虚界の叙事詩 Ep#.22「最深部へ」-1
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「沙恵ッ! しっかりしてッ! 沙恵!」

 

 廃墟のビルの谷間に、香奈の悲痛な叫び声が響いていた。彼女の声は、あちこちの建物に

反射し、増幅し、周囲一面に響き渡っていた。

 

 仲間達が見守る中、地面に横たえられた、沙恵に、夕日の西日が降り注ぐ。その日光に照ら

し出された、彼女の姿は、見るも無残な姿となっていた。

 

「ねえッ! 何とか言ってよ! 目を覚ましてッ!」

 

 香奈が呼びかけても、沙恵は、弱弱しくあえぐだけで、意識を取り戻す事は無かった。

 

「沙恵ッ!」

 

 香奈が再び叫んだ。その声はあちらこちらに反射し、再び廃墟の中で増幅した。

 

 太一が、香奈の肩に手を置いて、そんな彼女を制止しようとする。

 

「おい、落ち着け。敵に聞えるかもしれない」

 

「何を言っているのよッ! 沙恵が…、沙恵が、死んでしまいそうなんだよ…! そんな時に

…!」

 

 香奈が、太一に食って掛かる。

 

 一方、そのすぐ近くでは、舞が屈みこんで、一人の男の様子を見ていた。

 

「駄目ですね…。確かに、できる限りの事をして、応急処置を施しました。ですが、私が、この

場でできるのは、ここまでです…」

 

「本当かよ…、もっと、もっと何かできないのか? このままじゃあ、立つ事さえできないい…」

 

 と、一人の『SVO』のメンバーが言ったが、舞は首を振った。

 

「早く適切な治療を受けないと、生死に関わります。いえ、もう関わっているでしょう…。私も治

癒能力は高いと言われていますが、あちらの方には、及びません…。彼女の『力』があれば、

何とかなりましたけれども…」

 

 舞は、そう言って、沙恵の方を振り向いた。そこでは、香奈が必死になって、負傷した沙恵に

呼びかけている。

 

「沙恵…! 目を覚まして…! お願い…! 目を覚まして…!」

 

 

 

 

 

 

 

1時間前

 

 

 

 

 

 

 

 隆文達は、まるで迷路のようになっている裏路地に足を踏み入れていた。所々老朽化した建

物が崩れ、道を塞ぎ、瓦礫が散乱している。残った建物の内最も新しいものでも、その全てが

60年以上も前に建てられた建物なのだ。無理も無い。

 

 元は、何かの商店街だったのだろうか。雑貨店の看板などが、床に散乱していた。

 

 隆文達は二手に分かれ、女の匂いを追った。正しくは、嗅覚で感じるあの女の匂いがあるわ

けではないのだが、隆文達には、それをはっきりと感じる事のできる感覚があった。

 

「俺と絵倫。香奈と…、国防長官さんで、二手に分かれよう…、この道、商店街はぐるっと回っ

てこの場所に戻るようになっている…。細かい道を除けば、だがな…」

 

 衛星からの写真と、かつての《青戸市》の区画図を見比べ、隆文は言った。

 

 即座に彼らは行動を開始した。

 

 隆文と絵倫と、逆の方向を行く、香奈と舞。始めは香奈は、舞と一緒に二人きりで行く事に戸

惑いを見せていた。

 

「とりあえず、一刻を争います。早くあの女を追い詰め、男も倒し、『ゼロ』の元へと向わないと

…」

 

 舞は刀を抜き放ち、警戒しながら小走りに駆けていた。

 

「あたしも…、お役に立てるかどうか、分かりませんけれども…」

 

 香奈がそう言うと、舞は後ろも振り向かずに答えた。

 

「その割には付いて来るのですね…?」

 

「一応…、私も『SVO』のメンバーですから…。但し、自分で望んだ場所じゃあないので…、知

らない間に、この組織に入れられていたようなものですよ」

 

 舞は先を急ぎながら答えた。

 

「…、私は、今の地位を受け止めていますけれどもね…。無理矢理国防長官にさせられたとい

うより、なるべくしてなったと思っています」

 

 一瞬考えた後、香奈は言った。

 

「それは、そう思い込ませるように、洗脳みたいなものをさせられたんですよ…。お話を伺って

いません?」

 

「だからと言って、私も、あなたも、『ゼロ』に関する任務は決して投げ出そうとはしません…。何

故でしょうね?」

 

「それは…、このままでは、この世界がどんどん破滅への道を辿ってしまうから…」

 

 もっともらしい答えを、香奈は答えた。

 

「そうですね…、私ももちろんそう思っています。責任を感じているんですよ。『ゼロ』を止められ

なかったのは、この私…。だから大勢の人を救う事ができなかった、と」

 

「あなたのせいじゃあ、ありませんよ…」

 

 香奈は、舞の決意も露になった顔を見ていた。

 

「今度こそは、私が止めて見せます。そして、全てを終わらせます」

 

 

 

 

 

 

 

「絵倫…、気配に接近中だ。もう10メートルも離れちゃあいない…」

 

 声を潜めながら、隆文が言った。

 

「ええ、10メートル…。確かにそのぐらい近くに近付いてきているのは分かるわ…。でもあの女

は…、どこ?」

 

 隆文と絵倫の目の前の視界には、直線の道が伸びていた。100メートル先まで見渡せる程

の、開けた通りだ。瓦礫や埃で散々に荒れ果てた廃墟と化しているが、見通しが良い事は確

かだ。

 

 10メートルも前方に何かがいれば、そのぐらい、確認する事ができる。

 

 しかし、彼らの視界の中には何者も映っていなかった。

 

「この道にいないとなると、奴がいるのは…」

 

 そう言って、隆文は顔を上げようとした。そこには、商店街の脇に建つ。周りの建物に比べれ

ば一際高いビルが聳え立っていた。

 

 窓ガラスがほとんど割れ、骨格が剥き出しのビルは、人の気配を感じさせない。

 

「この建物の、中って事か…」

 

 隆文はそう言って、電子パットを確認しようとした。

 

 その時、

 

「待って…。何か…、聞えない…? 何か、降ってくる…!」

 

 絵倫が叫ぶ。その時、隆文は上空から迫って来る何かの気配に気付き、素早く上を見上げ

た。

 

 それは、さながら、雹のように2人の下へと降り注いできていた。しかし、それが雹だったとし

たら、おそらく凄まじい勢いで降り注ぐ雹だっただろう。地面にめり込み、商店街の路面が砕け

る。まるで、銃弾を撃ち込まれているかのようだ。

 

「おおッ! 絵倫、避けろッ!」

 

 素早く隆文と絵倫は、その降り注いでくるものから、飛び退こうとした。

 

 しかし、広範囲で降り注ぐ弾丸のつぶてを、避けきる事はできない。周囲には、まるで雨のよ

うに何かが降り注いでいる。

 

「わたしの『力』で、気流の動きを変えて、何とかこの弾丸を防いで見せる!」

 

「大丈夫なのか! 絵倫!」

 

 隆文がそう言った時、上空から降り注いできた弾丸が、絵倫の脚を貫いた。思わずうめき、

バランスを崩す絵倫。

 

「え、絵倫…!」

 

 隆文は思わず叫び、彼女に駆け寄る

 

 だが、そんな彼の伸ばした腕にも、弾丸は降り注いできた。

 

 地面に倒れこむ隆文。

 

 上空からは、まるで、土砂降りであるかのように弾丸が降り注いできていた。

 

「絵倫ッ!」

 

 隆文の叫び声も、激しいノイズのような音の前にかき消されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 登は、一時、気を失いかけていたが、その意識を取り戻したとき、自分の頭上に沙恵がいる

事を知った。

 

「よ、良かった…。無事に応急処置できたみたいだ…、ね」

 

 ほっとしたようにそう言った沙恵。だが、彼女は声を搾り出すかのようにそう言っていた。

 

 登はその場から起き上がろうとする。だが、突然の激痛に襲われ、彼はうめいた。

 

「だ…、駄目…。あたしは、致命傷になる部分の傷を塞いだだけで…、まだ全部の傷は塞い

で、いないの…」

 

 そう言って伸ばした沙恵の腕は血にまみれていた。必死に負傷した登を治療しようとしていた

せいかもしれない。だが、登が、沙恵に目を向けた時、彼女自身も左腕に負傷を負っている事

を知った。

 

「君、その体で…! 早くその腕を直した方がいい…」

 

 どうやら沙恵は、左腕を動かせないほどのダメージを受けているらしい。「どうやら…、そうい

う間もないらしいの…」

 

 と、言って、沙恵は、少し離れた場所を指し示した。

 

 そこでは、青色のオーラのようなものに包まれている男と、太一、一博、浩が戦っている真っ

最中だった。

 

