恋姫†無双 外史『無銘伝』第5話
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   第5話 北郷伝 〜その名は混沌〜

 

 

 ――董卓軍、虎牢関本営――

 

「敵の布陣は三段、1段目が孫と曹、二段目が袁紹中心、脇に袁術、公孫賛、馬超。三段目が劉備含む残り全部や」

 敵の偵察を終えた張遼が報告した。

「なかなか堅い布陣ですっ……!」

陳宮が険しい目付きで、地図上に敵の配置を示す駒を置いた。

「ああ……孫策と曹操を前に出すだけなら考え無しの力任せのようやけど、劉備を後ろにつけたのが周到やな」

「劉備、強い……?」

呂布はいつもとおなじような口調で、劉備を表している駒をつついた。

「強いで。劉備本人はともかく、関羽が強い。関羽いうたら、あれや、美髪公や。美しい黒髪で青龍偃月刀を振るうっちゅう――」

「そんな話は今どうでもいいのですっ!! 劉備軍には、関羽、張飛といった将がいるのです。曹操や孫策の軍よりは小粒ですが、簡単には、奇襲は通じないと思われます」

「華雄を討ち取ったっちゅう、北郷もいるしな……」

「後ろに回り込んで、袁紹を狙うという手は使えそうにないのです」

「かといって、正面は孫と曹の二枚看板……きっついなぁ」

張遼と陳宮が頭を抱えていると、

「案ずることはないわ」

眼鏡をキラリと光らせて、賈駆が登場した。

「おお、来てたんかい」

「ええ。胡軫も連れてきたわ。華雄のかわりになるかはわからないけど」

「胡軫? 牛輔たちのところに行かせる予定やなかったか?」

「……さすがに、こっちの数が少ないかと思ったから」

賈駆は、一瞬、牛輔たちが死んだことを伝えようか迷ったが、やめた。

混乱させるだけだろう、と判断した。幸いというべきか、黄河周辺に敵の姿は――味方の姿も――無かった。わかっているのは、董卓軍の牛輔たちと、連合軍の韓馥たちが死んだという事のみなのだ。

「……? まあいいのです。たしかに、張遼と恋殿の二人じゃ、動くにしても、どっちかが虎牢関に残って、どっちかが攻める形にしかできないですし、もうひとり将がいるのは助かるのです」

「せやけど、どう連合軍を攻めるんや? そこはまだなんも光明がないで」

「いくら数が多くて、質が高くても敵は連合軍。寄せ集めよ」

 陳宮が並べた駒を、賈駆が動かす。

「どんな頑丈な糸でできていても、縫製がどんなに堅牢でも、穴はあるわ。問題は、どのようにその穴を広げ、活路を開くか…………穴の位置を示すのはボクと陳宮がやる。広げて開くのは、あなたたち二人の仕事よ」

 と、恋と霞の二人を見やる。二人はこくり、と頷いた。

「目立つ穴はまず、ここ。孫策軍と曹操軍のあいだ」

「たしかにそこなら、連携の取れていない軍同士、対応に困るかも……でも、それは奴らも気づいているはずなのですっ」

「ええ。だから罠を仕掛けるわ。こんな感じに――」

 駒をずらし、かちりかちりと、展開させる。

「――足止めしたあと、恋と霞が突破。狙いは中央、袁紹の軍よ。首を取るまで行かなくてもいい。揺さぶりをかけて」

「囲まれてまうんやないか?」

「神速を誇るあんたのセリフとは思えないわね。まず、張遼が前曲、呂布が後曲。最速で敵陣を叩き、出て行くときは逆に、閉じようとする敵部隊の門を呂布が力づくでこじ開けて脱出しなさい」

「力任せな策なのです」

陳宮が呆れたような声を出す。

「それに、袁紹の首を取れなかったら、警戒されて、袁紹軍は後ろに退いてしまうのです。そうしたら、こちらが不利になるのは必定っ」

「袁紹軍は数が多いわ。それが一斉に後ろに退いたら、陣形に大きな歪みができる。次はその穴を突けばいい」

賈駆はずり下がった眼鏡をあげ、駒の配置を元通りにした。

「とにかく、簡単には虎牢関にとりつかせないこと。時間を稼げば、遠征している敵は勝手に消耗していくわ。大軍の勢いをまず一撃して殺いで、持久戦にもちこむ。いいわね?」

「…………異論はないのですっ」

陳宮はしばし考えて、頷いた。

「ウチもええよ。こもって戦い続けるより、兵の士気も維持しやすそうやし」

「恋は?」

恋は黙って、こくりと、首を縦に振った。

「…………もし、不利になって、撤退することになったら、洛陽じゃなくて長安を目指すこと。すでに継馬を各所に集めてあるわ」

「民を長安に移してるっちゅう話しやったけど、月も行っとるんか?」

「……まだよ。ボクはとっとと遷ったほうがいいって言ったんだけど、都にはまだ月を信じて残っている人たちがいるの。それを見捨てたり出来ないって」

「あちゃー……月らしいっちゃ、らしいけど」

「メガネ……勝算は、どれほどと見積もるです……?」

「……ここでの戦いに限定するなら、2、3割」

「ははっ、わりと高いんやな……」

水関から虎牢関へ退き、ある程度兵の数は揃った。それでも、敵の数は数倍だ。

そして質も、同等かそれ以上。

「まあええ。詠はとっとと引き返して、撤退の説得に戻り。ウチらは連合軍に挨拶して――」

「ボクも緒戦だけは見てから帰る。もし、最初から駄目なら、説得の暇はないわ。強制的に全員撤退。なりふり構ってられないわ」

「そうかぁ、それじゃ――」

「はじめる?」

恋がいつのまにか方天画戟をかかえて、佇んでいた。

穏やかな目に、深紅の戦意が宿っている。

「やる気やな……行くとしようか。陳宮もええか?」

「いつでもいけるのですっ!!」

三人は互いに頷きあい、外へ続く出口へと向かった。

「…………気をつけて」

戦いに赴く仲間の背中に、詠はつぶやいた。

届くか届かないか微妙な声量だったが、張遼が、ぐっと拳を握って上にあげ、返答した。

詠はそれを見送り、珍しく、武運を祈った。

「詠、様子がおかしい」

恋が眉をひそめた。

「たしかに、なにか、変だったのです」

「いつもはもっと強気な口調で命令しとるのに、妙にしおらしいというか……不気味やったな」

三人は虎牢関の外に出、馬に跨り、率いる兵達をまとめる。

「勝てば、全部元に戻る」

「そやな。月も詠も、元気が一番やっ」

「……メガネはあのままでもいいような気がするのです」

董卓軍、虎牢関防衛の七万のうち、半分が動き始める。

「――お前らあっ!! 連合軍に一発ぶちかましにいくでっ!!」

「陳宮隊っ、軽騎兵を外側に、中に工作隊をひそませて前進するのですっ!!」

「全軍、前進っ――」

出陣。雄叫びと共に、はじまりのはじまりを告げる。

血を流す前の血のたぎりが、兵達を戦場へと突き動かす。

戦場へ、戦場へ、と。

 

 

――先鋒・右翼、曹操軍、本陣――

 

「斥候より連絡っ、董卓軍が虎牢関より出陣、前方に展開しているとのことですっ!」

「へぇ……虎牢関に頼らず、寡兵を野戦に出す、か」

曹操は、報告を聞いて、ふむ、と唸った。

「罠でしょうか」

荀ケがちら、と主のほうをみる。

「陽動作戦で、こちらを仕掛けに導くつもりかしら」

「仕掛け……罠か、伏兵か?」

「伏兵? どこかに董卓軍が隠れているというのか?」

夏侯姉妹が揃って、華琳の傍で警戒を強めた。

「可能性はあるわね。でも、私や孫策が前に出ている限り、それに引っ掛かることはないといっていいでしょう」

「では、袁紹や袁術が標的でしょうか」

「こちらの陣を無視するか、貫けると考えているのか――そういえば、北郷が何か言ってたわね」

孫策軍、劉備軍との同盟の後、あの、天の御遣い男が、私たちを呼び止めて、のたまった言葉があった。

「ああ。確か……『呂布に1対1で挑むな。最低2対1、できれば3人でかかれ』でしたか」

「ふん、臆病な奴のいいそうなことだっ!」

「そうね。臆病者の言に聞こえるわね。無名の将相手にそれだけのことを言う……こちらをあなどっているのか……」

華琳は、手持ちの将、夏侯惇、夏侯淵、許緒、典韋、楽進、李典、于禁の顔を思い浮かべた。

「それとも、私たちが相手をあなどっていると、見ているのか」

「しかし、北郷も董卓軍と戦った経験は一度のみ。加えて、我が軍の内実も知らないのですから、気に留める必要はないのでは」

「ふむ……呂布とやらが、無名なだけで、よほどの名将とにらんでいるのか……いえ、違うわね。1対1、2対1、できれば3人……つまり、呂布の率いる軍に対して二倍、三倍ではなく、呂布本人に3人で戦えと言っているのだから。つまり」

「呂布本人が、規格外に強いと?」

「そういう忠告でしょうね。たしかに、将としてはともかく、本人の武勇については聞いたことがあるわ」

「し、しかし、それこそ実際に戦ってみなければわからないことのはずっ! 華琳様、私なら1対1でも呂布を仕留めて見せます!!」

「……そうね。春蘭なら1人でも十分とは思うけれど」

華琳は、忠告を発した時のあの男の表情を、記憶から呼び起こした。

あれは、推測から過剰に敵を恐れるといった顔ではなかった。私たち1人1人の力量と、呂布1人を天秤にかけるような、どこか冷たく、重い表情だった。もし命令権があれば、それを強制するような。

「前衛に春蘭と秋蘭、そのすぐ後ろに季衣と流琉を配置しましょう。中央は私、その後ろに凪、沙和、真桜」

前衛に4人、中央1人、後方に3人という陣形だ。

「敵が正面から挑み掛かってくるなら、押し包んで殲滅する。我が軍と孫策軍の隙間を狙ってくるなら、春蘭と秋蘭、そして季衣が側面に、流琉は私の傍に、凪、沙和、真桜は敵後方にまわらせる。全体の統括に桂花、前衛の動きは稟、後衛は風に任せるわ」

「はっ!」

「呂布との一騎打ちは禁ずる。2人以上でかかりなさい」

「華琳さまっ!!」

春蘭が不満そうに口を尖らせる。

「……やむをえず1人で戦うときは、必ず合図を出して味方の援軍を呼ぶこと。いいわねっ」

「は、はい」

ショボンと、春蘭は肩を落とすが、その肩に秋蘭が手を置いた。

「姉者、華琳様は一騎打ちをしても良いが、その時は知らせること、と言っているんだ」

「そ、そうかっ!! よし、絶対に呂布を討ち取ってみせるぞ!!」

夏侯惇は気炎を上げた。

華琳はそれを横目で見て、軽く苦笑しつつ、秋蘭に目線を送った。

こくり、と秋蘭も小さく了解の合図。

呂布が現れたら目を離してはならない――

主従の意志は、完全に一致していた。

「さて、それでは、董卓軍との会戦にのぞむとしましょうか。全将兵、戦闘配置につけっ!!」

本陣で備えていた、曹操軍の全武将、軍師がそれぞれの持ち場へと移動する。

配置完了を旗の動きで知ると、華琳は命令を下した。

「全軍、出撃っ!! 愚かしくも彼我の力量の差を見誤った敵に、曹操軍の真価を教えてやりなさい!!」

旗揚げから敵の軍を吸収して巨大化した、二万を超す曹操軍が、その牙を剥き、前進を開始した。

 

