『机上探偵ファンタジア』その2 |
昼になると、学食で食事を済ませた正明は真っ直ぐミステリ研究室のボックスに向かった。
会長の九路州綺透嬢、直々のお呼び出しを無下に断る理由は何もない。
むしろ、この世の人間を「敵に回しても問題ない人物」と「敵にすれば厄介な人物」に分けるなら、九路州会長は間違いなく後者だ。
無理難題を押し付けられるならともかく、顔を出せと言われただけなのだから、素直に従うのが無難な選択だ。
「あら、木城君。遅かったわね」
ミステリ研究会のボックスに行くと、妃藤菖蒲と九路州綺透の二人が楽しげに話をしていた。あの二人が盛り上がるということは、どうせろくでもない話をしていたのだろう。九路州の口元が妖しく緩んでいた。
ミステリ研究会のボックス。ボックスとはサークルを入れておく『箱部屋』の意だろう。
結局のところ、ボックスとは今は使われていない単なる元教室である。
少子化の影響で生徒数を減らした西加茂高校には空き教室が多数あった。
それらを正式な部ではなく部室を与えられない非公式サークル達が無断で占拠し『ボックス』と呼んで居座っているのである。
学校側がそんな状況を黙認しているのは、空き教室を空けたままにするより、九路州のような管理能力のある人物に統制させる方が、不良の溜まり場になるよりいいと、そんな判断があるのかもしれない。
しかし、元々不良と呼ばれる者がほとんどいない西加茂高校では、その心配は杞憂だろう。
「木城君。学食のうどんは美味しかったかしら?」
「九路州先輩。人を安いメニューしか頼まないようなケチな人間に分類するのはやめてください。
うちの学食には丼各種にAセット、Bセット、そして日替わりという三種のランチセットを作ってくれる、とても頼もしいおばちゃんがいるのですから」
「でも、正明、うどんでしょ?」
菖蒲にまでそんな偏見の言葉をかけられ、正明は溜息を吐く。
そして彼女達が座っている長机の端にパイプ椅子を出して腰掛けた。
二人から少し離れて座ったのは、もちろん本を読む為で、ポケットから取り出した文庫本を早速広げる。
ホラー風の連続殺人ものだ。読む間隔が空くと、臨場感が薄れてしまう。
「それで結局、正明、何食べたの?」
「……素うどん」
本を読み始めた正明は素っ気なく答えた。
「最安できたわね。ダイエットをしてるわけでもないのに、さすがにそこまでとは読めなかったわ。
菖蒲ちゃん。負けたわ。今度ジュースおごるね」
「先輩、約束はケーキバイキングですよ〜」
ちっ、と九路州はこれ見よがしに舌打ちした。
そんな二人に正明も「人で賭けをするのはやめてください」とは言わない。自分に被害がなければどうでもいいのだ。
「さて、木城君も来たことだし本題に入ろうかしら。
二人とも知っていると思うけど、昨日起きた、発見は一昨日の夕方らしいけど、有頼町で起こった殺人事件よ。
マスコミは『密室首切り殺人』と銘打って騒いでいるけど、私達も例によって騒がせてもらいましょうか」
九路州綺透が改まって話を始めた。ミステリ研究会の彼らは、興味深い事件が起こったと聞くとそうやってその事件の討論会を開くのだった。
いや、『ミステリ研究会の彼ら』と言うと語弊がある。
ミステリ研究会会員は他にもいるが、悲惨な殺人事件を面白おかしく取り上げようとするのは、木城正明と九路州綺透の二人だけである。
そして妃藤菖蒲はボックスに出入りはしているが、正式にミステリ研究会に入会しているわけではない。
言ってしまえば、事件を話のネタにしてあれこれ話し合うのはこの三人の趣味だった。
「わ〜い。騒ぐなんて、さすが九路州先輩、悪趣味〜」
「菖蒲ちゃん。あなたにだけはそんなこと言われたくないわね」
「へへへ〜」
場違いに菖蒲が頬を緩めた。それに合わせ久路州まで破顔を見せて、お互いに微笑み合っている様子は、非常に頭が痛い。正明は小説を読みながら呆れた息を吐き出した。
「それじゃあ。菖蒲ちゃん、多分あなたが一番詳しいだろうから、事件のあらましお願い出来るかしら」
「は〜い。えっと、第一発見者は警察の人らしいです。