 彼らは、必死に男を捉えようとしていたが、残像をくっきりと残すほどの相手のスピードについ

ていっていない。彼らは確実な反撃を受け、追い詰められていた。

 

 起き上がったばかりの登は、いても立ってもいられなかった。

 

「僕が、僕が行かなくては…! あのままでは…!」

 

 そう言って、彼は立ち上がろうとする。

 

 だが、沙恵は、

 

「駄目! 駄目! 登君…!」

 

 無理をしようとする登を、沙恵は必死に止めようとした。

 

「脚さえ、脚と右腕の傷さえ、応急処置してくれれば、何とかなる…!」

 

 彼の腕と脚には、銃のようなもので、撃たれた傷がある。弾は貫通していたが、沙恵には、

何でやられたのか理解できていなかった。

 

 もちろん、応急処置程度で、戦えるようになる怪我でも無いのだ。

 

「登君…! 駄目だよ…! 君が、君が死んじゃう…!」

 

 沙恵がそう言った時、戦っている男達の方に向け、雨のような何かが降り注いで来ていた。

それは、雨にしては、妙な気配を見せていた。

 

 雹のように、固形の何かが落ちてくるかのような迫力。

 

 だが、空から落ちてきたのは、雹ではなく、確かに雨だった。雹だと勘違いしたのは、その一

粒一粒が、路面のアスファルトを砕き、建物の壁面を砕いたからだ。

 

 雨は、にわか雨のような勢いで、ほんの数秒降り注ぎ、即座に止んだ。

 

「馬鹿な…! 今のは、銃弾の雨だ…! 雨のように見えたが…! 今のは銃弾も同然だ

…! あんなことができる奴なのか…!」

 

 と、仲間の無事を確認しようと、登が身を乗り出す。

 

「太一ッ! 大丈夫か! 皆…!」

 

 登がそう言った直後、大柄な肉体が彼らの方へと吹き飛ばされてくる。それは、一博だった。

 

 彼の体は、登のすぐ側に転がってきた。

 

 彼は、即座に身を起こしたが、全身を細かな傷が覆っていた。致命傷のような傷は無いよう

だったが、かなりの数の手傷だ。

 

「大丈夫か…!」

 

 すかさず、自分のすぐ側に来た一博に呼びかける登。

 

「大丈夫かって? それはこっちのセリフだって。大丈夫だったか…、って、大丈夫でも無さそう

だな」

 

「あの敵は…! どうなんだ? 倒せそうか…?」

 

 一博に尋ねる登。だが、一博は顔を曇らせた。

 

「さあな…。あいつたった一人でも厄介だって言うのに、援護射撃をしてくる女がどっかにいる。

今の雨みたいな奴がそれさ…。あの銃弾の雨みたいなものをかわすと、そこにあの男の攻撃

が飛んでくる。とてもじゃないが、避けきれるものじゃあない…!」

 

 一博は身を起こし、再び、戦いの中に飛び込んでいこうとする。

 

「僕も行こう! スピードなら、役に立てる!」

 

「駄目…、駄目だよ…! 登君! その体で…!」

 

 沙恵は、必死にそんな登を止めようとしたが、

 

「君は、僕が体を動かせるようにしてくれれば良い…。僕が行かないと、彼らでは、あの男のス

ピードに付いていく事はできないんだ」

 

「で、でも、あんなに速いんじゃあ、登君だって…!」

 

 沙恵は、とても心配そうに登に訴えてくる。登の、今の怪我をした脚。弾丸を数発被弾したよ

うな脚では、とても、あの男に立ちうちできないだろう。

 

 たとえ、登が、普段、目にも留まらないようなスピードで動く事ができたとしても、今の彼の体

では、まだ、一博や浩の方が速いかもしれない。

 

 だが、登は、

 

「ああ…、確かに、僕のスピードでも付いていけないんだろうな…。だから、君がやるんだ。僕

の脚を治すついでに、僕の体にある事をするんだ。体を治す力を使える、君ならばできるはず

だ」

 

 

 

 

 

 

 

 太一は、警棒を振るったが、彼の前には、スタンガンから放たれた火花のような軌跡が残る

だけで、目の前の男を捉える事はできなかった。

 

 背後から攻撃が来る。そう直感した太一は、素早く後ろから突き出されてきた男の攻撃を避

ける。

 

 この男、『ゼロ』に似た姿をしたこの男は、目にも留まらないスピードで動けるだけではなく、

自らの手先をも変形させ、まるで刃のような形状にする事ができるらしい。

 

 男の攻撃は避けたが、素早く振るわれる刃に、太一のコートは、また切り裂かれた。既にコ

ートのそこら中で、切られた後がぱっくりと口を開けている。

 

「太一よォ…、防弾防刃の特殊繊維コートも、こいつの前じゃあ無力だってか…?」

 

 ボロボロになっている太一のコートを見て、浩が呟いた。彼自身も既に、全身が切り傷で覆

われている。

 

「ああ…、だが、元々期待しちゃあいない…。相手は『能力者』、なんだからな…」

 

 再び接近して来る目の前の男。今度の攻撃は避けられそうか…、太一がそれを推し量るよう

な隙もなく、男は残像を残しながら接近して来た。

 

「そろそろ、限界かもな…」

 

 そう呟く浩の声。

 

 太一は、またしても、接近してくる男に向って警棒を突き出したが、それは残像に過ぎない。

背後から来る。直感した太一は、振り向きざまに警棒を振るおうとする。確かに背後に男の姿

は、あった。だが、それさえも残像だった。

 

 はっと気付いた太一。直後、刃が、彼の腕を切り裂いていく。男は、すでに宙に飛び上がって

来ていたのだ。

 

 腕から伸びる刃を突き出し、太一の腕を切り裂く。

 

 太一は呻き、そのバランスを崩した。

 

 男が、もう片方の手の刃をも突き出してくる。避け切れない。

 

 だが、宙から攻撃を仕掛ける男の背後に、更にもう一人の人影が過ぎる。それは、その男

と、同じほどのスピードで背後へと現れた。

 

 それは、登だった。

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 上空から雨のように降り注いでくるのは、全て弾丸だった。弾丸とは言っても、それは水だ。

しかし水とは言っても、路面のアスファルトを砕くほどの威力のある弾丸である事に変わりは無

い。

 

「絵倫ッ!」

 

 隆文が叫んだ。だが、その声は、まるで嵐のように降り注ぐ弾丸の音によってかき消されてし

まう。

 

 弾丸の雨は、ほんの2、3秒続いた。雨にしては一瞬。だが、弾丸の雨は、廃墟となっている

商店街の路面を砕いていた。

 

 人間がその場にいれば、姿形も残らないような有様にされてしまっているだろう。

 

 しかし、隆文も絵倫も、その場に立っていた。

 

「ふぅ…、何とか、空気の気流を変える事で、弾丸の軌道を反らせる事ができたけれども…、こ

の『力』…、そう何回もできる業じゃあ、ないわね…」

 

 そう言うと、絵倫は、隆文と彼女の頭上に出来上がっていた、ドーム状の空気の流れのバリ

アを解いた。

 

 すると、絵倫は、激しく息を切らせていた。あんなに大量の弾丸を防ぐ風を『能力』で起こすの

には、彼女も相当の体力を使ってしまうのだろう。

 

「あの女は、ここの建物にいる…」

 

 隆文は建物を見上げて呟いた。あの女が、どのフロアにいるのかは分からなかったが、とに

かくこの建物の中にいるという事は、間違いなさそうだった。

 

「どうやって、あの女を倒すつもりなの? あの女は水を完璧に操って攻守において完璧よ。そ

れに、今のような遠距離からの狙撃も厄介だわ…」

 

 だが、絵倫の事は構わず、隆文は、建物の中に脚を踏み入れようとする。

 

「さあな? だが、あいつを倒さなければ、太一達が、あの高速で動く男を倒すことはできない

だろう。あの女は、俺達を攻撃するついでに、太一達への攻撃もやっている。あの男は、太一

達を倒したら、俺達を倒しにかかって来る。

 

 結局、俺達がどちらも倒さなきゃあ、『ゼロ』の元には行けない。この一大任務も失敗する…」

 

 そう絵倫に言っている内に、隆文は廃墟の建物の中へと脚を踏み入れていた。

 

「ところで、香奈達は? あの女を挟み撃ちにするつもりだったのなら、もう合流して来るはず

よ」

 

 絵倫は、後ろを振り返り、心配そうに言った。香奈達の姿はどこにも見当たらない。

 

「まさかな…? あの国防長官が一緒なんだぜ…。やられちまっている、なんて事があるはず

がない…」

 

 隆文達は、廃墟の建物へと脚を踏み入れた。

 

