虚界の叙事詩 Ep#.19「メタモルフォーゼ」-2
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「あんたが、俺達と同じ実験を受けた者達の、一人だとォ?」

 

 驚きに眼を震わせ、隆文は舞に言っていた。彼だけではなく、その場にいる『SVO』の4人

が、驚愕の眼で舞を見ている。

 

 『ユリウス帝国』の国防長官。2週間前から『ゼロ』を追い続け、彼に近付く度に同じ目的を持

つ者として『SVO』の前に立ち塞がってきた。その人物も、自分達と同じ、『ゼロ』を生み出した

研究で『力』を引き出された者の一人だったと言う。

 

「それを、『皇帝』に利用されていたって?」

 

 と、絵倫は尋ねる。今では『SVO』と舞との会話は、『NK』の言葉、紅来語だ。舞が、『SVO』

と同じように実験を受けたのであれば、彼女の出身も『紅来国』であるはず。そもそも彼女は

『SVO』のメンバーと同じ、『NK』人と同じ人種なのだ。

 

「ええ、少なくとも私はそう考えています。『皇帝』陛下は、この私を保護し、利用しやすいように

しました。そして、今回の『ゼロ』の隔離施設からの逃走に踏み切ったのです。彼は近藤と手を

組み、一連の事件を引き起こしたのです。その時、私がその現場を指揮していれば、彼は私を

利用できますから」

 

 舞は、4人とは対照的に淡々と説明した。

 

「あんたを、『ゼロ』が発見された時から、つまり15年間かけて、国防長官になれるように、仕

組んだと言うのか?」

 

 そう尋ねたのは太一だ。

 

「ええ、少なくとも私はそう考えています」

 

「だけれども、たいそうな話過ぎないかしら?何の為に、この国の『皇帝』は、『ゼロ』を逃がした

りするの?自分の国だって危うくなるって言うのに?」

 

 絵倫が舞に尋ねる。するとそこへ、余裕の足取りで、近藤が割り入った。

 

「ですから、今回の出来事に、陛下は一切の罪を犯しておらんのですよ。あなた方が、勝手に

そう考えているだけなのです。ふっふっふ」

 

 そんな近藤の方を振り返り、舞は彼を怪訝な眼差しで見つめ返した。

 

「そうであっても、あなたの罪は明白です。そして、あなたはそう言って、ロバート・フォードをか

ばっているに過ぎない!」

 

「全く、融通の利かない方だ。あなたは」

 

 近藤は相変わらず余裕の口調のままだ。しかし、舞は、もう彼の言葉など聞きたくないと言わ

んばかりにきっぱりと言い放った。

 

「私はたった今、この場で、近藤広政、あなたと、ロバート・フォード皇帝陛下の身柄を拘束しま

す」

 

「仕方ありませんなあ。そんな事をしても、無駄だという事が、お分かりになりませんか?私が

どうしようが、既に『ゼロ』という存在は、私の手を離れているのです。もはや、何をしても無駄

なのですよ」

 

「だったら、捕えるまでです」

 

 と、舞が言った時だった。

 

「おい!そいつ、注射器を持っているぜ、気をつけろ!」

 

 そう舞に叫びかけたのは浩だった。彼は、近藤が手を懐に入れ、取り出したものを見てい

た。

 

 とっさに浩の言葉に感づいた舞は、近藤に当身を食らわせ、そのまま地面へと共に倒れるよ

うに押し倒した。そしてうつ伏せになった彼を後ろ手に押さえ込み、その手から注射器を奪い

取った。

 

 舞が、彼の着ている白衣を調べると、そこからは、アンプルが数本入った箱も出て来る。

 

 注射器もアンプルも、透明な液体で満たされていた。

 

「こんな物を、一体何に使おうとしたんです?何かの薬ですか?それとも猛毒でしょうか?」

 

 後ろ手に押さえ込んだ近藤に、舞が話しかける。しかし彼は、押し倒されても未だに余裕の

口調を見せた。

 

「こんなことをしても無駄なのですよ。国防長官?感じないのですか?あなたや、そこにいる『S

VO』とかいう組織の者達ならば感じているはずだ。『ゼロ』は、もう、目の前に来ているのです

よ!」

 

 まるで、待ち望んでいたものを口に出すかのような近藤の声。それは舞だけではなく、執務

室の中にいた全員が聞いていた。

 

 4人は、腕時計のタイマーを眼にした。原長官に告げられていた、『ゼロ』の到着予定時刻は

たった今だった。

 

「『ゼロ』は、『ゼロ』は今どこです?」

 

 隆文は、耳に仕込んだ通信機に手を当て尋ねる。その先には原長官がいるはずだった。し

かし返ってくるのは雑音だけだ。

 

「先輩よ。ゾクゾクして来たぜ。何だ?この圧迫感は?まるで、どこかから、重たいガスがやっ

て来て、部屋中を満たしているような気分だ」

 

 と浩。彼の顔は青ざめている。それは、彼が負っている負傷のせいだけではない。

 

「全くね。以前にもこの感じは感じたけど。こんなに強烈なのは初めてなんじゃあない?」

 

 絵倫も言った。彼女の先の方では、太一が天井の方を見上げた。

 

「何だ?何だ。どうした太一?」

 

 隆文は太一に尋ねる。

 

「上だ。上にいる!」

 

 太一がそう言ったその瞬間。ジェット機が飛来するかのような音が、丁度、彼らの真上で響き

渡った。音がしただけで天井が揺らぎ、その音は、一瞬で《セントラルタワービル》の上層階に

まで達する。

 

 次の瞬間。地震のような衝撃と爆発音が、《セントラルタワービル》を揺るがした。執務室にい

た者達は衝撃に薙ぎ倒され、辺りは埃に包まれる。

 

 しかも衝撃は、その一発だけではなく、他、2,3発が、タワービルに直撃した。

 

 凄まじい衝撃だった。轟音が全てを揺るがし、壁や床、天井には次々と亀裂が走った。その

まま、タワービル自体が倒壊するのでは無いかと思えるほどの衝撃。ビルは地震に揺るがさ

れたかのように揺れていた。宙に投げ出されたかのような感覚を、執務室にいた者達は味わ

った。

 

 天井から塵が降り注ぐ。執務室にいた者達は、衝撃が止むと、すぐに体を起こした。

 

「おおい、大丈夫か?」

 

 隆文が皆に呼びかけた。

 

「ああ、大丈夫だぜ。一体、何が起こったってんだ?」

 

 続いて浩が身を起こす。今の衝撃でタワービルは停電したらしく、皇帝執務室の中は、真っ

暗だった。

 

(非常事態発生!非常事態発生!各フロアで停電発生。直ちに、非常灯が点灯します)

 

 アナウンスが流れる。その直後、真っ暗だった室内は、赤い色の非常灯に点灯し直された。

 

 執務室の中はひどい有様だった。本棚に収まっていた本は、残らず外へと飛び出している

し、置かれていた水槽も引っくり返り、水は洪水のように溢れ出していた。天井も一部が崩れ

落ちている。

 

 火災報知機が鳴り響いていた。今の衝撃で火災が起きたのだろうか。

 

「『ゼロ』?これは奴がやったの?」

 

 舞の声が聞こえて来ていた。

 

「そうですよ、国防長官殿。あなたも感じるでしょう?彼が、今まさに目の前にいるという事を。

奴は戻って来たのです。そう、この私のすぐ目の前にね」

 

 近藤は自分を押し倒した舞を見上げ、囁くように話しかけていた。

 

「奴が、今、ここに来ている」

 

 舞は、天井を見上げ、そう呟いていた。

 

「どうにもならないのですか!?あなたはもう、『ゼロ』を止める事はできないのですか!?」

 

 押し倒した近藤の胸ぐらを掴み、舞は叫びかける。だが、強く迫っても近藤の言葉は変わら

ない。

 

「だから、何度も申し上げているでしょう?私には止める事などできません。あの隔離施設の時

から、既にね」

 

 近藤の言葉に、舞は立ち上がり、すぐさま執務室の扉から外へと飛び出していこうとした。

 

「あなたが行っても無駄です。ふっふっふ。もはや、あの存在は、人間などに止める事はできな

いのですから!」

 

 近藤の言葉など聞いていないかのように、舞は執務室の扉から外へと飛び出していった。

 

「『ゼロ』か!『ゼロ』がこの場所に来ているのかッ!」

 

 と、隆文は叫ぶ。

 

「間違いない!奴は、すぐ近くにいる。この建物の中か?いや、屋上だ!」

 