 

――先鋒・左翼、孫策軍、本陣――

 

曹操軍が董卓軍の動きを知ったのとほぼ同時に、孫策軍もその情報を得た。

「先手打たれちゃった。やりづらいなぁ」

「野戦に出るとは、なんの心算か……」

「兵糧が十分ならとっとと虎牢関に躍りかかってる所なのになー」

孫策は口惜しそうに、頭を掻く。

孫策軍の強みは、速度だ。敵が予想する以上の速さ早さで攻め上がり、敵に構える隙を与えずに攻撃する。

孫策が好みとする、電撃戦である。

「良かったな、伯符。蓮華様が間に合って。こういう戦はお前より蓮華様の方が得意だ」

「まぁねぇ……質が違うんでしょうね、私とあの子は。それじゃ、私は一武将に徹しようかしら」

「おいおい、そこまで拗ねるな」

「どうせ私は持久戦苦手ですよーだ。でも、真面目に、前衛を私と祭が担当して、中央と全体の動きは蓮華に任せてみない?」

「……ふむ。だが、蓮華様には経験が足りない。実戦を積むにしても、相手が董卓軍では荷が重い気がするが」

「そこは冥琳に頼むわ。いざとなったら助言して。どうしても駄目なら代わりをやって」

「蓮華様にとって辛い結果にならねばいいが……」

「大丈夫よ。あの子強いもの。多分、私よりもね。それに、もしかしたら、これから董卓軍より強い、たくさんの敵を相手にするかも知れない。その時になって経験が足りないなんて、言っていられないわ」

「……」

周瑜は刹那、黙考した。

董卓包囲網の次。次の世界の姿を想像する。

誰が主導権を握るか。孫呉が握るには何が必要か。その障害は何か。

障害を越えるのに必要なものは――

「いいだろう。蓮華様に指揮を任せる。私はそれを補佐する。で、お前は前衛でなにをするつもりだ?」

「そりゃあ、蹂躙以外にやることないでしょ?」

と、孫策は手綱を引き、ドガッ、と馬蹄を大地にたたきつける。

蹂躙とは要するに、敵をぶっ飛ばす、ということだ。

「最初は様子を見るけど、董卓軍が簡単に背中を見せるようなら、一気に虎牢関を抜きにいく。いいわね?」

「止めても無駄だろう? まぁ、できるだけ、他軍との息を合わせてくれよ。こちらだけ突っ走ったら、連合軍全体が危ういかもしれないからな」

「そうね。いくら孫呉が強兵揃いでも、単独で董卓軍には当たれない。曹操軍との協力…………寒気がするけど、やるしかないわ」

「なに、蓮華様はうまくやるさ。お前はあまり気にせず暴れ回れ。私の目の届く範囲でな」

「どこにもいかないわよ。死ぬまではね」

「縁起でもない」

「ふふふっ」

孫策は南海覇王を手に、馬を進めた。

「じゃ、董卓軍の味見をしてくるわ」

「わかった」

冥琳は馬首をかえし、孫権の元へ。

「私が総指揮を? 姉様はどうしたのだ?」

眉を少しだけ持ち上げて、蓮華は冥琳の目をじっとみつめた。

「雪蓮本人が、やらせてみよう、とのこと。雪蓮は前衛に、私は補佐に」

「……そう」

「まず、前方を塞ぎ、挑み掛かってくる敵の迎撃布陣を」

「む……」

孫権は、突如の事への驚きを一飲みし、

(姉様も冥琳も、私を試しているのか)

ぐっ、と目蓋に力を込めて目を瞑り、静かに、目を見開いた。

「前衛は黄蓋と姉様だな。中央は私を中心に横陣を組む。左翼に呂蒙と周泰、右翼に陸遜と甘寧。前衛が食い破った敵のほころびを、左右の軍で引き裂く。後ろ備えは周瑜に任す……これでいいか?」

孫権の青い目が、周瑜の眼鏡の奥の瞳をとらえる。

「よろしいかと。しかし、曹操軍との接点となる右翼が甘寧でよいのですか?」

「なれあうわけではあるまい。思春のやり方に追いつけぬなら放っておけばよい。こちらが困るようなら、穏が機転を利かすだろう」

「……御意」

(この方は……)

周瑜は胸の奥の熱い炎を、表に出さぬよう取り繕った。

(孫堅さまとも雪蓮とも違う、しかし、確かに王の器――予断をゆるさぬ孫呉の継嗣選定。だが、これは半ば決定か。伯符に続く者としては少々堅実すぎるが……)

孫呉は不慮の事態で主を一度失っている。そのため二度と混乱を起こさぬよう、後継ぎを少しでも早く見出すというのが、冥琳含む首脳部の懸案だった。

「北郷が呂布とかいう将を警戒していたな。万一のため、冥琳は後方右寄りに備えていてくれ。迂回して、すぐ前方に出られるように」

「はっ!」

「それと……後ろの袁術軍が気になる」

「?」

「わざとなのか知らないが、本来の配置より後ろにさがっている。今は問題ないが、戦いが始まって敵の攻勢が激しくなってから、さらに後退されると、我が軍が分断される可能性がでてくる」

「確かに」

連合軍の弱点は軍と軍の接点が弱いことだ。曹操軍との隙間、袁紹軍との隙間、袁術軍との隙間。

前方に配置された孫策軍は、曹操、袁紹、袁術のラインが断たれると孤立する。だからこそ、後方にいる袁紹と袁術にはなるべく前に出てきて欲しいのだが……。

「期待するだけ無駄だが、こちらとしては孤立して戦うのは最悪だ。そういう意味でも、冥琳には右後方で備えていてもらうぞ」

右後方は孫策軍が接する全ての軍の動きを掴むことが出来る、急所である。

「ふふっ、蓮華様におまかせして、私は高みの見物のつもりでしたが……隠居にはまだ早そうですな」

「ふっ、祭がまだ現役なのに、お前が隠居できるわけ無いだろう」

「ですな。しかし、連携という点では、曹操軍が羨ましい。後ろの馬超も公孫賛も袁術よりは有能で誠実、そしてやる気がある」

「贅沢は言ってられんさ」

(あの男の軍は最後方だったな……この戦いで一緒に戦うことはないか……)

蓮華は少し前に握手を交わした男の顔を思いだした。

(……なんで私は残念な気持ちになっているんだ)

形容しがたい気分を抱えつつ、蓮華は各将に指示を飛ばす。

「董の旗を打ち倒し、孫呉の旗を中原に掲げよ! 全軍前進っ!」

大陸北方の雄、董卓の軍。そして南方の雄、孫呉の軍。

その二つの軍の衝突の時が、目前に迫っていた。

 

 

 

――中央、袁紹軍、反董卓連合軍、本陣――

 

「董卓軍、約四万が我が軍前方に展開中とのことですっ!」

「敵の多くは精鋭の涼州騎兵隊と思われます!!」

 細作からの報告を受けて、袁紹軍本陣も慌ただしく動き始めていた。

「まったく、鉄壁の虎牢関を出て戦おうなんて、兵法を知らないにもほどがありますわっ!」

「やりやすくなっていーじゃないですか、姫」

馬車の上で昼寝をしていたところをたたき起こされて、不満そうな袁紹を、文醜がおさえた。

「そうですよ。攻城戦と違って、野戦ならすぐ決着がつきますし、もしかしたら今日中に董卓軍を洛陽から追い出せるかもしれませんっ」

顔良も一緒になって主の機嫌をとる。

「ふんっ、わずか四万でなにができると思っているのかしら。こんな砂煙がたつような場所で、わたくしの優雅な軍が戦うことはありませんわ。孫策さんと曹操さんの軍で十分でしょう。わたくしたちは雄雄しく、真っ直ぐに進軍するだけですわ!」

「はっ、はいっ!! あの……陣形とかは」

「適当で良いでしょう、丸でも四角でも。斗詩さんがやってくださいな」

「そ、そんな〜〜」

黒髪の少女は泣きそうな顔になった。

「斗詩ぃ、どうせ敵は自棄おこして最後の攻撃に出てるだけだって! このままでいいじゃん。いざとなったらあたいが暴れて蹴散らしてやるよ」

文醜は相棒を慰めた。

「それでー、麗羽様ぁ、敵ぶったおしたら、洛陽まで行くんですよね?」

「ええ。董卓さんが占拠した都なんて別に興味ありませんけど、この名門のあたくしが、直々に、袁家の色に染めなおしてさしあげますわ〜〜!!」

おーほっほっほ!! といつもの高笑い。

「そうですよね。戦功をたてなくても、都を立て直せば連合を呼びかけた袁紹様の顔も立つし……」

「はい? 何を言ってますの斗詩さん。呼びかけなんて面倒臭いこと、わたくしがやるわけないでしょう」

「……え? じゃ、じゃあ、だれが決起を主導したんですか?」

「さぁ? あのクルクル頭の性悪小娘じゃありませんの?」

「クルクル……あ、曹操さんですかー……あれ? でも、私、東群太守の喬瑁とかいう人が曹操さんを参加させたとか聞きましたけど?」

「誰ですのそれ?」

「?」

3人は互いに互いの顔を見合って、首を傾げた。

そんな奇妙に弛緩した雰囲気のまま、袁紹軍は、戦いに突入したのだった。

 

 

 ――中央・左翼、袁術軍、本陣――

 

「七乃ぉ、ハチミツはまだなのじゃー?」

「お嬢様ぁ〜、さっき食べたばっかりですよぉー」

「……そうじゃったかのぉ」

のほほん、とした空気を漂わせて、袁術軍はいつも通り。

「どーせ、孫策が妾のかわりに働いて、妾の分の功績を稼いでくれるのじゃ」

「美羽様のグータラは世界いちぃ〜!」

「戦場で働いたら負けじゃと思うとる」

「それじゃあ、戦いが始まったら、後ろで見てましょうかぁ」

「それが良いっ」

この戦いにおける袁術軍の動きは以上で終わりである。

 

 

 ――中央・右翼、公孫賛軍、本陣――

 

