虚界の叙事詩 Ep#.16「コンフェレンス」-2
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プロタゴラス空軍基地

 

γ0057年12月2日

 

7:21 A.M.

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、『紅来国』《綱道地方》行きを決めた、『SVO』の4人、香奈、一博、登、沙恵は、『タレ

ス公国』側が用意したという、専用ジェットのある空軍基地まで案内された。

 

 ホテルから空軍基地まで、朝早くから車で案内された彼ら。4人は、にわかに騒がしくなって

いる空軍基地を目の当たりにする。だがそれは、4人が乗るジェットを待たせ、その準備に追

われているというわけではない。

 

 ここ、『タレス公国』に『ゼロ』が現れた場合の対処に備え、基地に厳戒態勢が敷かれてい

る。そして、その緊迫感が辺りに振りまかれているのだ。

 

 首都上空のみならず国中を、まるで網の目のごとく、戦闘機が飛び交う。全て、『ゼロ』が現

れた時の対処の為だ。

 

 例え彼が現れたとしても、数機の戦闘機、いや例え大軍を揃えたとしても、あの『ゼロ』を抑え

る事はできないだろう。『SVO』にとってそれは不安だが、国としては、有事の際の防衛は、国

の建前としても必要な事だった。

 

 一方で、『ゼロ』に関する手がかりを追う一行。必要な機材などの物資は『タレス公国』側が用

意してくれ、その中には、今では無人の地域となった『紅来国』で滞在する為に必要な食料、キ

ャンプ用具なども含まれた。

 

 ほぼ着の身着のままだった香奈達は、ホテルで日用品などを支給され、それが手荷物となっ

ていた。

 

 長期の滞在になるわけではない、だが、万全を期して、食料は余分に用意されているとの話

だ。

 

 4人が空軍基地内の滑走路に着いた時、すでにジェットは待機しており、車から降りれば護

衛となるシークレットサービスも待ち構えていた。

 

「お待ちしておりました。シークレットサービスのストアです。『紅来国』まであなた方を護衛させ

て頂きます」

 

 車から降りた4人を迎えたのは、黒服姿の屈強そうな男だった。

 

 一博と同じくらいの体格はあるだろうか。背は一博と同じほどの高さ、190cmほどがあった

が、彼ほどの筋肉は無いようだ。

 

「あんた達が、僕らを護衛してくれるのか?シークレットサービスが?」

 

 4人の中で、最もタレス語が話せる登が言った。

 

「ええそうです。大統領命令ですから。一時警護として、あなた方のご同行致します」

 

「調査団というのは、どちらに?」

 

 香奈は尋ねた。視界にはシークレットサービスの黒服姿の面々が見えるばかり。『ゼロ』の研

究の手がかりを追う、『力』に関する専門家がいない。

 

「機内で、お待ちしております」

 

 ストアという名の護衛に案内され、4人は、タラップを上り、ジェットの機内へと入っていった。

 

 ジェットは小型ジェットだった。個人用とさして大きさは変わらない。ただ、『タレス公国』の軍

用のもので、内部は、無骨な内装に、一列のシートが左右に並んでいるだけだ。乗れて十数人

ほどのものだろう。

 

 機材や荷物は、貨物室に積み込まれているようで、中には数人の人間がいるだけだった。

 

「『SVO』の方々が搭乗なされた。すぐにも出発しろ」

 

 4人の背後で、ストアという男が、無線機で、おそらくパイロットか誰かに命令を下していた。

 

「あの…、調査団の方は…?」

 

 香奈は再び尋ねた。機内にいるのも黒服のシークレットサービスが数名いるばかりで、そこ

には護衛しかいないように見えた。

 

「一番後ろの席におります」

 

 そう言われ、香奈は、一番後ろの席を覗き込むように見た。

 

「あら?こんにちは」

 

 そこにいたのは、白衣姿で眼鏡をかけた若い女だった。

 

『タレス公国』の人間なのだろうが、白衣の姿に短い銀髪は目立つ。しかし眼鏡をかけ、背はそ

れほど高くは無く、手にした紙挟みに挟まった資料を眺めている様は、いかにも研究者の姿、

学者風の女だった。

 

「あ、あの、調査団というのは、あなたですか?」

 

 香奈はたどたどしいタレス語で尋ねた。

 

「リアン・ガーウィッチです。よろしく。調査団じゃあなくって、調査員ね。単数形、語尾の文字は

いらないわ」

 

 その女はシートから立ち上がって、香奈に握手を求めてきた。

 

「調査団が一人ってのは聞いていないぜ、護衛はこんなにいるのによ」

 

 リアンという女には分からないよう、一博は自分達の国の言葉、紅来語でそう言った。

 

「昨日、うちの研究所に国防長官から命令がありまして、私が派遣される事になりました。あ

あ、私の所属は国防総省ですから、こちらが、私の身分証で」

 

 リアンはてきぱきと喋り、自分の身分証を差し出して見せていた。1人しかいない上、この女

は、どう見てもまだ若い。『SVO』の4人と同世代。もしくは更に若いかもしれない。

 

 4人の不信感は強まった。

 

「どうでもいいが、ガーウィッチさん。本当に同行する調査員と言うのは、あなただけなのか

い?」

 

 今度は登がリアンに尋ねた。

 

「あらあら、ご存知でしょう?近年の調査機器の発達ぶりと言ったら。操作するのなんて、たっ

た一人で十分で、力仕事は、護衛の方たちがなさってくれるんですから」

 

 と、リアンは言うのだが、

 

「どうやら、大統領は、おれ達の調査よりも、『ゼロ』本体の方が重要だと考えているようだな」

 

 一博はため息まじりにそう言った。

 

「昨日は、あんなにこの調査が大事そうに言っていたのに、ねえ」

 

 沙恵も同じようにそう言うのだった。

 

「間もなくこのジェットは離陸します。シートについてください」

 

 そんな会話を遮るかのように、4人に向かって、護衛のストアが言って来た。言われるがまま

に、4人はそれぞれのシートにつく。

 

「《綱道地方》の12月の平均気温はマイナスになります。その為、防寒具を用意させて頂きま

した。《綱道地方》は、現在、誰も住んでいない土地になっており、広大な雪原が広がっていま

す。決して、単独行動をなさらないように、我々の指示に従ってください」

 

 シートにつくなり、ストアは香奈達にそう言って来る。4人はそれぞれに相槌を打つなり、返事

をするなりした。

 

 にわかに、エンジンの音が奮い立ち、ジェットは滑走路から飛び立とうとする。

 

 4人がシートについて落ち着く暇すらもなかった。窓から見える景色は流れ出し、ジェットは加

速する。

 

 そして、何かに前押しされるかのように、『SVO』の4人を乗せたジェットは空軍基地から飛び

出して行く。

 

 彼らが『タレス公国』に着き、まだ一日と経っていない間の出来事。

 

 休息を取る事もほとんどなく、彼らは『紅来国』《綱道地方》へと旅立つのだった。

 

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8:15 A.M.

