季球妖物語・第一幕「桜鬼〜前編」
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 歩き出してからどれだけ時間が経ったのだろう。そろそろ腹減ってきたよなー、などと思いながら雷封は一人、山の中の小道を歩いていた。

 すでに日は高い。彼がこの山に入ったのはまだ太陽が顔を出した辺りの時間であったので、もうかなりの時間が経過しているだろう事は容易に想像出来る。全く、何だって俺がこんな損な役回りしなくちゃいけねェんだよ、と彼は誰にとも無く毒づいた。足元に落ちている枯れ枝が、ぱきんと乾いた音を立てる。

「……鬼、ねェ……」

 そう、不機嫌な声で呟くと、彼は唐突に足を止めた。懐に手を入れ、中から二枚の札を取り出してかなり適当な感じで印を組むと、投げ遣りに一言「式、召喚」と唱え、札をぱっと空中に散らせる。

 そんな、いかにも面倒くさそうに行われた術だったが、散らせた二枚の札は地面に落ちる事無くその姿を二羽の梟へと変え、今度は自分の力で空に舞い上がった。梟は頭上で一度旋回した後、それぞれ反対の方向へと飛び去って行く。

 それを確認し、雷封は大きく伸びをすると近くの木に背中を預け、無造作に座り込んだ。そして、今度は大きく欠伸をする。

 ……ったくよ……。

 なァーにが「人探しは、兄さんの能力の方が適してますから」、だ。

 にこやかにそう言いきった弟の顔が思い出される。今頃、あいつと物書きの先生は詳細を聞きながら美味い飯でも食ってるんだろうなと勝手な想像を巡らせた。

 霜雪のヤツ、異様に人受けが良いからな。

「……本性を知らねェってのは、ほんッとおめでたい事だよねェ」

 ぶつぶつ言っている雷封を遠めに見ながら、小さな少年が足早に通り過ぎて行く。そりゃあ、こんな獣道然とした細い道の端に座り込み、ぶつぶつと何かを呟いている人間なんぞと係わり合いになりたくないと思うのが普通の人間の思考というものだろう。加えて、雷封の纏っている着物は黒い法衣であるし、傍らには変わった形をした錫杖まで置いてある。

 さらに付け加えるなら、雷封は目付きもあまりよろしく無かったりするのだし。

 つまり、この雷封という人物は、どっからどうみても胡散臭く見えてしまう人物なのだ。ただでさえそう見えるというのに、道端で一人座り込んでぶつぶつ言っているのだから、余計にそう見えてしまう。

 人受けが良い、と彼に言われている霜雪と血が繋がっていないと言って、思わず頷かれたりするのもよくある事だった。それだけ、弟とは見た目から漂わせている雰囲気まで、全てが似つかない。

 まァ確かに……。

 俺の方が、こういった事は向いてるんだけどよ。

 そう自覚しているだけに、ため息が出た。

 ……がさり。

 ため息の最中、そんな音が聞こえたような気がして、彼はため息を途中で噛み殺した。中々に器用な芸当だが、これもまた、あの弟と付き合っていく上では重要な技なのである。霜雪は、妙なところで異様に鋭かったりするのだ。

 雷封が視線を巡らせた先に立っていたのは、小さな少女だった。まだ、十かそこらだろう。若草色の着物を着たその少女は、雷封を感情の薄い深緑の瞳で見下ろしている。

「あたいに、何か用?」

「……あ?」

 硬い声で言った少女の言葉が、理解出来なかった。意味が分からず、ぽかんと間の抜けた表情になった雷封に構う事の無いまま、少女は言葉を続ける。

「あんた、祓い屋でしょ」

「……まァ……そンなモンだけどよ……?」

 それぐらいは、彼の法衣と錫杖を見たら誰だって想像が付く。だが、だからと言って、こんなガキに因縁吹っかけられる言われはねェぞ、と雷封は心の中で呟いた。

「鬼、探してんでしょ」

 その台詞は、呆れていると言ったような響きを持っていた。何となく、馬鹿にされているような気がしてかちんと来る。

「だったら何だってんだ?お前にゃ関係ねェだろ」

 居心地が悪くなり、錫杖を持って立ち上がる。少女に背を向け、さっさと元来た道を戻り始めた。

「……あんた、ホントに祓い屋?」

「――ッ!!」

 ザンッ――

 雷封の頭スレスレに、少女が薙いだ巨大な刀が通り過ぎて行く。嫌な予感がして咄嗟に頭を引っ込めたわけだったが、どうやらその予感は当たったわけだ。どっから取り出したのか――というよりもまず、その刀は少女の身体よりも余裕で大きい。例え、大の大人が持ったとしても振り回すのは困難だろうと思えた。

 そんな刀を少女は軽々と振り回し、間発を入れずにもう一度振り下ろして来る。体重を乗せた容赦の無い攻撃を錫杖で受け止め、初めて雷封は少女の顔をまともに見……そして短く息を呑んだ。

