虚界の叙事詩 Ep#.20「夜光」-2
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 ウォーレン副大統領と、裏の組織から護衛官に潜入していた男、オーウェンズは、警備の目

を掻い潜り、混乱させ、裏口へとやって来ていた。

 曲がり角に達する度に、オーウェンズは、監視カメラの死角から銃を発砲し、カメラを破壊し

て行く。彼は監視カメラの位置とその動き、そして、視野範囲を知っているらしく、その行動は

手馴れたものだった。

 国会議事堂のあらゆる所から銃声が聞えて来る。オーウェンズは、護衛官や、議事堂警備

の者達の通信を傍受していた。

「オーウェンズが第2資料室に現れたぞ!」

「い、いや、本館玄関にも現れている!」

「どういう事だ?奴に構うな!副大統領を、副大統領を追え!」

 警備は混乱していた。一度に複数の場所にオーウェンズの姿が現れている事で、どれが本

物で、どれを追えば良いのか、理解できていない。

「これは全部、君がやっているのかね?」

 裏口へと向かいながら、副大統領はオーウェンズに尋ねた。

「はい、そうです。私は、自分の姿を、同時に複数の場所に出現させる事ができます。ですが、

それはあくまで立体的な映像に過ぎないので、銃を撃つ事などはできませんが、会話する事は

可能です。私の今の『力』では、およそ、半径100メートル内に、5人の姿を出現させる事がで

きるのです」

 オーウェンズは、副大統領の手を引きながら彼に言った。彼らの先には裏口が間近に迫って

来ていた。

 だが、オーウェンズは裏口の脇に、ウォーレンと共に立ち、その死角から外の様子を伺っ

た。

「議事堂敷地の外に、仲間を待機させています、が。そこまでには警備をかいくぐらなければな

りません。屋上には、特殊警備隊の狙撃手もいます」

「では、どうするのだね?」

 それに答える代わりに、オーウェンズは、その体で、まるで高速移動で残像を残すような動き

を見せる。あまりに素早い動きだったが、それは普通の人間であるウォーレンにも見て取れる

動きだった。だが、彼の老眼となっている眼には、オーウェンズの残した残像は残り続け、彼

の肉体が二重になって見えていた。

 だが、オーウェンズの肉体が二重になって見えるのは、ウォーレンの眼が老眼だからなので

はなかった。

「分身が、警備をかく乱させます。その隙に私はあなたを守りながら、この敷地内を脱出しま

す」

 2人のオーウェンズは、同時に言葉を発し、それはどくとくのうねりを持った。眼の錯覚などで

はなく、オーウェンズは2人に分裂したのだ。

 だが、彼の体の一人の方は幻に過ぎない。それは、あまりに強烈なリアリティを持っていた

が、片方のオーウェンズは実体の無い、作り物の存在に過ぎないのだ。

 片方のオーウェンズが、裏口から、素早く議事堂の外へと出て行く。おそらくそれは、幻の方

のオーウェンズだ。

 敷地を歩くその姿は、数秒と経たない内に警備員によって発見された。

「オーウェンズだ!オーウェンズが裏口に現れた!」

 傍受している通信が、ウォーレン副大統領と、オーウェンズの元へと届く。

「どうしますか?撃ちますか?」

 それは、狙撃手からの通信だろう。幻の方のオーウェンズは、スコープの先の狙いを付けら

れている。

「オーウェンズ!そこで止まれ!副大統領はどこだッ!」

 敷地の方から声が聞えて来る。

 だが、幻の方のオーウェンズは堂々とした足取りのまま、議事堂の敷地内を出口の方へと歩

いていく。

「どうしますか?狙撃しますか?」

 狙撃手が、再び指揮官に尋ねている。

「奴は、護衛官2人を殺害している。仲間を殺した裏切り者だ。撃ってしまえ!」

 その指令と共に、銃声が響き渡った。議事堂の敷地の芝生に、弾丸が飛び込み土が舞い上

がる。

 しかし、歩いていくオーウェンズは幻だ。弾丸をすり抜けさせ、映像だけは堂々と裏口出口へ

と向かっている。

「な、何だ!?外したのか?」

 裏口警備に当たっている警備員が叫んだ。

「当たっているはずです!そんな、馬鹿な!」

「ええい!撃て!撃て!」

 その声と同時に、幻のオーウェンズには、一斉に銃撃が浴びせられる。しかし彼の肉体は銃

弾を次々と透過させてしまう。

「あれは、一体、何だ?」

 裏口警備員が、オーウェンズの映像に疑問を持ったとき、彼へと一発の銃弾が飛び込んでく

る。頭を殴られたように仰け反った警備員は、そのまま地面へと崩れる。

「一体、何が!」

 もう一人の警備員が、議事堂から死角を通るようにしてゆっくりと移動している、もう一人のオ

ーウェンズに気がついた時、彼の体も銃弾に倒れた。

 警備員を倒したオーウェンズは、ウォーレン副大統領と共に、議事堂の敷地内を突っ切って

いく。その際、分身の方のオーウェンズの姿に惑わされている警備員を、次々と撃ち倒してい

た。

「気をつけろ。オーウェンズは、幾つもの自分の姿を出現させ、警備をかく乱している。副大統

領と一緒にいるものが本物だ」

 通信機からの指令の声。

「了解!」

 だが、警備がそれに気づいた時には、すでに、オーウェンズとウォーレンは議事堂の敷地の

外へと飛び出していた。

 彼ら2人は、首尾よく用意されていた、一台の車を見つける。既にエンジンがかかっており、

いつでも発進できる状態だった。

 まだ、議事堂の外に警備網は敷かれていない。脱出のチャンスだった。

 だが、ウォーレンを後部座席に滑り込ませ、自分は助手席に乗り込もうと、前の運転席を空

けたとき、オーウェンズは、運転手がハンドルに突っ伏しているのを見つけた。

 彼は、自分の目を疑った。

「な、何だ?一体、どうした?」

 だが、運転手に呼びかけても、まるで反応が無かった。

 オーウェンズが、それに気付くより早いか、彼は胸倉を掴まれ、助手席から外へと引きずり

出された。

 もの凄い力だった。まるで抵抗できないまま、彼の体は外へと引きずり出される。そして、現

