『やまない微熱』第1章その3
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「楠木先生」

 

 思ったより綺麗に出たソプラノ声に、発声した私自身が一番驚きました。

 

 私の予想通り、楠木先生は屋上にいました。ここは楠木先生の喫煙スポット。

 先生はタバコくわえてグラウンドを見下ろしていた。

 その後ろ姿からは憂鬱のオーラが湧き出している。

 前途有望な新米教師が、そんなことでは駄目ですよ。

 

「真湖、起きたのか……」

 

 私の声に、遅まきながら答えが返ってくる。

 

「帰るのか?」

 

「はい」

 

 私は短く返事をする。

 楠木先生は話のわかる先生です。私のことを束縛するようなマネはそうそうしません。

 だから他の先生の前でする虚勢はいらないんです。

 

「……そうか。気をつけろよな」

 

 楠木先生の口から出る言葉も社交辞令です。

 それでいいと私は思う。

 楠木先生は私の特別な人に、なり得ません。なる必要もないのです。

 教師と生徒の距離感は、他人行儀が丁度いい。

 

 私は先生の社交辞令を受け取って、踵を返せばいい。

 それでさようなら、また明日。それでいいはずなのに、今日の楠木先生の様子は少し気になった。

 

「どうかしたんですか? 先生、元気ないですよ」

 

 元気がないとは誰のことでしょう。

 いつでも死にそうな私が人の心配をするなんて、身の程知らずとは私みたいな人をいうのでしょう。

 

「お前に元気ないって言われてもな」

 

「私が元気だったことなんて、生まれてこの方一度もないですからね」

 

 楠木先生の皮肉に真実で返す。

 それがおかしかったのか、先生は苦笑いを漏らす。

 

「冗談にもならない話だな、それは」

 

「ええ、冗談なんかじゃなく、事実ですもんね」

 

「子供のくせして何を悟ってるんだ、お前は」

 

 悟ってる。私は昔からそう言われます。

 自分では煩悩から解脱した覚えなんかありません。

 私はただ世の中がそんな風に出来ていることを体験して来ただけなんです。

 

 楠木先生は短くなったタバコを携帯灰皿に放り込み、次の一本に火を点ける。

 そのタバコを口にするでもなく、落ち着かない様子で間を置いた。

 

「あのな……、彼女と、ケンカしたんだ」

 

 楠木先生は、ファンの女生徒が聞けば悲嘆の声をあげることを言います。

 その言葉に一瞬、頴田君の顔が頭を過ぎってドキりとする。

 恋の悩み。

 先生でも悩む男女の関係。

 

「生徒にする話じゃないですね」

 

「……だな」

 

 夕空の西風が私達二人を包み込む。

 楠木先生は自ら切り出した話に後悔したのか、口をつむぐんでしまいました。

 全く仕方がありませんね。ちょっとばかり相談に乗ってあげましょう。

 

「謝ればいいじゃないですか、ケンカをしただけなら」

 

「俺は悪くない」

 

 楠木先生は本当にそう思っているのでしょう。揺るぎない声で言い切りました。

 どんな理由でケンカをしているのか知りませんが、どうせ些細な原因でしょ?

 何とかは犬も食わないといいますし。

 

「どっちが悪いとかじゃないですよ。どっちが悪くても先生から謝ればいいじゃないですか。仲直りの秘訣です」

 

「お前な、簡単に言うなよ」

 

 他人事だから簡単に言えるんですよ、先生。

 

 頴田君に告白も出来ない私が偉そうなことを言っているんです。笑ってやってください。

 私は、自身では何も出来ない小心者です。

 

「お前……、付き合ってる奴とか、いるか?」

 

「先生、私にそれを言うのは酷いですよ。彼氏なんていないの知ってるじゃないですか」

 

 私と付き合ってくれるような奇特な人はいない。私と付き合えば不幸になる。

 こんな血を吐き散らす女と一緒にいても、楽しいことなんて一つもない。

 もし私と相思相愛になる人が現れても、先立つ不幸をどう謝ればいいの?