 ――耳の先端が、尖っている。

 白い髪の隙間から覗くその耳の形は、明らかに人のそれとは異なっていた。

「……お前……」

 ぎしっと錫杖が軋んだ音を上げる。力押しでは敵わない。腕力が無い方だとは思っていないが、あまりにも得物の大きさが違い過ぎるのだ。このままでは、錫杖の方が持たないだろう。そう判断し、ちっと舌打ちをすると錫杖を横に滑らせて刀を綺麗に受け流し、少女から少し離れた位置に移動する。自分の間合いであり、尚且つ術を使うのにも最低限必要な距離。それを保つように考慮して。

「お前が、鬼、か?」

 雷封の言葉からは、困惑の響きが聞いて取れた。少女は無造作に刀を構えたまま、答えを返す。

「だから、聞いたでしょ」

 あたいに何か用?って。

 アレは、そういう意味だったのか――。

「あんた、祓い屋の割りに鈍いんだね」

 そう言って、くつくつと笑った。

 ――何か、変だ。

「俺が鈍いンじゃなくてよ」

 言いながら彼は構えを解いた。目の前の少女はいつでも刀が振れるよう構えているというのに、雷封は白けたように頭をぽりぽりと掻く。

「お前が、弱いンじゃねェの?」

 この台詞に、少女は虚を突かれたような顔をした。それを見て、雷封は更に言葉を続ける。

「馬鹿力なのは認めるけどよ。お前、それだけなんだろ?正直、妖気も何も感じねェよ。お前が本当に、赤月村の人間を食うとか言う鬼なのかよ」

 まァ、普通の人間にゃ、その馬鹿力だけでも充分おっかねェんだろうけどさ、と少女が手にした大きな刀を見て苦笑を浮かべた。

「……あたいは……人なんて、食わないよ」

「だよ、なァ……」

「だけど、この辺りにはあたい以外に鬼なんていないよ。あいつらが退治したがってるのはあたいなんだ」

 だから。

 あんたの目標は、あたいだよ。

 言って、少女は力任せに斬りつけて来た。だが、先程のように不意をつかれたわけでは無い。ただ勢いに任せて斬りつけて来る、この程度の攻撃をかわすのはわけも無かった。少女の斬撃には、力はあっても技が無い。

「……あいつら?」

「村の連中だよ。大方、あたいの退治を依頼したのはあいつらなんだろう?」

「そりゃー、普通に考えて他にいねェよな」

 少女の攻撃を軽くかわしながら言ったその言葉が、余裕たっぷりのその態度が、彼女の癪に障ったらしい。少女は頬をかっと紅潮させて叫んだ。

「馬鹿にするなっ!!」

 ギンッと鈍い音を響かせて、雷封の手から錫杖が弾き飛ばされる。それは少しの間宙を舞い、さくっと小さな音を立てて雷封よりもかなり後方の地面に突き刺さった。それでも、少女は刀を振るう手を止めない。雷封目掛けて刀を思いっきり横に薙いだ。

 ――と。

 それが雷封に届く寸前。少女は巨大な刀をぴたりと止めた。彼女の紅くなった頬から、すぅっと一筋更に赤いものが鮮やかに流れ落ちる。

「これ以上やるってんなら、次は当てるぜ」

 感情を消し去った低い声でそう言い放つ。彼の手には弾き飛ばされた錫杖の代わりに、札が何枚か握られていた。

「お前の刀を避けながら術を使うぐらい、簡単な事だからな」

 感情を消しただけでこれだけ冷たい響きになるのかと思うほど、彼の言葉は突き刺さるような響きを伴っていた。少女は血を拭う事もせずに刀を握り締めたまま、後ろを振り返る。

 少女が背にしていた木の幹に、一本の細い氷柱が突き刺さっていた。少女の頬を掠めた時についたのだろう赤い色が、太陽の光を受けてきらきらと光っている。

「死に急ぐ事もねェと思うけどなァ」

 そう言った雷封の声は、さっきまでと同じいつもの彼の声音だった。少し人を小馬鹿にしているような、軽い音を持った声音。

「……だけどあんた、あたいを退治しに来たんだろ?」

「まァ……そうなンだけどさァ……。正式に俺が受けた仕事じゃねェから正直、どーでもいーンだわ」

 さらっと言い切ったその言葉を聞き、少女は複雑な表情を浮かべた。怒っているような、不思議がっているような、それでいて楽しんでいるような。

「人を食うような鬼だって言うから、どんなモンかと思って来てみたんだけどよ。まっさかそれがこんなガキだったとはねェ……。すっきり大暴れするどころか、準備運動にもならねェじゃねェかよ」

「……あんたが強いんだよ。あたい、今までに来た祓い屋ってのはみーんな追い返してやったもん」

「そいつらがガセだったんじゃねェの?」

「……あんた……。すっごいムカつく」

「そりゃどーも。今頃気がついたのかよ」

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべて言った雷封の台詞に、少女も思わず苦笑をこぼした。毒気が削がれたのだろう。刀を持った手を軽く振る。たったそれだけの動作で、使い手よりも大きなその刀は一瞬でかき消えた。

