Ark-後篇-
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ずっと  ずっと  一緒にいられると思ってた

 

私の幸せはお兄様と一緒に笑って 泣いて  

 

たまには喧嘩して そして仲直りする

 

それだけで 幸せだったんだよ

 

 

 

――なのに 

 

 

 

なんで私を突き放すの?

 

私が悪い事をしたの?

 

ねぇ、神様

 

どうしたらお兄様が前みたいに優しくなってくれるのでしょうか……

 

 

 

-Ark- 後編

 

 

フラーテルの別れの言葉を聞き教会で神父に出会ってから、ソロルは熱心に教会で祈り続けた。

兄との幸せを夢見て。

そして二人で楽園へ行けますようにと。

 

その姿をあの男が静かに観ていた。

 

「あれが今回のマウスか」

 

どこにでもいる少女。

しかし、その実態は兄との禁断の愛を築いてきた。

所長はなんとも珍しいケースだと、嬉しそうに笑っていた。

他の研究員もちゃくちゃくと実験の準備をし始めている。

自分の役目はソロルを監視をする事。

そして準備が整い次第、彼女を研究室――すなわち地下へ連れていく。

ただいつもと同じ事をすればよいだけだ。

 

 

なのに――何故自分はこんなにも戸惑いを感じているのだろうか

 

 

彼は祈り続ける少女に少なからず疑問に思った。

何故、人をそこまで愛せるのだと。

冷たくされた兄に何故愛し続けることができるのか。

男の胸にちくりと何かが痛む。

 

それは、ずっと自分が見ないようにしてきた感情

 

だが気づいてはいけないのだ

 

自分の手は既に 穢れてしまっているのだから

 

 

 

 

 

 

そして、運命の日はやってきた

 

 

 

 

 

月の光が射す中、ソロルはいつもと同じく十字架の前で祈りを捧げていた。

 

「ソロル」

 

はっと後ろを振り返れば、そこには神父が立っていた。

その姿を見た途端、ソロルは嬉しそう笑い彼に近づく。

 

 

 

闇が 彼女へと迫る

 

 

 

「神父様、お久しぶりです!」

 

「ああ、久しぶりだね。どうだい、ちゃんと神に祈りを捧げているかね」

 

「はい、もちろんですわ」

 

神父は笑みを浮かべながらソロルの頭を撫でる。

暖かいぬくもりに頭を撫でながらソロルはゆっくりと目を閉じた。

背後には数人の男たちが立っていることにも気付かずに……。

神父はその男たちに目配せをして、言葉を一つ一つ繋げていく。

 

「……ソロル、君は選ばれたんだよ」

 

「え……?」

 

「君は、楽園へ旅立つんだ」

 

神父の言葉と同時にソロルの顔に布を被せ、頭に衝撃を与える。

項垂れるソロルを男が抱きとめ、神父はにこりとした顔で男たちに命じた。

 

ソロルが目覚めたのは、それから半刻後のことだった。

だが、太陽すら見えない部屋に彼女は一人ぼうっと天井をみていた。

ゆっくりと起き上がろうと思ったのに、体は動かない。

ふと、かろうじて動いた首を動かせば、鉄格子の向こうに長身の男が立っていた。

 

「……貴方は誰? ここはどこなの?」

 

「君は選ばれたんだよ”1096”。……神に、ね」

 

カチャリと鉄格子の扉が開きその男が入ってくる。

そしてソロルの近くまで来ると膝をつき、彼女の顔を見つめる。

 

「……貴方、どこかでみたことが……」

 

「……隠れていたとはいえ、どこかで顔を合わせたかもね」

 

男の顔は無表情でありながらもどこか苦しそうだった。

ソロルが何かを言いかけた瞬間、新たなる影が増える。

それは一つではなく、たくさんの影。

 

「状態はどうだ」

 

「……問題ないかと。この分だとすぐに始めることができるでしょう」

 

「神父、様? これは一体」

 

「……ソロル、君は神に選ばれ楽園へと旅立つことが許された。

 だが楽園へと行くにはどうしても必要なことがあってね。

 …箱庭療法というものを知っているかね?

 そうだな、簡単に言えば君とお兄様を楽園へ導ける箱舟のようなものだよ」

 

神父の顔は先程と変わらない筈なのに、その姿に神々しさは感じられない。

あの神父は本当に自分が知っている神父なのだろうか。

そう思った時、ソロルは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。

 

「う、嘘よっ! 神の楽園へと連れていくのに、こんな所に連れてくる必要なんてないわっ!」

 

「……だから言っただろう? 楽園へと行くには、どうしてもしなくてはならないことがある、と。

 楽園へと行くには強い信仰心が必要なのだよ。

 その為には君の海馬に手術を施すのだ。

 神への変わりなき忠誠心を、君の中に植え付けるためにね。

 そしてそれが終われば、君が今感じているような不信感や恐怖は完全に消失する。

 飽くなき神への忠誠心のみが、君を支配する。

 必ず君は楽園へ往ける……君の愛するお兄様と共に。

 愛しいお兄様を、此処に連れてきてあげるからね」

 