有頼町をパトロール中に被害者宅前で被害者の会社の人が騒いでいたのを発見。事情を聞くと、被害者が無断欠勤していて様子を見に来たって。
室内からテレビの音が聞こえるのに、呼び掛けても返事がないのを不審に思い、警察の人が踏み込んでみると、首なし死体がありました〜」
菖蒲は「死体」というところを妙な抑揚を付けて大げさに言う。そういう演出を菖蒲は好んでするのだ。
「そうね。今朝の新聞によると、被害者は宮井芽衣(みやい・めい)さん、二十七歳、OL。
かなり仕事の出来る女性だったようね。マスコミは彼女のキャリアばかりを取り上げているのが印象的だったわ」
わざわざ学校に持参して来たのだろう、九路州は新聞を長机の上に無造作に置いた。その一面には『首切り殺人』の大きなフォントが踊る。
「あれ? 男性関係が派手なんじゃなかったんでしたっけ?」
「ええ、一部報道でそんなことも言っていたわね」
「でも印象的といえば、被害者の、え〜、叔母さんでしたっけ、そんな人がインタビューで『首切った犯人ゆるさない〜っ』って怒ってた映像ばかりテレビでやってて見飽きちゃいました」
「それは菖蒲ちゃんがあの事件の報道をやってそうなニュース番組、ハシゴしていたからじゃないの?」
会長の的確な指摘に、菖蒲は能天気な笑いを漏らして納得した。
恐らくは昨日は深夜までテレビにかじり付いて報道番組を見続けていたのだろう。菖蒲の目元にはうっすらくまが出来ている。
「……先輩。論点ずれてません?」
興味がないような素振りで小説を読みふける正明は何気なしに言った。
話には全然加わっていなかったのに、聞くことにはちゃんと聞いていたようだ。
「ええ、そうね。事件自体の情報ね。密室の件はどうなのかしら」
「そうですね〜。確か、第一発見者の警察官が玄関の鍵が閉まっているのを確認したそうで、その後の捜査で窓も全部鍵が掛かってたそうですね〜。
で、その玄関の鍵は室内にあったから密室だって」
「これは安易な密室ね。木城君、どう思う?」
話を振られた正明は、ゆっくりと本のページをめくる。
「そうですね。合い鍵、マスターキーがある以上、到底密室とはいえませんね。
マスコミが勝手にそう言っているだけですよ」
「大家さんがマスターキーを持ってるのはともかく、どうして合い鍵があるってわかるの?」
菖蒲が首を傾げて聞いた。
「……テレビで、その被害者宅が映ってたけど、それ程新しい建物じゃなかった。恐らく被害者が住む以前にも誰かが住んでたはず。
あのクラスのアパートなら、住人が引っ越したからといってわざわざ鍵を取り替えたりはしないさ。
なら、前の住人の鍵から作った合い鍵や被害者自身が作った合い鍵、そしてマスターキーにスペアキー。
それらの存在を考えると、合い鍵がある可能性はほぼ100%。
それに鍵がなくったって、鍵を開けて閉める方法はいくらでもある。
そんな状況で密室だなんて、マスコミもわかってない」
そんな考えをひけらかす間も、正明は本から目を離さない。
その姿を見れば本当に本を読んでいるのかと疑いたくなるが、また一ページ、小説がめくられる。
その悠然とした様子に菖蒲は「やっぱり正明もテレビ、チェックしてたんじゃない」と疑惑の目を向けた。
「さすが木城君、手厳しいわね。
それでも合い鍵を持っている者が容疑者ではあるわね」
「じゃあ、被害者は女性だから、やっぱり男性関係ですね〜。
警察もその方向で捜査してるってニュースで言ってましたし」
「そう、室内の金目の物には手を付けてなかったらしいから、物取りじゃないし、親戚付き合いも良好。借金もなし。
仕事関係の恨みも今のところ出てないそうだから、確かに男性関係のトラブルということになるのかしらね」
「九路州先輩。まだ愉快犯があるじゃないですか、だって首切りですよ首切り〜」
そう言う菖蒲の目元は力強く引き締まった。
それに対して口元は緩んでせせら笑いを浮かべる。知人である正明でさえ、一歩引いてしまいたくなる気疎い表情だった。
「確かに、愉快犯、通り魔的犯行というのは捨てがたいわね。首を切り落とすなんて尋常じゃないもの。
それでは首を切った理由は何かしら?
