宇宙服についたケーブルが一気に引っ張られ、私の体を宇宙空間から引きもどして

いく。

 

 私はハルカの体をなるべく宇宙空間にさらさないよう、庇いながら引き寄せられていった。ケー

ブルが引く力は結構強く、私はあっという間に戻されていく。

 

「ありがとうアジサイ。君がいてくれて助かった」

 

 ケーブルの遠隔操作は、アジサイがいなければできない事だった。彼女はロボットだから、自分

のシステムをそのまま、このコロニーの作業員室にまで繋げ、遠隔操作をしてくれたのだろう。私

がケーブルを引っ張ってのろのろ戻っていたら、ハルカは間に合わなかったかもしれない。

 

(ハルカお嬢様は!大丈夫ですか?)

 

 私とハルカの体がコロニーの壁面を通過した時、アジサイの声が響いた。

 

 彼女の体はまだ暖かい体温を持ったままだ。しかし呼吸をしていないし、所々に負った怪我や

出血のせいで、青白い顔をしている。宇宙空間に3分間以上も放逐されていたのだ。間に合うだ

ろうか。

 

「ああ、大丈夫だ。だけれども急いで救急医療班をこちらに回してくれ」

 

 私はアジサイを安心させるかのようにそう言った。

 

 そして、ハルカの憔悴しきったような顔を見つめながら、私はケーブルによって元の空気と重力

がある場所に戻っていった。

 

-5ページ-

 あれはつかの間の宇宙遊泳でしかなかった。私はハルカを助けると言う事しか頭に無かったか

ら、自分自身が久しぶりに、それこそ数年ぶりに宇宙空間に再び出たという実感がわかない。

 

 あの時は何も見えなかった。上も下も無いような空間の中で、輝いている星の姿も、無重力の

感覚さえも。ハルカを助けると言うことで精一杯だった私は、そんな事を考えている余裕などなか

った。

 

 あの貨物発着エアロックで起きた事件は、一部の原子力エネルギー反対派が起こした過激運

動として処理された。あのエアロックの爆破事件が起きた際に、エアロックにいたのが私達だけ

で幸いした。もし、貨物船が到着した際に爆破が起きていたならば甚大な被害を及ぼしていただ

ろう。

 

 ハルカの父、シンジのプロジェクトはその事件により、一時期延期される事になったが、彼の信

念は固く、原子力エネルギーのコロニー内稼働は以前よりも精力的に推し勧められた。新富士

山という人工の山の地下に、万全の警備システムを導入し、再び過激派に狙われないようにと、

むしろ挑戦的な姿勢でプロジェクトを推し進めている。

 

 あの時爆弾を仕掛けた連中は、根こそぎ逮捕される事になった。ハルカが友人としていた、タケ

ヤが全て白状したのだ。彼自身は原子力エネルギー開発に何の感心も無いのに、過激な行動に

出たとして、過激派の連中と共に地球送りにされる事が決まった。

 

 以来、新関東コロニーでも、火薬を初めとした爆発物の規制がより強化される事になった。貨

物や旅行客の検閲がうるさくなったと騒ぐ連中もいたが、あんな事件が平和なはずのコロニー内

で起きてしまえば、当然の処置だった。

 

 そしてハルカは、あの事故で唯一巻き添えを受けた被害者の一人という事になっていた。彼女

は意識不明の重体に陥った。

 

 しかしながらすぐに病院に搬送され、36世紀の、私からしてみれば信じられない発達を遂げた

医療によって、健康な状態にまで回復した。

 

 宇宙空間に3分間以上もいて、しかも怪我まで負い、宇宙線による被爆までしていたというの

に、彼女はそれを驚くべきスピードで完治させてしまった。

 

 私もこの36世紀における医療を体験したが、あれも、ナノマシンを体の中に入れて、それに体

の負傷や障害を取り除いていくというものだった。ハルカも同じような形で、体の負傷や、放射線

被爆を治していってしまうのだった。

 

