機械の羽 |
金属を打つ硬く鋭い音に目を覚まし、その騒々しさと体に纏い付く湿気にタツは顔をしかめた。のそのそとベッドから起き上がると修理工の母が散らかしたボトルやらパッキンやらがバラバラとタオルケットから転がり、床に落ちる。素足で同じように床に散らばるそれらを踏まないように気をつけながら放り出してあった靴をつっかけ、ガラクタ置き場のようになってしまっているリビングを抜け窓辺へ足を運ぶ。そこかしこから響き渡る金属音は、ここ数年一向に鳴り止むことはない。次第に街の東から西へと近づいてきたその音は、ついにタツの住む集合住宅の前にまで来たようで、なるたけその音を遮断しようと開け放してあった窓のゆがんだサッシを閉める時、淡く霞んだ空の青と、はるか下から組み上げられた無骨な鉄骨の足場をそろそろと作業員が動いているのが視界の端に入った。
(壁が高くなっている・・・)
いつからだかも覚えていない。おそらく自分が生まれる前からなのだろう。もう15年以上続けられている工事は、この荒野に孤立した小さな都市を何かから守ろうとでもするかのようにぐるりと囲む壁を作り上げるためのものだ。
「・・・起きたの?」
少し遅い朝食でも取ろうと駄々広い作業場奥の冷蔵庫に足を運ぼうとすると、そう呼びかける母の声がし、視線をそちらへ向ける。薄暗がりに置かれた籐で編まれた長いすから作業服を着込んだままの母が身を起こし、タツ自身が窓から差し込んだ四角い強い光の中に立っているため、母の場所は余計薄暗く見え、彼女のかけためがねの縁だけ鈍く光っていた。
「朝ご飯、テーブルの上に出てるから。」
「うん」
「あと、トキさんに頼まれてたやつ、修理終わったから後で持ってって」
「うん」
「今日も蒸すわね・・・。アンタ、髪切りなさいよ」
「わかった」
作業場と化したリビング中央で母がここ数日いじり続けている大型で屋根のある何かの後ろに回りこむと影になっていたテーブルの上で数時間前に焼かれたらしいパンと出しっぱなしにされた牛乳パックが鎮座している。
「牛乳しまってよ」
昨夜も同じ位置にあったそれを見てそう言うと「ああ、ごめん」と答える母の声とボルトを締めなおす僅かに耳につく音が大型で屋根のある何か、の下から聞こえた。
Tシャツとジーンズに着替え、母が直した何かが入った大き目のダンボールを抱え階下まで非常用の螺旋階段で降りる。備え付けられたエレベーターは十数年前に街の全ての機能を管理していたメインコンピューターが暴走し、破壊されてから機能していない。修理も来ない。だがタツはそれが動けばいいとはあまり思わなかった。そもそもそのエレベーターが機能していたのも街がメインコンピューターによって管理されていたのも生まれる前のことで、母が「四角い箱で、上下に動くのよ」というそれが動かなくても、12階分程度の階段を下りることには慣れていたし、それ程苦でもなかったからだ。
階段を下り終え、小さく息を付く。日はかなり高くなり、ここずっと雨が降らないせいで、地べたの土はかさかさに乾いていた。ゆらゆらと陽炎が揺らめいて乾いた街並みを弛ませる。
スクーターの荷台にダンボールを取り付け、街の中央区画にある届け先の家へ向かう。体の脇を流れて行く老朽化が進んでいるビルばかり並んだ町並みはどこもくすんでいて、鮮やかなのは真上に開けた夏になりかけの空、そしてそれを反射するもう誰も近寄ろうとしない、当時街を管理していたオフィスビル郡の割れたガラスだけだった。
ずっと色が変わらないと思う。
いや、ずっとこの街は変わらないようで、だけど壁は少しずつ町を取り囲み空へ届けとばかりに高くそびえ立つ。そしてその分空は少しずつその幅を狭め、切り取られていく。
配達を終え、タツは来た道を戻らず、ぐるりと街の周囲を回りこむようにスクーターを走らせた。今は既に機能しなくなってしまった、当時のハイテク機器の残骸が、街の外れ、作り上げられて行く壁のすぐ内側に山のように捨てられている箇所が数多くある。タツの仕事は母が修理した品物を依頼主の家まで配達することと、その帰りに街の外郭を回って使用できそうな部品を探し拾い集めてくることだ。
スクーターを止めて鉄くずの山を登る。何の用途に使っていたのか分からない機械たち。その中から使えそうな部品を集め布袋に放り込む。時折ガラクタの山はガラガラと崩れ、それに足を取られかけ何度かヒヤリとした。とがった破片なども無造作に突き出たこの山の上で倒れた時には、大怪我をしかねない。
「・・・・・なんだ?」
袋がかなりの重さになり、頬を伝う汗をぬぐい、そろそろ引き上げようかと屈んでいた体を起こしたその時、視線の先に黒い何かが突き出ていることに気づく。
