『やまない微熱』第2章その1
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 第二章 「優しい人」

 

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 天高く馬肥ゆる秋。

 

 馬が肥えるかどうかなんて知りませんが、残念ながら私の体重は秋でも正月でも全く増えません。

 それが羨ましいですって?

 

 ははっ、それはダイエットという名の幻想に取り憑かれた浅はかな生物の貴重なご意見です。

 

 昼休みの教室内はあちこちから話し声が聞こえる。

 私にしてみれば、そのどれもが耳障りではあるけれど、私だって珍しく話をしている身です。

 人をどうこう言うことは出来ません。

 

 ダイエットの話題は女子高生なら誰でも好きだと思っている人がいることでしょう。

 十六にもなって小学生に間違えられる成長の遅れた体を持つ身にもなってください。

 頑張って食べようとも栄養は体に回らないようで全く効果なし。

 そもそも量を食べることが出来ぬ体を持った人の気持ちを考えたことがありますか? 

 ケーキバイキングに行ってもケーキ二つで限界が来る無念を知っていますか?

 

 それが目の前で〇.五キロ増えたのなんだと騒がれては、私が不快に思うのも当然というものでしょ、綾瀬さん?

 

「そう言う真湖さんには、日夜カロリー計算と闘う乙女心がわからないんですね」

 

 クラスメイトの綾瀬さんは口を尖らすように言う。

 健康的で可愛い彼女が自身を乙女と表現するのに、なんら不満は浮かばなかった。

 

「それはもう全然わかりません。あぁ、せめてあと五キロは欲しいんだけど。なかなか増えないの」

 

 私は演技をするように大きめのわざとらしい声で言う。

 

「真湖さん、喧嘩売ってる?」

 

 不思議そうに綾瀬さんが聞き返す。

 別に怒った様子はありません。それじゃちょっと張り合いがない。

 

「ええ、そりゃあもう盛大に。私は綾瀬さんに毎日喧嘩売られてる気分ですから」

 

「えっ? どうしてよ? 私が何かした?」

 

 本当にわからないの綾瀬さん?

 意外とおまぬけだったんですね。

 

「そんなウシチチを毎日見せられたら、私が幼児体型のチビだってのを差し引いても、ひねくれたくもなります」

 

 私達の会話が聞こえていたのでしょう。

 窓際に集まっていた女子グループが無意識に頷いている。

 それに対して教室の後ろ側でゲームの話に盛り上がっていた男子グループの会話が止み、

 こちらに聞き耳を立てているのが手に取るようにわかりました。

 

 今は昼休み。食事後の自由な時間。

 そんな時でも、私は自分の席から離れない。

 それにはいくつか理由があるけど、やっぱり一番の理由は食べて直ぐ動くと気持ち悪くなるからです。

 そして何より、私は他に行く宛がない。

 

 私はこのクラスに暗黙の内に形成されるどの女子グループにも入っていません。

 一度でも学校生活を体験したことがある者ならその意味がどういうことか理解出来ると思います。

 特に女子なら尚更のこと。男子の比較にならないぐらい陰湿なのが女同士の関係って奴です。

 つまり、私はクラスで完全に浮いた存在なんです。

 

 これで私の体が弱くなければ、当然の如くイジメの対象だったのかもしれません。

 でも、私はイジメの類は受けていない。

 お気楽高校生の無い頭でも、考えればわかるのでしょう。

 私に何かをすれば、私は直ぐに壊れてしまう、ひびが縦横無尽に入ったガラス細工だということを。

 

 どうせ留年生の私は厄介者。更に異常なほど体が弱いときている。

 発熱、目眩に吐血。私の体はいつだってスクラップ寸前。

 私に関われば迷惑を被ることはわかりきっている。

 私に近づいてくるなんて物好きな人は滅多にいません。

 

 私に話しかける人なんて、席が前後のよしみで綾瀬さんぐらいなもの、

 彼女にしても時々の気まぐれに私の相手をしているの過ぎません。

 綾瀬さんもクラスで完全な孤立者を出すのが怖いのでしょう。

 いえ、完全な孤立者のいるクラスの陰湿感に苛まれることを避けたいのかもしれません。

 

「う、ウシチチ……」

 