れたのは、熊のような大男だった。

「残念ながら、この高級車の運転手はお休み中だ。乗りたいんだったら、お前らの内どっちか

が、運転するか、諦めた方がいいぜ」

 男は顔を近づけて、オーウェンズに言った。流暢どころか、所々文法やアクセント、単語を間

違えている言葉。そして、顔立ちも外国人、『NK』辺りの出身の男だ。

「き、貴様は!」

 オーウェンズは激しく抵抗しようとするが、まるで身動きが取れない。彼は車の屋根に叩きつ

けられた。

「ようやく、この国に戻ってきて一段落着いたんで、ちょっくら、煙草を買いに地上に出てみた

ら、よォ。随分とこの国でもスリルのある事、してんじゃあねえか?あんたらよォ」

「な、何だ!貴様は?」

 自分の腕を掴んでくる巨大な体躯の男に、オーウェンズは血相を変えて叫んだ。

 次いで、彼はサイレンサーの取り付けられた銃を男の方へと向ける。しかし、その大男は、

素早く銃のサイレンサーの部分を掴むと、それごとオーウェンズの腕をねじ上げた。

 オーウェンズは呻いた。そして、ウォーレン副大統領の見ている前で、外国人の大男は、彼

の体を締め上げる。

 自分の分身を幾つも作り出し、副大統領を国会議事堂から脱出させられる事のできたオー

ウェンズも、この男の前では、何の抵抗もできないまま、気絶させられるだけだった。

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 ウォーレン副大統領と、護衛官のオーウェンズは、直ちにその身柄を拘束された。

 

 だが、副大統領もオーウェンズも、大統領からの命令と言う事で、武装した議事堂警備の者

達によって拘束されたまま、『タレス公国』国会議事堂の、大統領執務室へと連れ込まれた。

 

「浩!お前が、奴らを捕まえたのか?」

 

 副大統領達が、連行されていく様子を見ていた隆文が、一緒に現れた浩に尋ねた。

 

「ああ、そうだぜ先輩。随分とチャチな『能力』を使う奴だったんでなあ。オレ一人で十分すぎた

ぜ!」

 

 自信も露わに浩は言うのだった。

 

「原長官の話じゃあ、あの副大統領が、おれ達を『紅来国』でスパイしていた連中の黒幕なんだ

と」

 

 同じように姿を見せた一博が言った。

 

「な、何!あのじじい。副大統領だったのか!それも、オレ達の組織をスパイしていた、だと!」

 

 浩は、本当に驚いた様子を見せる。

 

「お前、あいつが、副大統領だって事も知らずに、とっ捕まえたってのか」

 

 呆れたように隆文が言った。

 

 

 

 

 

 ウォーレン副大統領は、警備員達に付き添われ、拘束されているというよりは、身を守られて

いるかのようにして、大統領執務室へとやって来ていた。彼は身柄を拘束されたはずだが、依

然として堂々とした態度を示し、副大統領としての威厳を失っていなかった。

 

 ドレイク大統領はそんな彼の姿を見据え、変わらぬ表情のまま、じっとウォーレンへと視線を

送った。そしてやがて口を開く。

 

「残念だよ、ジム。君が、私の行動に反対だったとは」

 

 と、ドレイク大統領が言っても、ウォーレンはその目元をぴくりともさせなかった。

 

「私自身の、信念に従ったまでです。大統領」

 

 ウォーレンは、動揺する素振りも見せずに、10歳以上年下の大統領に向かって答えるのだ

った。

 

「信念?護衛官の者を利用し、何人もの護衛官達を殺した上に、我々を混乱させ、挙句の果て

には尻尾を巻いて逃げるという事が、信念だと?」

 

 ドレイク大統領の言葉に、半ば感情が篭る。大統領は椅子から立ち上がった。老体に歳が

届くウォーレンよりも、顔一つ分は身長が高い。

 

「最終的な目標を達成するためには、多少の犠牲は致し方ありません。それだけ崇高な目的

があるのです。それは、あなたもご存知でしょう?」

 

「まるで、君がテロリストであるかのように見えてきたよ、ジム」

 

「私が、あなたに長年反発してきた事は、随分前からご存知でしょう?」

 

 ウォーレンは、何のためらいも見せずに、そう言った。そして大統領と目線を合わせる。

 

「君は、拘束されている、もちろん逮捕もする。そうだと言うのに、随分とはっきりしているな?

ここで君が話す事は不利に使われるぞ、ジム」

 

「構いません、大統領。私には、己の信念がありますので。あなたのなさっている事、『ユリウス

帝国』の『皇帝』や、国防長官をこの国に呼び寄せ、更に『SVO』とかいう組織の者達の協力を

仰いでいる事は、いずれご自身の身を滅ぼす事に」

 

「よくそんな事が言えたものだな!」

 

 ドレイク大統領は、ウォーレンの言葉を遮り、声を発した。だが、ウォーレンは構わず先を続

けた。

 

「今、こそです。大統領。『ユリウス帝国』の首都が滅びた今、彼らの経済力と政治力は弱まっ

ている。『NK』も同様です。そうなったのならば、この世界を導いていく国はどこか?『ジュール

連邦』でしょうか?いや、社会主義国になど、この世界を導いていくにふさわしくない。だとした

ら、この『WNUA』。そしてそのトップに立つ、この国しかありません。

 

 今、こそですよ、大統領。この『タレス公国』が世界の頂点に立つのは!」

 

 ウォーレンは力説した。彼は身振りでそれを表し、まるで演説のように大統領に向けて持論

を述べる。拘束されている事を、忘れているかのような行動だった。しかし、

 

「何を、言っているんだ?君は?」

 

 あっけに取られたかのように、ドレイク大統領は言った。

 

「私の信念を述べたまでです、大統領」

 

「君は、何も分かっていないのか?『ユリウス帝国』の首都や『NK』があのような事になったの

は、一つの存在が原因だと言う事に。そして、その存在は、いずれ世界を滅ぼすかもしれない

存在なのだぞ!」

 

