虚界の叙事詩 Ep#.19「メタモルフォーゼ」-1
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セントラルタワービル 地下

 

γ0057年12月1日

 

8:05 P.M.

 

 

 

 

 

 

 

 すぐ側で展開された、ジョンと太一、隆文の戦い。絵倫と浩はその戦いを彼らに任せ、背後を

取られている、マーキュリーとミッシェルの相手をしなければならなかった。

 

「あなた達は、何もしなくていいの?」

 

 そう尋ねてきたのはマーキュリーだ。眼深く被っている緑色のフードの中から、真っ白な肌と

赤い唇。そして、冷たく光る青い瞳が覗いている。

 

「いいえ、あなた達はわたし達が相手をするってだけよ」

 

 と、絵倫は言い、腰に吊るしてある鎖の鞭を抜き放った。

 

「そう来なくっちゃあな」

 

 絵倫と同じように、浩も身構える。

 

「ふふふ、この前に、随分と痛い目に会わせてあげたって言うのに、随分と良い度胸だわねえ」

 

 マーキュリーはそう呟き、背中から長い棒状の物を取り出した。それは大きな鉄槍だ。エナメ

ル質のグローブをしている手で、彼女はそれを握っている。

 

 絵倫はその槍を知っている。《クリフト島》でマーキュリーと戦った時は、その槍が脅威だっ

た。その槍と、彼女の『能力』がいかに危険なものであるかは、絵倫が身をもって知っている。

 

 マーキュリーはその槍を自分の前で一閃させる。彼女の槍が空気をかき回すだけで、そこに

生み出される、重々しい空気の流れが感じられる程の威圧感。

 

「どうでもいいがよ。さっさと先に向かわせてもらわないとな」

 

 浩は、そんな気配を押しのけるかのようにそう言い、マーキュリーへと拳を鳴らしながら距離

を詰めた。

 

「あら?相手はあなた?」

 

「おうよ」

 

 絵倫よりも自分が出るべきだと判断したのか、浩はマーキュリーと対峙した。

 

「二人がかりでも良かったのに、拍子抜けね!」

 

 マーキュリーはそう言い放つと、彼へと槍を振り払って来る。

 

「浩!その女の攻撃に気を付けなさい!」

 

 背後から絵倫が叫ぶ。

 

 マーキュリーの振り払って来る槍。それは空気中に衝撃波をくっきりと残す。それはガラスの

ような物体として残る軌跡。彼女が振り払った槍の軌道には、ガラスのような物体が残る。

 

「わーってるって」

 

 それを知り、浩は、とっさに槍から間合いを取った。マーキュリーが振り払った槍。その軌道

にはくっきりとガラスのような物体が残り、その物体はそれだけでも凶器だった。

 

 間合いを取った浩に、マーキュリーは襲い掛かって来る。長い槍を突き出して来る。それは

彼女の槍から、彼女の『能力』で生み出される物体だ。

 

 突き出された槍からも、まるで溢れるかのようにガラスのような物体が飛び出して来た。

 

 浩はそれを避ける。マーキュリーは避けた彼の方へも槍を薙いで来たが、浩はそれを蹴りで

軌道をそらさせた。

 

 その隙に、浩はマーキュリーの懐まで飛び込む。そして彼女に向かって拳を繰り出した。

 

 マーキュリーは両手で持っていた槍の片手を離し、浩の拳を受ける。

 

 だが、浩は続けざまに連打として拳を繰り出した。

 

 両方の拳から繰り出される拳の連打に、マーキュリーはエナメル質のグローブをはめた片手

だけで対処する。掌で大の男の拳を受けている。

 

「ちょっとがむしゃら過ぎない?パワーはあるようだけど」

 

 と、マーキュリーが言った瞬間。彼女の被っているフードを、浩の拳が切り裂いた。

 

 彼女はよろめき、後ろにあったボイラー装置に背中を付く。その時、彼女はがっしりと浩の拳

を握り締めていた。

 

「でも少しは、やるようね」

 

 さっき立っていた場所から数メートル後退している。浩は拳の連打だけでマーキュリーを押し

ていた。だが、彼はがむしゃら過ぎる攻撃で、すでに息を上がらせている。しかし彼は構わず、

 

「少しはだあ?あんたの槍。重すぎで身体に合っていねえんじゃあないのか?破壊力はなかな

か高そうだが、動きの方が付いて来てねえぜ」

 

 息を上がらせつつも、間近でマーキュリーに言い放つ。すると、マーキュリーの方はちらりと

余裕の笑みを浩に見せつけて来た。

 

「でも、まだ、本気ってわけじゃあないのよ」

 

 口元が微笑むマーキュリー。浩は、彼女の懐、上着の刺客になっている部分が光るのを見

逃さなかった。拳を彼女の手から引き離し、とっさに距離を取る。瞬間。目の前の空間が切り

裂かれた。

 

 浩はバックステップをしながら呻く。胸元を切り付けられていた。上着が裂け、はだけさせて

いる胸板に一筋の線が入っている。そして、目の前の空間にはガラスのような切り口が浮かん

でいる。

 

 それを描いたのは、マーキュリーが右手に持っている剣だった。

 

 左手に槍を、右手に剣を持っている。光沢のあるエナメル質のグローブがその双方を軽く握

り、彼女は構えていた。

 

 不思議だった。マーキュリーの体格は、『NK』人から見れば長身に見えるが、『帝国』の女と

しては普通だろう。浩の方が明らかに巨体だ。

 

しかし、長い槍と剣を抜き放ち、構えているその姿は、奇妙な程に巨大に浩には見えていた。

 

 浩よりも、更に大きな存在感が、マーキュリーから放たれていた。

 

「こりゃあ、ちょっと、今まで通り、とは、行かなそうだな」

 

 浩はそれを肌で感じ、思わず呟いていた。

 

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「懸命とは言えないわね、ミッシェル・ロックハート将軍?あなたも暴力沙汰の仲間入りをする

の?」

 

 太一、隆文とジョン、そして浩とマーキュリーが対峙する中、地下室の別の一角では、絵倫と

ミッシェルが対峙していた。

 

「わたしも軍人ですから。あなた方を止める為だったら、何でもする」

 

 そう言ってミッシェルが取り出したのは、細長い剣先を持つ剣、レイピアだった。磨かれてい

て、その刃は銀色に輝いている。

 

 ミッシェルは、自分より10歳は年上の女。しかもやり手の軍の将軍だ。だがそんな彼女にも

構わず、絵倫は強気に出た。

 

「へえ、あなた。フェンシングの真似事なんてするの?」

 

「腕は、世界大会級だと知って、そう言って欲しいわね」

 

 ミッシェルは真面目な顔と口調のままそう答えていた。

 

 先に仕掛けてきたのはミッシェルだ。一気に絵倫への距離を詰め、剣先を突き出して来る。

絵倫は鋭い剣先を避ける。

 

 引き裂かれた空間の空気。

 

 ミッシェルは絵倫に対し、更にもう一撃、レイピアを突き出して来る。弾丸のようなスピードで

の突きだった。

 

 ジョンやマーキュリー・グリーン将軍は高能力者。だがどうやら、このミッシェル・ロックハート

将軍も、高能力者であるようだ。そうでなければ、このように眼にも留まらぬ動きなどできない。

同じ高能力者の集団である、『SVO』と戦う事など出来ない。

 

 そして、だからこそこの場にいるのだ。『能力者』でも無い限り、クーデターの真っ只中で、そ

の激戦地に軍の高官が赴いたりはしない。

 

 絵倫へと突き出される突き。その一撃が、彼女を捕える軌道へと入った。輝く軌跡を残しなが

ら、レイピアが彼女を捕えようとする。

 

 それは避けきれない軌道だ。ミッシェルの『能力者』としての程度も、馬鹿にはできない。動き

だけ見ても『SVO』に匹敵するものがある。

 

 だが、ミッシェルの剣先は、絵倫の目の前で受け止められた。

 

 空気が、クッションのようになって、絵倫の周囲に防御壁を張っている。それは眼に見える物

ではないが、しっかりと空間上に作られた袋だ。

 

ただの袋に詰められた空気のクッションならば、剣で突かれて破壊されてしまうだろう。だが、

絵倫の創り出した空気の塊は違う。刃や針では破壊できないクッションなのだ。

 

 ミッシェルは、更にもう一度突きを繰り出し、そのクッションを打ち破ろうとする。研ぎ澄まされ

たレイピアが、空気の塊を引き裂こうとする。

 

 絵倫の前に現れた、空気の袋は、鋭いミッシェルの剣先によって突かれ、破壊される。しか

し、更なる空気の袋が現れ、それがミッシェルの剣を覆う。

 

 そしてその袋は空気の流れとなって、ミッシェルの剣、そして、剣を持つ腕まで覆っていく。

 

 柔らかく、衝撃を吸収する空気は、その形を変え、今度はミッシェルの腕を空間に繋ぎとめて

いた。

 

「捕えたわ。逃がさないわよ」

 

