がんばれ吟遊詩人! 第二部第二話(仮案)
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 小高い丘を森が黒々と覆っている。

 その中にずっしりと重量感を漂わせながら建っているのは世界中に勇名をとどろかせている赤枝戦士団の居城ナヴァン・フォートである。

 砂岩の積み上げられた壁を朝日の中に眺めているラヴェルの視界の隅に、見慣れぬ影が入り込んだ。

 周囲にいる戦士達とは服装が違う。いや、歩き方などの雰囲気にいたってはまるきり異なっている。

「お客さんかな?」

「あれはアルスターの騎士の服装だな」

 調弦していた手元からちらと視線を上げるとレヴィンはまたすぐに手元に目を戻した。

 ケルティア最北部アルスターはこの国の王都がある場所だ。そこから騎士が来たということは、王城から何かしらの使いなのだろう。

 事実、しばらくするとホリンが魔の槍を担いで出てきた。

「おう、おめぇら、俺はこれからアルスターまで出かけるが、どうする?」

 ここコノート地方はケルティア王国最南端でケルティア王国では最も田舎である。

 海岸付近の地形が合わず、港はない。

「うーん……どうしようか?」

「どのみちマンスターかアルスターまで行かないと大陸に戻れんしな」

 島国であるケルティアは船に乗らないとまず他の国への移動は出来ない。すでにここへ来るまでに最北部のアルスターから国を縦断してきたわけでもあるし、そろそろ大陸に戻っても良いだろう。

「じゃぁ、途中まで一緒について行くよ」

「おう、そうしな」

 王都から来た使いは他にも行くところがあるようで一足先に経って行った。

 コノートから北東に道を進むと、ミーズを経由せずに直接マンスター地方へと入る。

 王都すら凌ぐ賑わいを見せるマンスターの港町は草花に覆われ、優しい華やかさに満ちていた。

「……え?」

 その穏やかな景色の中、ラヴェルはとてつもなく珍妙なものを発見した。

 美丈夫の多いケルティアの人波の中に、ラヴェルと同じくらい低い背丈のマッシュルーム頭が歩いているのだ。

「あれって……」

 それははっきりと見覚えのあるシルエットだった。

 ヘーゼルのキノコ頭、くすんだ緑色のローブ、いまどき珍しい木靴、そして手に握られている古い杖。

 隣にいたレヴィンが睨みつけるような目でラヴェルに振り向いた。

「おい、何でヤツがここにいる?」

「僕に言われても……」

 ラヴェルは困惑して立ち止まったが、どうやら向こうも気づいていたらしい。大きく手を振っている。

「おーい、ラヴェル〜〜!」

「あーーやっぱり……」

 手を振っているのはラヴェルの故郷、シレジア王国の新王クレイルだ。

 つい先日に父が勇退したのに伴い即位した元王子である。

「いや〜〜こんなところで会うとは奇遇だねぇ」

「……ご無沙汰しております」

 ラヴェルはこれでも貴族の端くれ、一応このクレイルとは昔からの友人である。

「でもどうして王子……じゃなかった、陛下がこちらに?」

「王子で良いよ〜ん」

 はたはたと手を振ると、クレイルはニコ目で別の人影を指し示した。

「うん、実はねぇ、アルスターの王城まで皇太子と一緒に行くところなんだよ。お呼び立てがあってね」

「はぁ……?」

 気づけばクレイルの背後に異様なまでにきらびやかな白衣の男が立っている。ヴァレリア帝国の皇太子シベリウスだ。

「はっはっは、我が友よ、ご機嫌いかがかな? クレイル国王陛下のおっしゃるとおり、これから麗しき妖精の国の城へ参るところである」

 どうやら誰でも友にしてしまうらしい。

 帝国の白百合の異名をとる皇太子は淡い金髪をかき上げると青い視線を遥か北へ向けた。

「うむ。なんでもクヤン先王の崩御に伴い、次期国王を誰にするか、我々に第三者としての意見を求めたいとか」

「行き先は一緒ってかい」

 耳をほじっていたホリンが胡散臭そうな目でシベリウスを眺めた。

「俺はコノートの代表でホリンつーモンだ。ケルティアは五つの地方に分かれていることくらいは知ってるな? 前の王様にゃ子供がいねぇ。そこで円卓会議……俺達各地方の代表が対等に話し合って決めようって寸法なんだが……ふーん、第三者の意見も聞こうってことかい。アルスターの連中にしちゃ珍しく良い姿勢じゃねぇか」