「ご主人様、劉備軍の偽装、完了しましたっ!」

「劉備軍の半数が動かせます。白蓮さんにお借りした兵を含めて、5千が全兵力ですっ」

朱里と雛里の軍師コンビが報告する

「5千かぁ、これは多いのかなぁ、白蓮ちゃん?」

「なんで私に聞くんだ桃香……これ以上は無理だからな?」

「曹操さんの軍も、孫策さんの軍も、すっごく多くて強そうなの。なんだか私、足引っ張りそうで……」

「水関で十分活躍したんだ。この戦いは援護だけで構わないと思うぞ? なぁ、北郷?」

「……」

「北郷?」

「え?」

俺は呼ばれて、白蓮の訝しげな顔を見た。

「な、なにか言った、白蓮?」

「どうしたんだよ、北郷、ぼーっとして」

「なにか考え事? ご主人様?」

桃香も心配そうな表情で、じっとこっちを見る。

俺は首を横に振り、

「いや、なんでもないよ……そろそろ戦闘が始まりそうだし、しゃんとしないとな」

「ふふっ、主のことだ。いつもと様子の違う女たちを前に、よからぬことでも考えていたのでしょう」

星が笑う。

たしかに、俺の周りには、普段と恰好の異なる仲間たちがそろっていた。

桃香、愛紗、鈴々、朱里、雛里、それぞれが変装ということで、見慣れない服に着替えていた。

いつもの服が似合っていることは言うまでもないが、変装した姿もまた、愛らしいものだった。

「不思議な感じだけど、これはこれで動きやすいのだ」

「たしかに。これなら戦いにも適している」

「それに、3人一緒で、なんだか楽しいしね」

おおむねそれは好評だった。

しかし。

「……道着なんて、一体どこから出てきたんだ?」

明らかにそれは剣道用の道着だった。

白の道衣に紺の袴。ご丁寧にさらしを巻いて、どこからみても剣道少女のそれだった。

清々しい見た目なのに、少しだけ露出した首回りとか、足首が、強く女をあらわしている気がするのはなぜだろう。なぜだろう。

「で、こっちは……」

「み、水着みたいです……」

「お、おかしくないかな……?」

軍師二人は道着ではなく、体操服だった。

小柄な体形によく似合ってはいるのだが……。

上はまだいい。

「ブルマ…………?」

下がおかしい。いや、悪いのではない。ただ、この状況にあってないだけで。

「最近流行っている服だとか」

「すげぇな三国時代」

魅惑の三角形を前に、生唾を飲み込んだ。

じろじろと見られた少女達が、一様にもじもじと恥ずかしそうに身じろぎした。

「ご主人様ッ、そ、そんなに見つめられたら、こ、困りますっ。それと星もっ!」

愛紗が胸元を隠した。さらしを巻かれてなお主張する隆起がまぶしい。

「むぅ……」

俺は咎められてなお目を離せずにいた。

「我々も着替えますかな、白蓮殿?」

「…………遠慮しとく」

星と白蓮は必要がないのでいつも通りである。

「こほんっ、えーっと、そろそろ敵と接触すると思われますので、作戦をですね」

朱里が、赤い頬のまま、なんとかまじめな顔を作る。

「……敵は四万か。曹操と孫策が壁となっているから、守勢にまわることはないと思うが」

愛紗が応じる。道着効果で凛々しさ2割増し。

「虎牢関という要塞を背にして、野戦を挑むからには、何かの策がある可能性が高いです」

「策か……崖の上に伏兵か、地形を利用した罠か」

「落石とかなら簡単にできそうだもんね」

うんうん、と桃香が頷く。

「曹操さんも孫策さんもそれは気付いていると思います。易々と計をうけることはないでしょうが……」

「この先の道が、細くなったり、曲がりくねっていたりすることはないの?」

「確かに隘路であれば、寡兵で戦うことができますが、虎牢関へ続く道は広く、平坦な道ばかりです」

「うーん」

「袁紹を狙って、一直線に攻撃してくる、というのはどうだ?」

「愛紗、それはイノシシなのだ」

「う……鈴々にイノシシといわれるとは……」

愛紗は苦い顔をした。

「一点突破で総大将を狙うことはあり得るでしょう」

「連合軍の陣形をみると、曹操軍と孫策軍が並んでいて、その後ろに袁紹軍が配置されているので、曹操、孫策軍の隙間に突撃すれば、道が開けます」

「ということは、そこを補強すれば、隙は無くなるな」

「なら、私たちが待ち構えようか」

「しかし、そうすると董卓軍の精鋭を真正面から受け止めることになりますが」

「うーん、じゃあじゃあ、袁紹さん達の軍に紛れ込んで戦うっていうのは? 最初は袁紹さんに戦ってもらって、勢いが衰えたところに私達が横から攻撃するの」

「そうですね。それなら戦えるそうですっ!」

朱里と雛里、二人が合意した。

「また私たちが一番になったりして」

「孫策達も、敵が攻めかかってきたときに敵将を討ち取ることまで批難したりはしないだろ」

「だよね。じゃあ、今回も、劉備軍が一番っ、活躍してみようか!」

桃香が手を上げると、

「おおおおおおっーーーー!!!」

と、喊声があがった。

「…………目立ったら、後ろで備えているはずの軍がなんで前にいるんだって、怒られますけどね……」

朱里が、ぽそっ、とツッコミをいれたが、誰も聞いてはいなかった。

 

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 ――連合軍、前衛――

 

「そろそろ董卓軍が見えるか……」

愛馬に跨り、魏の猛将は前方を睨む。

「姉者、先走るなよ。呂布と戦うなら私の弓が届く範囲で、だ」

「わ、わかってるさ」

「――っ! 見えた、董卓軍だ!!」

夏侯淵の目が、敵を捉えた。

数こそ多くないが、その威容は、遠目からでもはっきりとわかる。

「……斥候の報告では、もう少し近くで陣を張っていると聞いたが、さすがに、虎牢関よりの距離に戻したようだな。冷静な軍師がいるのだろう」

「無駄なことだ! 軍師ならこっちには3人もいるんだからな! ……ちょっと変なのが多いが」

そんなことを言っている間に、董卓軍が連合軍に気付いたか、小さく動きはじめ、やがて大きなうねりとなって、連合軍へと突進を開始した。

「準備は万端だ。いつでもいけるぞ、姉者」

「よし。いっていいか?」

「ふむ。孫策軍と足並みを揃えた方が効果的だが……速さに定評のある孫策のことだ、ついてくるだろう。行こう、姉者っ!!」

「応っ!! 行くぞっ! 夏侯惇隊、突撃っ!!」

「夏侯淵隊っ! 続いて突撃だ!!!」

連合軍の先陣を切って、曹操軍が突撃を開始した。

 

「董卓軍の前進に合わせ、曹操軍が突撃、旗は夏侯ですっ!」

「夏侯惇か夏侯淵か、あるいは両方か、どっちにしても、私たちも行くわよ!」

「っ――策殿一人を突っ走らせるな! 儂らもいくぞ、続けい!!」

孫策軍先鋒、孫策、黄蓋も突撃を開始。

 

「崖上に動きなし。敵の工作隊の動きは封じました。これで落石はないっ!」

曹操軍前衛の軍師、郭嘉が敵軍を睨む。

「あとは、春蘭さまたちと、敵の将との優劣だけ。これなら――?」

 

「うおおおおおおおおおっ!!!」

「さすが姉者、これなら我が軍が一番槍で――?」

 

最初は、郭嘉の小さな違和感。

そして次は、目のよい夏侯淵の違和感。

 

「この場所、たしか斥候が報じた、敵の元本陣の位置――!?」

「敵の騎兵っ、なぜ槍ではなく弓を持っている! 姉者! 様子がおかしいっ!! これは――!!」

 

 

 ドオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ!!!!

 

 

 巨大な音が、戦場に響き渡った。

 その瞬間、多くの将兵の時が止まった。

 大多数は、その息の根を止められたことによって。

 生き残った少数は、目の前で起きた事態に、息を呑んで。

 

「お、落とし穴、だと……っ!」

そう。それは単純な陥穽の計だった。

からくりは、工作を見破られぬよう陣幕を張り、隠れて掘削したこと。

そしてもう一つ。

「――っ!? この臭い! まずいっ!!」

夏侯淵が惨状の渦中で姉の姿を探しているとき、それに気付いた。

「全軍退け!! 穴に近付くなっ!! 油だ!!」

夏侯淵が必死に叫んでいる間に、董卓軍の弓騎兵が火矢を放ち始めた。

「っ!!」

火柱が数え切れないほど立ちあがり、驚愕の中で言葉を失っていた兵達が悲鳴を上げる。

猛兵で知られる曹操軍もたじろぐ煉獄が、現出しつつあった。

「姉者あああっ!!」

炎に眼前をふさがれ、見失った姉の姿を、夏侯淵は慌てて探し始める。

「……、秋蘭っ!」

意外と早く、夏侯惇から応答があった。

馬を失いつつも、見た目は何の怪我もなく、しかし、眉根に皺を寄せて、険しい表情で秋蘭のところへ戻ってきた。

「落ちる寸前に跳躍して、なんとか脱出したっ……、見たところ、穴の幅と深さはそれほどでもない」

ゲホっ、と煙にむせる。

「兵をまとめて一旦退くか……」

「……くっ!」

火焔と煙の向こうから飛んでくる矢を剣で弾く。

「敵もこっちの様子は見えてはいない。矢で闇雲に攻撃しているだけだ。敵の狙いは私たちの足止めか……」

「…………姉者」

しゃがみこみ、大地に手を付けて、夏侯淵が口を開く。

「騎兵が動いている。大軍だ。ここから南の方向」

「南というと、我が軍の左翼……!?」

「敵は、中央突破を狙っているようだ。この分だと孫策軍も同じ罠をくらっているだろう。その混乱を利用して――」

「袁紹軍を狙うということか……! ちぃっ!」

「炎と陥穽で人為的に隘路を作った上で突撃とは、やってくれる!」

「春蘭さま! 秋蘭さま!」

混乱を聞きつけて、郭嘉と許緒、典韋が到着した。

「お2人とも、ご無事ですかっ!!」

「おお! 来てくれたか! 兵に被害は出たが、こちらは無傷だ!」

「だが、敵の動きが早い。我らが躊躇していると、手後れになるぞ」

「はい。後方へ逃れた散兵を、ある程度まとめました。数千から動かせます」

郭嘉が報告する。

「ですが、損害を統制するためには、この場に残り、指揮する将が必要かと」

「ふむ。流琉は華琳さまの護衛にまわるから、季衣に頼むか」

「は、はいっ! 頑張りますっ!」

季衣が何度も頷く。

「稟は季衣を補佐してくれ」

「はっ!!」

「私たちは残りの兵を糾合しつつ、連合軍の陣に突入して来た敵軍の側面を突く!」

「――どうか、お気を付けてっ!」

「応っ!!」

春蘭は季衣が連れてきた予備の馬に乗り、秋蘭と共に駆け出す。

 

 

「祭と姉様の安否は!?」

孫策軍の本陣で、孫権が叫ぶ。

「黄蓋様は健在ですっ!! すでに兵と共に後退中っ! 孫策さまは、無事は確認されていますが、現在行方が……」

「…………姉様」

拳を握り、唇を噛むが、しかしすぐに持ち直して、

「敵は中央に集中している!! 軍を右に振り向けるぞ! 周泰を右翼へ、陸遜と共に敵の喉頸を締め上げよ! 黄蓋と呂蒙は持ち場を離れず、炎の向こうの敵を警戒しろ!」

自ら馬上で指揮しつつ、頭では戦場の全体図を俯瞰し、敵の動きを計算する。

「周瑜と甘寧は敵の先頭を捉え、両断しろ! 敵の勢いを分散、弱化せしめよ!」

(このままでは、敵と炎に阻まれ、孤立する。敵は袁紹を狙い、我が軍を標的にはしないだろうが……)

「孫策様の捜索は如何致しましょう?」

「……姉様の無事が判明しているなら、それでよい。姉様は姉様の考えで行動している。……案ずるに及ばない」

心中の不安を、自らの言葉で打ち消す。

「本陣も動かすぞ! こちらを嵌めてくれた敵将の首、必ずやあげるのだ!!」

叫声と怒声が混じる戦場、孫権が動き始めた。

 

 