「ほ。とりあえず、やりあう気は無くなったみたいだな」

「だって、あんただってその気は無いんでしょ」

「まァな」

 言いながら、後方に弾き飛ばされた自分の錫杖を拾いに歩いて行く。輪を作らず、真ん中から互い違いに交差している特殊な形をした錫杖は、しゃらんと澄んだ音を立てた。

「俺は古刹雷封(こせつらいほう)。一応断っておくけどな、”祓い屋”じゃねェ。まァ、”何でも屋”ってとこかな」

「変わんないじゃん」

 ぼそっと言う。そんな少女を見て雷封は何か忘れてるんじゃねェ?と問いかけた。

「……何を?」

「名前だよ、名前。お前の名前は?」

 聞かれて、一瞬戸惑ったのが分かった。

「……ん? どした?」

「名前聞かれるの……すっごい久しぶり」

 みんなあたいの事、鬼としか呼ばないから。

 そう言って、少し寂しそうな笑顔を見せた。

 そして、ぽつりと自分の名前を口にする。

「……沙雪(さゆき)」

 

 

「雷封さん、一人で行かせて大丈夫だったんですかねー」

「というより、この場に兄さんがいても邪魔なだけですから」

 のほほんとあまり心配していなさそうな草雲の台詞と、あっさり邪魔だと言い捨てた霜雪。その短い会話を聞く限り、どちらにせよ彼の兄はあまり心配されては無さそうだった。

 彼らは今、草雲にこの話を持ちかけた人物……つまり、この赤月村の村長である青戸珪宋(あおとけいそう)の家で寛いでいた。その時こそ正に雷封が「今頃あいつらは美味い飯でも食ってんだろうな」とか思っている瞬間だったりしたのだが、もちろんそんな事が分かるわけも無い。だが、美味い飯を食べてこそいなかったものの、淹れたてのお茶にこの小さな村にしては高そうな茶菓子を出されていたのだから、雷封からしてみれば同じ事だっただろう。

 青戸珪宋は、霜雪が考えていたよりもずっと若い人物だった。草雲から若いというのは聞いてはいたものの、それでも彼が想像していたよりもずっと若い。見た目から判断するにまだ三十にもなっていないだろう。どうやら、両親が早くに亡くなってしまった為、こんな年で村長を継ぐしか道が無かったらしい。

 それはそれで、難儀な事ですね、と霜雪は茶菓子を食べながら呟いた。

「何が、難儀なんです?」

 耳聡く聞きつけて、草雲が質問してくる。

「いえ……継がなきゃいけないのにそれを放棄している人間もいるのにな、と思いまして」

「ああ……。雷封さん、ですか」

「まぁ、分からないでも無いのですけどね」

 もし同じ立場だったなら、私だって家出していたかもしれませんし、と霜雪は淡々と言う。彼から兄の行動を肯定するような台詞を聞けるのはかなり珍しい事だった。

「貴方の好奇心の強さは身を滅ぼしかねないから忠告しておきます。くれぐれも、兄さんに家出の理由を聞いてはいけませんよ。冗談抜きで殺されます」

 真顔で深い紫色の瞳で見つめられ、草雲も真顔で頷いた。実は何回もこの台詞を言われた事があるのだが、その度に真顔で頷く羽目になっていたりする。それだけ、この事に触れた時の霜雪の態度はふざけたり出来ないような雰囲気なのだった。

「それにしても……珪宋さん、何処に行っちゃったんでしょうねぇ」

 依頼人であるはずの珪宋は最初に二人に形だけの挨拶をし、そのまま顔を出さないのである。お陰で、話の詳細を聞く事も出来ず、出された茶菓子を食べ続けるだけという、霜雪に言わせたら非常に無駄な時間をだらだらと過ごしているわけなのだ。霜雪はお茶をすすりながら「さぁ?」と至極簡単な返事をして寄越した。

「何にせよ。待つしか無いでしょう。兄さんには悪いですけど」

 おまけのように付け加えた言葉。多分、そんな事は髪の毛の先ほども思っていないだろうと草雲は勝手に思っていたりするが、流石にそんな事は口には出せない。そんな突っ込みを入れてみようものなら、後が怖いわけだし。雷封にすら勝てない自分が、この茶髪の少年に口で(他のどの部分でも、だが)勝てるわけが無い。

 良いお茶ですねぇ、とのんきにお茶をすすっている霜雪を横目に、少しぐらいは鬼探しをしているであろう雷封に後ろめたさを感じてしまう草雲だった。

 そんな事を考えていたら。

 何か大きなものが急降下をして来た。

 気をつけていないと聞こえないほど静かにばさっという音を立てて舞い降りて来たそれは、この昼間にはまず似合わない鳥、梟だった。急降下をし、霜雪の前にふわりと降り立つ。その際に大きな羽が草雲の顔を強かに打ちつけて行ったのだが、この大きな鳥はそんな事を全く気にしていないようだった。

「……おや。兄さん、鬼を見つけてしまったようですよ」

 梟の運んできた文書を見、驚きも何もしていないようなあっさりとした声音で言う霜雪。相変わらず、汚い字ですねぇ、と呆れた声で続けた。

 返事の文章を書いている霜雪の一房だけ長い前髪を急かすように梟が引っ張っている。それに構わず、梟の足に返事をくくり付けると大きな鳥はやっと髪を引っ張るのをやめ、首をくりっと一回転させると大きく翼を広げ元来た方向へと飛び去って行った。それを見送り、霜雪はまたお茶に手を伸ばす。

「見つけたって……。見た目も分からないのに?」

「兄さんは、物の怪に好かれやすい性質してますから」

 それぐらい、貴方もお気付きでしょう?