「おおぅ、これはこれは、かの名高きホリン殿」

 有名な英雄に会えて感激しているらしいシベリウスを横目に、クレイルは丁度脇にあったベンチに腰掛けた。

「ラヴェル、丁度良いや、アルスターまで護衛してくれないかな? いや、国から護衛さん連れて来るの面倒くさくてね、二人だけで抜け出てきちゃったんだよ」

「……それってまずくないですか?」

「気にしない気にしない」

 後生大事に抱えていた袋から、こともあろうかお茶セットを取り出すと、クレイルは一人でお茶を飲み始めた。

「うん、まぁ参ったよ。僕も皇太子も旅慣れてはいるんだけどねぇ、船が出ないのばかりはいかんともしがたい」

 ここは青空だが、北部の海上は荒れているらしい。

 大陸からアルスターへの航路が使えないようで、港方面には北へ帰る者が足止めを食い、またアルスターを迂回してマンスターへ立ち寄る者でもごった返している。

「あの、王子」

「んー?」

 ラヴェルは控えめに話しかけてみた。

「こんなことお願いするのも気が引けるんですけど、あの、護衛代ってもらえます?」

「ああ、また路銀に困ってるんだね!」

「……また、ってなんですか」

 溜息を深々とつくとラヴェルはクレイルの前でくるりと回って見せた。

 リンクスに引っかかれ、一応は繕ったのだが服が傷みきっている。

「ありゃまぁ! またレヴィンに吹き飛ばされたのかい?」

「……ルフトドルック」

 圧力を伴った空気にクレイルが突然吹き飛ばされた。

「だからって吹き飛ばさなくても」

「ふん」

 花壇に頭から突っ込んでいた若い王がやがて石畳の上を這って戻ってきた。

「んー要するにラヴェル、服を着替えたいから護衛代を前借りしたいってことだね?」

「……はい」

 指同士を突っ突いているラヴェルにクレイルはぽんと金袋を渡した。大金ではないが服を揃えられるくらいは入っていそうだ。

「じゃ、お金は渡すけど……服はアルスターで見繕ったほうがいいよ〜。向こうの織物は質が良いからね」

「はい」

 数日をかけて陸路でアルスターへ北上すると、嵐の名残か、渦巻く霧が冷たく漂っていた。

 クレイル達が宿を確保している間、ラヴェルは仕立て屋を覗き込んでみる。

「これなんてどうかね?」

 仕立て屋のおばちゃんが好意で見繕ってくれたものを目にし、ラヴェルは笑みが引き攣るのを自覚していた。

「あの……僕、男なんですけど」

「あれぇ、ごめんよ」

 シンプルなワンピースを下げると、今度はまた可愛らしいカーディガンとズボンを出してくる。

「……あの、僕、これでも成人してるんですけど」

「あれまぁ、そうかい」

 どう見ても子供用の服をしまうと、女主人は店内を指し示した。

「じゃぁ適当に見繕っておくれ」

 深々と溜息をつくとラヴェルは店内を物色した。

 折角ケルティアに来ているのだし、アルスター高地地方風の意匠を感じられる服を選ぶとやっと買い求め、先ほどまで着ていた服はそのまま直しを頼んでおく。 

「やぁお帰りラヴェル」

 宿へ戻るとクレイルとシベリウスはお茶にしていた。奥ではレヴィンとホリンがそれぞれ得物の手入れをしている。