 

 

 

 

 

 

 

 《綱道地方》へと向かうジェットの中では、さっそくリアンのレクチャーが始まっていた。その内

容は、《綱道地方》について。何故、今は人の住まない土地になったか。それが故により危険

な土地となってしまったという事など。

 

 彼女が《綱道》行きの任務を受けたのは昨日らしい。しかし、すぐにその情報を学習し、自分

の知識と照らし合わせて、概要を説明できるまでになってしまったようだ。

 

「でありまして、『紅来国』の首都である《青戸市》が大戦開始直後に壊滅してしまい、もともと首

都からも離れていた《綱道地方》は、とても住みにくい土地となりました。冬の平均気温は低く、

雪に覆われる過酷な土地となります。ですので、人々は『NK』ができると同時に、次々と移住し

ていったのです。今では、《綱道地方》に都市と呼べるものは無くなり、住んでいるのは、ごく一

部の物好きな連中か、隠居生活を望む人達だけ、特に今の季節は、とても寒くなります。平均

気温は0℃以下。注意するように」

 

 リアンばかりが口早に説明するので、4人には出る幕が無かった。

 

「『紅来国』は『NK』の前身となる国。あなた達とゆかりの深い国のはずです。何か、ご存知な

事は?」

 

「60年も前に誰も住まなくなった所だ。おれ達『NK』の国民は何も知らない」

 

 一博が答えた。

 

「いや、僕らは『紅来国』の出身であるに違いない。しかし、記憶が消されている僕らにとって

は、もはやその国が最盛だった時の事を知る術はない、さ」

 

 と、登。まだ飛行機酔いは来ていない様子で、落ち着いた口調で話す。

 

「不思議な、感覚ね」

 

 前のシートに座る香奈は、何とも言えない自分の心境を口に出した。

 

「しかし、私達は、《綱道大学》からそう離れていない所に着陸する予定ですから、ご心配無く。

大学の敷地の近くに大きな空き地がありまして、それは衛星写真で確認済みです。滑走路とし

て使える距離は直線で2キロメートルほどで、この航空機の全長を考えると」

 

「ああ、ああ分かった。そのぐらい分かっていれば十分さ」

 

 リアンの言葉を遮って一博が言った。

 

「す、すみません。つい、いつもの悪い癖が」

 

 すると彼女は慌てて弁解した。

 

「沙恵、ちょっといい?」

 

 そんなやりとりをよそに、香奈はシートから立ち上がり、沙恵を席から呼んだ。

 

「何?どうしたの?」

 

「ちょっと、こっちに来てくれるかな?」

 

 香奈は手招きし、機内の後部の方へと沙恵を呼んだ。座席の並んでいる先には洗面所があ

る。

 

 沙恵は、香奈に言われるがままにジェットの席の間を過ぎ、機体後部の洗面所のある場所

へと彼女に続く。

 

 香奈が先に洗面所の中に入ったので、沙恵はどうしたら良いか分からない様子だったが。

 

「中に入ってきてよ。大事な事」

 

「いいの?本当に入るよ?」

 

「いいから、入って来て」

 

 そう香奈が催促すると、沙恵は洗面所の中に入って行った。

 

「あのお2人、どうしたんです?」

 

 後ろの様子が気になったらしいリアンが、席を乗り出しながら一博達に訪ねていた。

 

「さあ?女同士、大事な話でもあるんだろ」

 

 と、一博はそっけなく答えていたが、ちらっと登の方を見ていた。後は、前のシート後ろに付い

ている網の中に入った、タレス語で書いてある雑誌を流し読みするだけだ。

 

 一方、洗面所の中の香奈と沙恵は、洗面室とトイレを隔てる扉を開き、広くなったスペースに

2人でいた。唸るような低い音が壁を伝って聞こえてくる。それは座席にいた時よりも大きい。

エンジンルームが近い証拠だ。

 

「原長官の話、本当だったと思う?あの中にスパイがいるだなんて?」

 

 話を切り出したのは香奈だった。

 

「その話?確かに堂々とできない話だけれども、あたしも一博君達も分かっているんだから、

妙にこそこそしない方がいいよ」

 

 沙恵は洗面台に向かい、その水を流すと、ついでとばかりに手を洗い出した。

 

「あの大統領には、快く思われていない反対派が多いらしくて、今回の事も、『ユリウス帝国』に

対抗するようなものだから、2つの国の関係が悪くなってしまうとか」

 

 香奈はそんな沙恵の背中を見て言った。

 

「全く、そんな事を言っている場合じゃあないってのに」

 

「このまま、この飛行機がちゃんと《綱道》まで行ってくれるかどうか、あたしはそれが不安で

ね」

 

 心配そうな声を出した香奈。エンジンの低いリズムに耳が傾く。

 

「でも、もしスパイがいるんだとしたら、あたしは、全員が怪しいと思う」

 

 洗面台から顔を上げた沙恵。目の前の鏡の前に、口元のほくろが目立つ彼女の顔が映る。

それには同時にトイレの中にいる香奈の顔も映り、沙恵はそちらの彼女を見ているようだっ

た。

 

「全員が?あたし達を除いた、護衛の人達や、パイロットまで含めて、全員が怪しいって言う

の?だって、あの人達は『タレス公国』の大統領が派遣した人達なのに?」

 

「あの大統領が、直接あの人達の身分を認めている所を、あたし達は見ていない。ただ、軍の

基地に案内されたらすでに準備ができていたって、それだけ」

 

「どうすればいいのかな? あたし達」

 

「さあ?誰がスパイなんて、今疑っても分かりっこ無いよ。それに、もしかしたらそんなのはいな

いのかもしれないんだし」

 

「相手がどう出るか、待つしかないって事?ここはジェットの中なんだよ?もし何かをされても身

動きが取れないよ」

 

 香奈は、まだ『NK』があのようになってから抜け切っていない、不安に押し潰されそうな声を

出した。

 

「なーに。もう何でもかかって来なさいって感じ。自分の国の大統領に逆らう度胸もなかなかか

もしれないけれども。だから、どうしたのって感じ。あんなとんでもないような存在に出会った後

じゃあね。確かにあなたの言っている通り、そんな事で揉めている場合じゃあないんだから」

 

 だが沙恵にそう言われても、香奈は心配を拭いきれなかった。

 

 『紅来国』の《綱道》にジェットが到着するまで、まだ5時間近くある。その間に何か起こりはし

ないかと、彼女は緊張で固まっていた。

 

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ユリウス帝国首都 ユリウス帝国

 

9:45 A.M.(ユリウス帝国大陸東部時間)

 

 

 

 

 

 

 

 『NK』に『ユリウス帝国』の大量破壊兵器が使用され、現在の死者推定500万人。

 

 このニュースが流れた途端、全世界は混乱した。中でも最も混乱を極めたのは、事の発端を

引き起こした『ユリウス帝国』自身だった。

 

 マスコミから流れた情報は、瞬時に国中に広がり、同時に国民達の政府への不満を過熱化

させた。

 

 中でも首都では、反戦を訴えるデモが、戦後無かったほどに激化。デモ隊半ば暴徒と化し、

政府関係施設に押し寄せる。

 

 これを皮切りに、『ユリウス帝国』は戦争を起こすのでは無いのかという噂が立つ。それは一

般市民の中では噂ではなく事実だった。

 

 3次大戦の悪夢が再び引き起こされる。そう思っただけで、彼らは落ち着いてはいられなか

った。テロ攻撃以来、厳戒態勢下に置かれていた市民の怒りは爆発した。今までデモに無関

心だった者達もこれに参加し、街はデモ隊で溢れる。

 

 『ユリウス帝国』政府は、これは実験の事故だと発表した。核実験の失敗によって引き起こさ

れた悲惨な出来事だと。そうでも無ければ、『NK』を標的にした核兵器の発射など行わない

と。

 

 だが、政府がどう言おうと、一般市民やマスコミは、それを信じようとはしなかった。

 

 彼らは、役所を襲い、国旗を焼き、国と名の付くものには全てに襲い掛かった。それには『N

K』という被害者に対する哀れみは、あまり含まれていなかった。

 

