『やまない微熱』第4章その3
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 私が頴田君ちの前で血を吐いた翌日、私は寝込んでしまいました。

 吐血によって体調が悪化したというより、精神的理由なんだと思います。

 

 頴田君ちの玄関先で血を吐いてしまったことより、

 『頴田君に会うという決意が挫けた』、その事実が私に重くのしかかる。

 

 寝込んでいるといっても、今の心境で睡眠にふけるなど出来るはずがありません。

 布団にくるまり自分の不甲斐なさを呪うしか、私には出来そうもありません。

 

 幸か不幸か今日は日曜で、学校に向かうかどうか思案する必要はありません。

 いえ、まだ普通に学校に行って、頴田君と普通に会えば諦めもついたのでしょう。

 「私と頴田君は縁がなかった。」そう自分に言い聞かせ、

 無理矢理に授業を受けていれば、気も紛れたかもしれません。

 でも、カレンダーが赤いこんな日は、いくらでも時間があってしまうんです。

 昨日を振り返る時間。

 後悔する時間。

 そして、再び頴田君の家に行く時間さえも……。

 

 馬鹿らしい。あれだけ決意を固めて行ったのに尻尾巻いて逃げ帰って来たのです。

 再び行ったところで、どうなるというんです。

 

「起きてるか?」

 

 ノックと共に父が私の部屋に顔を出す。

 それに気付いて、私は頭まで被っていた布団から首を伸ばす。

 

「起きてるよ。……今日も仕事に行くの?」

 

 部屋から一歩も出て来ない私を心配したにしてはちょっと早い時間、まだ昼食にも早い。

 だったら父が私の部屋に来る理由は一つしかない。

 

「客先でトラブってるらしいから、ちょっと行ってくるよ。

 今日は帰って来れるかわからないから、何かあったら隣の今井さんに言うんだぞ」

 

 父の決まり文句。

 でも今井さんに頼ったことなんて一度もない。

 もし体調が急変すれば、お隣に行く前に私は倒れてる。全く以て意味がない……。

 

「日曜なのに大変ね。仕事、がんばってね」

 

「ああ、行ってくるよ」

 

 本当に父は大変です。毎日遅くまで仕事だし、母と死に別れてからは家事までこなしている。

 平日は朝早く起きて私のお弁当まで作ってくれている。

 それに比べ、私は洗濯と皿洗いを少し手伝うだけ。

 もっと父の役に立ちたいけど、無理をして私が倒れては本末転倒です。

 

 ここだけの話、父は再婚するべきだと私は思っている。

 死んだ母のことを考えると、やりきれない思いはあるけれど、

 仕事に家事に振り回されている父には支えてあげる人がいないと、いつか潰れてしまう。

 

 まだ若い父なら、再婚相手を見つけるのもそう苦労しないでしょう。

 私という大きなコブがなければの話だけど……。

 

 結局、「私さえいなければ」その事実が私に付きまとう。

 

 私はいらない子だ。

 私を生んでくれた母には申し訳ないけど、それは私が一番よく知っている。

 

 だからって、私が死ねば全てが解決するわけでもない。

 私が死ねば父は悲しむし、私だって死ぬ気はありません。

 だけど、生きる希望も持てなかった。

 

 だから頴田君になすり付けようとしたんだ。

 頴田君さえいれば生きていける。そう思い込もうとしたのでしょう。

 

 でも、気付いてしまった。

 頴田君との関係が今のままでもいいと思う私がいることに気付いてしまった。

 私は必ずしも頴田君を必要としていない。

 私は頴田君という存在に責任転嫁をしていたのです。

 

 頴田君は私のオモチャじゃない。私が恋という生きる希望を夢見る道具じゃない。

 私は頴田君という人格を無視して頴田君を扱っていた。

 だから頴田君と、クラスメイトという生温い関係をずっと続けたいという欲求に勝てなかった。

 なんとしても頴田君を恋人にしたいという熱意も、

 頴田君に私の恋人に変わって欲しいという願いも、本当はなかったんだ。

 私は頴田君を利用して『恋愛ごっこ』をしてただけなんだ。

 

 ごめんなさい。頴田君。

 私はやっと自分の真実に気付きました。

 お馬鹿な私を許してください。

 

 私の謝罪の念は頴田君に届いたかな?