 絵倫は呟き、鞭を繰り出す。

 

 金属の鎖は、絵倫の意志に操られるように、ミッシェルを撃つ軌道へと放たれる。蛇のよう

な、奇怪で鋭い動きが襲いかかろうとする。

 

 ミッシェルは、剣先を持っていない方の腕で、その鞭を防御した。だが、鞭は奇妙な動きを見

せる。まるで意志を持っているかのように、彼女の腕へと巻き付いたのだ。

 

 ミッシェルの腕をがっしりと拘束する、絵倫の鞭。

 

「これで、両腕が塞がったわね」

 

 絵倫は鞭を握り締めながら言った。更に、空気の力で、ミッシェルのレイピアは空間に固定で

きている。

 

 そして、絵倫は、自分とミッシェルの間の空間に、更に空気を生み出す。それは、クッション

のような空気とは違う。高密度に圧縮した空気の塊だ。

 

「これを撃ち込んで」

 

 絵倫がそう言った時、ミッシェルは鞭を引っ張ろうとする。しかし、ミッシェルの鞭に拘束され

ている方の腕は、全く動く事が無かった。

 

「あら?言わなかったかしら?わたしはこの鞭を、自分の力だけで操っているんじゃあないの。

『能力』で操っているの」

 

 絵倫の鎖の鞭からは空気の流れが溢れ出し、それがミッシェルの腕を拘束している。彼女の

両腕は完全に空間に固定されていた。

 

「悪く思わないでよ。このまま、あなたを倒させてもらうわ!」

 

 絵倫は言い、空気の弾丸をミッシェルに向けて解き放とうとする。

 

 しかしその瞬間、ミッシェルのレイピアを拘束している方の空気の流れが、突然破裂した。

 

 絵倫は踏み止まる。すかさず、ミッシェルの方から剣先が突き出されて来る。距離が近い。

絵倫はぎりぎりの所でそれをかわす。服が少し破けた。

 

「ここまで空気の流れを自在に操れるなんてね?話にしか聞いていなかったけれども、あなた

達の『力』は立派なものだわ」

 

 そう言い放ち、ミッシェルは続けざまにレイピアを突き出して来る。

 

 今度は、彼女の腕を拘束する暇も無いほどの突きだ。

 

 接近。接近しているとまずい。絵倫は、鞭で拘束している方のミッシェルの腕を解放し、とっさ

に彼女から距離を取った。

 

「どうして!空気の流れを撃ち破れたの!腕は拘束していたし!」

 

「さあ。この剣をその体で受ければ理解できるわよ。時間も押してきたし、あなたの『力』を知る

のもここまで。一気に決着を着ける!」

 

 ミッシェルはそう言い放った。絵倫はさっと身構える。彼女の周りの空間には既に空気を圧縮

した塊が幾つも浮かんでいる。どこから来られても万全だ。

 

 と、がっしりと目線を合わせていたミッシェルの姿が、コンピュータ画面がフェードアウトする

かのように消え去った。

 

「な、何を!」

 

 絵倫は思わず驚愕して呟く。しかし、ミッシェルの姿は目の前から消え去っている。

 

「どこ!どこに消えたの?」

 

 思わず慌てる絵倫。だが、姿が消えたとは言っても、何かのごまかしか、眼の錯覚でも起こさ

されているに違いない。

 

 眼に頼ってはダメだ。絵倫は、空気の流れを生み出し、その流れによってミッシェルの居場

所を探知しようとした。

 

 既に、目の前の場所から移動している。ボイラー装置と、大型換気装置がある地下室では、

空気の流れが大いに乱れているが、それぐらいで探知できない絵倫の『力』では無い。

 

 しかし、ミッシェルらしき動くものは何も無い。

 

 姿が消えた。なぜか。ミッシェルがそう言う『力』を使えるから?

 

 だが、考えを思いとどまった。

 

 ふと、絵倫は、地下室の通路のボイラー装置の配置に、不審な部分を見つけた。もちろん、

眼で見ているだけでは気付かない。

 

 眼で見ている分には、それに気付かないが、空気の流れを読む事によって知る事ができる。

 

 ミッシェルは、ボイラー装置の間に身を潜めていた。

 

 それを絵倫が分かった瞬間、ミッシェルは素早く彼女へと襲い掛かって来た。

 

 絵倫の方が一瞬遅れた。彼女は寸前の所でミッシェルからの攻撃を免れようとするが、間に

合わない。突然飛び出してきた、針のような剣先に左腕を刺し貫かれる。

 

 そのまま押し倒された絵倫は、貫かれた腕ごと、床に貼り付けられてしまった。

 

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「絵倫!」

 

 隆文の叫び声が地下室に響き渡った。

 

 だが絵倫はと言うと、床に押し付けられ、腕を貫かれた剣で、床ごと固定されているかのよ

う。

 

 絵倫の見ている目の前で、ミッシェルがその姿を現す。彼女はその姿を消していたが、透明

なヴェールのようなものを脱ぐと、その姿を露にした。

 

「嘘!こ、光学迷彩?」

 

 腕の痛みに呻きながらも、絵倫は言った。ミッシェルが手で持っている布のように柔らかい生

地は、その内部を透明化している。彼女の、持っている手が透け、その先の光景が見えてい

る。

 

「あら、知らなかったの?こういったものは、うちの軍でもう開発されているの。まだ実戦に使え

るほど量産されていないけどね」

 

 ミッシェルは、絵倫の体の上に跨り、剣を握っている。絵倫にとっては相手に跨られ、完全に

不利な状態。

 

 だが、ちらりと自分の腕を刺し貫いているレイピアを見やり、絵倫はミッシェルの方を向いて

言った。

 

「でも、わたしにとっては、そんな光学迷彩なんて、ただの子供だましね!」

 

 そう言い、絵倫は、目の前の空気を、彼女自身の『力』を使って一気に吹き上がらせた。

 

 部分的に、猛烈な突風がミッシェルに襲い掛かった。彼女はその風によって巻き上げられ、

3メートルも離れた場所に着地する。

 

 刺し貫かれた左腕を押えながらも、ふらつきながら再びミッシェルと対峙する絵倫。

 

「ふう。その傷は、さっさと止血しないとまずいんじゃあないの?」

 

 ミッシェルは言ってくる。だが、絵倫は溢れる血の傷口を持つ腕を押えながら、強がってミッシ

ェルへと言うのだった。

 

「あなたのその剣。ドリルのようになっているわね。良く見ても分からないけれども、小さな刃

が、目に見えないほど小さな刃が、高速で回転している。だから、私の空気の袋を捕える事が

できたんだわ」

 

「理解したのね。だけれども、先にダメージを与えたのはわたし。わたしの方が少し有利になっ

たようね。それと、あなたのその傷は、動脈を切断されているから、止血しないと、2分もしない

内に死ぬわよ」

 

 ミッシェルはそう言って、再び光学迷彩を被った。すると、彼女の身体は姿がかき消えてしま

う。

 

 絵倫は、ミッシェルの迫って来る方向を知ろうと、空気の流れを読む『力』を使う。

 

 左腕から、一気に血が溢れている。腕と手を伝い、床に血溜りまでもが出来上がっている。

血が失われていくにつれ、意識が朦朧となっていくのを絵倫は感じた。

 

 今の彼女にとって、空気の流れは不鮮明で、ボイラー装置や大型換気扇が動いている中で

は、ミッシェルの動く気配も遮断されている。

 

 彼女が迫って来る音さえも聴こえない。

 

 絵倫が、ミッシェルの気配を感じる事ができたのは、彼女が、絵倫のすぐ背後に来ていた時

だった。

 

 とっさに間合いを取ろうとする絵倫。しかし、かわしたものの間に合わない。剣は絵倫の左肩

を切り裂いた。

 

 ドリルのように回転するミッシェルのレイピアは、掠っただけで負傷になる。その際の出血も

相当だ。

 

 だが絵倫は剣を避けきり、ミッシェルからの間合いを取る。

 

 再び傷を負った絵倫。見た目よりも破壊力の高いミッシェルの剣で受けた傷は、深く、出血も

酷い。

 

 痛みと出血で意識が薄れかかっている。そんな中で、光学迷彩を纏い、姿をくらますミッシェ

ルの姿は分からない。

 

 そして、ボイラー装置と大きな換気扇のある地下室では、その気流も入り乱れ、風の動きを

読む事も困難だ。

 

 絵倫は、姿をくらましたまま再びやって来るであろう、ミッシェルの攻撃を読もうとした。

 

 些細な空気の動きも探知しようとするが、薄れる意識の中では、それもままならない。

 

 と、背後で、音が聴こえて来る。それは、風船が割れるときのような破裂音。

 

 絵倫はとっさにその方向を向いて身構えた。

 

「空気で袋を作って、それを風船のようにして、わたしの剣のくる方向を、空気袋が割れる音で

探知しようとしたの?でも、あなたのその怪我で間に合うかしら?」

 

