百物語3 |
……おっと、もう俺の番か。アンタらの話に聞き入ってたから、時間が経つのも忘れちまったよ。
しかし驚いたね、この現代で本当に百物語やる酔狂な連中がまだいたとはねぇ。しかもこの俺に誘いの言葉をかけてくれるたぁ、感謝してもし足りないよ。改めて、あんがとさん。俺にできる事は、見知った怪談を一つでも多く語る事だけだからよう。
だが知ってるか? まぁアンタらの事だから当然知ってるとは思うが、百物語って本来はとても不吉な行為なんだぜ? 良くないモノを呼び寄せる、まじない儀式のようなモンだ。でも本当に怪談を百話用意できるようなツワモノなんてそうそういないから、儀式も宙ぶらりん、参加者も怖いもの見たさの好奇心を程々に満足できて終わるんだ。
けれどアンタらの怪談は、この中盤に差し掛かっても質一つ落とす事無く続けられてる。話のテンポも程よいから、このまま行くと丑三つ時で丁度百物語を終えられるだろう。
俺が保証してやる。アンタらなら――呼べるぜ。その、良くないモノ共をよ。ひひっ、胡散臭ぇおっさんの言葉は信用できねぇか? まぁ、信じる信じないは勝手だがよ。忠告しておくが、今更怖気づいて逃げるのだけは無しな。そうしたら、中途半端に呼び寄せた「障り」が逃げた奴らに降りかかるぜ?
……んじゃ、小休止挟んだ所で、俺の番とさせてもらうか。
エレベーターって、今の日本じゃ随分馴染んだ乗り物だよな。一昔前じゃ、公共施設に一台備えられてりゃ、それはもう立派なステータスだったというのに。……イカンな、いつの時代だよって話だ。
ガキの頃、エレベーターで遊んだ記憶は無いか? 当時は色んな物が珍しくて、特にボタンがあるエレベーターは格好の遊び道具だったと思う。秘密基地に乗り込んだみたいで、ボタンを連打したりな。閉じ込められたと錯覚して泣き出すガキもいれば、遊びすぎて保護者に大目玉くらう奴もいた。いいよなぁ、ガキ共は無邪気で。
今回は、そんなエレベーターにまつわる話だ。
その男は、アパートの一人暮らしだった。
そのアパートってのが割としっかりした造りでよ。ほら……例の何とかっていう防犯設備が充実していて、わざわざアパートの入り口に個人認証セキュリティまでこさえてあるんだ。だからまぁ、外部からの侵入はまず不可能。屋根やベランダ伝いにアパートに張り付く事もできないような構造になっていた。この日本でそこまでガチガチに警備を固める必要があるのかどうかは知らないが、ともかくそういうアパートだったんだ。だからまぁ、一人暮らしの女どもにゃ人気が高い物件だったわけだな。だけどその男は、仕事の地理的条件でここが最適だからという理由でこのアパートに引っ越したんだ。家賃も相応に高かったが、男にとっては許容範囲内だった。
男が越してきて一ヶ月が過ぎた。このアパートの暮らしに馴染み、お隣さんの顔も覚え、生活は順風満帆に見えた。……まぁ実際、ここまでは何の変哲もなかったんだ。
けれどある晩。
仕事の帰り、上司にしこたま飲まされたその男は千鳥足でアパートに戻った。上司への悪態をつきながら、アパート入り口のチェックを潜り抜け、エレベーターへと足を踏み入れた。男の部屋は6階なので、そのボタンを押そうと指を伸ばしたその時。
……ふと、見覚えのないボタンがあるのに気が付いた。
このアパートはB1(地下1階)まであるんだが、「BH」なんてボタンが目に入った。男は最初、酔った頭を振りかぶり、見間違いだと思った。まぁ、そうだよな。BHなんて何の略語だよって話だ。バーレーン? ボスニア・ヘルツェゴビナ? そもそもB1のBってBasemment(地下)って意味だよな。じゃあHって何よ、って事になる。
ともあれ男は興味を覚え、試しに押してみたんだ。そのボタンをよ。
すると、男を乗せたエレベーターはガクンと下降した。そのままぐんぐん地下へと向かっていく。止まる気配を一向に見せないこの様に、男は次第に酔いが醒めた。頭上のランプも、B1を指し示す光はとっくに消えていて、どこに向かっているのか分からない。これは夢じゃなかろうかとすら思ったが、体にかかる荷重は本物だ。恐怖に取り付かれた男は、狂ったように他のボタンを押した。けれど、やっぱりエレベーターは止まらない。緊急停止ボタンも、携帯電話もまるで機能を成さない。
たまらず、男がわめき散らしたからでもあるまいが、どれ程の時間が経ったろうか。やがて、エレベーターはその長い旅程を終え、場違いな電子音と共に扉を開いた。
男は見てしまった。開いた扉の先には……おぞましい何かが、山ほど蠢いていた。そこは暗く、腐臭と腐敗にまみれ、汚物が撒き散らされていた。けれどどこか温かそうな場所でもある事に、かえって男はぞっとした。それが何かは、分からない方がいい。それは男の、自己防衛本能だったんだろう。男はそこで、意識を失った。
おっと、男は一巻の終わりかって? 慌てなさんな、続きがある。
大丈夫、男はまだ死んじゃいない。そうでなきゃ、この話が人に伝わるもんかい。この俺が、安い都市伝説をひねりもなく語るだけかと思うかい?