 いいえ。頴田君はエスパーではないのです。私がこんなところで何を思っても、頴田君に届くはずがない。

 

 ……そうだ。昨日のことも含めて頴田君に謝罪しなくちゃ。

 

 超お馬鹿な私は、やっとそのことに行き着いた。

 玄関先を血で汚して逃げた私にはその責任がある。

 

 でも、どうしよう?

 

 まさか、謝りに頴田君ちに行けっていうの?

 

 会わせる顔がないばかりか、もう頴田君の家に行く勇気をひねり出す気力もありません。

 

「明日、学校で謝ろうかな……」

 

 そう呟いてみたものの、学校で頴田君に謝罪する情景を私は想像出来なかった。

 やっぱり私にとって学校って特別な場所なんだ。

 そんな場所で嫌なことをする気が湧いてこないんです。

 

 私は自室の壁を見る。

 昨日まで頴田君の写真を貼っていた壁。

 写真は昨日、頴田君の家から逃げ帰って来て直ぐに取り外した。

 今は何もない白い壁。自室に逃げ帰ってまで頴田君に見られるのが辛かった。

 今は逆に写真を貼っていた跡が痛々しい。

 

 やっぱり電話して謝ろう。

 謝ったらこの燻った感情も少しは晴れるかもしれない。

 

 電話番号は住所を調べた時に把握していました。

 直接謝りに行くよりはましとはいえ、電話だって気が進みません。

 それでも、何もしないのは精神衛生上最悪です。

 何かしないと押し潰されてしまいそうです。

 

 電話……。

 まだ告白の電話をするのなら期待に胸膨らませたのでしょうが、

 謝罪の電話となると気が重たい所ではありません。

 

 私の鞄の底に眠っている携帯電話。誰からも電話がかかることのない電話。

 アドレス帳の登録数は寂しいかぎり、友達のいない証明みたいなもの。

 だから見たくもない。いつも鞄の奥底で眠りについている。

 

 久しぶり手にした携帯電話は充電が切れていた。

 それも当然。私は携帯電話を使う気が全くない。私が携帯電話を使うときは助けを呼ぶ時だ。

 だから私は絶対に使いたくない。もしもの為に鞄に入れているだけ。

 

 私は自室を離れ玄関に向かいます。そこには家の電話がある。

 私お気に入りの黒電話。もはやアンティークに近い遺物です。

 この家を買ったときに既に付いていたらしい。前に住んでいた人が置いていったのでしょう。

 

 黒電話のジリジリ回すダイヤルは、味気ないプッシュダイヤルより遙かに趣がある。

 それなのにこれをダサイとか言う人が多い。

 趣味は人それぞれなんだから、とやかく言うのは止めてほしい。

 

 その私の好きな回転ダイヤルに指をかける。

 誰が出るかわからない自宅の電話より、頴田君の携帯電話にかけた方が都合がいいのだけれど、

 頴田君の携帯番号がわからないのだから仕方がありません。

 私は頴田君ちの電話番号を回していく。

 

 最後の数字を回して、私は唾を飲み込む。

 

 あれ? ……かけちゃった。

 

 えっと、あれれ?

 これ頴田君ちの電話番号だよね?

 私……喋れるの? 何をどう喋るの?

 

『はい。頴田です』

 

 ガチャン、と私は慌てて受話器を置いた。

 

 私、何気に頴田君の家に電話をかけてました。

 そう、謝るつもりだったんです。

 ちょっと待ってください。私、何してるの?

 

 だから……えっと……、今の声、頴田君が出たんだよね?

 

 え? え? ええええぇぇ!

 私、何電話切ってるんですか!

 どうしよ。どうしよ。電話切っちゃった。

 落ち着け、私!

