幻葬のファントム〜最初の幻想〜 |
「久しぶりの日本だな」
僕――上条優麻は空港を出ると、照りつける初夏の日差しに目を細める。本格的な夏の到来はまだもう少し先だが、ここ数年の間暮らしていた英国ロンドンに比べるとかなり暑い。
「やっぱり半袖で来るべきだったかな……」
母国の気候を忘れた訳ではなかったが、それでもかっちりとしたスーツを着込んで来てしまった自分が恨めしい。背広を脱ぐと幾分かマシになったが、早くも汗ばんできたシャツが特有の居心地の悪さを伝えてくる。
――早く着替えたい……
僕は唯一の荷物であるスーツケースを引きずりながら、足早に待ち合わせ場所へと急いだ。
「やあ、優麻くん。久しぶり」
指定されていた駐車場まで来ると、むこうから声をかけてきた。ポロシャツに綿パンの、無精ヒゲが目立つ、どこにでもいそうな感じのおっさんだ。
「刀夜叔父さんも、相変わらず元気そうですね」
「そう見えるかい?それでも一昨日にアメリカから戻ってきたばかりなんだよ。いやあ最近出張出張で大変だったけど、まだまだ現役で頑張れそうだね」
そう言って朗らかに笑う彼は上条刀夜。僕の叔父にあたる人物だ。とある外資系企業で働いており、見かけによらずなかなかの出世頭だ。
「それじゃ、行こうか。その格好じゃ居心地悪いだろ」
「すみません。厄介になります」
「いいんだよ。うちの連中も久しぶりに君に会うの、楽しみにしてるんだから」
そう言うと叔父さんは停めてあった彼の愛車――いかにも行楽用に購入しましたとでも言いたげなRVワゴン――に乗り込み、僕も後部座席に収まる。
アイドリング状態だったワゴンの中は、車内エアコンが効いていてひんやりと気持ちよかった。
「ふう」
風呂から上がると僕はまっすぐあてがわれた客間に戻った。叔父さんが言った通り、上条家は快く僕を迎えてくれた。僕もそれは嬉しかった。けれど、必要以上に彼らの好意に甘える訳にはいかない。
辛い思いをするだけだ。
部屋に入るとまず窓を開けて室内の空気を入れ替える。カーテンは閉めず、電気も点けない。
昼間晴れていたため夜になっても雲はなく、月の光が部屋の中を青白く照らす。神秘的なこの光が、僕は好きだった。
窓際に配置されたベットの上に座り、量の膝を抱え、魅入られたように夜空を見上げる。
満天、とまでいかないが、それでも確かな輝きを放つ星たちが鮮やかに夜天を彩っていた。黒く、それでいてどこまでも透明な空に、突き刺すような銀の
冷たさが光る。
僕は訳もなく、手を伸ばしてみたい衝動に駆られた。いや、気付いていないだけで身体は動いていたのかもしれない。
あの星たちはもう、滅んでしまったのだろうか。
――それとも僕と同じ、今も滅びに向かって輝き続けているのだろうか――
人というものは失ってしまう段階まできて、初めて失うものの尊さに気付くのだという。
怜悧な星光の中に僕ははっきりと感じた。
命の輝き。燃え上がる、その滅びの煌めきを。
光年という途方もない時間を越え――
僕は束の間、過去の光に想いを馳せた。
「それじゃ、行ってきます」
「ああ。行ってらっしゃい」
時間があるうちに行きたいところがある。と言って、僕は上条家を後にする。
そして一歩を踏み出そうとしたとき、僕はふと視線を感じて振り返った。
小学校二年生くらいの、男の子だった。夏らしさを感じさせる半袖短パン。活動的で少し利発そうな、子供特有の瞳がこちらをじっと見つめている。僕はそんな彼の表情に、引き締めていた頬をふっと緩める。
上条当麻。上条刀夜の息子、すなわち僕の従兄弟に当たる人物だ。
「当麻くん。どうしたの?」
「前にさ、また今度戻ってきたら一緒に遊んでくれるって、約束したよな」
こちらが見つめ返すと、当麻はどこか落ち着かなそうにそう答えた。
――そう言えばあの時の当麻くんはまだ幼稚園だったっけ――
僕はぼんやりとそのころを思い出す。
「小学校に入って、友達もたくさんできたんだ。サッカーだって、俺、結構上手いんだぜ。だからさ、優麻も、一緒に来いよ。皆に、紹介するから」
――僕はサッカー、苦手なんだけど――
当麻の年齢相応の提案に、僕は内心で苦笑する。
「ごめんね。僕、これからちょっと出かけなきゃないんだ」
「仕事?」
「うん。そう……」
「ふぅん……」
少なくとも嘘は言ってない。だが子供のカンというやつか、当麻には何か感じるものがあったらしい。簡単に引き下がろうとはしなかった。
僕は当麻と目線の高さが同じになるよう屈むと、右手をぽんと彼の頭の上に置く。
「ごめんな。じゃ、こうしよう。確か今度、花火大会があるだろ?それに皆で行こうよ。叔父さんや友達も誘って、皆でさ。もちろん、僕も行くから。それじゃ、だめかな?」
「……分かった」
当麻はうなずいたが、まだどこか納得がいかない様子。僕はそんな当麻の頭をグリグリとなでると立ち上がる。
「じゃ、約束だ」
当麻を残し、僕は歩きだす。もう、振り返らない。自分でも、何故あんな約束をしてしまったのか分からない。とっさだったから?悲しませたくなかったから?
