名家一番! 第十二席・前篇 |
「監視からの報告では、その数約三万だと……」
「「なっ!?」」
兵士の報告は、我が耳を疑うモノだった。
黄巾党の数は多い時でも数千程。猪々子達からは、そう聞かされていた。そのせいか、三万という数をイメージするのに少し手間取る。
(三万って……東京ドームの収容人数よりもちょっと、少ないぐらいか? ……それだけの数の人間が、ここを襲おうと向かっているって?)
そう聞かされても、あまりにも唐突で現実感はまるで無く、誤報ではないかと疑ってしまう。
間違いであって欲しかった……が、猪々子の横顔を見て、自分の間の抜けた希望的観測を改める。
初めて見る猪々子の真剣な表情。それだけで、相当にヤバイ状況だと理解できたからだ。
(……三万人)
この世界に来た直後、賊に襲われた時の事を思い出し、冷えきった手で背中を撫でられたような感覚に陥る。
「敵部隊の編成は?」
「騎兵は、指揮官らしき者以外では見られず。歩兵主体での編成です。一辰刻ほど(約2時間)でここに到着すると思われます」
「……国境の守備隊は、そんだけの数が動いていたのに、もっと早くに察知できなかったのか?」
「そ、それが多数の小部隊が機を合わせたように国境付近に集まって来たかと思うと、こちら側からは、手出しできない数にまで瞬く間に膨れ上がりまして……。
ここ南皮を目指し突き進む黄巾党の様は、まるで狂った獣の群れのようです」
兵士の報告を聞いた猪々子は小さく舌打ちをする。
苦虫を噛み潰した様な表情をはりつけている猪々子の一方で、恐怖が徐々に引いていくのと同時に、頭がクリアになっていくのを俺は感じていた。
怯えて震えている暇があるなら、少しでも生き延びる確率が上がる術を模索すべきだ。
死に対する恐怖。不本意ながらも何度か味わったことで、この感情をどう処理するのが最善の選択なのか、なんとなく分かってきたらしい。
(大軍で動けば砂塵などが舞い上がり、どうしても敵方に気付かれやすくなる。
それを抑える為に部隊を小分けにして行軍した……か)
もし、黄巾党の連中がそこまで考えて行動したのだとしたら、一つの疑問がわく。
「なぁ、猪々子。今まで討伐してきた黄巾党も、こんな組織的な動きをしていたのか?」
“黄巾党は、陣形もろくに組めない。そこいらの野盗と大差ない”と、嘲笑っていた兵士達の会話を小耳に挟んだことがあった。
だが、今ここに向かっている軍勢の動きは、事前に離れた友軍と連絡を密に取り合い、互いの動きを合わせて行軍しなければ不可能な作戦のはずだ。
話に聞いていた黄巾党と同じとは、とても思えない。
「ん? ……いや。あたいは、こんな小賢しい事するのとは、やりあったことはないなぁ」
「……そっか」
今までとは違う動きをする黄巾党……嫌な予感が脹れ上がる。
「動ける兵は、直ちに城門前に集合。一刻(約30分)後には出るぞ」
「はっ!」
指示を聞いた兵士が出て行き、部屋には俺と猪々子の二人だけになった。
「んじゃ、一刀。あたいは連中を蹴散らす為の準備をするから。ここは任せたぞ」
俺の目の前に竹簡の束を積み上げ、部屋から出ていこうとする猪々子。
「ちょい待ちっ!」
その腕を慌てて掴み、引き止めた。
「んだよ一刀? 悪いけど、事務仕事は手伝ってやれねぇぞ?」
俺はあくまで手伝いであって、この書類の山を片さないといけないのは猪々子だ。
なのに、配役が入れ替わったような今のコイツの口ぶりは非常に引っかかる。引っかかるんだけどっ! そのことを追求している時間は無い……口惜しや。
「迎撃に出せるこっちの兵数は、どれくらい?」
「ん〜? 麗羽さまがほとんど洛陽に連れてったから、一万いくかどうかじゃね?」
い、一万!?