 私に人を愛する資格なんてない。

 

 でも……、そんな人間も恋をする。

 神様は残酷。私みたいな人間に、恋する心を与えるなんて。

 

「誰か、いい人が出来るといいな」

 

 楠木先生の一言が私に突き刺さる。

 

 無理に決まっているじゃないですか。

 私ですよ。私を愛してくれる男性なんているはずがない。

 彼氏なんて出来るはずがない。

 なのに先生はそんな綺麗事を言うんですか?

 

「……そうですね」

 

 私には、そう答えることしか出来ません。

 色んな悔しさに私は歯を食いしばる。

 

 私の苛立ちは一瞬でかき消させた。

 急に楠木先生がそわそわし始めたのです。

 それを懸命に隠そうとしている。なんだか滑稽です。

 

「携帯、出なくていいんですか?」

 

 音は聞こえなくとも、ポケットの中でブルってるのがまるわかりですよ、先生。

 

「メール」

 

 それだけ言うと、楠木先生はそそくさと屋上から去っていった。

 どうせ彼女なんでしょ? おアツイことで。

 

 やっと一人になれた屋上。

 風の強い屋上は、病弱な私の体にはオススメ出来ない場所。

 だけど私はこの屋上が嫌いじゃない。

 校内でいえば一番落ち着く場所だから。

 

 この学校の屋上は不思議な所です。

 普通の学校ならウザいバカップルがイチャついてたり、不良が溜まり場にしていたりしそうなものだけど、

 この学校の屋上には誰も近寄りたがらないのです。

 屋上で楠木先生以外に人がいるのを私は見たことがありません。

 

 その理由も私は知っています。

 私が入学する前の話だけど、飛び降りたらしい。

 それも相当、見事に飛んだらしい。

 

 噂ではいじめが原因だとかそういう話もありますが、学校側は受験の悩みが原因と発表している。

 私は飛び降りた本人と面識もありませんし、その真実を知りません。

 でも噂半分という言葉もあります。真実半分、嘘半分、そんなところでしょう。

 

 その飛び降りがあった直後、学校側は屋上のフェンスを頑丈で乗り越え防止の返しが付いた物に変更し、

 更に昇降口には鍵をかけた。

 それは当たり前の処置でしょう。

 今年の春に、私がキーピックセットで鍵を開けるまで、誰も屋上には入れなかったのだと思います。

 

 それなのに、この屋上に出るらしい。

 飛び降りた女生徒の霊が。

 ボサボサの髪を振り乱し真っ青な顔をして、今にも飛び降りそうに屋上から下を見つめているらしい。

 そんなのよくある怪談話です。

 ただ事実として、実際にあった飛び降り事件との相乗効果なのか、誰もこの屋上には近寄りたがらないのです。

 

 まぁそんなこと、霊感のない私には関係のない話。

 私は怪談も気にすることなく、この通り屋上に足を踏み入れています。

 

 施錠してあるはずの昇降口が開いたままで放置してある学校の警備体制に、私は呆れつつも感謝している。

 おかげで誰もいない屋上という希少価値の高い居場所を手に入れられるのです。

 

 でも、これでもし何か事故でもあれば学校の責任問題になるでしょう。

 例えば、また飛び降りとか……。

 

 正直に言ってしまえば、何度も考えました。

 

 その為に、屋上の鍵を開けました。

 

 今でも心の隅では「飛び降りたら楽になる」そう囁く私がいる。

 

 死んだら楽になるのかな?

 死んだら体を病気で蝕まれる恐怖から解放されるのかな?

 今まで何度も考えました。

 でも私には勇気がなかった。

 死ぬのって怖い。

 冗談じゃなく、怖い。

 

 最近リストカットする若者が増えているってテレビでやっているけど、

 その子達はたぶん本気で死ぬ気がないんだと思う。

 周りに「私は死にたがってますよ」って振りまいているだけ。

 周りの注意を引きたいだけ。

 なんてお子様な人達なのでしょう。

 本当に死にたいのなら、他にいくらでも方法はあるのに……。

 

 私はこれまで『本当に』死にかけたことが四度ある。

 次の朝に目覚めることはないだろうと覚悟しただけで四度。

 

 ナースコールも出来ず虫の息で喘いでる私を見つけたときの看護師の無理矢理殺した悲鳴を聞いたことがある?

