『やまない微熱』第1章その4
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「ただいま」

 

 私の帰宅の挨拶に屋内は沈黙を保ったまま、

 いくら待っても家の中から「おかえり」の一言はありません。

 そんなこと、始めからわかっています。

 

 誰もいないと知っているのに、帰宅の挨拶は欠かさない。

 それは死んだ母に散々仕込まれた習慣だった。

 挨拶は元気よく、元気がなくても元気よく。

 私と同じく病弱だった母は、私なんかより遙かに笑顔が優しい人でした。

 

 その笑顔にほだされて結婚した父は、今日も仕事で遅くなるのでしょう。

 母が死んでから、男手一つで私を育ててくれた父。

 体の弱い私を一人にしたくない父も、仕事を投げ出すわけにはいかないのです。

 私達の生活を守る為に……。

 

 だから、家に帰っても私は多くの時間を一人で過ごす。

 父が帰ってくるのは夜の十一時を回ることが多い。

 大抵は残業で忙しいし、よく付き合いやら接待やらと客先関係で断れないらしい。

 建築士とは苦労の多い商売みたいです。

 

 誰もいない家。もう慣れてしまって、いちいち寂しいとか愚痴を言うことはありません。

 ただ、母が生きていた頃の家族三人の生活を不意に思い出してしまうだけです。

 

 私は学校の帰りに買ったコンビニ弁当を温める。

 父の仕事が忙しくないときは、父が手料理を作ってくれて一緒に食べるのですが、最近は特に仕事が忙しいそうです。

 

 私一人だとコンビニ弁当が一番早い。料理は嫌いじゃないけど、得意でもありません。

 私の弱々しい手に包丁を握らすのは不安があったのでしょう。

 私は学校の家庭科以外で料理を教えてもらったことがないのです。

 

 でも、死んだ母は私と同じぐらい弱々しい手で台所に立っていた。

 私は母が食事の支度をするのを、いつも後ろで眺めていた。

 そうする内に、母のか細い手が重々しい鍋を持ち上げるのを、つい手伝いたくなってしまうのです。

 そんな時、私は絶望する。

 母の手よりも更に小さく、更に脆弱な私の手に気付いて……。

 

 もちろんそれは母が生前の話。

 今では私もそれなりに成長して、手もそれなりに大きくなりました。

 それでも、私の記憶の中で私を抱いてくれる母の手は、今の私の手なんかよりずっと大きかった。

 

 十六となった今でも、私は料理をする資格がないと思っています。

 料理なんて重労働をするぐらいならコンビニ弁当を選ぶ。

 それが現代日本の知恵。それが私の現状。

 栄養が偏りがちだけど、サプリメントなら山ほど持ってます。

 一時期、点滴だけで生活したことのある私です。それでなんら不満はありません。

 

 一人寂しい食事を終え、私は自室に戻る。

 副交感神経が高まる夜に出掛けるなんて自虐的行為は好みませんし、居間でテレビを見るのも好きじゃない。

 華々しく芸能人が活躍する番組なんか見てると、体が弱く何も出来ない自分が惨めになる。

 

 昔はそういう華やかな世界に憧れたこともありました。

 いつか体が丈夫になれば、私もテレビに映る人達のようになりたい。

 子供のささやかな夢でした。

 それもその「体が丈夫になる」という前提条件がありえないと知ったときについえました。

 

 私が見るテレビ番組なんてニュースぐらい。

 私が最も知りたい情報は天気予報、明日の気温と湿度。私の体に関わる最重要項目。

 

 体温調節を怠ると直ぐに体調を崩す私。

 そんな私にはお笑い芸人のネタも、ドラマにでるタレントのゴシップも必要ありません。

 

 学校での話題に取り残されないかって?

 残念ながら、私の生活はそんなどうでもいいことに浪費する余裕もないし、そんなことを語らう交友関係もない。

 テレビの話で盛り上がるような仲間なんて、私には一人もいない。

 

 私は友達のいない寂しい奴。

 いえ、一般的に言う『友達』なら数人いるかもしれないけど、その友達って本当の友達かな?

