少女の航跡 第1章「後世の旅人」24節「陽動」 |
「いや、少し問題が発生してしまってな…」
「何だ?」
ルッジェーロが言いたい事を言いにくそうにカテリーナに言い、それを彼女が冷たい言葉であ
しらってしまった。
それは、さっきの二人きりで会った時のルッジェーロと彼女の雰囲気とは大分違ってしまって
いる。大勢の場で見せたやりとりと似ていた。
私達は、主要な騎士達、騎士団の団長ばかりと共に集められ、さっきの大広間に集結してい
た。何でも緊急の用だというので、すぐには全ての騎士を集められない。
数名の騎士しかいないと、大広間はあまりにも大き過ぎた。がらんとしていて、どれだけ広間
が広いかが分かる。
中央に置かれたテーブルが、妙に小さく見える。
「《リベルタ・ドール》の地下水道から数名、もしくは一名が潜入し、内部の者に連絡を取り、そ
れで都市に潜入するって作戦だったのさ…」
言い出しにくそうに話し出すルッジェーロに、皆が視線を向けていた。
「それでどうしたの?」
そう尋ねたのはフレアーだった。彼女も当然の事のようにこの場に姿を現している。ルッジェ
ーロの視線は彼女の方を向いた。
「それが…、だな…。《リベルタ・ドール》の地下水道の入り口、正確に言えば出口なんだが、が
っしりと鉄格子がはまっているそうなんだ」
「知らなかったの?」
「ああ、ま、まあな…」
ルッジェーロはフレアーに言っていた。カテリーナには目線をやっていない。
「ならば、狼煙を上げて知らせればよかろう。何らかの合図を送ればいいのだな?」
騎士の一人がルッジェーロに言う。
「いや、この作戦は、敵に気付かれない内に内部に攻め入るという辺りが重要なんだ。狼煙な
んか上げたら、何事かと思われ、警戒を強められてしまう」
と、彼は答えた。
「要するに、誰かが鉄格子の間をすり抜けて、内部の誰かと連絡すればいいんだろ?」
言い出すカテリーナ。彼女の声にルッジェーロはびくっとしたらしかった。私はそんな彼の動
きを見逃さない。
「まあ、そうなんだが…。鉄格子の間って、こんなものだぜ」
手で鉄格子の隙間を示すルッジェーロ。彼の示した隙間は20センチもなく、私のように小柄
な者でもとても通れそうにない。もちろんフレアーのように子供に近い体格でも厳しそうだった。
「だったら、問題ないだろ」
涼しい顔をしてカテリーナは言った。
「どうして?」
「彼に頼めばいい」
フレアーの方を指差してカテリーナが言った。すると、ルッジェーロはうなずいて納得した。私
も同じように納得する。
「なるほど、そういう手があったか。少し心配だがそれしかないだろうな」
だが、そう言うルッジェーロはどこかわざとらしい。
「皆様、誰の事を言っておられるのですか?」
フレアーの肩の上にいるシルアが、辺りをきょろきょろと見回した。彼の視線には、彼と呼ば
れるべき者で小柄な者などいなかった事だろう。
だが、周囲の者達の視線が、一点に集中しているのを知って、彼は皆が誰の事を言っている
のかを知るのだった。
「わ、私の事をおっしゃるのですか!?」
驚いたようにシルアは叫ぶのだった。黒猫そのものである彼の顔にも、はっきりとその様子
が見て取れた。
「確かにあんたなら、狭い柵の間も通れるかもね」
他人事のようにフレアーは言った。
「い、いや…、私は争いごとなど無縁なものですから…、それに、たった一人で…?」
「じゃあ、『ディオクレアヌ』の連中と、あたしと一緒にあんなに派手にやり合っていたのは誰な
の?」
「いや、それは…」
シルアはとにかく自分はやりたくないと言いたいようだった。だが、頼もしそうに周囲から見ら
れていては、きっぱり断る事もできないだろう。
「やる事は簡単さ。街の中にいる内通者にこっそり合図を送るだけだ。猫だってできる」
ルッジェーロはシルアをなだめる様に言った。しかしそんな彼の言い方は、まるで説得の仕
方を考えてきたかのようだった。
「しかし、もし何かがあったら…」
「フレアーの肩に乗っかって、前線から思いっきり突撃していくよりは、全然安全な役だと思う
ぜ?」
「えッ!? あたしも前線なの?」
フレアーは叫び、シルアは唸るばかりであったが、カテリーナが、
「じゃあ、これで問題は解決だな」
と言ってしまったことで、半ば強引にシルアは内通者に合図を送るという役を任される事にな
ってしまった。