 自分の耳元でバイタルの電子音がどんどん聞こえなくなっていく恐怖を知っている?

 

 本当に恐いんだよ。

 死ぬのって恐いんだよ。

 

 その恐怖に打ち勝つことなんて出来ない。

 ただ、まだ死にたくないって強く思った。

 本気で願った。

 生きる為なら、何だってしようと決意した。

 

 何だってしようと思っても何も出来ない私。

 苦しみ悶えることしか出来ない私。

 思い出しただけで泣きそうになる。

 

 私はフェンスに寄りかかるように下を見る。

 見慣れたグランド。見慣れた地面。

 五階の高さがあるのに地上が直ぐ近くあるように感じた。

 そんな私を堰き止めるかのように、うざったい風が私の髪を吹き上げる。

 

 私が屋上から飛び降りたくなる衝動は、逃げなのです。

 フェンスを越え、空に吸い込まれ死んでも、数年後に病気で死んでも大差はない。

 だったらいっそ、今ここで……。

 

 でも、私はここで死ねないことを知っている。

 私には、この飛び降り防止フェンスを乗り越える体力すらないのです。

 フェンスは見事にその役目を果たしている。

 ここは私の死に場所になりえません。

 

 

 

 あぁ〜、またやっちゃった。

 

 どうして私、こんなダークになってるの?

 

 別に、私は死にたがりじゃないのに。

 屋上にだって、私の密かな楽しみを満喫しに来たのに。

 どうしてネガティブオーラをぷんぷん出してるのでしょう?

 

 私はスキップするぐらい意気揚々と校舎の北側に移動する。

 本当はスキップしてもいいぐらいだけど、運動音痴の私はそもそもスキップすることが出来ません。

 

 私は昇降口の外壁に背を預け、足を抱えるように座り込んだ。

 そして、自分の心音が聞こえるぐらいに耳を澄ます。

 

 風が吹きすさむ音以外は何も聞こえない。ちょっと遅すぎたかな?

 放課後も随分遅い時間となってしまいました。あと三十分もすれば最終下校時刻。

 そろそろ帰る準備をしていてもおかしくありません。

 

 私の今座っている場所の真下には生徒会室があります。

 なんと、そこに頴田君がいるのです。

 

 一年生の私達は生徒会役員になれませんが、頴田君の中学校の先輩が生徒会にいるとかで、

 頴田君は生徒会のお手伝いをしているのです。

 

 頴田君は帰宅部だし、頼まれたら断れない優しい人。

 文化祭が二週間後に迫ったこの時期、頴田君は毎日忙しく生徒会室で仕事を手伝っているのです。

 それを知った日から、この屋上に来て生徒会室から漏れ聞こえる音を聞くのが私の楽しみとなりました。

 

 確かにそう都合よく頴田君の声が聞こえるわけでもないですし、黙々と作業するときだってあります。

 別に私は生徒会室の会話全てを聞きたいわけじゃありません。

 なんと言うか、勉強中にかけるラジオみたいなもの。

 意識して聞いているわけじゃないけど音は耳には入ってくる。

 心を落ち着かせる為に流すBGM、そんな感じです。

 

 それから数十分、私は生徒会室の音を聞きながら沈みゆく夕日を眺めてた。

 

 私は、この何することもない無駄な時間が好き。

 ただ流れるだけのこの時間が好き。

 頴田君を少しでも感じられるこの時間が大好き。

 

 でも、そんな夢のような時間も長続きしない。

 夢というのは必ず覚める物。

 私は静かに屋上を後にする。

 

 私はちょっと早足で下足室に向かいます。

 早足程度の負荷で私の心肺は悲鳴を上げる。

 ちょっとの辛抱だから、下足室に着いたら止まるから。

 そんな言い訳を自分の体について私は急ぐ。

 

 中庭の渡り廊下を過ぎれば下足室というところまでは順調に降りて来れました。

 でも、体力ゼロ・運動神経ゼロの私にそんな急激な運動は負荷が強すぎたようです。

 足の疲れから私の足はもつれてしまい、前のめりに転げて、って、そこどいて!