男が次に目を覚ました時、自室の布団で寝ていた。
あの悪夢からどうやって生還したのか、まったく覚えがない。気が付くと、そこにいたんだ。男は気になってすぐにエレベーターを確認しに部屋の外に出たが、やっぱりと言うか、夕べのボタンは見つからなかった。けれど、男が躍起になって押した緊急停止ボタンのカバー。そこは、開きっ放しになっていた。カバーにつけた傷も、昨日の錯乱が夢でなかったという証明になっていた。
一体、あれは何だったのか。男は当然のように、アパートの管理人にこの物件の過去を聞いた。昔は墓地じゃなかったのかとか、このアパートで死人が出なかったのかとか。しかし、目ぼしい結果は得られなかった。きな臭い話など、一つもなかったんだな、これが。男の捜査は暗礁に乗り上げたまま、また普段の生活に戻るしかなかったんだ。
けれど、異変はそれから始まった。
例えばある夜。男は何気なく窓を見た。すると、窓には手の形をした血跡がべったりついていたんだよ。繰り返すが、男の部屋は6階で、アパートのセキュリティは万全だ。こんなイタズラは不可能に近い。よしんば犯人が居たとして、男は恨まれる理由なんてない。何も語らぬ手跡だけに、それはより怖気を催した。男はある種の予感を抱きつつ、手跡を消した。もちろん、管理人に相談するような徒労もしなかった。
他にも、知らぬ間に服に黒い煤が焦げ付いていたり、食器が割れていたり、本棚に並べている本の順番がデタラメになったりしていた。当然、全て男の覚えにないものだ。ここまで来ると、男はノイローゼになった。様々な怪現象が男を追い詰めたのは当然として、何よりも男を苦しめていたのは、男の記憶に空白の時間が出来始めた事だった。
そう、男はふと気が付くと記憶を失っている……というか、記憶にない行動を取っているらしかった。しかもその間の自分は、どうやら常軌を逸しているらしい。例えばある日なんか、男が自我を取り戻した時には、床に不可解な魔方陣が描かれている最中だった。筆記用具を握り締めていた事から、やはり男自身が描いていた事に間違いはなさそうだった。
男は程なくして、悟った。あの日見た、地下の光景が自分を呼んでいるのだと。空白の時間は、日を追って増えている。このままいけば、やがて男は自我を失ったまま、地下へと消えていくだろう。もはや自分は、あそこから逃れる事ができない……と。
それを危惧した男は、これまで全て見聞きした現象をノートに書き留める事にした。特に、あのエレベーターのくだりからは綿密に。まるでそれは、死刑執行囚の最後の独白のようだった。
そうして……全てを書き終えて、男は安心した。これで、万が一自分が消えても、誰かがあのエレベーターの謎を解いてくれるかもしれない。少なくとも、自分の死は無駄ではないと。
男が安堵した直後だった。その瞳の光が人の色を失って――。
数刻後、エレベーターに一人の乗客がやってきた。頭上のランプは6Fから始まって、段々下に降りていき、B1に差し掛かって、やがて消滅して……。
さて、今度こそ俺の話はおしまいだ。アパートから一人の男が消えたが、世間様はそんなに騒ぎませんでしたとさ。メデタシメデタシ! BHのHはHell(地獄)だかHeven(天国)だかは、ご想像に任せるぜ。
……おや? ちょっとパンチが弱かったか? ……まぁ、ベタだもんな。この手の都市伝説。
でもまぁ、待てよ。面白い物を用意してあるんだ。
……ほら、さっき語った男の、最後の独白ノート。諸々の経緯で、俺が今預かってるんだよ。見てみるか?
ひひひ、そうがっつくなって。今開いて見せるからよ――ほら。
(ノートは何と、全てのページが真っ黒に塗り潰されている! 何が書かれていたのか、とても読めそうにない……)
――ひひっ、ご覧の通りだ。しかも、ボールペンだぜ、それ。もうこれだけで病的だよな。
どうしてこんなになっちゃったかな。男の第二人格がこれを始末したのか、それとも最初から全部男の妄想で、このノートは男の心的描写の表れだとか。ああ、俺のドッキリってオチもアリだな。真相はまさに闇の中、ってか。
ともあれ、今後エレベーターで見かけぬボタンがあったら気をつけろ、って話だ。
……アンタらに、「今後」があればの話だけどな。ひひひ。
(そう言って、男は蝋燭を一つ消した)
おしまい
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――狂気は、沈殿し溜まってゆく。 | ||
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