 彼らは、マスコミで報道される『NK』の被害模様や、救助活動には興味を示さなかった。彼ら

がマスコミに求めたものは、戦争という言葉と、政府の弁解、そして実験に使用されたという兵

器の危険性だった。

 

 戦争、という言葉を求めたのは、それに自分が参加したいのではなく、自分達が暴徒と化す

理由が欲しかったからだ。

 

 彼らは戦争は嫌いだったが、暴力には訴えた。破壊する事こそが、政府に対する反抗だと思

っていた。

 

 『NK』に災厄が襲い掛かってから3日が経っていた。

 

 首都は落ち着いてくるばかりか、更にその混乱を増していた。

 

 政府は軍を起用し、暴徒の鎮圧に当たったが、溢れるばかりに増え続ける暴徒達には対処

のしようが無い。政府の施設を戦争さながらの武装で防備に当たる軍や警察。最初はそれに

すら抵抗をしていた者達。しかし、相手が重武装で、しかも治安を乱すものには容赦をしない

事を知ると、彼らは次に、政府の施設ではなく、手当たり次第に公共物を破壊し出す。

 

 今では地下鉄が止まり、都市内の交通もストップしていた。首都の通りにいるのは、これを機

に破壊行為に手を出す者達ばかりだった。軍の動きも、小回りの利く少人数で破壊行為を行う

者達には、あまり効果が無かった。

 

 一見、統率など無いかのように見られる彼ら。しかし彼らには共通の言葉があった。それは、

元々彼らが使っていたものではなく、別の者達、政府に対するまっとうなデモ隊が使っていた言

葉だ。

 

 戦争反対、と。

 

 破壊行為を行う者達は、自分が破壊した所に手当たり次第、その言葉をスプレーなり、ペン

キで記しとして残していった。だが、彼らにとってそれは、言葉の意味を成していない。

 

 彼らにとってそれは文字の羅列。自分自身の象徴、政府に対する不満だった。

 

 今や首都内では、戦争反対という言葉は、ただの欲求不満を記したサインでしか無くなってし

まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 そのような首都内の実情に比べれば、《セントラルタワービル》付近に押し寄せている者達

は、幾分か落ち着いていたと言えるだろう。

 

 彼らは暴力に訴える事よりも、言葉で訴えていた。警官隊や軍が厳戒態勢で一般人の立ち

入りを禁じている、ぎりぎりの所で、戦争反対、または3次大戦を忘れるな、と書かれたプラカ

ードを掲げ、団結して同じ言葉を繰り返していた。

 

 彼らの声は、《セントラルタワービル》にまで届いていた。少なくとも、首都の他の場所で暴徒

と化していた者達よりは説得力があっただろう。

 

 だが、それに本気で耳を傾けていた政治家はどれほどいただろうか。

 

 『皇帝』ロバート・フォード率いる、民政党員にとって、今は瀬戸際だ。『NK』で起きた大惨事

の責任は政府の責任。これだけの死傷者を出してしまっては、党員は総辞職しなければならな

い。

 

 更に、この事件に関わった者達は、何らかの刑事的処罰を受けねばならない。

 

 政府はこの混乱の中でも機能し、何とかこの危機を乗り越えようとしていたが、彼らは焦って

いた。自分達の責任をどう回避するか、そう考える者達が続出した。

 

 一方、野党議員は逆の立場だった。

 

 彼らは、この事件を皮切りに、一斉に『皇帝』配下の民政党員を攻撃、糾弾し出した。責任を

逃れようと不正を犯す者達を次々と摘発し、政府の無能さを罵った。

 

 そして、早くも次期政権の指導者の選出さえもが始まっていた。野党側にとって、このまま民

政党が総辞職するのは必然と見ていた。党の解体さえありうる。

 

 この『NK』の惨事は、自分達にとって好都合。そう思う者も数少なくなかった。

 

 野党のやり手、そして某党党首のブラウンも少なからずそう思っていた。

 

 彼はこの混乱の最中、あえて記者達の目の前に姿を現していた。

 

「この度は、『NK』で起きた惨事に、被害に遭われた方々には心から哀悼の意を述べたく」

 

 カメラの前で『NK』の犠牲者への言葉を述べる彼。しかし、その顔のどこかでは、好機が自

分に回ってきた事を微笑む裏があった。

 

 ロバート・フォード率いる民政党が政権を失えば、次は自分の党に政権が移る。そして、その

党での有力者は明らかに自分。つまり自分が、この国の次期最高権力者になれる。彼ならず

とも、皆がそう思っていた。

 

 だから記者達が、今回の事件の政府の責任について問いかけようとすると、ブラウンは急に

語気を強めた。

 

「このような政府の愚行を、我々は許すわけにはいきません!『ユリウス帝国』が世界の支配

者などに見られる事に、私はこれ以上我慢ならない!ご覧下さい、民政党の党員は今では外

をまともに歩く事もできていない!自分達がいかに愚かだったか、ようやく気付き出しているの

です!必ずや、この事件を引き起こした、この国の権力者達に責任を取らせ、この事態を収

拾します!」

 

 そして、彼もこの国の国民と同様、戦争という言葉には敏感だった。

 

「フォード皇帝は戦争を起こしたいのです!この国がもはや、帝政などという古いものではな

く、民主主義であるという事に彼は気付いていない。支配する事でしか国や世界との友好を保

つ事はできないと考えている!私は、そんな政権下にこの国がある事が嘆かわしい!直ちに

不信任案を提出し、この国を正常な状態に戻す事をお約束します」

 

 テレビには、ブラウン議員が映る日が多くなっていた。

 

 実験中の事故という言葉と、『NK』や世界への謝罪を繰り返す政府に、視聴者もマスコミもう

んざりして来たのか、彼の言葉を皆は期待していた。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼の演説を、国家緊急対策本部のモニターで見ていた、国防長官の浅香舞は、思わ

ずため息をついていた。

 

 テレビの画面で力説するブラウン議員の姿を、彼女は正面から見つめていた。そのチャンネ

ルを変えようともせず、ただテレビに向かっている。

 

 しかし、彼女の脳裏で巡っている思考は、彼の力説する、責任や戦争などという言葉とは別

のものだった。

 

「国防長官、最新の『NK』の被害予測です」

 

 彼女の補佐官が執務室に入ってきて、舞の机の目の前にファイルを差し出す。

 

 舞はそれを開くよりも前に尋ねていた。

 

「『ゼロ』の方は発見できませんか?」

 

「いえ全く。只今、軍の偵察衛星を使い、くまなく捜索しておりますが、その姿はありません。し

かし、彼が現れそうな場所の推測データは更新しました。そちらをご覧になりますか?」

 

「いえ、結構です」

 

 舞は静かにそう言った。

 

「では、失礼します」

 

 補佐官はそれだけ述べると部屋から出て行った。

 

 舞は、与えられたファイルを開く。そこに書かれている数字はすぐに彼女の眼に飛び込んで

きた。

 

 

 

 現在 死者数        573万9000人

 

    行方不明者数     515万4000人

 

    負傷者数      1116万5520人

 

    最終的な死者数推定 1675万5000人

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12:11 P.M.