男たちにはその場から立ち去る。

残ったのはソロルと男のみ。

彼女は一人泣き続けた。無力な自分に失望しながら……。

その姿を男はただじっと眺めていた。

 

 

そしてその時はすぐにやってきた。

一人で歩くことすらできないソロルは、ベットに拘束されたままあの男に連れて行かれる。

そして大きな扉の前でベットは止まった。

 

「……手術はすぐに終わる。そしてそれが終わった時、君は箱舟の切符を手にすることができるんだ」

 

「……」

 

彼女の目は虚ろのままだった。

男は懐からカードを取り出し扉に手をかけた。

中に入れば、神父と呼ばれた男が待っているだろう。

そして今回も同じく彼女の海馬に手をつける。

だが、足を踏み入れようとした時、虚空を見つめていたソロルが男の顔を見た。

小さな口を動かし、言葉を発する。

男はその小さな声に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

「――箱庭を騙る(かたる)檻の中で禁断の海馬(きかん)に手を加えて

 驕れる(おごれる)無能な創造神(かみ)にでも成った心算(つもり)なの……」

 

 

 

 

 

ハッと息を飲み、彼女を見つめる。

しかし、彼女は再び虚空を見つめ部屋の中へと連れて行かれた。

男は自分の中で忘れていた衝動を感じた。

 

 

ああ、何故今になって思い出してしまったんだ

 

 

もはや手遅れとなった男は、今はただその場に立ち尽くすのみだった。

 

 

 

 

 

……被験体#1096 通称『ソロル』……

 

38時間ノ手術後、完全ナル信仰心ヲ持ッタママ順調ニ回復

 

兄ヘノ想イヲウワ言ノ如ク繰リ返ス

 

楽園ヘノ羨望ハ日ニ日ニ募ル

 

 

 

……被験体#1076 通称『フラーテル』……

 

#1096術後、自宅ヨリ拉致

 

精神・身体共ニ混乱・衰弱

 

過度ノ精神的苦痛ガ見受ケラレル

 

 

 

準備はすべて整った。

神父と呼ばれていた男はソロルに近づき、ソロルもまた虚ろな目で神父を見る。

だが、その顔は嬉しそうに笑っていたのだった。

 

「神父様、私はいつになったら箱舟へと乗れるのでしょうか? 早く大好きな兄に会いたいのです」

 

「もう大丈夫だよ。準備はできたんだ。さぁ、これを持って」

 

そう言って差し出されたのは、銀色に輝くナイフ<Ark>と呼ばれた物。

 

「我々を楽園へ導ける箱舟は、哀れなる魂を大地から解き放つ。

救いを求める君にArkを与えよう……。これが箱舟への鍵となるんだ。

お兄様と一緒に還るといい。……楽園へと。」

 

「はい」

 

Arkと呼ばれるナイフを受け取ったソロルは、それを愛しそうに抱きしめた。

その姿に神父は優しく笑い、彼女をある部屋へと連れていく。

扉を開ければ、その奥にもう一つ扉があった。

背中をそっと押し神父はほほ笑んだ。

 

「あの扉の向こうが箱庭だよ。君とお兄様の楽園へと続く庭だ」

 

神父の言葉を信じゆっくりとした足取りで扉に触れる。

ドアノブに手をかければ、目の前に広がるのは真っ白な部屋。

その中央にはフラーテルが立っていた。

 

「お兄様っ!」

 

「ソロ、ル?」

 

兄へと駆け寄る姿を見送った神父は部屋のドアを閉め、監視室へと向かった。

その部屋にはあの男もいた。

男の表情は読めない。しかし、二人の姿を逸らしたい衝動に駆けられていた。

 

 

二人の未来――それは、楽園という名の地獄

 

あんなにも兄を想った少女

 

しかしその少女の想いも地獄へと流れてしまう

 

そして思い出されるのは彼女が海馬に出される前に言った言葉

 

 

 

 

 

 

『――箱庭を騙る(かたる)檻の中で禁断の海馬(きかん)に手を加えて

驕れる(おごれる)無能な創造神にでも成った心算(つもり)なの……』

 

 

 

 

 

 

気がついたら男はその部屋を飛び出していた。

 

 

 

 

 

 

 

白い部屋には二人の男と女。

ソロルはナイフを持ちながら兄の元へと近づく。

 

「ソ、ソロル。それは……っ」

 

「お兄様……私はお兄様を、誰よりも愛してるの。今までも……そしてこれからも。

 けれどお兄様は私の事を一人の女性として愛してくれない……。

 ――ねぇ、何故変わってしまったの? あんなにも愛し合っていたのに。

 私は、お兄様とずっと一緒だと思ってた!