「敵軍は孫策軍と曹操軍を突破っ、袁紹軍に迫りつつあります!」

「なんと……予想を遙かに超える速さだな」

報告を受けて、臨戦態勢を取っていた愛紗が驚き、孔明の顔を見た。

「ありがたいというべきか、先鋒の二つの軍に比べ袁紹軍の速度が遅かったため、袁紹軍と敵がぶつかるまでまだ時間がありますから、十分迎撃の用意ができそうです」

「それじゃあ、作戦通り袁紹軍に紛れて敵を討とう。あらかじめ言っておいたけど、呂布とは1人で戦わないようにね」

「はっ!」

俺の言葉に全武将が応じ、劉備軍も行動を開始した。

「敵の先頭は誰が率いているんだろ」

「斥候の1人は、張の旗を視認したとの事ですが……もう少し報告があがってこなければ、不確実かと」

「そうか……いや、多分張遼だと思うよ」

これだけの速攻は張遼以外だと難しいだろう。

劉備軍は公孫賛軍から離れ、連合軍の中央に陣取る袁紹軍の内側へ入る。

兵と兵がぶつかる轟音が近い。

「もう袁紹軍が接敵してるのかっ!」

「まずいよ、袁紹さん絶対準備してないもん。早く行かないと大混乱に――」

「きゅ、急報! 急報ですっ!」

桃香が焦っている最中、伝令が飛んできた。

「どうした!」

「突入してきた敵の後方部隊が暴れ回り、現在、孫策軍、曹操軍ともに大打撃をうけておりますっ!」

「敵の後方部隊だと!? 率いているのは誰だ!?」

「旗印は、深紅の呂旗です!」

「――っ、来たか!」

愛紗がこちらを振り返る。俺は頷いて、肯定した。

「呂布……ご主人様、どう対処すれば……」

「まずは張遼を追い払わなきゃならないけど、呂布が張遼と合流したら手が付けられない。こっちもどうにかしないと」

「曹操軍や孫策軍に任せるわけには……?」

雛里が、ちら、と俺を見る。

呂布のすさまじさを、今は劉備軍の誰も知らない。

曹操軍と孫策軍が壊滅することは無くても、呂布を抑えきれない可能性はある。

「軍を二つに分ける。対張遼と対呂布。兵数が少なくなるから、慎重に、功を焦らないように。他軍の補助にまわろう」

「ぎょ、御意です! では、張遼には愛紗さん、呂布には鈴々ちゃんを」

「桃香と朱里は愛紗と一緒に。俺と雛里は鈴々と行こう」

「ご主人様も行くの!?」

桃香が心配そうに目を見開く。

「ああ。大丈夫。直接戦うわけじゃないよ」

憂色の濃い視線を受けつつ、俺は鈴々、雛里を連れて、転進した。

(呂布に俺の知っている誰かが討たれるのも恐いけど、呂布が――恋が、誰かを殺すのも、恐いんだ。もう、兵士はたくさん死んでいるだろうけど、一刻も早く止めて、殺さずに済むようにしなきゃ――)

焦燥を胸に、おそらく、この戦場の中で一番熱い場所へと、疾駆する。

 

「ご主人様、大丈夫かな……?」

「鈴々もいますし、ご本人が慎重に、と言っているのですから、無謀なことはしないでしょう」

愛紗は桃香を安心させるように声を掛けるが、自分自身も、油断すると怖気で声を震わせてしまう気がして、言葉を句切りながら、ゆっくりと言わなければならなかった。

「なんだか……ご主人様、帰ってきてから、変わった気がするの……」

「それは、私も感じます」

愛紗も、朱里も同意した。

「声も顔も性格も変わったところなんて無いのに……、目を離したら、どこかに行っちゃいそうで……」

「桃香さま……」

しん……と、戦場に似付かわしくない、悄然とした雰囲気が満ちた。

それに気付いた桃香が、慌てて明るい声で、

「ごめん。戦う前なのに、変なこと言って。大丈夫だよね」

「はっ。私が張遼を討ち取って、攻守を逆転させて見せます! その後、ただちにご主人様と合流しましょう」

愛紗も先程とは違う、しっかりした口調で答え、青龍偃月刀を、ぶん、と振った。

「騒ぎの大きさから、張遼本隊はこの袁紹軍の一群を超えたあたりです!」

「よしっ、桃香さまと朱里はここで待っていてください。千でまず一当てしてまいります!!」

言い終わるとほぼ同時に、関羽は兵を率いて進軍した。

息をひそめるように、そろりそろりと歩を進め、袁紹軍の兵士達の合間を縫って、ついに、張遼旗下の董卓軍を視界に捉える。

高々と掲揚された張の旗。

その周囲で戦う兵は袁紹の軍兵を次々と撃ち破っていく。

進撃の勢いは陣風となり、その周囲で嵐を巻き起こし、血の雨を降らす。

(速さだけではない、張遼という将、強いぞこれは……)

ぞくっ、と震えが関羽の身体に走った。

今度は恐怖ではない。

武者震いだ。

ぎゅっ、と青龍偃月刀を握り直し、小声で兵士達に指示を飛ばす。

散開した兵士が張遼本人の居場所を掴むと、合図を出し、関羽はそちらへと回り込む。

「私は張遼の足を止める、お前達は弓で張遼の兵を留めろ」

「はっ!」

隊の先頭で、関羽の武器と似た、飛龍偃月刀を操る将、それが張遼だった。

兵を使うだけでなく、自分も武器を振るい、敵を倒している。

「好敵手に巡り会えたようだなっ……!」

愛紗はどこか喜び勇んで、張遼の前に姿を現した。

「ん、なんや……!」

混乱し尽くした戦地、その真っ只中で泰然と立つ関羽の姿を見て、張遼は一瞬、歩みを止める。

しかし、速攻で鳴らしている手前、すぐに飛龍偃月刀を構え、関羽の頭頂にそれを振り下ろし――

 ガギンッ!!

弾かれた。

「んなっ!!」

しかもその力で、張遼は数歩、後退を余儀なくされた。

「張遼だな」

「ウチの名前を知っとるか……で、そっちはなにもんや」

「我が名は関ぅっ、あー……えーっと、かん、関、関平だ!」

愛紗は咄嗟に思いついた名前を答えた。

「かんぺー? その黒髪……それに、なーんか、その武器に覚えがあるんやけど、名前が違うてるな。字もおしえてもらえるか?」

「字は、長生だ」

「長生……」

字は関羽が以前使っていたものだ。知っている人間はそれほど多くない。愛紗とよほど親しく、愛紗の過去を知っていなければわかるはずが――

「って、それ関羽やないかいっ!!!」

「な、なにい!!? なぜわかった!?」

残念。張遼は関羽マニアなのであった。

「なんで偽名を名のったかようわからんが、歯応えがありそうなやつが出てきて安心したわ……しかも憧れの関羽。ふふっ」

張遼は唇の端をつりあげて、笑った。

「けど、悪いけどここはすぐ終わらせてもらわんと、袁紹の首が取れん。一気にいかせてもらうで!!」

再度武器を振りかぶり、落とす!

関羽は青龍偃月刀の柄でそれをいなし、逆袈裟に切り上げる。

張遼は手首を捻り、刀身でそれを受けるが、またもや数歩後退した。

「っ、つぅ! こっちの一撃には眉一つ動かさんと返しよる……」

悔しそうに歯噛みして、三度突っかかる。

今度は頭ではなく体目掛けて斜めに斬り下ろすが、関羽は半身をずらして軽く避ける。

「もういっちょっ!」

関羽に反撃の隙を与えぬよう、余力を残していたのか、すぐさま、二撃目にうつる。

さすがに避けきれず、青龍偃月刀で受け、張遼の腕を蹴り上げる。

「くっ!」

予想外の攻撃に張遼はひるむが、退きはせず、跳ね上げられた腕を戻す勢いで、斬りかかる。

力ではかなわぬとみたのか、一撃、二撃、三撃と、速度をあげて手数で勝負し始めた。

「くっ!? やるな!」

反撃の隙が見あたらず、関羽は防御のみに注力した。弾き、いなし、かわし、受ける。

音速の斬撃を防ぐ数2桁に及び、刹那の息切れを狙い、関羽は反撃する。

「うおおおおおっ!!」

ズガッッッ……!!!

豪撃に張遼の体が吹っ飛ぶ。

「くっ……そぉ、こっちの攻撃には動じんのに、そっちはでたらめや」

「張遼将軍!!」

「なんや!!」

董卓軍の兵集団から、声がかけられた。

「孫策軍の旗が後方に迫りつつありますっ!!」

「ちっ! 退き際……なら、これが最後っ!」

くずおれかけた膝にぐっと力を入れ、地面を蹴り飛ばし、その速度を、武器を持つ腕に伝える。一足一刀の距離、敵の懐にまで、目にも留まらぬぐらいの速力で入る。

「っ!!?」

その神速に、関羽は、正面から敵が迫っているのに虚を突かれた気さえした。急いで青龍偃月刀を斜めに構え、防御の姿勢をとる。

 ガギィィイイイイン!!!

重い音を響かせて、二つの偃月刀が交差した。

力と力がぶつかりあった衝突音のあと、大きく、関羽が後ずさった。この一騎打ちにおいて、関羽の初めての後退だった。

「くっ、うう……!」

「へへ、ウチも結構いけるみたいやな……でも、今回はここまでや、関羽!」

踵を返し、馬に飛び乗って、前進と同じ速さで後退を始める。

愛紗は追うことを考える頭に体がついていける余裕がなく、それを見送ってしまった。

すっかり遠くなってしまった張遼を追うのを諦め、乱れた道着の襟を正す。

倒され殺され乱れきった軍勢の向こうの空に、孫策軍の「周」「甘」二旗が翻っていた。

 

 

関羽対張遼が一応の決着を見た頃より少し前、俺たちは呂布の軍勢を遠巻きに見ていた。

呂布を囲っているのは、孫策軍の陸遜、周泰、曹操軍の夏侯惇、夏侯淵、そして俺たちだった。

呂布は、退路の確保のため、完全包囲にまわろうとする隊を数度叩き潰しており、俺たちは、呂布を直接攻撃するか、しつこく包囲を試み続けるかの選択を迫られていた。

「決め手に欠けるな。孫策軍は軍師1人に将1人、曹操軍は将2人、こっちは将1人軍師1人俺1人、か」

「やはり合力して戦うしか手はないと思います……」

雛里が魔女っぽい帽子の鍔をいじりながら言う。体操着でもその帽子は外せないんだね……。

「だよね」

「鈴々もあれは1人じゃ抑えるのがいっぱいいっぱいなのだ」

実は一度、血の気の多い夏侯惇が挑んだのだが、数撃打ち合ったところで夏侯淵が割ってはいり、姉を救出していた。正直、あのまま戦っていたら、殺されるまではいかなくとも、重傷を負っていたと思う。

「ですが、連携が出来るかどうか不確実性が大きく、他軍が将兵を動かしてくれないかもしれません」

即席の同盟は、協力して敵に当たるというより、背中を守り合うという意味合いが強い。積極的な互助を誓ったものではないのだ。

「かといって、連絡のために動いたら、呂布に狙われそうだし」

「だんだん包囲が呂布から離れているのだ……皆、怖がっているのだなー」

「手は、何か手は……」

鳳統が、う〜ん、と唸って策を練っているが、俺には一つ策があった。多分、これなら他軍も協力してくれる……はず。

……でも、やりたくねぇなぁ……

「あ、また一隊やられたのだ」

ドカーン、という擬音が聞こえてきそうなぐらいの一薙で、兵士達が空へと飛ばされた。炎を背景に、血しぶきにまみれる深紅の呂旗。凄惨の一言しか出てこない状況だった。

「うむむ……仕様が無いな。鈴々、いざとなったら助けてね」

「え? お兄ちゃん? なにを……?」

戸惑う鈴々を置いて、馬の腹を蹴って襲歩突撃する。

刀はすでに抜刀済み。剣はその表面に赤き火焔を映して、血に濡れたかのようだった。

馬の鉄脚で一気に寄せて、呂布の横へと馳せる。

呂布は振り向くまもなく、目だけでこちらを捉えた。

「呂布っっ!!」

叫びざま、斬りかかる。目標は方天画戟を支える腕!

