香る虚花 |
嘘を吐くのはヘタクソなくせに、やせ我慢が上手いから、周りも騙されてしまうのだ。
「なら、逃げちゃおう」
切迫した場に不釣合いな軽薄さは、桃香らしいといえばらしかった。
一刻一秒と操魏の軍勢が押し寄せる徐州。圧倒的不利、というか勝負にすらならない兵力差のなか、導き出された行動は、撤退。
撤退といっても、帰るべき土地からの撤退というわけだから、平たくいえば敵前逃亡と変わりない。
太守としての責務も放棄して、明日の確証もない旅に出る。
目する行き先は荊州。正史においては蜀漢建国の地だが、楽観ができるようなものではない。
名だたる武将の性別がひっくり返っているのだ。何が起きたっておかしくはない。
とんでもない博打ではあったが、玉砕よりかはマシな選択だった。
「これと、これと。あと――」
「雛里、こっちの奴は全部持ってっていいのか?」
「はい、お願いします」
方針が決まった後の城は慌しかった。
重要書類だけを持ち出し、残りの木簡は焼いて処分する。
作業は鈴々と雛里と手分けをして行われていた。
とはいえ、書類の整理は専ら雛里の担当で、俺と鈴々はいらなくなった木簡を焼き場まで運んで火に投げ入れる作業だ。
愛紗と星もそれぞれ兵と兵站を纏めている。
魏軍の軍馬が鳴らす蹄の音に身を締め付けられながら、それでも脳裏は気を抜くと、それとはまったく別のことに掠め取られる。
――勝ち目なんてないし、勝ち目のない戦に、兵のみんなや住民たちを巻き込めないよ
――悔しいけど……勝ち目のない無謀な戦いに住民たちを巻き込みたくないの
――曹操さんが村や町に住んでいる人たちに乱暴するってこと、ないと思うし
いつも通り、能天気を絵に書いたような言葉。
その上、あらゆる選択のリスクを鑑みて、現状最善の判断。
なのに妙に心がざらつく。
あのときの、いつもと変わりない屈託のない笑顔が。
変わりない明るい声が。
致命的な何かを見落としている気分になる。
「お兄ちゃん!」
鋭く呼ぶ鈴々の声で、手が止まっていることに気づいた。
とにかく一秒でも早く、この場から脱出しなければ。
思考も、真相も、すべては命が繋がってからだ。
そう言い聞かせて両腕に木簡を抱えると、赤くたなびくボブショートを追いかけた。
2人きりになれたのは僥倖だった。
書類整理がひと段落し、一人抜け出す形で長老たちに事情説明に行った桃香と朱里に城の入り口で落ち合った。
基礎体力が俺以下な2人だから、町と城の間を走るだけで息が上がっていたけれど、朱里は雛里の様子を見にいくと場内へ駆けていった。
必然的に、桃香と2人残される形となる。
時間的な余裕があるなんていえないが、愛紗の部隊編成と星の兵站準備が整わないこの状況は、悪戯に時間が過ぎるのを待つことしかできない。
「長老たちは? わかってくれた?」
「うん……。どうしようもない事情だっていうことも、これが自分たちにとって最も安全なことだってことも、わかってくれたよ。
それでも武器を持って一緒に戦おうとしてくれた人たちもいたけど」
死ぬかもしれない戦場へ共に立とうとしてくれる。それも負け戦とわかっていながら、武技を身につけてすらいない者たちが。
厄介者を追い出して、嵐が去るのを待っていたほうが、利があることはわかりきっているのにそこまでしようとしてくれるのは、桃香の人徳や朱里や雛里の政策、鈴々や愛紗や星の治安維持。住民たちがより良い暮らしができるよう頑張ってきたからだろう。
止めて欲しくないのだ。桃香に。
「これから来る曹操さんは、皆さんを決して悪いようにはしないって。
なんかカッコ悪いけど、何度もみんなに言い聞かせて」
あはは、と桃香は声を上げた。
まただ。
底抜けに明るい声。いつもと変わらない声。
能天気な笑顔。
「大丈夫。朱里ちゃんと2人で説得して、わかってもらえたよ」
変わらない振る舞い。
変わらない? 本当に?