「ちょ、おま!? こっちに向かってる黄巾党は、三万って話だぞ! なのに、野戦を挑む気かよ!?」
“城攻めに必要な兵数は、守り手の約三倍”という通説は、俺でも聞いたことがある。
籠城戦でもヤバイ今のこの状況で野戦を挑むとか……無謀にもほどがあるだろ。
「そのつもりだけど――あら? 野戦で挑むなんて、あたい言ったけ?」
「さっきの人に、兵を城門前に待機させるように指示していただろ」
「おー、それでか。一刀、お前意外に察しが良いな」
呑気に笑い声を漏らす猪々子のあまりに場違いな様子に呆れ返る。
こ、コイツは危機感がないアホなのか、どんな時でも動じない大物のどっちなんだ? ……願わくは、後者でありますように。
「今すぐ袁紹達に伝令を出して、援軍が来るまで籠城戦に持ち込んだ方が良いんじゃないのか!?」
「あ、それ無理だから」
「な、なんでさ!?」
至極、真っ当な意見だと思い込んでいただけに、この返答には驚いた。
そんな俺の心情を知ってか知らないでか、猪々子は淡々と説明する。
「麗羽さま達は、大陸各地にいる黄巾党と戦う為に常に移動しているから、伝令を出してもいつ援軍に駆けつけてくれるか分からない。そんな状況での籠城戦は、兵と民がキツイかんな」
うぐっ、確かに。
籠城というは、援軍がいて初めて成り立つともいう。その援軍がいつ到着するか分からない状況での精神的・肉体的な負担などは、完全に頭から抜けていた。
理路整然とした考えだった。反証材料を探そうとしていた俺の口は閉じかけたが、猪々子が次に言い放った理由は、釈然とできなかった。
「それと、名門・袁家の軍が賊相手に一度も刃を交えずに、亀のように首を引っ込める戦い方だと、世間様に格好がつかない――っていう理由もある」
「そんなの――」
“死んでしまったら世間体もクソもない”と、口に出しかけた言葉を飲み込む。
この時代で“名”ってのが、どれほど重要なのかは天の御遣いの一件で、理解したじゃないか。
(くそっ! なんて、面倒臭い時代だよ)
名前なんて形の見えないもの為に、危険に晒さなければいけないことに怒りがこみ上げるが、
(俺がいた時代の価値観で物事を捉えてどうする。腹を立てる前に、すべきことがあるだろうが)
深呼吸して、頭に上りかけた血を鎮める。
「猪々子、三倍の兵力差で野戦を挑んで勝算はあるのか?」
俺の質問に対して猪々子は、不敵に笑みを返す。
「おいおい、一刀くん。あたいが誰なのか忘れたのか?
この“袁家の二枚看板・文醜”が、賊の群れ如きに負けるとでも――?」
おぉ! 俺に二の句もつげさせない、この頼もしい台詞は何だ?
本当に猪々子か? と、疑いたくなる……実は双子の妹がいたとかじゃ?
「――と、言いたいところだけど、流石に三倍はキツイよなぁ〜」
前言撤回。やっぱり絶対間違いなく確実に猪々子だ……。
「まぁ、分の悪い賭けは嫌いじゃないし、何とかなるっしょー」
そうボヤきながら部屋から出ていこうとする猪々子の腕を再び掴んで引き止めた。
先程よりも強く引っ張ったため、猪々子は少し仰け反る。
「しつこいな一刀! まだ、何かあるのかよ!?」
あるね。大いにあるよ。
「こんな、賊との小競り合いで命を賭け金にするのか?