 太一はそう言いつつ、天井を見上げた。

 

 天井は震え、細かく振動している。塵のようなものがこぼれ落ち、振動と共に、少しずつヒビ

が入って行った。

 

 皆が一斉に天井を見上げている。その隙に、舞から解放された近藤が、床を這いずり回って

いた。

 

 それに真っ先に気付いたのは、『皇帝』、ロバート・フォードだった。

 

「おい!近藤!妙な真似をしているんじゃあない!」

 

 『ユリウス帝国』の言葉、タレス語でフォード皇帝は近藤に向かって叫ぶ。しかし、非常灯が点

灯する中で、近藤は、散らかされた執務室の床から、注射器を見つけていた。

 

 物が散乱している床を這い回るようにして、先程手にした注射器と、アンプルの入ったケース

を見つけた彼はにやりとする。

 

 近藤は素早く注射器を手に取り。そして、誰が制止する間も無く、彼は、その針を自分の腕

へと突き刺していた。

 

「こ、近藤!貴様、何をしていやがる!」

 

 それに気付いた浩が近藤に向かって叫ぶ。だが彼は不敵な笑みを崩さず、注射器の中の液

体を自分の肉体へと送り込む。

 

「ふっふっふ。誰にも邪魔をさせはしない。こんな素晴らしい実験の邪魔は、誰にもさせはしな

い。特に、失敗作共にはな」

 

「何言っていやがる!」

 

 『SVO』の4人を見つめ、近藤は独り言のように呟く。彼は、まるで4人の前に立ち塞がるよう

な位置に立っていた。

 

「そこをどいてもらう。俺達は『ゼロ』を止めなきゃあいけないんでな」

 

 太一と隆文が、立ち塞がる近藤へと接近する。

 

「あの国防長官と言い、お前達と言い、奴と同じ実験を受けた者は、皆、奴に引き寄せられて

いる。興味深い。しかし、それは同時に邪魔にもなっている」

 

 近藤の口調が変わっていた。注射器の針が、彼の腕から抜け落ち、床へと転がった。

 

 同時に、近藤の体が痙攣するかのように、小刻みに震えだした。彼の声が、唸りと共に響き

渡る。

 

 それは、笑い声だった。不気味な笑い声が、唸りながら執務室の中に響き渡る。

 

「な、何だってんだ!」

 

 浩は、不気味な動きを見せる近藤から後ずさりする。

 

「気をつけて!そいつの様子がおかしい!これは、どういう事!?」

 

 絵倫は警戒しながら、太一と隆文に呼びかける。

 

 近藤の肉体の痙攣が、だんだんと止んでくる。しかし、彼の体の痙攣が止むと同時に、突

然、白衣を纏ったその肉体が膨張した。

 

 上背はあったが、やせ細った中年の体の近藤。だが、その肉体が、まるで爆発するかのよう

に、大きさを増す。白衣を破り、丸太のような腕が現れ、上半身から異様なまでの筋肉が現れ

た。

 

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 舞は、まるで何かに引き寄せられる『力』を感じつつ、《セントラルタワービル》の屋上にやっ

て来ていた。

 

 しかし、そこは屋上ではあったものの、建物の一部が倒壊し、足場には所々ヒビさえも入って

いて、元々の有様を大きく変えていた。柵も破壊され、半分が崩れ落ちているヘリポート。そこ

は、150階建ての《セントラルタワービル》と相まって、さながら、崖っぷちに立たされているよ

うな気分だ。

 

 ここを破壊したのは『ゼロ』自身では無いようだ。爆発が起ったかのような破壊状況は、おそ

らくはミサイルだろう。首都を旋回しつつ、迎撃をするつもりだった戦闘機のミサイル。今度はミ

サイルが、『ゼロ』の手中に落ちた。

 

 そして、そんな屋上には赤い光が満ちていた。

 

 警告灯のような危機感と、眼も開けていられないような眩しさが、タワービルの屋上、《帝国

首都》のシンボルを染め上げている。夜闇に輝く赤い光が、蠢くかのように渦巻きつつ、上空に

浮かんでいる。

 

 だが舞は、まるでその赤い光の存在を知っていたかのように、光自身に立ち向かっていた。

 

 赤い光の中には、黒っぽい人影がある。それは、タワービル屋上、さながら崖っぷちになった

かのような場所に足を付き、舞と対峙する。

 

「『ゼロ』、とうとう私の前に、姿を現しましたね?」

 

 空気が叫び声を上げるようにうなり、赤い光と共に渦巻いていた。巨大な渦の中心に、更に

色の濃い赤い光が満ちている。

 

 その中心にいる『ゼロ』は、5メートル程の間隔を開け、舞と対峙している。

 

 いつしか彼の放出しているエネルギー体はその色を刻々と変え、当初の紫からは大きく異な

る赤い色を放っていた。だが、舞にはそれが、以前のものと同質であるという事が分かる。感

覚として理解していた。色が変わったのは、その『力』が増大したせいだろう。

 

 赤い光、それは濃厚な色をしており、光である事さえも疑わしいものだったが、その光の中に

うっすらと見える、黒い人影。それが、『ゼロ』。痩せた男の体は幾分も筋肉が隆起し、たくまし

い体となっていた。所々、肉体から突き出している突起のようなものは、さながら角。黒い影と

合わせて、まるで神話の中に登場する悪魔のような姿。『ゼロ』は変貌を遂げていた。

 

 だがこれは、間違いなくあの『ゼロ』。2週間前に隔離施設から逃亡したあの男に違いない。

 

 舞は、彼が放出している、強大な圧力を持つ『力』に正面から立ち向かっていた。

 

 2週間前に自分の目の前から姿を消し、今の今まで全力で追い求めてきた存在が、たった

今、自分の目の前にいる。

 

 姿は違えど、その『力』の匂いは変わらない。ただ、その匂いは何十倍も濃くなり、いつしか

攻撃的なものへと変わっている。

 

 だが舞は、臆する事無く、『ゼロ』と正面から対峙する。

 

 タワービルの屋上で渦巻く、赤い光を持つ『力』の渦が、『ゼロ』自身を取り巻き、それは舞を

も包み込もうとしていた。巨大な『力』の流れは、竜巻のように動き、暴風のような音を立ててい

る。

 

「『ゼロ』。あなたを2週間前に隔離施設から逃がさなければ、あの時、私が食い止める事がで

きれば、こんな大惨事にはならずに済みました」

 

 舞は、激しい唸りの立つ中で静かに言った。静かな声だったが、よく通り、周囲の音にかき消

されるような事も無い。

 

 彼女は腰に吊るした刀に手をかけていた。

 

 それを、まるで『ゼロ』に見せ付けるかのようにして抜き放つ。その刃には、ほんのりと光が

宿っている。

 

「全ては私の、そう、私があなたを止められなかった責任です。正直、今のあなたの『力』を、私

の『力』で抑え込めるかどうかは分かりません。だから、責任に代え、私の命を掛けてもあなた

をここで止めてみせる!」

 

 舞は『ゼロ』に向かって言い放つ。赤い『力』の渦の中で舞と対峙する『ゼロ』は、特に何も反

応を見せなかったが、舞は、その危険な『力』の中に飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、タワービル内の皇帝執務室では、『SVO』の4人が、不気味に姿を変貌させた、近藤と

対峙していた。

 

「これが、私の研究成果だ。ふっふっふ。残念ながら、私自身には、君達が持っているような才

能は無いのでね」

 

 近藤は姿を変えても、その不気味な笑みは変えていなかった。膨れ上がった異様な筋肉。そ

れは、ただ、肉体が鍛えられたものとは違っていた。

 

 彼はその体の大きささえも膨張させていた。もはややせ細った中年の体では無く、今では浩

の体よりも大きい。身長は2メートルを優に越していて、目の前にいる『SVO』の4人の前に立

ち塞がる。

 

 筋肉が奇妙な収縮を繰り返している。まるで呼吸をする肺のように。そして、非常灯の中で照

らされている、その肉体を覆う異様に太い血管は、紫色の変色していた。

 

「てめえ!何しやがった!」

 

 目の前の近藤の異様さに体をしかめながらも、隆文は言い放つ。近藤は彼の方を向き、に

やりとした。

 

「『プロジェクト・ゼロ』の、私の祖父の、そして私自身の研究目的は単純だ。この通りだよ。『能

力』というものは才能だ。生まれ持った素質で、使えるか使えないか、決められるようなもの

だ。

 

 君達は素質があったからこそ、『プロジェクト・ゼロ』の実験対象になり、その『力』を引き出さ

れた。だが、素質を持つ者など、万に一人程度しかいない。

 

 とはいえ君達や『ゼロ』も、本来は人間だ。ただ他の者よりも素質があったに過ぎない。つま

り『力』というものは誰でも、きっかけを作れば引き出せるという事だよ。

 

 そして『力』を持った優秀な兵士を次々に造り出すには、才能だけに期待しても駄目だ。この

ように、誰でも簡単に、『力』を引き出す技術が無ければな。私は既に、たった注射器一本に入

る薬品だけで、このように『力』を引き出す技術を開発したのだ。素晴らしいと思わんかね?