胸の辺りに強い圧迫感を感じて、息苦しくなる。
目の前にいる少女が、指で突けば崩れるハリボテのような。
声が、笑顔が、現実味のない虚無感にも似た感覚を増長させていく。
「私なんかより、頭も良いし強いから、賊に怯えることだって絶対ないって」
抱きしめたのは、自分のためだった。
これ以上、聞きたくなかった。
これ以上、見たくなかった。
「ごしゅ、じん……さま?」
「いいから」
「ふえ?」
「今はいいから。誰も見てないから」
柱の影に隠れるように引き寄せて、抱きしめるというには聊か乱暴に桃香の頭を胸元に押し当てた。
「……いってる意味が、わからないよ?」
小さく笑いを含んだ声に、かすかな揺れを確かに感じた。
いって聞かせる必要もないだろう。自覚症状はあったようだ。
バタバタとした喧騒が、いやに遠く聞こえた。
大きく開襟した制服のインナーが、じわりと温く濡れるまで時間はそうかからなかった。
白い学ラン、天の御使いたる証拠の制服を震えるほど掴んで、嗚咽をかみ殺している姿は、見られたくもないだろうから目を逸らす。
なにをするわけでもなく、ぼんやりと正面の内壁を眺めていた。
魏なら安全だとか、大丈夫だとか。そんな次元の話ではないんだ。
もっとここにいたかった。この町でやりたいことはまだまだあった。
町の人たちとも分かり合えてまだまだ日が浅い。これからどんどん絆だって深まるはずだった。
自分たちだって、もっともっとできたはずなのだ。
こんな中途半端なまま、裏切るように、見捨てるように投げ出すことなんてしたくなかったんだ。
必死に声を潰して、それでも濡れ聞こえる泣き声。
いっそ清々しいくらい、感情表現がストレートな桃香らしくない泣き方だった。
ままならないことを押しつぶして、平静を装いながら、心で泣き叫ぶ主君の姿がそこにあった。
らしくないから止めろ、なんていえるわけがない。不安にさせまいと民を、臣下を思う桃香ならでは行動だ。それに彼女の目指すものの中で、これは確かに必要なことだから。
けれど、だからこそ、「いつもの笑顔」を被った桃香が怖かった。
そうやって感情を埋めて、桃香の中の大切なものが見えなくなくなるのが嫌だった。
いや、これも詭弁かもしれない。単純に桃香の笑顔が、純粋に笑ったときに咲くあの笑顔が、その意に反して使われることが恐ろしくなったのだ。
小さい、と思う。
こうやって抱きすくめれば収まってしまうその身体は、色々なものを抱え込むには小さすぎる。
その小さな身体で、それでも桃香は身に余るものを求める。
あれも守りたい。これも護りたい。
強欲といってもいいくらい、彼女の理想は大きい。
だからせめて自分はこうやって、桃香を受けとめよう。
嘘がヘタで、不器用で、そのくせ本当に傷ついている姿は誰にも見せたがらない彼女の逃げ道を作ろう。
出立の準備まであとどれくらいかかるか、それまでにこの小さな君主の涙をどれだけ引き出せるか。
俺は必死になって計算していた。
シリアスです。桃香で。
俺得です。まごうことなき俺得です。
真・恋姫蜀編第七章、徐州からの逃避行より。
あのときの桃香の喋り方が引っかかったので、書いてみました。なんか空元気っぽかったなーと思って。
何も考えていなくて感情表現が豊か(過ぎる)桃香ですが、本当に傷ついているところとかは億尾にも出さないんじゃないかと。しかもそれを演じ分けとかではなく素でやっているから周りも気づいてやれない。もしかしたら本人ですら気づいてないかもしれない、みたいな。
一刀さんがそれに気づいたのは、彼自身そんなところがある所為です。一種のシンパシー。
この2人は恋愛以前に根底的に共通項が多くて繋がっている感じがします。
ちょっと次ページでそんな2人の語り入ります。
凄く痛々しいかもしれない個人的分析です。
元祖の恋姫で劉備(桃香?)のポディションを一刀がしていた所為かもしれないけれど、この2人は似通っているなーと思います。
天然とかの性格的なものではなく(まぁそこも含んでるかもしれないけれど)、慈悲深さとか、来るもの拒まずな考えなど。
けれど共通点が多い分、2人の相違点が浮かんでくる感じです。
わかりやすいのが馬超・馬岱参入の際の「あんた等に何の得があるんだ?」という問いの回答。
桃香は「みんなが笑顔になる」といったように、他人の痛みや喜びをそのまま自分のものとして感じ取るし、一刀は「(自己)満足かな?」といったように、他人の喜びに満足するのは結局自分の勝手なのだと一歩距離を置いた見方をしている。
桃香は考えをいつでも外側に発散させているのに対して、一刀は考えを自分の内側に絶えず問いかけている。その性向もあって、桃香の影響力は見ず知らずの人などに大きくて、一刀の影響力は良く見知った身内に大きい気がします。
そのため桃香は理想ありきで頑張って現実をそれに近づけようとするし、一刀は現実を見て、そこからできる範囲で最善な形を模索していく。
結局、桃香は一刀が居なければ現実的な目処が立たない。一刀は桃香(無印では愛紗?)のような高い志がなければ小さく纏まってしまう。
なんだか「無我夢中で空に手を伸ばす人」と「それを転ばないように見守っている人」みたいな構図がこの2人にはある感じです。
なんてことを書いていて自分が気持ち悪いことがわかったので、この辺で閉じます。
説明 | ||
このさっかは じゅようとかを あまりかんがえないから とうかちゃんで しりあすとかを かいてしまうんだよ 時期は蜀編第七章の魏軍が攻め寄せてきたところです |
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コメント | ||
ありがとうございます。普段元気な娘が弱っている、とかそういうシチュエーションが好きな作者です。……変態ですね。だが悔いはない!(牙無し) シリアス桃香もいいですね。勉強になりました。(聖槍雛里騎士団黒円卓・黒山羊) |
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