 剣は見えない。もちろん、ミッシェルの姿も。ただ、彼女の声だけが間近で響く。

 

「風船は、あなたの剣の来る方向を音で探知する為だけに配置しておいたんじゃあないわ。さ

っきも見たでしょう?わたしは、空気を固めて弾丸のように撃つ事もできるんだって」

 

 ミッシェルの剣が割った風船は、そのまま散り散りになってしまうのではなく、空気中で固ま

る。そして、新たに凝縮された空気の塊は、剣がやって来る方向に、弾丸から発射されたよう

に飛んでいった。

 

 だが、手ごたえが無い。その方向には人の姿は無い。あるのは、光学迷彩の切れ端を被せ

られた、ミッシェルの剣だけだった。

 

「わたしも、そんな仕掛けをあなたがしているだろうと思っていた。だから剣を構えて突こうとし

たんじゃあなくって、距離を取ってから投げたの。もちろん。あなたがその剣を避けるかもって

事も想定ずみよ」

 

 背後にミッシェルの声がする。しかも絵倫の向いている方向からは、彼女の剣が飛んで来て

いる。

 

「『能力者』ならば、自分の投げた剣よりも早く動いて、相手の背後に回る事も可能だわ」

 

 姿は見えない。だが、光学迷彩を纏ったミッシェルが、背後から絵倫を羽交い絞めにする。

 

 そして、飛んで来ている剣に、彼女の体を当てようとしているのだ。

 

「今度こそ、あなたも限界ね」

 

 背後からミッシェルが囁いて来る。

 

「あなたの剣は避けられないかもしれないけど。あなた自身を倒す事はできるわ」

 

 絵倫は呟いた。剣は目前に迫って来ている。狙ってくる位置は頚動脈。切り裂かれれば、左

腕の傷と合わせて致命的な出血を見舞う。

 

「何言っているのよ!あんた!」

 

「わたしの生み出した空気の流れというのは、そう簡単に消えたりするものじゃあないのよ。つ

まり、わたしがこの場所に来てから使っている、『力』によって生み出された空気は、ずっと生き

ているって事よ。たとえ割れようが、切り裂かれようが、空気は生きているの」

 

 ミッシェルが、空気の弾丸に気付いたのは、絵倫の首元に剣が突き刺さった時だった。

 

 次の瞬間、空気の弾丸は、ミッシェルの身体に撃ち込まれる。絵倫を羽交い絞めにする力が

緩んだ。とっさに絵倫は、ミッシェルの腕を振り解く。

 

 首に剣が刺さっていた。ドリルのように回転する刃が、首の更に奥へと剣先を刺し貫こうとし

ている。

 

 絵倫は呻きながらも、柄を握り、首に刺さった剣を引き抜く。そんな事をすれば、出血が酷く

なり、致命的な失血をしてしまうが、絵倫は、ミッシェルの剣が刺さった首の周囲に圧縮した空

気で傷を押さえ込んだ。

 

 それでも多少の出血はあるが、剣先に首を刺し貫かれたり、失血死するのに比べたら随分と

良い。

 

 絵倫の背後で、ミッシェルがゆっくりと床に倒れた。空気の弾丸で撃たれた事で、力なく地面

に倒れ、床には血が広がる。

 

「あなたに羽交い絞めにされていちゃあ、あなたの体に空気の弾丸を貫通させるわけにはいか

ないわ。だから、大切な臓器は傷つけないでおいてあるわよ」

 

 絵倫は、倒れたミッシェルにそう言っていた。

 

 だが、左腕の出血に、首にも手痛い傷を負っている。絵倫はその痛みに呻き、がっくりと膝を

付いていた。

 

 すぐに治癒能力を使って、その傷に応急処置をしなければならなかった。

 

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 剣と槍の二振りを構えたマーキュリーは異様に大きな存在に見え、浩は少したじろいだ。

 

 マーキュリーの方は、不敵な表情をしたままだ。浩と一定の間合いを取りつつ、徐々に近付

いて来ている。

 

 彼女の構えは、攻撃的な威圧感と共に、鉄壁とも取れる死角の無さを示していた。彼女の体

格よりも大きい武器。そしてその、剣と槍のリーチの範囲だけ、彼女のエリア。そこから先は踏

み込む事ができない間合い。そう示している。

 

「さてと、あなたが来ないんだったら、こちらから」

 

 と、マーキュリーは静かに言い、手にしている槍の穂先を地面へとそっと付ける。浩が、それ

に警戒した瞬間。彼女はその槍を振り上げた。

 

 すると、槍が振り上げられた事による衝撃波が、ガラスのような形となって発生し、地面を走

った。コンクリートの床は削れ、塊となったガラスの衝撃波が、浩の元へと接近して来る。

 

 浩はそれをとっさに避けた。コンクリート片をも削る、そのガラスのような塊は、破片を周囲に

散らしている。その破片にも注意しながら、浩は地面を転がるように避ける。

 

 マーキュリーが起こした衝撃波は、散り散りになった、その塊の破片でさえ、コンクリートに突

き刺さり、易々と破壊を行ってしまう。

 

 ガラスのような塊が通り過ぎた後には、深い溝がそこに残されていた。

 

 地面を転がった浩は、さっと状態を起こす。すると、いつの間にか接近していたマーキュリー

が、今度は剣を振り上げていた。

 

 再び地面を転がる浩。マーキュリーは彼の元へと剣を振り下ろす。

 

 浩は避けたが、彼女が地面へと剣を叩き付けた瞬間、まるで地震のような衝撃が地下室を

揺るがした。

 

 浩はマーキュリーの攻撃を転がって避け続ける。その度に、ガラスのような塊が彼女の剣か

ら溢れ出し、それが更に床のコンクリートを抉った。

 

 マーキュリーがどんどん浩を追い詰める。彼女の剣が、ついに浩を捕えようとした時、

 

 浩の身体は、マーキュリーが槍からの衝撃波で造り上げた、床の溝の中へと滑り込むように

入っていった。

 

 彼女の剣から湧き出すガラスの塊は、彼の体を捕らえるはできないまま、床を這うように広

がる。

 

「わたしが抉った床の溝の中に隠れて、衝撃波を避けようって考え?でも、そんな事は気休め

にしかならないわよ」

 

 マーキュリーは自分が作り出した溝へと向け、槍を突き出す。彼女の繰り出した槍は、コンク

リート片を突き破り、易々と地面へとめり込んだ。

 

 床の溝の方に向かい、一気に亀裂が走っていく。そして、その亀裂が溝に達した時、溝から

は溢れるようにガラス片の形をしたエネルギーが飛び出した。

 

 特に手ごたえのような衝撃は無い。ただガラス片が湧き出して来るだけだ。

 

「そこにはいないわね!」

 

 溝から飛び出したガラス片を見たマーキュリーは叫ぶ。

 

 次の瞬間、マーキュリーの頭上の天井が砕け、そこから浩が奇襲する。

 

「いいや、正確には違ってよ。オレは確かにそこの溝の中に隠れたぜ。だが、あんたが、オレ

のがたいでも、身を隠しながら移動できる溝を作っちまったのが、問題だな」

 

 浩は、天井からの落下のスピードをつけつつ、拳を繰り出した。マーキュリーはそれを槍の柄

で受ける。

 

 浩の『力』はごく単純。肉体の、筋肉の強靭なまでの活性化に過ぎない。マーキュリーのよう

に、破壊の『力』を作り出すような『力』は無い。だが、浩が拳を繰り出せば、いくら『能力者』で

あろうと、女のマーキュリーの身体は後退せざるを得ない。

 

「あんたが、さっきの衝撃波を突入させて行った先。あのガラス見てえな衝撃波は、隣の部屋

まで伝わっていた。隣の部屋からは、このフロアの上の階に伝わる階段があったぜ」

 

「上の階?」

 

「そうだ。上の階だぜ。だから、こうやって頭上から奇襲できたんだろうがッ!」

 

 浩は言い放ち、渾身の力を込め、マーキュリーへと拳を繰り出す。しかし彼女は、正確にそ

の武器を使って彼の拳を受け止めた。

 

「上の階まで行っておきながら、わたし達の所へと戻って来るなんてね?さっさと上の階まで行

っていれば、あなた達の目的に到達できるでしょう?」

 

 浩の拳を受けながら、マーキュリーは言った。

 

「どっちみちよ。お前らを倒さねえと、どこまでも追っかけてくんだろうが!仲間もここにいるし

よ!」

 

 お返しとばかりの浩の拳。

 

「仲間?仲間?ふっふっふ。仲間の事なんて、あなた気にしているの?言わせてもらうけれど

もねえ。そんな事じゃあ、任務を果たす事なんてできないわよ!」

 

 浩は間合いを踏み込み、次にマーキュリーが剣か槍を振り下ろして来るよりも前に、次の攻

撃を仕掛けようとした。

 

 だがその踏み込みの瞬間、彼は、鈍い痛みを足に感じた。それも両足だ。

 