 

 

 

 

 

 

 

 『ユリウス帝国軍』のヘリが首都の上空を飛ぶ。舞はその中にいた。デモ隊が《セントラルタ

ワービル》を囲い、首都の治安が乱れている今は、地上を移動する事はできない。彼女ら政府

要人は、ヘリで移動していた。

 

 首都上空を飛んでいるヘリは他にも見える。更に、上空にはジェットも飛んでいるはず。それ

は軍の戦闘機で、目的は首都の暴動鎮圧ではなく『ゼロ』にある。

 

 幾ら現政権が崩壊すると言われようと、この世界のどこかには『ゼロ』がいる。『ユリウス帝

国』外の国々では、すでに国家規模でその対策が行われている事を舞は知っている。だが、こ

の『ユリウス帝国』は、国内情勢の悪化でそれどころではなくなっていた。

 

 軍は『ゼロ』を捜索している。しかし、『ユリウス帝国』でしているのはそれだけだ。彼が現れた

時に、戦闘機で攻撃するくらいの事もできる。しかし、それだけだ。

 

 『ゼロ』には戦闘機に装備されたミサイルなどでは通用しない。舞はそれを知っている。しか

し、それ以上の兵器を使い彼を攻撃しようとすればどうなるか。

 

 結果は『NK』の惨事そのもの。彼は高威力原子砲のエネルギーを自分のものとして発射さ

せた。それが、『NK』で起きた惨事の真実。周りがどう言おうが、舞には世界に戦争を仕掛け

るつもりもないし、『NK』に報復をするつもりもない。

 

 全ては『ゼロ』がやった事。

 

 だが、今更それをこの国の誰が信じようか。与党内の中にでさえ、『ゼロ』という存在には半

信半疑な者達が多い。

 

 舞が高威力原子砲で『NK』を攻撃したと考える方が、事は自然だからだ。

 

 そんな状況下でも自分は『ゼロ』を見つけ、抹殺しなければならない。その為には、今では何

でもする。

 

 たとえ自分が多くの人間の命を奪った、大量虐殺者と言われようが、『ゼロ』さえこの世から

いなくなってしまえば、舞はそれで良かった。

 

 そんな事を舞が考えている内に、ヘリは《セントラルタワービル》上空へとやって来ていた。デ

モ隊が周囲を囲っている地上は望むことができず、ツインタワービルの上部だけが、彼女の視

界の中に入っていた。

 

 

 

 

 

 

 

「依然として『ゼロ』を発見する事はできません。現在、軍の衛星を総動員して彼を捜索してい

ますが、少しも彼の気配を捕らえる事はできませんでした。他国でも同じ模様です。すでに『ゼ

ロ』の情報を嗅ぎつけた『タレス公国』や『ジュール連邦』が同じように捜索をしていますが、全

く」

 

 舞は『皇帝』の執務室にやって来ていた。重々しい口調でロバート・フォード皇帝に現状を伝

える舞。彼女は、誰にどう言われても仕方の無い状況にある。『NK』の崩壊を止められず、未

だに『ゼロ』を発見できないでいる。

 

 このフォード皇帝の政権を危機に追いやり、世界を混乱させたのは、紛れもないこの自分。

この首都の今の状況の責任さえもそうだ。

 

 しかし、このフォード皇帝は、他の政治家とは違い、舞の責任を追及するような真似はしなか

った。

 

「どうやら、ハラ長官は『タレス公国』と繋がっていたようだ。そう、あのベンジャミン・ドレイクと

な」

 

 椅子に座り、舞の方ではなく、首都の光景を窓から眺めていた『皇帝』。彼は椅子を少しだけ

回転させ、舞の方をチラリと向いた。

 

「え、ええ、そのようです」

 

 舞にとって、この『皇帝』の妙な落ち着きぶりには戸惑っていた。自分の政権が危ういと言う

のに。『皇帝』という立場にある以上、取らなければならない責任は、国防長官である舞とほぼ

等しい。

 

 しかし彼は落ち着いた口調、冷静な態度を保っていた。

 

 それは、全てをすでに受け入れているとも見て取れる。

 

「『タレス公国』ではすでに、『ゼロ』の捜索に向けて動き出している。そう、我が国と同じくらい

な。しかし、我が国は見ての通りの混乱ぶりだ。あちらの方が、『ゼロ』を見つけるのは早いか

もな?しかも『SVO』とかいう連中もついている」

 

 『皇帝』は椅子を完全に回転させ、舞の方へと顔を向ける。その深い顔彫りと、冷静な表情か

らは、どんな心意も読み取る事はできない。

 

「首都の混乱は鎮圧して見せます。いざという時は戒厳令を使い」

 

「何、そんな必要はあるまい。今暴れているのは、所詮は、ただ自分の闘争心を抑えられん連

中だ。ありもしない愛国心を盾に、自分は正しい事をしていると、自分に言い聞かせている、そ

んな奴らに対し、戒厳令など敷く必要は無い」

 

 舞の言葉を遮り、『皇帝』は言った。

 

「ですが、首都の鎮圧は軍の任務です」

 

「君は、『ゼロ』を見つけろ。確かに首都を抑えるのは軍の仕事だが、それは部下に任せてお

け。しかし、君自身は『ゼロ』を見つける為に動くのだ。それが、この事態を解決する一番の方

法だ。その為にはどんな手段を使っても構わん。例え周りがどう言おうがな」

 

 『皇帝』は変わらぬ口調で言っていた。

 

「ですが!『NK』がああなってしまった以上」

 

「君は、『ゼロ』の脅威がどれほどであるか、あの惨事が起る前から知っていただろう?だった

ら、どんな手段を講じてでも、奴を始末しなければならないのも分かるはずだ」

 

「あなたの政権が危ういと言うのにですか?」

 

「そんな事を言っている場合なのか?違う。君はあのブラウンに騙される必要などない。ありも

しない平和の絵空事を並べている連中には、『皇帝』にはなれても、このような状況を乗り越え

る事はできんさ。『ゼロ』を始末できるのは、君にしかできん」

 

「断言、なさいましたね?」

 

「ああ、そうだ」

 

 ロバート・フォードは、舞の方を見ずにそのように言う。舞はそんな彼の態度を疑った。

 

「まだ、陛下に伺っていない事があります」

 

 彼女は話の展開を変える。代わりに、手に持っていたファイルをロバートのいる机の上に差

し出した。

 

「『ゼロ』の実験について、陛下のご存知の事を私に教えて欲しいのです」

 

 その彼女の質問は、今までだったら不思議な話だったろう。

 

「軍のデータベースに、情報があるはずだろう?奴については、私などよりもずっと君の方が詳

しいはずだ」

 

 正に、ロバートの言う通りだ。舞もずっとそのつもりでいた。だから質問するのには少し抵抗

があった。

 

「いえ、私が知りたいのは、近藤大次郎が行った研究データについてです」

 

 舞はファイルを開き、そこにある写真を指し示す。そこには『NK』人の初老の男の顔写真が

ある。どこかで見たかのような顔つきだ。

 

 それは、あの近藤広政の顔立ちにそっくりだった。彼が更にもっと歳を取れば、こんな顔にな

るだろう。

 

「コンドウ、ダイジロウ」

 

 無機質な声でロバートは言った。

 

「ええ、60年以上前に、『ゼロ』をあんな存在へと変えてしまった、その実験を担当した人物

で、近藤広政の祖父に当たります」

 

 舞はロバートの表情を伺って言った。

 

「その人物が、どうかしたのかね?」

 

 ロバートは、何も知らないという様子で尋ねてくる。

 

「現在、『タレス公国』の調査団は、この者の研究施設の捜索を行っているとの情報が、私の元

に入ってきました」

 

「その施設とは、我が国の軍がすでに調査をしたはずだ。そう、あの『ゼロ』が眠っていたという

施設だ。15年も前の話だ」

 

「ええ、その施設はすでに調査しました。『紅来国』《青戸市》の地下施設です。『NK』側は、

我々が『ゼロ』を発見した場所よりも、更に深い場所で8人の男女を保護。それが、『SVO』で

す」

 