 だが、ウォーレンの眼は揺らがなかった。

 

「私は、『ゼロ』以降の話をしているのですよ。眼は先に見据えておかなければ」

 

 ウォーレンのその言葉で、ついにドレイク大統領は、感情を露わにした。

 

「馬鹿な!君は、現実を見ていない!まさか、まさか!君がそんな事を思っているなど!夢に

も思わなかったぞ、ジム。これを見ろ!これが、今、この世界で起こっている現実だ!そしてい

ずれは、世界各地でこれが起こる!」

 

 大統領が、執務室のデスクの上のコントローラーを手に取り、スイッチを入れる。すると、執

務室の一面の壁にスクリーンが出現し、テレビ番組が映し出された。

 

 それは、『タレス公国』の主要チャンネルのニュース番組だ。今となってはほぼ全ての局が通

常の番組を取り止め、臨時ニュースを流し続けている。

 

 大統領執務室に映し出されたニュース番組は、『ユリウス帝国』からの中継で、映像は迫真

に迫っていた。

 

(ご覧下さい!あれが、《ユリウス帝国首都》です!数日前の面影は一切ありません!立ち並

ぶ高層ビルが、跡形も無く破壊され、瓦礫の山と化しています!)

 

 『タレス公国』からのリポーターが、《ユリウス帝国首都》の郊外部、砂漠地帯から、首都の光

景を望み、その有様を赤裸々に伝えている。

 

 カメラに映し出されている首都の光景は瓦礫の山だ。彼らは、高い放射能レベルの為に首都

から一定の距離までしか近付く事ができないでいたが、それでも、衝撃波を受けた建物郡は廃

墟と化している。

 

(ご覧下さい!ここは、爆心地と思われる地点から、およそ10km離れた首都42区ですが、ま

るでハリケーンでも過ぎ去った後のような有様です。こちらの車は何メートルも吹き飛ばされ、

建物の中へと突っ込んでいます。

 

 目撃者の話によりますと、夜とは思えない、白い光に周囲が包まれた後、突然、突風のよう

な衝撃が全てに襲い掛かったとの事です)

 

 カメラは、首都の中心部の方へと向けられた。本来ならば、そこには高層ビル郡と、《セントラ

ルタワービル》を望む事ができるはずだったが、跡形も残されていない。

 

(ここは、爆心地から10km離れておりますが、首都の中心部である、1区は、跡形も残されて

いないとの話です。『ユリウス帝国』の政治・経済の中心は消滅し、そこにいた人々の生存も不

明なままです。

 

 これは、果たして核攻撃なのか、だとしたら、一体どこの国が攻撃したのか、疑惑は募るば

かりです。

 

 死者推定1000万人。負傷者の数は計り知れません。先日の『NK』での惨事を加えますと、

死者の数は2000万人。尊い命が2000万人も失われた事になります)

 

 そこで画面は、首都の有様から、最も近い港町の様子へと移り変わった。

 

 その港町へと繋がるハイウェイへは、ずらりと車が並び、さながら大渋滞の有様だ。爆発が

起こった後、その爆心地から遠く離れた所にいて、車に乗って首都から脱出する事のできた者

達、一斉に近隣の街への避難を始めている。

 

 画面は切り替わり避難所の光景も映し出された。それは、医療機関が、スポーツアリーナに

設けた避難所で、続々と首都からの人々が押しかけている。怪我をしなかった者達は、食糧配

給に長蛇の列を作っていたが、そんな者達は助かっただけまだ良い方で、手の施しようが無い

ほど爆発の影響で大怪我をした者達は病院へと運ばれていた。病院も火の車であり、医師の

数と処置できる人数、ベッドの数があまりにも少なすぎた。避難できた負傷者だけでも10万人

を超えるとの事だった。

 

 さらに画面は切り替わる。それは、昨日の夜の光景だった。

 

 路上を暴れ周り、やたらに瓶やら石やらを投げつけている者達の姿が、カメラには映し出さ

れていた。彼らは、どこに何をぶつけているのか。

 

 数日前まで、『NK』を攻撃したのは、『ユリウス帝国』自身だと思い込んでいた者達が数え切

れない程いた。彼らは『ユリウス帝国』政府へと、そのやり場の無い怒りをぶつけ、中にはデモ

隊を結成する者達までいた。

 

 しかし、今度はそんな『ユリウス帝国』自身が何者かの攻撃を受けた。

 

 市民は混乱し、抑えきれない感情を持った。これさえも政府がやったのではないか、などとい

う噂も流れたが、爆心地はまさに政治と経済の中心。

 

 中には、『ユリウス帝国』と敵対していたのは、社会主義超大国『ジュール連邦』。これは、ま

さに『ジュール連邦』の戦争行為だという噂を信じた者達もおり、彼らはそれに対して怒りをぶ

つけていた。

 

 『タレス公国』でも、どこの国でも、この《ユリウス帝国首都》壊滅のニュース番組は、延々と報

道されている。中には、このまま世界の終わりへと向かうのではないのかと、恐怖ばかりあお

る番組もあった。

 

 ニュースが一通り流れると、ドレイク大統領はその画面が消えないまま、耐え切れない不安

を抱えた難民たちの姿を背に、ウォーレンの方を振り向いた。

 

「分かったかね?ジム。これが、現実なのだよ」

 

 だが、ウォーレンは、全くその表情を変えていなかった。

 

「大統領。戦争とはまさにこういう事です。確かに首都の住民は気の毒に思いますが、『ユリウ

ス帝国』の中央政権を崩壊させただけ、好都合と言えるものでしょう」

 

「これが戦争だと!」

 

 ドレイク大統領は、ウォーレンの言った言葉が、信じられないと言った様子で叫んだ。

 

「君はまだそんな事を言っているのか、ジム!これは戦争などではない!君も知っているだろ

う?これは『ゼロ』という、たった一つの存在によって引き起こされた事態なのだ!」

 

 しかし、ウォーレンは、

 

「いいえ、大統領。これは戦争です。我々と『ユリウス帝国』のね。今、ここで『ユリウス帝国』を

抑えなければ、依然として、世界は『ユリウス帝国』の支配下のままだ」

 

