ドゥー・ユー・リメンバー・ミー
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「おはよう、プロデューサー」

「おはよー! 伊織ー!」

「なぜかアンタに、そういう呼び方されると、腹が立つわね……」

「あれ、今日の伊織は随分ご機嫌斜めだな。もしかして『予定』が狂ったのか?」

「予定って……? な、何、朝からさりげなくセクハラ発言してるのよ、この変態!」

「心外だなぁ。担当タレントの体調管理は、プロデューサーの重要な仕事だぞ。伊織の月経周期くらい把握してて当然だろう?」

「なっ……変態、Der変態、ど変態ー!」

「じゃあ、伊織は生理の日に、休憩なしで長時間現場に拘束されたり、水着になるような仕事が入ってたらどうする?

  それじゃ困るだろ?」

「それはそうだけど……」

「俺も色々考えてるのヨ、伊織が少しでも気持ち良く仕事が出来るようにナ」

 高木社長をして「じゃじゃ馬」と言わせしめた伊織も、彼の華麗な(?)手綱さばきによって、デビュー三ヶ月目でランクD。デビューはしたものの鳴かず飛ばずだったり、デビューすらしていない女の子を抱える弱小事務所の765プロにとって、一番の有望株といっていい。

「それなら、なぜ、買い置きのオレンジジュースが切れているワケ? 私に気持ち良く仕事してもらいたいんだったら、オレンジジュースを切らすなんてあり得ないじゃない? 私が、朝事務所に来たら、まずオレンジジュースを飲むのを日課にしてるの、知らないわけじゃないでしょ?」

「スマン、昨夜事務所から帰る時は覚えていたんだが、事務所出たらキレイに忘れちまったよ。今買ってくるから、待っててくれよ」

「いい、果汁100%よ! それ以外は認めないから」

「分かってる。あ、小鳥さん、おはようございます」

「おはよう、プロデューサーさん。今からお出掛けですか?」

「ちょっと野暮用で。朝礼までには戻りますんで。あと、今月の報告物、小鳥さんの机の上にまとめて置いときましたんで」

「あら、期限前に提出されるなんて珍しいですね」

「いつも期限ギリギリに出してたんじゃ、律子さんに怒られますからね。仏の顔も何とやらで」

「くすっ。いってらっしゃい、気をつけて下さいね」

 しかし、彼は朝礼の時間が過ぎても事務所に姿を見せなかった。

「遅いわねぇ、プロデューサーさん……」

「遅いなんてもんじゃないわよ! もしかして、このまま私をほったらかしにして逃げたんじゃないでしょうねぇ……」

「プロデューサーさんに限って、それはないんじゃないかしら。きっと途中で渋滞に巻き込まれたとかじゃ……」

「それなら、電話の一本くらい来ても良さそうじゃない? 第一、果汁100%のオレンジジュースなら、すぐそこのコンビニでも買えるじゃない!」

 伊織の言葉をさえぎるように、事務所の電話のベルが鳴った。

「はい、765プロダクションです……はい、彼は確かに我が社の社員ですが……はい、はい……」

 傍目で見ている伊織からも、電話を受けている小鳥の顔から、みるみる血の気が引いていくのが分かった。

「伊織ちゃん、私、社長とプロデューサーさんのところに行ってくるから、悪いんだけどレッスンスタジオには一人で行って……」

「何かあったの?」

「何でもないの、だから……」

「私も行く! 何でもないんだったら、私が一緒に行ってもいいでしょ! 直接アイツに文句いってやらなきゃ、私の気が済まないわ!」

 小鳥がプロデューサーの事で隠し事をしている事を、伊織は直感で悟ったのだろう。頑としてきかなかった。

「何だね、騒々しい」

「あ、社長。実は……」

 小鳥は伊織に聞こえないように、高木社長に電話の内容を耳打ちした。

「うむ。仕方ない、いずれは分かってしまう事だ、水瀬君も連れて行こう……病院へ」

 

 

 それは、あまりにもあっけなかった。

 彼は、伊織のオレンジジュースを買いに行った高級スーパーの駐車場で倒れているのを通行人に発見され、救急病院に搬送されたが……搬送されて間もなく事切れたというのだ。

 医師に深く頭を下げる高木社長。

 小鳥の制止を振り切って、医師に食ってかかる伊織。

「アンタ医者でしょ? 人の命助けるのが仕事じゃない! もういい、こんなボロい病院じゃなくて、もっと腕が良い医者と設備が揃っている、一流の病院でっ……!」

「水瀬君……いくら君の家の力を使って、世界一の名医を呼んだところで、彼を生き返らせる事は出来ないのだよ……」

「……っ!」

「伊織ちゃん!」

 伊織は何も言わず走り去った。

 それ以来、伊織は765プロの面々の前に姿を現わすことはなかった。

 