“袁家の二枚看板”の名と命はそんな安いもんじゃないだろ?」
斗詩に言われたんだよ“文ちゃんを頼みます”って。それに、猪々子を危険な目に遭わせたくないってのは、俺の意志でもある。
「…………」
猪々子は押し黙ったが、俺の挑発的な言葉で心が揺れているのは、はっきりと見て取れた。
「……お前。賊との小競り合いって簡単に言うけど、三万だぞ?」
戦に出た経験など無いが、今、正面からぶつかり合えば、単純計算で一人が三人を相手にしなければいけない無茶な状況なことぐらいは分かる。
だったら――、
「――きたっ!」
城壁の上にいる為、遠方まで見渡すこともでき、地平線の向こうから砂塵が舞い上がるのを確認できた。
まだ相当な距離があるにも関わらず、大軍が地を揺らす音と、大勢の人間の叫び声が混ざり合った轟音が空気を振動させている。
(なんか微かに“ほわっほわ”言ってるのが聞こえるけど、あれが鬨の声ってやつ? ……なーんか、想像してたのと違うなぁ)
「およそ三万。報告通りだ」
俺の横にいた兵士が小さく呟く。俺も目を細めて砂塵が舞い上がっている辺りを凝視するが、何かが蠢いている程度しか確認できなかった。
(ここの人達は、なんちゅう目をしてんだよ……それにしても俺、思ったより落ち着いてるよな?)
少し体が強ばるというか、五感が鈍くなっているような気もするが、思いのほか呼吸は落ち着いていた。
剣道の試合前の心地よい緊張感に似ている気さえする。これから目の前が戦場になることを考えれば、おかしな話だが……。
けどこれならば、戦闘が始まった途端に失神するような醜態を見せることもないだろう。
後、危惧すべきことは、敵がこちらの思惑通りの動きをするかどうか……か。
だったら――、
「――相手の数が多くて正面から当たるのが厳しいなら、当たらなくても済む策を考えれば、良いんじゃないのか?」
頭に浮かんだ瞬間に、言葉にしていた。
「はぁ?」
俺の提案を聞いた猪々子は意外だったのか、呆けた顔をした。その表情を見て、言葉を続けるのに少し躊躇する。
俺の進言は、一度却下されてしまった。考えの浅い俺が再び意見しても、手間を取らせるだけで、何の助けにもならないのでは? そんな疑念が頭をよぎったが、
(……っっ! ここで芋引いたら、斗詩に謝る前と何も変わってないじゃないか)
慌てて弱気の虫を払い落す。
俺の考えが使えるかどうかは、猪々子が判断すること。俺にできることは、分かり易く手短に考えをまとめることだけだ。
息を一度大きく吸い、息を吐き出す様に口を開く。
「――数で劣っているのに、なんの作戦もないまま正面からぶつかるよりも、何か搦手(からめて)を用いた方が楽に戦えるだろ?」
「そりゃ、楽できるのにこしたことはないけどさ。そういう頭脳労働は斗詩に任せてたから、あたい何も思いつかないんだけど」
猪々子ならば、この返答は想定内。だから、俺は進言する。
「……それなら、俺に考えさせてもらえないか?」
猪々子の瞳を真っ直ぐに見つめ、想いを伝える。
「考えるって……お前が搦手をか?」
「あぁ」
「………」
猪々子は、黙り込んでしまった。
そりゃ、当然の反応だよな。戦場に一度も立ったことがない奴が“策を考える”なんて言い出しても、まともに取り合ってくれるわけがない。
それでも口にした。
猪々子と斗詩に出会ったあの日に“力になりたい”と思い、
共に日々を過ごす内に“待つだけは嫌だ”と感じ、
斗詩の自分を必要としてくれている言葉を聞き“もう投げ出さない”と決めたから。
実際には一分も経っていないだろうが、俺の体感時間では悠久の時のように感じられた沈黙の間は、猪々子の溜め息で破られた。
「はぁ、どうにも弱いね」
「え? え?」
馬鹿な提案をしたから、溜め息を吐きたくなるのは、まだ分かる……けど、“弱い”って何が?