「どうやら、君とはこれ以上会話が成り立たないようだ。私はこの国の大統領だぞ。私の下す

決断に従う義務が、君にはある。たとえ君が、私よりも10歳以上でもだ。

 

 ジェームズ・ウォーレン君を連行して行きたまえ」

 

 ドレイク大統領は、半ば諦め半分にウォーレンに言った。ウォーレンを引き連れてきた護衛

官達は、半ば老人とも言える男の身柄を連行して行こうとする。

 

 だが、背後を振り返り、部屋から出て行くのよりも前に、ウォーレンは大統領に言葉を発し

た。

 

「大統領。私も、こうして逮捕されるだろうということは予測していました。だから、何もしていな

かったと思いますか?」

 

「何の事だ?」

 

 と、ドレイク大統領。

 

「良くやる手ですよ。司法取引という奴です。私が、あなた方の知らない情報を受け渡す代わり

に、私の罪が軽くなる」

 

「だから、何の事だと言っている!?」

 

 言い放ち、大統領が目線を合わせたウォーレンの顔は、未だ輝きを失っていない眼光を放っ

ていた。それは老人ながら、残された時間だけでも野望を果たそうとする、野心家の鋭い眼光

だった。

 

 ウォーレンは口を開いた。

 

「我々は『ユリウス帝国』のある組織に目を付けました。その組織は、もはや組織としては機能

しておりません。しかし活動していた時の行動力は素晴らしいもので、『ユリウス帝国』の機密

情報を随分と手に入れていたようですな。

 

 『NK』のハラ長官が『ユリウス帝国』へと潜入させた組織、『SVO』と『ユリウス帝国』自身によ

ってその組織は壊滅しましたが、彼らは、ある機密情報を持ち出したままだったのです。組織

のメンバーは逃走中でしたが、我々の『ユリウス帝国』側の協力者に、組織の元メンバーの一

人に目を付けさせておきました」

 

「何、それが一体、どういう事なのだ?」

 

 ドレイク大統領は、ウォーレンの目の前に立ち、高圧的な口調で問いただそうとする。

 

「その組織が入手した『ユリウス帝国』の機密情報とは、正に『プロジェクト・ゼロ』に関連するデ

ータなのですよ。協力者が、確認を取りました。我々は、その組織の元メンバーの身柄と機密

情報のデータディスクを預かっています」

 

「それで司法取引をしたい、だと!」

 

「はい、その通りです大統領。私との取引に応じて下されば、『ユリウス帝国』側にその組織の

元メンバーの身柄と、データディスクを引き渡します。今では、あなたは『ユリウス帝国』と同盟

関係を結んでいるようですから、そのディスクは入手できるでしょう」

 

 ウォーレンのぬけぬけとした口調が、ドレイク大統領の顔を嫌悪に満ちさせた。

 

「ですが、もし取引に応じて下さらないのならば、ディスクは破棄し、そのメンバーの行方も永遠

に知れる事は無いでしょう。私の免責状が発行され次第、『ユリウス帝国』側の協力者は行動

しますが?」

 

 まるで動揺していないという風を装いながら、ウォーレンは言って来る。

 

「君は、自分の犯した罪を知っているのか?ジム。私に楯突き、国を混乱させようとしただけで

はない。この議事堂から逃亡する際、5人の護衛官を殺害させている。今まで君がしてきた、

汚い仕事によって犠牲になった命は、一体何人いるのか、数えた事はあるか?

 

 あの『ゼロ』によって犠牲になった人間は2千万人。それに比べれば微々たる犠牲かもしれ

ないな。だが、奴はもはや人間ではない。しかし、君は人間だ。自らの意志で罪を犯したのなら

ば、君は裁かれなければならない」

 

「ですが大統領。私が確保している情報は、その『ゼロ』を止める為には、無くてはならない情

報かもしれませんぞ」

 

「君は、テロリストだ。ジム。我が国でも、テロリストとは交渉しない事を知っているだろう?連れ

て行きたまえ」

 

 再度、ドレイク大統領は護衛官達に命じる。ウォーレンは、今度こそ連行されて行く事になっ

たが、彼は大統領に背を向け、扉の前に立ったとき、言葉を発した。

 

「ディビット・アダムス」

 

 大統領執務室に響き渡るウォーレンの声。ドレイク大統領は、

 

「待て。何の事だ?」

 

 と言い、ウォーレンを呼び止める。すると彼は、その顔に不敵な笑みを持たせつつ振り向い

た。

 

「我々が確保しているディスクに暗号化されていた人物の名です。『ユリウス帝国』側に確認を

取られた方が良いのでは?」

 

「ジム。さっき、君は、自分は己の信念で動いていると言ったな?だが、それは違う。君は自分

の事しか考えていないだけだ」

 

 そう大統領が言うと、再びウォーレンは背を向けた。

 

「大統領。一度、お考えを改めて下さい」

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 『ユリウス帝国』から訪れた、浅香舞国防長官、そして帰還した『SVO』のメンバーが国会議

事堂到着したのは、丁度ウォーレン副大統領が逃走を図ろうとした、まさにその時だった。

 

 彼ら一行は安全の為、国会議事堂から離れた、大統領官邸へと足を向けた。

 

 政権内に裏切り者がいると分かった以上、ドレイク大統領は厳重な警戒態勢を敷かせ、彼ら

を大統領官邸へと招き入れる。

 

 大統領と共に官邸へとやって来ていた原長官は、『ユリウス帝国』での惨事から脱出し、無事

に帰還して来た、太一、隆文、絵倫、浩の姿を見るなり、ほっとしたように言った。

 

「ああ!よく戻ってきた。君達が無事で、本当にほっとしているよ」

 

 と、まるで抱きつくかのように隆文に、原長官は向かって来る。しかし、そんな横から太一が

言った。

 

「申し訳ございません、原長官。今度も『ゼロ』を倒す事はできませんでした」

 

 太一にしては珍しく、半ば申し訳なさそうな声だった。『SVO』全員が、再会した原長官の前

で、意志を失ったかのような表情をして見せている。

 