 

 まあこの薬は、その、きっかけを与えたに過ぎないのだがね」

 

 体は変化しても、彼の説明口調は変わらない。しかし、異様な体になっても平時の時と変わ

らない彼の口調は不気味だった。

 

 そんな彼の姿に、唾を吐き出すような素振りを見せて、浩は吐き捨てた。

 

「ちっとも素晴らしいとは思えないぜ。そんな、えげつねえ体になっちまうんじゃあな。最悪だ

ぜ」

 

「分かっていないようだな。私は、祖父から受け継いだ研究により、『ゼロ』をあそこまでのもの

にした。今度は、私自身が、あの存在のようになる!」

 

 そう言い放つと同時に近藤は、右手の拳を繰り出して来た。頼りないやせ細った彼の右手の

拳は、今では巨大化な肉の塊となり、それは常人の頭部ほどの大きささえあった。

 

 4人に向かって繰り出されて来た拳に、彼らはそれぞれ飛び退る。

 

 近藤の、肉の塊となった拳は、4人のいた場所の床に叩きつけられ、鉄球でも打ち付けたか

のように、床を陥没させる。元々、断続的に地鳴りが続いていたタワービル全体が、更に大きく

揺らいだ。

 

「全く!今、『ゼロ』の奴が目の前にいるって言うのに!何なのよ、お前は!」

 

 絵倫が毒づきながら床を転がり回った。

 

「お前達は、あの存在を幾らでも見てきただろう?そう、それも目の前で嫌というくらいにな?だ

から、そろそろこの私にも見せてくれたまえ」

 

 そう言い放つと近藤は、今度はその丸太のような腕を薙ぐようにして、4人を追い立てる。彼

の腕は執務室の壁に激突し、そのまま壁を砕く。床に転がった4人の上に瓦礫が降り注ぐ。

 

 だがその瓦礫の中から、浩が一人、飛び出した。

 

「舐めんなよ!ドーピングしてでくの坊になっただけだろうが!てめーはよ!」

 

 浩は飛び出すと、近藤の体に拳を食らわせる。浩も190cmを超える身長と、屈強な体の持

ち主だったが、近藤は更に山のように巨大化していた。

 

 しかし、浩の拳の攻撃力は、彼自身の『力』で倍増されている。その拳は鉄球のように破壊力

を持ち、弾丸のようなスピードを持つ。

 

 近藤が幾ら、薬により自分の『力』を引き出したとは言え、それが自分の筋肉を増大させるだ

けだったら、浩によって簡単に打ち倒せるはずだった。

 

 だが、近藤の肉体は浩の拳の衝撃を、受け流すかのように取り込んだ。

 

「何!」

 

 浩は驚きに叫ぶ。次の瞬間には、近藤の拳に弾き飛ばされ、執務室の大画面の窓の方へと

飛んで行き、窓の強化ガラスへと激突していた。

 

 強化ガラスには大きくヒビが入るが砕けるような事は無く、浩は、そのまま床へと倒れこん

だ。

 

「ふん。馬鹿めが。私はただ自分の筋肉を増大させたのではない。『力』を引き出したのだ。ど

う言う事なのか分かるか?自分の肉体を自由に操作し、貴様の攻撃など、簡単に衝撃を受け

流す事のできる『力』と言う事なのだよ」

 

 近藤は、浩の方をチラリと見て言う。その顔には今だ余裕がある。

 

「や、野郎!」

 

 浩は起き上がりながら近藤を睨みつけ毒づいた。しかしその時、浩よりも前に立つ者の姿。

 

「では近藤よ。このショットガンの弾ならどうだ?」

 

 その一際大きな体躯の姿は、『皇帝』ロバート・フォードだった。

 

 彼は、いつの間にか取り出したショットガンの銃口を近藤へと向けている。そして、近藤が彼

の顔を見て来るよりも前に、ロバートはその引き金を引いていた。

 

 鈍い爆発音のような銃声が響き渡り、銃口からは散弾が発射される。細かい散弾は散り、近

藤の全身へと命中した。

 

 しかし、近藤の肉体は微動だにしなかった。彼の全身に命中したはずの散弾は、まるで、そ

の衝撃を散らされたかのように受け止められ、逆にロバートの方へと跳ね返ってきた。

 

 近藤は不敵な眼差しでロバートを見つめ、言った。

 

「おやおや、『皇帝』陛下まで、そのように物騒なものを持ち出すのですか?ですが、無駄で

す。私の肉体には、もはや銃火器など通用しない」

 

 ロバートの方へと跳ね返っていく散弾。しかし、彼の方もそれには動じる事はなかった。

 

「お前は、今まで『力』など持たないただの人間だったからな。私の持っている『力』については

知らないだろう」

 

 そうロバートが言うと、彼が放ち、近藤によって跳ね返された散弾は、黒い色の実体化した波

動を放ちながら、空間に繋ぎとめられていた。

 

 そして、まるで意思に操られたかのように、ロバートの方へと跳ね返ってきていた散弾は、再

び近藤の方へと戻って行く。

 

「ほう、あなたにはそんな事ができたのですか」

 

 近藤は、自分に向かって来る、黒い波動を放っている散弾を見ながら呟いていた。

 

 散弾それ自体は、ほんの粒程度の大きさしかない。しかし、ロバートの持つ『力』である、黒い

波動を帯びさせられた弾は、拳大程の大きさに見えていた。近藤の肉体が醸し出している異

様な空気をも切り裂いて、彼の異質な肉体へと、次々と弾は命中して行く。

 

 それを食らった事で、初めて、近藤の肉体は巨大な物体に押し倒されたかのように、床へと

崩れた。

 

 彼の巨大化した肉体は質量も増えていたらしく、倒れた時、その肉体相応の振動が執務室

を揺るがす。

 

 しかし、散弾は、彼にとって致命傷では無いようだった。そればかりか、彼の体を倒しただけ

で、傷を負う事すら無かったらしく、すぐにその身を起こして来た。

 

「無駄ですよ、『皇帝』陛下。私の自分に対しての人体実験では、私の『力』は、どんな攻撃をも

受け止めてしまう、柔軟にして強靭な肉体を持つ事、と出ている」

 

 だが身を起こそうとする時、近藤ははっとした。

 

 今の黒い波動を放っていた散弾が、今度は床から、次々と飛び出して来たのだ。その散弾

は、まるで近藤の肉体を持ち上げるかのように突き出して来る。

 

「自分の事は知っていても、私の事は知っているのか?近藤よ?私の『力』は、散弾の威力を

高めるとか、それだけの単純なものではないぞ」

 

 床から次々と飛び出して来た散弾は、まるで近藤の体を持ち上げるかのように、空中で停止

していた。

 

 黒い波動を放ちながら、散弾は動くのでもなく、空中に停止する。それは、常識では有り得な

い弾の動き。

 

「私の肉体を持ち上げて、一体、何をしようと言うのです?陛下?」

 

 すぐにその状態から身を起こしながら、近藤はロバートに向かって目線を向けた。ロバートの

方はと言うと、冷たい視線を近藤に向けながら、静かに言った。

 

「ただ単に、お前の肉体を持ち上げる為だけに、床から散弾を移動させたと思うなよ」

 

 次の瞬間、近藤を背中から持ち上げていた散弾は、彼の背中から一気に離れた。すると、空

中に持ち上げられていた彼の肉体は、床へと叩きつけられる。

 

 今度は、執務室を揺るがす振動だけでは済まなかった。

 

 元々、『ゼロ』による攻撃で、部屋の床には所々に亀裂が走っていた。そこへ、ロバートの放

った散弾が床の数箇所を突き破っている。

 

 近藤の肉体の増大した質量は、床を砕きそこに大きな穴を開けた。底の抜けた執務室の床

と共に、近藤の体は階下へと落ちて行く。

 