「そうそう、ルッジェーロ」
カテリーナがルッジェーロに言った。
「何だ?」
「あの彼も、せっかく連れて来たのだから、作戦に使わせてくれないか? 私にいい案がある
…」
「あの彼って…?」
そして、一夜が過ぎていった。夜明け前に私達は《セーラ・ドール》を出発、目立たないように
こっそりと《リベルタ・ドール》へと向かった。
《リベルタ・ドール》は山の中腹から頂上まで伸びている都市で、その周辺は山の森林に囲ま
れている。街道を覗いては見通しが悪く、誰にも気付かれないように街の近くまで忍び寄るの
はできない事ではない。ただ現在は『ディオクレアヌ革命軍』に占領されてしまっている状態。
森の中にも見張りがいないかどうか警戒しながらの行動だった。
しかし、そのような心配は不要のようだった。とりあえず私達の進んだ道には見張りはおら
ず、その気配すらもなかった。しかも、《リベルタ・ドール》をぐるりと囲んでいる城壁の見張り塔
からも、葉の茂った森の木々の間までは見えない。それだけ、街を取り囲んでいる城壁は頑丈
に出来ていて、出入り口も私達が通った隠し通路を覗けば表門しかないわけなのだ。
しかしそんな中、街へと近づいていく上で一つだけ恐怖を感じるものがあった。
それは、上空に佇んでいる『リヴァイアサン』であった。
街を全て覆ってしまいそうな程の巨大な体。それは《セーラ・ドール》からでもはっきり見る事
のできるほどの大きさだった。まるで百足を思わせるような節に分かれた長い体。それが上空
を旋回している。
地響きを思わせるかのような息遣い。時々、城下町の上空をゆっくりと旋回したかと思えば、
一箇所に止まっている。
幾つもある巨大な目が、全てを見張っているかのようで誰も落ち着かなかった。
だがとりあえず今のところは、何に対しても襲い掛かったりするような気配は見られない。眠
れる獅子であるかのように、じっと佇んでいる。
私達は、一つの排水溝の出口までやって来た。
城壁の下に、人一人がくぐれそうなくらいの半円型の水路がある。街から出された下水など
が、ここから用水路を通って、近くの川へと流されている。奥の方は暗くて良く見えなかった。
そしてルッジェーロの言う通り、そこには頑丈そうな鉄の柵がはまっていた。とても人が通れ
るような隙間ではない。
「準備をするのにも、ここまで来るのにも、予想以上に時間がかかっちまったな。もう空が白ん
で来てしまっている。日が昇るまであと一時間とかからないだろう…」
「シルア、迷ったりしないでよ」
ルッジェーロの言葉を聞いたフレアーがシルアに言った。
「いや、私はあんまり土地勘というものが、その…」
「さっきも見せた地図の通り行けばいいんだよ」
ルッジェーロがシルアの言葉を遮る。
「はあ…、まあ、地図は頭に入りましたが、現実はなかなか上手くは運ばないもので…」
「だから、お前が上手く行かせるんだよ」
なかなか踏み切りのつかないシルアに、ルッジェーロは強い口調で言った。シルアもそう言わ
れてしまうと、何も言い返せず、ただ頷くしかなかった。
「あなたは、ただ中にいるある人に合図を送ればいいの。分かった?」
反して、フレアーが優しくシルアに言ってあげた。
「ええと…、その人っていうのは…」
「メリアさん」
「そう…、そのメリアさんという人に、私が会う。それだけですね…?」
確認を取るようにシルアが聞きなおす。
「そうだ。それだけだよ、さっさと行ってくれ。もう日が昇っちまう」
ルッジェーロはシルアを排水溝の中へと押し込むかのように入れてしまった。するとシルアは
毛を逆立てて、本物の猫のような鳴き声を出す。
「こ、この水、相当汚いですぞ…! 私の服が汚れてしまいます…」
「そんな事分かってるって、さっさと行きなさいよ」
今度のフレアーの口調は強いものだった。たまらずシルアは、排水溝の中を歩き出し、鉄格
子の間をすり抜けた。
「じゃあ俺達は、正面から突入する用意をするからな」
ルッジェーロが排水溝の中に入っていくシルアに言った。彼は私達の方に振り向く。
「フレアー様、どうかお気をつけて…」
「お互い様だよ。まずくなったら容赦しないようにしなさい。すぐに魔法を使っちゃっていいから
ね!」
排水溝の闇へと消えていくシルアに呼び掛けるフレアー。
「はい」
と、シルアが答えると、彼の姿は完全に闇の中へと消えていった。