「じゃ、一息ついたら行こうか」

 荷物を宿に置くと一行は黒い城へ向かった。

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 堀の水面に玄武岩の城影が揺れている。

「ようこそいらっしゃいました」

 出迎えたのは見たこともないくらいに美しい女性であった。

 幾分目じりが下がっているが眼光は強い光に満ち、凛とした威厳が漂っている。

「私、前国王クヤンの姉に当たりますニニアと申します。もう他の皆様お揃いでございます。どうぞこちらへ」

 香を焚き染めているのか、ニニアからはなんともいえない花のような香りが漂っている。白くシンプルなドレス、高く結い上げた長い髪、ケルティアの平和を象徴するというクローバーをかたどったブローチ。

 どれをとってもいかにも貴婦人といった雰囲気で、ラヴェルはどぎまぎしながらその後ろをついていった。

 案内された部屋には円卓が組まれていた。全員の顔が見渡せ、席に上下の序列のないというケルティア独特の方式である。

 そこにいたのはそうそうたる顔ぶれであった。

 アルスター代表で前王の姉という貴婦人ニニアを筆頭に、レンスターからは誇り高きフィアナ騎士団首領のクール、マンスターからは公爵であり騎士としても名高いロンフォール、ミーズからはこれまた勇名をとどろかす戦士コナル、そしてコノート代表はラヴェルと共に到着したホリン。

 ここへ外部の意見番としてヴァレリア帝国皇太子のシベリウスとシレジア国王であるクレイルが同席するのだ。

「……なんか場違いな気がするなぁ」

「黙って見ている分には構わんのだろうよ。半分は顔見知りだろう?」

「そうだけど……」

「大丈夫ですよ」

 安心させるように声を掛けてきたのはレンスター代表のクールの補佐としてやってきていた若い騎士フィンだった。

 ラヴェルの養父がシレジアで騎士をしている縁で、以前から顔見知りである。

 部外者が静かに見守る中、ケルティアの新しい国王を選ぶ会議はスタートした。

 口火を切ったのはやはりニニアだった。

「さて、わかってると思うけど、国王となれば品格も必要です。まず、武勇だけでは足りないということを肝に銘じておいて頂きたいわね」

 関係ないなとばかりに半分寝ているホリンの横でミーズの有名な戦士コナルは眉を吊り上げている。

「それはともかく」

 穏やかに口を挟んだのはマンスター公ロンフォール卿だ。

「他にも必要な資質があるはずですね。皆さんはいかが思われますか?」

 少し考え、レンスター代表の騎士クールが意見を述べる。

「皆を惹きつける強烈な個性とカリスマ、でしょうな」

「必ずあるべきだとは思わないが、あって悪いもんじゃないな」

 吊り上げていた眉を平らに戻し、コナルが頷く。

「ケルティアという国は」

 論争に加わらず眺めていたシベリウスが口を挟んだ。

「部族ごとの社会ではあるものの、こうして王権が存在し、これだけの城と騎士たちがいる以上、封建国家でもある。国を運営していくときにこのような城独特の社会に無縁ではいられません。ある程度貴族社会に慣れていることも必要かと」