呂布は軽く体をそらし、斬撃を回避した。斬れたのは皮どころか服の線維だけ。

「――ふっ!!」

兵卒達にそうしたように、呂布は片腕だけで方天画戟を薙ぎ払った。

「っ、この!!」

呂布の膂力に耐えられるよう、拳で刀身を支え、斜めに構えて衝撃から逃れる体勢をつくる。

キィイイイン――!

岩石をぶつけられたような一撃に、視界に火花が散り、頭が真っ白になる。

「く、うぉおおおっ!」

馬上から落ちそうになるが、自ら飛び降りて、着地する。

受けた腕が潰れたかと思った。痛い。痺れるどころじゃない。

「…………弱い」

呂布も一合で俺の力量を見切ったようだった。

「名前だけ…………聞いてあげる」

名前も聞かず斬り捨てた兵卒よりは、マシらしかった。

「北郷、一刀」

名のると、ぴく、と呂布が眉をふるわせた。

「…………華雄を、討ち取った将?」

「ああ。そういうことになっている」

「…………北郷一刀」

呂布が、細い体躯の2倍以上はありそうな重い方天画戟をかつぎ、近付いてくる。

「ここで……死ね」

絶望的な状況だ。

背を向ければ斬られる。かといって、立ち向かうに術がない。

だが、何とか救援が来てくれれば――

そんな一縷の望みが届いたのか、次々と、救いの手がさしのべられた。

「お兄ちゃん!」

張飛の声、

「北郷ッ!!」

夏侯惇の声、

「北郷さんっ!」

周泰の声。

魏呉蜀、三国からの助けは間に合った。

 

「――あれは……北郷っ!?」

「あの馬鹿男っ!」

呂布を包囲していた夏侯惇と夏侯淵は、俺が呂布と対陣しているのを見て取ると、ただちに動き始めた。

夏侯淵は中距離、矢が外れても簡単には味方に当たらない位置に。

夏侯惇は馬を飛ばし、俺の元へ。

さらに、孫策軍も動いた。

最初、俺が無謀にも呂布に1人で挑み掛かっているのを見て、周泰と陸遜は、躊躇した。助けるべきか、否か。

いくら同盟の相手当主でも、こちらが危険にさらされてまで助ける義理があるのか――

「あれは……お、おい、なんで北郷が呂布と戦おうとしているんだっ!!」

2人が逡巡しているところに、孫権がちょうど合流して口を開いた。

「蓮華様っ!!? あ、あの、こちらもよく分からなくて――」

「あいつを見殺しにするわけにはいかないっ! 明命、側方から一撃だけ加えろ! 穏、祭の弓兵を連れてきているから、援護しろっ!」

「ぎょ、御意ですっ!!」

孫権の命令で、2人は急いで助けに向かった。

「北郷ッ!!」

呂布が俺の体を方天画戟で両断しようとするところを、夏侯惇が七星餓狼で受け、抑える。

「お兄ちゃん!」

それでも断ち切ろうとする呂布の圧力を、ほぼ同時に駆けつけた張飛が、丈八蛇矛で押し返しはじめた。

「北郷さんっ!」

呂布は、少し顔をしかめて、斜め後ろに飛びすさった。

明命が数本のクナイを投げ付け、呂布の集中をそらしていた。

さらに、左右の夏侯淵、陸遜たちから弓が射掛けられ、呂布は俺との距離をますます離した。

「…………増えたところで、変わらない」

飛来する矢を、方天画戟の旋風で弾き、再度、俺の方へと走ってくる。

「そこで見てろ馬鹿っ!!」

夏侯惇は俺に拳骨をくれてから、呂布の迎撃に向かった。

「お兄ちゃんは鈴々の数倍馬鹿なのだっ!!」

鈴々もむくれた顔で、呂布迎撃へ。

俺は苦笑して、邪魔にならないよう、後方へさがる。

「大丈夫ですか?」

黒く長い髪をなびかせて、周泰が、ぴょこぴょこと寄ってきた。

「ああ、大丈夫。ありがとう、助けてくれて」

「いえいえ! わたしはなにも! また来るかもしれませんから、わたしの後ろにお下がりください!」

その周泰の言葉通り、呂布は張飛と夏侯惇をあしらい振り払うと、こちらへと矛先を向けた。

「はっ!」

周泰は俺を抱えて、猫のように呂布を中心とする円周をとびまわり、呂布と一定の距離に保ち、攻撃から逃れた。

「…………逃げても無駄」

と、呂布が急停止し、方天画戟を天に掲げ――大地に振り下ろした。

衝撃で地面が揺れ、人の頭ほどの岩が砕けてこっちへ飛んでくる。

「あぅっ!!」

明命1人なら高跳びして回避できただろうが、俺が一緒にいたため、咄嗟に2人で大地に伏せた。岩石が頭上を通過してすぐ立ち上がるが、その時にはもう呂布が、攻撃の圏内に入っていた。

恐怖に顔を青ざめさせながらも、けなげに、明命は俺をかばい、呂布に刃を向ける。

「待てぇえええっ、呂布ううう!!」

呂布の背後、遠間から夏侯惇が叫ぶが、間に合わない。

「――ひぅっ!!?」

渾身の力がこもった一撃をもろに受けて、明命は傷こそ負わなかったものの、武器、魂切を取り落とす。

「明命っ!!」

今度は俺がかばう番、脇に小柄な少女を抱えて、刀を構える。

「来いっ! 呂布ッ」

内心逃げ出したいが、強がって、立ち向かう。

呂布は、リーチの差を生かせる距離から、横薙ぎに一閃――!

「うおおおおおおおおっ!!」

刀に体重をのせ、柄頭でパリングし、脇へまわり一足、踏み込んで二足、三足と同時に片手で突きをくりだす。

狙うは喉元――――否、咄嗟に踏みとどまり、肩へ!

ガンッ!

切っ先は呂布の方天画戟の柄を叩くにとどまった。

「っ!?」

思いがけない突きの鋭さに、呂布は一旦退いて体勢を整えた。

俺は、軋み悲鳴を上げる自分の骨に、どうにか活を入れて、正眼に構える。だが、もはや、立っているのも限界で、膝が笑い始めていた。

次の一撃を食らえば、もう、後はない。

本能でそう悟った。

「北郷っ! 無茶するなっっ!」

風切り音とともに、夏侯淵の矢が呂布の足元と、頭を同時に打ち貫かんと飛翔してきた。

呂布は急所である頭を狙った一矢を弾き落とすが、足への矢は対処できず、掠めさせた。

「くっ……」

思えばこれがこの戦い通して初めて与えた、呂布への有効打だったのかもしれない。

さらに――

「だぁああああああ!!」

全速力で夏侯惇が戻ってきて、ノンストップで呂布に豪撃を加える。

「…………っ!」

呂布が眉をしかめた。これもまたどこかに掠ったのか、少量の血が舞った。

さらに張飛も戻ってきて俺の護衛にまわった。

最悪の状況を脱した……いや、もしかしたら、逆転かもしれない。

呂布はまともな一撃こそくらっていないが、かつての勢いはない。逆にこちらは、この場にいる全ての人間が協力し、呂布にあたっている。

そして、神の計らいか、その瞬間、天に向かって鏑矢が放たれた。

皆の動きが止まり、鏑矢が奏でる大音の方向を見た。何の合図かと思った次の瞬間には、呂布が反転し、虎牢関の方へと駆け出していた。

「ま、待てっ、逃げるか! 呂布!!」

夏侯惇が慌ててその背中を追った。

「あ、姉者!! 駄目だっ!」

夏侯淵が呼び止めるが、間に合わず、夏侯惇は追撃に行ってしまった。

「鈴々、俺たちも追おうっ! 1人じゃ危険だ!」

「了解なのだ!!」

馬に飛び乗り、呂布を――というより、夏侯惇を止めに行く。

馬をしばらく走らせると、董卓軍が掘った落とし穴のある場所まで到達した。すでに炎は半ば消えつつあるが、まだ壁として機能しているようだった。

呂布は穴の近くにいる連合軍の兵を、蹴飛ばし蹴散らし蹴り落とし、一掃した。

そして、夏侯惇が追いつく前に、炎と炎の間をぬって、壁の向こうへと姿を消した。

「く、くぅううっ! 呂布を取り逃したか!」

炎の壁の前で急停止し、夏侯惇は歯ぎしりした。

それを見て、ともかく呂布相手に俺を含め生き残れたことに、胸を撫で下ろす。

――と、視界の隅、炎の壁が揺らぎ、その向こうに、何かの煌めきが見えた。

こちらに向かって、殺意をあらわにするそれは――

 

……弓、矢……?

 

理解と共に、体が動いた。

嫌な汗を感じながら、転びそうになるぐらい、ただただ前へ!

「春蘭ーーーー!!!!」

彼女の体に飛びつき抱き寄せ、その射線上から逃れ――!

「うぁああああっ!!?」

春蘭の悲痛な叫びが響いた。

「姉者っ!!?」

その声に、夏侯淵が目を見開いた。春蘭が馬上から転げ落ちるところを、俺がなんとか抱え下ろしているところに、秋蘭が一目散に走り寄る。

「秋蘭っ! 春蘭がっ……!!」

「姉者! どこをやられた!! 眼か!!」

春蘭は左目のあたりを押さえて、切れ切れに、言葉を発した。

「だ、だい、じょうぶだ、眼じゃなくて、左のこめかみあたりをえぐられただけだ」

「そうか……良かった」

心底安堵した顔で、夏侯淵は俺と一緒に姉を抱え支え起こす。炎の向こうにまだ敵がいる。急いでこの場を離れなければ。

「心配かけてすまない……秋蘭、あと、その……北郷も」

「いや、大事が無くて良かったよ」

「私からも礼を言わせてくれ、北郷。あのままだったら、姉者は左目を失っていただろう。お前のおかげだ」

頭を下げる秋蘭に、俺は首を横に振った。

「俺の方こそ、呂布と戦ってるとき助けられたんだ。それでおあいこだよ。さ、念のため治療が必要だろ」

「ああ……我が軍の陣所に運ばなければ」

「もう敵も撤退しはじめている。追撃せずに、曹操軍の所へ移動しよう。俺たちも一緒に行く」

「ん……重ね重ねすまない」

清潔な布で傷口を押さえ、包帯を巻き、春蘭を運ぶ。周囲を鈴々が警戒し、周泰もそれに参加してくれた。

雛里と合流すると、退却する敵が通らない安全な経路で、曹操軍を目指した。

俺たちは、連合軍は、勝ったんだろうか……?