――僕はまだ、どこかで希望を持ちたいんだ――
馬鹿だと分かっていても、無駄だと分かっていても。
――ごめんよ――
歩く。歩き続ける。
全てが始まった、あの場所へ。
あの火災が嘘であったかのように、そこはきれいに整えられていた。周りを囲むように木が植え込まれ、その内側には休憩用のベンチが並ぶ。中心に建っているのは、周囲の景色と比べるとどこか場違いな、艶やかな黒曜石のモニュメント。火災で還らぬ人となった者たちの名が刻まれた、慰霊碑。
どんなに上辺を整えても、そこに残された傷跡は消えることはない。
永遠に。
僕は慰霊碑に歩み寄ると、ひんやりと冷たいその表面に指を這わせる。
――沙耶――
三谷沙耶。誰よりも愛し、誰よりも護りたいと願った女性(ひと)。
だが、護ることのできなかった女性(いのち)。
僕は目を瞑る。もういない女の幻にすがっても仕方がないことぐらい分かっている。よく、分かっている。
それでも――
――僕に、あと少しの勇気を――
そのときだった。
それまではまばらだが感じられた、人の気配がいつの間にかなくなっている。最初から僕以外の人間が居なかったような錯覚さえ受ける。
いや、錯覚ではない。本当に僕以外の人間がその場から消えていた。
キン、と不気味なほど澄み渡った、無音の世界。術者と対象者を空間ごと世界から隔離する、閉鎖結界特有の空気が僕の全身を緊張で包む。
乾いた靴音が、僕の背後から聞こえてきた。
「貴方なら、ここに来ると思っていました」
振り返った僕の視界に飛び込んできたのは、見知った一人の女性の姿だった。女性としてはその平均より身長が高く、短く切った黒髪に黒いスーツ。頭の先からつま先まで真っ黒、男装の麗人、という形容が彼女ほどしっくりくる人はいないだろうと僕は思う。
「由姫」
「いくら貴方がセンサーにかからないとはいえ、沙耶先輩と因縁のあるこの場所なら…探しましたよ、優麻先輩」
狩野由姫。僕が『つい最近まで』在籍していた、とある魔術結社の後輩だ。歳は確か僕より二つ下。彼女と組んだ期間はそれほど長くはなかったが、頭の回転が速く才能にも恵まれていて、次世代の魔術師を担うような存在だったと記憶している。
「今ならまだ間に合います。私と一緒に帰りましょう。先輩」
バッサリと切られた彼女の前髪が、揺れる。
「戻ってどうするんだい?『この能力』がある限り、封印指定されて永久にモルモット扱いがいいところさ」
うっすらと微笑み、僕はそう返した。僕が手に入れた能力は、一般に異常とされる魔術よりもさらに『異常』だ。神秘や奇跡の領域まで足がかかっているかもしれない。
そんなものがあの狂った研究者どもに見つかったらどうなるか。速攻で瓶詰めにされてホルマリン漬け確定だろう。
現に僕は異端者として、実際は「研究対象」として追われる身になったのだ。
「それに、僕にはまだやり残したことがある」
「――私では、沙耶先輩の代わりにはなれませんか?」
凛々しくも、どこか少女特有の幼さを残したその顔を、由姫はそっとうつむかせた。
「月並みなようで悪いけど、君は君だ。沙耶じゃない」
無駄な問答をしている時間さえ惜しい。何を言われても、僕は歩む道を変える気はない。
目立たないように、両足を肩幅に開き、体重を均等にかける。
「――変わりませんね…『優麻』」
一瞬。ほんの一瞬だけ彼女は微笑みを浮かべ、すぐにそれは冷徹な戦士のモノへと変化した。彼女もどこかで、僕がそう答えるであろうと感じていたのだろう。隙なくこちらを窺う目線には、敬愛も、親愛も、秘めた想いさえも、一切現れることはなかった。
由姫が小さく右脚を下げる。
しばらくは互いに無言。目線、視線、殺気。それら全てを駆使して駆け引きを行う。
凍りついたような、長い長い一時の後――
「――行きます」
ついに、彼女が動いた。
説明 | ||
『にじファン』に投稿していたものの移植版。 『と禁』の二次創作ですが、時系列的には原作よりかなり前になるはずです。 作者の友人が『(記憶喪失になる前の)当麻って、なんで幻想殺しのこと知ってるの?誰かが教えたのかな?』という素朴な(?)疑問を持ったことがことの始まりでした… 〜〜原作開始より以前、いずれは物語の主人公となる上条当麻の従兄として、『上条優麻』は確かにそこに存在した。『幻想殺し』を巡る失われた物語が、今、語られる。〜〜 |
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