「いや、良いのだ。私が無理のある任務を君達に課してしまった事に責任があるのだろう」

 

「そんな事、ありません、原長官」

 

 と、香奈。

 

「だが、今度こそ『ゼロ』を止める為の国際協力だ。ついに『ユリウス帝国』と『タレス公国』を代

表とした『ENUA』が動き出す。もちろん我が『NK』も協力するがね」

 

 そして、『NK』と『ユリウス帝国』からの使節団は、大統領官邸の奥の方のフロアへと案内さ

れた。

 

 

 

 

 

 『ユリウス帝国』の国防長官、『SVO』メンバー、ドレイク大統領、そして『タレス公国』の軍高

官達が一同に介したのは、大統領官邸の見晴らしの良い会議室だった。

 

「デイビット・アダムスと言う名ですか?」

 

 と、舞がドレイク大統領に尋ねていた。

 

「その名を含む暗号化ファイルの為に、ウォーレン副大統領から司法取引を持ちかけられたの

だ、アサカ国防長官。何か、その名に心当たりは無いかね?」

 

 数日前まで、ドレイク大統領とこの国防長官も敵対していたのだ。『SVO』を巡る抗争が起こ

り、結局彼らはドレイク大統領に救われたわけだが、今では舞も、『SVO』も、『ゼロ』を倒すた

めに協力し合おうとしている。

 

「軍のデータベースにありました。国防長官。最重要機密事項ですが」

 

 舞の補佐官がコンピュータを操作し、軍のデータベースを探っていた。

 

「デイビッド・アダムス。私もその名前は聞き覚えがあります」

 

「国防長官。このデータです。ごく初期の我が国で行われた『プロジェクト・ゼロ』のデータベース

に名前があります」

 

 それは、舞が、『皇帝』ロバートに、陰謀を示す証拠として突きつけようとしていたデータだ。

 

 副大統領の発した言葉が、急激に信憑性を増してくる。

 

「ウォーレン副大統領は、その名を含む暗号化ファイルを、司法取引材料に使ってきた。君の

国にとって、よほど重要な機密なのかね?」

 

 と、ドレイク大統領。舞は彼の方に向き直って答え始めた。

 

「ええ、重要です。もう明かしてしまっても構わないと思いますが、デイビッド・アダムスとは、『紅

来国』《青戸市》にて、3次大戦以前から保管されていた『ゼロ』を回収した人物なのです」

 

 舞は補佐官の方を向き、会議室にある大型スクリーンに、一人の男の顔写真とデータを表示

させた。そこに映ったのは、いかにも軍人という顔立ちの男で、短く刈り込んだ頭髪に鋭い目

付きをしている。写真は顔写真だけだったが、背も高そうだった。

 

「この男が、『ゼロ』を回収したのかね?という事は、君もか、国防長官?」

 

「はい、そのようです」

 

 舞は答えた。

 

「彼らは、今から15年前に、《青戸市》の地下で、『ゼロ』とこの私の身柄を回収、そして『ユリ

ウス帝国』本土へと持ち帰りました。しかし彼らの活動は謎に包まれています。私の持っている

ファイルにも、その情報は残されていませんでした」

 

「だとしたら、ウォーレンはどこでその情報を入手したと言うのだ?彼は、機密データを持ち出

した、ある組織のメンバーを拘束したと言っていた。彼らが、その機密データを持ち出した張本

人だとも言っている」

 

「ある組織」

 

 ドレイク大統領の言葉に反応したのは、原長官の側の席についていた太一だった。

 

「太一」

 

 原長官も同じように反応し、彼と顔を見合わせた。ドレイク大統領の話す正確ではあるが自

然な『タレス語』を理解できるからこそ、できる反応だった。

 

「原長官。ウォーレンは、その機密データを持ち出した組織は、『ユリウス帝国軍』の手入れ、

そして君の遣わせた『SVO』のメンバーによって壊滅させられたと、違うかね」

 

 一瞬の間の後、原長官は答えた。

 

「ええ、その通りです。大統領。おそらくその組織の名前は『フューネラル』。《ユリウス帝国首

都》で活動していた地下組織です。彼らは、『ユリウス帝国』の機密書類だけではありません。

我が国のデータにも潜入した事があります」

 

 そう原長官が言った時、小声で香奈が太一に尋ねていた。

 

「もしかして、あたし達が、『ユリウス帝国』に行ったとき、あたし達の情報を『ユリウス帝国』に

横流ししていた組織の人達の話をしているの?」

 

「ああ、そうだ」

 

 彼のその声は、すぐにドレイク大統領の堂々とした声にかき消された。

 

「その『フューネラル』という組織が盗み、今では、ウォーレンの手中にあるデータだが、本当に

『ゼロ』を打ち倒す為の手段と成り得るのかね?」

 

 すると舞は、

 

「可能性はあります。デイビッド・アダムスは、ごく初期の『プロジェクト・ゼロ』の関係者ですし、

何しろ『ゼロ』を発見した人物。彼の残した報告書が暗号化され、残されていたのだと思われま

す」

 

「その者の残した報告書が、『ゼロ』を倒す為の手立てと成り得るのか?確証は?あの近藤で

すら、止められないと言っていた者だぞ」

 

 と、原長官が舞に言った。

 

「原長官、正直言って、今のままでは奴を止める手立てが無いばかりか、奴がどこにいるのか

さえ分からず、動きようがありません。もしかしたら我々の知らない事が、その報告書には書か

れているのではないのですか?」

 

 そう原長官に尋ねたのは、『SVO』リーダーの隆文だ。彼は、周りにも分かるように、母国語

ではない『タレス語』で尋ねていた。

 

「しかし、ウォーレン副大統領は司法取引を持ちかけてきている。もしそのデイビッド・アダムス

の名のあるデータを受け取ったのならば、『タレス公国』はウォーレン副大統領の罪を免責にし

なければならない。君らを妨害しようとした男だ」

 

「ですが、副大統領の辞任と、国外退去ぐらいの処分にはなるんでしょう?」

 

 今度は絵倫が言った。

 