 彼はその衝撃に呻く。近藤が落ちたのはすぐ下のフロアだった。

 

「おい!今のうちだぜ!」

 

 近藤に殴り飛ばされていた浩が、よろめきながら、太一、隆文、絵倫に呼びかけた。

 

「ああ!『ゼロ』の所へ行くか!」

 

 太一は答え、彼らは、酷い有様となった執務室を出ようとする。

 

「おい、待て!」

 

 しかし、そこへ呼び止めようとする一つの声。振り返ればそこには、『皇帝』ロバートがいた。

彼はショットガンを手に、4人の方へとやって来る。

 

「何だい?あんたよ?」

 

 警戒も露に浩が言った。

 

「お互い、目指しているものは同じ。『ゼロ』だ。だから向かうべきところは同じ。今はお前達と

争っている時ではない。『ゼロ』を始末する為には、協力し合わなければならないようだ」

 

 ロバートがそう言うと、絵倫は、一歩彼の方に近寄り、

 

「意外な発言ね?でも、わたし達は、あなたの事なんか信用するつもりは無いわよ」

 

 強気にもそう言い放つ。

 

「よかろう、ではお前達は、我々を信用しなければそれでいい。だが、ぐずぐずしている場合で

はない。すぐにも近藤が這い上がって来ようとしている」

 

 ロバートの背後では、異様な気配が再び這い上がって来ようとしていた。それは近藤。彼は、

落とされた床の穴から、執務室まで登って来ようとしていた。

 

 『SVO』の4人にロバートを加えた者達は、すぐに執務室の扉を開け、外へと脱出する。直

後、抜け落ちた穴から近藤の顔が姿を現した。

 

 彼は、顔の肉の塊に覆われつつある眼を光らせ、言い放つ。

 

「誰にも邪魔などさせん。『ゼロ』は私のものだ!」

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 近藤は扉を開くのではなく、それを体当たりで破壊し、『SVO』の4人、そしてロバートを追っ

てきていた。

 

 その巨大化した肉体は、『皇帝』執務室の扉を粉々に破壊し、地鳴りのような振動を響かせ

ながら迫る。

 

「おいおいおいよ!奴の体がさっきよりもでかくなっている気がするぜ!」

 

 後ろを振り返り、浩が叫んだ。彼らとロバートは、執務室の外、秘書室の扉の前までやって来

ていた。

 

 近藤は、更にその肉体を膨張させつつあった。先程は、大柄な人間ほどの体格だったもの

が、今では異常なまでに筋肉を膨らませつつある。巨大なクッションのように膨れ上がった筋

肉は、体のバランスとは不釣合いで、腕や足の長さの割りに太さだけが膨張している。そして

その筋肉を覆っている血管は脈打ち、紫色に変色している。

 

 タックルの姿勢を取った彼の体は、さながら肉の塊だった。

 

 秘書室の扉を開け、そこからホールへと飛び出した時、近藤は強烈なタックルと共に扉に激

突し、それを突き破った。

 

 飛び散る扉の破片から身をかばいつつ、ホールに飛び出した5人は近藤から距離を取る。

 

 大理石造りのような柱が立ち並ぶホールは、先程の攻撃で一部が損壊し、柱も倒れ、床や

壁にも亀裂が走っていた。そしてそのホールを、危機感溢れる赤い色に非常灯が染め上げて

いる。

 

 近藤は、さながら肉人形と化した体を起こす。重厚な動きだった。彼が足を床に付けるたび、

地震のように床が揺れ動く。近藤自身の質量も増大しているようだ。

 

「早くやるんだ隆文!俺達はこんな奴に足止めさせられている場合じゃあない!」

 

 太一の声がホールに響き渡った。

 

 言われずとも隆文はマシンガンの安全装置を外しており、その銃口を近藤の方へと向けてい

た。

 

 ホールに鳴り響く銃音。起き上がった近藤の肉体に、次々とマシンガンの弾が炸裂する。し

かし弾は命中しても、近藤の肉体には傷一つも付かなかった。

 

「無駄な、あがきだ」

 

 幾分も低く、幾分も重厚になった近藤の声。筋肉に覆われ、判別が難しくなっている顔から、

近藤が眼を覗かせた。

 

 彼の肉体に命中したマシンガンの弾は、筋肉に衝撃を受け流されている。弾は肉体に命中し

ているものの、それは肉体にめり込むのでもない。筋肉に受け止められ、クッションのように弾

き返されていた。

 

「ち!浩の『力』と同じってか!」

 

 近藤は、マシンガンを撃って来た隆文の方を見据え、彼の方へと重厚な音を響かせながら迫

って行く。

 

 筋肉に覆われ、重厚な音を立てている割には素早い動きではあったが、見切れない動きで

はなかった。隆文と、側にいた絵倫が、その場から飛び退るだけの間はあった。

 

 近藤の肉体は、そのまま壁へと激突しめり込む。壁には大きく亀裂が走り、ホール全体が揺

らいだ。

 

 彼の肉体は、誰も捕らえる事はできず、更にその動きを抑え込む事もできないまま、壁へと

体をめり込ませてしまった。それは、あまりに巨大過ぎる体を持ち、自身でも制御できないかの

ようだった。

 

「近藤ッ!それは大した発明だ。だが、お前は元々『力』を持っていたものではない。そんな人

間が、無理矢理に『力』を引き出されたらどうなるか、今のお前のように、『力』に体が付いてい

けなくなるだけだ」

 

 隆文がそう言い放った時、近藤は、めり込んだ壁からゆっくりと身を抜き、顔を覗かせた。

 

 膨張と収縮を繰り返す筋肉に覆われた顔は、不気味な表情のままだった。ただ、顔は紫色

に変色し、かけていた眼鏡も失われている。しかしそれがより一層、その不気味さを増してい

た。

 

「ド素人が、私の研究に口出しをしおって。『力』に体が付いていけていないのか、どうかなど、

今更、どうでも良い事」

 

 地鳴りのような声を上げつつ近藤は、ホールにいる5人の方を向いて来ていた。

 

 その時彼は、目の前にまで太一が迫って来ている事に気付く。太一は素早い動きで近藤に

迫り、跳躍で顔面の高さにまで上昇していた。

 

 近藤は腕を振り払い、太一の攻撃を防ごうとする。だが、太一はその腕をもさらに踏み切り

台として上昇。近藤の顔面へと警棒を振り下ろした。

 

 警棒が近藤を捕らえる。彼の警棒には電流が通っており、それが近藤の肉体に接触した瞬

間、火花を飛ばしながら近藤の肉体へと流れていく。

 

「効かん、わ」

 

 しかし電流は、まるで近藤の体によって受け流されたかのように流れ散ってしまい、警棒それ

自体も、顔面の筋肉によって受け止められた。

 

 今の近藤の肉体は、顔面の筋肉さえも、腫れたように膨張している。

 

 床に着地した太一に対し、すかさず近藤はタックルを仕掛けて来る。巨大な肉の塊が、鉄槌

のように襲い掛かってくる。

 

 太一はそれを避けたが、一番近くにあった大理石の柱に近藤は激突し、その柱にめり込み、

挙句は粉々に破壊してしまった。

 

 だが、近藤はそのタックルの姿勢をそのまま止めず、更に先にある柱にも激突して行く。そ

の柱も粉々に破壊された。

 

「何やってんだ!」

 

 浩は叫ぶ。近藤の肉体は、巨大な肉の塊となって、『SVO』の4人とロバートのいるホールの

中を駆け回り、壁や柱を破壊して行く。

 

「気をつけろ!近藤の事だ。何か目的があってやっているに違いない!」

 

 ロバートが『SVO』の4人の方へと叫んで来る。その時、近藤は一つの柱を破壊した所だっ

た。

 

 崩壊音と共に、一つの柱が粉々に砕ける。ホール中に鈍い音が響き渡り、壁や床に更に亀

裂が走った。

 

 再び浩の目の前に近藤の肉体が接近する。それはいつの間にか更に巨大化しており、筋肉

も膨張、そして、浮き出た血管は激しく脈打っている。

 

「てめえの『力』ってのは、ただのでかいミートボールになるだけだってのかいッ!」

 

 迫り来る近藤の肉体に向かって浩は叫ぶ。そして彼が飛び退いて肉の塊をかわすと、近藤

の肉体は、また一つ、タックルで大理石の柱を破壊した。

 

 ホール全体が揺らぎ、壁に亀裂が走る。

 

「ねえ!このままじゃあ、建物全体が崩れてしまいそうよ!」

 