「その点はご心配なく」

 ニニアが少し鼻を上に向けた。

「おいおい、お姫様、自分が女王になるつもりでいねぇかい? あんた今まで何もしてないだろ。オレ達には積み重ねてきた戦績というもんがあるんだぜ?」

 勝利のコナルとニニアの視線がぶつかり合って火花を散らしているところへ、控えめにクールが提案した。

「ケルティアの都は元はタラの丘にありました。各部族が寄り合い、うまくやっていたといいます。そこへ戻るというのはどうでしょう?」

「あら、控えめそうに聞こえるけど自分が王様になりたいのかしら?」

「いえ、そういうわけではございません。あくまで都の話です」

 タラの丘はレンスター地方にある遺跡だ。

 草原の広がるレンスターを守るフィアナ騎士団は、南の赤枝戦士団と並び称される武人達の集団で、大陸にも名をとどろかせ、数多の英雄を輩出している集団でもある。

「自薦はやめましょうよ。他薦、そのほうが正しい評価が下せると思いますが」

 クレイルの提案に、いきり立っていたニニアとコナルが渋々椅子に座りなおした。

 苦虫を噛み潰したような顔をしてコナルが腕組みをする。

「ケルティアは昔から戦士の国だ。古来より多くの部族が争ってきた。それらをまとめられる強さとたくましさが必要だ」

「そうは言うけど国王たるもの気品と美しさも必要よ。野蛮人に用はないわ。品格があって誇り高いことが条件よ」

「誇り高いことと他人を見下すことは同義ではありませんよ、シニョーラ?」

 野蛮人、という言葉にシベリウスは王女をたしなめた。

 大帝国の皇太子という大物に言われてはニニアも大人しく引き下がるしかあるまい。

「じゃぁこうしようか」

 クレイルは手にしていた細長い布包みをといた。

「昔のケルティアの伝説に習って、これに決めてもらおうよ」

 クレイルの手元に現れた輝きに室内が静まり返った。

 聖剣エクスカリバー。

 ケルティアの王者の証である剣で、数々の伝説を持ついわくつきの品だ。

 先般まで先のケルティア王であった聖騎士クヤンが佩いていたのだが、クヤンが争いに倒れたときに傍らにいたクレイルが一時的に預かっていたのだ。 

「これを引き抜いた人が次の王様。いいね?」

 クレイルは剣を中庭の大きな岩に突き刺した。

 エクスカリバーは初めて人間の目に触れたとき、岩に刺さっていたという。

 誰にも引き抜くことが出来なかったが、ただ一人引き抜いた人間がやがて昔のケルティアの王となり、伝説となったのである。

「とりあえず代表者全員一度ずつね」

 クレイルに促されたが、誰も前に出ない。

 伝説の剣に最初に挑むのは気が引けるのだろう。

 視線で押し付け合い、最年長のクールがひとまず剣に触れることになった。

「む……びくともしませんな」

 フィアナの首領をもってしてもエクスカリバーのお気には召さぬようだ。

「よし、オレの出番だ」

 勝利のコナルが力任せに剣を引くが、やはり刃はびくともしなかった。

 苦笑をしつつロンフォールが剣に手を触れるが、やはり剣はびくともしない。いや、ロンフォールの表情からして、たとえ剣が動いたとしても彼はそれを引き抜くことはしないだろう。