 

 もう一度かけ直して……。

 私の手は、再び番号を回していく。

 

 数回の呼び出し音の後、相手が受話器を取る気配がする。

 さっきかけた時はそんなことにも気付かなかった。

 それだけ私は混乱してたんだ。

 うん、今は冷静、冷静。

 

『はい。頴田です』

 

 再び頴田君の声。

 生の声とちょっと感じが違うけど、抑揚のない渋くカッコイイ声。

 これは頴田君です。私が言うんだから間違いない。

 

『もしもし?』

 

 えっと、何言うんだっけ? え〜っと……。

 

 あれ? 私どうしたいんだっけ? その、あの……。

 

 そう、昨日玄関先で血を吐いたことを謝るんだっけ。

 何て言えばいいのかな?

 

『もしも〜し』

 

 素直に言えばいいんだ。汚しちゃってゴメンナサイって。

 そうだよ。謝罪は誠意が一番。

 誠意を持ってゴメンナサイすれば、許してもらえるよ。

 

『何か用ですか!』

 

 ちょっと待って。

 私が謝るってことは、昨日頴田君の家に行ったと言うことになります。

 だったら当然、どうして私が頴田君の家に行ったかを話さないといけないわけで、

 つまりは私が告白しに行ったのに告白出来なかったと告白するわけで……。

 

 なんなのそれ? 私ってホントに馬鹿?

 

『用がないなら切りますよ』

 

 え? ちょっと待って頴田君。

 まだどう謝るか決まってないの。

 

 私の願いも虚しく電話は切れる。

 そりゃ、電話して何も言わなければ電話を切られても仕方がない。

 

 悪いのは私。

 何て言うか決めずに電話をかけた私が悪い。

 

 気を取り直して、何て言って謝るか決めなきゃ。

 まず、昨日頴田君の家にどうして行ったのか。それを言わなきゃならないの?

 なんとか他に理由を作って言い訳した方がいい。

 その方が私の惨めさもいくらかマシというものです。

 

 私が休日に頴田君の家に行く理由。そんなのあるわけない。

 普段から家にお邪魔する気さくな関係でもないし、頴田君に借りた物も存在しない。

 

 あっ、そうだ。

 頴田君とはまた買い物に行く約束があったんです。ですから買い物のお誘いに……。

 

 ん? う〜ん。

 買い物の約束をするなら学校でいいわけで、直接頴田君の家に行く理由にはならないような気がします。

 

 だったら、いつもお世話になっているお礼を言いに行った?

 それもお礼は学校だって言えるしなぁ。

 

 普段のぼーっとした顔に似合わず、頴田君はそういうことに意外と鋭い。

 下手な嘘を付くとバレると思う。

 

 う〜ん……。そうだ。

 普段お世話になっているから父がお歳暮を持って行け、って言ったことにしよう。

 父に言われたから私は仕方がなく頴田君ちに行った。

 

 うん、それがいい。

 『つまらない物』でいいなら、私が勝手に用意すればいいんだし。

 

 そうと決まれば電話、電話。

 

 私はリズミカルに頴田家の番号を回す。

 こうも連続でかければ、いくら頭の悪い私でも番号を覚えてしまう。

 

 ふふふ、頴田君ちの電話番号なら何十桁でも大歓迎です。

 どんなに長くったって覚えてやります。

 最終的には体で覚えて、見なくてもダイヤル出来るようになるのが礼儀というものです。

 

『はい……。頴田、です』

 

 また、頴田君が出てくれた。

 今度は失敗しないようにちゃんと謝っらなきゃ。

 

 私は受話器を手にして深呼吸。

 落ち着け、落ち着け。すーすーはーはー、すーすーはーはー。

 

『……もしもし?』

 

「ごめんなさい」

 

 言えた。私の口からあっさり出た謝罪の言葉。

 今まで悩んでいたのが馬鹿みたいにあっさりと言えた。

 

『……何ですか?』

 

 ありゃ? 言い方が悪かったのかな?