 左手の薬指にお揃いの指輪をして、いつまでも一緒にいられると思ったのに」

 

一歩一歩近づくソロル。

その顔は涙で溢れそして笑っていた。

妹の歪んだ笑顔を見て、兄は表情を失くす。

フラーテルは妹がいなくなった後もひたすら自分の部屋で罪悪感に押しつぶされそうになった。

互いの最善の道を歩けると思ったのに、彼の中でもソロルの存在は大きすぎた。

そして再び出会ったソロルに内心驚いたものの、安堵感があった。

自分勝手だと人は言うだろう。

しかしフラーテルもまたソロルなしでは生きられないのだ。

 

 

「でもね、私わかったの。此の世界ではもう私たちは幸せにはなれない。

 だから――」

 

 

その時扉が勢いよく開かれた。

 

男が目にした光景は、どこか眩しくて、涙が零れた。

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、楽園へ還りましょう? お兄様……」

 

 

 

 

 

 

 

白い部屋の中に赤い液体が広がる。

それはフラーテルの腹部から流れていた。

倒れる兄にソロルはその様子を眺めながら静かに笑っている。

そして膝をつき、フラーテルの左手を見つめたと同時に表情が歪む。

 

「この指に、他の女との誓いの指輪が嵌められるなんて、赦さないっ!」

 

我に帰った男は二人の元へと駆け出す。

取り押さえるようにソロルへと抱きつくが、彼女には既に兄しか見えていなかった。

必死に抵抗し男を突き放し、フラーテルの手へと振り落とされるナイフ。

男はフラーテルの手の上に自分の手を重ねた。

 

響き渡る男の呻き声

 

その傍には彼の薬指があった

 

男は荒い息を繰り返し、身を屈めながらも二人の姿を見た

 

 

フラーテルの腹部から血は流れ続ける。

ソロルの服にはフラーテルの血が纏わりついていた。

倒れながらもフラーテルはソロルの顔を見ながらゆっくりとほほ笑んだ。

 

 

それは昔から変わらぬ優しい兄の笑顔

兄の手が震えながらもソロルの顔に触れ、愛しそうに頬を撫でた。

 

「お兄様……」

 

「……ソロル、僕は……君を愛してるよ。―― 一人の”女性”として」

 

ぱたりと落ちそうになる手をソロルは優しく包み込んだ。

そして、嬉しそうに笑いながら涙を零した。

 

一番欲しかった そしてもう一度囁いてほしかった

 

愛しい声で名前を呼んでほしかった

 

ソロルの目から溢れる涙。

それはどこか温かかった。

 

 

「私もよ、お兄様……」

 

 

手を下ろし、二人は唇を重ねた。

フラーテルの唇は既に冷たかったものの、ぬくもりが全身へと廻り心が満たされる。

 

 

 

 

 

 

だが、二人の楽園に男たちが入り込む。

男たちはうずくまる男の傍に行き止血をする。

その間に、他の男たちは兄妹を引き離した。

 

「嫌っ…、お兄様…っ! やっと、やっと二人きりになれたのに!

いやあぁぁぁあ!!!!!」

 

彼女の悲痛な声が響き渡る。

止血される男はただ静かにその言葉に聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

モニターにはソロルが一人月を眺めている姿が映し出された。

彼女の目には月が映っているのかは定かではない。

用済みの彼女はこのまま死ぬまで牢獄に入れられる。

他の研究者たちは既に新たなるマウスを探し始めていた。

 

実験を妨害した罰として、彼女の監視を任されることになった男。

彼の頭には、ソロルの言葉が繰り返される。

 

 

 

 

箱庭ヲ騙ル檻ノ中デ  

 

禁断ノ海馬ニ手ヲ加エテ

 

驕レル無能ナ創造神ニデモ

 

成ッタ心算ナノ……?

 

 

 

「成ったつもりさ……」

 

 

 

少女が手に入れた楽園…

   代わりに失った、兄という現実…

 

心を失った男が手に入れた束の間の正義…

   代わりに失った、左手の薬指

 

彼の左手にはもはや薬指はない。

これこそが自分への本当の罰……。

 

赦されぬ罰

 

それはきっとこれからも繰り返される

 

 

「……君は楽園へ辿り着けたか……?」

 

 

男が目をモニターに向けた時、一つの影が彼女の影と重なる。

目を見開く光景。

誰もあの扉に手をかけていない筈だった。

動くことのできない男はただその映像を見ていることしかできなかった。

 

そして月の光に映し出されたのは

 

仮面をかぶった一人の男だった

 

仮面の男は手を差し出し、ソロルへと近づく

 

ソロルは嬉しそうに笑いながらその手を取ったのだった

 

後に彼女の牢屋に行けば、そこには誰もいなかった

 

 

 

-Ark  END-

説明
前回のArkの後篇です。
フラーテルに別れを告げられたソロル。二人の糸は絡まったまま終わりを告げてしまうのか?人は神のような存在になれるのか?愛する人は戻ってくるのか。
楽園の扉が開かれます。
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