「力任せではだめなのよ。頭を使いなさいってこと」

 そういうとニニアは岩に水をかけた。洗濯に使う植物灰の液をかけ、岩から滑らせて抜こうということのようだが……やはり剣は微動だにしなかった。

 全員の視線が、まるきり興味なさそうに剣を眺めていたホリンに注がれた。

「……無理に決まってんだろーがよ……」

 面倒くさそうに進み出るとホリンは剣に片手を添えた。

「うりゃあっ!」

 掛け声と同時、剣がすっぽ抜けた。

 いや、正しく言うなら……ホリンが持ち上げた剣は岩に刺さったままだ。

 つまり、彼は剣を岩ごと抜いてしまったのだ。

 辺りを沈黙が満たした。

 全員の無言の視線を受けながら、ホリンはそそくさと剣を戻し、岩を据えると地面を足で踏み固めた。

「俺は何もしてない。してねェからな!!」

 そういうとまだ周りが何も言っていないうちにさっさと外へ出て行ってしまった。どうやらコノートへ逃げ帰ったようだ。

 辺りを白い空気が満たしている。

「……この件に関してはまた後ほど会議を設けるということでよろしいかしら?」

 とりあえず異存はないらしい。

 全員が無言で頷いた。

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「ここは良い天気なのに」

 翌朝、アルスターの港は良く晴れていた。

「海上はわからんぞ」

 北航路の船は相変わらず欠航したままだ。

 船が再開されるまでの時間、ラヴェルは町で時間を潰すことにした。

 クレイルとシベリウスは宿屋で一休みするつもりらしい。

 ラヴェルはレヴィン一人を伴って黒っぽい石の積み上げられた町家を眺めながら辺りを散策した。

「こんにちは」

 港へ続く道端で声を掛けてきたのは若い女性だった。長い髪をゆるく編み、草花を身につけている姿は一見すると村娘風だが、その支度は旅に出る服装だ。 

 ラヴェルも今はケルティア風の衣装とはいえ、やはり言動に大陸の匂いを嗅ぎ取ったのだろう。

 女性はそのままラヴェルに問いかけてきた。

「大陸の方ですか?」

「ええ、これから帰るところです」

 そう答えてラヴェルは立ち止まった。

 女性からふんわりと優しい花の香りがする。

「船が出なくて大変ですわね……私も大陸へ渡ろうと思っておりましたの。よろしかったらそこのお店で少しお話を伺えませんか?」

「ええ、喜んで」

 ラヴェルが快諾すると女性はにっこりと微笑んだ。

 幾分たれ目の瞳がほんわりと輝く。

 昼もだいぶ過ぎた食堂は空いていたが、時間潰しをするにはもってこいだ。

 黒ベリーの飲料を頼むとラヴェルはその女性と向き合って座った。

「大陸のどちらへいかれるんですか?」

「実はまだ決めてませんの」

 そういうと女性は少し困ったような顔をした。

「私、ディドルーといいます。少し精霊使いの勉強をしていて、修行というわけでもないけれど少し国外で旅をしてみたらと師匠に勧められたんです。ケルティアは妖精や精霊が多いから精霊魔法を使うことは苦労しないし、使えて当たり前だけれど、他の国はそうでもないから、そういった環境に身をおくこともかえって修行になるからといわれて」

「精霊使いさんなんだ、すごいなぁ」

 この世界には多くの系統の魔法があるが、精霊魔法はそのうちでは難しい部類に入る。

 誰でも修行すれば身に付けられるものではなく、ある程度の素質が必要らしい。かといって素質があれば誰でも使えるというものでもないらしい。

「……大陸は」

 ラヴェルの横でリュートの調弦をしていたレヴィンが面白くもなさそうに口を挟んだ。

「妖精も精霊も決して少ないわけではない。だが、それらに語りかける言葉が連中に届きにくいのは確かだ。ケルティアは妖精界に近い特殊な場所だ、その環境に慣れてしまっているなら大陸では苦労するぞ」