 

「きゃ」

 

 急に私の目前に現れた人影が黄色い声を上げる。

 そんな声出されても、足がもつれた私が避けられるはずがありません。

 私はそのままその人影に体当たりする格好となってしまいました。

 

 大衝突を覚悟した私の体は、拍子抜けするぐらい簡単に止まりました。

 私の体はすっぽりと相手の懐で受け止められていた。

 

「一体、何?」

 

 私が衝突した人影が声を上げる。

 

 ん? この声は私の知っている女性の声です。

 

「マコ?」

 

 それは相手も同様のようで、私のことを知っていました。

 

「か、要〈かなめ〉さん?」

 

 私もようやくにして、ぶつかった相手が誰なのかがわかりました。

 

 今日は全くついていません。

 たまたまぶつかった人物が要葉子〈かなめ・ようこ〉、私が最も苦手にしている人物だなんて。

 

「何? 最近の小学校では廊下で体当たりするゲームが流行ってるの?」

 

 要さんはにやついた笑いで私を見下ろします。

 その表情は初めて会った一年半前となんら代わり映えしない。

 ほんと、鬱陶しいの一言です。

 

 確かに私の体は小学生並に小さいけれど、そんな言い方は酷いと思いませんか?

 相変わらず要さんは人が言われて嫌なことをズケズケと言うものです。

 

「好きこのんで要さんに当たりに行くわけありません」

 

「はいはい。危ないから廊下では走らないようにしましょうね」

 

 まるで子供をあやすような口調。

 そういう要さんの態度が癇に障る。馬鹿にしないでよ。

 

「私は急いでるの!」

 

 私は苛立った気持ちをそのまま言葉にした。

 その様子に要さんが少し驚いた表情を見せる。

 でもすぐに要さんはにやついた顔に戻り、私の頭を鷲づかみにする。

 

「あのね。当たったのが私だからよかったけど、普通の女の子だったらマコの体当たりでも怪我をするかもしれなかったんだからね。反省してる?」

 

 確かに要さんとぶつかったのは、早足で急いでいた私に責任がある。

 それくらいわかってるけど、そんな態度と物の言い方をされると、素直に謝る気が削がれます。

 

「何それ? それは自分がバスケ部のエースだから人とは全然違うって自慢してるの?」

 

「マコ。あなたは自分が悪いのに、ごめんなさいも言えないの?」

 

 要さんの言葉に、私はぐうの音も出ません。

 

 知っているくせに。

 私が死んだ母から「謝るべきときに謝らないのは卑怯な人」と口を酸っぱく言われていたのを知ってるくせに。

 そんなことを言うなんてそれこそ卑怯です。

 

「ご……、ごめんなさい」

 

 要さんの言いなりになるのは気が進みませんが、亡き母の教えを破るなど私には出来ません。

 そういえば、母の教えのことがどうして要さんにバレたんでしたっけ?

 要さんとは去年一緒のクラスでしたが、もちろん仲良くした覚えはありません。

 まったく秘密とは知られたくない人物にほど漏れるものです。

 

「それでよろしい」

 

 私の謝罪に要さんは満足げな笑みをこぼす。

 先ほど私の頭を鷲づかみにした要さんの手は、いつの間にか私の頭を撫で回していた。

 

 やぱっり苦手。

 要葉子は私の天敵なんです。

 

「で、マコは急いでるんじゃないの?」

 

 はっ! そうでした。

 私は下足室に急行している途中でした。

 要さんにかまっている暇はありません。

 

「か、要さんはもう帰るの?」

 

「私? 私は職員室に体育館の鍵を返してから帰るけど……。ま、まさか。マコ、私と一緒に帰りたいの?」

 

 冗談はよしてください。誰が要さんと帰るものですか。

 要さんがこのまま帰るために下足室に向かったら邪魔だから聞いただけです。

 でも職員室に寄るなら、まぁ大丈夫でしょう。

 

「それは本当に『まさか』です。あり得ないじゃない」

 

「……そうね」

 

 言い出した要さん自身が納得した。

 私と要さんはそんな関係ではありません。それは要さんもわかってるでしょ?

