ブランデンブルクからロッテルダムへ |
夕暮れの赤さが街を染めていた。
その光は、宵に近づく時にもかかわらず強みは変わらないように、街に照射し続けていた。まばらな人の姿が、ぼんやりと薄暗い影を人数分漂わせていた。
二車線道路に車が少し慌しく走っていた。その横をロッテルダムは紙の手提げを持ち、この朱色の街を歩く。濃い緑色のセーターと藍色のジーパンというラフな格好だ。涼やかな瞳からは一見冷たさしか感じられないのだが、実は内心彼は少し上機嫌だった。
「ロッテルダム。」
そんな彼を後ろから呼ぶ声がした。甘みと張りのある声だった。
振り向くロッテルダムの視線の先には、ボブカットの女性の姿があった。彼女は身長は150cm程度で黒いスーツを身にまとっている。綺麗に切りそろえられたボブカットが良く似合っていた。垂れ目ぎみの目じりであったが、その雰囲気はそれと相反するようなミントの香りのようなすがすがしく冷えたもののように感じられる。その右手には紙袋を抱えられていた。
彼は軽く会釈をした。間違いなく彼の知り合いだった。
彼女は、彼の友人にして同期の同僚にして同胞のブランデンブルク17号だった。
「こんにちは、相変わらずのようね。」
「えぇ、まぁ。おかげさまで。」
「今日はお買い物?」
「あぁ。砂糖とかを。」
思わず彼の頬が少し緩む。上物の砂糖を買うことのできたという事実は、実際、彼の気持ちを浮つかせていた。何よりも値段が普段と比較し安かったのだ。一般には概して無感動に写る彼であるが、案外こういった小さな喜びには弱い性質の持ち主であった。
「最近またお砂糖高くなったわよね。」
「本当にな。相変わらず海路が荒れているからな。」
「そろそろ、私たちにもお呼びがかかるかもね。」
お呼び。その言葉を聞き、ロッテルダムは期待と不安が入り混じった複雑な心情になる。
本来は彼女の言う「お呼び」のために、彼らは存在している。今彼らが仕事としている事務仕事は、本来のそれではないはずなのだ。
しかしその心情は彼の顔より出でることはなかった。変わらぬ顔で、ロッテルダムは話を続けた。
「ブランデンブルクも買い物なのか?」
「えぇ、私も。」
彼女は少しうれしそうに微笑み、左手で紙袋から缶を取り出した。濃い赤茶色の缶が姿を現す。
「おぉ。」
「純正ココア。」
弾みのある声で、彼女はそう言い微笑んでいた。
「レア物だ…、よく手に入ったな。」
「例の西の雑貨屋で少しだけ入ったらしくてね、買っちゃった。」
西の雑貨屋か、と彼は脳内でタイピングをした。その店は彼も良く知っている。ご老体の夫婦がやっている小さな個人商店だ。
零細経営といえるような個人商店だが、品揃えはなかなか目を見張るものがあった。どういうわけか今回のような「レア物」もたまに入荷する。
しかし、いやそれゆえにか、店のことを知るものは少ないようだった。砂糖、水、ワインや葉巻などの純正品が手に入る場所はやはりあまり人には教えたくないのだろうか。
「いや…、でも高かっただろ。」
「まぁ、それなりにお値段は。」
そうはいうものの、彼女の顔には出費をしたという色合いは見えなかった。ただただ夏のモヒートのようなさっぱりとした雰囲気だった。
「あなただってそのお砂糖、どうせ純正なんでしょ?」
「う、まぁ…な。89%純正品だ。」
「ほらぁ。」
決まりが悪そうにロッテルダムは頬をかいた。そんな様子を見てブランデンブルクは口に手を当て少し笑う。
「しょうがないだろ、量販店に売ってるのは安くても純度が低くて嫌なんだよ。」
「ほらお互い様ね。私もよ。」
「ある程度拘ると厄介なもんだな。」
「本当にね。贅沢してるつもりじゃなくなってくるのが怖いわぁ。」
夕焼けの紅さがブランデンブルクの頬をやさしく照らしていた。電灯が静かにともち、その無機質な光もただ明るかった。2人を遠くから見守るようにそれぞれの光がそこに在った。
「ねぇ。」
「…ん?」
ロッテルダムにはブランデンブルクの唇が赤みを増しているように思えた。夕焼けのせいだと彼は思った。
「折角だし、これから家来てココアでもいかが?」
静かに語りかけるように、彼女はそう言った。
彼は不意に聞き返しそうになった。車の走る音が、やたらロッテルダムの耳に入る。
そういえば、と彼は脳内でタイピングをする。彼はブランデンブルクの家に行ったことはなかった。
その事実を確認したとき、彼の脳裏に浮かんだのは、小さな彼のフロイラインの姿だった。
あの夜、彼女は言った、ブランデンブルクはロッテルダムのことが好きだと。彼はその言葉を無意識に反芻していた。
そんなばかな、と彼は脳内でタイピングをする。目の前の彼女は友人だ、と、タイピングを続けた。しかし妙なノイズが彼の胸に押し寄せていることは、彼自身気がついてはいた。烏の鳴き声が空に響く。
「いや…。申し訳ないんだが、これから少し用事があってな。」
「あら残念。」
断りの言葉をあっさり受け止め、ブランデンブルクは苦笑した。
「また次の機会に。」
どこかぎこちない顔で、彼はそう釈明した。
「そうね。そういえばあなたコーヒー党だし。」
「いや、そういう意味ではなくて。」
ふふっ、と笑い、
「冗談よ。」
と彼女は返した。先ほど見た唇の赤さは、もう宿っていないように彼には思えた。
「それじゃ、また今度。」
「あぁ、またな。」
そうお互いに言葉を交わし、2人はそれぞれの家路に向かい始めた。
あわただしく走る車、家路へ向かう烏達。この街は少しづつ夜を迎えつつあった。
そんな中、
「なんだかなぁ…。」
彼はただよくわからないざわめきを抱え、一人夜道を歩むのだった。
説明 | ||
第2話です。ブランデンブルク初登場。仕事後の買い物帰りでの一場面。 | ||
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