境界のIS〜Last Episode "Good bye, my friends"〜 |
――ダメージ三十五…四十六。シールド残量七十五。実体ダメージ、大破
無音の世界だ。
弾丸がシールドを穿つ音も、レーザーが装甲を焼く音も、爆撃が機体を吹き飛ばす音も、今はない。
唯一耳に響くのは自らの乱れた呼吸音と早鐘を打つような心臓の鼓動。額からにじみ出た汗の粒が頬を伝って地に落ちる。
ズッシリと重く伸しかかる疲労感と警告表示の大合唱。機体も――そして俺の身体も、限界はすぐそこまで来ていた。
さて、どうしたものか。
FCS(火器管制システム)にチェックを入れ、武装の状態と残弾を確認する。
――背部特殊兵装:大破。使用不可
腰部近接ブレード:中破
後付武装(イコライザ)・AISハンドガン:残弾数ゼロ
後付武装・AISショットガン:残弾数五十六
「満身創痍とはこのことか――」
救いようがないくらい絶望的な状況だ。味方戦線は既に壊滅。これまで多くの敵を墜としてきたが、単純な戦力差は未だに倍以上ある。おまけに基本兵装のほとんどがオシャカ。なんとかまともに使える武装は、彼女が逝く前に渡してくれた対IS用ショットガン《レイン・オブ・サタディ》のみ。
気付けば仲間内でこうして戦場に立っているのは俺一人。共に学園で時を過ごした連中は戦況が激化するにつれ一人、また一人と墜ちていった。誰でもない俺自身が、その手にかけたこともあったっけ。
蒼穹に散った誇り高き狙撃手。
自ら部隊の先頭に立ち、血路を切り開いた黒兎。
最後の一人となっても、決して抗うことを諦めなかった小さき龍。
最高の親友だった白騎士と、彼の剣たらんとした紅き女剣士。
そして共に想いを確かめ合った、明るく心優しい疾風。
敵として目の前に現れたかつての『最強』を叩き潰したころには、俺は『血に濡れた英雄』だの『蒼き人狼』だのと物騒な二つ名で呼ばれる存在になっていた。
『こちらCP。聞こえるか?英雄殿』
突如として眼前に通信ウインドが開き、恩師の映像がバストアップで映し出される。
『上は正式にこの戦域の放棄を決定した。貴官には本部撤退までの時間を稼いで頂きたい』
おいおい、ちょっと待てよ。敵との戦力差は単純に見積もっても数倍。おまけにコッチは出来そこないの旧世代機にもやられそうなズタボロ状態。
つまりは――
「俺に死ねと。捨て石になれと。そういうことですか?」
『……』
事実上の玉砕命令。これまでにないくらいに明確な死の恐怖が、冷たくじんわりと、身体の中心から全身に溶けていく。
いや、戦争だもの。いつかこうなるだろうと覚悟は決めていたさ。でもやっぱり、怖いものは怖い。俺だって人の子だ。英雄なんてのも他人よりほんの少し逃げたい衝動を抑えただけであって、本質が臆病者であることに変わりはない。
『現実』にあるはずの肉体の感覚を失ってどれ程の時間が経ったのかは分からない。それでもこの『ゲームの世界』に適応したつもりではあった。
残機はゼロ。失敗の代償は自分の命。それはそれは危険なゲームだ。
『全く情けないな。こうも教え子たちに先立たれるとは』
「貴女は俺たちの切り札であり最後の希望なんですから。生き延びてもらわないと困ります」
『“希望”…か。難儀な役回りだな、昔から』
「俺も“英雄”ですからね。解りますよ、その気持ち」
『フフ、違いない』
無情な戦場で笑い合う俺たち二人。束の間、親友とバカをやってよく頭を叩かれていた学園時代の風景が脳裏をかすめる。もう戻れない、平和で穏やかだった思い出の残骸。使用中の女子更衣室に放り込んでやった時のアイツの様子はいつ思い出してもいいものだ。
――接近する機体を確認。数一
どうやら、お迎えが来たらしい。
「ここまでみたいですね。行ってきます」
『ああ。それにしてもお前』
「?」
『いい顔をするようになったな』
驚いた。