 そう、にこやかに問い掛けられて、思い切り肯定をしてしまう草雲だった。

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 ばさっ。

 静かな羽音を立てて飛び去った梟を見送り、雷封は振り返った。小さな家の中では、沙雪がその光景を黙って見守っている。

「あんたさ……。変わってるよね」

 雷封がかろうじて存在を主張している粗末な縁側に腰を降ろしたのを確認し、沙雪がぼそっとそう言った。興味無さそうな口調と裏腹に、その瞳は興味津々といった光を込めて彼を見つめている。雷封は水を一口飲み、「そっかァ?」と意外そうに返した。

「俺から見りゃ、お前の方がずっと変わってるけどねェ。退治されそうになってもずっとここに居座ってるなんてよ」

「……あたい、何も覚えて無いからさ。気がついたら、ここにいたんだ」

 雷封の横に膝を抱えて座り込み、何処か遠くを見ているような目で沙雪は呟いた。その様子を見て、雷封は軽い既視感(デジャヴ)を覚える。

 ――そう遠くない昔、隣で座り込んでいる少女と全く同じ表情を浮かべていた少年の姿を思い出してしまったから。

 どーも自分は、こういった子供を拾ってしまう事が多いらしいと、彼は知らずに苦笑を浮かべていた。少女がちょっと眉を寄せ、怪訝な表情を作る。

「いや、ね。どーも俺、ガキに好かれてンのかな、ってさァ」

「本気で言ってんの?」

「うん。結構本気」

 しれっと答えた雷封を見つめ、失礼なほど長いため息を吐いて沙雪は目を逸らす。また、彼女の視線は、何処を向いているのか分からなく曖昧になった。そんな表情をすると、子供とは思えないほど冷めた、大人びた顔になる。

 それを見つめ、雷封は真顔になってぽつりと言う。

「前にも……お前と同じような事言ったガキ拾ってよ」

 ――僕は……誰、なんですか?

「お陰で、それ以来ずぅぅぅぅっと付き纏われる羽目になってたりしてるモンだからよ。ガキに好かれンのかねェってさ」

「……あたいに付き纏ってるのはあんたじゃないか」

「そりゃー、一応は仕事で来てるんだからな。お前を見つけられませんでした、はいさようならで終わるほど、俺の弟は甘かねェンだよ」

「何だあんた……使いっぱしりなの」

「誰がパシリだ。俺はね、弟の顔を立てて、あいつがやりたがらないような事をやってやってるだけなの」

「でもホントは、頭上がんないんでしょ。さっきの式神だって、その弟にあたいの事見つけたって報告するために飛ばしたんでしょ? 探すのはあんたで、弟はあんたから報告があるまでのんびりしてる。充分、こき使われてるじゃん」

 今まで通りの無表情に見えて、その瞳に子供らしいいたずらっぽそうな光が灯っているのを雷封は見つけた。確かに俺は、ガキと相性が良いらしいと心の中でのみぶつぶつとぼやく。

「へいへい。まァ、そう思うなら思っとけ。ンな事よりよ……。お前、さっき何か話そうと、したよな?」

「……何が?」

 いきなり真面目な話を振られ、沙雪はあからさまに動揺したようだった。視線が定まらず、空中をあちらこちらと彷徨っている。

「今更隠す事もねェじゃねェか。さっきは、何か話そうとしただろ? そうじゃなきゃ、何も覚えて無いなんてわざわざ人の好奇心くすぐるような事、言わねェよな?」

「……普通、遠慮しない?」

 雷封に言われてやっと、自分がそんな事を口走ったのだと思い出したのだろう。失敗したなぁというぶすっとした顔になりながら、沙雪はぼそりと突っ込みを入れる。雷封はふるふるとかぶりを振って、「しない」と一言あっさりと言い放った。

「少なくとも、今はな。お前が何で退治依頼が来るほど嫌われてるかっての、分かるかもしれねェし」

「……嫌われてる理由、分かってるもん」

 つんと横を向いて、早口で言い切った。

「あ? そうなの? それじゃ話が早ェだろ。俺はな、理由も分からねェで勝手に退治すんの、嫌いなんだよ」

「それなら、何でこんな仕事してんのさ? 毎回毎回、こうやって理由聞いて退治してるワケ?」

「そーゆーワケでもねェけど。さらっと問題すりかえるなよ。今は俺が、質問してるんだぜ?」

「……アンタってホント、むかつく」

 ぼそっとそんな事を呟きつつも、沙雪はぽつぽつとその『理由』を語り始めた。その間、雷封は少女から目を逸らし、遠くの空を見ているような目付きで彼女の話を聞いている。時々、目を瞑ったりするものだから、本当に沙雪の話を聞いているのかと心配になるほど、関心の無さそうな顔をしていた。

「……名前聞かれるの久しぶりって言ったの……嘘なの」

 そんな台詞から始まった沙雪の話。

 それは確かに、彼女の知りうる限りの理由で。

 そう、知りうる限りの――。

 