 彼女が入院していたのは2週間ほどだった。2週間もすれば元気な姿を私に再び見せてくれる

のだった。

 

 ハルカが、例の貨物船発着エアロックでの爆破事件で不問になったのは、やはり父親であるシ

ンジの口添えもあった事だし、私も彼女はあの時、タケヤ達を止めに行ったのだと警察に証言し

ておいた。

 

 そしてタケヤ達が捕まってしまえば、もうハルカも悪さはできないだろう。父親への反抗は続くか

もしれないが、過激な行動に出る事はないだろう。

 

 何しろ、宇宙空間に放逐され、死ぬ所だったのだから。彼女自身もかなり参っているようだっ

た。

 

 病院から退院する時、私は彼女を迎えに行った。すでに彼女はベッドに横になっている事はな

く、安静にしているようにという医師にもうんざりしているらしかった。

 

 顔などに負っていた怪我もすでに完治しており、火傷の跡を思わせる放射線被爆の痕跡も残っ

ていない。元気なままのハルカがそこにいた。

 

 さすがに娘が九死に一生を得たという事もあり、シンジや母親のミドリもハルカを迎えに私と共

にやって来ていた。

 

 しかしながらハルカは、私と二人きりで話をしたいと言う。両親が退院の手続きをしている間

に、ハルカと私は病院の庭園に二人きりで出ていた。

 

 そこは芝生が広がる落ちついた庭で、所々に病院の入院患者らしき人々がいる。

 

 そう言えば2カ月程前に私は同じような所にいた。病院は違うが、私が入院していた病院の芝

生の姿がとても似ている。

 

 あの時私は車椅子に乗り、とても一人では歩けず、看護師の付き添いも必要だった。

 

 あれから2カ月しか経っていない。今では杖をつく必要もない。つい2か月前には見知らぬ事も

無かったホームステイ先の娘である、ハルカと一緒に、同じような芝生を歩いている。

 

 2か月しか経っていないが、私はもう2年近くもこのコロニーにいるような気がした。もうすでに体

も心も、コロニーになじみ始めて来ている。

 

「おじさん、もう杖をつかないんだ?」

 

 芝生を共に歩くハルカが私にそのように言って来た。

 

「ああ、もう大分前からね。君を助けにいった頃には、もう杖はついていなかったよ」

 

 そう、ハルカを助けに宇宙空間に飛び出していったあの日には、もう私は杖をついていなかっ

た。だがハルカとはあの日の前後からほとんど会話をしていないから、私がすでに杖を必要とし

ていないという事を知らないのだ。

 

「わたしも、おじさんの気持ちが大分分かってきたような気がする」

 

 突然ハルカは私にそう言って来た。

 

「気持ち?突然、1500年も先の世界に迷い込んでしまう気持ちの事かい?」

 

 ハルカは相変わらず、突然に突拍子もない事を言ってくる。だが彼女はまるで悪戯でもするか

のような笑みと共に私に答えてきた。

 

「そうじゃあなくって、宇宙空間を漂うって言う気持ち。無重力は経験があるけれども、本物の宇

宙空間を漂うっていう気持ちよ」

 

「意識があったのかい?あの時、君には?」

 

 私にとっては意外だった。私自身、宇宙空間に放り出された事はないし、1500年も漂流してい

たとはいえ、一応、宇宙服を着ていた。だがそんな私でさえ、宇宙空間の記憶が残っていない。

 

「あったとしても多分一瞬。でもね、宇宙空間に放り出された時、わたしは怖いとかそういう事を感

じなかった。あの時、わたしは死ぬかもって思ったけれども、それを超えるような何かを感じてい

たの。

 

 息ができなくなっていくっていう感覚も、目の前が真っ暗になっていく感覚も怖いものなんかじゃ

あなかった。それにね。何だか光って見えたの。わたしの目の前にきれいな光が見えて、瞬いて」

 