激しい戦いを生き抜いたものの、どこか苦い思いを噛み締める俺を尻目に、虎牢関へと続く大通りを舞台とする会戦は、終結した。

 

 

-3ページ-

 

 

――結論から言うと、この戦いにおいて、連合軍は大勝利を収めた。

 

確かに、落とし穴や、張遼、呂布の攻撃により、連合軍は混乱したが、兵数でいえば全体の一部あたりが削られただけなのだ。

主要な将も健在で、継戦に問題は無し。

それに対して董卓軍は、曹操軍と孫策軍の挟撃で、突撃した軍の数割を失った。

撤退時も、落穴の向こう側へ回り込んで退路に潜んでいた、孫策軍の黄蓋、曹操軍の楽進・李典・于禁、馬超軍によって打撃を受け、さらに兵を喪失。

そして最悪なことに、開戦初期から行方がわからなくなっていた孫策が、後方で待機していた董卓軍の輸送部隊、輜重隊を捕捉、攻撃したうえ、燃やし尽くしたので、董卓軍は一気に虎牢関まで退かなければならなくなった。

結果、董卓軍の目標である足止め持久戦は叶わず、洛陽の最終防衛拠点である虎牢関のみを頼りとする戦いとなった。

連合軍は虎牢関近くまで進軍し、そこで日没、戦いは次の日へと持ち越された。

 

 

 

――同日、夜、劉備軍本営――

 

呂布と一騎打ちをするという愚行を、桃香に愛紗に鈴々に朱里に雛里に白蓮に責められ、俺は幕舎の外へ逃げ出した。

熱い戦場と戦場の合間を象徴するかのようなぬるい風が、頬を撫でた。

顔を上げれば星が瞬き、下げれば、ひとまずの勝利に酔う劉備軍の姿がある。

喧噪から離れて、ふらりふらりと、風の向くまま散策する。

しばらくして、

「――あなたも、」

不意に声をかけられた。

声を旋律にのせて奏でるような言葉の出所を追うと、冴え冴えとした月の光を受けて、金色の髪をきらきらと輝かせる、少女の姿があった。

「詩作かしら?」

「か……曹操」

思わず真名を呼びそうになった。

「詩作なんて柄じゃないよ。逃避、かな?」

「あら。勝利の宴から逃げるなんて、なんの罪を犯したのかしら」

クス、と小さく笑い、くるり、と華琳はまわり、ステップを踏む。

「お酒でも飲んだ?」

「ええ。酒に対してはまさに歌うべし、ね」

対酒当歌。後世に伝わる曹操の詩、「短歌行」の一節だ。

華琳は自身の詩に、即興で曲を作ってのせ、歌いながら優雅に舞った。

その姿を見つめていると、少しだけ、感傷的になった。

「俺たちは――勝ったんだよな」

「……」

俺の真意をはかっているのか、少し、沈黙して、

「小さな、小さな勝利よ。それこそ、一杯の酒の理由になる程度の。この先も戦いは続くでしょう。董卓がいるから乱世になったのでも、董卓を操る誰かがいたから乱世になったわけでもない。黄巾党のせいでも、五胡のせいでもない。乱世の根は深いわ。それを癒すには、きっと、たくさんの荒療治が必要でしょうね」

「……この戦いに勝てば、少しは、良くなるのかな?」

「あなたは、どう思うの?」

華琳の、夜明け前の空のような、深い蒼の瞳が、俺を見る。

酔ってはいても覇王は覇王で、その瞳の前に、俺は全てを見透かされているような気がした。

「今より、もっと、悪くなる気がするんだ」

史実においては、董卓が都を焼き払い、行き場を失った連合軍は瓦解、群雄がそれぞれの思惑をもって争いあう世界が出現した。

多くの民が殺され、多くの兵が殺され、多くの将が殺され、多くの英雄が殺された。

それは、地獄みたいな現実で、終わらない戦いの果てに、結局、どの国も残らなかった。

三国時代の終わりは、魏呉蜀全ての滅亡で幕を閉じるのだ。

劉備も曹操も孫権も、自分の国の滅亡を看取ることは無かったけれども……

「乱世はいっそう混沌として、みんなが、苦しむ気がするんだ」

俺の深刻な表情を前に、華琳は、少し考えて、

「混沌……か。たしか、それは、顔のない神の名だったわね」

突然、ファンタジーな事を言った。

「え?」

「神話よ。目も鼻も口も耳も無い、無貌の神だとか…………ふふ、それに私たちはもてあそばれるというわけね」

華琳はどこか愉しげな調子で説明し、さらに言葉を継いだ。

「そんなわけのわからないものに呑みこまれてしまうことを恐れるより……それにどう立ち向かい、抗い、制するかを考えた方が楽しいわよ」

「曹操にとって、この乱世は、楽しいものなのか?」

「ええ。私1人ではどうにもならないぐらいの世界の方が、生きがいがあるじゃない。そして、この乱世を治めることができたら――きっと、なによりも楽しいでしょうね」

「…………そう、か」

たとえそれが、親しきものや愛するものを、失う世の中でも、か?

「あなたが、何を知っている、何者なのかは知らないけど」

月を背に、華琳の蒼い炎を宿した目が、俺を映す。

「あなたの知識よりも、あなたが何者かよりも、あなたがこれから何を為すかが重要なのよ。それぐらい、わかっているんじゃない? ねぇ、北郷軍の北郷一刀」

「…………そうだな」

俺は今、未来の知識を得てこの世界に放り込まれた、それだけの人間ではない。

兵を率い、将を率い、仲間と共に歩む、乱世の当事者なのだ。

「ありがとう、曹操」

俺の言葉に、華琳はきょとんとして、微笑した。

「別に感謝されるようなことを言ったつもりはないわ。見た目通り、変な男ね」

「あー……やっぱり、変だと思ってたんだ」

「ふふ、悪いわけじゃないわ。ただ胡散臭いだけで」

「それって良くないような」

「そうねぇ……またの機会があったら、もう少し胸襟を開いてもらおうかしら。あなたの正体がつかめるぐらいに」

笑みを深めて、曹操は少し俺から距離を取った。

もうそろそろ、就寝の時間なんだろう。顔を逸らして、小さなあくびを手で隠す。

「ああ。そんな時が来ることを願ってるよ。じゃ、今日は、お休み」

「ええ。明日また、戦場で」

挨拶を交わし、別れる。

それぞれの寝所への数歩。

俺は振り返ることはなかった。

が、密かに、華琳は振り返っていた。

声をかけることなく、じっと、北郷一刀の背中を見つめる。

(何を知る何者か……か)

華琳は思う。

少し前、曹操軍の陣中で、春蘭と秋蘭が話していた。

 

「なぁ、姉者」

「ん?」

「北郷が姉者を助けたとき、北郷、私と姉者の真名を呼んでなかったか?」

「…………ああ、そういえば、呼んでいたな」

「気づいていたか。怒らないんだな」

「一応助けられた身だからな。一度くらいは許してやる。次はゆるさんが」

「……姉者。北郷に、真名を教えたことはあるか?」

「あるわけないだろう。そんな簡単に真名を許すか!」

「じゃあ、なぜ北郷は真名を知っていたんだろうな?」

「んん? それは…………ああ、多分、華琳さまが私を呼んでいたのを耳にしたのだろう」

「そうか……」

秋蘭はその後何も言わなかった。

が、その話を何気なく聞いていた華琳と、秋蘭本人は気付いていた。

確かに、華琳が夏侯惇の真名を北郷の目の前で呼んだことはある。

――だが、夏侯淵の真名を北郷の前で呼んだことは、一度もないのだ。

 

(何を為すかが重要なんて言ったけれど……)

もう、遠くなった北郷一刀の姿を眺め、

(あなたが何者か、少しだけ、興味があるわ)

華琳は胸の奥にともった好奇心を自覚して、少し、自嘲した。

(馬鹿ね)

つまらない興味、と断じつつも、華琳はそれを打ち捨てようとは思わなかった。

自分自身の矛盾を、客観的に見て、面白がる気持があったからだ。

けれど、その矛盾した好奇心の成長した姿が、恋心の似姿だとは、華琳自身もすぐにはわからなかったのだった。

 

 

――少し時を遡って、孫策軍本営――

 

孫策軍の本営は、酒を酌み交わしながらの、今日の武勇伝披露会と化していた。

孫策が語る、敵軍の火計をくらってぶち切れて、炎の壁を越え、敵軍の弓兵を蹂躙し追いかけ回したあげく、偶然輜重隊を発見して仕返しとばかりに燃やしてやった話。

黄蓋が語る、孫策を見失い慌てて捜し回り、いつの間にか敵の後方退路を断っていて、逃げる敵をついでに叩き潰した話。

周瑜が語る、袁術と袁紹の逃げっぷりの話。

そして――

「それでですね、天の御使いさん、あ、一刀さんっていうらしいんですけど、一刀さんがたった1人で呂布に挑み掛かったんです。もちろん、とても相手にはならなかったんですけど、強敵を前に全然怯んでいなくて!」

「ほ〜、北郷がねぇ」

「なんと、ただの孺子では無かったか」

「へー、やるじゃない」

「……」

「それでそれで、わたしが呂布の一撃を受けて武器を落とした絶体絶命の時に、明命っ! ってかばってくれたんですっ!!」

「おおー!」

身振り手振りの明命の話に、皆が喝采をあげる。

しかし、1人だけ――見張り役として外に出ている甘寧は最初から除いて――ちょっと不機嫌そうな顔した少女がいた。

「……ちょっと待て、真名をゆるしたのか? あの男に?」

孫権が硬い声で尋ねる。

「え? いえ、ゆるしてはいないのです。多分、咄嗟のことだから真名だって知らずに呼んだんだと思いますです。でも、助けてくれたときの横顔がすごく凛々しくて、ちょっとだけですね、ああ、この方になら真名をゆるしてもいいかな、なんて思ったり……え

へへ」

頬を染めて、明命は、自分の武勇伝そっちのけで一刀の話を続ける。

「……むむむ」

蓮華は、自分が何故それに不機嫌になっているかわからず、余計不機嫌になった。

「あらら……」

それを見て取り、孫策は頬を掻いた。

(蓮華の相手に……なんて思ってたけど、なんだか大人気ね。多分、劉備軍のなかの誰かも、一刀のこと想ってる子がいるだろうし)

 

『っ、くしっ!』

『くしゅん!』

その瞬間、劉備軍のあちこちでクシャミがおこったという。

 

(蓮華の婿、なんて勝手に決めたら大騒動になりそう。争いの火種ね……。ん、でも、これを逆用すれば、一つにまとめられる?――突拍子もないか。あの子を中心に国を……なんて)

天才的な嗅覚で、常人の想像も付かないやりかたで戦い、政治を行う孫策も、さすがに、自身のとんでもない発想に、苦笑した。

(何にしても、まだまだ先の話……ふふ、頑張りなさい。色々と、ね、蓮華……)

一瞬、英雄ではなく姉の顔をして、妹のふくれっ面を眺め、忍び笑い。

孫策軍の夜は、こうして更けていったのだった。

 

 

 

――明けて翌日、董卓軍虎牢関本営――

 