やはり死体の身元を隠す為……」
自問に自答した九路州は、自信なさげに語調を弱めた。
「でも被害者は、えっと、宮井芽衣さん、だっけ。その人なんですよね。先輩が持ってきた新聞にもそう書いてますし」
「木城君。そこのところどうなの?」
「どうとは?」
聞かれた正明はオウム返しにする。何とも面倒臭いといわんばかりだ。
「どうして首を切ったのか、ってことよ」
「DNA鑑定すれば、遺体のすり替えは直ぐにバレますよ。
むしろデモンストレーションか、何かを誇示したかったのか、そんなところじゃないですか?」
「そうね。首がないからといって、現代の科学技術で遺体の特定を見誤るなんてそうそうないものね」
「でも、そんな話聞いたことありますよ〜。
えっと、検死を思い込みで適当にやったとかで〜、被害者間違えたままアレしたとか」
菖蒲が強い口調で言った。菖蒲は捜査ミスや冤罪が許せない性格なのだ。
「今回のケースはそれはないと思うけどね」
「あら、どうしてそう思うの木城君?」
「今、菖蒲が指摘したケースは、恐らく普通の遺体を思い込みで別人と処理した、という奴のことを言っているんだと思いますよ。
普通の遺体なら、警察は遺族を名乗る人間が『確かに身内です』とでも証言すれば、鵜呑みにする場合があるかもしれません。
でも、今回は普通ではない、首の見付かっていない変死体です。警察も慎重を期すでしょう?
そんな状況で遺体が別人とは考えにくいですよ」
そんな言葉を小説を読みながら言う正明。
知らぬ者が見れば、その小説に書いてある台詞を読み上げているようにも見える。
無論、読んでいる小説はミステリ小説であるが、そんな文面はどこにも書いてはいない。
「確かに、そこまで警察も馬鹿じゃないでしょうね。この国の国民として、そう願いたいわ。
それじゃあ、今回の事件の一番のポイントとなるだろう『切った首はどこにいったのか』。首から上の行方はどうなるのかしら?」
そう九路州が言う通り、今回この事件が『OL首切り殺人事件』としてセンセーショナルに取り上げられている原因は、未だに切り落とされた首が見付かっていないことにあるのだ。
ニュース報道でもその件をメインに報道をしているが、首が発見されたという情報はまだない。
「現場にないんだから、犯人が持ち帰ったんですよ、きっと」
「生首を持ち帰ったの? 確かに菖蒲ちゃん好みの話だけど、ちょっと非現実的過ぎない?
人間の首って結構大きいわよ。それを持って帰るの?」
九路州綺透の否定的な意見に、菖蒲は足下に置いてある自分の学生鞄をちらりと見るが、確かに頭一つを鞄にいれるとしても、妙に膨らんでしまう。
スポーティバッグやボストンバックなど、大型の鞄を用意しなければ、人の頭はそうそう持ち運べそうにない。
「でも、現場の部屋に首はないんですよ〜。血溜まりの大きさから、その部屋で首は切られたってニュースでは言っているし」
「現場から持ち去ったのは確かだけど、私はどこか、山中か川か、人目に付かない所に捨てたと思うわ」
「じゃあ、どうして首を切ったんですか?」
菖蒲の質問に九路州は答えられず口をつぐんだ。そして苦々しく口元に手をやる。
「……そうなのよね。それじゃあ首を切る意味がないのよね。
まだ山中で殺した身ぐるみ剥いだ遺体の首がないんだったら身元の特定を遅らせるとかが考えられるんだけど、被害者の家で殺して首だけ持ち去っても、DNA鑑定すればいいだけだし」
「じゃあ、やっぱり首を持って帰って愛でてるんですよ。間違いない」
「犯人は異常者とでも言うの? あんまり現実味ないわね」
「だったら双子が入れ替わって殺されたとか、DNA鑑定しても、双子なら見分けが付かないし、入れ替わりトリックの為に首を持ってった」
「一卵性双生児なら顔も一緒なんじゃ? だったら首を切らないでも」
菖蒲が思い付いた案は、正明が容赦なく冷静に否定した。
「き、きっと顔の違う一卵性の双子だよ〜」
「それは矛盾し過ぎよ菖蒲ちゃん」
「だったら、片方には顔に傷がある双子とか」
「言わんとしていることはわかるけど、被害者に姉妹がいるという情報は今のところないのよね。両親も既に亡くなってて、親族は叔母が一人」
「数百万人に一人は、他人でもDNA鑑定で同一という判定が出るらしいですよ」
まさに手詰まりと言いたげだった九路州会長に正明が言う。
「木城君、本気で言ってるの?