近づくとそれはかなり大きく、ちょうどタツの身長ほどの、羽のオブジェ。細い鉄で組み上げられた骨組みは錆びないように加工でもしてあるのか、古びた質感でありながらも光沢を保っている。その間には羽毛がついているのではなく、半透明で様々な色に変わるガラスが埋め込まれていた。さながら妖精の羽のようで、真上で流れて行く白い雲を写し込みながらそれはキラキラと光った。
―――持って帰ろう。
「うわっ」
袋をその場に置き、羽の周りを掘り返し付け根辺りを手探りで掴み、引く。その途端に自身の足元のガラクタが崩れタツはごろごろと転げ落ちた。頭をしたたかにコンクリの地面に打ちつけ、声も無く蹲る。こぶになったかもしれない。
「・・・ってー・・・・・っ!?」
漸く痛みが引き、起き上がり、視界に入り込んだものに驚き思わず息を止める。見つけてはいけないものを見つけてしまったのではないかと一瞬考え、その全体像に視線をやってほっとする。タツが最初に見たものは白く細い人形の腕で、その腕は今さっき見つけた妖精の羽とセットだった。
背に片翼の羽を供えた少女のロボット。きっと十数年前までどこかのビルで立ち、人々の間で働いていたのだろうそれは、今は壊れ、上半身のみでガラクタの中横たわっていた。おそらく胴体部分がタツの足元に埋まっていたのだろう。だから羽を引いた時に足元が崩れたのだと思いあたり、タツはそのロボットをもっと良く見ようとにじり寄った。
薄汚れてはいるが元は白いのだろう表面はところどころ彩色が剥がれ落ち灰色を除かせている。だが十代の少女の姿をしたそれは、祈るように大きな瞳を閉じていて、確かに美しいといえるものだった。
「・・・・。」
正面に座り込みぼんやりとそれを眺める。
少女の背で雲を写しながら羽が光る。正午を回った頃だろう。じりじりと肌を焼くほどに太陽の日差しは強くなり、少女の羽の縁がそれをチカチカと反射し、その眩しさにタツは目を細め、立てた膝の間に顔を伏せ蹲った。これからもっと暑くなるだろうが、何故かその場を動きたいとは思わなかった。
ふいに金属と金属がこすれる音がし、はっとする。スクーターに鍵をかけていなかったことを思い出し、まずいと思って立ち上がったタツの目の前で、それは動いた。
ギリギリと腕の関節が回り、地面に手をつき上半身を少しだけ持ち上げたかと思うと、不自然な動きでガクリとまた地面に逆戻りする。直感的に起き上がろうとしているのだと分かったが手を貸そうなど考えも及ばず、そのままタツは自分の足元で動くそれを凝視し続けた。
「・・足が、無いんだ」
何度も同じ動作を繰り返すそれに、思わずそう呟く。掠れてほとんど声になっていなかった呟きを、だが認識したのか、漸く動作を止めてそのロボットはきしむ音をさせながらタツに顔を向ける。
カシャン、と小さな音を立て、その瞳が開いた。
藤色のガラスの瞳がタツを映した。
パンを食べながら母の作業を横目で見る。
肌に纏いつくような湿った空気は、また今日も暑くなるであろうことを示唆していた。
母が作っているのは「屋根のついた何か」ではなくなっていた。聞けば途中で煮詰まったらしく製作を中止したという。
細長い鉄と鉄を、火花を散らしながら溶接していく母の背中に「いってくるから」と声をかけ、配達に出た。
少女のロボットが口にすることは全て意味を成さないことばかりだった。入力されていたのであろう言葉を時折思い出したように発し、パチパチと瞳を瞬かせた。膨大なデータが少女のハードにインプットされていたようだが、それらを文脈に沿って並べることを少女は出来なかった。ややノイズ交じりの甲高い声で15年前の時報やお決まりの挨拶を垂れ流し、動かない体で表情だけは滑らかに動かし微笑んだ。
―――配達の最後に少女の下を訪れるのがタツの日課になった。
ちょうど作られた壁とガラクタの山の間になった一角の薄暗がりに少女を隠した。通りからは死角になっていて、回り込んでこないとそこに綺麗な羽をもった少女が居ることに誰も気づかない。
埃にまみれた暗がりで、少女の隣に座り込む。僅かに差し込んでくる光の帯の中で大気中の埃がキラキラと光り、視線の先に見えるガラクタの山と背にした壁の間に区切られた空の青に、喉の奥で蟠っていたどろどろとした物がほんの少しだけため息と共にこぼれだした。・・・そんなものが自分の中に存在していたことにすら今まで気づいては居なくて、その事実にタツは驚いた。
時折発作のようにぺらぺらと喋り、突然沈黙する少女の言葉をつなぎ合わせる。バラバラに組み合わされた文章は支離滅裂で、だけれど使われる単語の種類は似通ったものだった。彼女は地球環境の案内をするロボットだったらしく、大気汚染だとか砂漠化といった単語が頻繁にまぎれていた。おそらく博物館の案内ロボットだったのだろう。