 照明は点っていない。それは当然だ。内部の空気は、非常に埃っぽくてかび臭かった。空気

自体に、崩れた瓦礫の粉末が混じっており、呼吸をするだけで咳き込みそうになる。

 

 入り組んだ商店街の中の建物は、どこから、上階へ向ったら良いのかさえ、分からなくなって

しまう。

 

「あの女の撃ってくる弾丸が、この建物の壁をも貫通して来ない保障はあると思う? つまり、

狭い場所に入る事で、その壁を弾が貫通して来られたら、どこから撃たれているのかも分から

ない。わたし達にとって、非常に不利な状況にならないかって事よ」

 

 廃墟の建物の壁に手を押し当て、絵倫が尋ねた。

 

「それは無い…。あの女の弾丸は、アスファルトの地面を砕くだけで、貫通はしていなかった

…。つまり、壁を背にしても戦える相手だって事だ…」

 

「それを聞いて…、安心したわ…」

 

 隆文達は、階段を見つけ、それを登り始めた。

 

「だが、問題なのは、あの女が、どこから、俺達を狙ってやがるかって事が分からないって事だ

…。向こうが、建物の中に入った俺達の気配に気付いている事は確かだ…。あんなに正確

に、弾丸を誘導して来るんだからな…

 

 だが、この入り組んだ建物内…、そう簡単に居場所は分からないだろう…」

 

「でも、結局は、倒さなければならない相手よ…。息を潜めて隠れているわけにはいかないわ

…」

 

「確かに、絵倫。お前の言うとおりだ…。だから、お前にあの女の居場所を探って欲しい。とり

あえず、この建物の高い位置にいて、俺達を狙っている事だけは確かだ」

 

 絵倫はそこでため息をついた。

 

「どうした?」

 

「さっき…、防御の為に一気に風の『力』を使っちゃってね…。思ったより体力の浪費が激しい

のよ…。この建物の中、全ての空気を探るほどの『力』を使ってしまったら、多分それだけで、

あなたの援護はできなくなるわ…」

 

 絵倫は既に疲労の色を浮かべていた。差し込む外からの光だけが頼りの、廃墟の中、その

顔にもはっきりとその様子が現れている。

 

「とりあえず、上層階にあの女がいるって事だけは分かっている。頼む、絵倫」

 

「分かったわ…、言われなくてもやってみる…」

 

 と言い、絵倫は、自分の周囲から、風を操り始めた。

 

 空気の流れが気流になって、建物の隅々まで、手を伸ばしていく。絵倫はその空気の流れか

ら感じられる気配を、まるで自分の手足であるかのように感じる事ができる。

 

 絵倫の操る空気が、建物の隅々までその範囲を伸ばしていく間も、隆文達は、上の階を目指

して行っていた。

 

「建物の中は、がらんとしていて、気配が感じられないわ…。ただ、上の方の階に、やっぱり強

い『力』を感じられる…」

 

「風からでも、『力』を感じる事ができるのか…?」

 

 意外そうに隆文が言った。

 

「ええ、嫌っていうぐらいにはっきりと感じられるわよ…。あの女が、この建物の上にいるという

事が、はっきりと分かったわ…」

 

 と、絵倫。しかし、彼女は直後、その言葉を言い換える。

 

「待って…! 何かおかしい…! この気配…!」

 

 絵倫は何かを感じ取ったかのように、声を上げた。彼女の声は、廃墟の建物の中で幾度も

反射し、増幅し、巨大な音と成り代わった。

 

「何だ…! どうしたんだ? 絵倫…!」

 

「無数の細かい粒…! そう、弾丸よ…! 迫ってきているわ…! 私の起こした風を逆に辿

って迫って来ている…!」

 

「何…!」

 

 隆文がそう反応した直後、まるで、豪雨でも降り注いでいるかのような音が、廃墟の建物の

中に鳴り響いた。

 

「まさか…! まさかな…!」

 

 その音は上方から迫ってきていた。

 

「いいえ、その、まさか。だわ…! あの女、私の風を逆に辿って…。弾丸を放って来ている

…!」

 

 と言い、絵倫は建物の天井を見上げた。

 

「おい…! 絵倫…! 風を起こすな…! 逆に辿られて、俺達の位置がバレちまっている

…!」

 

 隆文は叫んだが、

 

「いいえ、無理よ、隆文…! すでに、位置はバレてしまっているもの…」

 

「じゃあ、どうする…! この場所にいても、大量の弾丸にやられるだけだ…!」

 

 と、隆文は言ったものの、絵倫は即座に行動に出た。

 

「私の風で、弾丸を打ち砕くわ…! どうせ、相手は水でできた弾丸なんだから、簡単に」

 

「おい、それって、お前、さっきも、弾丸を防ぐために『力』を使って風を起こしたが…、相当、

『力』を使っちまうんじゃあないのか? お前…、今でさえ、『力』を相当に浪費してしまっている

はず…!」

 

 しかし、絵倫は、

 

「そんな事を言っている場合!? このままここでどうにかしようと思っていても、迫って来る弾

丸にやられてしまうだけよ…!」

 

 2人が言い合っている間にも、天井から鳴り響いてくる弾丸の反響音は、どんどん接近してき

ていた。

 

 その音に危機感を感じると、隆文も絵倫も、今の状況を受け入れるしかなかった。

 

「…、分かったよ…。これ以上、ここで言い合っていても、無駄だ…。絵倫…。俺はいつもお前

が俺達の為に『力』を使っている時に必ず思っている…

 

 お前ばかりにいつも任せちまっていて悪いな…。俺が、ロクな『能力』を使えないがばっかり

に…」

 

「安心して…、どうせこの任務が最期よ…」

 

 と、絵倫は、隆文を納得させるかのように言った。

 

 すると、全身を一旦緊張させて、再びリラックスした体勢になった。そして、絵倫が再びその

呼吸を一定のリズムに持っていた時、彼女の周囲から、一気に空気の流れが生み出された。

 

 空気の流れは、そのまま建物の通路を伝わっていく。やがて、絵倫は、その風を細かく操作

し出した。

 

「あの女…、本気だわ…」

 

「どういう事だ? 絵倫…?」

 

 隆文は身構えた姿勢のまま絵倫に尋ねる。

 

「数百もの弾丸が、わたし達の方に接近して来ているもの…」

 

「す、数百だと…」

 

 隆文は驚きも露わに言った。

 

「この狭い通路だと…、逃げ場も全くないわよ…、大したものだわ…。あの女も…」

 

「そ、そんな大量の弾丸を、お前の風だけで防ぐ事ができるのか…?」

 

「やって見ないと、分からないって所よ…」

 

 そう言う絵倫は、静かに目を閉じ、じっと何かに集中している。彼女は細かく風を操り、弾丸

を防御しようとしているのだ。

 

「上の階の通路全体に防御壁を張ったわ…。全部の弾丸が防げるかどうかは、分からないけ

れどもね…」

 

 隆文は上の階から聞えて来る音に耳を澄ませる。とりあえず、弾丸の音は止んでいるようだ

った。

 

「だけれども…。今の弾丸を防ぐ事ができたとしても、また、あんなに大量に弾丸を撃って来ら

れたら、私も防ぎようが無い…、今の弾丸だけで精一杯よ…」

 

 そう言うと、絵倫はその場でよろめいた。

 

「お、おい…! 大丈夫か…!?」

 

 隆文は、倒れようとする絵倫の体を支えた。

 

「…、あれだけの、弾丸を防ぐ膜を、空気の流れで張ったのよ…。相当に『力』を使ってしまった

わよ…」

 

「早い所、あの女を探さないとな…! 今度は俺の出番ってわけだ…」

 

「隆文…!?」

 

 と、意気込んだ隆文を、遮るかのような絵倫の声…。

 

「何だ…? 一体、どうしたってんだ…?」

 

 絵倫の顔を覗き込み、隆文は尋ねる。彼の見る絵倫の顔は、驚きの目をしていた。

 

「み、水が…」

 

「何…?」

 

 隆文も、絵倫の見ている方向に目を向ける。彼らの視線の先には、建物の通路の足元にあ

る通気孔があった。そこから、水が溢れ出してきている。

 

「もしかして…、あの水は…」

 

 隆文がそう言う間もなく、水は通気孔から次々と溢れ出していく。水は配水管から噴き出すか

のような不快な音を立て、通路へと溢れ出してきていた。

 

 やがてその水は、雨の降り方を逆回しで見ているかのように空中へと上がる。そして、隆文

達の方へと次々と襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ふう…。大丈夫でしたか…?」

 

 舞はゆっくりと身を起こしながら、香奈に尋ねた。

 

「な、何とか…。雨を凌ぐように、建物の中に逃げ込んでしまえば、あの水の弾丸も襲って来な

いようです…」

 