 そんな綾瀬さんも、私の意地悪な言葉を受けて、顔を真っ赤にしていた。

 自分の豊満なバストを指摘された羞恥心か、それとも気にしていることを言われた怒りか。

 どちらにせよ、綾瀬さんのそういう顔を初めて見ました。

 

「そうでしょ綾瀬さん。小柄で可愛らしいって言葉がぴったりな綾瀬さんが、学年で一、二を争う巨乳なんですよ」

 

 耳を澄ましていた男子達が妙にざわめき立つ。

 次いで「やっぱり?」「前からそうだと思ってたけど」などと小声で噂し合うのが男女を問わずクラス中から聞こえてくる。

 

「ふふふ。真湖さん、冗談ばっかり。真湖さん私のスリーサイズなんて知らないでしょ?」

 

 わざと教室中に聞こえる声量で綾瀬さんは取り繕った。

 動揺を隠そうと必死になった作り物の笑みは、見ていてなかなか面白いものです。

 

「私、毎日のように保健室行くから……。由利先生ね、よく忘れてるの。書類とか机の上に出しっぱなしで。十月の身体測定……」

 

 私はわざと言葉を濁した。それでもクラスの男子どもは、色めき立っている。

 そりゃ綾瀬さんの胸が大きいのは見れば分かるけど、実測値ともなれば、なかなかゴシップな話です。

 こういう話題は男女を問わず好きなんですね。

 

 言われた当人の綾瀬さんを見れば、顔を伏せて拳を握り締めていた。

 その顔は笑みが崩れ、情けなく歪んでいる。

 どうやら顔を赤らめていたのは羞恥心の方だったみたい。

 

 私は綾瀬さんが嫌いではありません。

 綾瀬さんは私に気を使ってくれる。私が孤立しないように、私に話しかけてくれる。

 それにはすっごく感謝している。

 ほんと嬉しいんだよ、私。

 

 でも、頼んでない。

 

 私、そんなこと頼んでない。

 

 私を憐れんで優しくしてくれるなんて真っ平御免。

 私に同情なんていらない。上から手を差し伸べてやるなんて、見下した扱いなら要らない。

 

 あなたは頴田君とは違う。

 頴田君はそんな「クラスのかわいそうな子に優しくしてあげてますよ」みたいな振りまきなんかしない。

 頴田君は私じゃなくても、他の誰が見てなくっても、いつだって、誰だって、見返りなく助けてくれる。

 綾瀬さん、あなたの優しさなんか偽物だ。

 

 悔しかったら私と対等になって。

 孤立することを恐れていない私は、孤立することを恐れて人と同じことしか出来ないあなた達には出来ないことが出来るんです。

 

 悔しかったら私に反撃してよ。

 私と対等の友人だっていうのなら、やられたらやり返せ。

 相手が体の弱い私だから何も出来ないなんて、そんなの嘘だ。

 

 私の思いとは裏腹に、伏せた顔の隙間から垣間見える綾瀬さんの瞳は涙を溜めていた。

 打ち震えて何も出来ないでいた。

 

 あ〜あ。泣かせた。

 悪いことをしていない綾瀬さんを私が泣かせました。

 悪いのは全部私です。私は悪い子です。

 

 私は無意識の内に頴田君が教室にいないことを確認してしまう。

 頴田君がまだ学食から帰って来ていないのはわかっていましたが、頴田君にこんな場面を見せるわけにはいきません。

 

 しかし、別の意味で関わりたくない人に見られてしまいました。

 

「どうかしましたか?」

 

 私達の会話に割り込んでくる度胸のある人がいる。

 綾瀬さんが声を上げて泣き出しそうになったその時を狙ったかのように、クラスメイトの新垣さんが教室に帰って来たのです。

 ほんとに間の悪いこと……。

 

 私の学年で一番綺麗だと評判の新垣美砂〈にいがき・みさ〉。

 今流行のモデルに似せた髪型で、私から見ても美人の部類に入るでしょう。

 そしてなにより、明るく活発な女の子。

 私とは全く違う人種の娘です。

 

 いえ、彼女を形容するのにそんな言葉は相応しくありません。

 私のクラスで一番大きな『なかよしグループ』のリーダー格である、と言うべきです。

 