 友達って何なのかな?

 

 友達は私が苦しんでいるときに助けてくれる人?

 

 違う。

 

 私が助けを求めれば、大抵の人は助けてくれる。

 結局人を助ける助けないなんて、その人の自己満足だ。

 私と友達かどうかなんて関係ない。

 

 友達は私の苦しみを共有してくれる人?

 

 絶対、違う。

 

 私の苦しみは、私にしかわからない。

 同じような境遇の人がいたとしても、それはその人の苦しみであって私の苦しみじゃない。

 私の苦しみは私だけのもの。

 どんなに共感出来たとしても、苦しみは共有出来はしない。

 

 じゃあ、友達って何だろう?

 

 学校でいつも一緒にいる人?

 

 それってクラスメイトと何が違うの?

 

 そんなこと考えるのって変なのかな?

 

 

 

 あ〜、も〜、また何考えてるんだろ私。

 

 私はベットに倒れ込み、布団に顔を沈める。

 柔らかい布団の感触に安堵の気持ちを覚える。

 

 やっぱり自室は落ち着きます。

 ここは私が人生の大半を過ごして来た部屋。

 

 以前、私の家族は一般的に見ても羨まれるような高級感のある分譲マンションで暮らしていたそうです。

 でも、アレルギーをおこす私の為に売り払い、空気の綺麗なこの街の、この古い木造住宅に移り住みました。

 

 本当に両親には感謝している。

 この家は今まで私の命を守ってくれた。私に優しい家。

 だから私はこの家が大好きです。

 

 ふふふふ。

 そんな居心地のいい私の部屋に、最近秘密が出来ました。

 

 なんと、壁に頴田君の写真が飾ってあるのです!

 それもA4用紙を八枚つなぎ合わせて、でっかくしてみました!

 

 これはちょっと苦労しましたよ。

 写真屋で引き伸ばしてもらうなんて恥ずかしいですから、スキャナで写真を取り込んで、自分で頑張りました。

 

 ついでに、横に写っていた邪魔な男子は編集して削除。もう、完璧です。

 

 この写真は九月にあった校外学習のときの物です。

 私は熱を出して行けなかったけど、写真は光画部の知り合いから手に入れました。

 頴田君の横顔ベストショット。

 残暑で暑かったのか、なにげにシャツがはだけてる!

 

 もう、撮った光画部の風祭君、グッジョブ!

 君は未来の光画部のエースだ! 私が認定してあげます。

 

 というわけで、私の部屋には頴田君がいます。

 もう幸せです。

 

 でもでも、今はこれ一枚しかないんです。

 見ててください。そのうちに第二、第三の頴田君を手に入れて、ふふふふふふふ、ぶぅ。

 

 腹の奥底、横隔膜が捻り上がるのがわかる。

 急激な嘔気。

 さっき食べたコンビニ弁当の味が蘇る。

 それを無理矢理に押し込めた。

 

 なんとか飲み込んで嘔吐は防いだけど、口の中には酸っぱい胃液の味が広がっていた。

 

 ちょっとばかり、はしゃぎ過ぎたのかもしれません。

 元々食欲がないのに無理して詰め込んだ食事です。

 体が受け付けてくれないのも重々承知。こんなの、いつものことです。

 

 でも、頴田君の写真の前でモノを吐き出すわけにはいきません。

 僭越ながら、ちょっとお手洗いに行って来ます。

 

 

 

 出す物を出した私は、疲れからか直ぐに眠りについた。

 胸焼けや不快感は残っていだけど、年中ボロボロの体を持つ私は、苦しいときでも無理矢理に寝る術を知っている。

 明日の目覚めが良いこと祈りながら、私は眠りに落ちる。

 

「頴田君、おやすみなさい」

 

 壁に貼られた頴田君は、物思いの表情を浮かべたまま、何の返事もしてくれなかった。

 

 

 

 

 

(第2章につづく)

説明
幾度となく血を吐き捨てる私。
いつに死ぬともわからぬ私。
惨めに死を待つしかない私。
そんな私でも恋をした。
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