真・恋姫無双 〜美麗縦横、新説演義〜 第三章 蒼天崩落   第十五話 想い、遠く
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何時もそうだった。

いつもいつも、あと一歩という所で『それ』はやってきた。

 

 

『―――仲達……どうして!?』

 

 

友と呼んだ男も。

 

 

『―――司馬懿!!貴様の野望も此処までだ!!』

 

 

主と仰いだ女も。

 

そして――――――

 

 

『――――――仲達、くん』

 

 

焦れ、求め続けた彼女も。

 

 

何度も『私』の前に立ちふさがり、『僕』の願いを知る由もなくその道を阻もうとした。

そうなる事を知っていながら、理解していながらもそんな『敵対』をただの作業として淡々と感じる様になっていた。

 

戦果だけを見れば勝ちもしたし、負けもした。

 

 

だけど心の奥底は、魂魄はいつも嘆いていた。

自分が「信じた」と謳いながら、感じながら、その信じた相手を傷つけた己自身を。

 

『乱世』という因果を怨んだ事もあった。

だが、途方もない外史の繰り返しに摩耗した精神はいつしかその怨みを失い、苦しみや痛みは表層だけの装飾の様に希薄な存在感となって纏わりついた。

 

 

 

 

 

疲れた―――そう表現するのが正しいのだろうか。

何かを感じるのも、考えるのも疲れて、ただ作業の様に他人を傷つけ、自分を傷つけ、そして消失していく存在をただ『演じた』。

 

盤上を踊る無様な駒の様に、ただただ淡々と己の役割を演じ続けた。

怒りも、喜びも、悲しみも、全てが作り物でしかないと知っていたから、世界は酷く色褪せて見えた。

 

 

だけど、錆ついた様に見えたその世界の中にあって『彼女』だけは違った。

 

柔らかな白磁も、流れる様な金糸も、深い紅玉も、全てが鮮やかに、焼け付く様に僕の脳髄を焦がした。

 

 

大好きでは余りにも軽く、愛しているでは曖昧なその感情を、僕はただ行為としてぶつける術しか知らなかった。

想いの強さが行為の数となり、それは考えてみればただ獣の蛮行でしかなかった。

 

だが、己に酔っていた『僕』はそれで満足だった。

自分勝手で、傲慢で、不遜な己の増長を止める事もせず、ただ己の想いを彼女に一方的に押し付けて、それで彼女が拒まない事を「自分と同じ」だと決めつけて。

 

 

そうやって一方的に押し付けて、一方的に傷つけた。

 

その事に気づいた時には、もう後戻り出来ない程に彼女を突き放していて、それでも尚彼女は受け入れてくれると勝手に思いこんで。

 

 

――――――振り返ってみれば何事という事はない。僕はただ僕の創った『願望』に彼女を押し込めて考えて、勝手に勘違いして勝手に失望していただけなのだ。

 

 

そんな恥知らずな自分が、彼女を想う資格なんてない。

 

 

 

それを理解していながら――――――僕はまた、彼女の前に立っていた。

 

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兵の怒号が余りにも遠く感じられる様に静寂の帳が降りた空間で、二人は手の届く程に近い距離に立っていた。

僅か一、二歩しかない筈のその空白の間は、しかし彼女にとっても彼にとっても、余りにも離れていた。

 

 

届かない、と。

実地的な意味ではなく、精神的な意味で。

 

交錯した視線で、理解出来てしまったのだ。

 

もう取り返しはつかない―――後戻りは、出来ないと。

 

 

「……兵の動きに違和感があるな」

 

 

つと、酷く冷めた声音で司馬懿が口を開いた。

 

 

「何か、小細工でも弄したか?」

「………………」

 

 

朱里は俯き、口を噤んで答えようとはしない。

だが司馬懿はそれに関して何を思ったのか「フン」と鼻を鳴らして、卓に置かれていた黒羽扇を取ろうと手を伸ばした。

 

 

「それに……触れないで下さい」

 

 

静かに、けれど、強い拒絶。

怒りを抑えた様な沈んだ声音を受け、羽扇へと伸びていた手はその動きを止めた。

 