そんな人、全国民を調べても一人見付かるかどうか、わからないのよ?」
警察などで行われているDNA鑑定とは、人間のDNAデータ全情報を照らし合わせているわけではない。そんなことをすれば莫大な時間がかかってしまう。
従ってDNA鑑定では、あくまで代表的なDNA配列をいくつか見比べているだけなのである。
であるから、極々希に異なるDNAデータを持った者同士でも、同一であると判定してしまうことがある。
しかし、その『他人』を『同一』と見てしまう可能性は極めて低い為、普通は無視されている。
「あくまで確率の話です。別にその説を推そうだなんて思ってませんよ」
そう言って正明はあくびを一つ。
あくび中も目だけは手にした小説の文章を追っているのだから、その読書熱はもう誉めるしかない。
「それなら木城君は、どうして首を切ったのか、何か思い当たるの?」
「さっきも言ったように、何かを誇示しようとしているというのが有力だと思いますね。
あるいは捜査の攪乱。残りは極めて低い可能性で、被害者への執着として首のテイクアウト」
「つまり合理的な理由はなく、首を切るのが目的だったと?」
「やっぱり猟奇だね。それでこそ猟奇殺人〜」
「この通り、それだと菖蒲ちゃんが喜んじゃうんだけど」
まるで汚らわしいものを指すように、九路州は菖蒲に指先を向ける。
菖蒲はそれをものともせずに、歯を見せにっこりと微笑んだ。
その笑顔、何も感じていない天然娘のものではない。妃藤菖蒲は確信だって、今の状況で笑って見せているのだと、正明は知っていた。
「むしろ、本当に一番喜ぶのは先輩だと思うんですけど……」
正明の呟き。それに九路州はにやりと目を細める。
「あら、よくわかってるわね、木城君。さすがよ」
「先輩。そんな予想でいいなら、ウチの生徒だったら誰でも出来ますよ」
本当に全校生徒がそう予想出来る。それが九路州綺透という女性だった。
それでこそ、トップ3と言われる彼ら三人の、更にその筆頭と呼ばれるだけはあるのだ。
この西加茂高校で九路州綺透を知らぬ者はいない。菖蒲のように何かを騒ぎ立てる人物ではないにもかかわらず、九路州は目立つ存在だ。
容姿も生徒会長の支霧香雅里(しきり・かがり)と双頭で美人との評判。
ただし性格が性格なだけに、九路州に近付いてくる者はほとんどいないのだ。遠目に隠れたファン達があれこれ噂するだけである。
「あらやだ。私はそんなに黒くないわよ。私は普通よ」
「九路州先輩〜。普通の人は自分を普通だなんて言いませんよ〜」
「普通でない菖蒲ちゃんに言われると妙に説得力あるわね」
「私のことはともかく〜、今回の事件も、ちょっと普通じゃないですね」
首のない遺体が発見された事件が『ちょっと』と言い切ってしまっても、それが妃藤菖蒲ならばこそ説得力があるものだった。
殺人事件と聞けば興味を示す妃藤菖蒲の感覚は一般人とは比べるまでもない。
「そうね……。菖蒲ちゃん、まだ出てない情報はある?」
こと殺人事件の情報収集では菖蒲の右に出る者はいないと、九路州は菖蒲に確認の言葉を口にした。
別に妃藤菖蒲に特別な情報収集能力があるわけではないが、犯罪を知りたがる熱意にかけては群を抜いている。
「後は死亡推定時間ぐらいですか〜。
水曜の夕方に死体が発見されて、死後二日から三日らしいので、死んだのは日曜か月曜なんですけど、日曜の午後七時ぐらいに被害者が出掛けて行くのを目撃した人がいるらしいんで、警察はその日、夜中に帰宅した後から月曜の午前中ぐらいに殺されたとみて捜査してるらしいですよ」
「夜中ねぇ。目撃者とかはいるのかしら」
「そういう話はまだテレビでもネットでも全然情報なかったんですよ〜」
「事件が報道されて今日で二日目だし、そろそろ不審者の目撃情報とか出てもいい頃ね」
頬に手をやって物思いげに九路州は言った。
「そう、そうなんですよ! 昨日なんかテレビ見てても、全然新しい情報ないんですよ〜。
もう私、居ても立ってもいられないって感じで〜。
だから、現場見に行きましょうよ〜」
「また始まったか……」
正明は一際大きな溜息を吐いた。
朝に声を掛けられたときから菖蒲がそんなことを言い出しそうな予感はしていた。
「何よ、その冷めた反応〜。ミス研なら気になるでしょ?
殺人よ。首切り。猟奇。血が騒ぐでしょ? 殺人現場、見に行きたくなるでしょ?