「撤退、やな」

体の何カ所かに包帯を巻いた張遼が、呟く。

「……」

重重しい空気の中、全員が、俯くように頷いた。

賈駆が、寝ていないのか、疲弊した様子で、戦略を示す。

「今日か……もって明日には陥落するわ。いくら虎牢関でも、十万以上の兵におされたらもたない。頃合と見たら退いて良い。何度も確認しているように、長安へ向かうこと。そうね……足の速い霞を先頭に。恋、わるいけど、殿をお願い」

「…………わかった」

こくり、と恋は頷く。昨夜の傷は浅かったようで、霞と比べてどこにも包帯が無い。

「……呂布の殿に文句言わないのね、陳宮」

「呂布どの以外に任せられる将が、もう、いないのです」

「……やっぱり、気づいていたわけね」

「何も言わないから、こっちで推測しただけなのです。今や、私たち以外、まともな将も軍師もいないって」

「……そうか」

「…………ん」

霞も、恋も、特段衝撃を受けた様子もなかった。

「…………本当にどうしようもなくなったら、降伏して良いから」

「な、何を言ってるんや、詠っ!」

声に力の無かった霞が、初めて大声を出した。

「月も、あなたたちまで失いたくないと思っているに違いないわ」

気丈な詠の声が震えた。

涙こそ無いが、もう、限界を示していた。

「今日一日や」

飛龍偃月刀の柄頭で床を叩き、張遼が、拳を握る。

「今日だけ、ここを保てば、月も逃げられるし、ウチらも安心して長安へ行ける。ええか。今日駄目なら、詠の言うとおり、降参も選択肢の一つに入れようやないか」

今度は、誰一人頷かない。

張遼も、別に同意を求めてはいなかった。

「なんにせよ、死に花を咲かそうなんて思わないで。それだけは、本当に、誰も望んでいないんだから」

「ん……」

恋がこくりと頷き、霞を見る。

霞は、内心を見抜かれた気がして、小さく舌打ちした。

今日一日保てるなら――

霞は、玉砕してもいいような、そんな気がしていたのだった。

「わかった、わかった。暴れるだけ暴れて、駄目とわかったらすぐ逃げるわ! そんな単純な戦いや。ふん。というか、戦いなんてみんなそんなもんや! 死ぬなんて阿呆らし!」

霞はそういって、その場を離れた。

恋と音々音もそれに続いた。

「……それでいいわ。月をこれ以上、悲しませたくないもの」

誰に言うでもなく、独白して、詠は虎牢関から去り、洛陽へと向かった。

撤退のために、生き残るために、最後の足掻きへ向かう。

 

賈駆が虎牢関を出てからすぐに、戦闘が起こった。

勝敗は既に決まっていた。

あとは、それが結果として出るのが、いつになるかということだけだった。

連合軍は、野戦では出せなかった攻城兵器をふんだんに使った。

投石機、雲梯、撞車、井闌車――

董卓軍にとって頼もしいはずの城壁城門を揺さぶり、打ち砕き、乗り越える。

もはや、呂布や張遼のような、1人の将が戦況を動かせる状況には無かった。

その日のうち、まだ日の高いうちに、あっさりと虎牢関は陥落した。

孫策軍が最初に虎牢関を突破し功を上げ、曹操軍は守将の1人胡軫を討ち取って功を上げた。

呂布、張遼、陳宮は撤退しつつ、散発的に連合軍を足止めして最後の役目を果たし、長安へと進路を変更した。

孫策軍はいち早く洛陽へ入城せんと進軍。

曹操軍は――

「追撃しろですって!?」

「は、はいっ、洛陽は袁紹たちに任せろ、と」

「あの呂布を追撃なんて、簡単に言ってくれるわね……」

(でも、これを逃して自由にしたら、厄介な将であることも確か……)

「わかったわ。でも、一軍だけで追撃なんて無茶よ」

「華琳さま! 劉備軍と鮑信軍が追撃に加えるよう申し出てきています!」

「劉備と鮑信が? ……ありがたいわ。では、我らは董卓軍の追撃にうつる!!」

事態が大きく動く中、俺は、馬超や公孫賛たちと共に洛陽へとひた走っていた。

虎牢関へ向かっている時、馬超に、虎牢関を突破したら洛陽まで最高速で連れていって欲しいとお願いしていた。

馬超の速度について来られるのは、馬超軍、そして公孫賛と、その軍の一部だけだった。

俺は桃香達には、葉雄――華雄を連れて董卓軍を追い、降伏させられるなら降伏を、と伝えて、別行動を取った。

呂布とのことがあって心配そうだったが、馬超と趙雲が一緒だということで納得してもらった。

「でも、洛陽に何かあるのか?」

俺を一緒の馬に乗せ、洛陽へ向かう道の途中で、馬超が尋ねる。

「……捜し人、かな」

月、董卓たちは、逃げている可能性も高いが、もし洛陽に残っていたら、危険であることは言うまでもない。

董卓を助けて得られるものはなにもないが……。

昨夜の曹操との会話を思い浮かべる。

董卓を倒しても意味はなく、助けても、乱世の何かが変わるわけではない――

でも。

何を為すか、と問われたら。

俺は、あの悪夢の中で死んでいった少女を救う、と答える。

それが、多分俺がこの世界に戻ってきた理由だから。

だから、今絶望の中にいるだろう少女を見捨てるわけにはいかない。

月――!

ついに見えてきた都、洛陽のどこかにいる少女の無事を、強く、祈った。

 

 

虎牢関陥落の少し前、

――洛陽、朝議の間――

 

「月っ! 早く、早く支度して!」

「う、うん!」

月は慌てて、予め揃えていた旅支度に着替え、最小限の荷物を用意した。

「いい!? ギリギリまで待つけど、虎牢関が陥落したらすぐに出るからね!」

「で、でもっ」

「でもは無し! 大丈夫よ、ちゃんと霞たちに指示は出してあるし。洛陽の街に残る人には手を出せないように、私たちが洛陽をでたら、ただちに降伏するように指示を出してあるわ」

「うん……」

本来入ってはいけない所にまで馬を寄せて、洛陽脱出の準備は万全――

「董卓様っ! 虎牢関が陥落いたしました!!」

伝令が凶報を伝え、緊張が高まる。

「月っ!」

「う、うん!」

朝議の間を脱し、前庭へ。護衛の兵士達に囲まれ、脱出経路の最終確認、女子供から逃して、順番を待っている最中――

「なっ!!?」

前庭から見下ろす洛陽の町並み、見納めと思い感傷をもって一望していると、異常事態に気付いた。

「だ、誰が街を焼き払えと言ったの!!!」

洛陽のあちこちで、火の手が上がっていた。

「は、ははっ! こちらからは何の指示もしておらず、現場の兵の判断かとっ――」

「そんな馬鹿なこと……っ!! 止めさせなさい!」

「しかし、今から指示を出していたら脱出が――」

「くっ、わかったわ。月を先に逃がして。私が残るわ」

「賈駆様!?」

「いいから、早く指示を!」

「はっ!!」

伝令が飛びすっ飛んでいく。頭を掻き、月になんと言えばいいか考えながら振り返り――

目を見開いた。

「月は!? 月はもう脱出したの!?」

前庭に月の姿が見あたらなかった。

脱出に向かったかと思ったが、月を護衛するはずの兵がまだここに残っている。

「ど、どういうことっ!」

焦って、何度も、何度も視線をめぐらせ、何か忘れ物かもと朝議の間へ向かうがそこには誰もいなかった。しかし、不自然に、部屋の中央で何かが光った。

「月の、月の髪飾り――!?」

それは詠があげた、月の宝物だった。大事にしまって、脱出の時もちゃんと持って行くと荷物に入れていたはずの――!

「ここに誰か不審な者は来なかった!!?」

前庭に戻り、尋ねる。

「い、いえ! まったく!!」

「くっ……そんな……こんな少し、目を離しただけなのに……、一体誰が、誰が、月を連れ去って――」

誘拐。

いや、誘拐だけならまだ良い。

そのあとどうなる? 連れ去られた後、月が無事である保証なんて……どこにも……無い。

洛陽のあちこちであがった火の、灰が舞ってきた。

それが目に入り、詠は、目元を拭った。

「ひっ…………っくぅ」

しゃくりあげる。

耐えに耐えていたものが、決壊した。

「く……ぅう、月、なんで、こんな……うぅ、」

涙が、袖を濡らす。

「……ぅ、うう、うぁ、うああああああああああああああああ!!!」

人目を憚らず、詠は、泣き叫んだ。

 

 

 

洛陽までもう少しというところで、洛陽の城壁内から、煙が上がっているのが見えた。

「なっ、……まさか、都を、街を焼いているのか!!?」

馬超が驚きと憤りの声を上げる。

「北郷! どうするんだ! このまま洛陽に入ったら――」

白蓮が叫ぶように質問する。

高速で移動しているため、声が出しづらい。

「入って見なきゃ、わからないっ!」

「っ……そりゃそうだっ」

洛陽目前まで来て、門が完全に開いていることに気付いた。すでに孫策軍の先鋒が来て開門させたのか、それとも最初から開いていたのか。

「馬超軍、半数は馬を下りろ! 前後左右を警戒しつつ入城だ!」

「公孫賛軍、続くぞ!」

「承知ッ!」

俺たちは洛陽の街の中に入った。

俺は、月、それと詠の特徴を伝え、皆で捜索してもらうことにした。

「火の手が街のあちこちにまわっている。気をつけろ。消せるなら消してまわりたいが、火が多すぎる……」

日が没する前になんとか――

俺は馬を大通りにすすめ、一つ一つの通りを見て回る。

いない。いない……。いない…………。

もう洛陽にいないのかもと思いながら、目を皿にして、捜す。

「北郷っ! 中央の政庁を囲う壁の内は孫策軍が占拠、政庁は空っぽだったそうだ!!」

馬超からの報告を聞き、安堵と、失望が同時に襲ってきた。

まだ孫策軍に捕まったのなら、密かに助命を嘆願する余裕もあったかも知れない。だが、これから洛陽に入る袁紹や袁術の軍に捕まったら――

「っ!」

「あ、北郷!! そっちはもう火の手が!」

気付くと、洛陽の三分の一近くが、燃え始めていた。ますます、俺は焦る。

馬を飛ばし、確実性を損ねながらも、急いで捜す。

「――!?」

洛陽の街の隅、兵士達がかたまっていた。

「どうした!?」

馬を降り、兵に尋ねる。

「あ、北郷様!」

「あ、あの、あそこの――でかい井戸の様子がおかしくて」

兵達は取り囲んだ井戸を指差した。

たしかに、その井戸は異様な雰囲気を醸し出していた。

一言で言えば――――死臭が、漂っているのだ。しかも、下手な戦場よりも、濃い。

ごく、と唾を飲む。

恐れる兵を背に、歩み寄り、息を止めて、井戸の中を覗く。

井戸は深い暗闇で、なにも見えなかった。

「あ、明かりと、縄を!」

体に縄を結わえ、兵達に支えてもらい、井戸の中へと降りる。

死臭はより濃くなり、吐き気をもよおしそうだった。

松明を掲げ、底を照らす。一刻も早く戻りたくて、急いで目視確認――

「っ!?」

井戸の底は、気のせいか死臭が無く、むしろ、清涼でさえあった。暗闇の奥底。冷たく、清らか、どこか神秘的で、神聖ささえ感じる場所。

そして、そこに――

手をのばす。届かない。もう一度――

捕まえた。

「…………引きあげてくれ」

俺の言葉と共に、縄が引っ張られた。縄が食い込んで、体が軋む。いっそバラバラになってしまえ、と思った。

やがて井戸の縁まであがり、外へと転がり落ちた。

「だ、大丈夫ですか」

「ああ、ありがとう」

「何かありましたか!?」

俺の様子に、何かを感じたのか、兵が気遣う声を掛ける。

「いや……なにも、無かったよ」

「北郷様っ! こちらにも火が回ってきました。一旦、洛陽の外へでましょう!!」

兵に促されるまま、俺は駆け出した。

拳を開き、それを見て、もう一度握る。

「こんなものが――」

俺は怒りと悲しみを吐きだした。

 

「こんなものが欲しかったんじゃないっ……!!!」

 

俺は、震える手で、玉で作られたそれを、握り締めた。

それは、「受命於天 既寿永昌」と彫られた、玉璽だった。

これを得た者が天下を得るという、皇帝の証し。

秦の始皇帝からつたえられたという、伝国の玉璽。

それがいま、俺の掌中にあった。

けれど、月の手を掴もうとして伸ばした手で、こんなものを拾って、何になる?