「言っておくけどね。わたしは、槍や剣だけで衝撃波を発生させているわけじゃあないの。わた

しが生み出した攻撃ならば、何であろうと、例え、床を蹴り叩いた程度のものでも、その衝撃波

から、『力』が発生するって言う事よ。もちろん、槍や剣なんかに比べたら、私の体だけで生ま

れる『力』なんて、ナイフ程度のものでしょうけどね」

 

 マーキュリーの足元から、ガラスがナイフのように突き上がり、それが広がっている。その内

の二つが、浩の足を刺し貫いていた。

 

 思わず呻く浩。

 

「その足は床からひっぺがす時、苦労するでしょうねえ」

 

 マーキュリーは剣を抜き放つ。浩は、床から突き出たガラス状の物体で、足を固定されてい

た。全く動く事ができない。

 

 彼の突き刺された両足からは血が流れ、それは床へと広がっていく。

 

「そもそも、わたし達に戦いを挑んで来たって言う方が、大きなミスだったかしら?」

 

 そう言い放つと、マーキュリーは、浩の頭上から剣を振り下ろして来た。

 

「いいや、あんたはミスを犯したぜ。オレをこの場所に固定しちまったっていうミスをな。おかげ

で覚悟ができた。あんたの攻撃を何が何でも、真正面から受けなきゃあならないって言う覚悟

がな!」

 

「何を寝ぼけた事を言っているの?」

 

 浩は、迫って来る彼女の剣を、両側から挟みこむようにして受け止める。それは白刃取りだ

った。

 

 本来ある剣の重さよりも、数十倍は重い重さと衝撃を浩は感じる。同時に、彼の腕の筋肉へ

と痺れるような衝撃が走った。そして、背中側へと到達したその衝撃は、彼の体からガラスの

ようなエネルギー体となってこぼれ落ちる。

 

「馬鹿な?一体何をしたって言うの?」

 

 浩に自分の剣を受け止められ、驚愕するマーキュリー。

 

「さ、最後の手段だぜ。剣を避ける事ができねえんなら、自分の身体で受けないとな。これは、

自分の筋肉を使って、衝撃を受け流せるオレだからできる芸当だ。

 

 あんたの『能力』が衝撃波を破壊の力としてガラスのような物体に具現化する、ってんなら、

その衝撃波を受け流してやればいいんだぜ。オレの身体を使ってなッ!」

 

 マーキュリーの剣を受け止めた浩の腕は、至る所に裂傷が走る。傷口からは血があふれ出

した。

 

「でも、苦し紛れだったようねえ。それに、衝撃を受け流すって言っても、あなたは、わたしの攻

撃を受けたのと変わらない。腕に衝撃波が流れていったんだから、もう両腕は使いものになら

ないんじゃあ、ないの?」

 

 少し驚かされたようだが、マーキュリーは不敵な笑みを絶やさない。

 

「それに、一時的に剣を受け止めても、わたしには槍もあるのよ」

 

 今度は脇から、槍を振るってくる彼女。

 

 だが浩は、彼女が槍を振るって来るよりも先に、両手で挟みこんでいる剣を横へと倒した。マ

ーキュリーの体勢が崩れる。

 

 体勢が崩れた彼女。そこへ、浩は蹴りを繰り出す。蹴りがマーキュリーを捕えようとする。

 

 浩の蹴りが捕えたのはマーキュリーの腕だ。彼女はとっさに剣を離し、腕で浩の蹴りを受け

止めようとしている。

 

 マーキュリーの身体は、浩の丸太のような蹴りで薙ぎ倒されそうになるが、こらえた。

 

「大した蹴りじゃあない。わたしの攻撃を正面から受け止めようとした事と合わせて、敬意を払

いたいくらいね」

 

 不敵な笑みと共にマーキュリーは言った。しかし、

 

「いいや、まだオレに敬意を払う必要はないぜ、将軍さんよ。そんな事よりも、何でオレが、簡

単に、固定されていた足をひっぺがす事ができたか。それを考えた方がいいぜ」

 

 マーキュリーが受け止めた浩の脚は、その足から血が溢れている。貫通跡だ。マーキュリー

の物質化した破壊の力が貫通した跡だ。

 

「あんたの『力』で具現化したものを、あんたの『力』を使って破壊させてもらったぜ。どういう事

か分かるか」

 

 浩がそう言った次の瞬間。マーキュリーは、浩の脚を受け止めた自分の腕に走る鈍い痛み

を感じていた。

 

 ガラスのような物体が、彼女の腕を刺し貫いている。

 

 彼女がその異変に気付いた瞬間、浩の脚からは、次々とガラスのような物体が飛び出してき

た。

 

 ガラスのシャワーがマーキュリーへと降り注ぐ。鋭いガラス状の物体が、次々と彼女に襲い掛

かった。

 

「あんたの攻撃で繰り出された衝撃波には、その『力』を込められるって言っていたよなあ。オ

レはあんたの衝撃波を身体で受け止めて、かき消しちまったわけじゃあねえ。ただ受け流した

ってだけだ。だが、どこに受け流すかってのは、オレの筋肉が操作する。蹴りに込めて外へ放

出する事も可能って事だぜ。もちろん、足を固定されている方のガラスも、その『力』で破壊さ

せてもらった。

 

 最も、大分背中の方から抜けちまったんで、元々の破壊力があるかどうかは、分からねえ

が」

 

 マーキュリーは、薙ぎ倒されるように地面に倒れこんだ。ガラス状の物体は、鈍い音を立てな

がら地面へと飛散して行く。それは、倒れた彼女の身体へも降り注いで行った。

 

 倒れた彼女の身体からは、床に血が広がる。

 

「ち、やれやれ。何て危ねえ『力』だ」

 

 浩は、ため息の代わりにそう呟いていた。

 

 マーキュリーが致命傷を負ったのかどうか。浩には分からない。彼自身も負傷している。両腕

の筋肉が痛み、裂傷が走っていた。腕が思うように動かない。筋肉の組織がやられている、歩

くのさえやっとだ。すぐにでも応急処置をしたかった。

 

 自分の身体を通したガラス状のエネルギーがどの程度の力を持っていたか、考えながら、マ

ーキュリーの倒れた姿を覗き見ようとした。たぶん、強くてもナイフの刃、弱くてもガラスの破片

ほどの鋭利さはあると思われたが、

 

 彼女の身体がぴくりと動く。死んではいないようだ。彼女の『力』を利用した策略も、彼女の命

を奪うまでには至っていない。

 

 だが意識を失っているのか、失っていないのか。それが重要だった。

 

 浩がマーキュリーの顔を覗き込もうとした時、彼女は突然起き上がった。

 

 浩は驚く。マーキュリーの方は、浩の前で起き上がる。だが、その顔や首筋は傷だらけだっ

た。

 

「随分な事、してくれるじゃあない。わたしの顔を傷つけるなんてさ。まあ、治療できる『力』を使

える人に頼んで、治せるからいいんだけれど」

 

 血だらけの顔では、微笑しているのかどうかさえも分からない。ただ、今の彼女の顔から分

かる事は一つ。その血に塗れた美貌からは、恐ろしいまでの表情が見て取れる。流血と相まっ

て、彼女の美貌は、恐ろしいものへと変化していた。

 

 しかも、彼女は立ち上がり、戦う気でいる。

 

「ちっ。あれだけやって、まだ立ち上がって来るとは、しぶといぜ」

 

 浩は強がって吐き捨てた。

 

「しぶとい?しぶといって言うのなら、あなた達もそうだけれども。そんな事を言うって事は、あ

なたはもしかして、もう、策切れなのかしら?」

 

「さあ?そいつぁ、どうかな」

 

 浩は強がり、傷だらけの拳で構えた。ふらつく全身。筋肉は錆びた鉄のようにぼろぼろだ。

 

 浩は内心、焦っていた。確かに、マーキュリーの言うとおり、策切れだったのだから。

-5ページ-

《帝国首都》から100km離れた地点の上空

 

8:15 P.M.