「真湖さん、これはどういうこと?」

 

 どこからどう見ても、私が綾瀬さんを泣かせたとしか見えない構図。

 実際にその通りなのですが、そんな状態で女の子グループでお山の大将をしている新垣さんに割って入られると、

 話がややこしくなります。

 

「な〜んてね。由利先生がそんな個人情報を漏らすような、おまぬけなことするはずがないじゃない。身体測定の結果なんて知らないわよ、私」

 

 私はわざとらしいフォローの言葉を述べる。

 

 ホントは知ってるよ。

 全校生徒の保健データが入っているパソコンのパスワードだって知っているんだから。

 

「綾瀬さん可愛いから、ちょっと言ってみただけよ。ね、綾瀬さん?」

 

「う、うん」

 

 私の言葉に綾瀬さんは何とか返事をした。

 

「ちょ、ちょっと?」

 

 教室に帰って来たばかりで事情のわからない新垣さんは、さすがに対応に困っている。

 どうせ、彼女はケンカをした二人を仲裁して自分の株を上げようとでも思っていたのでしょう。

 残念ですが、そんなことは私がさせません。

 私が原因で人の評価が上がるなんて愚行を私が許すはずがない。

 

「もうすぐ予鈴が鳴るから、お手洗いに行きましょうか」

 

 私はそう言うと、綾瀬さんの手を握り、有無を言わさず教室から連れ出した。

 

「ちょっと、あなた達!」

 

 新垣さんが引き留める声が聞こえたけど、私はそれを完全に無視した。

 

 私達が去った教室は、ちょっとざわついていたようだけど、それほど問題にもならないでしょう。

 当人同士が仲良く手を繋いで消えたのです。

 前提条件として、病弱チビの私は生物学的にも物理学的にも綾瀬さんをいじめるなんて出来ないんだから。

 

 別に大喧嘩をやらかしたわけでもなく、教室を離れれば、そこはいつもの昼休みの学校だった。

 休み時間独特の喧騒があちこちから聞こえてくる。

 

 誰も私達二人のことなんて気にしない。

 体が異常に弱いと噂の私が、顔を伏せた女生徒の手を引っ張って歩いていても、誰も気にしない。

 そんな無関心で世の中は出来ている。

 

 そんな事実、知ってた綾瀬さん?

 知らなかったよね。普通にのうのうと生きてきた綾瀬さんなら。

 

 私は本当に綾瀬さんをお手洗いに連れ込んだ。

 建前でも何でもない。私は綾瀬さんが落ち着くのをここで待つつもりでした。

 都合の良いことに女子トイレには誰もいない。

 昼休みの終わりかけという時間帯を考えると、本当に都合のいい偶然です。

 

「ごめんなさい、綾瀬さん。ちょっと言い過ぎた」

 

 私は素直に謝った。正直、罪悪感はほとんど感じていない。

 

「……どうして、あんなこと言うの」

 

 綾瀬さんには私の言動が理解出来ないのだろう。

 そんなの私にだってわかんない。特に理由なんてない。

 強いて言うなら、私にだってストレス発散が必要なんだろうと思う。

 

「そっかぁ、綾瀬さん、胸が大きいこと気にしてたんだぁ。全然知らなかった」

 

 うん、知ってたよ。綾瀬さんが胸のこと気にしてたの。そんなことぐらい、同じクラスになったのなら誰だってわかるよ。

 

「そう……」

 

 私の言葉を信じたのかどうかはわかりません。

 でも綾瀬さんはそれ以上何も言わなかった。

 私も何も言わず、綾瀬さんが落ち着きを取り戻すのを黙って待っていた。

 

 二人の人間がいるトイレなのに、物音一つしない不思議な空間がそこにはあった。

 そんな静寂を予鈴が遮る。昼休みはもうお終い。

 

「……もう、大丈夫」

 

 綾瀬さんがやっと顔を上げた。

 目は少し充血していたけど、それ以外はいつもの綾瀬さんだ。

 

「綾瀬さん。蒸し返すようで悪いんだけど、一つだけ言わせて」

 

 私は胸を張るように言った。私の弱々しい声なのに、タイル張りのトイレに仰々しく響いてしまった。

 

「何?」

 

 綾瀬さんは少し戸惑うようだった。

 そりゃ、さっきあんなことをされたばかりです。

 私から何を言われるか、わかったものじゃない。

 

 綾瀬さんが身構えたのに満足して私は切り出した。

 

「たかだか身体的特徴をどうこう言われたぐらいで、泣くようなら、この世の中やっていけないわよ。チビ、ハゲ、デブ。そんなの言う側にしてみれば挨拶みたいなもの。気にしてたら、きりがないわよ」

 

 綾瀬さんは私の言葉に押し黙った。

 私の言いたかったことが伝わったのでしょうか?

