『やまない微熱』第3章その2
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 しばらくの間、廊下でうずくまっていた私は、やっとのことで立ち上がった。

 

 頴田君のことを考えたのが良かったのでしょうか。

 不思議と苦しさが消えて、スーッと体調が戻っていくのがわかります。

 これも頴田君の御利益でしょう。

 直接助けに来なくても、彼を思っただけで私を救ってくれる頴田君に感謝してもしきれません。

 

 体調が持ち直した私は、大事をとって数分その場で深呼吸を繰り返した。

 

 うん、もう大丈夫。

 私の体調は日常レベルに回復したようです。

 でも、さすがにもう食欲はありません。

 出店で何か買って食べるという先ほどの考えはすっぱり諦めました。

 

 とはいっても、今日という文化祭の晴れの日に何もしないのは勿体ないです。

 先立つ物のない私は校内をふらついても何も出来ません。

 ここはやはり金券を仕入れなければいけません。

 私は校門にあるはずの金券売り場に向かいました。

 

 うへ?

 

 私は咄嗟に校舎の陰に隠れてしまう。校

 門の金券売り場の長机に座っていたのは、頴田君じゃないですか!

 

 うおお、それぐらい予想すべきでした。

 文化祭の運営は生徒会の管轄。もちろん金券の販売も、担当は生徒会じゃないですか。

 そして頴田君は朝からずっと私達のクラスの喫茶店にはいませんでした。

 それを考慮に入れれば、金券売り場に頴田君がいるなんて予想は簡単に立つのに。

 そうと知っていれば、ウェイトレスの店番なんて抜け出して、もっと早くここに来るべきでした。

 

 私は校舎の陰から顔を出して、再び金券売り場を覗き込む。

 見間違いではありません。確かに頴田君が座っています。

 朝から私達のクラスの出し物にいなかったということは、頴田君は朝からずっと金券売り場にいたということでしょうか。

 長時間のお仕事、ご苦労様です。

 

 うわ〜。黙々と椅子に座って売り子をする頴田君カッコイイな〜。

 隣に座ってる生徒会書記の久保田〈くぼた〉なんかムスッと無愛想に。

 去年同じクラスだった久保田は根暗っぽくて、私好きじゃないんです。

 頴田君と一緒に生徒会の仕事する資格なしです。

 あ〜。頴田君と一緒に仕事出来るなら私も生徒会に入りたいな〜。頴田君の隣いいな〜。

 

「ちょ、ちょっと、マコ」

 

 今、金券買いに行ったら頴田君とお話出来るのかな。

 でも今行ったら勿体ないですね。

 もっと頴田君を眺めてからでも遅くないですし。

 

「マコ〜。お〜い」

 

「何、うるさい。今いいところなんだから!」

 

 全く、私は頴田君を拝見するのに忙しいんですから、邪魔しないでほしいものです。

 

 渋々後ろを振り向けば、去年のクラスメイトの要葉子が立っていました。

 この間廊下でぶつかったお礼参りにでも来たのでしょうか?

 

「マコ、目立つの嫌いだったんじゃないの?」

 

 要さん、何をそんな当然のことを言うのでしょう?

 私は目立つのが大嫌いに決まっているじゃないですか。

 私は首を縦に振りました。

 

「今、だいぶ目立っていると思うんだけど……」

 

 要さんの言葉に周りに目をやれば、そこら中から視線を感じます。

 確かに頴田君のいる校門付近からは隠れるように見ていましたが、今日は文化祭です。

 どこもかしこも人ばかり。私の隠れていた校舎の通用口付近も人通りは絶えません。

 そこにウェイトレス姿の私がじっと校門の方を見つめているのです。

 目立たないはずがありません。

 

「ん? う〜ん。別にぃ」

 

「別にって、そりゃマコがいいならいいけどさ」

 

 確かに私は人から注目されるのが嫌いですが、今は目立つ目立たないより頴田君の方が重要なんです。

 頴田君の為なら、なんだってしてやります。

 

「要さん、何か用?」

 

 そう言いつつも、どうにも苦手な要さんの相手なんかしていられません。

 私は要さんを無視して再び金券売り場に視線を戻します。頴田君〜。

 

「別に用はないけど、挙動不審なチビウェイトレスを見かけたから」

 

「豆チビで悪かったわね」

 

 私は要さんに上の空で答える。私は頴田君観賞に忙しいんだから、要さんの扱いなんてそんな程度でいいんですよ。

 