《リベルタ・ドール》の下を、蜘蛛の巣のように張り巡らされている地下水道の中へと潜入した
シルアは、慎重に奥の方へと歩いていった。
水路は、人間はもちろんの事、たとえ子供であっても通るのは難しかっただろう。ルッジェー
ロは、最初からシルア、もしくはフレアーを潜入させる気だったのだ。そう思うとシルアは騙され
た気分になったが、今ではフレアーを想う気持ちが優先していた。やはり皆の為にも、自分が
やるしかないと。
彼にとって、フレアーのくったくのない笑顔は、何にも返られない幸福。彼女が悲しむ姿は見
たくは無い。自分がその為に、《リベルタ・ドール》を解放するきっかけとなるのならば、しないわ
けにはいかない。
進んでいくにつれて、どんどん暗くなっていく水路。しかも奥に何がいるか分からないのでシ
ルアは気が引けた。
だがシルアは猫の姿をしているので、夜目が利く。とにかく与えられた仕事をこなそうと急ぐ
のだった。
素早く脚を動かし、真っ暗な水路を進んでいくシルア。水路の天井から得体の知れないもの
が頭にかかり、彼はまた思わず猫の声を上げてしまった。さらに、得体の知れない鳴き声がど
こかから聞えてきて、それに彼は飛びのく。思わず天井に頭をぶつけて転び、下水によって更
に泥まみれになった。
「フレアー様のためとはいえ、や、やはり来なかった方が…」
自分を覆った下水の不快な感触に、思わずシルアはそう言うのだった。猫の姿とはいえ、綺
麗好きなのだから。
しかし背後を振り返っても、彼は戻る気にはなれなかった。《リベルタ・ドール》解放作戦が失
敗したら、フレアーはどんなに悲しむ事だろう。教えられた道を思い出し、先に向かって歩み出
すのだった。
暗くて何も見えない水路を、再びシルアは歩き出した。しかし、さっき、自分が声を上げた時
に跳ね返ってきた何かの声が気になっていた。自分の声が反響して来ただけなのならばそれ
でいいが、地下水路に何かがいるのかもしれない。
シルアはしばらく狭い水路を歩いていき、やがて水路は上り坂へとなっていった。下水に脚を
取られながらも、シルアは道を進んでいき、やがて一回り大きな地下水路へと突き当たった。
「確か…、3つ目の曲がり角を左でしたな…」
そう、教えられた道を自分に言い聞かせ、シルアは大きくなった水路を歩き出した。だがその
時、彼は背後から聞えてきた得体の知れない鳴き声に、また飛び上がりそうになった。
「一体、何が…?」
シルアは思わず呟いて、自分の背後を振り返った。
だが、そこには何の姿も無かった。ただ排水溝の暗い闇が広がっている。
「き、気のせいでしょうか…」
また自分に言い聞かせたシルアは、再び前に向かって歩き始めた。今度は半ば足早に、さっ
さと事を済ませてしまおうと言う気が先走った歩き方で。
だが、少しばかり歩いた所で、再び何かの鳴き声が聞えてきた。シルアは警戒を強めていた
から、しっかりと聞いており、それがどのような鳴き声が聞き取る事ができた。
甲高い鳴き声だ。まるで鳥の鳴き声のような鳴き声だった。
それがさっきよりも近い場所で聞えてきていたので、シルアは更に焦った。
「い、急ぎましょう…」
再び自分に言い聞かせるシルア。彼は与えられた指示通り、大きな水路から3番目のわき
道、右にある狭い水路に入った。
だがその寸前、今度は自分の前方から鳴き声が聞えてきた。
「い、一体何だというのですか」
シルアは走り出していた。自分に危機が迫ってきている事は、彼にも良く分かっていた。とに
かく急がなければならなかった。
排水溝の中ならば、誰にも知られないように内部へ潜入できると聞いていたが、もうこの中に
も警備が張られてしまっているのだろうか。
だが、これは『ディオクレアヌ革命軍』のゴブリン達とは違う鳴き声だった。更には《リベルタ・
ドール》を襲撃した、ゴルゴンとかいう新しい兵とも違う。
とにかくシルアは走った。この先は、突き当りまで走ればいいと言われていた。その出口の先
ある建物に行けばいいと。
しかし100メートルほどは走っただろうか、シルアはふいに、自分の脚を掴むものを感じた。
そして、彼は無理矢理に引き止められ、下水の中に転んだ。
「こ、これは一体…!」
シルアは背後を振り返る。そこで彼ははっきりと、自分を追い詰め、足を掴んだ鳴き声の主
を見た。
赤い目が光っていた。それは、シルアのすぐ背後に迫ってきていた。ほんの1メートルもな