猪々子のリアクションの真意がさっぱり掴めない。
「わーったよ。とりあえず聞くだけ聞いてやる。時間があまりないから手短にな」
「ほ、本当か!?」
てっきり、一蹴されると思っていた。心の中で小さくガッツポーズを決め、礼を述べようとした。
「ありが――」
「ただしっ! 話を聞いたからって、お前の策を採用するとは限らないからな。そこんとこは分かっとけよ?」
猪々子に人差し指を口先に突き立てられ、遮られてしまった。
「ああ、わかってる」
そうだ。聞いてもらえるだけで、浮かれている場合じゃない。実際に使ってもらえるかどうかは、俺の腹案次第なんだから。
「ええっと、確かこのあたりに……あった!」
竹簡の山に埋まっていた一枚の紙を引きずり出す。
「何それ? ……開拓工事計画書ぉ〜?」
取り出した紙を横から覗き込んだ猪々子は、首をかしげる。
「近くの森を開拓して田畑にするって計画があっただろ? これなら、周辺の見取図が載っているからな。こいつを使って説明するよ。
いいか、俺の策は――」
まずは、この手強い女傑を説き伏せないと……黄巾党と戦うよりも大変かもな。
説明 | ||
第12話の前編です。 ドロシー「早く戦争になぁ〜れっ♪」 リリーナ「禿ww同ww」 よろしければ、今回もお付き合い下さい。 あとがきは後編で。 |
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コメント | ||
>>うぃる子さん 期待通りの作品ができるかどうかは不安ですが、頑張ります。マタミテネー(濡れタオル) 初めまして、楽しく読ませていただいてます!続きが楽しみです。ツヅキーツヅキーミタイナー (うぃる子) >>PONさん じゃあ、このままにしときますね。ご意見ありがとうございました(濡れタオル) 一刀って北郷家の出だから鹿児島言葉なら使うかもしれませんけどね。フランチェスカは浅草だから…芋引く、岡山とか兵庫に住んでたことあるけど一度も耳にしたことないです。あまり日常的に使われている言葉とは言いがたいのでは…?まぁ些細な問題ですから別に修正する必要まではないと思いますが。(PON) >>ねこじゃらしさん つまり、猪々子の賭けている方と逆に賭ければ……。(濡れタオル) 分の悪い…流石に人手が足りないこの状況じゃ大博打は勘弁してほしいw彼女の場合ハズすのが目に見えてるしwというわけで頑張れ一刀!(ねこじゃらし) >>hokuhinさん 期待通りのモノを提供できるかとても不安ですが、次回は戦争シーンも少しずつ入ってきますので……。(濡れタオル) >>PONさん “芋引く”私の地元では結構使われていたんで、つい書いちゃったんですが、違和感ありましたか……。(濡れタオル) >>劉邦柾棟さん あ、あんまり期待しないでくださいね……。(濡れタオル) >>XOPさん PONさんも説明されていますが、任侠用語で“ビビる”とか、そんな意味合いの言葉です。(濡れタオル) >>桐生ノ介さん な、なんかすごい褒めて頂いて恐縮です。よろしかったら、次回も見てやってくださいね〜(濡れタオル) >>aoirannさん 覚醒というか……確変中?(濡れタオル) ようやく天の御使いの本領発揮するかな一刀は・・・一刀の策と共に猪々子の活躍も期待しています。(hokuhin) >>XOP氏 広島のヤクザ言葉が語源の「ビビってる」「気圧される」「しり込みする」などの意味。使い方は間違ってないが一刀が使うのには違和感を感じざるを得ない言葉。(PON) さて、一刀が思いついた策はどんな物なのかが楽しみですねwww。(劉邦柾棟) ここで芋引いたら→辞書に載っていなかったのですがどういう意味?(XOP) 1話から一気に読ませていただきました。こんなストーリーがあったらいいなぁ、と思っていたモノが、まさにここにありました。続きを楽しみにしています。(桐生ノ介) 一刀覚醒か!!(aoirann) |
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