「だが、ウォーレンは何をするか分からん。いくら国外退去になっても、裏の組織と連絡を取り

合い、再び我々を妨害してくるかもしれん」

 

 ドレイク大統領が制止した。

 

「『ゼロ』の奴が、最優先だってのによォ!」

 

 拳を打ち鳴らしながら浩。

 

「その、ウォーレンが連絡を取っている裏の組織とは何者なのですか?もしデータディスクの在

り処が分かるのならば、それを奪い取ってしまえばいい」

 

 そう言ったのは太一だった。彼の声は普通の声量ながらよく響き、会議室にいた者達全員

が、はっきりと聞き取れる声だった。

 

「君は、ええっと、タイチ・サトウ君だったかな。残念だが、ウォーレンと繋がりのあった組織に

ついては、まるで分からん。彼自身も口を閉ざしたままなのだからな。だが、分かったとして、

その組織の活動拠点がどこにあるかも分からん」

 

 ドレイク大統領はそう言ったが、

 

「大統領。我々軍はクーデター中に、あるデモ隊を首都内で拘束しています。その中に、逃亡

中の『フューネラル』のメンバー数人がいた事も確認されています。

 

 もし、副大統領の繋がりのある組織がそれを嗅ぎ付け、その者達を拉致するのならば、移送

中の車を襲撃すれば良い。彼らは首都の混乱に乗じて移送用トラックを襲撃し、手近なアジト

に『フューネラル』を拉致し、副大統領からの連絡を待っているのでしょう」

 

 舞は、ドレイク大統領と目線を合わせ、堂々とした口調で言った。

 

「それは本当か?」

 

「首都の混乱で、報告が遅れていましたが、確かに我々の軍の移送用トラックが一台、何者か

に襲撃されたとの報告が入っています。『ゼロ』の爆心地からは30km離れた砂漠のハイウェ

イ内を、軍の拘束施設に向かっていた所です」

 

 そう言いつつ、舞は会議室の画面に、補佐官のコンピュータ画面を表示させ、そこに《ユリウ

ス帝国首都》近郊の地図を表示させた。

 

 首都から少し離れた、地図上の道路だけが移っている地点に×印が現れる。

 

「ここが、移送用トラックの襲撃地点です」

 

 と、補佐官が言い、その×印から、円が広がった。

 

「副大統領が、裏の組織に『フューネラル』をマークさせていたのならば、それは首都か、首都

近郊にある街を活動拠点にしている組織でしょう。となると、襲撃者がこの2日間に移動できる

街の中、襲撃地点からして《カルメン》に、『フューネラル』は拘束させられている可能性が高い

と思われます。《ユリウス帝国首都》からおよそ100kmの街です」

 

 地図によって、《ユリウス帝国首都》に近い『ユリウス帝国』東海岸地方の町がポイントされ

た。そこは現在、首都からの避難民を収容している街の一つだ。

 

「原長官。そう言う事なら」

 

 と、隆文が言いかけたが、

 

「だが、君達を行かせるわけにはいかないよ。副大統領の手にあるデータがどんな情報である

にせよ。君達はここに残り、いつ再び現れるか分からない『ゼロ』の為に、待機していなければ

ならない。この捜査は、別の者にやらせよう」

 

「ウォーレンの部下は『能力者』でした。不用意に部隊を送るのは危険ですよ」

 

 絵倫が言った。

 

「でしたら、我が国に適任者がいます」

 

 原長官と『SVO』のやり取りに、舞が言葉を投げかけた。

 

「本当かね?アサカ国防長官?」

 

 ドレイク大統領が舞を見やる。

 

「ええ、『ユリウス帝国軍』内部の人間です。彼でしたら、迅速かつ確実にデータを取り戻せるで

しょう。すぐに《カルメン》の組織を特定し、現場に急行させます」

 

「大統領。『ユリウス帝国』国内で拘束されている者は、『ユリウス帝国』の部隊に救出させるの

が、私も妥当だと思います」

 

 原長官が、ドレイク大統領に言った。すると彼自身も同じ結論を即決していたようだった。

 

「だが、頼むぞ、アサカ国防長官。ウォーレンへの司法取引はできるだけ引き伸ばしておくが、

奴にバレない内に、バレないように行動してもらわなくてはならん」

 

「お任せを、ドレイク大統領」

 

 舞は、自分の行動が義務であるかのように、ドレイク大統領に答えていた。

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7:15 P.M.

 

 

 

 

 

「しかし、ウォーレンっていうのは、ゴキブリ見たいにしぶとい奴だな。散々俺達の邪魔をして来

て、逮捕されても、まだ司法取引で命を繋ぎやがった」

 

 再び《プロタゴラス》市内のホテルの一室にやって来た『SVO』の一行。いつしか夜になり、隆

文は窓際に立って国会議事堂の方を見つめていた。

 

 『ゼロ』の情報が入ってくるまでは、この場から身動きが取れなかった。ウォーレン副大統領

の件は『ユリウス帝国』と『タレス公国』に任せ、『SVO』は次の『ゼロ』発見を待つしかない。

 

 彼が次にいつ、どこに出現するかは、誰にも分からなかった。

 

「でも、今度こそ、奴の最期になるかもしれないわよ。奴の司法取引の材料が無くなったら、逮

捕されるしか無いものね」

 

 窓際のソファーに脚を組んで座っている絵倫が答えていた。

 

「『ユリウス帝国』に任せちまって、上手くいけばいいがな」

 

 そんな絵倫の方を振り向き、隆文はどっちつかずの表情をしてみせる。

 

「あら、あの国防長官は、とっても優秀な人よ。自分に課せられた責任は、何としてでも果たそ

うとする。そんな感じの人ね」

 

「つい2,3日前までは敵対していたような相手だってのによ、よく言えるぜ、お前は」

 

 隆文は苦笑して言って見せた。

 

「世の中、敵味方だけで物事を決められる程、単純じゃあないのよ」

 

 すると隆文は笑い、

 

「いつもの事だけれど、何だかお前と話していると、説教されているような感じだな」

 

 更に絵倫もその顔に笑みを浮かべた。

 