 絵倫が叫ぶ。彼女は天井を見上げた。鈍い音と共に、大理石の柱で支えられていた天井は

揺らぎ始め、大きな亀裂が幾つも走っている。

 

「近藤は!私が奴にやった事の逆をやるつもりだ!床を落とすのではなく、天井を落とすつもり

だ!」

 

 そう叫んだのはロバートだった。その時、更に近藤は一つの柱に激突して行き、それを破壊

する。

 

「この上は屋上だぜ。屋上には、おそらく『ゼロ』がいる!だからか?だからなのか!?」

 

 隆文が叫ぶと同時に、ホールの天井は一気に崩れて来た。激しい音と共に、瓦礫と化した天

井は抜け、ホールの床に降り注いで行く。

 

 そして、崩れてくる天井の隙間からは、眩しいばかりの赤い光が差し込んで来ていた。

 

-4ページ-

 舞は『ゼロ』と対峙し、その張り詰めた緊張の中にいた。舞自身もその緊張を、感覚として感

じ取っていた。

 

 抜き放った刀にも力が入り過ぎる事は無いし、顔が緊張で引き攣ってもいない。しかし、目の

前に自分が追い求めて来た強大な存在がいる事を肌が感じ取っている。

 

 刀の刃先を『ゼロ』に向けて、どれくらいの時間対峙している?1分か、2分か。この赤い光に

包まれていては時間に感覚さえも失われそうだ。

 

 『ゼロ』は、蠢くような赤いエネルギー体を放ちながら、舞の方に体を向けている。

 

 その、彼の放っている赤いエネルギー体は、濃厚な色をしており、さながら空間を塗りつぶし

ているかのようだ。それでいて渦巻いている。舞から見た『ゼロ』自身は、赤い光によって遮ら

れ、黒い影にしか見えず、その表情すら判別できなかった。

 

 何層かに分かれて赤い光は球形の渦を成している。彼を中心として半径5メートル程のエリ

アは、そのエネルギー体が濃厚過ぎて、脚を踏み入れる事すらできない状態だった。

 

 舞が、前回対峙した2週間ほど前までは、『ゼロ』はこれほどまでの『力』を持った存在ではな

かった。舞が敵わない相手であったにしろ、すくなくとも人の姿をしていたし、台風か竜巻のよう

な形状の『力』を持ってもいなかったはずだ。

 

 だが、今では《セントラルタワービル》の屋上は、まるで竜巻でも起っているかのようだった。

赤い光の渦が、蠢きながら渦巻き、吹き荒れている。

 

 『ゼロ』の半径5メートル以内で吹き荒れている、最も重厚な光、その層へ、舞は脚を踏み入

れようとする。剣は構え、その姿勢を崩さないように。

 

 渦の中につま先を入れた時、まるで体を吹き飛ばされそうな感覚を味わう。舞はすぐに脚を

引っ込めた。

 

 竜巻のような風速と風圧の渦が作り出されている。距離を取られていては、彼へと立ち向か

う事ができない。その中心の渦から距離を取っている今でさえ、舞は命を削られていくような感

覚を味わっているのだから。

 

 どうすれば『ゼロ』に接近できるのか。舞がそれを考えようとした時、黒い人影にしか見えない

『ゼロ』が、ゆっくりと舞の方へと歩いて来ていた。

 

 彼を中心とした部分の、最も強力な渦が、舞に襲い掛かる。彼女は身を引き、その中心から

逃れようとした。

 

 『ゼロ』はどんどん舞の方へと近付いてくる。舞は、彼の中心で渦巻いている『力』には成す術

も無く、ただ身を引く事しかできない。

 

 エネルギー体が蠢き、舞へと飛び出してくる。それはさながらカッターのように彼女の体を斬

りつけて来た。

 

 舞は呻きながらよろめいた。そこへさらに赤い光が襲い掛かってくる。たまらず舞の体は吹き

飛ばされてしまった。

 

 『ゼロ』に近付いただけに過ぎないのに、舞の体は大きく投げ出され、タワービルの屋上を転

がる。そして、『ゼロ』の手によって倒壊させられた、崖の淵へと彼女の体は投げ出されてい

た。

 

 タワービルの一部が倒壊し、その一辺は、落差数百メートルの崖と化している。舞と共に巻き

上げられた瓦礫が、その崖の下へと落ちて行った。

 

 舞はすかさず体勢を立て直そうと身を起こす。しかし、『ゼロ』は舞の方へと脚を向けており、

同時に彼の放つ光も、舞に襲い掛かって来ている。

 

 後は無かった。

 

 光、それ自体が物質のように形を持ち、蠢きながら舞の体を押しやろうとして来ている。彼女

は何とか踏ん張ろうとしたが、まるで突風にでも押しやられているかのように、淵から投げ出さ

れそうになる。

 

 『ゼロ』を前にし、どうする事もできない。舞は『ゼロ』を阻止する、彼という存在を破壊しにこ

こまで来た。だが、彼の体に触れる事さえできていない。このままでは、触れる事もできないま

ま、タワービルの外へと追いやられてしまう。

 

 圧倒的な『力』で、『ゼロ』は舞に接近。そして、彼女の体をビルの崖の淵から外へと追いやっ

た。

 

 ビルの外へと投げ出された舞。彼女の体は宙へと投げ出される。ビルの外へと投げ出して

も、『ゼロ』は更に迫って来ており、舞の体をビルから5メートル程離れた所まで押しやった。

 

 ビルの下まで何百メートルある?もはや宙に投げ出されてはどうする事もできない。ただ、落

ちて行く事しかできなかった。

 

 だが、舞の体が落下しようとする瞬間、『ゼロ』の放っている赤い光の一部分が、蠢き、一気

に飛び出して来た。それは鋭利な細い杭のようなもので、先端が尖った物質だった。『ゼロ』の

光から飛び出し、舞の方へと素早く伸びて来る。

 

 その杭を、宙に投げ出されていた舞は、すかさず刀で受けた。一本ではなく、何本もの杭が

次々と飛び出してくる。舞はそれを刀で弾くように受けた。

 

 しかしその内の一本が、舞の左肩を捉え、赤い光の杭は刺し貫く。更に、右の太股をも杭は

刺し貫いてきた。

 

 思わず呻く舞だったが、彼女の体はその杭によって捕えられ、空中へと固定された。

 

 そして、杭によって刺し貫かれた舞は、杭が引っ込んで行くのに合わせ、ゆっくりと、『ゼロ』

の持つエネルギー体の、最も濃厚な部分へと引きずり込まれていく。

 

 自分を阻んでいたはずの赤い光。それが、今度はまるで自分を受け入れるかのように中へ

と導いていく。

 

 液状の球体の中に突入して行く気分を、舞は味わった。体を刺し貫いている杭が、そのまま

自分の体を引きずり込んで行く。

 

 『ゼロ』の放っているエネルギー体は、実体を持たない光のようなものであるにも関わらず、

舞が感じているものは、何とも濃厚な『力』だった。粘液質とも何とも言えないような、物質感さ

えあった。

 

 何よりも現実味があり、何よりもはっきりと感じさせるものの中へと、舞の体は引きずり込ま

れていく。

 

 そして、その中心には『ゼロ』がいた。

 

 彼自身の放出する光で、赤いペンキを塗りたくったような空間と化した中心に、彼の肉体は

あった。

 

 初めて舞が会った時から、何とも大柄な肉体に変わっていた事だろう。あの時は、普通の人

間の青年ほどの体格だった。しかし今では、身長2メートル以上はあろうかという大柄な人間

の体格となっている。

 

 体の色も変化し、黒い色。そして体の表皮さえもが、ライン状の凹凸を繰り返し束ねて作り上

げたもので覆われている。所々に突起さえも現れていた。

 

 もはや彼の姿は人間のものとは思えなかった。さながら悪魔、そう形容するに相応しい。悪

魔が現実に存在するのならば、それは目の前にいるこの存在だ。

 

 舞は、赤い光に包まれ、手も足も動かなかった。動かそうと思っても、赤い杭が彼女の体を

固定し、さらに刺し貫かれていない部位も、何かに包まれているように動かせなかった。

 

 『ゼロ』が、舞の顔を覗いてくる。黒色に変化した彼の体色の中で、見開かれた彼の眼は黄

色い色をしていた。それも瞳も失われており、黄色く光る眼球だけが覗いて見える。

 

 周囲は赤い色だけに包まれており、何も外の景色を見る事はできなかったし、濃厚な赤い色

は、二人の周囲を包み込むようにして竜巻のように吹き荒れている。

 