 

 

 

 

 

 静かな海の上空を、戦闘機が旋回していく。それは激しい音を立て、海の一地点に一瞬だけ

音を残し、瞬時に去っていった。

 

 首都が戒厳令下に置かれている中で、《帝国首都》周辺には『ゼロ』の接近に警戒し、『帝国

軍』の迎撃戦闘機が配備されていた。

 

 戒厳令下の首都を、クーデター反対派からの爆撃から守る為、もしくは、反対派の本拠地へ

の空爆を行う為。にしては首都から離れすぎた地点での旋回だ。あくまで目的はクーデターで

はなく、『ゼロ』にある。

 

 戦闘機のパイロット達には命令が与えられている。レーダーで不審物を察知し次第、すぐさま

それを撃ち落すようにと。

 

 首都内に戒厳令が敷かれた後に、接近の事実が確認された『ゼロ』。現在地点は、レーダー

に映る前から、逐一衛星で確認され、パイロット達に伝えられていた。

 

 だが不思議な事に、数分ほど前から、パイロット達には連絡を取る事ができなくなってしまっ

たのである。

 

 彼らに指示を与えていたのは、空軍基地本部。そして、国防総省だった。

 

 命令では、『ゼロ』が、現在彼らの戦闘機が旋回している地点までへの、到着予想時刻が告

げられていた。その時刻を過ぎ、更に1時間経ち、異常が無いと確認されるまでは、何があっ

ても基地への帰還はせず、旋回、そして警戒態勢を続けているように、との命令だ。

 

 そして、その到着予想時刻が、たった今の時間だった。

 

 本部との連絡どころか、旋回中の戦闘機間ですら、連絡が取れなくなっている。何かの前触

れかと、不安に思ったパイロットの内一人は、レーダーの方への眼をやった。

 

 すると、数キロメートル離れた地点に、不審な点が現れている。しかもかなりのスピードで接

近して来ていた。

 

 それは戦闘機の旋回している地点、そして、《帝国首都》の方向だった。

 

「こちらは『ユリウス空軍』だ。B-4-1055地点をこちらに接近して来る者に告ぐ。それ以上こちら

に接近するならば撃墜する。繰り返す。こちらは『ユリウス空軍』。すぐさま引き返せ。さもなけ

れば撃墜する」

 

 パイロットは無線で、不審な物体に呼びかけた。だが、戻って来るのは雑音だけで、全く反応

が無い。

 

 しかもレーダーに映る飛行物体は、こちらに接近して来ていた。その速度は時速500kmほ

ど。

 

「こちら、シグマ3。レーダー上に不審な点を発見。本部。応答せよ」

 

 パイロットはすぐに報告を入れたが、無線から返って来るのは雑音ばかりで、全く応答が無

かった。

 

「本部、応答できないか?シグマ2、シグマ4、応答せよ」

 

 彼は部隊の仲間にも連絡を入れたが、そこから戻って来るのも雑音だけだった。

 

 だが、そのパイロットにとって、する事は決まっていた。命令通りだ。

 

「こちら、シグマ3。これより、B-4-1055地点をこちらに接近して来る不審な飛行物体を爆撃す

る」

 

 そして、彼は手馴れた手つきで、レーダー上に映るポイントをロックオンした。彼がミサイルを

発射すれば、間違いなくミサイルはロックオンした物体に着弾し、破壊する。

 

 戦闘機からはミサイルが発射された。レーダーにはミサイルのポイントも映る。一直線に飛ん

で行くミサイル。

 

 目標には、問題なく到達した。不審物体は避けるようとする事もせず、自分からミサイルへと

ぶつかって行ったかのようだった。

 

「こちらシグマ3。B-4-1055地点の不審な飛行物体を爆撃した。繰り返す」

 

 だが、彼は次の瞬間、眼を疑った。レーダーには、爆撃前と変わらず、こちらへと向かってく

る飛行物体が写っていたからである。

 

「こ、こちらシグマ3。爆撃を行った不審物体は、依然としてこちらに接近中。繰り返す。不審物

体は、依然として接近中。本部、聞こえないか!」

 

 だが、無線から聞えて来る音は雑音だけだった。

 

 と、レーダーに、別方向から接近するミサイルの存在が写る。パイロットの仲間の戦闘機もミ

サイルを発射したのだ。

 

 目標までの距離がカウントされる。レーダー上のポイントとしてそれは表されるが、パイロット

は食い入るように見つめた。

 

 ミサイルは、目標地点に到達した。しかしその直後、ミサイルは、標的からまるでこちらに戻

って来るように跳ね返って来た。

 

「な、何だと!ま、まさか!」

 

 パイロットは思わず声を上げる。ロックオンしたミサイルが、標的を外れ、しかもそのまま戻っ

て来るなど、有り得ないからだ。

 

 標的から跳ね返されたミサイルは、発射した戦闘機の方へと戻って行く。レーダーに映る仲

間達は、それを避けようと試みた。

 

 だが、不思議な事に、不審な物体にロックオンをして発射したはずのミサイルが、彼らの戦

闘機に、いつの間にかロックオンしなおされていた。

 

 ミサイルは次々と戦闘機を捕え、爆発と共に致命的なダメージを与えた。

 

「シ、シグマ2、シグマ4!応答せよ!応答せよ!本部!本部!聞えないか!シグマ2、シグマ

4が撃墜された!シ、シグマ1も!」

 

 聞えて来るのは雑音だけ、反応はまるで無い。レーダーにも、仲間達の戦闘機は映らない

し、本部との連絡も取れない。

 

 その時、パイロットは気付いた。レーダーに映っていた不審物体の距離が、すでに間近まで

迫っていたのだ。

 

 戦闘機を回避させようと試みるパイロット。しかし、その不審な物体は、まるで引き寄せられ

るかのように、戦闘機の方へと迫って来ていた。

 

 パイロットは叫び声を上げた。コックピットの窓の外の視界が、紫色に包まれる。いや、それ

はむしろ赤い色に近かった。

 

 まるで、巨大な鉄球に殴られたかのような衝撃が、コックピットを、戦闘機を襲う。

 

 戦闘機のコントロールは失われ、いずこの方向へと、スピンして行った。

-6ページ-

セントラルタワービル 地下

 

8:10 P.M.

 

 

 

 

 

 

 

(太一、隆文。聴こえないのか?)

 

 耳の中の通信機越しに聴こえる原長官の言葉も、どこからか遠くから聞こえて来るように思

える。耳では聞いていても、頭では認識できない。

 

 太一は、目の前で展開される戦いに集中しなければならなかったからだ。

 

 繰り出される禍々しい形状の剣が彼を捕えようとする。空気を切り裂き、キナ臭い匂いが漂う

剣を、太一は素早い動きでかわしていったが、寸での所で切り裂かれる。

 

 既に、彼のコートの至る所が破け、体には裂傷が広がっていた。

 

 一方で、ジョンの方はと言うと、太一の攻撃が、彼を捕らえる事はできても、決定打には至っ

ていない。

 

 相変わらずの不敵な笑みで迫って来る。

 

 戦いが始まってから何分が経った?太一は腕時計を見たかったが、そのような暇は無かっ

た。隆文も、太一の援護をしてやらねばならない。ジョンの剣が太一を完全に捕えないのは、

隆文の援護射撃があるからだ。

 

 この戦いが始まってから、まだ5分と経っていないだろう。『能力者』同士の対決では、常人に

は目にも留まらぬ速度で戦いが展開される。戦う者にとって、体感時間は長くとも、実際の経

過時間は短い。

 

 だがそれでも、『ゼロ』は着実にこの首都へと近付いて来ているはずだった。時間は無駄に

はできないし、負傷を増やすのもまずい。彼と対峙するまでに、余計な体力の消費をするのは

問題だった。

 

 太一の焦りは募った。それは隆文や、彼の他の仲間達とて同じだろう。

 

 ジョンの剣が、太一の腕を切り裂いた。深く入ったらしい。かなりの出血。隆文も焦って来て

いる。

 

「どうしたんだ?お前が、援護をしてやらないとよ。このメガネには、いずれ致命的なのが入る

ぜ」

 

 ジョンは隆文に向かってそう言い放っていた。

 

 もう、『ゼロ』の首都接近まで、残り30分ほどしかない。

 

 ジョンは『SVO』の実力をも上回る高能力者。まともに戦っていては、いつまで経っても決着

は着かない。

 

「お、おい。待つんだ!俺達も、あんたらも、こんな事をしている場合じゃあないはずだ!」

 

 と、太一は目の前のジョンに言った。

 

「言っている事が分からねえな?今、オレ達にとっちゃあ、『ゼロ』なんて奴の事はどうだってい

いんだぜ。てめえらが目の前にいる。それだけで、こんな事をしている理由の説明はつく」

 

 ジョンの剣が振るわれ、再び太一を捕えようとしていた。しかし、そんな彼の元へと、壁を伝

わり、跳ね返った銃弾が襲い掛かる。

 

 ジョンは思わず身を引き、その銃弾をかわした。

 

「おっと、ただ闇雲に撃ちまくっているわけじゃあ、ねえようだ。跳弾って奴にも、注意しねえと、

なァ」

 

 隆文の方を、ちらっと見てジョンは言った。

 

「時間が、無い」

 

 いつになく、太一は焦った表情で言っていた。

 

 そんな時、太一は、耳の中に聞えて来る、原長官からの通信を耳にしていた。

 

 片方の耳だけイヤホンが入っており、それは衛星通信をしている。

 

(太一。聞えているか?聞えているなら応答してくれ。たった今、『帝国軍』の『ゼロ』迎撃に向

かった戦闘機が全滅したそうだ。首都での混乱が続いている以上、『ゼロ』が首都に接近した

ならば、どんな莫大な被害が出るか、分からない)

 

 原長官は、落ち着いているのか、慌てているのか、良く分からない声だった。

 

 だが、彼の意味している言葉は、最悪の出来事への予兆を示している。

 

(太一、隆文、聴こえているのか?太一!た、か)