 ロバートは少し間を置いて、

 

「何かな?君は、すでに我々が承知の事実を述べているようだが…」

 

「『タレス公国』が現在捜索しているのは、この《青戸市》の地下施設ではありません。更にもっ

と北、《綱道地方》にある、彼が教鞭を振るっていた、《綱道大学》の施設の捜索を行っている

模様です」

 

「そうか、そんな施設があったのか?一歩先を越されているな?」

 

 そう言って舞に視線を飛ばしてくるロバート。構わず彼女は続けた。

 

「彼ら『SVO』は、『ゼロ』の存在を、感じる事ができるようです。同じ実験で『力』を引き出され

たせいか、彼らにはどこか引き合うところがあり、そして、お互いの位置を感じる事ができる。

だから、その話を原長官から聞いた『タレス公国』は彼らの事を信頼し、協力を求めたようで

す。彼らは我が軍よりも常に『ゼロ』に近い位置にいました。それが何よりの証拠です」

 

「ほう、だが、一つ分からんな?」

 

 ロバートは口調を変えた。

 

「と、申しますと?」

 

「君が、ここへと来た本当の理由は何だ?」

 

 そう言われても舞は動じない。彼女はその質問に答える準備をして来た。彼女は机の上にも

う一つの書類を差し出す。それには『プロジェクト・ゼロ』と表紙に書かれており、『ゼロ』に関す

る書類だと一目で分かる。極秘扱いのスタンプも押してあった。

 

 彼女はその書類をめくり、ある部分を指差した。

 

「こちらも『ゼロ』に関する書類です。私はこの書類を見た事はありませんでした。いつも、機密

扱いの報告書を読んでいましたが、この『プロジェクト・ゼロ』発足直後の原本を眼にしたのは、

ごく最近。『ゼロ』が逃走してからです」

 

 舞の持ってきた報告書の表紙には、γ0042年と日付が打ってある。今から15年前。ちょう

ど、『ゼロ』が発見された時。

 

「どうしても、分からないし、納得いかないのです」

 

「何が、だね?」

 

 ロバートはその書類の方へと眼を落していた。相変わらず彼の表情には変化が無く、何の心

情も読み取れない。

 

「ここには、我々『ユリウス軍』の極秘任務によって、『紅来国』《青戸市》地下にて、2名を発

見、保護と書かれています。分かりますか?2名です」

 

 『皇帝』は何も答えなかった。

 

「我が軍の『紅来国』調査部隊は5年前、『ゼロ』を回収しました。それは私も知っています。し

かしなぜか、この書類には2名と書かれています。『ゼロ』1名とは書かれておらず、2名と」

 

「何が、いいたいのだね?」

 

 今度は『皇帝』は、舞の方を向いて言って来た。舞は、そんな彼とはっきりと目線を合わせ

る。

 

「つまり、こういう事です。この書類が偽造されたものでないのならば、『ゼロ』の他に我が軍は

もう一人の被験者を回収しています。そのもう一人は一体どうなったのか、その後の記録は一

切ありません。これは意図的に消されています」

 

「今、重要な事だとは思えんな?『ゼロ』自体があそこまで危険な存在になっているのだ。実

際、いたかどうかも分からないもう一人の被験者を探し出して、一体、何になると言うのだ?」

 

「『ゼロ』関連の問題は、今片付けるのが一番です。もしこの混乱が冷めたら、あなたの政権は

責任を取って総辞職する事になるでしょう。そうなったら、我々以外にこの問題を解決する事は

できません」

 

「『ゼロ』の問題は、軍の問題だ。つまり、君はその気になれば『ユリウス帝国軍』のどんな情報

にもアクセスできるはずだという事だよ。だったら、君自身が、いるのかはさておき、もう一人の

情報を捜し出せばいい。

 

 しかし、忘れてはならないぞ。君の今の仕事は、何よりもまずあの『ゼロ』を始末する事だとい

う事を」

 

「分かっています。しかし、『皇帝』陛下。何か、ご存知ありませんか?『プロジェクト・ゼロ』は、

あなたのお父上の政権下で行われたプロジェクトです」

 

 舞は再びロバートの顔色を伺った。

 

「いや、もう一人の事など、私は知らんな。父が知っていたとしても、私に教えるような事はしな

いだろう」

 

 『皇帝』はきっぱりとそう言った。

 

「本当に、ですか?」

 

「私を、疑っているのかね?」

 

「いえ」

 

「だったら、仕事に戻りたまえ。それだけだ」

 

 再びロバートはきっぱりと言い、舞はそれ以上何も言わなかった。

 

 しかし舞は、疑いの眼差しでロバートの方を見、一言だけ言葉を発する。

 

「この件に関しては、必ず突き止めてみます」

 

 そう言い、彼女は『皇帝』の執務室を後にした。

 

-5ページ-

紅来国 綱道地方上空

 

6:15 A.M.(現地時間)

 

 

 

 

 

 

 

「おかしい、やはり、おかしい」

 

 《綱道地方》へと向かうジェットの中で、登は、前のシートに座っている一博に話しかけてい

た。

 

「どうしたんだ?登?もしかしてまた乗り物酔いか?」

 

「そうじゃあなくて、もう、『紅来』に到着してもいい時間のはずだ。だが、ジェットは少しも高度を

落としちゃあいない。さっきからずっと変わっていないんだ」

 

 登の口調は警戒も露だ。彼の乗り物酔いはどこへ行ったのか、そんなものなど感じさせない

口調だ。

 

「そ、そうか?それは怪しいな」

 

 そう一博は言って顔を上げた。彼の視界には、先ほどから変わらぬ機内の様子が伺える。エ

ンジンは一定のペースで唸り、機内の空気も変わらない。外の雲の動きも、別段と変化は無

い。

 

「そろそろ着いても、いいんじゃあないか?」

 

 一博が、機内にいる者達に尋ねた。彼の声は機内に響いたが、それに対して返答して来る

者はいない。

 

「どうしたの?一博君」

 

 香奈も、周囲の異変を感じ取っていた。

 

「すでに5時間も経ちます。《綱道地方》には、『タレス公国』の時間だったら、12時には着いて

いるはずなんじゃあないですか?」

 

 香奈は時差を変更していない腕時計を見て言った。

 

「そ、そのはずです。ええ、航行にトラブルは無かったのに、どうして?」

 

 今度はリアンが背後の席から尋ねていた。

 

 しかし返ってくるのは、返答では無く、静かなエンジンのリズム音だけ。シークレットサービス

の方は何も答えない。

 

「おいおい、こりゃあ、一体どういう事なんだ?」

 

 一博は思わず席から立ち上がり、前の方の席に座っているシークレットサービスに近付いて

いった。

 

 すると、一人の男、4人をこのジェットへと案内したストアという男が立ち上がり、一博の前を

遮る。

 

「席にお戻り下さい」

 

「状況を説明してくれ」

 

 シークレットサービスの男、ストアよりも体格の大きな一博。二人は、並ぶシートの間にある

通路で対峙した。

 

「全て順調です。ですから、席にお戻り下さい」

 

「順調ならば、すでに『紅来国』へと到着しているはずだ。これは、何かあったんじゃあない

か?」

 

 そう登も言って、席から立ち上がる。しかし、

 

「いいえ、全て順調です」

 

 ストアはそう言うだけで、全く引き下がろうとしなかった。

 

「順調、の意味が違うんじゃあないか?順調なのは、あんたらの方だけなんじゃあないのか?」

 

 護衛達の怪しい様子に感づいた登が、一博と同じように席から立ち上がり、警戒と共に一歩

踏み込んだ質問をする。すると、

 