「伊織ちゃん、今日も事務所に来ないわね」

「仕方ない、水瀬君が彼の死を受け入れるには、時間が必要だ……あの年頃で、あれほど慕っていた人間を亡くしたんだ、傷は決して浅くない」

「今まで来ていた仕事もキャンセルしてしまいましたし、伊織ちゃん、このまま引退とかならないといいんですけど……」

「それに関しては、冷たいようだが、水瀬君自身の問題だ、なるようにしかならんよ。だが、経営者としては、そんな悠長なことは言ってはおれん」

「社長、お出掛けですか……」

「うむ、彼や水瀬君が欠けた穴は、早急に埋めなくてはならん。新しい人材を探しに行かなくてはな。しばらくは戻らないから、後任の者は用意しておいた、ほどなく見えると思う」

「用意しておいたって、社長、モノじゃないんですから……」

「それでは、後はよろしく頼むよ、音無君」

「ちょっと、社長、しゃちょう〜!」

 事務所を後にスカウト旅行に行った高木社長と入れ違いに、律子とやよいが事務所に戻ってきた。

「おかえりなさい。どうでした、伊織ちゃん?」

「今日もダメ、『お嬢様はどなたともお会いになりたくないとのこと。誠に心苦しいのですが、お引き取り下さい』の一点張りで、門前払いよ。あの執事さんの様子だと、本当に誰とも会っていないみたい……家族とも」

「うぅっ……伊織ちゃん……」

「大丈夫よ、やよいちゃん。社長も言っていたけど、伊織ちゃんの気持ちの整理がつくまで、気長に待ちましょう」

 小鳥は、自分にも言い聞かせるように、言葉に出した。

 プロデューサーを失った765プロは、灯りが消えたように、闇のような閉塞感に包まれていた。

 

 

「お嬢様、ご友人の秋月律子様と高槻やよい様がお見えになってますが、お会いになられますか?」

「誰にも会いたくないって言ってるでしょう、新堂!」

「しかし……お言葉ですが、765プロのご同僚ご友人方は、伊織様を気遣って毎日いらっしゃいます。せめて、お顔だけでもお見せになっては……」

 執事の新堂が視線を移すと、今朝メイドに持って行かせた朝食のワゴンが、何も手がつけられないままで残っていた。

「お嬢様……まだ朝食を召し上がってらっしゃらない……」

「下げて頂戴」

「かしこまりました。ほどなく昼食となりますが、コックには軽めのモノを作らせましょうか? 何か食べたいモノがございましたら、仰って頂ければ……」

「何も要らない」

「そう言われましても、このまま何もお召しにならないのは、お嬢様の身体に障ります……」

「私に構わないで、ほっといてよ!」

「それでは。ご用がございましたら、いつでもお申し付け下さいませ」

 伊織の部屋に入ることも許されず、新堂はただ、閉ざされたドア越しに、伊織の身を案じつつ、静かに去った。

 

 部屋の前から遠ざかっていく新堂の足音を、伊織はベッドの中で見送った。

 765プロの仲でも、年が近く特に仲の良いやよいが自分を訪ねて来てくれた事は嬉しかった。

 しかし、事務所に行けば、やよいを始め、他の女の子や、小鳥さんや社長がいて、でも彼の姿だけはそこになくて……。

 事務所にいても、レッスンをしていても、現場で仕事をしていても、鬱陶しいとさえ思っていたプロデューサーがいないという事を思い知らされ、孤独に押し潰されそうになるから。

 突然パートナーを失ったやるせなさを、自分の中で抑えられるほどオトナではなく、人目をはばからずに感情を吐き出すほど幼くもなく、またそういう姿をさらけ出せる程心を許せる人間も周りにいなかった……彼を除いては。

「伊織!」

「……」

 どこからともなく、彼の声が。

「伊織ー。いおりん♪ デコ娘!」

 幻聴……?

 そういえば、食が喉を通らなくて、何日モノを口にしてないだろう。とうとう身体に変調を来したのだろうか。

「今日の伊織の下着の色は、ピンクかぁ」

「いやあぁ、何するのよ、この変態!……うさちゃん?」

 伊織に語りかけるのは、彼女が肌身離さずそばに置いていた、うさぎのぬいぐるみ。

「オッス、うさちゃんだよ!」

「嘘っ。うさちゃんはそんな事言わないし、セクハラもしないわよ。そんな事するの、アイツくらいだし」

「……バレちゃあしょうがないや。そうだよ、俺だよ。元の身体は荼毘に付されてしまったから、今はうさちゃんの身体を借りているがな」

「どうして……?」

「聞きたいか? 否、聞く覚悟はあるか?」

「何よ、大げさねぇ」

「俺も言いたくはないが……実は、俺、伊織を迎えに来たんだよ……キャー!」

「……『バカは死ななきゃ治らない』って、ホントよね。あ、アンタはもう死んでるから、『バカは死んでも治らない』か」

「チェッ、ウケると思ったんだけどなぁ」

「ホントにアンタ、何しに来たの?」

「なんか、人は死んでも、霊魂はまだ現世にいるらしいな。……もっとも、死んでも死にきれないってヤツだけどな、今の伊織を見てると」

「誰のせいだと思ってるのよ! バカ! バカぁ……勝手にいなくなって……」

「……言うなよ。俺だって、こんな人生の終り方、好きで選んだワケじゃないんだぜ……痛いよ」

 ぎゅっ。

 うさちゃんを抱きしめて、感情がこぼれるまま、伊織は泣いた。

 