 と、香奈は、自分より15センチは身長の高い女を見上げて答えていた。

 

「あの敵は水を操っている…。それに、今の雨のように弾丸を降らせる事もできるようです…。

あんなに豪雨のように弾丸を降らされてしまっては、とっさにかわしようも無い…」

 

 そう言って、舞は肩の辺りを押さえていた。真っ白なスーツに血が滲み、彼女の右手からは

血が滴り落ちている。

 

 今の水の弾丸でやられたらしい。商店街に、雨のように降り注いだ弾丸は、今では水溜りと

なって、路上に広がっていた。香奈は、その自ら、心なしか『力』を感じていた。

 

 それは、水溜りのような形状になっても、まだ水を操った『力』は残されているという事でもあ

った。

 

「弾丸を、雨のように降らせる事ができるのだったら…、敵は、かなり高い位置にいるのかもし

れません…。この区域一帯を見渡せるような…」

 

 舞は、再び通りに出て、付近の建物を見渡した。

 

「じゃあ、あの建物では…? あの10階くらいの建物の屋上にいれば、この辺りを見渡す事が

できるかも…」

 

 香奈が指差したのは、背の低い建物が立ち並ぶ商店街の中でも、一際高く聳え立つ建物だ

った。

 

「本当に、そうですか? あなたは、あの建物から強い『力』を感じる事はできますか…?」

 

 と、舞が香奈に疑り深く尋ねて来る。

 

 言われた香奈は、その建物の方に向け、意識を集中させてみた。

 

「…、確かに…、感じます…。ええ、はっきりと! あの建物の屋上に、さっきの敵はいるはず

です!」

 

 香奈は急ぎ動こうとしたが、舞はそんな彼女を制止した。

 

「待ちなさい! これは罠です! あの女は、おそらく例え高い所にいなくても水を操る事がで

きるはずです。おそらく、感覚のみで!

 

 あの敵は、私達と同じ、『ゼロ』の影響を強く受けた人間達の一人なのでしょう。だとしたら、

敵も、私達の位置を正確に感じ取っているはず!」

 

「で、でも…! 敵は、あの場所に、いるはずです! あたしは、ちゃんと感覚で感じて…!」

 

 香奈は、舞に向って言い放つ。しかし、

 

「きちんと、集中して『力』を感じなさい…! 確かに、あの建物の屋上にも、私は『力』を感じる

事ができます! しかしそれだけじゃあない。あの女の放っている感覚は、この付近一帯に、

幾つも存在する…!」

 

「そ、そんな馬鹿な…!」

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に迫って来る弾丸。隆文は、弱っている絵倫の体を抱えて走り、建物の通路の先の

窓から外へと飛び出した。

 

「た、隆文…!?」

 

 絵倫が叫ぶ。確か、自分達が登ってきた階数でも、5〜6階くらいの高さはあったはずだっ

た。

 

「いいや、大丈夫だ。外からこの建物を見た時には、ここに非常階段があるって事は分かって

いたからよ…! このまま屋上まで登ってって、直接敵を叩くとするぜ…」

 

 非常階段を上り始める隆文。直後、彼をそれた水の弾丸が、次々と建物の外へと飛びだして

行った。

 

「弾丸が、戻ってくるわよ…!」

 

 激しく鳴り響く、隆文の非常階段を駆け上る音。その中で絵倫が言った。

 

「分かっている…!」

 

 隆文は絵倫の体を抱えながらも、必死に階段を駆け上っていた。既に、視界には建物の屋

上が見えている。

 

 あそこにさえ、あそこにさえ行けば。

 

 外へと飛び出していった水の弾丸は、そのまま旋回しながら隆文の元へと戻って来る。素早

く駆け上る彼の体を捕えられなかった弾丸は、次々と非常階段の支柱や剥き出しの鉄骨を破

壊して行く。

 

 長年、放置されてきた鉄骨の階段は錆びてもろくなっており、弾丸で意図も簡単に破壊され

てしまった。

 

「俺を撃つよりも、階段を破壊した方が確実ってわけか…!」

 

 残り、1階分。しかし、隆文の足場はすでにぐらぐらに揺らいでいた。

 

 もう数発弾丸にやられたならば、この階段は崩れてしまうだろう。

 

 それよりも早く屋上に達そうと、隆文は脚を急がせる。しかし、更に、建物から飛び出して来

た水の弾丸が、次々と非常階段を破壊して行った。

 

 非常階段の支柱は破壊され、鉄骨の残骸でしかない階段は、崩れていこうとする。

 

「隆文ッ!」

 

 絵倫が叫んだ。だが隆文はその足で、残りの階段を足場に一気に跳躍した。

 

 そして、階段が完全に崩れ去ってしまうのよりも前に、建物屋上の塀へと手を掴んだ。彼の

足下では、鉄骨の非常階段が、脆くも崩れ去って行っている。

 

 だが、そんな光景に目をやっている暇も無い。隆文は、絵倫の体を抱えたまま、屋上へとそ

の体を持ち上げた。

 

「あの女は、この屋上にいるはずだ…。はっきりと『力』を感じていたもんな。あとはこいつを叩く

だけ…」

 

 と、隆文は意気込み、屋上にいる、敵の姿を確認しようとした。

 

 だが、隆文の目に飛び込んできたのは、想像していた敵のいる屋上とは全く違う有様だっ

た。

 

「な…、何だ…? これは…?」

 

 隆文の見ているものは、敵のあの女ではなかった。屋上に、揺らぎながら佇んでいる。直径2

メートルほどの水球だった。

 

 それが、有り得ない形でそこにあるのは、隆文にも分かった。うっすらと光を放ちながら、屋

上の足場よりも少し高い所でその水球は浮かんでいる。

 

「な、何なんだ…? これは…? あの女はどこだ…?」

 

 隆文は周囲を見回すが、女の気配はどこにも無かった。ただ水球だけが、屋上には置かれ

ていたのだ。

 

「この水球から…、あの女と同じ『力』が感じられるわ…。という事は…。まずいわね隆文…!」

 

 だんだんと、水球の表面からの光が強くなる。そして、水球からは雨粒が湧き出してくるかの

ように水の弾丸が現れた。

 

「俺達は、罠にハメられたって言うのか…! あの女はここにはいない…! 俺達が追ってい

たのは、あの女が残した『力』だけだって言うのか!」

 

 隆文がそう叫ぶのが早いか、水の弾丸は彼らに一斉に襲い掛かってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、1ブロック離れた大通り跡の路上で。

 

 登の予想していた以上に、肉体への負担は激しかった。いや、これは負担というのには生易

しい言葉だ。

 

 登は、激しく息を切らせながら、目の前の男と対峙していた。この目にも留まらない、どんな

『能力者』よりも素早く動く事のできる男と、まともに戦う事ができるのは、もはや登しかいなか

った。

 

 負傷さえしなければ、もっと素早く動けたはずだった。

 

 今では、傷の痛みを無理矢理抑え込み、更に、そこから通常の登の筋力と瞬発力からは有

り得ないほどのスピードと力を生み出していた。

 

「な、なあ…? 登は…、大丈夫なのか…?」

 

 もはや、離れた所で見ている事しかできない一博が、沙恵に尋ねた。彼女はすかさず首を横

に振った。

 

「ううん。駄目…。全然駄目だよ…。だって、本当は使ってはいけない『力』を使ってしまってい

るんだよ、登君は…」

 

 そう言う沙恵の体は震えており、言葉にも力が無かった。

 

「あたしの『力』があれば、傷を治す事ができる…。そこまでは良いんだけれども…。逆にあた

しの『力』で、その体から、有り得ないくらいの力を引き出すことだって可能なんだ…。

 

 でもそれは、本人の限界を超えて、力を引き出すという事…。つまり、力やスピードは出せて

も、体が付いていかないの。今、登君の体には、信じられないくらいの負担がかかってしまって

いるの」

 

「おいおい、マジがよ…、今すぐ止めさせないと、いけねえんじゃあねえのか?」

 

 と浩が言う。そんな彼は、高速で動く敵の攻撃を受け、体中に軽度の負傷していた。

 

「そうでなければ、奴は倒せない。そう踏んだんだろう…」

 

 太一が言った。彼も、コートの至る所が破け、戦闘の激しさをその姿は物語る。

 

「だ、だけどよ…、こんなところで、そんな力を使ったんじゃあ…。まだ『ゼロ』じゃあない。あい

つは『ゼロ』じゃあないんだぜ…? こんな所でそんな力を使ったんじゃあ、『ゼロ』を倒しに行く

事ができないじゃあないか…!」

 

 そう言った一博は、今にも登の援護に飛び出して行きそうだ。

 

「待て。俺達は9人いる! 登は、『ゼロ』を倒しに行こうとする我々を止めようとする奴らを、倒

す為に、自分が犠牲になろうとしているんだ!