い。
「は、離してくださいッ! わ、私は争い事は…!」
焦って口を出すシルアだった。しかし、相手にはシルアの言葉を理解する事はできないよう
だ。それに、がっしりと掴んだままシルアの後ろ脚を離そうとはしない。
相手がどのような姿をしているのかは詳しく分からない、だが赤い目が二つ光っている。とに
かく人間でもなければゴブリンでもなくゴルゴンでもない。
かなり強い力で引き込まれて行かされているシルア。振り払おうにも、猫の力しかない彼には
それを振り払う事ができない。
更にはもう一組の目が光った。
2匹の同じものの何かがシルアを見つめている。
もはや限界だと思ったシルア、彼はフレアーの言葉を思い出し、自分の体の中の魔力を集中
させた。
排水溝の中のシルアの体が、赤く光る。炎の色に染まった彼の体から、一つの爆炎が一気
に吐き出された。
それは、赤い目の生き物2匹を巻き込み、排水溝を揺るがし、一部の天井を崩し、排水溝の
先に消えていった。そしてしばらくの後、排水溝の壁に当たったらしく、爆発音と壁が崩れる音
が聞こえてきた。
爆発が収まっても、排水溝の天井から塵が降り注ぐ。シルアは荒い息で、自分がやって来た
方向を見つめていた。
自分を襲ったものを対峙できた事を知ると、彼は再び体勢を立て直した。そして、まだ同じよ
うな生き物が迫ってきていないのを確認した。
だが、それは目で確認できなかったのであって、さっきの鳴き声は、今度はあらゆる所から
聞えてきていた。
「急いだ方がいいようですね…」
シルアは再び走り出した。排水溝の中を走り出した。自分の背後から奇妙な鳴き声が迫って
きている。しかもそれはどんどん近づいてきていた。
全速力で走っていく。排水溝の突き当りまではかなり距離があるとシルアは感じていた。なか
なか着かない。
「しかし、一体…、さっきのあの生き物は…?」
赤い目を持つ生き物。あんなものが《リベルタ・ドール》の地下に住み付いているなど、シルア
は知らなかった。
だが答えを出すよりも前に、シルアの夜目が利く目に、排水路の突き当たりが見えてくるのだ
った。
「ふう、やっと辿り着きました…」
突き当たりの頭上にある排水路の鉄格子状の蓋を押し上げ、シルアはゆっくりと外へと顔を
出した。そして彼は顔だけを出した姿勢のまま、きょろきょろと辺りを見回した。
「誰も…、いないようですな…?」
そう呟いたとき。シルアはいきなり首根っこをつかまれ、一気に持ち上げられた。思わず彼は
悲鳴を上げ、じたばたと暴れる。
「な、何をなさるんですか…、わ、私はただ…」
「静かにしな。周りに聞えてしまうだろ」
シルアは口を押さえられてしまう。背後から聞えて来るのは女の声だった。
シルアはそのまま、裏通りまで連れて行かれる。そこまで来ると、女はシルアの口から手を離
した。
「わ、私は何も怪しい者では…!」
「喋る猫のどこが怪しくないっていうんだい」
シルアは、女の方を振り向いた。そこにいたのは、まるで盗賊のような格好をした女だった。
黒髪でまだ若く、活動的な格好をしている。彼女はしゃがんでシルアの顔を覗き込んでいた。
「も、もしかして、あなた様がメリア様では…?」
ルッジェーロからシルアは、会いに行くべき女の人相を教えられていた。
「そういうあんたが、シルアだね?」
「ええ、そうです…、はい。私が来たわけは…」
「ルッジェーロの遣いで来たんだね? という事は奴はすでに城門の外で待ち構えているって
わけだ。そしてあたしは、仲間に連絡して門を開ければいいってわけ」
メリアというらしい女はすくっと立ち上がって言った。
「はい、そうです…」
彼女の姿を見上げたシルアはそう言った。
「もう白んで来てしまったみたい。予定ではもっと早い時間に動き出すつもりだったんだ。だか
ら急がなくっちゃあね…、あんたも付いてきな」
「ええッ? 私もですか?」
シルアがそれ以上何かを言う間もなく、彼はほぼ強引に連れて行かれるのだった。
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都を敵対勢力から奪い返すための陽動作戦が主人公達によって行われます。 | ||
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