 

「それじゃあ」

 

 私は要さんの返事を待たずに再び早足で下足室に向かった。

 要さんとのじゃれ合いが私の体には、いい休息になったのでしょう。先ほどもつれた足はしっかりと動いてくれました。

 

 最終下校時刻が迫り、下足室は最後の賑わいを見せていた。

 顔も知らない生徒達が流れていく。

 靴箱を閉める音が「さよなら」の挨拶と共にアンサンブルを奏でている。

 

 私の鼓動は高鳴ります。

 落ち着いて、落ち着いて、落ち着け私。

 心を落ち着かせる為に数を数えていく。ひとつ、ふたつ、みっつ……。

 

「じゃあ、また明日」

 

「それじゃあ……」

 

「おつかれ〜」

 

 生徒会の面々の声。

 そんな中に頴田君の声を聞き取る。

 

 よかった。頴田君はまだ帰ってないかった。

 私は自らの幸福に感謝する。そして聞き慣れた足音が近づいてくる。

 

 来た。来た。来た、来た、来た。来た来た来たっ。

 

 私は自分の靴箱に手をかける。

 高鳴る鼓動を無理矢理抑え込む。

 もうすぐ、もうすぐ、もうすぐ。

 

「あっ、頴田君。今日も遅いね」

 

「……っ。」

 

 私は待ちきれなかった。

 私達のクラスの靴箱に近付いてくる頴田君の気配に私はしびれを切らしてしまった。

 私は頴田君の姿がまだ見えていないのに、用意していたセリフを口にしてしまったのです。

 

 靴箱で仕切られた下足室。

 視界は靴箱で遮られてて誰が近づいてくるとか、全然見えないのに……。

 

 私の姿が見えていない状態で、いきなり声をかけられた頴田君は完全に戸惑っている。

 

 まずい。

 まずいまずい。

 声をかけるのが早すぎる。

 これじゃあ、待ちかまえてたみたい。

 頴田君が私に気付いて、頴田君から声をかけてもらってから言わないとダメじゃない、私!

 

 靴箱の列を曲がって、やっと私と顔を合わせた頴田君。

 私は恥ずかしくって彼の顔をまともに見ることが出来ません。

 でも彼が不審に思っている雰囲気はひしひしと伝わって来ます。

 なんとかフォローしなくちゃ。

 

「……頴田君。今日もありがとうね」

 

 私は出来るだけ平然を装って、保健室に付き添ってくれたお礼を言う。

 

「俺は別に何もしてない」

 

「ううん。いつもありがとう」

 

 違うの。違うの。違うの。

 

 私が言いたいのはそんな言葉じゃない。

 これまでの人生で何千回、何万回言ったことのある言葉じゃないの。

 私が言いたいのは、私がまだ誰にも言ったことのない言葉なの。

 

 私の口からは、私の言いたい言葉が出てこない。

 前に進めない私。

 意気地のない私は頴田君との距離をずっと詰められずにいる。

 

「お前、いつも遅いな。……保健室にいたのか?」

 

 頴田君の方から声をかけてもらえた。

 たったそれだけのことなのに、私の心は小躍りしてしまう。

 

「うん、あれから寝てたから」

 

 寝てたのは確かだけど、ちょっと嘘ついちゃいました。

 

「そっか……、また明日な」

 

 頴田君の別れの挨拶。それを聞いて私は嬉しくなる。

 うん、また明日。

 また明日も会えるんだ。

 明日も頴田君に会ってもいいんだ。

 

 それが今の私の生きる原動力。

 

「うん、また明日」

 

 私は職員室で教師に見せた微笑みの何十倍も、精一杯に微笑んだ。

 

 大丈夫? 変な顔になってない?

 

 私、ちゃんと笑えてる?

 

 

 

 

 

 

(第1章の4につづく)

説明
幾度となく血を吐き捨てる私。
いつに死ぬともわからぬ私。
惨めに死を待つしかない私。
そんな私でも恋をした。
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