 

 ――ヒラヒラ、ヒラリ。

 

 

 青戸珪宋が姿を現したのは、雷封に梟(しきがみ)を送り返し、のんびりと寛ぎながら出されたお茶を二杯もおかわりをした後の事である。年若い村長は、部屋に入るなり待たせた事を詫びると二人の前に腰を下ろし、早急に用件を切り出した。その行動が妙に焦っているように見え、霜雪はふと首を傾げる。

「……どうか、しましたか?」

 それを草雲に目ざとく見咎められたが、霜雪は「いいえ、何でもありませんよ」と普段通りの穏やかな口調で返した。内心、「いらないところで敏感ですね」と呟いていたのだが、彼がそんな事を考えているとは誰も気がつけないだろうほど穏やかな口調だった。

「鬼については、もうお聞きになられましたか?」

「ええ、大体のところは」

「そうですか。それなら話が早い。どうかあの化け物を、退治して頂きたい」

「もちろん、それなりの報酬が頂けるのでしたらそれは構いません。しかし、お引き受けする前にいくつか確認しておきたい事があります」

「……え」

 霜雪の言葉を聞き、そう声を上げたのは草雲だった。その視線が、約束が違うと言わんばかりに霜雪と珪宋の間を行き来している。

 そんな草雲に視線を向ける事無く、霜雪は質問を始めた。

「まず。草雲さんに聞いた話では何でも『人を食いかねない鬼』が出るという事でした。という事は、まだそういった被害は出ていないわけですね?」

「ええ、その通りです。だが、凶暴な化け物がいるのは事実だ。被害が出る前に手を打っておきたいと思うのは当然でしょう」

「しかし、そんな鬼が出るという割にはこの村は平和そのものに見受けられます。何故です?私は今まで同じような依頼を受けて様々な村を見てきましたが、赤月村のように普段通りを保っていられた村などありませんでしたよ」

 穏やかな口調の中に挑発的な響きを感じ取り、珪宋は眉をひそめる。

「何が、おっしゃりたいのです?」

 その質問に霜雪が答えようとした時。

「つまりさ。この話は兄さんの狂言じゃないかって言いたいんだろ、祓い屋さん」

 廊下から聞こえてきた少年の声に、珪宋は弾かれたように振り返る。

「ちょうど良い。僕もいい加減、聞いてみたかったところだよ。どうしてこんな嘘をついてまで、沙雪を殺そうとするのかってさ」

「……どなたです?」

 霜雪のその言葉には二つの意味合いが込められていた。一つは、今この場に乱入して来た少年の正体を問うた質問。そしてもう一つは、少年が言った「沙雪」という人物の正体に対して言った言葉。

「……青戸珪吾(けいご)。私の、弟です」

 疲れたように掠れた声で言った珪宋の言葉。先ほど少年自身が珪宋の事を「兄さん」と呼んでいる事からしても、それは紛れも無い事実なのだろう。そう結論を出しながら霜雪は、「弟さんがいらっしゃるなんて、聞いていませんよ」と話を持ち掛けて来た草雲に向かって小さく呟いた。

「あ、いえ……。私も、今初めて知ったものでして……」

 そんな何気ない言葉の中に、何となく威圧感のようなものを感じ、何とは無しに縮こまりながら草雲が答える。それはいつも、血の繋がらない弟の言葉の中に雷封が感じているものと同じようなものだったのだが、草雲がその点に関してピンと来る事は無かった。

「その人が知らないのも無理無いと思うよ。だって兄さん自身が言ってないんだろ、僕の事」

 兄さんは、僕の事を話さないから。

「僕が、沙雪と仲が良いから。だから、兄さんは僕の事を人に話せない。村長の弟が、問題の鬼と仲良くしてるなんて言えないから」

「珪吾。お客様の前だ」

「そう。立場ってモンがあるんだよね、兄さんには。でもだからって、何の罪も無い沙雪を殺して良いなんて事は絶対に無いよ!」

「珪吾ッ!」

 ぴしゃりと自分の名を呼ばれ、少年はびくんと背筋を伸ばした。

「……珪吾。私はお客様とお話がある。部屋に戻っていなさい」

 弟の顔を見る事もせずに言った台詞。静かな声だが、有無を言わせぬ響きを伴っている。

 だがその顔には、ありありとした疲れが見て取れた。

 珪吾が立ち去ってしばらくの時をおき。歳若い村長は「お見苦しいところをお見せ致しました」と言って深々と頭を下げた。それを見て、草雲なんぞはとても居心地の悪さを感じたりもしたのだが、隣に座る、彼より十も若い祓い屋の少年はいつもと変わらぬ普段通りの態度を崩さぬまま一言「いいえ」と返す。

 歳は若いが自分などよりもずっと場数を踏んでいる。

 この落ち着きは、その慣れの所為か、それとも生来の性格の所為か。

 何となく、後者っぽいよなーなどと、むしろどうでも良い事をふと考えてしまう草雲だった。

「弟さんがおっしゃっていた、沙雪、という人物が貴方が言う『鬼』なのですね? 先程の会話から察するに、『人を食いかねない』と言っているのは貴方だけだ。違いますか?」