 隆文は窓際から離れ、ホテルのスイートルームの一室を一瞥した。だが、部屋の中にいるの

は隆文と絵倫だけで、他に誰の気配も無かった。

 

「なあ、皆はどこだ?」

 

「さあ、自分達の部屋に戻ったんじゃあないの?これからわたし達、いつが最期の夜になるか

分からないんだから、好きにさせておきなさいよ」

 

 その絵倫の声に、隆文は不自然な笑みを浮かべざるを得なかった。

 

「最期の、夜か。ははは」

 

 

 

 

 

 その頃、ホテルの屋上には太一と香奈が二人きりでいた。香奈の方が夜風に当たりに行こう

と太一を誘ったのだ。

 

 太一は普段は口数も少なく、表情も少ないが、人の誘いを突っぱねるような事はしない。誘え

ば割と乗ってくる。

 

 《プロタゴラス》の12月の夜の気候は肌寒い。だから香奈は上着を羽織っていたし、太一は

いつものコートだった。

 

「夜空が、綺麗だね」

 

 香奈は頭上に広がる夜空を見上げ、その星々を見上げると呟いていた。今まで、そうこの3

週間の間、夜空を見上げるような事も無かったのだ。久しぶりに夜空を見上げたかのような感

覚。

 

 彼女は吸い込まれていきそうな夜空に思わず息を呑んでいた。

 

「ああそう、だな」

 

 太一は、香奈と同じように夜空を見上げる事はせずに答えていた。

 

「『ゼロ』を止めないと、あたし達だけじゃあなく、皆死んじゃうんだね」

 

 香奈は変わらず夜空を見上げて言っていた。彼女のその言葉に対し、太一は何も言って来

ない。だが香奈は独り言のように言葉を続けた。

 

「止める事ができるのは、あたし達、だけしかいないんだよね」

 

「そういう事になるな」

 

 太一も香奈のように、はっきりとした口調ではなく、独り言のように呟いていた。

 

「あたし、『SVO』のこの仕事をしている時、何度も死ぬかもって思う時があった」

 

 香奈は夜空を見上げる事を止め、手すりに寄りかかって、今度は《プロタゴラス》の街並みを

見つめながら口を開いた。ホテルの屋上から望める《プロタゴラス》の夜景は、流石に周囲が

官僚街であるだけあり、うるさくないし、激しいネオンや電光掲示板が瞬いている事も無くてうる

さくない。

 

 だが香奈は、そのような街並みには焦点を合わせず、ただ目だけを向けていた。

 

「死ぬかも。あたしここまでかも、って思った時、何だか押しつぶされてしまいそうなくらいの感

覚を心に感じた。その時はそれが死ぬって言う感覚なんじゃあないのかって思ったの。でも、

結局は生きている。だけど、死ぬかもって思って生きていたりすると、何だか、その時の自分

が夢か幻か、そんな感覚なんだよね」

 

 香奈は、手すりに寄りかかりながら、夜景でも太一の方でもない、自分の手を見ながら、独り

言のような、誰に向けてでも無いような言葉を発していた。

 

「それは、俺も時々感じている」

 

 と、手すりの香奈のすぐ側に太一も寄りかかってきた。彼も夜景の方ではなく、香奈の方を見

つめて口を開く。

 

「そんな時、君だったらどうしている?」

 

 香奈は太一の方を向き尋ねる。彼は、少し思考しているようだった。だがやがて、その口を

ゆっくりと開く。

 

「そんな時、俺だったら、その場に集中するしか考えない。他の思考は一切止める。死ぬかも

と思うから恐怖がやって来る。だが俺は、どんな状況にも必ず活路があると思っている。例え

無かったとしても、最善を尽くす事だけを考える。

 

 もし、逃れられなかったとしても、その時、恐怖を感じていなかったら、あっという間さ」

 

 香奈は太一の言葉に聞き入っていた。

 

「あたしも、君みたいにそんな、全てを受け入れているかのような思考が欲しいな。そうすれ

ば、皆と同じようにやって行けるのに」

 

 と、香奈は、残念そうに言葉を漏らす。しかし太一は、

 

「俺もそうしようと努力はしている。だが、駄目だな。そんな死や恐怖の受け入れなど、人には

とてもできない」

 

「そっか」

 

 完璧主義の太一にして見ては、意外な言葉だった。

 

 太一も任務の時、戦いの時に恐怖を感じているのだろうか。誰しもがそうならば、なぜあたし

だけこんなに敏感に、恐怖を感じ取ってしまうのだろう。この組織の他のメンバーがそうなら

ば、なぜあたしだけ。

 

「あたしって、やっぱりこういう仕事に向いていないんだね」

 

 再び香奈は独り言のように呟き始めた。

 

「元々、自分で選んだ職業じゃあないんだから。必死で戦って、死ぬ思いをして、体中傷だらけ

になって。やっている事は戦争中の特攻部隊みたいなものだものね。

 

 私、多分心は普通の女の子なんだよ。ううん、心も体もみんなそう。ただ、特別な『力』を持っ

ちゃったっていうだけ」

 

 香奈は半ば自暴自棄な口調で言った。

 

「そんな事は無い。皆が君の事を頼りにしている」

 

 香奈にとっては意外な言葉だった。慰めてくれるだけの言葉だったとしても嬉しい。

 

「でも、頼りにしているのって、あたしの『力』だけでしょう?」

 

 香奈は自虐的に言った。どうせ、自分の事など、だれも頼りにしてなんかいないだろう。いつ

も他のメンバーの足を引っ張ってばかりだ。

 

 彼女はそう考えていたから、太一の次の言葉は少し意外だった。

 

「『力』は、それを使う者がいなければ意味が無い。使う者が頼りにならなければ、『力』とはた

だ危険なものに過ぎない。だから君も、そうやって自分に対して追い詰めるような事は言わなく

ていい。それに誰もが、君自身を頼りにしている。君がいなければ、今までの任務も成し得な

かっただろう」

 

 太一の言葉に、香奈は意外そうな顔をした。

 

「そんな事、無いよ」

 

 むしろ、太一にそんな事を言われて、香奈はどこか恥ずかしかった。それに、

 