「お気づきでしたか?確かに順調なのは我々の方だけです。このジェットは現在、《綱道地方》

の上空にいますが、このまま着陸するつもりはありません。『タレス公国』へと引き返します」

 

「何っ!」

 

 そう驚いたのは一博だ。

 

「私から申し上げられるのはここまでです。ですから、席にお戻り下さい」

 

 そのように言ってストアは、そのスーツの中に仕込んだ銃を向けて来る。それは一博の目の

前に突きつけられた。

 

「あんたら、誰の差し金だ?シークレットサービスじゃあないな?」

 

 一博も警戒も露に言った。

 

「いえ、我々は紛れもないシークレットサービスの人間です。しかし、あなた方を信頼なさってい

るドレイク大統領の命令で動いているのではありません」

 

「それは誰だ?」

 

 登が再度質問すると、ストアは、手にしている銃を一博の目の前に押し付けた。

 

「席に、お戻り下さい。さもなければ、こうです」

 

「飛行機内で銃を使おうなんて、あんたら、正気じゃあないぜ?」

 

 そう一博が言うと、前方の席に座っていたシークレットサービスの男達二人が次々と立ち上

がり、彼の方へと銃を向けて来る。

 

「いえ、正確に狙いを定め、しかも貫通しないように銃を撃てば、機体に損傷を与えない事も十

分に可能です。ともかくあなた方は、我々の言う事に従った方が懸命だという事ですよ」

 

 一博の目の前のストアは、変わらぬ口調でそう言った。

 

「一体、誰がこんな命令を!」

 

 そう叫んだのは、後部の座席に座っているリアンだ。

 

「あなたも、黙っていて下さい。あなたも『タレス公国』国民ならば分かるはずだ。『NK』からの

協力者などで、我が国と『ユリウス帝国』との友好関係を崩すような事になれば、国際関係は

保てなくなる」

 

 機械的な口調でストアは言う。

 

「だから、あんたらは、あの大統領に逆らうってのかよ?」

 

 一博は相手を威圧するかのような声を出した。

 

「我々は命令に従っているのみです。議員は、ドレイク大統領のやり方には反対だ。だからあ

なた方が必要です」

 

「つまり、僕らを捕らえて、大統領を脅迫しようってのかい? その議員というのは、まるでテロ

リストだな」

 

 と、一博の背後から登が言った。

 

「ですから、席にお戻り下さい。この機は、予定通りに『タレス公国』へと引き返しますので」

 

 ストアは、そのようにはっきりと言い、一博を席へと戻るように促した。しかし、

 

「あなた達! 何も分かっていないようね」

 

 香奈が、知っている限りの『タレス語』を使い、声を上げた。

 

「余計な言動は謹んでもらいましょう」

 

 しかし、香奈は続けた。

 

「この世界が今どんな状態にあるのか、そんな事も知らずに動いているの? 命令だとか、国

際的な立場とか、そんな事を言ってなんかいられない状況だって事、あなた達は、少しも分か

ってやしない。だから、あなた達は、あたし達がしようとする事を妨害できるんだよ。何で、あた

し達の国があんな事になったのか、知ってる?」

 

 たどたどしい『タレス語』で必死に訴える香奈だったが、ストアは、変わらぬ機械的な声で答え

た。

 

「我々は議員の命令に従っているだけです」

 

 感情が篭っていない。彼の感情など篭らず、ただただ、プログラムにしたがって答えているだ

け。表情も声のトーンも何もかも。だがその声に、沙恵は思わず立腹した。

 

「もう!面倒なんだから!そこまであたし達のする事を妨害しようってんなら、こっちだって黙っ

ちゃあいないよ!何が何でもこのジェットを《綱道》へと向かわせてやる!」

 

「お忘れのようですが、我々の指示に従った方が身の為です。これが、分かりませんか?」

 

 そう言って、その男は銃口を強調し、一博へと突きつけた。

 

「ああ、よく見えている。忘れてなんかいないぜ」

 

 一博は銃を向けられても、臆する事なくそう言った。

 

「席にお戻り下さい。このまま、あなたに銃を向けていても良いんですよ。しかし、『タレス公国』

に着くまでこの体勢では疲れるでしょう?」

 

「いや、席には戻らないさ」

 

 と、同じ言葉を繰り返すストアに、一博は目線を合わせて答えた。

 

「ほう?でしたら、無理矢理にでも戻って頂くしか無いようですね」

 

 そう、ストアが言いかけた時。一博は、銃を向けている男の腕を、強引に掴んでいた。銃口は

あらぬ方向へと向けられ、彼は呻く。

 

 万力のような力で、一博は彼の腕を握る。

 

 その様子を見た他の護衛達は、一斉に銃を向け、身構えた。

 

「ま、待て、まだ撃つな。こいつらは生け捕りに」

 

「確かに撃たせないほうがいい。おれへの軌道上には、あんたがいるんだからな」

 

 一博は、相手の腕を握る力を強めていた。男は更に呻き、顔に血が上る。

 

「ば、馬鹿な。こんな事をして、何になる?このジェットは、このまま我が国へと折り返す。それ

だけだ。こんな事をした所で」

 

 男がそう言うと、一博は更に握る力を強めた。同時に握られている男も、銃を床へと落として

しまう。

 

「だったら、このまま、《綱道》に着陸するよう、指示してくるんだな」

 

「この手を離せ!」

 

「言った事が聞えなかったようだ」

 

 相手の腕を潰そうかという勢いで、一博は腕を握り締める。

 

 大の男に強い力で、腕を握られているストアは、呻き声を上げ、そのまま、床へと崩れ落ちて

いく。

 

 だが、握られていない方の手で床に手をついた彼は、にやりとする。

 

「今だ、撃て」

 

 その声と同時に、男の背後にいたシークレットサービスの者達は、一斉に銃を抜き放ち、多

数の弾丸が、男より高い位置を通過。一博の方へと向かった。

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 だが、一博も瞬間、身を屈める。弾は、屈みこんだ彼のすぐ上を通過し、機体後部の洗面所

の扉へと当たった。

 

「何て事をするんだ。機内で銃を使ったら危ないだろ。正気じゃあないな。おれ達を生け捕りに

するって話はどうなったんだい?」

 

 男と一緒に屈みこんだ一博は、その男に言っていた。

 

「一人ぐらい欠けたって大丈夫なのさ。こんな風に」

 

 言い放った男は、床に落としていた銃を拾い、素早く一博の方へと向けた。そして、何の躊躇

も無く、彼へと弾丸を発射する。

 

 弾が、一博の方へと向かった。今度は至近距離、避ける間も無い。

 

 しかし一博は、その拳を使い、自分の顔面へと迫って来る弾を、手の甲で横から弾き飛ばし

た。

 

 血こそ出たが、大した怪我ではない。真横から殴り付けた事で、直線的な弾丸の軌道は大き

くそらされる。

 

 ストアには、一博が何をしたか、見る事もできなかっただろう。しかし弾は、一博によって弾き

飛ばされ、そのまま向かった先は、窓だった。

 

 弾は横殴りにされた事で、軌道こそ変わったが、力は衰えていない。弾は、機体の窓へと飛

び込んでいった。

 

 窓に撃ち込まれた一発の銃弾。それは、細かい亀裂を窓へと入れ、ジェットの外へと飛び出

していった。

 

 瞬間。その穴から、機内の空気が気圧差により一気に噴出されて行く。

 

 香奈やリアンは思わず悲鳴を上げた。ジェットの中の固定されていないあらゆる物が、一気

に宙へと舞い、銃弾によって空けられた穴へと飛び込んでいく。書類や、飲料用のコップが舞

い上がり、窓に開けられた一つの穴へと飛び込んで行こうとする。

 