 

 例え自分が倒れても、『ゼロ』は俺達が倒してくれる。そう踏んだんだろう…」

 

「そ、そんな…、登君が…!」

 

「おいッ! 危ないッ! 飛び退けッ!」

 

 どうしたらよいかも分からない状態の沙恵に、太一が叫びかける。

 

 直後、上空からは無数の雨となって、弾丸が降り注いできていた。

 

 沙恵は、太一に引っ張られる形で、弾丸の雨から脱出させられる。雨は高速でアスファルト

の路面に部分的に撃ち込まれ、一気に地面を砕いた。

 

 それは、登と、彼が戦っている男のいる場所にも降り注いでいた。

 

 登は、素早くその雨に気付き、降り注いでいる地点から脱出する。直後、自分の背後から迫

ってきていた男の攻撃をかわし、自分は、彼自身の武器である槍の矛先を突き出していた。

 

 登の矛先を、男はかわす。次いで、男は、登に向って、蹴りを繰り出して来た。

 

 登は更にその攻撃を避けようとしたが、彼の踏み切った脚に、鈍い衝撃が走った。登はうめ

き、バランスを崩す。

 

 それは彼の踏み切った脚の骨が、過度の負担をかけたせいで、骨折した音だった。それだ

けではない、すでに彼の全身の至る所の骨に亀裂が走っているし、筋肉組織もぼろぼろだっ

た。

 

 男は容赦も無しに、登の体に高速で蹴りを打ち込んでくる。彼の体は跳ね飛ばされ、背後で

降り注いでいる弾丸の雨の中へと突入して行こうとしていた。

 

「の、登君ッ!」

 

 沙恵が、思わず叫んだ。

 

「も、もう限界なんだ…!」

 

 どうする事もできない様に、一博は、ただ自信無くそう呟く事しかできなかった。

-3ページ-

 登の体は、押し出されるかのように、弾丸の雨の中へと突入していこうとしていた。

 

 彼の背後では、雨となっている弾丸が一気に降り注いでいる。この中に突入してしまえば、そ

の弾丸に身を削られ、無残な有様となってしまうだろう。

 

 だが、そんな吹き飛ばされていく彼の体を、背後から支える者の姿があった。

 

 それは、太一だった。

 

「…、う…、太一…」

 

 登は彼の顔を見上げて言った。

 

「一人で責任を背負うつもりか? この敵はお前の敵じゃあない。俺達の敵だ」

 

 と、目の前に立ちはだかる男に目を向け、太一は静かに言った。

 

「…、だが、君達が適うような相手じゃあない…、こいつのスピードは…」

 

 そう言う登の言葉など聞いてもいないかのように、太一は彼の支えていた体を離した。背後

ではすでに弾丸の雨は止んでいた。

 

「…、問題なのは、こいつのスピードの速さも問題だが…、どこかで、弾丸の雨を降らせている

者の存在も問題だ…。どこかで、弾丸を操作している者を、隆文達が倒す事ができれば、俺達

にとって、断然有利になる…!」

 

 そう言いつつ、太一は、男との距離を一定に保ちながら警棒を抜き放って身構えていた。

 

 ぼろぼろになってしまったコートはもう要らないと判断したのか、彼はコートを脱ぎ捨て、シャ

ツ1枚の姿となっていた。

 

「だが、太一、そいつは…」

 

 登はゆっくりと身を起こそうとしていた。彼は、脚を骨折し、全身の筋肉もぼろぼろだったが、

沙恵に与えられた『力』は、全身の筋肉から過度のスピードを引き出すだけのものではなかっ

た。

 

 痛みを麻痺させる、麻酔的な『力』も受け取っていた。

 

 だから、今の登はほとんど痛みを感じていないし、脚の骨折の激痛も、無理矢理抑え込む事

ができている。

 

「それまでの間、こいつを食い止めていれば、それで何とかなる…」

 

 太一は登を励ますかのような口調でそう言うのだった。

 

 そして、男は、今度は登ではなく、太一の方へとその攻撃を繰り出して来た。

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿なッ! 絵倫ッ! 何なんだッ!? あの水球は…! あの女はどこにいるんだッ!?」

 

 隆文は驚きおののきながら、絵倫に向って叫びかける。彼は屋上から飛び出し、塀を乗り越

えると、絵倫の体を抱えたまま屋上の縁を掴み、絵倫と共に宙吊りになっていた。

 

 頭上では、屋上の水球から発せられた水の弾丸が、次々と外へと飛び出して行く。

 

「あの女は、自分のダミーをあそこに置いていったって所ね…。わたし達が感じていたあの女

の気配も、ダミーのものだったんだわ…」

 

「何だって!? じゃあ、あの女は、今どこにいるってんだ!?」

 

 半ば混乱している隆文。彼がそんな事をしている内にも、屋上から放たれた水の弾丸は、空

中でその向きを変え、彼らの方へと戻ってくる。

 

「隆文ッ! 弾丸がこっちに戻って来るわよッ!」

 

「くッ! 絵倫。ワイヤーを使って、この建物を一気にしたまで降りるぞ…! あの女はこの建

物の中にはいない…! 俺の見当違いだ…!」

 

 隆文はそう言い、上着の袖の中に仕込んでいるワイヤーのフックを屋上の縁へとひっかけ

た。そして、絵倫の体をしっかりと抱きしめたまま、一気にそのワイヤーを下へと下していく。

 

 2人の体は、一気に降下していく。だが、隆文の袖から伸びているワイヤーに、彼を狙ってき

た弾丸が、次々と命中する。

 

「大丈夫なの!? このワイヤーが、あの水の弾丸にやられたら…!」

 

「大丈夫だ…! このワイヤーがそんなに簡単に切断されるわけがないだろ…! 何て言った

って…」

 

 だが、隆文がそういい終える間もなく、彼らの体を支えているワイヤーは切断され、隆文と絵

倫の2人の体は宙に投げ出された。

 

「馬鹿な…! このワイヤーがッ!」

 

 2人の体は、建物の2,3階の位置から投げ出されていた。ワイヤーが切断され、なす術も無

く2人の体は宙を落下する。だが、絵倫は、

 

「空気でクッションを作って、落下の衝撃を和らげるわよ…! しっかり掴まっていなさい…!」

 

 隆文に向って言い放ち、今度は彼女が隆文の体をしっかりと抱きしめた。宙を落下していく2

人の体は、地面に激突する寸前、とても柔らかいクッションのようなもので受け止められた。そ

れは目に見えるものではなく、絵倫が『力』を使って造り上げた、空気のクッションだった。

 

「また、助かっちまったな…、絵倫…、だけどよ…、もうお前…、限界なんじゃあ…?」

 

 隆文が絵倫の体力を気遣って尋ねる。だが、絵倫は、

 

「わたしの心配をしている暇は無いわよ…! 隆文…! 上から、弾丸が追ってくる…!」

 

 絵倫が上を見上げると、そこからは、再び雨のように弾丸が降り注いで来ようとしていた。

 

「し、しつこい奴だ…。脱出するぞ…!」

 

 そう言うと、隆文は絵倫の体をかき抱え、雨のように降り注ぐ弾丸から脱出した。

 

「あれだけの弾丸を操るだなんて…、それも遠隔操作よ…。自分と同じ『力』を発せられるダミ

ーまで創り上げる事ができて…、更にそこからも本体と同じように銃弾を繰り出せる…。並の

『能力者』ではないわ…」

 

 逃げる隆文に抱えられながら、絵倫が呟いている。

 

「ああ…、だから、『ゼロ』の影響で突然変異したって人間だろ…? 確かに、並の『能力者』と

は比較にならないだろうぜ…、何て言ったって、人間を辞めちまっているんだからな…!」

 

「いいえ、違うわ…。彼らは、そう、何て言うか、もっと違うものを感じる…。こう…、わたし達とと

ても良く似た何かを…」

 

 

 

 

 

 

 

「不思議ですね…。こうやって、彼女の足跡を辿っていくと、私は、彼女が、私自身の、姉妹か

何かであるような気がしてならないんですよ…」

 

 どこかで水の『力』を操っているであろう、女の跡を追跡しながら、舞は呟いていた。

 

「それは、あなたにとって、どのような感じですか…?」

 

 と、一緒に付いてきている香奈が尋ねる。

 

「さあ…、不思議な感覚ですね…。とても不明瞭であるというのに、それでいて、はっきりとした

感覚でもある…、そんな感じです…」

 

「さっき、あなたは、幾つもあの敵の気配を感じると言っていました。という事は、あの敵の偽者

のようなものが、幾つもあるという事…、その中から本物を見つける事が、あなたにはできるの

ですか…?」

 