システムの崩壊は僅か15年前のことだから、おそらく当時の彼女を知る人は探せば見つかるだろうがタツは特に探そうとは思わなかった。何よりタツは彼女を他の誰にも見せるつもりはなかったし、彼が有意義だ考えているのは彼女の存在ではなく、彼女と彼女の声、ガラクタと壁が作り上げるひそやかな空間に対してだった。
とろりとした空気が昼時の空気を運んでくる。様々なものの匂いが混在したある種家庭的とも言えるそれは、タツにとっては酷く酷く不快で、息を潜めたてた膝に顔を伏せた。
胸に溜まったよどみが吸い込めば吸い込むほど重く溜まり込んでいくような、そんな気がして、タツは目を閉じて少女の言葉の羅列に耳を傾けた。
母の作るオブジェは鉄で出来た鳥の羽だった。
薄い鉄板で一枚一枚羽を形作りボルトで止めていく。無骨なようで繊細なその羽は、だけれど軽さなどは微塵も感じず、飛べそうに無い。
毎日配達が終わると少女の下へ行き時間をつぶす。少女のセンサーが知覚できる場所まで足を踏み入れると、少女はパチリと大きな瞳を開け意味の無い言葉を喋る。ノイズ交じりの甲高い声も、さほど気にならなくなってきた。
目を覚ます。ゆるゆると覚醒する意識の中、むき出しの腕にまとわりつく湿気に「今日も暑くなるのか」などと考えた。だが、どこかいつもとは違う気がしてタツは閉じたままだった瞳を開ける。途端はっきりした意識で、ずっと自分が心地いいと感じて聞いていた不規則なノイズが雨の音だということに気づいた。
「・・・・っ」
数ヶ月ぶりの雨。
飛び起きて目に入ったリビングの窓から見えた空は灰色で、重く垂れ込め、しとしとと静かに細かな雨粒を落とし続ける。
「雨なのよ」
と、タツが起きたことに気づいた母が開口一番にそう言い、久しぶりに振ると嬉しいものねと言って笑う。その横を通り抜け、「どうしたの?!」と自分を呼び止める声を背にタツは家を飛び出した。
ぬるぬるとすべる階段を駆け下り、スクーターに飛び乗る。
わき目も振らずに少女の居る廃材置き場を目指す。上半身のみのロボット。廃材の中に埋もれていた時には雨風をしのげていても、今彼女は無防備で。
人影一つ見えない灰色にくすんだ通りを壁の端へ向かって走る。雨脚はどんどんと増し、Tシャツをじっとりとしまらせ、グリップを握った手の平はぬるぬると滑った。
「・・・・なんだ?!」
漸く視界に廃材置き場が入り、その場の異様さにタツは息を呑んだ。
何度か瞬きして見てもそれは変わることなく、半ば呆然としながらタツはスクーターを道端に止め、日々通ったその場所へと足を進めた。
―――海が広がっていた。
廃材の山を囲むように、青い光が辺りを包み込み、水中であるかのように揺らめいた。否、そこは水中で、タツの目の前を見たことの無い魚がぐるりと旋回して奥へと泳ぎさって行く。
「・・・っ!?」
自身の腹部を通り抜けていく小さな魚の群れに驚き、思わず肩をゆする。と同時に漸くそれらが只の映像に過ぎないことにタツは気づき、その元であろうロボットへ視線を向けた。
廃材の山の陰に座り込まされた上半身のみのロボット。そのパッチリと開かれた無機質なガラスの瞳から光が放たれ、ホログラフィーの海を作り出している。自らの生み出した光を反射し、少女の片翼の翼はエメラルドにキラキラと光っていた。
惹かれるように少女の傍へ歩み寄ると、タツを認識した少女は、初めて、滑らかな口調で『母なる海について』を語り始めた。その隣に座り込み、少女の瞳から放たれる光の海を見つめる。ぐるぐると旋回続ける大型の魚は、けれども光の中でしか動くことが出来ずに、ザーザーと振り続ける雨の中、同じところを何度も繰り返し移動した。
この異様な光景にタツの他には誰も気づくことなく、数十分後光は弱まり少女の瞼はカシャンと小さな音を立てて落ちた。それきり少女は動きも喋りもすることもなくなった。
動かなくなった少女を家に持ち帰ると、母が目を丸くし、それから「背中にある羽をくれ」と言った。
「嫌だ」と断ると、母は瞠目し、「じゃあいいよ」と言って何故か眉を下げて微笑んだ。
散らかったリビングの窓から雨を落とし終わった雲が千切れ流れて行くのが見えた。
終
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説明 | ||
タツが見つけた少女は下半身がないロボットだった。 | ||
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