「機内で銃なんか使うからだ!早く着陸させろ!」

 

 激しい気流の起こす突風の中、一博は叫ぶ。しかし、

 

「いえ、そういう訳にはいきません。もし、任務が失敗しそうだというのならば、証拠隠滅の為に

も、この機を墜落させるつもりでいます」

 

「何だと!」

 

 一博が叫んだ。辺りは、穴へと飛び込んで行く空気の嵐。一博は座席を固定する台座にしっ

かりと掴まっていた。

 

「こんな、風にです」

 

 そう言って、ストアは、自分の持っていた銃を手放した。

 

「な、何を!」

 

 一博が口を開く間も無く、彼の持っていた銃は、そのまま機体の窓へと激突し、粉々に打ち

破る。そこにさらに大きな穴を開けた。

 

 穴が広がった事により、更に空気の漏出の勢いは増した。

 

 しっかりと体を固定しておかなければ、体が持っていかれてしまう。今、窓に開いている穴は

人が通るにはまだ小さい。しかし、体が持ち上がってしまうほどに、空気は勢い良く漏出してい

る。

 

「おい!早くこの機を着陸させろ!さもないとお前達をあの穴から放り出す!」

 

 一博は叫ぶ、しかしストアは、

 

「だったら、そうすれば良いでしょう?」

 

 そう言い、まるで機械的な態度を崩そうとしない。一博は、片手で自分の体を固定したまま、

もう片方の手で、その男の首を締め上げた。

 

「面白い覚悟じゃあないか!おれ達は別にあんたらがいなくなったっていいんだぜ!この機を

着陸させる技術ぐらいはある!」

 

 一博は、さらに相手の首を強く締め上げる。突風の空気が入り乱れる中、相手の男は首を

絞められ、顔を赤くする。抵抗しようとしても、一博の力の前では何もできない。

 

 その時、機体が大きく傾き、さながら、急降下とも取れる姿勢を取った。

 

「何だ!何が起きた?」

 

 叫んだのは登だ。彼は一博の後ろで、しっかりとシートに掴まっている。

 

「おい!何をさせたッ!?」

 

 一博は、首を絞めている男を締める力を弱め、喋らせる。

 

「別に、大した事は。緊急事態で、任務失敗の可能性あり、と」

 

 息を喘がせながら、その男は言った。一博は、彼の顔を覗き見て叫ぶ。

 

「任務失敗だから、この機をわざと墜落させるというのか!」

 

「そ、そんな事聞いてないよ!」

 

 叫んだのは必死にシートにしがみついている沙恵だった。

 

 エンジン音が、急激に激しくなって来る。機体は傾き、更には機外へと飛び出していく空気の

流れ、混乱するジェット内部。

 

「どうもあんたら、正気とは思えないぜ。あんたらの仕えている議員ってのは、そこまで重要

か? おれ達からして見れば、その議員ってのは、肝心な所が見えていない。そんな事で命を

張られた上に心中まで持ちかけられちゃあ、おれは付いていけないな」

 

 一博は言い放つ。そして彼は、首を掴んでいたストアを手離した。

 

 一博の手から離れた彼の体は、窓の方へと吸い出されるようにして飛んで行った。そして、

窓が割れている窓枠の中へと、脚の方から吸い出されて行く。

 

 しかし、ジェットの窓は人が完全に通れるほど広くは無い。彼の両脚は機外へと飛び出した

が、腰の部分で彼の体は固定された。

 

 それと同時に、吸い出される空気の流れは弱まる。持ち上げられていた機内の人間の体

は、そのまま床へと落下した。

 

「奴の体で、蓋ができたな…?」

 

 一博は体を起こす。目線の先には、コックピットが見えていた。

 

「登、来てくれ。今からこのジェットを不時着させる」

 

「ああ、もちろんだ。君達は、そこの男が何かしないか見張っていてくれ」

 

 登は、香奈と沙恵へと言った。

 

 彼女らの背後の窓の部分では、一博の首絞めで意識を失いかけているストアという男が、体

を機外に半分だけ出している。

 

 彼が窓枠から逃れるのは、着陸まで不可能だろう。

 

 その様子を確認した沙恵は、多少、彼の事を惨めに見たのか、そんな表情をしたが、すぐに

向き直り、

 

「分かった」

 

 と、揺れる機体の中でふらつきながらもそう答えるのだった。

 

 前方へと大きく傾いた機内を、コックピットへと向かおうとする一博と登。彼らの前には、護衛

2人が立ち塞がろうとする。

 

「おい、そこで止まれ」

 

 と、一人の男が、ふらつく足場で無理に体勢を取りながら言ってくる。一博は、躊躇する間も

無くその男を殴り飛ばし、もう一人の男には、登が攻撃をしかけた。

 

 おそらく、どちらも自分が攻撃された事にすら気付かなかっただろう。しかし、2人とも加減は

している。そうでなければ、『高能力者』による体術の衝撃はあまりに強烈で、屈強な護衛と言

えども、本気の攻撃を受ければ即死だ。

 

「どこぞやの議員さんとやらは、随分とおれ達の事を見くびっているようだ。『能力者』相手に普

通の人間を仕掛けてくるとはな」

 

「だが、堂々と殉職するだけの覚悟はあるようだ」

 

 言葉を交わしながら、一博と登はコックピットの扉にまで辿り着く。機体は真っ直ぐに地上を

目指している。墜落までの猶予は無い。

 

「行くぜ」

 

 一博は合図と共に、コックピットの扉を蹴り破った。中には2人の人間がいて、操縦席に座っ

ている。計器類は悲鳴を上げ、赤い警告灯を光らせている。

 

 ジェットの危機は、目に見えてはっきりとしていた。

 

「おい!この機をすぐに元の体勢に戻せ!死にたいのか!」

 

 一博は叫びかけた。しかし、パイロットは振り向きざまに一博の方へと銃を向けてきた。

 

 だがその銃は、登の手によってもぎ取られる。

 

「こんな争いをしている場合じゃあない」

 

 どこから近付いてきていたのか分からない登に、パイロットは驚いた様子だったが、

 

「我々は命令に従っている。失敗するならば、死ぬ覚悟はできている」

 

 そう言ったパイロットの眼は、さっきの護衛の男と同じ眼をしていた。それは殉教者の眼。動

いてはいるが、死んでいる。

 

「悪いが、あんたらと心中する気なんか無いんでな。ジェットの操縦はこちらでやらせてもらお

う」

 

 一博のその言葉を合図代わりに、登は肘鉄で、パイロットの顔面を一撃し、彼を気絶させ

た。同時に、もう一つの操縦席に座っていた男にも、飛び掛るかのように膝蹴りを食らわせて

のし上げる。

 

「ジェットを元の体勢に戻そう。何とかできるかもしれない」

 

 素早く一博は操縦席へと乗り込む。

 

「操縦、できたのかい?」

 

 その彼の様子を見た登が尋ねた。

 

「免許を持っているかとか、そう言う事を言っている場合じゃあない」

 

 しかし、彼が操縦席についた時、登の膝蹴りでコックピットの隅にまで跳ね飛ばされていたパ

イロットが、呻きながら動き出していた。

 

 登の蹴りが甘かったのか、と一博はそちらに眼をやる。だがそれだけではない、パイロットは

スティック状のものを取り出し、その先端に取り付けられたスイッチを押そうとしていた。

 

「おい!その手に持っているものは何だ!止めろ!」

 