「豆チビというよりクソチビだと思うんだけどね。……マコ、顔色悪くない?」

 

「私が顔色よかったことなんてある?」

 

 私は反射的にいつもの台詞を言う。

 

「去年は二、三回ぐらいあったと思うけど。で、マコは何見てるの?」

 

 なんですとぉ? 要さんに頴田君を見せるなんて勿体ないです。

 私は慌てて要さんの前に立ちはだかり、通せんぼをする。

 だけど悲しいかな、要さんとの身長差は二十センチ近くある。私は全く要さんの視界を遮れません。

 

「ん? 久保田?」

 

 そういえば要さんも、恐れ多くも頴田君の隣に座っている久保田と去年同じクラスで顔見知りでした。

 

「久保田がどうかしたの? ……ははぁん。もう一人の方か」

 

 要さんはにやついた笑いで破顔する。

 要さんに言い当てられて、私の顔は紅潮するしかない。

 どうしてこんな時に要さんが現れたのでしょう。

 要さんに私をからかうネタをみすみす与えてしまうとは。

 

「ふふ〜ん♪」

 

 もう何から何まで見抜いたという風に、要葉子は上機嫌な声を上げる。

 

「な、何よ」

 

「う〜ん。別にぃ」

 

 要さんが私の口まねをする。

 悔しいったらありゃしない。

 

「マコ。がんばれ〜」

 

 そう言って、要さんは嬉しそうに去っていく。

 嵐の通過とはこのことでしょうか。全く要さんは厄介な人です。

 私が悪態を吐いてもサラッと流してしまって、全然効き目がありません。

 ほんと苦手です。

 

 私は要さんが視界から消えたのを確認してから金券売り場に目を戻す。

 も〜。要さんの所為で落ち着いて頴田君を見ることも出来ません。

 

 私は気を取り直して頴田君のご尊顔を眺めます。

 こんな田舎にある高校の文化祭に外部の来訪者が大勢来るわけもなく、金券売り場は概ね暇なようです。

 頴田君は椅子に姿勢正しく座ったまま微動たりともしません。

 

 それでも、たまには外部の一般参加者も来るようで一人の女の子が校門に入ってきました。

 ブレザータイプの制服ですから他校の生徒のようです。

 一般参加のその子は当然金券を購入するわけで、頴田君のいる金券売り場に一目散に向かいます。

 ところが、その女の子がにたりと笑ったのです。

 

「あっ、アッキー。やっぽ〜。おひさ〜」

 

 え? え? ええええええ!

 

 他校の生徒らしい女性が信じられない言葉を吐きました。

 『アッキー』ですって! それって頴田晶の『アキラ』ことですか!

 

 彼女の顔はまっすぐ頴田君を向いているし、隣にいる久保田はワタルかカケルか、そんな感じの名前だったはずです。

 どうやっても『アッキー』にはなりません。周りには他に人はいませんし、もう頴田君のこととしか考えられません。

 

「や、山城〈やましろ〉さん?」

 

 どうやら頴田君も、その女の子のことを知っているようです。

 一体、二人はどんな関係だというのですか!

 

「アッキー、こんなところで何してるの?」

 

 や、やっぱり頴田君のことをアッキーと呼んでいます。

 私のいるところから金券売り場はちょっと距離がありますが、毎日屋上で生徒会室に聞き耳たてている私は、

 耳が鍛えられています。聞き間違いするものですか。

 

「金券を売ってるんだけど……」

 

「金券? へ〜、こんなの買わないといけないの? 丁度いいから、アッキーおごってよ」

 

 そう言うとその女性は頴田君の手を取って連れて行こうとします。

 

「ちょ、ちょっと山城さん。いきなりそんな……。それに、俺ここの当番が」

 

 頴田君が渋ります。

 そうです。そんなよくわからない女の言う通りになんか、なっちゃダメです。

 

 頴田君の言葉を聞いて、その女がキッと頴田君の横にいた久保田を睨み付けた。

 

「お、おう。ここは俺一人で、大丈夫だから……」

 

 な、な、何を言うんです、このクソ久保田!

 去年からお前なんか、ろくでもない奴だと思っていましたが許しません!