モニターの向こうの顔は微笑みを浮かべていた。今までに見たことのない程温かで、慈愛に満ちたその表情に、思わずクラッと来てしまった。
これは、惚れてしまいそうだ。
「――止めて下さいよ。戦闘前の告白だなんて、縁起でもない」
こうやって笑い合うのが、俺たちに出来る精一杯。
「先生」
『……なんだ?』
「今まで、ありがとうございました」
『……』
「向こうに行ったら、アイツ……弟さんに、よろしく言っておきます」
『――ッ!』
通信切断。同時に、俺の思考もクリアになる。
ためらいも、後悔も、恐怖も。一切の無駄を切除しろ。
戦いの道具に、生まれ変わるんだ。
英雄に、狼になりきれ。
世界が、これまでにないくらいに澄んで見える。ああ、本当にキレイだ。
今の俺は、まるで一本のナイフのように。
傷つけることしか、できやしないんだ。
――目標を確認
見えてるよ。
五百メートル先の空中に、そいつはいた。
白亜の全身装甲を纏う重装騎士。突撃槍のように右手に携えるは、機業連最新モデルの実弾式ライフル。左腕には近接戦闘用レーザーブレード。そして最大の特徴である、背部大型スラスターユニットと同化した、翼のように広がる三対六門の中型レーザー砲。
その姿から通称“天使”(コード・エンジェル)なんて呼ばれている、現在最高のスペックを誇る無人人型兵器だ。おまけにハイパーセンサーが捉えた、左肩にある『西洋剣と翼』のエンブレム。
「『聖騎士』サマ直々のご登場とは、恐れ入ったな」
青のアイカメラがこちらを見据えた。
眼前にライフルを捧げ、決闘前の敬礼を送ってくる。
面白い。
俺もブレードを抜き放ち、返礼する。
ヤツは銃を、俺は剣を。
ビッ、と払い、構える。
――警告。敵機のロックオンを確認。
瞬時加速《イグニッション・ブースト》、作動。エネルギー一次放出、吸収。内部圧縮状態でスタンバイ。
――敵機射撃態勢に移行。トリガー確認。初弾装填
今だ。
圧縮エネルギー解放。
風切り音のような独特の音を立てて機体が鳴き、一瞬で俺を超高速の世界へと連れていく。
ライフル弾が機体をかすめる。遅い。
敵機の左下から急接近。そのまま喰らいつく。
さあ、始めよう。
天使とダンスだ。
光。
足元には、どこまでも続く白。キレイな青が一面に広がる世界。
翼を得た狼が空を駆け。
天使が神の槍を振りかぶる。
一人と一匹。それだけの、穢れ無き聖域で。
ひらひらと。
じゃれ合うように。
舞う。
爪が風を切り。
閃光が空を裂く。
互いが互いの存在を懸け。
踊っている。
天使の羽が翻る。
狼が吠える。
一瞬の輝き。
走る。
雷を撒き散らし。
裁きの光が放たれる。
断罪の炎にその身を焼かれながらも。
孤高の獣はひた走る。
引かず。止まらず。
ただ、前に。
力の奔流を食い破る。
跳びかかる狼。迎え撃つ天使。
一瞬の煌めき。
時が止まる。
天使の首筋には牙が突き立てられ。
槍は狼の翼を貫いた。
流れ始める。
ゆっくりと。
翼をもがれた狼は。
墜ちていく。
清浄な楽園を追われ、穢れに満ちた地上へと。
ただ、堕ちていく。
――敵……破。生命……危険。強……排除
一輪の火の華が咲いた。身体が風に煽られる。
温かな光。風の音が聞こえる。
誰もいない、俺だけの空。
頭上には白。足元には青。
翼を失い、墜ちていく。
どこまでも続く、眠くなるような浮遊感。何故だろうか。とても心地がいい。
近くて遠い青に手を伸ばす。
堕ちていく。
雲の中に突っ込んだ。一面の白。
ああ、シャル。叶うならもう一度――
白い手が冷たく、優しく、俺を抱きしめる。
もう一度君と、あの空を――
説明 | ||
空を飛び、目標を墜とす。 友と語りあい、敵と殺しあう。 大切な女性をこの手で抱き、誰かの大切なものをこの手で奪う。 たとえ全てが虚構だったとしても。 まぎれもない、僕にとっての現実だ。 |
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