「ええ…、もちろんです…」

 

 すると舞は、誰かに呼びかけるかのように呟いた。

 

「こちら浅香 舞です。私達が、先程から追跡している者の所在は分かりましたか?」

 

 それは、舞が耳の中に仕込んでいる通信機への呼びかけだった。

 

(こちら本部…。国防長官殿…、先程からあなた方が追跡していらっしゃる存在は、現段階で

は、エネルギー探査装置に、およそ10の反応となって現れています。しかし、その内の一つの

みが、本物である模様)

 

 すると、すかさず舞は尋ねる。

 

「どれが、本物の敵であるかは、判明しましたか?」

 

(はい…、襲撃直後から、衛星で追跡しています。座標地点を、あなたのお持ちになっているモ

バイル端末に送信しました。位置情報をご確認下さい)

 

 直後、舞は、携帯端末を取り出し、その画面に表示されている地図に目を落とした。

 

 海上で自分達を見守る軍が、衛星によって、あの敵を追跡している。地図上に赤いポイントと

なって表示された。

 

「ここからそう遠くありませんね…、すぐの位置まで近付いています…」

 

 そう言うなり、舞は、携帯端末を片手に、その場から駆け出した。

 

 舞の走るスピードは、相当に速かった。『高能力者』である彼女が、全力で走っている。香奈

はそれに付いていくしかなかった。

 

 何しろ、たった今も、仲間達がどこかで危機に瀕しているだろうからだ。

 

 その仲間達を救う事ができるのは、どうやら、今までずっと対立していたこの女と、背後にい

る『帝国軍』であるようだった。

 

 やがて、彼女達は目標に追いついた。女は、水球にその体を包み込み、まるで、何かを監視

しているかのように、遠くの方へと目をやっている。

 

 彼女は、舞達の姿が、全く見えていないかのようだった。

 

「どうやら…、この場所で幾つもの自分の偽者を操作し、あの弾丸を操っていたようですね…」

 

「あの敵には、あたし達の姿が見えていると思いますか?」

 

 香奈は尋ねた。

 

「もちろん、見えているでしょう…。ただ、私達が、自分の害を及ぼす範囲に侵入してこない限り

は、何もしないつもりでしょうね…、あの女は、別の目標から先に倒したがっているはずです」

 

 それが、さっきのあの男と戦っている仲間達のことであるという事は、香奈にもすぐに分かっ

た。

 

 舞はそれだけ香奈に言ってしまうと、自分だけ、女の方に向ってゆっくりとその歩を歩み始め

た。

 

「な…、何を…!」

 

「本部…? 聞えていますか? 私が、この敵を追い詰めます…。目標をロックオンしたら、す

ぐさま攻撃しなさい…」

 

 止めようとする香奈には何も言わず、舞は、本部と通信を先に行った。

 

(りょ…、了解…。国防長官…、どうかお気をつけ下さい…)

 

 本部との通信を行った舞は、次に香奈に向って言った。

 

「私が、この女を追い詰めます。あなたは、もしもの時に、この私を援護して下さい。良いです

か?」

 

「え、ええ…」

 

 実際、香奈は自分にはその程度の事しかできないだろうと思っていた。

 

 舞は、一歩ずつ、女の方へと近付いていく。すでに彼女は赤く光る刀を抜き放っており、臨戦

態勢だった。

 

 最初、女は、まるで舞の事が見えていないかのようだった。しかし、およそその間合いを10メ

ートル程に近づけたとき、何かに気付いたかのように、女は舞の方を向いた。

 

 その、瞳が失われている目が、鋭く舞へと向けられる。

 

「やはり、あなた達は、私達から出ている、『力』の匂いを辿っているのですね?」

 

 そう言う舞からは、すでに、ぼうっと光る白い光が溢れ出していた。

 

 女は、その身を包んでいる水球を内側から自在に操作する。すると、幾度となく襲い掛かって

来ている水の弾丸が、水球の外側から一気に発射された。

 

 それは、まるで横に降る雨だった。女の水球から放たれた雨は、舞に向って無数の弾丸とな

って襲い掛かる。

 

 しかし、舞は、避けるような事もせず、その身に雨粒を受けた。

 

 だが、舞の体に命中する雨粒は、弾丸ではなく、ただの水滴となって、弾かれるだけだった。

 

 逆に、舞の体に命中しなかった雨粒は、弾丸となって後方へと飛んでいく。

 

「私に、その攻撃は通用しませんよ。何故なら、私は、あなた達の『能力』を無効化する『力』を

使う事ができるから…、今、私の体を、鎧のように覆っている光がそれです。

 

 つまり、あなたの放つ水に込められている弾丸としての『力』は、私の『力』で、ただの水にし

てしまう事ができる。あなたの攻撃は、私の前では無駄という事なのです」

 

 そう言うなり、舞はどんどん、女との間合いを詰めていった。

 

 女は、舞に向って、再度水の弾丸を放つ。しかしその攻撃は、彼女の『力』によって次々と無

効化される。

 

「あなたの攻撃は、私の前では無力なのです」

 

 舞は、刀を振りかぶり、水球に包み込まれている女に向け、その刃を振り下ろした。

 

 しかしその刃は、まるで、ゴムにでも弾かれるかのように、水球に軌道をそらされてしまう。

 

 舞の刀の刃が、女に届く事は無かった。

 

 舞の攻撃を防いだ女は、少し顔を微笑させた。

 

「お互いの攻撃に対する防御は、双方ともに完璧のようですね…? しかしお分かりですか?

 あなたのその水球のバリアを構築しているのも『能力』であるはずです。そして、私は、その

『力』を無効化する『能力』を持っている…。もちろん、それを刀による攻撃に篭める事も可能

…」

 

 次の瞬間、女の周囲を覆っていた水球は、ただの水となって砕け散った。

 

「よって、あなたの膜を私は破壊する事ができる…。ただの力ではなく、『能力』でです」

 

 すかさず舞は、女を追い詰めるべく、刀を更に一閃させる。それは、舞の残像を残すほど素

早いものだった。

 

 しかし、女は素早く身を引き、舞の攻撃をかわした。舞は接近し、更なる刀による斬撃を繰り

出すが、女は素早くそれを避ける。

 

「なるほど…、基本的な身体能力も普通じゃあないようですね…」

 

 そして、舞が女の体を捕えようと、更なる刀による一撃を繰り出そうとした時、女は、新たな水

球を生み出し、それをバリアとして張った。

 

 目の前でバリアを形成され、舞はゴムのような表面に弾かれて吹き飛ぶ。

 

「即座に次のバリアを張る事もできるのですね…。正に、攻守において、完璧な『能力者』と言

った所でしょうか…、ですがね…」

 

 すぐさま体勢を立て直した舞は、再び女に向って斬りかかって行く。

 

 舞の刀が、女のバリアに接触すると、舞の刀からは光が溢れ、女のバリアをただの水と帰し

てしまう。舞は、続けざまに刀を振り、女を追い詰めようとする。

 

 またしても、刀は、空を斬るばかり、女の体を捕える事は無い。しかし、上空からやって来

た、見えない閃光が突然、女の身を焼いた。

 

 その光は、舞にも目視できない、見えない光だった。だが、それは、確実に女の退路を断つ

かのように照射され、彼女の退路を阻んでいた。

 

「対兵器用、衛星レーザー兵器は赤外線のレーザー。あなたもやはり元は人間。可視領域の

色しか見る事はできないようですね。しかもそれは『能力』では無い。人工的なエネルギーは感

じる事ができないようですね」

 

 肉が焦げる匂いがする。対兵器用レーザーは、女の体を破壊し、左肩から、左脚までを、す

べて消失させてしまっていた。

 

 女は、致命的なダメージを負いながらも、またしてもバリアを形成しようとする。

 

 だが、ダメージを負った分、舞よりも動きは遅れていた。

 

 舞の刀が一閃し、女の首を完全に捉えた。刀は首をはね、形成しかかっていた彼女のバリア

が、粉々の水滴となって散っていく。

 

 女の体は地面へと崩れ落ちた。そして、地面に倒れた女の体は、『ゼロ』のような青白い肌か

ら、人のものである、肌色へと成り代わっていく。

 

 それは、あくまで、舞達の前に現れたこの生命体達は、人間であるという事を示しているのだ

った。

 

「戻りましょう…、あたしの仲間がやられてしまわない内に…」

 

 地面に膝を付き、人間の体へと変化していく女の体を、じっと見つめている舞に向って、香奈

は呼びかけた。

 

「ええ…、分かりました…」

-4ページ-

 既に、戦いは消耗戦となっていた。登は、その体の髄の根からも、あらん限りの『力』を発揮

させていたし、太一も、疲労の限界までその身体能力を発揮させていた。

 