 死刑です死刑! もし日本の刑法が許しても私が許しません。私刑に処すです。

 

「ほら、アッキー。OKだって。行こ♪」

 

「え? え? ちょっと」

 

 頴田君は戸惑いながらも文句も言わず、突然現れた女の子に連れ出されたのです。

 

 そ、そんな、頴田君〜。そんなぽっと出の女とどこに行くんですか。

 行かないでください。頴田君が女性と一緒に行動する所なんて見たくないです。

 私以外の女の子と一緒にいる姿なんて……。

 

 私の願い虚しく、頴田君と山城というらしい女は校内を二人で歩いていく。

 私は二人の後を距離を取ってついて行くしかありません。

 

 文化祭というお祭り。男の子と女の子が二人で歩いてたって、全く違和感はありません。

 いくつも並んだ屋台。あちこち見て回る人々。楽しそうな参加者達。

 その中に頴田君と女の子は完全に溶け込んでいた。

 それに比べ、見つからないように跡を追って行く私は文化祭という場に異質な存在。

 私はお祭りなんて楽しむ気分じゃない。こんなものを楽しむなんて絶対無理。

 苛立った表情の私が一人こそこそと二人を追っていくのを、すれ違う人達が不審な表情で私に視線を向ける。

 だから私、目立つのとか注目されるのとか嫌いなのに……。

 

 一体あの女は何なのでしょう?

 どこの学校の生徒?

 頴田君との関係は?

 それに頴田君を無理矢理連れ出した目的は?

 聞きたいことは山ほどあります。だけど、私が今ここで二人の前に立ちはだかるなんて出来ません。

 直接あの女に頴田君との関係を聞くなんて出来ないのです。

 そんな勇気、私にはないのだから。

 

 私には二人を離れた場所から見ているのが精一杯。

 頴田君が私以外の女の子といるなんて見たくもないものを見るのが精一杯。

 本当は今すぐ二人を引き離して私が頴田君と文化祭を回りたいのに……。

 

 それにこのウェイトレスの格好、ヒラヒラして、気になって仕方がありません。

 全くえらいものを着せられたものです。

 

 そんな私の着ている物なんて些細なことよりも、何より私を苛立たせるのは、頴田君を連れ回している女の態度です。

 

「アッキー、あれ買って来て」

 

 あの女が、おいしそうな屋台を通る度にそう言うのです。

 頴田君は優しいから、女の子からねだられたら拒否なんて出来ません。

 そうして次々に店をハシゴして行くのです。

 うぅ、うらやましい……。

 

 私はあの女が頴田君を連れて文化祭を満喫する様子を見せつけられて、もうどうしていいかわかりません。

 

 途中、二人の会話が途切れ途切れ聞こえて来たのを総合すると、二人は中学生時代の友達のようでした。

 

 でも友達って何なんですか!

 そんな男女二人で仲良く文化祭を練り歩くのが友達なんですか!

 

 後は手を繋げば、どこからどうみても恋人同士にしか見えません。

 その手が繋がれる様子がないのは唯一の救いでしょう。

 

 神様は非道です。私にこんなもの見せるなんて。

 

 こんなの見たくない。私は見たくない。

 私以外の女性といる頴田君なんて、絶対見たくない!

 

 私はいつの間にか息を切らしていた。

 さっき回復したはずの不調が、再び私に襲いかかって来たのだ。

 

 足は何とか前を行く二人を追おうとする。

 何とか歩いてはいるけど、明らかに血流がおかしい。

 手は血の気が引いて真っ白に変色している。

 おそらく顔は真っ青に血の気が引いてしまっていることでしょう。

 

 この様子では、私の体はかなり酷い状態のようです。

 最近は保健室止まりで済んでいましたが、今日は病院送りかもしれません。

 救急外来って、私は好きではありません。

 

 深い息で体調を落ち着かせようとした私の呼吸が止まる。止まってしまう。

 

 遂に死ぬときが来たのでしょうか?

 ……そうかもしれません。

 あんなものを見るなんて……。

 

 横に女の子を連れた頴田君。

 いつもクールに無表情の頴田君が微笑んでる。

 私の知らない女の子に微笑をこぼす頴田君が私の目に入る。

 

 あんな顔、見たことない。

 私は頴田君のあんな笑顔を見たことない!

 

 私の心の叫びが通じたのでしょうか。

 私には何も見えなくなりました。

 視界は暗転し、体には冷たいリノリウムの感触だけが残る。

 

 私は「文化祭で倒れた女」の称号を新たに手に入れてしまったのです。

 

 

 

 

 

(第3章の2につづく)

説明
幾度となく血を吐き捨てる私。
いつに死ぬともわからぬ私。
惨めに死を待つしかない私。
そんな私でも恋をした。
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ライトノベル 少女 

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