「そうですか……」

 ディドルーと名乗った女性はますます困った顔をした。

「でも、とりあえず国から一度出てみようと思っているんです。ただ、行き先を決めていないから、どこへ行こうか迷ってしまって」

「んー、でも旅なら特に行き先決めなくてもいいと思うよ。気が向いた方向に歩いていけば」

 ラヴェルに特に旅のあてはない。

 行き当たりばったり歩いているだけだ。

 もちろん、それはラヴェルがであって、横にいるレヴィンがどう思っているかはわからない。

「あの、あなたは詩人さんですよね?」

「ええ」

 ラヴェルが脇に抱えていた竪琴を見、やがてディドルーはちょっと上目遣いでラヴェルの表情を探った。

「あの、もしお邪魔でなかったら少し同行させていただけませんか? 私、旅に出るの初めてでちょっと心細いんです」

「ああ、それはぜひ。僕らでよろしければ。ね、レヴィンもいいでしょ?」

 レヴィンは調弦の手を一瞬止めたようだったが、すぐにまた指を動かし始めた。

「好きにするといい」

「ありがとうございます」

 旅の醍醐味の一つは行く先々での人との出会いだ。

 こうして共に少しの間を旅するのもなかなか良いものだ。

「そうそう、僕はラヴェル。こっちはレヴィン。よろしく」

「よろしくおねがいしますね、お二人とも」

 気づけば外の通りが賑わいを見せている。

 どうやら航路が再開されたようだ。

「宿屋に仲間があと二人いるから、君は先に港で待っててくれるかな?」

「はい」

「じゃ、ちょっと行って来るね」

 クレイルとシベリウスを呼んでくると、ラヴェルは船に乗り込んだ。

 行く先は大陸、久々の故郷の大地だ。

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 北大陸とケルティアの間には二本の航路が存在する。

 一つは大陸とアルスター、もう一つは大陸とマンスターとを結ぶ線だ。

「……うっぷ」

 空と海がこれでもかというくらいに青い。

 しかしその見た目の爽やかさとは裏腹に、波は大風の置き土産か、まだ荒れたままだ。

 ラヴェルは船員に野菜の酢漬けをもらって口にするが、胃の不快感は治まりそうにない。

 すっかり船酔いしているラヴェルだが、酔っているのは彼だけではなさそうだ。

「ふ……果て無き青空、うねる青き波頭。波間を滑る船上にまばゆく白き大輪の花一輪、ああ、かくも芳しき白百合、我、カサブランカたる純白の花は青に染まらず」

 向こうでわけのわからぬ歌を吐いているのは自分に酔っている皇太子シベリウスだ。

 激しい揺れに当てられ、ほとんどの客は船室に引っ込んで寝ているが、寝ているのも気分が悪くラヴェルたちは甲板で外の潮風を吸っている。

 激しく揺れる船が更に異常な揺れに襲われたのはそのときだった。

「横潮か!?」

 船員が慌てて海面を覗き込む。

 つられてラヴェルも海を見たが生憎彼には潮の流れはわからない。

「何だ、ありゃ?」

 船員の一人が波間を指差した。

 見ると海の向こうから何か近付いてくる。大きな渦の中から、なにやら巨大な背びれが見えた。

「な……まさかリヴァイアサンか!?」

 見たこともない巨大な背びれに船員達がパニックに陥った。

 リヴァイアサンというのは、伝説によると海王だの海の主だのいわれる、ワニのような魚のような海蛇のような生き物で、とにかく巨大だと伝えられる。

「冗談じゃねぇ、逃げろ!」

 進路を変え、手近な島に向けて舟は動きだすが、相手が追いつく方が早い。

 リヴァイアサンと決まったわけではないが、とにかく怪物であるのは間違いない。

 あっという間に船の縁まで来た黒い渦の影から、鱗に覆われたものがとうとう鎌首をもたげた。

「よかった、ただのサーペントか……って、ちっとも良くねエーーッ!」

 どうやら伝説の化け物ではないようだが、それなりに厄介なものではあるらしい。

 ざっと見たところ、近くの島を一巻きできるくらいの巨大な海蛇が、まるで獲物を定めるように船に向けて首を動かしている。

「ばばば、バカ、何しやがる!」

 とっさに放ってしまったのだろう、誰かが矢を放った。

 しかし硬い鱗にはじき返される。

 しかも逆に相手を興奮させてしまったようだ。相手の目が赤く色を変える。

 チロチロと舌を出しながら、それは甲板の人間達を選んでいるようだった。

 やがてそれは、隠れるように甲板と船室との壁に寄り掛かっている、小柄でふっくらとした美味しそうな獲物を食事に選んだ。