 

「長官?原長官?」

 

 太一は小声で原長官を呼ぶ。しかし、それは雑音に紛れて聴こえなくなってしまった。

 

 そして、それはジョンに聞かれてしまったようだ。

 

「何を、話してんだ?てめえ!まだ、オレとお前らは、戦っている真っ最中なんだぜ!」

 

 禍々しい形状の剣の刃先を太一に向け、ジョンは言い放った。

 

「『ゼロ』が、この首都にやって来る。もう、誰にも止められないそうだ。あんたらの軍の戦闘機

も全滅したって話だ」

 

「オレ達の国の国防長官が、止める事ができるぜ」

 

 間髪入れずにジョンは答えた。だが、溜まりかねた様子で、太一の背後の隆文はたたみか

ける。

 

「また、その話か!なぜだ?俺達がどういう存在だか知らないのか?あの『ゼロ』と、同じ実験

を受けた。つまり、あの『ゼロ』に最も近い存在が俺達だ。お互いに存在を感じ合う事だって、

できるんだ!」

 

「そんな事は知っているぜ!だが、それは、お互いの存在を感じ合えるってだけで、奴を倒せ

るかって話とは、別だぜ!」

 

 ジョンは声を上げる。彼の側を伺っている太一は、ジョンの隙を狙っているが、話している時

の彼にも隙が無い。

 

 隆文に注意が引きついているわけではない。ジョンは話しながらも戦っている。

 

「何だ?お前は、ただ、あの国防長官が『力』で俺達に勝っているから、『ゼロ』を倒せるだろう

と、そう思っているだけなのか?」

 

 だが、太一がそう言っても、ジョンは聞く耳を持たなかった。

 

「さあな?とにかく、お前らには止められねえ。それだけだ」

 

「ここで、俺達を先に行かせれば、この都市を救える。何百万、いや、一千万か?という人間を

救えるかもしれない。だが、俺達を、まだお前達が足止めするのならば、大勢の人間が犠牲に

なるだろう。俺達や、お前達もその中に含まれる」

 

 ジョンを揺さぶろうとする太一だったが、彼は何を言っても無駄だった。

 

「オレは、てめえらを、見逃すなんて事はしねえぜ。お互いプロだ。分かってんだろう?」

 

 そう隆文に言い放つと、ジョンは剣を隆文へと向け、ゆっくりと近付いてきた。

 

「ただ協力してくれるだけでいい!」

 

 そんな彼を制止するように、隆文がそう言った時だった。重々しい地鳴りのようなものが、地

下室を揺るがした。

 

 地震のような衝撃が建物を揺るがす。

 

「な、何だってんだ!いきなり!」

 

 ジョンは叫ぶ。すると同時に、天井にヒビが入り、あっという間にそれは広がった。

 

 天井の破片が音を立てて床へと落ちる。

 

「危ないッ!」

 

 そう叫んできたのは、奥の大型換気扇がある辺りで、ミッシェルと戦っていた絵倫だった。彼

女は奥の方から姿を現し、太一達へと呼びかける。

 

 絵倫が姿を見せた瞬間。地下室の天井は割れ、一気に崩れてきた。

-7ページ-

 その時、《帝国首都》の都市に向けて、数発のミサイルが放たれていた。ミサイルが、大都市

の真中に撃ち込まれると、その場所では大爆発が起きた。

 

 しかも、その内一発のミサイルは、《セントラルタワービル》へと着弾していた。

 

 反クーデター軍が、クーデター軍を侵入させまいと、激戦を行っている、《セントラルタワービ

ル》の入り口付近。一発のミサイルが撃ちこまれた事で、玄関口は吹き飛ばされ、クーデター

軍も、反クーデター軍の兵士達も同じように吹き飛ばされた。

 

 轟く轟音と、爆発的に広がる爆風。戒厳令下で混乱の最中にあった都市の一部では、住民

や、クーデター軍が、パニックに陥る。

 

 そして、上空で、黄色に輝く物体が接近して来ていた。それは、夜空の光としては、不気味な

までに輝いていた。

 

 その物体に向かって行く、一機の戦闘機もあった。

 

「こちら、ベータ7。首都上空を、未確認飛行物体が接近中。本部。応答願う。本部!」

 

 だが本部からの応答は無い。クーデター下の首都上空を旋回し続けている、戦闘機のパイ

ロットは、それでも構わず報告を続けた。

 

「未確認飛行物体は、4発のミサイルを発射。内2発は、我々が撃墜。しかし、2発が首都に着

弾した。1発は、《セントラルタワービル》に着弾した模様!」

 

 だが本部や、味方同士との連携も上手く取れていれば、残り2発のミサイルをも撃墜できた

はずだった。通信不良など、あってはならない事のはずだった。

 

 《セントラルタワービル》は、『帝国』の中央省庁の要だ。ミサイルが撃ち込まれる事など、あ

ってはならないはず。

 

 しかし、通信不良では、ミサイルの迎撃もうまくは行かない。

 

「未確認飛行物体は、おそらく我が国の戦闘機であると思われる。コントロールを失い、現在

の進路では、首都の。《セントラルタワービル》付近に向かっている模様!」

 

 ミサイルどころか、戦闘機そのものも、《セントラルタワービル》に向かっている。一大事だっ

た。

 

 パイロットがする事は一つだった。

 

「直ちに、飛行物体を撃墜する」

 

 パイロットの言う、飛行物体は黄色い色に輝いていた。物体自体は肉眼では確認できない

が、黄色い光だけは、はっきりと夜空に浮かんでいる。

 

 ミサイルをロックオンし、直ちに発射した。

 

 ほんの数秒の後、夜空に爆発の光が瞬き、黄色い光に爆炎は炸裂した。そして、粉々になっ

た飛行物体は、次々と首都へと落下して行った。

 

「飛行物体を撃破!物体は『ゼロ』という存在では無い模様!破片が首都4区付近へと落下

中!警戒せよ!警戒せよ!」

 

 しかし、パイロットがそのように叫んでも、全く通信はできない状態であった。

 

 

 

 

 

 

 

 突然、崩れてきた天井の瓦礫から免れた『SVO』の4人は、地下室の有様を一瞥すると、す

ぐに行動を開始しようとしていた。

 

 天井がむき出しになり、照明装置はほとんど破損。薄暗くなり、天井から垂れ下がった電気

ケーブルが所々でショートしている。瓦礫が散乱し、塵が舞っていた。

 

「浩がいないわ」

 

 絵倫が太一と隆文を踏みとどませた。

 

「おーい。オレはここだ」

 

 と、金網のフェンスを押し倒しながら、浩も姿を現した。

 

「おい浩?どうした、その体は?今の瓦礫でやられちまったのか?絵倫もだ」

 

 浩と絵倫の負傷を見て、思わず隆文は尋ねる。浩は体中から血を流していた。

 

「あいつらにやられたんだよ」

 

「あの人にやられたのよ」

 

 浩と絵倫は、ほぼ同時に、同じ言葉を呟いていた。

 

 4人は、天井が崩れた地下室を振り返る。だが、そこには、今まで戦っていたジョン達の姿が

無い。

 

「瓦礫の下敷きになってしまったのか?奴らにとっても、突然の出来事だったろうからな。それ

にしても、今の爆発は」

 

 太一が呟く。4人以外に、地下室に人影は無かった。

 

「もしかしたら、『ゼロ』がもう来ちまったのかもしれねえぜ!だとしたら、急がねえと!」

 

 負傷しながらも、浩は、皆を催促する。彼は痛みに顔をしかめているようだった。

 

「ねえ、あんた。大丈夫なの?」

 

 と、絵倫が浩を心配して言った。

 

「ああ、オレの事は心配するな。歩く事ぐらいは、できるからよ」

 

 浩は強がって言ったが、確かに彼の言う通り、足に負傷をしていても歩く事ぐらいはできるよ

うだ。彼自身の、筋肉組織を操作できる『能力』のせいだろう。損傷した筋肉の修復も素早く行

う事ができる。

 

 一行の目の前には、上階へと向かう階段が延びていた。

 

「ああ、そうだな。原長官との連絡も取れない状態だ。こりゃあ、急がないと行けないようだ」

 

 隆文はそう答え、彼を先頭にして『SVO』の4人は、《セントラルタワービル》を上の階へと向

かった。

 

 彼らが行ってしまった後、地下室の瓦礫の下から、呻くような声が漏れ出していた。

 

 やがて、その場所から、瓦礫を突き破るようにしてジョンの上半身が姿を現す。彼はそのまま

這い出そうとしたが、脚の部分に、瓦礫が覆いかぶさり、全く身動きができない状態だった。

 

 思わず悪態を付くジョン。だが彼は吐き捨てながらも、通信機を取り出した。ひどい怪我では

ない。ただ、瓦礫に挟まってしまっている。それだけだ。

 

「おい?聴こえているか?通信の状態が、悪いようだが。聴こえたら《セントラルタワービル》の

地下ボイラー室まで来い。オレと、将軍様お2人が瓦礫の下にいるんだ。あと、タワービルの上

階に向かった『SVO』を何とかしろ」

 