 頴田君にちゃんと伝わらなかったみたい。

 

「ごめんなさい」

 

 私はもう一度謝罪の言葉を口にする。

 

『……』

 

 受話器越しに頴田君が息を飲むのがわかる。

 

 あれ? どうしたんだろう?

 私の声が小さくて聞こえなかったのかな?

 

「ごめんなさい」

 

 三度目の正直。それでも私の謝罪に頴田君は黙ったまま。

 頴田君はあまりお喋りを好むタイプじゃないし、電話が嫌いなのかな?

 

 それでも何も言わないのは変。私の謝罪は頴田君に届いていないの?

 それは困ります。せっかく電話して謝ってるのんだから、

 私の謝意は伝わってもらわないと困るんです!

 

「ごめん……なさい」

 

 私は心よりお詫び申し上げる。電話越しだというのに律儀に深々頭も下げる。

 人という生き物は心から申し訳なく思えば自然と頭が下がるものです。

 

『……何で謝るんだよ?』

 

 ううう。何でって言われても、自分の失敗を解説しろと言うのですか?

 頴田君に会いに行ったワケを白状せよと言うのですか? そんなの私が惨めなだけです。

 

 ああああ、なんで昨日は何なことになっちゃったんだろ。

 

 いくら後悔しても過去は変えられるはずもなく、

 私のダークオーラは当社比一.七倍です。

 

『なんとか言ったらどうなんだよ……』

 

 頴田君の痛烈な言葉が私に突き刺さる。

 私には何も言い返せない。口に出来る言葉がない。

 

 誰か、助けてください。私はどうしたらいいのですか?

 藁にもすがりたい思い。私は泣きそうになるのをぐっと堪えた。

 

 そ、そうでした。忘れるとこでした。

 言い訳はさっき考えたんでした。私ってやっぱりお馬鹿さんです。

 

「今から行くから……」

 

 丁度お歳暮の季節。日頃の感謝を込めて何か持って、これから伺わせれもらいます。

 

『えっ? 何言ってんの?』

 

 頴田君の声が荒立てる。

 私がお宅に伺うのは嫌なんですか?

 

「……行ったら、ダメなんですか?」

 

 私は恐る恐るに聞く。

 その答えを聞きたくない。そうは思っても私は聞くしかない。

 

『行くって、ウチに来る気かよ』

 

「嫌、なんですか……?」

 

『当たり前だ!』

 

 あっ……。言われてしまった。

 

 頴田君からの拒絶の言葉。

 

 それはちょっとショックです。

 いくら玄関先を汚したからってそんな言い方はちょっと酷いです。

 それだけ頴田君が怒ってるということでしょう。

 

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごんめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなぁ……。はぁはぁ……」

 

 私は謝罪の言葉を並べるたてる。

 途中で息が続かなかったけど、頴田君を怒らせてしまった私に出来ることは、ひたすら謝るしかないのです。

 

 そんな私の耳に聞こえてきたのは、乱暴に切られた電話の音。

 

 私は言葉もなく立ち尽くす。

 

 あの優しい頴田君が怒ってる。私の不注意で怒ってる。

 私はどうすれば許してもらえるのでしょう。

 

 以前私は、楠木先生に仲直りの秘訣は自分から謝ることだと言った。

 そんなの私の知ったか振りです。

 私は人と真剣にケンカをしたことがないし、仲直りもしたことはない。

 そんな私が仲直りの秘訣なんて知ってるはずがない。

 

 理論と実践の隔たりは私の想像を簡単に凌駕する。

 怒った頴田君に謝っても、私は許してもらえなかった。

 

 やりきれない後悔と自責の念が私を包み込む。

 目の前が真っ暗になったように、私には自らの行く先が、私の未来がどこかに行ってしまう。

 これを絶望というのでしょうか。

 

 私、どうすればいいんだろう……。

 

 

 

 

(第五章につづく)

説明
幾度となく血を吐き捨てる私。
いつに死ぬともわからぬ私。
惨めに死を待つしかない私。
そんな私でも恋をした。
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