「……その、通りです」

 微妙な、間があった。正座している膝の上でトントンと人差し指が一定のリズムを刻んでいる。

「一体どういう事なのか。全てお話して頂けますね」

 柔らかい口調だが有無を言わせぬ響きを持った台詞である。諦めたように肩を落として肯いた村長を見、草雲は改めてこの幼い顔をした少年の怖さを思い知ったような気がしたのだった。

 

 

 ――沙雪は、半人半鬼なのです。

 ええ、半分は人の血が混ざっているのです。だからなのか歳の所為なのかは定かではありませんが、鬼としての力も然程強いものではありません。

 ……はい。

 お察しの通り、そんな事は問題ではありません。鬼である事が、問題なのでは無い。

 問題なのは、人の血です。

 彼女の、沙雪の父親は――青戸兵衛(ひょうえ)。

 赤月村前村長にして、私達の父親。

 沙雪は、父と鬼の女の間に出来た子供です。私達とは異母兄妹という事になる。

 え?

 ああ、この事は、私しか知りません。珪吾も、当の沙雪も知らないはずだ。

 ――いいえ。

 それは、違います。

 珪吾と沙雪の仲が良い事。それは、喜ばしい事態じゃないにしても、貴方方を雇ってまで沙雪を追い払って欲しいという理由にはなりません。

 父は、とても良い村長だった。とても良い父親だった。こんな小さな村ではありますが、いや、小さな村だからこそ、父は真剣に人々の悩みに耳を傾け、この村をもっと良い村にしようと努力した。だから、小さいけれど小さいなりに纏まった村になり、父は信頼を集める事が出来た。

 ――ただ。

 父は……一度だけ、過ちを犯した。

 十年以上も昔の話です。

 父は、青戸兵衛は、一人の行き倒れの女を助けた。白い髪と緑の瞳を持った、女を。

 それが、沙雪の母親です。鬼狩りに会い、命からがら逃げ出してこの村に辿りついたところで、父に助けられたのです。

 父は、そういった話が大嫌いでしたから、大層怒っていたのを覚えています。今でこそ、殺すほど追い回すという事はほとんど無くなりましたが、当時はそこまで畏怖され、虐げられていたのですよ、鬼とは。

 話を聞いて大層憤慨した父は、村の小山の上に建っていたあばら家を綺麗にし、彼女をそこに住まわせた。村人となれば、自分が責任を持って同じような目には合わせないと約束して。

 当時それが出来たのも、一重に父が良い人間だと言う印象が強かったからです。良い村長。良い父親。良い人間。その印象が有ったからこそ、風当たりの強かった鬼を自分達の村に受け入れるという提案にも然程意見はされなかった。

 良い人間がする良い行いは、上手い具合に美談になります。どんどん、良い方向へと尾鰭がついて。

 そして。

 あまりにも美化され、理想化された人間が起こす予想外の行動は、それこそ予想外の方向へと一人歩きしてしまう。

 良い人間が良い事をするのは当たり前。当たり前になり、それに慣れてしまって父が何をして良い人間だと言われるようになったのか思い出せなくなってしまった頃に。

 ――もし。

 もし、予想外の行動を、起こしたなら?

 ……私は、そうなるのが、怖い。

 父が、母を裏切っていたのだと、露見するのが怖いのです。

 最初は、同情だったのかもしれません。自分達と違う者を否定する、その弱さに憤慨したのも事実でしょう。

 ですが。

 超えてはいけない一線を越えてしまったのも、また事実です。母を裏切り、私達をも裏切って。

 六年前、母は何も知らずに流行り病で亡くなった。父も、後を追うように同じ病で四年前に亡くなりました。

 沙雪は、十か十一です。父は、四、五年間も母を、そしてその後も私達と、村人達を欺き続けていた事になる。

 ……死ぬまで、ずっと。

 ――私はね。

 それが、露見するのが、怖い。

 ――怖いんですよ。

 ここは、父の村なんです。私が継いだ今だって、父の村なんです。父が纏めて、父が住み易くした村。

 それが、赤月村なんですよ。

 だから。

 だから、怖いんです――。

 

 

 長い話を語り終え、膝の上で固く握り締めた拳に暗い視線を落としながら口を閉ざした珪宋を見つめながら、草雲は複雑な気分を味わっていた。

 私が継いだって、父の村――か。

 少し、理解出来るかもしれない。

 親が偉大であればあるだけ、子供には親の影が纏わりついてしまう。それは昔、草雲自身が身を持って経験した事であり、だからこそ認められずとも違う道を選んだのだろう。

 それが、親の影を断ち切る唯一の方法だったから。

 この人は。

 この、若くして父の村を継がざるを得なかった村長は立場上、それも出来なかった。だからこそ、付いて回る父の影に縛られ、縛られているが故にその影が汚される事を恐れているのだ。

 ――情けねェ。

 雷封なら、きっとそう言うだろう。家出という形で、全てを強引に断ち切っているらしい、彼なら。

 だったら、自分の村を作ッちまえよ。

「……それで」

 そんな草雲の思考を中断したのは、いつもと変わらぬ聞き慣れた少年の声だった。不思議にすら思える程、いつもと変わらない冷めきった声音。

 ――何故。

 何故、この少年は、こんなに落ち着いていられるのだろう。

 仕事だから、だろうか?