 そう、ジョンは言った後、少し考えを巡らせた。そして、

 

「あと、ヘリを用意しろ。どうやら『SVO』の奴らの言う通り、急がなくちゃあならねえようだから

な」

 

 と言う言葉を付け加えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「どうやらこいつは、『ゼロ』の仕業じゃあ、ないようだぞ」

 

 地下室から階段を昇り、1階へと上がった『SVO』の4人は、タワービルの入り口付近の破壊

の有様を目撃する形となった。

 

 破壊は入り口付近から、建物の奥の方にまで手を伸ばしている。柱や天井は粉々に吹き飛

び、タワービルの玄関口の面影は全く無かった。焼けただれ、所々で火の手が上がり、火災報

知機が鳴り響いている。

 

「『ゼロ』じゃあ、無いってのは、一目瞭然だぜ。何しろ奴がいねえんだからな」

 

 と、浩が吐き捨てるように言った。彼は手で肩を押さえ、息を切らせている。

 

「まだ天井が崩れそうだぞ!危険だ!」

 

「消防車はどうした!まだ来ないのか!?負傷者を救出しろ!」

 

「この首都の状況では時間がかかる!」

 

 建物の入り口付近から声が聞こえて来る。戒厳令下の首都の状況では、その者達は、『帝

国軍』兵士であろう。

 

「とにかく、早く行かないとな。『ゼロ』もそうだが、近藤の奴を捜そう」

 

 と、太一は言った。既に、ナビシステムを持つ隆文を先頭とし、彼らは上層階への道を捜して

いた。

 

「独立した電源で動く、非常用エレベーターがあるはずだ。このクーデター中、このビルに残っ

ている連中の人数なんてたかが知れている。いまの爆発で避難して来る人数も大した事は無

いな」

 

 携帯端末を確認しながら、隆文は道を捜す。4人は玄関ホールを外れ、奥の通路へと脚を踏

み入れていた。

 

「ところで、今の爆発は、ありゃあ、何だ?」

 

 玄関ホールの方を見返しながら、浩が皆に尋ねた。

 

「『ゼロ』じゃあ無いって事は確かだ。だが奴は、別の機械を操る『力』も持っているってな。だ

から俺達の『NK』はあんなになった」

 

「今の爆発も、奴が何か、兵器を操ったからこうなった、かもしれないわ?」

 

 絵倫が答えた。

 

「例えば、ミサイルとかな?」

 

 太一は呟くように言った。その時、4人の目の前に、非常用のエレベーターの扉が現れた。

 

「『ゼロ』が到着するまでの予想時刻は、あとどの位だ?先輩?」

 

「もう、あと20分ほどだ」

 

 隆文は携帯端末に表示されている時計を確認し、そう答えた。

-8ページ-

 《セントラルタワービル》の上層階では、『帝国』国防長官、浅香舞が、『皇帝』の執務室の前

に肉薄していた。

 

 彼女は、白いスーツをボロボロにされ、体にも負傷の跡が残っている。首都内で、クーデター

軍と、反クーデター軍との抗争に巻き込まれたせいだ。

 

 一国の国防長官ともあろう者が、戦争同然の戒厳令下に身を投じ、危険を潜り抜けてまでこ

の場にやって来なければならない。事態はそれだけ切迫している。だが、そもそもが、自分で

発令したクーデターだったのだから、自分の責任だった。

 

 舞は、傷を負いつつも赤い絨毯の敷かれた、執務室前の広間を堂々と歩いていく。警備兵

の姿が無い。皆、注意をクーデターの方に向けてしまっているのか。それとも、たった今、タワ

ービルの入り口に撃ち込まれたというミサイルのせいか。

 

 舞は、執務室の扉を開き、その手前、秘書室をも堂々と通って行く。秘書の姿も無い。

 

 まるで『皇帝』は、舞がこの場所に来る事を分かっていて、あえて自分以外の者達の席を外さ

せているかのようだった。

 

「今、執務室の前に到着しました。このまま会話をモニターしていなさい」

 

 彼女は、耳の中に仕込んである通信機で、国防総省の補佐官に言った。

 

 しかし、通信機から聞こえて来るのは雑音だけで、全く反応が無い。舞は再度呼びかけてみ

たが、反応は無かった。

 

 寒気、のようなものが舞に襲い掛かってきていた。これは、丁度、あの『ゼロ』が近付いてき

た時に感じるものと同じ。奇妙な圧迫感だ。無線通信が不通になるのも同じだ。

 

 通信はできなくなったが、仕方が無い。このまま引き返す事もできなかった。

 

 舞は、意を決して奥の皇帝執務室の扉を開いた。ここで、フォード皇帝に近藤と共謀したとい

う真相を吐かせれば、『皇帝』を逮捕する事ができる。

 

 《セントラルタワービル》内に、彼はいるとの情報。だったら、彼はここにいて間違いない。舞

はそう考えていた。

 

 案の定、執務室には、『帝国』の『皇帝』、ロバート・フォードのみならず、一連の事件の当事

者である、近藤もいた。

 

 彼ら二人は、隠れていると言うよりも、待っているという感じだった。それも、正に、今入って

来た舞を待っていたようだ。入り口側に向けられた広い机の向こう側に座り、逃げも隠れもせ

ず待っている。

 

「アサカ国防長官」

 

「フォード皇帝陛下。あなたを逮捕しに来ました」

 

 ロバートと舞は視線を合わせ、その距離は舞の方から詰められて行った。と、そこへ、白衣

姿の近藤がぬけぬけと間に入った。

 

「これはこれは国防長官。随分と遅いご到着で。首都の方は、随分と混乱の様子ですなあ」

 

 まるで勝ち誇ったかのような表情で話しかけてくる近藤に、舞はきっぱりと言い放つ。

 

「そこをどきなさい。私を誰だと思っているんです? この国の国防長官なのですよ」

 

「おお、これは恐ろしい」

 

 変わらぬ表情のまま近藤は言うと、舞に道を開いた。

 

 舞は、赤い絨毯の上を歩いて行き、『皇帝』の座っている机の目の前までやって来る。そし

て、二人はそこで対峙した。

 

「どうだ?国防長官?答えは見つかったのか?」

 

 ロバートは舞を見据え、落ち着いた声で尋ねて来た。まるで、首都で今起っている事など知ら

ないかのように落ち着いた口調で話す。

 

「ええ、見つかりました。少し、調べれば分かる事だったんです。あなたが、そしてあなたのお父

上が15年前にした事。そして、一連の事件を関連付ければ、あなたと、近藤がした罪に関して

は明白です」

 

 舞は、議会で話す時と同じように、冷静に、堂々とした口調で言った。

 

「だが、その事に関して、証拠は無いのだろう?」

 

 同じように言葉を返してくるロバート。

 

「15年前の事に関しては、報告書の原本が残っています」

 

 舞は言った。

 

「だが、それは罪などではない。機密事項だ。『ゼロ』を『紅来国』の《青戸市》で発見したという

事実。そして、我々がそれを厳重に保管して来たという事実だよ」

 

 ロバートは一歩も譲らない。舞は別の方向から攻める事にした。

 

「ですが、近藤の罪に関しては明白です。彼は、あの日、『ゼロ』が逃亡した日に、確かに現場

にいました。そして、唯一レベル7の施設から逃れています。『ゼロ』の管理をしていたのも彼で

す。更に、『ゼロ』を脱出させる事ができたのも彼です」

 

「でしたら、私を逮捕すればいい。それだけでしょう?国防長官殿」

 

 そう言いつつも、近藤は余裕の笑みのまま舞に近付いて来ていた。

 

「私は、あなただけの罪を暴こうとしたのではない。『皇帝』陛下も含めて」

 

 舞は近藤の方に目線だけやり、そう言い放った。しかし、近藤はまだその微笑を浮かべてい

る。

 

「ふっふっふ。何をおっしゃる?『皇帝』陛下は潔白ですよ?『ゼロ』を逃がしたと言うのならば、

おお、それは私がした事だ」

 

 舞は、堂々すぎる近藤の言葉が、逆に癪に障った。

 

「なぜです?なぜですか?陛下。あなたは、近藤の犯した事を知っておきながら!」

 

 すると、ロバートは椅子から立ち上がり、今まで見せた事も無い、はっきりと、それも声量の

ある声で喋り出した。

 

「はっきり言おう!『ゼロ』について、最も知っているのは、この近藤だ。そして次が君、アサカ

君だよ。私でさえ、近藤があの日、『ゼロ』を逃がしたと言う確たる証拠は、今の今まで知らな

かった。

 

 ただ、私は彼にこう言われていたのだ!私なら、『ゼロ』を止める事ができる。どうでしょう?