天下を得て、少女を失う?

それは。

それは、あの地獄と似ている、と思った。

 

 

 

 

 

――この外史は、北郷一刀が、全力でとある少女を救う物語。

 

 この戦いをもって、物語の序章は終わる。

 

――混沌は深まり、乱世は次の舞台へと移る。

 

 それは地獄への道なのか、それとも誰かを救える道なのか。

 

 一刀は、まだ、なにもわからなかった。

 

 

 

   外史『無銘伝』、序章/完

 

 

 

 

   新章/プレリュード

 

 

 

……どこをどう歩き、ここに至ったかは覚えていない。

振り返れば、街の半分近くが焼失した洛陽が見える。

もう、涙は出なかった。

歩いて、歩いて、歩いて、足が棒のよう。

「……月」

それでも進む。

小さな望みを杖に、少しでも前へ……。

ふと、大地に影が差し、誰かが自分の近くにいることに気がついた。

顔をあげる。馴染みの顔がそこにあった。

「…………無事だったか、詠」

真名を呼ぶその声も、聞き覚えのあるもので。

「なによ……あんた、生きてたの……華雄」

その女は、風貌こそ見慣れた衣装ではなかったが、確かに董卓軍の将、華雄だった。討ち取られたと聞いていたが。

「どこへいくつもりだ?」

いままで何をしていたかの釈明もなく、尋ねる。

「……長安よ。月を、月を追わなくちゃ」

詠もまた、詰問する余裕など無かった。

「月は、長安にいるのか?」

「…………」

そんなこと、詠にもわかるわけがなかった。

華雄は、その沈黙に何かを感じたのか、

「今、私は劉備軍の捕虜になっている。気にくわないこともあるが、まぁ、悪くないところだ……」

「ふぅん。てっきり、逃げ出してきたのかと思ったけど」

「最初はそのつもりだったがな。このまま逃げて、董卓軍の捕虜は隙あらば逃げ出すなんて情報が蔓延したら、面倒だ」

「…………そうね」

暗に、恋や霞、音々音や詠の事を心配しているのだろう。もし、連合軍に捕まっても、命だけは無事で済むように。

「おまえも、北郷……劉備の所へ来るか? 連合軍は追撃こそ諦めたが、まだ、長安へ行くことを諦めたわけじゃない。劉備は、董卓、月が、悪政をもって民を虐げていたわけじゃないことにも気がついている。お前のことも、悪いようにはしないはずだ」

「ん……」

華雄は、董卓軍の残兵は長安にいるものの、もう、再起の目はないとみているのだろう。

だから、はやく降伏して命を長らえるべき、とすすめているのだ。

それもいいかもしれない、と詠は思ったが、首を横に振った。

「……できれば、早く、長安に行きたいの。月の所に……。でも、劉備という名前、覚えておくわ。ありがとう、華雄」

そう言って、詠は歩いていった。

「…………詠」

華雄は、いつもと様子の違う賈駆を前に、それ以上何も言えなかった。

長安まで馬も無しにいくなんて、無茶だと思ったが、止められる気がしなかった。

そうして、賈駆と華雄は別れた。

華雄は先程の言葉通り、劉備軍のもとへ。

そして賈駆は――

「…………あ」

華雄と会った場所から、どれぐらいの距離を歩いただろうか。

詠は、風を受けて揺らめく何本もの旗が、近付いてくるのに気づいた。

連合軍……!?

詠は逃げようと思ったが、もう走る力もなかった。

近付いてくる。

旗が。

その旗がしめす軍の、噂だけは聞いている。

乱世の奸雄。

――曹操軍の旗だった。

逃げ出すことも、前に進むこともできず、詠はその旗と軍勢が近付いてくるのを、ただ、立ち尽くして、見ているだけだった。

「月……」

最後に、愛しい少女の名を呟いて、詠は目を閉じた。

 

 

 

 

――大陸の南方、荊州――

 

「董卓軍が、破れたそうだな」

「ええ……」

2人の女性が、少量の酒と、大陸の地図を前に語らっていた。

年の頃が同じぐらいの、親しげな2人。少女とはいえないが、まさに「女」といった雰囲気を持つ彼女らは、遠い目をして言葉を交わす。

「戦が終われば孫策軍も帰ってくる。わしらも、どうするか決めなくてはな」

「……孫策軍と戦うか」

「降るか」

女の1人、美しい紫の長い髪をもつ、麗しき女性が、溜息をついた。

「孫策軍に勝てるだけの力はない……じゃあ降伏か。孫策がどんな人物か、まだよくわからなくて」

もう1人の女、緩やかに波打つ髪に簪を挿し、露出の多い服を着ている美女が、それに応じる。

「そうさなあ……いろいろ噂は聞くが、少々、乱暴なところがあるように見えるがな。まぁ、民にとっては頼もしいといえるが」

「乱暴なのはちょっと……いっそ、他の誰かの所に、身を寄せようかしら」

「ふむ。そうだな。わしらは、益州を奪われ、お主の所を頼ってきた。できるなら、天下を平定し、慰撫できるような、力と徳と、それを願う意志のある者のところに、仕えたいものだ」

「……いるのかしら、そんな理想的な人」

「さて……噂からあげれば、曹操という名がまず浮かぶな」

「そうね。理想的、といえば、彼女はその通りなのでしょうね。文句のつけどころがないわ……私にとっては、だけど」

「なんだ? 何か含むところでも?」

長い髪の女は、ちら、と部屋の隅の方を見る。

そこには寝台があって、1人の童女が健やかな寝息をたてていた。

「……教育に悪そう」

「ああ……なるほど」

曹孟徳、女色の趣味あり。これは有名だった。

「となると、袁紹や袁術は無いとして、馬騰のところは遠すぎる。最近聞く公孫賛も北の彼方。ふむ……残るは、劉備か」

「劉備……」

少しのあいだ、沈黙がおりた。

酒をのみ、熱い吐息を天に放つ。

「力はともかく、徳もあり、意志もある」

「……そうね。けれど、力がなければ、また、泣くことになるのかもしれない」

2人のいままで生きてきた人生が、理想の甘さと苦さを、肌身にしみこませていた。色を知る艶めいた肌は、痛みもまた、知っているのだった。

「力……か」

その日、それ以上2人の議論が進むことはなかった。

 

 

 

 

「始まったな」

額に妙な紋様を浮かべた短髪の少年が、口を開く。

「……終わりの、はじまりですか」

眼鏡をかけた青年が、顎に手を添えて、呟く。青年もまた額に紋様を浮かべていた。

「これで、この忌々しい外史とおさらばできる」

「……左慈、あなたはそれでいいのですか?」

「当然だ!」

左慈と呼ばれた少年は、吐き捨てるように言った。

「お前も、そうは思わないのか、于吉?」

「……」

青年、于吉は、なにも答えず、ただ眼鏡の位置を直した。

「ふん」

左慈はおもしろくなさそうに、その場から離れた。

「あの御方ならやってくれる。外史は全滅だ!」

そういって笑いながら、左慈はどこかへと消える。

于吉はそれを見送り、左慈が見えなくなってもなお、沈黙した。左慈の笑い声だけが響き、それも聞こえなくなると……しばらくして、重々しく、于吉が言葉を紡ぐ。

「しかし、この外史…………とても一筋縄ではいきませんよ、左慈。英雄たち……そして北郷一刀、彼がどう動くか……」

于吉がそこで口を噤むと、また沈黙が降りて、于吉はもう、何も言わなかった。

 

 

 

 

 ――洛陽を望む、とある山にて――

 

ひとりの少女が、軍を率い、その山にいた。

燃えさかる洛陽を見ても、表情一つ変えず、嘆息一つもらさない。

少女は後ろを振り返る。

そこにはたくさんの兵がいた。

この時世、兵集団など珍しくもないが、異様なのは、その兵達にまったくといっていいほど統一性が無いことだった。

少女は手をかざす。

それが何かの合図だったのか、兵達が動く。

兵達は、山のあちこちに穴を開けており、そこになにかを放り込んでいた。

それは服であったり、旗であったりした。

旗には、「董」「牛」「郭」「王」などの文字が描かれていた。

やがて、穴になにもかもが入れられると、少女は、あげていた手を振り下ろした。

兵が、穴に火を放つ。

火は、穴の中の色々な物を焼き焦がす炎となった。

少女は、無言でそれを見届ける。

燃え尽きて灰になるまで。

その炎は、洛陽の火に比べれば小さなもので、気に留めるものなどいなかった。

けれど。

やがてその火が、大陸の全土を焼き尽くすことになろうとは――

この時、誰一人、知るよしもなかった。

ただひとりの少女を除いて。

 

 

 

   新章/第6話に続く

 

 

説明
お待たせいたしました。第5話です。
書きたいものを全部つめこんだら三万文字以上になりました。二話にわけると中途半端になるのでまあいいかと放置。
本編にも書きましたが、これで序章は終わりです。
大体序章含めて序破急で三章構成かな、と考えています。まだ先のことなので、あまり厳密には決めていませんが。
名前が出てるのに全然セリフが無いキャラがたくさんいるので、次の章では活躍させたいなあ、と思っています。誰か取り上げて欲しいキャラがいたら、言って頂ければ、対応できるかも知れません。
とりあえずこれからオマケとかの補完に入るので、第6話がいつ完成するかは、ちょっとわかりません。進捗は自分のサイトの方(特に掲示板)にのせておりますので、よかったら見に来て下さい。
それでは。
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コメント
>究極時械神ヒトヤ犬 様 出典によって違いがあるようです。目や耳などはないけど全知というのもあれば、逆に目も耳もあるけど見聞きできないというのも。今回は「顔(正体)がわからないもの」をキーワードにしたので、無貌の神という話を採用させていただきました。(ate81)
あれ?混沌って確か目があるけど見えない耳があるけど聞こえない自分の尻尾をずっと噛んでその場でクルクル回り移動ができない月を見てはニタリと笑う・・・ではなかったでしょうか?(ギミック・パペット ヒトヤ・ドッグ)
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