 

「それは、『仲達くん』のモノです……貴方の―――『司馬懿さん』のモノではありません」

 

 

彼女なりの線引きなのだろう。

司馬懿の氷の様な面を見上げた朱里の瞳には、確固たる意志が秘められていた。

 

それに対し、司馬懿はほんの僅かに目を細めた。

 

 

「…………フン、まぁいい」

 

 

身を翻し、司馬懿は天幕の入口の方へと足を運んだ。が、つと思いだした様に足を止めて、朱里に背を向けたまま口を開いた。

 

 

「『諸葛亮』、貴様にこの『私』はどう見える?」

「……………………?」

「神にもなれず、人にも戻れず、ただ賢しい知恵を蓄えた獣――――――だからこそ、貴様らにこの天下を託せはしない」

 

 

独白の様に淡々と、けれど何処か強い思いを込めた様な口調で司馬懿は続けた。

 

 

「小芝居の舞台であろうと、そこに息づく『命』であるからこそ―――作り物でしかないこの存在が求めるのだよ。平穏を、安息を……!」

 

 

僅かに震えた声音は、次の瞬間怒声となって弾けた。

 

 

「―――それを壊したのは!傷つけ脆くしたのは誰だ!?幾度も幾度も邪魔をしたのは誰だ!?己の理想しか見ずに、多くの命を奪ってきた貴様らが!!貴様らさえいなければ!!!」

 

 

それは、渇望だった。

己の命への執着でも、理想の狂信でもない――――――ただ、願ったのだ。

 

振り返り、その瞳に怒りと悲しみを混じらせながら司馬懿は尚も続けた。

 

 

「命を奪い続けながら、その一方で何が『救う』だ!!何が『平和』だ!!笑わせるな!!謳うだけで安息が来るのなら、そもそも戦など起こる訳がないだろう!!それなのに徒に逆らい、民草を戦禍に晒し続けた分際で!!」

「ッいい加減にして下さい!!それ以上、その口で桃香様の理想を悪く云わないでッ!!!」

「切り捨てる覚悟もない小娘の戯言に何時まで狂わされれば気が済む!?何時から貴様はそこまで落ちぶれた!!」

 

 

――――――ある種、妬みだったのかもしれない。

 

綺麗事だけを謳い、それで多くの信望を得―――そして、己が最も欲した人をも手に入れた、彼女が。

同じ様に平和を望んでおきながら、自分とは何もかもが真逆で、何一つ失わず、何もかも手に入れた、彼女が。

 

 

そして、それで未来を勝ち取った少女―――劉備玄徳という存在そのものが、疎ましかったのだ。

 

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だからこそその羽を?ぎ、全てを穢し、陥めれば、自分の苦しみが理解出来ると思っていた――――――結局は、それすらも無意味。

 

滑稽極まる己への嘲笑で、司馬懿は幾分か自分の脳が冷めるのを感じた。

 

今更、何を熱くなる必要がある。

 

そう思いながら―――しかし、口は言の葉を紡いだ。

 

 

「今日の百人を捨てる事で明日の千人が救われるというのなら、迷う事無く僕は百人を切り捨てる」

 

 

言った瞬間、誰よりも司馬懿自身が内心で驚いた。

 

 

何を言い出すのだと。

何を語っていると。

 

 

だが、その動揺が眼前の少女に伝わる訳もなく、朱里はただ憤りを混じらせた瞳で叫んだ。

 

 

「未来の為に―――不確かな明日の為に、今目の前で散る命を見捨てろと云うんですか!?」

 

 

朱里は叫んでいた。

ただ己の理想を、信じた全てをぶつける様に声を張り上げた。

 

 

「私は!目の前で助けられる命があるなら助けます!!救えるのなら救いたいんです!!それが間違っているんですか!?おかしい事なんですか!?」

 

 

実際そうなのだろう。

これまでの戦も、きっとより少ない被害で――叶うのなら被害を出さずに――決着を付けてきた。

 

犠牲を多い少ないで語りたくない――――――そんな信念があったのかもしれない。

 

 