陛下。私の言う通りに、なされては?とな」

 

「一国の指導者とあろうお方が、このような男の言われるがままにされたのですか!?」

 

 舞はロバートの方に向き直り、そしていきり立つ。しかし、そこへと再び近藤が割り入って来

た。

 

「陛下は、私を信頼なさった。何しろ、15年来の付き合いでしたからねえ。それに、『ゼロ』につ

いて、当初からその事を良く知っていたのは私だけなのですから。私の助言があって、陛下は

あなたや軍に指示を出す事ができたのです。

 

 陛下は何も私の言いなりになっていたのではない。私がいなければ『ゼロ』を止められない。

それを知り、国の為に尽くしているのですよ」

 

 そう近藤に言われ、舞は、ロバートと、彼の顔を交互に見比べた。『皇帝』は変わらぬ冷静な

顔、近藤は虫唾が走るような微笑を称えている。

 

「ですが、あなたはまだ『ゼロ』を止めてなどいない!止めるのだったら、このように莫大な被害

が出るよりも前に」

 

 舞がそのように言った時だった。近藤は突然、声を上げて高笑いを始めた。あまりに唐突

で、それも元々がしわがれた声を出す男だったもので、その突然の高笑いはあまりに不気味

だった。

 

 ロバートと舞が、あっけに取られていると、近藤は笑みを称えたまま喋り出す。

 

「そこが、そこが、重要な所なのですなあ、国防長官。当初の予定では、私も『ゼロ』を止める

つもりはあったのですよ。彼の成長ぶりを確かめ、どの程度の存在かを見極められれば良か

った!だから陛下に接触し、事の動向を知らせてもらっていたわけですが。はっはっは!あの

存在は実に素晴らしい!

 

 『NK』が壊滅した時に、私は理解しましたよ!あの存在は止めてしまうなどもったいない!も

っと!もっと!進化しなければならない存在だと!」

 

「何だと!近藤!」

 

 そう声を上げたのは、今までずっと冷静な態度を崩さなかったロバートだった。

 

「存じ上げた通りです。今、この場だからこそ告白できる事です。私は『ゼロ』を止めるつもりは

ございません。是非とも、更なる進化を見届けたい次第です」

 

 ロバートは凄んだが、近藤は不気味な笑みを称えるばかりだった。それに痺れを切らしたの

か、ロバートは近藤に近寄り、その胸ぐらを荒々しく掴む。

 

「いいか!さっさと『ゼロ』を止めろ。この首都に奴がやって来て、貴様もろとも、跡形も無く消え

去るよりも前にな!」

 

 迫力を見せたロバートだったが、近藤の方は、まだ余裕があるかのようだ。

 

「ええ、私も、数日前までは彼を止めたかったですし、止める事もできたのですがねえ。正直、

今となっては、不可能なのですよ。それに良いじゃあないですか、陛下」

 

 胸ぐらを掴まれていても、近藤の表情は変わらない。

 

「何の事だ?」

 

「このように腐った社会が堕ちていくのは、何とも愉快なものじゃあないですか?あの、繁栄を

極めていた『NK』が壊滅した時に、この私は感じました。私が求めていたものは、まさに、これ

だったのだと。繁栄を極めるがあまり、堕落していく人間が、更に進化した存在によって、次々

と殺戮されていく。

 

 この『帝国』とて、例外ではない!いや、むしろ、この『帝国』こそそうなるべきだ!世界に支

配を広げているこの国が滅んでこそ、ある国は驚喜しある国は絶望する。それは、たった一人

の、超人的存在によって引き起こされるのです。そう生命淘汰という奴ですよ!今まで、この世

界で何度も繰り返されてきた事です。それは今起っても不思議ではない!

 

 そして、その存在を創り上げたのは紛れもない。この私と祖父です。これは、はっはっは!全

くもって素晴らしい!」

 

 近藤はそこまで言い終えると、その不気味な微笑でロバートを見返した。

 

 ロバートは、彼の胸ぐらから手を離すと、一言だけ呟く。

 

「貴様は、腐っている」

 

 そう彼に言われても、近藤はその表情を変えなかった。

 

 少しの間の間があった。ロバートと近藤は、一歩置いた間で対峙し、さらに二歩離れた間合

いから舞がその様子を伺う。

 

 その様子には近寄りがたいものが合った。『ゼロ』という共通の目的を追う三人。その三人

が、目的を目の前にしてそれぞれ対立している。

 

 並みの人間では踏み入る事のできない空気が流れていた。

 

 近藤は微笑し、ロバートは冷酷な目で見つめ、舞は冷静にその様子を伺う。三人ともその態

度を崩さなかった。

 

 だがある時点で舞は、はっと気がついたかのように、執務室の扉の方へと眼をやった。

 

 扉の先は見る事ができないが、彼女はその先にあるものを感じ取っていた。

 

「『ゼロ』現れる所に、彼らも現れる。ですか。どうやら、役者が揃って来たようですね」

 

 舞がその事に気付いた時、『皇帝』執務室の扉は素早く開かれ、中に四人の人間が流れ込

んできた。

 

 それは、『SVO』の四人だった。三人の対峙する空気だけが支配していた空間に、また新た

な者達が現れ、その空気を変えていく。

 

「お前達は。良くこんな所まで潜り込んで来たな?」

 

 ロバートは、いつになく怪訝な眼差しで彼らを見た。四人の先頭に位置するのは太一。ロバ

ート、近藤、舞との間に堂々と立ち塞がる。

 

「クーデターやら、ミサイル攻撃やらで、このビルの中は混乱しっ放しだったんでな。警備の方

はガタガタだったぜ」

 

 と、浩が呟く。

 

「ほう?これはこれは、『ゼロ』のお仲間達ではないか?」

 

 近藤と、『SVO』の四人は視線を合わせる。

 

「近藤だな?上層階では、ここを含めて、数箇所しか赤外反応が無かったんでな。それも、数

人が固まっている部屋というのも、この部屋しか無かった」

 

 隆文が、部屋の内部の様子を伺うようにして言った。

 

「しかし厄介だわね。まさか、浅香国防長官まで一緒にいるだなんて」

 

 絵倫の視線の先には、舞の姿があった。

 

「ジョン達は、あなた達を止められなかったようですね?」

 

 舞は『SVO』の方を見据え、ゆっくりと迫って来る。その眼は警戒の色を示していた。

 

「いいや、俺達は彼らに通してもらったんだ。『ゼロ』を止められるのは、俺達しかいないって言

ってな」

 

 と、太一は言うが、

 

「あなた達が『ゼロ』を止める?そんな事を、あの人が信じるわけがないでしょう?『ゼロ』を止

められるのは」

 

 舞がそこまで言いかけた時だった。そこに近藤が口を挟む。

 

「お前達、失敗作共では無理だ。正直、この国防長官でも無理かもしれんぞ?」

 

 そう言って来る近藤に、絵倫は攻撃的な視線を向け、言い放った。

 

「なぜわたし達には無理で、この国防長官なら可能なのかしら?しかも、何故、あなたにそんな

事が言えるの?」

 

「うん?国防長官殿?まだ彼らは知らないのですか?」

 

 近藤は、舞の方に話を振った。

 

「何の事だ?」

 

 と、隆文。

 

「あなた方と、私との関係。おそらくあなた方は、まだ知らないでしょうけれどもね」

 

 舞は『SVO』の方に向き直る。そして、警戒しつつ、冷静な口調で語り始めた。

 

「関係?あなたとわたし達に関係なんて、そんなものがあると言うの?」

 

 絵倫が、警戒したまま舞に尋ねた。

 

 舞は、そこで一瞬考えたようだった。だが、意を決したように口を開く。

 

「15年前。『ゼロ』が《青戸市》の地下研究施設で発見された時、『帝国軍』は、二人の実験被

験者の身柄を保護しました」

 

「二人?原長官の話にもあったな。そう言えば、『ゼロ』だけじゃあない。『帝国軍』は、もう一

人、誰かを保護したんだ」

 

 隆文の言葉が間に入り、舞は、一旦、間を置いてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「そのもう一人と言うのが、この私なのです」

 

 一瞬、あっけにとられたかのような間。近藤は微笑し、舞はじっと『SVO』の四人の方を見据

えている。

 

 『SVO』の四人は、その言葉を理解できないでいた。

 

「何だ?何を言ってんだ?あんたは?」

 

 うろたえたように浩が言った。

 

「私はその情報を、『ゼロ』の捜索中、彼の資料を読み漁っていた時に発見しました。このロバ

ート・フォード皇帝は当時、『帝国軍』の特殊任務指揮の任に就いていましたが、父親、先代の

『皇帝』の命で、『ゼロ』とこの私を回収。

 

 そして、危険な『力』を有している『ゼロ』は、厳重な隔離施設で保護。この私はと言うと、最も

身近な場所でロバート・フォード、彼自身が監視を行っていたのです。

 

 しかし、その時から、彼には近藤と共謀していたという事実があります。そして、この私を利用

しようとした事実も」

 

説明
ユリウス帝国の首都を舞台にして行われる激しき戦い。そしてその後にやってくるのは、大規模な破壊でした―。
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