 ……いや。

 それは何か、違う気がする。

「それで。沙雪の母親は、どうなったのです?」

「え?」

 ――嗚呼。

 これは、ただの。

「貴方のお話には、沙雪の母親がどうなったのかという件(くだり)は出てきませんでした。真逆今も、その小屋に一緒に住んでいるわけでは無いのでしょう?」

 これはただの、好奇心だ。

 何も知らない小さな子供が、どうして、何で?と、親に質問をするのと同じ。

 純粋にただ、知りたいだけ。

 少年のいつもと変わらぬ深い紫色をした瞳を見、草雲は何故かそう思った。

 霜雪の問いに、若い村長はゆるゆると首を振って答える。

「彼女がどうなったのか、私は知りません。父が亡くなった後、沙雪を連れてこの村を出て行ったのですが」

 少し経ち、何故か沙雪だけが元居た家に戻って来たのだと言う。

「沙雪は……あの子は、何も覚えていなかった。この村の事も――父の事も」

「ふむ……。それでは、もう一つ」

 何故、貴方は沙雪がご自分の妹だと、知っているのです?

「そ、霜雪さん! そ、そんな事は……ッ」

 ――別に、どうだって良い事じゃあありませんか。

 そう続けるつもりだった。これ以上、この少年の好奇心を満たす為だけに珪宋を追い詰めるような真似はしたくなかったのだ。

 だが、草雲のその言葉は、他でも無い珪宋自身の台詞によって遮られてしまう。

「守り刀が」

「守り刀?」

「沙雪は、うちの家紋のついた守り刀を持っているのです」

 見るつもりは、無かったのだ。

 それはきっと、偶然という名の悪戯だったのだろう。

「父が与えなければ持っているはずがありません。ただの村人の娘であるなら」

 何故、そこまでするのです?

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 自室に戻る気にはなれなかった。

 かと言って、何処へ行くあてがあるわけでも無い。ただ、兄と祓い屋の会話が聞こえない場所でさえあれば何処でも良かったのかもしれない。

 抑えきれずにふつふつと込み上げて来る怒りと戦いながら、青戸珪吾は無意識の内に沙雪の下へと足を進めていた。村外れの山の中とは言え、小さな村に小さな山である。然程遠い距離では無い。

 山の入り口付近で。

 ちりん。

 微かに鈴の音が聞こえたような気がして。

 彼は足を止め、辺りを見回した。するとすぐに、癖のある赤毛に黒い法衣と言う、色合いも格好も目立つ青年が山を下ってくるのが目に入る。その胸元には、金色の小さな鈴がアクセントのように揺れていた。

 その派手な色合いと特殊な服装には見覚えがある。

 ――今日の朝。

 沙雪の家からの帰り道で――。

 ――あの格好。

 あいつも。

 あいつも、祓い屋の仲間だったんだ。

 ざわりと。

 背中を何か、冷たいものが通り抜ける感覚を覚え。

 ……まさか……。

 ……まさか。

 それ以上は、考える事が出来なかった。考えるよりも先に身体が動いてしまっていた。

「沙雪をッ、沙雪をどうしたんだッ!」

 祓い屋の前に躍り出て、力一杯叫んでいた。叫んだ勢いをそのままに立ち止まった青年を見上げ、思い切り睨み付ける。

 青年――古刹雷封は、きょとん、とした顔をしていた。

「……へ?」

 ついでにそんな、気の抜ける言葉を一言。余計に、頭に血が昇る。

「とぼけるなっ! お前、祓い屋の仲間だろう! 沙雪をどうしたんだって聞いてるんだよッ!!」

「いや。別にどうもしてねェけど」

 疲れたようにそう呟き、どうやら今日ってば、ガキに喧嘩吹っかけられる日らしいぜと苦笑を浮かべた。

「喧嘩……? じゃあ、やっぱりッ」

「あのな、早とちりすンなよ。確かに俺は沙雪に会ったし初ッ端から喧嘩吹っかけられたけどなァ、別にどーにもしてねェぜ。弱肉強食の世の中だけどよ、俺、弱い者イジメって性に合わねェの」

 ま、茶をご馳走になって帰って来ました、と雷封はさらりと言った。その、人を小馬鹿にしたような態度を見ていると、本気で腹を立てている事自体が馬鹿らしく思えて来るから不思議である。

「……で? 血相変えて物騒な事叫ンでくれた少年は、何処のどちらさん?」

「……人に名前を訊く前に、まずは自分から名乗れ」

「ほ。言うねェ。まァ、それもご尤もな意見だし、有難く受け入れておく事に致しましょう。私は、古刹雷封と申します。見ての通りご推察の通り、祓い屋を生業としております者。で、貴方様は――」

 にやりとした笑みを浮かべ。

「赤月村村長、青戸珪宋様の弟、青戸珪吾様で宜しいので?」

 わざとらしく、取ってつけたような敬語だった。敬語というのは面白いもので、本来丁寧な言葉であるはずなのに、使う者によってはこれ以上無いという程嫌味な言葉に聞こえるのは何故なのだろう。