 彼女がそこまで言いかけた時、私は思わず間に割り入ってしまった。

 

「それは多分宇宙線によるものだ。目を閉じていても、宇宙空間を飛び交っている宇宙線が視神

経を刺激して光っているように見える事があるんだ」

 

「もう。おじさん。せっかくのわたしの神秘的な体験を遮らないでよ。わたしは、天国が見えたかも

って思ったんだから!」

 

 ハルカは少しいきり立つ。だがそれは本気のものではなく、冗談混じりであるという事は私には

分かった。

 

「そりゃあ失礼した。だけれども、一瞬ではあっても、君が体験した事は、20世紀や21世紀の宇

宙飛行士ならよく体験するものかもしれない。しかも君は宇宙に生身で出てしまったんだ。宇宙服

やスペースシャトルで出るよりも、よっぽど肌で感じられたんじゃあないのかな?」

 

 私はそう言っていた。ハルカは私が体験しなかった事を体験してしまったのだ。彼女は死ぬ所

だったと言うのに、まるで宇宙空間に放逐された事が楽しかった事の様に話してくる。

 

 危険であったはずの事故も、それを回避する事ができれば後になって、笑い話になってしまうよ

うな事もある。不謹慎だが、ハルカはそのようだった。

 

「お陰さまで、わたしもおじさんの気持ちが分かっちゃったの。宇宙空間に出る事がどんな事かっ

てね?だからわたし達、これでまた一歩近づけたね」

 

 ハルカがそう言ってくるのは、あくまで友達としてだろうか。私は15世紀も先の未来にいた、こ

の少女の態度に戸惑ってしまう。

 

「ああ、そう。それは良かった」

 

 私は戸惑いつつも、そう答えるのだった。

 

 すると今度はハルカは、私のごつごつした手を握ってくるではないか。しかも戸惑いの表情をそ

の顔に浮かべている。

 

「これからも、わたしのおじさんでいてくれる?」

 

 その甘えてくるような声に私は戸惑った。私はハルカの実の叔父などではない。血縁関係も無

ければ、2カ月程前に出会っただけに過ぎない。

 

 しかしながら私はハルカの命を救った。今では実の親子とは言えないまでも、親密な年の離れ

た友人として彼女を見る事ができる。彼女の実の父であるシンジにはとても言えないが、あたか

も自分の娘であるような、そんな気さえもしてしまう。

 

 奇妙な父性というものを感じていた。だが、実の娘のような目で見てしまうという一線を越える事

は私の理性が押しとどめる。

 

「ああ、大丈夫。君のおじさんでいるよ。但し、友達としてのおじさんだけれどもね」

 

 私はそう言って、ガラスのように繊細な彼女の手を両手で覆っていた。

 

「ありがとう。私も、おじさんという友達ができて嬉しいよ」

 

 そう言ってハルカは私の両手から自分の手を引き抜いて言った。少し恥ずかしそうな顔をして

いる彼女の顔は、追い詰められたような以前のものとは、全く違うものだった。

 

「ありがとう。それは私の言葉かもな」

 

 私は、独り言であるかのようにそう言った。

 

 私がハルカを助けた事も、何もかも、全ては私が自分自身のためにしてきた事なのだろう。そ

の結果として、彼女を助ける事ができたのだ。

 

 私はようやく実感として感じる事ができている。私は、1500年先の未来で、確かに生きてい

る。それは宇宙空間の中にあるコロニーの中であり、地球上ではないのだ。

 

 自分が九死に一生を得れたのはたまたまの偶然だ。だが私はその偶然で生きる。ハルカを助

ける事ができたし、21世紀の世界では到底体験できないものを味わう事ができたのだ。

 

 私は今もハルカ達と共にカワシマ家で生きている。だがそれは、1500年先にある未来の世界

での話だ。

 

 

説明
長くなってしまった短編ですが、これにて完結します。ハルカを止めるために奔走するおじさんの行方は?
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