 舞の目の前には『ゼロ』しかいなかった。2人のいる場所だけ外界から隔離され、超絶的な空

間に2人だけがいる。

 

 『ゼロ』は、圧倒的な迫力で舞を見つめて来た。彼は何を感じているのだろう。もし、彼が破

壊をする事だけが本能な生命体だと言うのならば、眼前にやって来た舞を攻撃して来るはず。

 

 現に、舞は杭のような物質で刺し貫かれ、身動きできないのだから、『ゼロ』はとどめを刺そう

として来るはずだ。

 

 だが『ゼロ』は、まるで舞の存在を確かめるかのようにその顔を覗き込んでいた。

 

 刺し貫かれていない方の腕で、舞は杭のような物体を掴んだ。しかしその杭は、空間に固定

されているようで、引き抜こうと思っても引き抜けなかった。

 

「あなたは、一体!」

 

 必死になって舞は呟いていた。もはや、『ゼロ』の周りに渦巻いている強大な『力』に、彼女で

さえも身を削られていきそうで、身動きどころか、彼女自身の生命力さえも失われていくようだ

った。

 

 だが、舞は完璧に『ゼロ』の中の空間に繋ぎとめられており、そこから逃れる事もできなかっ

た。

-5ページ-

 崩れ落ちた柱と、天井の瓦礫。近藤は、残骸と化したタワービル最上階の、皇帝執務室前ホ

ールから、崩れかかっている壁を伝い、屋上へと体を這い上がらせていた。

 

 屋上では、ペンキで塗りつぶしたかのような赤い光が渦巻いている。それは、不気味なまで

に蠢きながら脈動している竜巻だ。水の底から巨大な泡が吹き上がるような、蠢く音が聞こえ

て来ている。

 

 あそこに、『ゼロ』がいる。近藤には分かっていた。彼は、巨大化した自分の肉体を持ち上が

らせながら、迫り来る強大な『力』に身を奮い立たせていた。

 

 『ゼロ』の持つ、放っている強大な気配が、この自分にもはっきりと感じる事ができる。それ

は、圧倒的な圧力で、身を押し潰されそうな気配。呼吸さえも困難になる程。風圧、温度、自然

的なもの全てに異常を起こさせる、超自然的なもの。

 

 それを、今の近藤は感覚を超えた超感覚として、感じる事ができていた。だが、彼はその気

配に対して恐れるような事は無い。いやむしろ、歓迎するかのような気持ちだ。

 

 この『力』こそ正に、自分の造り出したものなのだから。

 

 そして、その『力』を自分自身が感じる事ができるのも、自分の研究成果だ。自分の研究成

果を、身をもってはっきりと感じる事ができる。これほど素晴らしい事があるだろうか。

 

 『ゼロ』を目前として、近藤は抑え切れない衝動に襲われていた。

 

 あの存在を、早く目の前で見つめたい。そして、我が子のような存在の姿を確認したい。

 

 瓦礫の山の上を登っていく近藤。自身の質量が増大し、体の小回りが利かなくなっている。

だが、力は素晴らしいほどに上昇した。もはや『SVO』のメンバーなどという失敗作など気にな

らない程に。

 

 彼らに邪魔をされず、はやく『ゼロ』という存在を確かめたい。瓦礫をよじ登る近藤は、恍惚と

した表情を浮かべていた。

 

 屋上へと手がかかる。もう少しだ。もう『ゼロ』の存在を間近で感じる事ができている。これほ

ど凄まじいものだとは、彼自身も思ってはいなかった。

 

 近藤は屋上へと顔を覗かせた。

 

「おお、これは」

 

 タワービルの屋上の光景に、近藤は思わず呟いていた。

 

 周囲で、赤い色の竜巻のようなものが蠢き、空を真っ赤に染め上げている。もはや夜空や首

都の光景などどこにも望む事はできない。ただ赤い色だけが周囲を染め上げ、ここにだけ特

別な空間を作り出していた。

 

 そしてその空間の中心に、更に色の濃い球体が半径5メートル程で出来上がっている。

 

 それは赤い球体のようなものだった。だが、竜巻のような渦を形成し、高速で回転しながら蠢

いている。その中から、溢れるように外側の球体の部分へと赤いエネルギー体を放出し続けて

いた。

 

 近藤は感覚としてはっきり理解した。あの球体の中に『ゼロ』がいる。いや、あのエネルギー

体、このエネルギー体こそが『ゼロ』そのものだ、と。

 

 近藤は急いで体を屋上へと登らせる。屋上のヘリポートは、もはや断崖のような場所と化し、

足場には亀裂が走り、一部崩落してさえいた。

 

 だが、近藤は構う事無く、屋上の上を走って行き、赤い球体の側にやって来る。

 

「『ゼロ』!おお、『ゼロ』よ!」

 

 歓喜の声を上げ、赤い球体の中に薄っすらと見える人影へと声を投げかけた。

 

「分かるか?私だ。その姿をこの私にも見せてくれ!」

 

 だが、赤い球体状のエネルギー体は、まるで近藤を阻むかのように、強い『力』で彼の体を妨

害している。

 

 その球体の中に足を踏み入れる事はできなかった。

 

「おお。『ゼロ』!どうしたと言うのだ?この私を受け入れてくれ!我が素晴らしき存在よ!」

 

 近藤が呼びかけても、『ゼロ』に変化は無かった。強いエネルギー体に、彼自身の体は阻ま

れている。

 

「おい!近藤!待て!」

 

 その時、遅れて瓦礫の山を登って来た太一が、ようやく近藤に追い付いていた。

 

「勝手な真似はさせんぞ!」

 

 そこには、『皇帝』ロバート・フォードもいた。

 

「ええい!来るんじゃあない!貴様らなぞ、貴様らなぞ、私達の邪魔をする資格なと無い!私

達の邪魔をするな!」

 

 近藤はその不気味な笑みを止め、怒りの声を上げていた。『ゼロ』という存在が間近に迫って

いる余り、自分を抑えきれない。いつものように余裕を見せる事ができない。

 

 しかし、そんな事をしても、『ゼロ』は自分を受け入れてくれないでいる。

 

 たまらず近藤は、まるで、抱きしめるかのように赤い光へと手を広げ、その中へと飛び込んで

いこうとした。

 

 しかし、瞬間、彼の肉体は竜巻にでも巻き上げられたかのように、上空へと持ち上げられる。

近藤の肉体はきりもみしながら吹き飛ばされていた。

 

 近藤の絶叫が響き渡った。彼の肉体は離れた場所へ、重々しい音を立てながら叩きつけら

れる。

 

 赤い球体は、何事も無かったかのように渦巻いていた。近藤の体を巻き上げた後でも、勢い

変わらず蠢いている。

 

 その時、遅れて瓦礫を登って来た『SVO』の3人が姿を現した。

 

「先輩よ。あれが『ゼロ』か?」

 

「ああ。しばらく見ない内にとんでもない事になっているな」

 

「でも、こんな存在をどうやって止めるって言うのよ!竜巻の中にいるみたいで、今にも吹き飛

ばされてしまいそうだわ!」

 

「今、近藤の奴が飛び込んで行ったあそこ!あそこに『ゼロ』がいるってのか!」

 

「ところで、ここに来たはずの国防長官はどこに行った?」

 

 『SVO』のメンバーが口々に言いながら『ゼロ』の様子を探っている。近藤にはその声が聞こ

えていた。

 

「馬鹿な?一体何故だ?私はお前を作ったのだぞ?なぜ、創造主であるこの私を受け入れよ

うとしない?」

 

 近藤はぶつぶつと呟きながら、その体を起こす。彼は赤い光に包まれている『ゼロ』の方へと

話しかけていた。

 

 近藤は思い出していた。15年前に『ゼロ』が救出され、それが自分の祖父の研究であったと

いう事。以来、地下の隔離施設に眠る『ゼロ』を研究し、祖父がして来た研究の意義を理解し

た。

 

 そして、完全なる『力』を持つ『ゼロ』は、素晴らしい研究材料、いつしか、我が子のような存在

になっていた事。

 

 今までどんな研究を。万人が認め、名誉ある科学賞さえ手に入れたどんな研究よりも、『ゼ

ロ』には惹かれていた。この研究の為ならば、全てを犠牲にしても構わない。そう思えるように

なっていたのだ。

 

 何故なら、『ゼロ』は何者よりも、どんな現象よりも完全であり、世界を変える力を持っている

からだ。

 