 対峙する男も、しぶとく立ち上がってくる敵に業を煮やしているのか、その表情にも、幾分陰

りが見え始めていた。

 

 登と、太一も男の体を捉えられず、全くダメージを負わせていないわけではない。決定打にな

っていないだけだ。登のスピードは、男のスピードに何とか追いつける事ができていたし、太一

がその援護を行う。『高能力者』の中でも、抜きん出ている2人のスピードの連携だったから、

全く男を捉えられないわけではなかった。

 

 だが、決定打には至らない。更に、戦いが長引けば長引くほど、2人のとっては、非常に不利

だった。

 

「おい…、終わりが見えないぜ…、一体、どうするってんだよ…!」

 

 浩が沙恵に尋ねた。

 

「駄目だよ…、もう登君の体は、限界なんだよ…! これ以上…、これ以上、戦ったりしたら

…!」

 

 だが、彼女自身は、そう言う事しかできず、とても目の前で展開されている超高速の戦いに

は付いて行けそうになかった。

 

 再び、男が、太一と登に向って攻撃を繰り出す。それは、目にも留まらないようなスピードだ

った。太一は、幾分か鈍くなってきた動きでそれをかわすが、登はもはやその場でガードする

事しかできない。

 

 しかも、今の彼の疲労度では、ガードも緩く、ほとんど相手の攻撃を受けているも同然だっ

た。

 

「何もせず、この場でじっとしているって事が、我慢できない! さ、沙恵…! おれ達にもその

『力』を使ってくれ…!」

 

 一博が、沙恵に向って言った。だが、沙恵は、

 

「駄目だって! できないの! もし、今、登君が使っている『力』を君達にも使ったら、これから

『ゼロ』と戦うって言うのに、戦う事も、立ち上がる事もできないような体になってしまう! 『ゼ

ロ』と戦うのに、大事な戦力を失ってしまう!」

 

「だが、登にはやっただろうがよ? 何だ? 登は重要な戦力じゃあねえってのか?」

 

 浩が、間に割り込んできた。

 

「違う。違うの。登君は、どうせ犠牲になるなら、一人の方が良い。このままじゃあ、『ゼロ』の元

に辿り着く事さえできない。だから、僕が犠牲になって、この場を何とかするって、そう言った

の!」

 

 そう沙恵が言った直後、登のうめき声が響き渡った。

 

 男が、手を変形させた手刀で、登の喉を切り裂いていた。鮮血が辺りに飛び散り、登の体

は、地面に崩れ落ちていた。

 

「の…、登君ッ! そ、そんなッ!」

 

 沙恵の悲痛な声が上がった。だが、地面に倒れた登の体は、2,3度痙攣しただけで、やが

ては、少しの動きも見せなくなって行く。

 

「い、嫌!」

 

 沙恵は叫び、飛び出していった。一心不乱に、まるで、何も考えていないかのように。

 

「待て! 待つんだ! 沙恵ッ!」

 

 しかし、一博がそのように呼びかけても、沙恵は、止まる事なく登の方へと飛び出していっ

た。

 

「登君ッ!」

 

 沙恵の叫び声には、たった今、登を打ち負かしたばかりの男も気が付いた。

 

 男は、沙恵を迎え撃とうと向きを変え、攻撃の体勢に入る。

 

 沙恵の動きは、この男には、どのように見えていただろうか。おそらく、太一や登よりも、遥か

に遅い動きに見えていた事だろう。

 

 彼女は無謀にも、登を救うべく、男に向って接近していったのだ。

 

 地面に倒れた登までの距離は離れている。沙恵の目の前には、男が立ち塞がり、その行く

手を阻むと同時に、彼女をも始末しようとして来た。

 

 腕を変形させ、凶器と化した刃が、沙恵に向って襲い掛かる。

 

 沙恵は、本来ならば、高速で接近し、攻撃を仕掛けてくるその刃を避ける事など、とてもでき

なかっただろう。その刃の動きを、見る事すら適わなかったかもしれない。

 

 だが、沙恵は、男の刃の動きを読み、その攻撃を避け切った。

 

 沙恵の動きが急激に加速されていた。男は不審に思い、沙恵へと、更なる刃の攻撃を繰り

出してくる。

 

 しかし、それは空をかすめるだけで、沙恵を捉える事は無かった。

 

 攻撃を避けた沙恵は、すぐさま反撃へと転じる。刃の仕込まれた円盤状の武器を使い、男の

体を斬り付けた。

 

 逆に、男の方が、沙恵の動きを見て取れなかっただろう。今の沙恵の動きは、太一や登より

も圧倒的に速かったのだ。

 

「おいおい、嘘だろ…、沙恵が、あんなに速く攻撃できるなんて、知らなかったぞ…!」

 

 思わず浩が驚愕の声を上げた。

 

「い、いや違う…!」

 

 しかし、すぐさま、一博が彼を制止する。

 

「何がだ?」

 

「沙恵は…、さっき、自分が登にやったって言う『能力』を自分に対して使っている…! 全身の

肉体組織を過激に発達させ、爆発的な身体能力を得るって言う『力』さ…。それを沙恵は、自

分に対して使っている…!」

 

「って、事は…?」

 

 目の前で展開される、沙恵の、今まで見せた事も無いような戦いを見つめつつ、一博は深刻

な声で言った。

 

「沙恵の体に、あんなに速いスピードで戦うような潜在能力なんて、本来ならばないはずなんだ

…! それを、あんなに過激な形で爆発させたら…!」

 

「おいおい、それってよォ…!」

 

「想像したくもない…! 副作用は登以上だ…! もしかしたら、自分の肉体を完全に破壊して

しまう事になるかもしれない…」

 

 

 

 

 

 

 

 沙恵は、一博や浩の思う最悪の状況に、自ら飛び込んで行っていた。どうせ、自分がこの男

と戦うのならばやられてしまう。しかし、自分の『能力』さえあれば、人体組織から限界以上のス

ピードとパワーを引き出す事のできる、自分の『能力』さえあれば、この男を打ち倒すまでとは

いかずとも、仲間が倒す事には十分な、ダメージを負わせられるかもしれない。

 

 沙恵は、男に更なるダメージを与える。直後、武器を持った右腕に、まるで電流を流したかの

ような激痛と、腕の筋肉が裂けたかのような感覚が奔った。

 

 彼女は思わず呻いた。それを、男は見逃さなかった。

 

 男は、自分の腕の一部である刃を、沙恵の腕に向って振るった。幾度もナイフで斬り付けた

かのような傷跡が、沙恵の右腕に走る。

 

 沙恵は、2重にやって来た痛みに、叫ぶしかなかった。

 

 男は、そのチャンスを見逃さなかった。刃を手に、沙恵に向ってとどめの一撃を放とうとす

る。

 

 だが、直後、男は気付いたようだ。沙恵の手から、武器が失われている。

 

 そう、彼女の手から、円盤に刃を取り付けた武器が失われているのだ。

 

 沙恵はすでに武器を放っていた。彼女の手を離れた円盤状の武器はブーメランとなって、男

の背後へと回っている。

 

 男はその武器に即座に気付いたが、沙恵の武器が、4つに分裂するという事は分からなかっ

たらしい。

 

 4つの方向から、それぞれ、まるで意思でもあるかのように、円盤が男へと接近して行く。

 

 しかし、沙恵の円盤の動きでは、男の動きを捉える事はできなかった。

 

 背後からやってきた4つに分裂した円盤を、男は、何無くかわした。

 

 更に彼は、追撃して来た太一の攻撃もかわし、無謀とは分かっていても飛び込んできた、一

博、浩の攻撃も避けきる。

 

 すでに、限界を遥かに超えていた沙恵の体は、普通の人間でもかわせるような、刃の動きを

も避ける事ができなかった。

 

 体中の筋肉は引きちぎれそうだったし、あらゆる部位の骨格にもひびが入っている事を沙恵

は感じていた。

 

 登にも使った、筋力の爆発的活性化の『力』は、自分自身に対して使う方がより大きな効果

を出す事はできたが、彼女自身は、それに耐えうる身体能力を持っていなかったのだ。

 

 沙恵は、ぼろぼろの肉体を引きずりながらも、尚、男と対峙しようとしていた。だが、直後、彼

女は体を貫く衝撃を感じた。

 

 痛みは、あまりなかった。体全体が麻痺しているせいだろうか。ただ衝撃が走った事だけは、

彼女は感じていた。

 

 しかし、男の突き出した刃が、自分の胸を貫いている…

 

 絶望とはこの事だった。沙恵はその体に致命的な一撃を見舞い、地面へと崩れた。胸に刺し

込まれた刃は、肺を貫通し、口からは咳き込みと血が溢れる。

 