一緒に行こうよ〜っ!」
如何にも、うずうずしているという様子で、菖蒲は身を震わす。
「血なんて騒がないね」
「ちょっと正明。あなたそれでもミステリマニアなの?」
「ああ、ミステリマニアさ。好きだよ、難解な事件は。
でも小説の中での話な。実際の殺人なんて縁起でもない。誰が現場なんて行くかよ」
さすがに、小説を読んでいる場合ではないのか、正明は開いたページに親指を挟んで閉じると、菖蒲の顔を見据えた。
正明には珍しい真剣な眼差しに、菖蒲は一瞬気圧された。
しかし、怯んだのは本当に一瞬で、直ぐに不満を口にする。
「え〜。正明のケチ! それぐらい付き合ってくれてもいいじゃない」
「誰が行くか」
あくまで正明は冷静に菖蒲の主張を切り捨てる。
そんな二人の様子を、困ったものだと九路州綺透も深い息を吐いた。
彼女も意見としては正明を支持する立場だ。
趣味で殺人事件を話題とする九路州も、自分自身が事件に関わることは良しとしないのだ。
九路州綺透にはその分別がある。だからこそ、彼女はミステリ研究会の会長もつつがなく務め、そして一目置かれる存在なのだ。
「はいはい。菖蒲ちゃんもその辺にして。そろそろ昼休み終わるわよ」
妃藤菖蒲の方向性が少しまずい方を向いたと判断した九路州は、多少無理矢理に話を切った。
実際、昼休みが終わりかけていたのも事実ではあるが、彼女も菖蒲がこれ以上駄々をこねると困ると感じたのだろう。
「どうして、いっつも現場に興味ないんですか、二人とも?
事件は現場で起こっているんですよ。現場、げーんーばー。
気になるでしょ? 行きたいでしょ? ね、正明?」
正明に迫る菖蒲を余所に、九路州は音もなく座っていたパイプ椅子を片付けていた。
「先輩。何を一人でさっさと逃げようとしているんですか?」
「そう。そういえば私、次の時間体育だったわ。そうね、着替えないと、幾多の男子が夢に描いても至れぬ最後の黄金郷・女子更衣室が私を呼んでいるわ」
「先輩。何都合よく思い出してるんですか?
嘘ですね? 次、体育なんて嘘なんですよね?」
「木城君、菖蒲ちゃん。年寄りは早々に。後は若い二人にお任せするわ」
そう言い残すと、九路州綺透は容赦なくミステリ研究会のボックスから一目散に去っていった。
その逃げ足は、可憐な容姿からは想像出来ぬほど力強く速いものだった。
後に残されたのは正明と菖蒲の二人。
「わ〜い。九路州先輩が正明を煮るなり煮え湯を飲ますなり好きにしていいだって〜。
だから観念して正明、事件現場に行こ〜よ〜」
正明の腕を縋るように掴んできた菖蒲の手を、彼は容赦なく振り解く。
「やだね、面倒臭い」
「正明っていっつもそれだね。面倒臭いとか、どうでもいいとか……。
もっとミステリ小説以外にも興味持ちなよ」
「人をそんな社会不適合者みたいに言うなよ、菖蒲。
俺の生きがいと現場に行く行かないは関係ない。
それにあの事件、どうせ犯人はあの叔母なんだから、現場行っても仕方がないだろ」
「そんなワイドショーで涙流してインタビュー受けてたからって、犯人扱いは酷い〜。
あの人可哀想〜。正明の人でなし〜。ろくでなし〜。甲斐性なし〜」
「言いがかりはよせ。誰が甲斐性なしだ」
「だって、正明いっつも金欠じゃん」
「仕方がないだろ」
「小説の買い過ぎで財布が空っぽって、仕方がないの?」
「うるさい。……本当に昼休み終わるぞ」
正明はポケットに文庫本を手早くしまうと、今度は逆にリストバンドをはめた菖蒲の腕を掴む。
そして彼ら二年生の教室がある方へと彼女を引っ張っていった。
手を取られた菖蒲は急にしゅんとして、正明に引かれるまま、共に廊下を歩いて行く。
二人の間にそれ以上の会話はない。
黙々と手を引いて行く正明に、菖蒲は文句の一つも言わずにただ付き従っていた。
正明は、そうして止めないと学校を飛び出してまで殺人事件の現場に行きかねない妃藤菖蒲を知っている。
どんなに駄々をこねていても、手を引かれれば不思議と反抗せずに付いてくる妃藤菖蒲を知っている。
そんな二人の関係が、どれほど微妙なものか、当人の木城正明が一番よく知っていた。
黙って彼の後ろ姿を見つめる妃藤菖蒲は何を思っているのだろうか。
それは正明にも知れない純然たる謎である。
(『机上探偵ファンタジア』その3につづく)
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安楽椅子探偵を目指して書いてみました。 どうしてこうなった……。 |
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