「でも、どっちみち、あたしはこの仕事に向いていない。裏の現場で働くなんて、あたしの生きる

道じゃあないよ。原長官も分かってくれているし。

 

 あたしはこの仕事を辞めると思う。辞めて、普通の人達と同じような仕事をして、生活してい

きたい」

 

「そうか」

 

 太一はそう香奈の答えに呟きつつ、目線は《プロタゴラス》の市街地へと向かっていた。彼は

香奈の言葉から何を思ったのだろう。眼鏡越しに見える太一の眼には感情が映らない。じっと

冷静な眼をしている。

 

「ただ、あたし。『ゼロ』の事に関してだけは、協力するつもりだよ」

 

 香奈も、変わらず屋上の手すりに身を寄りかからせたまま言った。

 

「、これから、あたしが普通に生活していきたいって言っても、あの『ゼロ』がいたら、何もかも

奪い取られていってしまう。それに、もう既にあの存在は、凄く多くの人達の命を奪ってしまっ

た。あたし達が止めなかったら、一体、誰が止めるって言うの?

 

 それに、あいつは、これからも多くの命を奪い取っていってしまう」

 

 香奈はそこで一旦息をつき、

 

「あたしは、『ゼロ』と戦う。皆と一緒に。大勢の人達や、皆、あたしの未来の為にも『ゼロ』と戦

うよ」

 

 手すりから身を持ち上げ、背後にいる太一の方を振り向くと、決意も露に香奈は言った。

 

「ありがとう」

 

 礼を言う太一。表情は少なかったが、香奈に対し好感を改めたような顔だった。

 

 香奈はそんな久しぶりに見た太一の顔を見て、少し赤面した。

 

「あたし。あなたに言っておかなければならない事があるの」

 

 何かを思い立ったように香奈は口を開いた。

 

「何だ?何でも言ってくれ」

 

 太一はいつもの冷静な調子だが、むしろ香奈はそちらの方が話し易かった。

 

「『ゼロ』と戦う前に、あたし、心の中のモヤモヤをすっきりさせて置きたいの。もちろん、今のま

までも戦えるけど、やっぱりすっきりして置きたい」

 

 香奈はゆっくりと想いを打ち明ける。太一は黙ってそれを聞いている。《プロタゴラス》市内を

走る車の音や、夜風の音はどこか遠くに聞えている。

 

 香奈は言葉を続けた。

 

「あたしは、あなたの事を特別な存在に思っている。だから、あたし、この組織を辞めてしまっ

ても共に歩んで生きたいし、もっと君の事を知りたい。

 

 あなたの事が好きだよ、太一」

 

 ずっと胸の内に秘めていた感情。それがゆっくりと言葉として香奈の中から溢れ出す。顔は

どこか赤面し、口調もぎくしゃくする。

 

 香奈は太一の言葉を待った。数秒経ったのか、一分経ったのか、香奈の感覚では分からな

かった。だが、太一はやがて口を開き、答えた。

 

「いつかは、君にそう言われるかもしれないと思っていた。だから、心構えはして来た。それを

受け入れる為の」

 

「じゃ、じゃあ」

 

 香奈は太一の眼を見返し、彼の言葉の意味を必死に受け取ろうとする。

 

 しかし太一は、

 

「だが、残念な事に、俺はこんな組織に所属して、常日頃、危険に身をさらしている。いくら君が

辞めても、俺の生きる場所はここにしかない」

 

 太一がそう言ったとしても、今の香奈はそう簡単には引き下がらなかった。

 

「それでも構わない。あたし、あなたの事を想っているんだし、この仕事の事も良く知っているん

だから!あなたに付いていく。ううん。一緒に歩んで欲しい」

 

 香奈は必死に訴える。太一が言った事など、全て分かっている。全て理解した上での想いな

のだ。だったら太一にそれを明かしたりなどするわけない。

 

 しかし太一はそれを知っていたかのようだった。彼は落ち着き、香奈自身も落ち着かせるよ

うに口を開いた。

 

「そう言うだろうと思った。だが安心してくれ。俺は君のその想いを退けるつもりはない。共に歩

みたいのならば、共に歩むとしよう」

 

 香奈は、太一の言った言葉を頭の中で何度も反響させ、それを受け止めようとする。想いを

退けられたかもと思った時よりも、自分自身にそれを理解させるまでの時間がかかってしまう。

 

「ありがとう」

 

 まだ、完全に自分の体が受け入れるよりも前に、香奈はそう答えていた。

 

 恥ずかしげに香奈は太一から目線を外し、再びその視線を《プロタゴラス》の市街地へと向け

る。やがて香奈は少し微笑し、太一に話しかけた。

 

「でも、こんな話は『ゼロ』がいなくなってから、した方が良かったよね?何だか、ちっとも落ち着

けやしないや」

 

 すると、そんな香奈の肩に、太一はゆっくりと手を乗せた。

 

「それは、『ゼロ』を倒してから、ゆっくりと落ち着かせていけばいい」

 

 香奈は振り返り、太一の顔を見上げた。

 

 自分とは相反し、いつも落ち着いている男の顔。眼鏡の先に見える彼の眼はいつも油断無く

周囲に向けられている。だが香奈は、この男が自分を受け入れている事を感じていた。それは

言葉として、肩に乗せられた手から伝わって来る感覚として、香奈に感じさせる。

 

「うん、そうだね」

 

 太一と香奈の目線が合う。5年程前に出会ったはずの両者。それからずっと行動を共にして

きた両者だったが、これ程までに接近した事は無かった。

 

 今なら太一に身を預ける事ができるかもしれない。香奈はそう思い始めていた。

 

 太一がゆっくりと、香奈の身を抱き寄せて来ようとする。香奈も、それに身を任せるままにし

た。

 

 今なら、ここなら、誰も見ていない。2人だけの時を流し、2人だけの世界を作り上げる事がで

きる。

 

 

Next Episode

―Ep#.21 『青戸シンドローム』―

説明
大規模な破壊の後、主人公達は国々の代表者たちと一致団結し、いよいよ世界を恐怖へと陥れる存在に対抗策を導きだす事になります。
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