 私は結構重要なことを言ったつもりです。

 「ここテストに出ますよ」そんな感じです。

 

「真湖さんは……。ううん、真湖さんは強いんだね」

 

「私が強い? 馬鹿なこと言わないで。こんなにも体の弱い私が強いわけないじゃない」

 

「ありがと、真湖さん」

 

 綾瀬さんが奇妙なことを言う。

 ありがとう? 私の記憶が確かなら、それは感謝の言葉です。

 まず小学校の国語からやり直した方がいいんじゃないですか、綾瀬さん?

 

「お礼を言われるようなことは何もしてない。責められることならしたけど」

 

「いえ、真湖さんが優しいから、お礼を言うの」

 

「何言ってるんだか……」

 

 私は呆れ混じりで肩をすくめる。

 泣かされてお礼を言うなんて、綾瀬さんはMの類かしら?

 

「真湖さん、戻りましょ。クラスの子が心配するから」

 

「案外、誰も心配してないんじゃない? 私達のことなんか。……先に行って。綾瀬さんが笑顔で教室に帰れば、問題ないでしょ?」

 

「先にって、一緒に帰りましょうよ」

 

 綾瀬さんが私に手を差し出す。

 お手洗いに来るときは私が綾瀬さんを引っ張って、今度帰るときは綾瀬さんが私を引っ張って行くっていうの?

 

「ごめんなさい。ちょっとテンション上げ過ぎたみたい。……気分が悪いの」

 

 それは本当でした。

 教室を出たあたりから胸の下辺りが妙に重い。

 それに熱っぽい。

 体調悪化の典型的な兆候です。

 

「真湖さん、大丈夫?」

 

「大丈夫だから綾瀬さん。先に帰ってて」

 

「でも……」

 

 綾瀬さんは喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。

 

 私が先に帰ってと言っているのです。

 それなのに私の意思を無視するの?

 私は綾瀬さんの後ろ髪を引っ張ろうなんて、これっぽっちも考えてないんだよ。

 

「ごめんなさい。一人にさせて。辛かったら自分で保健室に行くから」

 

 私は差し出された綾瀬さんの手を軽く払い除けた。

 

 綾瀬さん、これはあなたにはどうすることも出来ないの。

 これは私の闘い。

 私がこの弱々しい体と一人で闘わなくちゃいけないの。

 

 それにね。

 私を保健室に連れて行っていいのは頴田君だけなんだから……。

 

 綾瀬さんは払い除けられた自分の手と私を交互に見据え、罪悪感にまみれた表情をした。

 

「心配しなくても大丈夫、私も直ぐ行くから」

 

 私は自分の言葉に苦笑する。

 そんなセリフ完全な死亡フラグじゃない。言ってる私が笑えてくる。

 

 でも、それは洒落には出来ない言葉。

 油断すれば本当に死にかねないのが私の体。

 

 私との別れが惜しいかのような視線を残し、綾瀬さんは立ち去った。

 

 それを見届けてから、私は背を壁に預けた。

 そして、深い呼吸を一、二回。

 それでどこが悪いのかを探る。

 私には手慣れたもの。だって毎日やってることなんですから。

 

 私の苦笑は、誰もいない女子トイレに響き渡る。

 

 私負けないんだから。こんなところで調子を崩すなんてありえない。

 気分が悪くなって保健室に行くのなら授業中に。

 頴田君のいるときに。

 それまでは絶対、負けないんだから。

 

 

 

 

(第2章の2につづく)

説明
幾度となく血を吐き捨てる私。
いつに死ぬともわからぬ私。
惨めに死を待つしかない私。
そんな私でも恋をした。
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