 一博がそう叫ぶ間も無く、床に倒れているパイロットは、手に握ったスイッチを押した。

 

 同時に、重い衝撃が機内を揺るがす。機体は激しく揺さぶられ、巨大な鉄球にでも殴られた

かのような衝撃が、機内の人間の体を押し倒した。

 

「い、一体、何だ?」

 

 すぐさま身を起こしながら、一博が言った。

 

「エンジンに損傷有り、航行不能、だそうだ」

 

 彼よりも早く体を起こした登が、並んだ計器類を見て言う。彼の口調は幾分と冷静だ。

 

「爆弾なんて仕掛けたのか!まるでこの連中は狂信者だな。任務が失敗するくらいなら、死ん

だ方がましだって言うのか!」

 

「それよりも、不時着の準備だ。君ならできるだろう?」

 

 素早く操縦席の一つに座った登。

 

「い、いや!おれにはこんな大きな飛行機は動かせない。しかもこの状況じゃあ、不時着じゃあ

ない。ほとんど墜落だ。覚悟していた方がいいかもな」

 

 機体は大きく前方へと傾き出していた。コックピットの窓からは、真下に真っ白な大地が広が

っている。

 

「何とかならないのか?」

 

 登が、そう一博に尋ねた時、コックピットの扉が開かれ、沙恵が揺れる機体に脚をふらつか

せながら現れた。

 

「ねえッ! 何があったのッ!? エンジンから火が出てるよ!」

 

 彼女の言葉で、事態が深刻であるという事が分かる。

 

「下の地面は雪が覆っている。垂直に落ちずに、滑り込むように落下していけば、摩擦も少なく

不時着できそうだ、だが、地形が平らじゃあないからな」

 

 慌てつつも一博は状況を分析する。

 

「平気なのか?」

 

「やって見ないと分からない。とりあえず席についてシートベルトを締めてくれ。高度は3000メ

ートルを切った。もうすぐ墜落する」

 

「わ、分かった」

 

 沙恵は、一博の言葉に従い、座席の方へと戻っていく。一博と登は操縦席につき、不時着に

身構えた。

 

「何とか、姿勢を安定させられないか試して見る」

 

 一博は操縦桿を握り、その大きな手でジェットを操作しようとする。

 

「2000メートル。まだ安定しない。このままじゃジェットは大破するかも」

 

 一博の声が自信なさげになっている。計器類は悲鳴を上げ、ジェットの揺れは激しい。登は

一博の顔を覗き見る。高度は1000メートルを切った。

 

「げ、限界かもしれない…¥!」

 

 冷や汗をかきながら、一博は言っていた。《綱道地方》の真っ白な大地はもう目前にある。

 

「僕らの目的は『ゼロ』を捜す事だ。こんな所で死んでいる場合じゃあない。何とかしてくれ」

 

 その時、ジェットの姿勢が安定してきた。

 

「よし、何とか戻った。これで…」

 

 一博がそう言いかけた時、機体は激しい衝撃に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、おおい、大丈夫か?」

 

 やっとの思いで身を起こしながら、一博は皆に呼びかけた。上下が逆さになったような状態に

なっているが、彼の体はまだ、シートベルトをしたままのシートの上にいる。

 

「ああ、何とか。大破だけは免れたようだ」

 

 登も無事なようだ。

 

「下が雪の大地だったから、助かったのかも。いいや、それより、おれがぎりぎりで機体の体勢

を取り戻したからか?」

 

 そう言って身を起こしてみると、一博は眼が回っているだけで、機体の姿勢は傾いてはおら

ず、床の方向に重力があった。

 

「他の皆は、無事かな?」

 

 登はシートベルトを外し、コックピットから飛び出していく。それには一博も後から追った。

 

「全く、とんだ事になっちゃったよ!」

 

 沙恵が、後ろのシートから立ち上がろうとしている所だった。

 

「お怪我は、ありませんか?」

 

 と、背後の席にいるリアンが気遣う。

 

「僕らは、大丈夫だ。香奈も、平気か?」

 

 香奈は、後方の席で頭を低くしてシートの中でうずくまっていた。

 

「だ、大丈夫、何とか」

 

 登は同時に、窓の枠にはまっているシークレットサービスの男、ストアの姿を見やった。ぐっ

たりと力なく窓枠に垂れているその姿。不時着の衝撃に耐えられなかったのだろうか、ぴくりと

も動く様子はない。

 

 床に転がっている、2人の護衛も同じだ。彼らはシートベルトをする前に気絶した。不時着の

衝撃をまともに受けたに違いない。

 

「おい、登。エンジンから出ている火が止まっていない。危険だ。早くこの場所から脱出しない

と!」

 

 窓から外のエンジンの様子を伺った一博がそう言った。

 

「確か、爆弾を仕掛けてあるとか、さっきの奴らは言っていたな。まだ爆発し切っていない火薬

もあるかもしれない。それに引火したり、燃料に引火したら大変だ!」

 

「そ、それじゃあ、必要な機材だけでも運んでください」

 

 リアンが慌てたように言った。

 

 登と一博は、彼女の顔に眼をやる。この若い『タレス公国』の科学者は、自分達を裏切るよう

な事はしないだろうか。

 

彼女も、このシークレットサービス達と一緒に、『SVO』を支援するはずだった。関係があるの

か。

 

 しかし、近藤大次郎の研究記録を入手するには、専門家が必要だった。リアンが、誰かの差

し金であろうとなかろうと、『SVO』に協力しているとみられる間は、彼女が必要だ。

 

「よし、その機材ってのを運び出そう」

 

 一博が言い、皆が行動し始めた。

 

 登は、機体の非常扉のレバーを回す。すると、非常扉は開かれ、圧縮されていた滑り台が、

空気が一気に注入されると共に、外へと飛び出した。

 

 半ば急な傾斜ではあるが、ジェットから脱出するための滑り台がそこに出来上がる。そして、

その先に広がっているのは、真っ白な雪の大地だった。

 

 眼下には限りなく雪の大地、白い大地が広がっている。所々に針葉樹林の木々が立ち並ん

でいるが、それ以外は何も存在しない、無人の土地だった。

 

 ひんやりとした空気が、不時着したジェットの機内に流れ込んで来る。気温は零下。空は地

面の色と同じ、白い雲が覆い尽し、日光は見られない。

 

「寒い、ね」

 

 登と一緒に外の様子を伺おうとした沙恵が、流れて来た空気に思わずそう言った。

 

「防寒具を着て下さい。夜はもっと冷え込みますから、今、現在位置を確認します」

 

 座席の方でリアンが、手元にあったタッチパネルをいじっている。香奈は、防寒具も着ないま

ま、ジェットの非常口の前に立っていた。

 

「この《綱道地方》のある『紅来国』というのは、『NK』の前の国、あたし達の本当の生まれ故郷

なんだよね?」

 

 と、独り言のように呟いた。

 

「ああ、だが、《綱道》の出身かどうかは分からないな。『紅来国』の首都は、もっと南だ。今じゃ

あ、誰も住んではいないけど」

 

 香奈に付け加えるように言った一博。

 

「とにかく、行こう。このままここにいたら危険だ」

 

「ああ、行くぜ」

 

「出ました。《綱道大学》から15km離れた場所に我々はいます」

 

 携帯端末の衛星写真を映し出したリアンが言った。

 

「15キロか。歩いていけない距離じゃあない、とにかく行くとしよう」

 

 

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―Ep#.17 『極北の真実』―

説明
世界的な脅威から世界を救うために。主人公達は一国の大統領と謁見します。
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オリジナル SF アクション 虚界の叙事詩 

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