 

「伊織様が、やっと食事をお召しになりましたぞ」

 執事の新堂の言葉に、水瀬家の使用人らから安堵の息が漏れた。

「やはり、伊織様も水瀬家の血を引くお方、お心根は強うございます。伊織様がこれまでの様に、学校へ通い遊ばれたり、芸能活動に復帰されるのも、そう遠い事ではないでしょう……」

 

「さすが伊織の家の食事だな。まるで高級ホテルのルームサービスみたいだぜ」

「しかしアンタって……死んでもお腹が空くのね。別に私はそんなに要らないし、新堂に下手に期待されると……」

「いいんじゃね。安心させてやれよ。伊織の事を、765プロのみんなも、家の人も、それからファンも、心配しているんだぜ」

「まるで見てきたような言い方ね」

「見てきたからな」

「……そっか、アンタ、幽霊だもんね」

「幽霊ちゃうわ、今はまだ名も無き霊魂、だけどあのまま伊織が沈んで引きこもったままだったら、還るべきところへ還れず、現世に取り残された、ホンモノの幽霊になっていたかもな」

「ふうん、そう……」

「あ、何でぬいぐるみの身を借りた霊魂が、どうして会話出来るのとか、飲み食い出来るのとか、メタな事は考えちゃダメだぞ。このSSが成立しなくなるから」

「アンタこそ余計な事言わないの!」

「いおりんのツッコミ、マジ最高! と、それはおいといてだな。よかった。やっと伊織らしくなって。これで俺も思い残す事なく“逝ける”よ」

「行かないでって言ったら、どうするの?」

「俺が死んでも、俺の遺志を継いでくれる人がいる。俺とは違ったアプローチで伊織の魅力を引き出してくれるさ、伊織の自然体でな。それに伊織は独りじゃない、支え合う仲間がいる、安心しろ。それでも寂しくなったら、俺はここにいる。今までみたいに、伊織に説教したり小言言ったりは出来ないが、俺はうさちゃんの身体を借りて、伊織を見守っている」

「うん……」

「じゃ、もう”逝く”ぞ。明日には事務所に顔出せよ。会うのが無理なら、せめてメールでもしてやれよ」

 うさちゃんがせいいっぱい身を乗り出して……伊織にキスをした。

 

 

「律子、その恰好……プロデューサーに転向するって本当だったのね」

「えぇ、元々マネージャーになりたくて765プロに入ったし、それに、前社長や彼が今まで築き上げてきた765プロを潰すわけにはいかないでしょ? プロデューサーのなり手が他にいないなら、私がやるしかないでしょ?」

「それで、誰をプロデュースするつもり?」

「よくぞ聞いてくれました。差し当っての目標はアイドルアカデミー大賞よ。だから、プロデュースするのはトリオユニットよ。私の呼び掛けに、あずささんと亜美が手を挙げてくれたけど、あと1人、あと1人なのよ。千早に声を掛けたけど、どうしてもソロのシンガーとして活動したいって聞かないし、春香も雪歩も、即戦力としては、まだ実力不足だし、響や貴音も、実力はともかくトリオユニットとしてのバランスを考えるとねぇ……」

「ちょっと律子、世界一キュートなスーパーアイドルの私を差し置いて、何言ってるのよ!」

 律子の眼鏡がキラリと光った。

「伊織、よくぞ言ってくれました。その言葉を待っていたのよ。じゃあ、私がプロデュースする『竜宮小町』のリーダー、やってくれるわね?」

「いいとも! ……って、何を言わせるのよ、律子。まるでアイツみたいじゃない」

「伊達に今まで事務員兼任やってないわよ。彼の仕事ぶりから、伊織の操縦の仕方まで、ずっと事務所で観察してたもの」

「これで全員そろったかね、秋月君」

 二人の会話を聞きつけてか、高木順二朗新社長が姿を現わした。

「はい、『竜宮小町』全員揃いました!」

「うむ。それでは、これから新生765プロ始動の朝礼を始めよう。音無君」

「はい。それでは朝礼を始めまーす」

 

 彼がいたデスクには、うさちゃんが座り、伊織の後ろ姿を見守っていた。

 

 

【終】

説明
C79(2010年冬コミ9初出。パラレル設定だという無印アイマスからアイマス2の(竜宮小町)を無理矢理繋げたらこうなった! 元ネタはニコマスの「3A10」だったり、三谷幸喜の「天国から北へ3キロ」だったり。タイトルは「LOST」と迷ったけれど、故加藤和彦氏へ哀悼の意を込めて。
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