 雷封の場合は、正にその典型である。そもそも彼が敬語を使った時など数える程しか無いし、それこそ嫌味を言う時か人をからかう時にしか確認されていないので、もしかしたら彼の頭の中で、敬語と言うのは礼儀を弁えた人間が使う言葉だと認識されていないのかもしれない。

「……誰から聞いた」

 一度治まった苛立ちがまたやってきそうになるのを抑えながら、ぼそりと言った。

「さっきも言ったじゃねェか。俺は、沙雪ンとこで茶ァご馳走になって帰って来たのよ?」

 わざわざ語尾を上げ。

「だからよ。茶ァ飲みながら色々話聞かせてもらったってワケさ。今まで何があったのかって事も、お前って言う彼氏がいるって事もさァ」

「……彼……ッ!」

「って言葉は俺の脚色。満更間違ってもいなさそうに見えるけどねェ」

 そう言って、ケラケラと笑う。その悪びれた様子の欠片も無い顔を見ていると、腹が立っているのか楽しんでいるのかよく解らなくなって来ている自分がいる事に少年は気がついた。いつの間にか、兄に対する怒りも何処かへ吹き飛んでしまっている。

 ――今までの祓い屋とは、印象が違う。

「ま。ちょうどイイや。俺、お前ン家に用があるンだよ。案内してもらえると、助かるンだけどなァ」

「……うちに?」

「そ。お前ン家にさ、融通の利かねェ可愛げの無い少年と、押しの弱そうな物書き先生がいるハズなんだけどねェ」

 ――ああ。

 心の中で一人、頷いた。然して関心が無さそうに珪吾を見つめていた雷封だが、どうやらそれを読み取ったらしい。目を細め、にんまりと口の端を持ち上げた。

「心当たりがおありのようで」

 

 

 ――何故、そこまでするのです?

 珪宋の言葉が、頭の何処かに引っ掛かっていた。どうも、居心地が悪い。柄にも無くやり場の無い苛立ちを覚え、霜雪はぽつりと呟いた。

「……勝手な事を」

 二人が居る部屋は、先程までと同じ部屋である。この重苦しい空気と珪宋がいないのを除けば、ついほんの少し前までと何ら変わりは無い。

「……私は、余計な事をしたのでしょうか」

 重たい空気に耐えかね、口を開いてはみたものの。ついて出たのはよりにもよってそんな言葉だった。霜雪の苛立ちを感じ取っていた所為かもしれない。それにしたって、もうちょっと他の話題があるだろうと草雲は自身に情けなさを感じたりするのだったが、言葉にしてしまったものはもう、どうにもならない。今更、無かった事には出来ない相談なのである。

 案の定。

 少年はぴくりと片眉を跳ね上げ、草雲を見た。

「余計な事、とは?」

「いえ……。私が、考え無しにこの話を持ち掛けなければ良かったのかなと思いまして」

「何故、そうお思いになるのです? 貴方は面白半分で話を聞き歩いているだけだとしても、私達にとって、これは仕事ですよ。仕事を受けるか受けないか。それを選ぶのは結局私達なんです。余計な事だと思えば、引き受けなければ良い。それだけの事です」

「そう、ですか」

 面白半分、という言葉にトゲが感じられたのはきっと、草雲の思い過ごしではないだろう。大体、面白半分も何も。この話を兄弟に持ちかけた際にはもう、自分にはツテがあると言ってしまったのだと白状するハメになっているのだから。

 また、重苦しい沈黙が訪れた。

 ……面白半分、ですか。

 確かに、そう見えても仕方が無いだろうという自覚はある。自覚はあるがそれでも、この少年にはっきり言い切られてしまうと何だかとても居たたまれない気分になった。場違いな場所に、何の考えも無くふらりと迷い込んでしまったような、そんな気分。

 酷く、居心地が悪かった。

 全く、私は。

 何をやっても、中途半端ですねぇ。

 種田草雲という人間は、良くも悪くもお人好しなのである。頼まれればまず嫌とは言えないし、聞くなと言われれば例え眠れない程気になっていたとしても聞く事が出来ない。それでいて、好奇心だけは人一倍強いものだから、少しでも興味を惹く話を聞けば首を突っ込まずにはいられなくなる。その結果、中途半端に噂を聞きかじり、気になる事があっても深いところまで問い質す事が出来ない為、中途半端な噂は中途半端な噂のまま自分の中できちんと消化させる事が出来ずに悶々と抱え込む事になるのである。

 今回の話も、その典型だと、草雲は思う。

 鬼の噂を聞きつけ、珪宋から話を聞いた時。もっと深いところまで、問い詰めてみれば良かったのだ。あるいは、鬼退治が出来そうな知り合いなどいないと、断っていれば良かったのだ。

 そうすれば、今ここでこんな重苦しい空気を吸っている事も無かったに違いない。

 知らず知らずのうちに、ため息がもれていた。

「先生。ため息ばっかついてっと、早く歳取るって言うぜ」

 半分だけ開けられた障子の向こうから。

 そんな、聞き慣れた皮肉が聞こえた。

説明
「桜鬼」前編です。
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