 サーペンとの巨大な目と、ラヴェルはばっちりと目が合ってしまった。

「えええええええええっ!?」

 鶏が餌をついばむように、サーペントの首がラヴェルにむけてたたき付けられる。

 辛うじてよけるが、海蛇の頭突きのせいで船に衝撃が走った。

「むむっ、これはいかに。我が友の窮地なるぞ!」

 今頃騒ぎに気づいたのか、自己陶酔から現実に戻ったシベリウスが表情を引き締めた。

「ええい怪物め、栄えある帝国皇太子の友たるものに襲いかからんとは不届き千万! 我がしとめてくれようぞ! さぁ、いざ尋常に勝負い……ぐはぁっ!?」

 大見得切ってラヴェルの前へ進み出たシベリウスを、海蛇はためらうことなく尾びれで叩き飛ばした。

 大きな放物線を描いて空中遊泳した皇太子は、甲板後方に退避していたクレイルの頭に落下、直撃した。

 聞くに堪えない悲鳴が二つ響いたかと思うとやがて沈黙する。

 邪魔者を排除すると海蛇は再びラヴェルに狙いを定めたようだ。

「うわあああっ! たっ、助けてぇー!」

 無意識にラヴェルはレイピアを抜いたがそれが悪かった。

 光るものを見て、海蛇は余計に興奮したようだった。今度は横なぎに尻尾が襲いかかってくる。

「まぁラヴェル様、危ないですわ!」

 揺れる上に飛沫で滑る甲板をディドルーは全力で駆け抜けた。

 ラヴェルを避けさせるため、思いきり突き飛ばす。

「いたあああああっ!?」

 自分と同じくらいの体格のディドルーに力任せに突き飛ばされ、ラヴェルは甲板に思い切り叩きつけられた。

 そのまま揺れる床の上をごろごろと転がるとやがてマストの根元に激突した。

 動きの止まったラヴェルをここぞとばかり海蛇が襲う。

 船酔いをした揚げ句に海蛇の餌とはひたすらついていない。

 よけきれずに吹っ飛ばされたラヴェルは、あろうことか顔面からレヴィンに突っ込んだ。

「……俺に何かうらみでもあるのか?」

「ないないない!!」

 ラヴェルはサーペントよりもレヴィンの方が怖い。必死で首を横に振る。

 潰すような音を立て、海蛇の尾びれがラヴェルの脳天を直撃した。

 目から星をちらちら飛ばしながらダウンしたラヴェルを見て、レヴィンは渋々腰を上げた。

「やれやれ、仕方のない奴だ。ん? 俺を食うのか? 自分で言うのも何だが、不味いと思うぞ」

 青い袖が何かを放り投げた。

 情けない悲鳴が暗がりに落ち込んでいく。

 おいしそうに見えたラヴェルを船室に放り込まれ、海蛇は甲板に残ったレヴィンに狙いを変えた。

「船酔いしたわけではないが、生憎虫の居所が悪くてな……運がなかったと思ってあきらめてくれ」

 背後の壁の奥から何かが転がり落ちる音がする。揺れる船体に、ラヴェルが転がっているらしい。

 挑発するように前に立つレヴィンを排除しようと、サーペントは首を高くもたげた。

 同時。

「……天空より舞い降り来たりて……ライトニング!」

 光ったと思った時にはすでに鼓膜が破れそうな音が響いていた。

 激しい光が炸裂すると、地響きにも似た音を立てて海蛇は頭に開いた穴からぶすぶすと黒煙を上げながら波間に沈んでいった。

「ま、雷の時には姿勢を低くしているのが一番だ」

 巨大な海蛇を一撃でしとめてのけた魔力の前に、船員達が凍り付いている。

「……古の精霊魔法……?」

 ぽつりと呟いたディドルーの声が波音にかき消える。

 空気の凍りついた甲板の上を涼しい風が吹き抜けていく。

 レヴィンはヒョイと肩をすくめると壁際に腰を下ろし、何もなかったかのように居眠りを始めた。

 そんなレヴィンをディドルーはじっと見つめていたが、やがて船室から聞こえるラヴェルのうめき声を聞き取ると駆け出していった。

 

説明
がんばれ吟遊詩人! 〜ラヴェル君の場合〜
第二部 第二話:災いを招く者(仮称)

続編第二話の仮案です。

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ケルティア王国の新王を決めるための会議にラヴェルは同席することにした。
ホリンと共に旅立ち、途中のマンスターで出くわしたのは、ラヴェルの故郷のシレジア国王クレイルと、ヴァレリア帝国皇太子シベリウスという、類稀なる貴人にて奇人だった。
会議自体はホリンの怪力によってうやむやになり、ラヴェルはケルティアを出ようと港へ向かった。
そこで出会った純朴そうな娘を旅の仲間に加え、ラヴェルは再び船に乗った。
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