 近藤は立ち上がった。今までもそうして来たではないか。『ゼロ』には全身全霊をかけて手助

けしなければならない。彼の為に全てを捧げなければならない。

 

 それが自分の使命だ。

 

「『ゼロ』よ。この私だ。私の事が分からないのか?ならばお前の『力』に少しでも加担する事

で、この私を受け入れてくれ」

 

 近藤は再び『ゼロ』の作り出す赤い球体の元へと飛び込んで行った。

 

 そして、その目の前まで来ると、彼は赤い球体の中へと腕を突っ込んだ。

 

「何やってんだッ!近藤!」

 

 『SVO』の一人の言葉が響き渡る。だが近藤はそんな言葉など無視し、今度は『ゼロ』の

『力』に吹き飛ばされないように踏ん張った。

 

 光が、蠢きながら渦を巻き、近藤の左腕をずたずたに切り裂いていく。あっという間に彼の左

腕は切断され、球体の中で粉々に砕け散った。

 

「おおお!『ゼロ』!『ゼロ』!」

 

 近藤は叫んだ。切断された彼の左腕からは、紫色のガスのようなものが噴き出す。それはも

はや人の血とは違ったものだった。

 

 左腕から溢れたガスが、赤い球体の中へと渦巻きながら取り込まれていく。近藤は、右腕も

球体の中に突っ込む。

 

 すると右腕もあっと言う間に切断され、そこからもガスが噴き出していた。

 

 近藤の体の内部から、紫色のガスとなったものが次々と溢れ出し、それは『ゼロ』の中へと取

り込まれていく。

 

 凄まじい吸収力だった。全身から一気に『力』が抜けていくのが近藤には感じられていた。

 

「おいッ!ヤバイぜ!近藤の奴!何かしでかす気だ!『ゼロ』に何かをしようとしている!」

 

 『SVO』のメンバーの一人が、こちらへとやって来ようとしている。

 

 だが、『ゼロ』には変化が見られない。自分の『力』を捧げているというのに。自分の『力』を吸

収させてやっているというのに。まだ足りないというのか。

 

「近藤!」

 

「近寄るんじゃあ無い!」

 

 近藤は振り向きざまに、大柄な『SVO』の一人を蹴り飛ばしていた。その時、彼の膨れ上が

った肉体ではちきれそうになっているズボンから、薬品のアンプルが入ったケースがこぼれ落

ちた。

 

 近藤はそれをちらりと見やった。これがあった。自分の『力』だけでは、『ゼロ』に与えるに充

分でなかったとしても、この濃縮されたものがあれば。

 

 近藤はケースを何とかして『ゼロ』のいる球体の中へと放り込みたかった。だが、その行為

は、彼がするまでも無かった。

 

 赤い球体は、まるで意志を持ったかのように、そのケースへと一部分を伸ばす。まるで手の

ように伸びた球体の一部が、そのケースごと内部へと取り込んだ。近藤がケースを放り込むま

でも無かった。

 

 ケースは粉々に砕け、さらにアンプルも砕け散った。アンプルの中にあった液体は、赤い球

体の中にさらされると紫色に変色し、ガス状の物体を一気に放出した。

 

 それは、近藤の肉体から出ているものよりもはるかに量が多く、また色も濃かった。

 

 紫色のガスは、赤い光の球体を渦状に回転しながら覆っていく。一時、赤い光は紫色の気体

に包まれたが、すぐにそれは赤い光の中へと取り込まれた。

 

 紫色のガスは赤い光に次々と飲み込まれて行く。それにつれ、球体の大きさも増していた。

 

「おお、『ゼロ』。お前は、『力』を!『力』を欲してるのだな!」

 

 近藤は叫び、驚喜の声を上げる。

 

 次の瞬間、赤い光は、脈打ちながら、その中心部へと収縮して行く。タワービルの外縁部で

作り上げられていた巨大な球も、中心方向へと向かって収縮して行った。

 

 それは更に濃厚な赤色と化し、全て光が一点に集まる時には、まばゆいばかりの白い色と

化していた。

 

 そして、そこに現れたのは、『ゼロ』だった。彼は黒い体色をしていたが、体からは白い光を

放っている。彼自身が作り出した赤い球の中に隠されていた本体が、今、近藤の目の前に姿

を現していた。

-6ページ-

 赤い光から解放され、一気に晴れ上がった屋上。だが、今では『ゼロ』本体から純白の光が

放たれている。それは、朝日のように眩しい。渦を巻いてもいない、蠢いてもいない、直線的な

光だった。

 

 首都全土を照らし上げるような光。朝日のような光が、タワービルの屋上から放射されてい

る。

 

「『力』が、充実して、安定しているわ。今まで、やたら滅多ら放出されているような『力』だった

けど」

 

 絵倫が、『ゼロ』の『力』を感じ取り、言った。

 

「安定だって?じゃあ、よう。『ゼロ』はもう落ち着いたってのか?」

 

 近藤に蹴り飛ばされていた浩が、ふらつきながら絵倫に尋ねた。

 

「落ち着いた?そんなんじゃあないわ。彼の『力』が、ある段階に達したからこそ、そう感じるの

かもしれない。今まで成長して来た『力』が、やっとある段階に到達した。そんな感じだわ」

 

「ああ。それに今、感じている『力』は、今までの『ゼロ』の『力』の中でも最も強烈な『力』だ。今

ある落ち着きは、嵐の前の静けさって奴かもしれない」

 

 太一が呟く。

 

 そこで、隆文が、自分達の近くに倒れている人影に気がついた。

 

「お、おい。あそこに倒れているのは、さっきのあの国防長官なんじゃあねえか?」

 

 そう言って、彼は指を差す。そこには、さっきの浅香 舞の姿があった。彼女は血に塗れ、床

に倒れていた。

 

 その彼女の姿に気付いたロバートが、急いで舞の元へと走って行く。

 

「アサカ君!大丈夫か?しっかりしろ」

 

 舞の体がロバートによって抱かかえられた。だが彼女は死んだように意識を失っているらし

く、反応が無い。『ゼロ』にやられたのか。

 

「やはり、あの国防長官だから、『ゼロ』を止められるって言う訳じゃあないようだ。ここの国の

連中は間違っている。彼女が、『ゼロ』や俺達と同じ実験を受けた人間だって言う話、それだけ

だったんだ。

 

 彼女が、『ゼロ』を止められる『力』を持っているとか、そういう事では無いんだ」

 

 太一は舞の様子から、ここで彼女と『ゼロ』の間に何が起きていたのかを悟った。

 

 舞は負傷し、『ゼロ』には何事も起きていない様子だ。舞が来たところで、何も出来なかった

に違いない。

 

「じゃあ、どうするってんだよ!太一!あの国防長官でも無理だ。近藤だって、逆に『ゼロ』の奴

を強化しちまったようなもんだろ!もちろん、今のオレ達だって、奴を止められるのかどうかす

ら分からねえ!どうしようもねえだろうが!」

 

 浩がわめき散らす。だがそれを隆文が制止した。

 

「待て!『ゼロ』の様子が、何かおかしい!」

 

 『ゼロ』を新たに覆うようになった白い光。それが、勢い良く溢れ出し始めた。

 

 レーザー光線のように直線的な光になったそれは、タワービルの屋上にいる隆文達の脇を

掠めて行き、首都の方へと向かって激しく放射される。

 

 眼を開けていられない程の激しい光、眩いばかりの閃光が放出され始めた。そして、ジェット

機のような轟音が辺りを包み込む。眼も開けていられない程の現象。

 

「何だ!何が起こった!」

 

 叫び声を上げる浩。『ゼロ』の方から、激しい光が放出されていた。

 

「お、俺にも良く分からない!」

 

 と、太一。

 

「この感じ。ここにいては危険よ!早くこの場を離れないと!」

 

 絵倫の声が聞こえて来る。

 

「何だ!?絵倫、どういう事だ!?」

 

「『ゼロ』から、とてつもない『力』が溢れ出そうとしているわ!近藤が彼に『力』を与えてから、何

かがおかしかった!でも、今はっきりと分かる。今までに無かった程、強烈な『力』が飛び出そ

うとしている!」

 

 絵倫が、周囲の空気を感じ取り、叫ぶ。『ゼロ』の方からは、強烈な光だけが溢れ出してい

る。もはや、夜であるという事は忘れてしまうかという程の光。それがタワービルの屋上から溢

れ、首都全体を照らしていた。

 

 赤い光に覆われていた空は晴れ、夜空が白い光に照らされている。

 