だが、司馬懿の口は反論を紡いだ。

 

 

「目先の情に囚われ対局を見失う事で、百で済んだ犠牲が万に膨れ上がるとしてもか?」

 

 

瞬間、司馬懿は軽い既視感を覚えた。

 

こんな光景を―――やり取りを、何処かで見た覚えがあった。

 

 

「華琳様の様に目の前の百も明日の千も救える様な御方が次の時代にも現れるという保証が何処にある?あの御方一人によって成された天下など、あと百年もせぬ内に崩れ落ちるのは目に見えている」

 

 

何処だ――――――何処で。

意識が記憶という名の深淵を潜り続ける間も、司馬懿の口は止まる事無く冷淡な言葉を続けた。

 

 

「誰もあの御方には成り変われない……だからこそその統一は早く、そして脆い」

 

 

僅かな静寂の後、震える声を振り絞りながら朱里が口を開いた。

 

 

「分かりません……分からないんです」

 

 

泣いてはいない。

だが、今にも泣き叫びそうな程に痛々しい表情で、心の底からの疑念を問う様に朱里は言った。

 

 

「どうして……どうして、そんな簡単に人を切り捨てられるのか、私にはわからないんです」

 

 

 

刹那、司馬懿の中で何かが噛み合った。

 

まるで止まっていた自分という時間が動き出す様な、色褪せていた世界が一気に色付く様な、そんな感覚の中、自然と口は開いた。

 

 

「分からなくて当然だろ?」

 

 

―――嗚呼、なんだ。

 

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――――――僕は僕の傲慢の免罪符に『君達の理想を守る為』と謳っていただけなんだ

 

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それが当然であるかの様に。

 

 

「分かって欲しくないんだ。分かっちゃいけない事なんだよ、朱里」

 

 

それが自然であるかの様に。

 

 

「君が知ってはならない事、知らなくて良い事、知る事を許されない事なんてこの大陸には掃いて捨てる程にある」

 

 

全てに得心が行った様な。

五感が存在ごと研ぎ澄まされ、感覚の全てが醒めていく様に感じられた。

 

血の『赤』と絶望の『黒』しかなかった世界が、幾多の色で染め上げられる。

 

 

「人は万能じゃない。だからこそ『前例』がいる」

 

 

口は動き続ける。

開けていく視界を、世界を気にする事もなく。

 

 

「―――こんな血生臭いだけの悲劇なんて何も生み出さない、という確かな例が」

 

 

ふと、そこに至って司馬懿は自分の視界が滲んでいる事に気づいた。

 

それは周りの空間を歪ませ、けれど目の前の少女だけは歪まず、真っ直ぐに相対して自分を見つめる。

 

 

「成都に帰るんだ、朱里」

 

 

涙。

 

渇き、壊れ、摩耗しきったこの身体に、魂魄に幾らか残っていたのか。

頬を伝う幾筋ものそれを肌に感じながら、司馬懿は自然と笑みを零した。

 

 

「こんな茶番に君が苦しむ必要なんかない。悲しむ必要なんかないんだ」

 

 

朱里の顔が驚きに染まっているのが見える。

それが果たして何に対してなのか、司馬懿には分からない。

 

 

「僕がまだ『僕』でいられる内に……君を想っていられる内に、僕の目の前から消えてくれ」

 

 

だが、分かった事が一つだけ。

その一つだけで、司馬懿は己の全てを取り戻した。

 

 

「――――――君を傷つけてしまう事、泣かせてしまう事。それが、それだけが、僕にとっての恐怖なんだ」

 

 

本当に焦れていたのだ。

心の底から、自分の存在全てを懸けても尚、彼女の事を想っていたのだ。

 

歪だった感情が、自分の中で確かな形になってゆくのを感じる。

魂が満たされていく感情に、素直に心地よいと思える。

 

取り戻せないのが分かっても尚―――この心は、もう絶望に染まらない。

 

 

「有難う、朱里」

 

 

だからこそ、司馬懿は『笑った』

 

心の底からの感謝と、ありったけの想いを込めて。

 

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「ずっとずっと―――大好きだったよ」

 

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