 遠のく意識の中で、沙恵は、自分と同じように倒れている登の姿を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 浩の雄たけびにも似た叫び声が、廃墟の通りに響き渡り、彼は、男に向って突進して行っ

た。

 

 あまりに無謀、あまりに強引だったが、目の前で仲間2人を倒された彼の怒りをそう簡単に

抑える事はできない。

 

 今まで浩の攻撃を何無くかわしていた男だったが、連続した戦いで疲労してきているせい

か、動きが鈍った。

 

 浩の直線的なパンチは何とか避けた男だったが、横から来た太一の警棒、更に、背後から

奇襲を仕掛けてきた舞の刀による一撃は避ける事ができなかった。

 

 致命傷には至らなかったが、舞の刀は、男の背中を切り裂いた。

 

「あ、あんた…!」

 

 一博が驚いたように声を上げた。

 

「水の弾丸を、放っていた女は倒しました! 残るはこの敵だけです…!」

 

 舞は、突然奇襲を仕掛けて来た事に驚いている太一達に言った。

 

「…、ですが、この敵も、もうおしまいですね…。この私の刀の一撃を受けたという事は、その

『力』を封じられるという事になる…」

 

 舞の刀が纏っていた光は、既に、男の体へと流れつつあった。刀の切り口からは、発光体

が、男の体へと広がっていこうとしていた。

 

 そして、光を放っている部分からは、『ゼロ』を思わせる青白い皮膚ではなく、人の肌を思わ

せる色が出現していた。

 

 男は、声を上げる事は無かったが、自分の体に現れだした、人の体としての部分に明らかな

嫌悪を示していた。しかも、その部分が、広がっていくのを…

 

 どんどん人の体と化していく男の体。すでに背中全体にまで、人の体としての部分は広がっ

ていた。

 

 しかし、ある部分まで来るとそれは停止する。舞の刀から移った光はそれ以上広がっていか

ず、その場所で停止してしまった。

 

 男は、すぐさま、舞へと向き直り、彼女へと飛び掛ってきた。すぐさま舞は反応し、刀を振る

が、男は飛び上がる。

 

 飛び上がった先は、通りに立ち並ぶ、建物の壁だった。男は、自分の手を変形させた刃を建

物の壁へと突き刺し、まるで昆虫ででもあるかのように、素早く廃墟の壁をよじ登っていく。

 

 そして、屋上にまで達したその男は、そのまま建物の向こう側へと姿を消してしまった。

 

「逃げた…、のか?」

 

 舞と共に、壁を登っていった男の姿を見上げながら、太一は言った。

 

「どうやら…、そのようですね…。彼は仲間を倒された事を知った。今は、一時撤退といった所

でしょうか…、それに…」

 

「それに?」

 

「いえ、後にしましょう…。今は、負傷者の応急手当をしないと…」

 

 と言って、舞は地面に倒れている登と沙恵の姿を見やったが、

 

「しかし、これは…、応急手当どころでは済みませんね…」

 

 

 

 

 

 

 

「沙恵ッ! しっかりしてッ! 沙恵!」

 

 香奈の声が、廃墟の通りに反響して増幅する。自分達が駆けつけた時にはもう遅かった。登

と沙恵はそれぞれ、敵によって、致命的な一撃を受けていたのだ。

 

「できる限りの事は、しました…。ですが、すべての傷を完全に塞ぐ事は私にはできない…。せ

めてこの方が、目を覚ましてくれれば…」

 

 と言いつつ、舞は、沙恵の胸の傷口から手を離した。ポンプのように血が溢れ出していた沙

恵の胸の傷口からは出血が収まってきている。だが、相当の出血で、沙恵の体はすでに蒼白

な色へと変化していた。

 

「全身の筋肉や骨格組織もぼろぼろです、この2人は、相当、体に無理な『力』を使ってしまっ

たらしく…」

 

 香奈は舞よりも前に歩み出て、力なく横たわる沙恵の体を抱きかかえた。

 

「ねえッ! 何とか言ってよ! 目を覚ましてッ!」

 

 香奈が呼びかけても、沙恵は、弱弱しくあえぐだけだ。

 

 生きている。生きてはいる。だが、いつ、その命の灯が消えてしまっても不思議ではない。ほ

んの僅かに、まるで手の中からすり抜けていく、砂のような沙恵の命を香奈は感じていた。

 

「沙恵ッ!」

 

 香奈が再び叫んだ。その声はあちらこちらに反射し、再び廃墟の中で増幅した。

 

 共に、『SVO』の危険な任務を乗り越えてきた友が、今、自分の腕の中で死んでいこうとして

いる。沙恵や、登は、自分を犠牲にしてまでも、任務を果たそうとした。

 

 それが、殉職。このような組織に関わる者ならば、いつ死んでも当然。

 

 だが、そんな事など、今の香奈にとってはどうでも良かった。

 

 組織が何だ。任務が、一体何だと言うのだ。

 

 太一が、香奈の肩に手を置いて、そんな彼女を制止しようとする。

 

「おい、落ち着け。敵に聞えるかもしれない」

 

 だが、そんな太一の言葉も、今の香奈にとっては、邪魔なものでしかなかった。

 

「何を言っているのよッ! 沙恵が…、沙恵が、死んでしまいそうなんだよ…! そんな時に

…!」

 

 香奈が、太一に食って掛かった。太一は、さして面食らった様子も見せず、香奈をそれ以

上、制止しようとはしなかった。

 

 一方、そのすぐ近くに倒れている登の側に舞は屈みこみ、そ様子を見ていた。

 

「駄目ですね…。確かに、できる限りの事をして、応急処置を施しました。ですが、私が、この

場でできるのは、ここまでです…」

 

 登は、首の出血も抑えられていたが、出血量が酷く、意識もはっきりしていない。更に、全身

の筋肉組織や、骨格組織もやられてしまっていた。

 

「本当かよ…、もっと、もっと何かできないのか? このままじゃあ、立つ事さえできないい…」

 

 と、浩は言ったが、舞は首を振った。

 

「早く、適切な治療を受けないと、生死に関わります。いえ、もう関わっているでしょう…。私も、

治癒『能力』は高いと言われていますが、あちらの方には、及びません…。彼女の『力』があれ

ば、何とかなりましたけれども…」

 

 舞は、そう言って、沙恵の方を振り向いた。香奈は必死になって、負傷した沙恵に呼びかけ

ている。

 

「沙恵…! 目を覚まして…! お願い…! 目を覚まして…!」

 

 香奈は、沙恵の胸の中へと顔を埋めて、涙を流した。

 

 せめて、せめて、自分が治癒『能力』をもっと使えたら、沙恵を救ってやる事ができるというの

に。

 

 傷だらけの自分の友を見て、香奈は、何とも形容しがたい思いにかられていた。

 

 沙恵なら、自分の傷をも治す事ができる。だが、自分は…、せいぜい、彼女の意識を取り戻

させてあげる事ぐらいしかできない。

 

 今、体の中からふつふつと沸き起こってくる、神経の伝達信号、体の中を流れるわずかな電

流を増幅させ、それを、沙恵の体へと一気に流す。もちろん、彼女が死んでしまわないように、

慎重に。

 

 香奈も使った事の無い、『力』の使い方だ。それに、今はとても動揺している。一歩間違えれ

ば、彼女を殺してしまいかねない。

 

 だが、香奈はそんな自分の動揺を無理矢理抑え込んだ。

 

 自分ならできる。ここまで、共に乗り越えてきた友を救うためならば、どんな事だってできる。

 

 香奈は、沙恵の体から、再び脈動してくる心臓の鼓動を感じた。

 

 幾分か沙恵は咳き込み、肺の中に溜まっていた血を吐き出す。胸の刺し傷は舞が治した

が、沙恵は肺に穴が開いていたせいで、自分の血で窒息状態になっていたのだ。

 

「か、か、な…」

 

 と、弱弱しく自分に呼び掛けて来る声。

 

 香奈は沙恵の顔を見た。半分、虚ろな表情を見せる彼女は、かなり憔悴している。だが、そ

の視線ははっきりと香奈の方へと向けられていた。

 

 そして、香奈は沙恵の胸の中にある心臓が、はっきりと鼓動を繰り返しているのを感じてい

た。

 

「…、あなたに…、た、助け、られちゃった…、ね…」

 

 沙恵は、静かに香奈に言った。

 

 その友の言葉を聞くと、何だか泣きたい気持ちにさせられる。でも、同時に笑いたくもなってく

る。

 

 香奈は沙恵の手を握り、既に2人の間に築き上がっている、固い絆を確かめ合うのだった。

 

説明
ついに最終決戦の地へとやってきた主人公たち。しかしながらそこには、突然変異によって誕生した生命体たちがおり、彼らを次々と追い詰めていくのでした。

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