「この場を離れるっつったって!一体どうしろってんだ!ここにはヘリも何も無いんだぞ!」

 

 そう浩が叫んだ時だった。どこからとも無く、激しい轟音の中に聞こえて来るヘリの音。それ

が、タワービルの屋上に近付いて来ている。

 

「ヘリだと!一体、どこから?」

 

 太一が、光の中で眼を開き、周囲を見回した。目も眩んでしまいそうな光だったが、その中

に、一機のヘリの姿が現れ、タワービルの屋上へと着陸しようとしていた。

 

 『ユリウス帝国軍』のロゴマークが入っている。軍のヘリだった。一人の男が、屋上へと降り立

つ。そして、『SVO』の4人の元に急いで駆け寄って来ていた。

 

「おいッ!てめえら!国防長官はどこだ!マイはどこにいやがる!」

 

 その男は、ジョン・ポールだった。彼はヘリから飛び降り、『SVO』の4人の姿を見るや否や、

いきなり太一の胸ぐらを掴み、言い放ってくる。

 

「あそこだ!あそこにいる!」

 

 太一が、その方向を指を指して示した。そこからは、『皇帝』ロバートに抱かかえられた舞。ロ

バートはヘリの方へと近付いて来ていた。

 

「あ、あんたは!」

 

 ロバートの姿に、思わず警戒し、ジョンが言った。

 

「彼女は無事だ。それよりも早くヘリを出せ。ここは危険だ。もはや一刻の猶予すらない」

 

 そうジョンに言い、舞を抱え、ロバートはヘリの方に向かって走り出す。まず、舞の体をヘリに

乗せ、その後で自分も乗り込んだ。

 

 ジョンは、『SVO』の4人の姿を一瞥する。彼は嫌悪の視線を見せたが、すぐに思い直したよ

うで、

 

「てめえらも早く乗り込め!だが、安心するんじゃあねえぞ!オレ達は敵同士なんだからな!」

 

 ヘリに次々と飛び乗って行く『SVO』に向かって言い放つジョン。図らずとも、今まで敵対して

来た『ユリウス帝国軍』のヘリに、自分達から乗り込む形になった『SVO』だったが、今では一

刻の猶予も無かった。

 

「おい!乗せてもらった礼なら、ここから脱出したら幾らでもするからよ!お前も乗れ!」

 

 ヘリに乗った隆文が、ジョンに向かって叫んだ。彼は舌打ちをすると、半ば飛び立っているヘ

リに向かって飛び乗った。

 

「ちぃっ!」

 

 ヘリは、近藤と『ゼロ』だけを《セントラルタワービル》の屋上に残し、足早に飛び去って行く。

距離を取っても、『ゼロ』から放たれる光の放出は物凄く、直線的な光は、タワービル屋上から

首都全土を照らし上げていた。

 

「おい!これから一体、どうなるんだ!」

 

 浩が喚く。彼は、開け放しにされたヘリのドアからタワービルを望んだ。それは、あっという間

に距離が離れていったが、放出されている白い光は少しも弱まる事は無かった。

 

 だが、やがて、その白い光は、眼も開けていられない程の、激しい閃光を放ち始め、首都の

空に轟音が広がり渡った。

-7ページ-

 近藤は、『ゼロ』の眼前に立っていた。今、彼の目の前に『ゼロ』はいる。

 

 赤い光を纏っていた『ゼロ』よりも、今の白い光を放出している彼の方が、遥かに落ち着いた

姿であると近藤には感じられていた。蠢きながら渦巻き、近付く者全てを退けていたようなエネ

ルギーを今の彼は持っていない。さっきまでの『ゼロ』は、不安定さの塊だった。

 

 だが今の、白い光を放出している『ゼロ』は違う。その直線的で、レーザーのように放たれて

いる光は、全方向を照らし上げ、充実し、落ち着いていた。それは近藤を受け入れようとしてい

るかのようだった。

 

 『ゼロ』自身の肉体は、光の色こそ変われど、黒い肌に覆われたままだ。体中に突起を持

ち、エンボス模様にように走った肉体の凹凸。眼の中の瞳は失われていたが、眼、そのものか

らは白い光が放出されている。

 

 彼は、その光を放つ瞳で、目の前にいる近藤の姿を見ていた。近藤も、『ゼロ』の顔を見つめ

ていた。

 

「さあ、『ゼロ』よ。今こそお前の『力』を発揮する時だ!お前の真の『力』を発揮しろ!遠慮はい

らん。思い切りやるのだ!あらん限りの『力』を思い切り発揮する事で、世界へとお前の素晴ら

しさと私の研究成果を見せ付けるのだ!」

 

 自身に投与した薬品の影響で、今では肉の塊のような姿と化している近藤。彼は興奮したよ

うに言い放ち、『ゼロ』の顔に、その表情を見せ付けた。

 

 『ゼロ』は、近藤のその態度に、表情で答える事はしなかった。もはやその顔には表情と言う

ものが失われていたのかもしれない。

 

 だが、目の前の創造主の意思を感じ取ったのか。それとも、自らの意思でそうしたのかは分

からない。

 

 彼は、落ち着かせていたはずのその体を、激しく痙攣させ始めた。それに合わせ、彼自身の

肉体から、今まで放出している光よりも、更に強烈な光が溢れ出す。解放されて行くかのよう

に、肉体と言う障壁を打ち壊して行くかのように、光があふれ出した。

 

 『ゼロ』は、雄たけびに近いものを上げた。それは意味の無い言葉だったが、『ゼロ』自身の

口から発せられたものだった。

 

 球のような光が、『ゼロ』自身を包み込む。それは一点の陰りも無い、純粋な白い色としての

光だった。

 

「おお!おお!」

 

 近藤は歓喜に沸く。彼には幸福しか無かった。全身を広げ、『ゼロ』に抱き付こうかという素

振りを見せる。

 

 だが、それも一瞬だった。

 

 『ゼロ』が放出した白い光、それは、全方向へと広がる。最も側にいた近藤は、その白い光の

中へと飲み込まれた。

 

 あまりに一瞬だったので、近藤自身も理解できなかっただろう。白い光に飲み込まれた瞬

間、近藤の肉体は、バラバラに分断されていた。

 

 更にその分断された肉片も、わずか0.1秒の時間もかけずに、粉々に粉砕され、体組織の

全てが、一瞬にして蒸発する。

 

 近藤自身にとってもそれは痛みでも、苦痛でも、何でも無かった。彼は、一瞬にして『ゼロ』の

光に消滅させられていた。

 

 近藤を飲み込んでも、『ゼロ』の放った白い光は収まらなかった。そして、全方向へと範囲を

広げていく。

 

 巨大な光の白い球。それが、タワービルの屋上に出来上がっていった。それを球、と認識で

きたのは、遠く離れた場所から望んでいた者だけだ。『ゼロ』の放っている光はあまりに強烈な

眩しさで、とても直視できるものではない。それは、日の光にも匹敵するものがあった。

 

 更に、タワービルに出来上がった球も、一瞬にしてその直径を広げて行っていた。

 

 まず、タワービル全体を飲み込む。更に、1区の高層ビル街も、次々と飲み込んでいく。

 

 白い光に飲み込まれた建物は、近藤と同じように、一瞬にして消滅して行った。クーデター軍

の兵士達も、反クーデター軍も、首都市民も、次々と一瞬にして飲み込まれていく。

 

 首都全体が、揺れていた。白い光がその球の大きさを広げ、地面さえも抉る程の大きさにな

った時、轟音と巨大な振動が首都全体に広がった。

 

 『ゼロ』を中心とした光の球は、首都の区域をも一気に飲み込む。そして、その範囲を広げて

行き、人工島の半分、陸側の都市をも飲み込んでいく。

 

 高層ビルが、車が、高速道路の高架橋が、そして人々が、その光の中に次々と取り込まれて

いった。

 

 その周囲に広がった爆風も凄まじかった。光に飲み込まれたものは一瞬にして消え去った

が、その周囲には、爆風が吹き荒れていた。巨大な風圧は、建物を砕き、地面を抉り、そし

て、人々をも吹き飛ばしていく。

 

 時代の繁栄の頂点を行っていた《帝国首都》が、その中心部を中心に消滅していく。100万

人以上と言う人間が、今、この瞬間に消え去ろうとしていた。

 

 

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―Ep#.20 『夜光』―

説明
ユリウス帝国の首都を舞台にして行われる激しき戦い。そしてその後にやってくるのは、大規模な破壊でした―。
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