真・恋姫†無双〜愛雛恋華伝〜 33:【漢朝回天】 その身を動かすもの
[全6ページ]
-1ページ-

◆真・恋姫†無双〜愛雛恋華伝〜

 

33:【漢朝回天】 その身を動かすもの

 

 

 

 

 

華祐と孫堅の立ち合いを経て。合同修練に袁術軍も加わるようになった。

董卓軍からしてみれば、面倒を見る面子が増えた、とも取れる。

だがそれ以上に、孫堅という指導役を新たに得たことの方が大きい。

 

華祐が、袁術軍の将兵を見る。

例によって、叩き潰しながらその都度改善点を指摘し放置。

自ら起き上がり試行錯誤するに任せるやり方だ。

これが袁術軍にも好意的に受け入れられた。

むしろ「優しく丁寧で涙が出そう」といわれるほどである。

いくらなんでもそれはいい過ぎだろう、と、華祐は思ったのだが。

すぐにその理由を知る。

 

叩き潰してなにもせず放置。それが孫堅のやり方だった。

 

「先を進むやつの姿をよく見て、後は自分で考えな」

 

進んでなにかをしようとしない。それが当たり前だ、と、彼女はそういって憚らない。

確かにそれと比較するならば、直接声をかけ指導する華祐は親身に感じられるだろう。

とはいうものの、孫堅が袁術軍将兵に嫌われているわけではない。

彼女の見せる背中は、参考にし、後ろを追い駆けるに値するものだと理解しているのだろう。

軍閥としての実力を持ちしっかりまとまっているのも、彼女の実績と、人徳ゆえといえる。

 

 

 

華祐と入れ替わるようにして、孫堅が、董卓軍に混ざる。

彼女はひたすら立ち合い三昧。物凄く楽しそうに、将兵たちを遠慮なく吹き飛ばし続けていた。

その様を見た華祐は、

 

「幽州で、公孫軍を鍛えていた恋と同じようなものだな」

 

という感想を漏らしている。

 

非常に生傷の絶えないやり方ではあるのだが。

これ幸いとばかりに、孫堅に挑み続ける者もいた。

華雄、張遼、呂布の三人だ。

 

先だっての、対華祐戦。三人はこれを見て非常に発奮した。彼女らは立て続けに立ち合いを願う。

さすがにその日はもう勘弁と流されたが、以降、孫堅の姿を見るたびに「勝負しろ」と口にするようになった。

手応えのある将とやり合うことは、孫堅としても望むところ。嬉々としてその誘いに乗ってみせる。

 

董卓軍きっての三将であっても、孫堅の優位さは揺るがなかった。

華雄には速さで勝り。

張遼には力で勝る。

呂布には武を振るう引き出しの多さで勝っている。

孫堅は、それぞれの相手に勝る部分を駆使しながら、楽しそうに剣を振るう。

三人共にいい勝負はしてみせる。ことに呂布は、一見互角とばかりに渡り合ってみせる。

だが結果を見れば、常に孫堅の勝ちで終わる。

一体なにが足りないのか、と、三人は頭を悩まし続けた。

 

 

 

他の軍閥と修練を繰り返し、互いにしのぎを削りながら。董卓軍はただひたすら、地力を上げることに努めている。

普段ならば手綱を握るのは張遼なのだが。華祐が参加し、そして孫堅まで参加したことで、彼女は、将というよりも兵の一人として修練に当たるようになっていた。

 

「兵をまとめる? ウチが弱っちいうちはそんなこと出来るわけないやろ」

 

明らかに言い訳でしかないのだが、かなり本気でそんなことをいう張遼だった。

 

では誰が董卓軍をまとめているのかというと。

 

「いい加減にするのですこの猪どもーーーーっ!!」

 

陳宮であった。

 

他を省みようとしない華雄と張遼の代わりに、自軍の将兵たちの指揮を執っていた。

彼女は"呂布付きの軍師"という立ち位置にあり、なによりも呂布を第一に考える。

他を省みないという点では随一な人物なのだが。

あるとき、華祐が吹き込んだ言葉が切っ掛けでまとめ役を引き受けた。

 

「董卓軍すべての将兵を意のままに動かし、ここぞというところで呂布を投入する。

呂布が、とてつもなく引き立つ。そのすべてを仕切ってみようとは思わんか?」

 

呂布が一番、と常に豪語する陳宮は、その言葉にころりと転んだ。

 

「お前たち、呂布殿を前にしても恥ずかしくないようにしてやりますぞ!」

 

これまでの董卓軍は、良くも悪くも呂布が基準となり動いていた。

それを下敷きにしつつ、他の将兵らの実力が少しでも呂布に近づくように鍛え上げる。

やることは同じであっても、地力が違えば出来ることにも幅が生まれる。

呂布のみが突出するという事態が少なくなれば、つけこまれる隙も小さくなる。

軍閥としての威も厚くなるだろう。

呂布に頼るのではなく、他と連携することで使いこなす。

そのために、陳宮を担ぎ出したといってもいい。

 

ちなみに。

陳宮に軍を任せるという案は、賈駆と鳳灯によるものだ。

彼女の性格と手腕をよく考えた上で乗せて見せ、軍師としての実力も上げようという試みである。

知ってか知らずか、陳宮は思惑通りにやる気になってくれた。

彼女は今日も修練場に顔を出し、将兵ら、特に華雄と張遼に対して声を張り上げている。

 

 

 

-2ページ-

 

やる気に溢れた董卓軍。

それに触発されるかのように、他の西園八校尉ら、曹操袁紹袁術が率いる将兵たちもまた熱心に修練を続けていた。

 

 

 

曹操は、元来持つ気性もあって、自軍に属する一将兵らにも高い理想を課す。それを目標として行われる修練、その内容は元より厳しいものだった。

それが董卓軍の存在により煽られるようになる。

負けてなるものか、という気持ちが多少はあるのだろうが。

 

「別に、そんなこと思ったりしていないわよ?」

 

例え尋ねたとしても、涼しい顔でこう返されることだろう。

否定する一方で、時折ではあるが彼女自身もまた武器を持ち修練を行っている。

更に夏侯惇を洛陽に呼び寄せた。

自分よりも高みにある存在を知る、という経験を持たせる意図からの招聘である。

夏侯惇は孫堅に挑むも、当然のように敵わなかった。

華祐とは幽州に引き続きここでも敗れ、呂布にも力及ばず、張遼と華雄には勝ったり負けたりの繰り返し。

想像以上に負けを重ねて毎日のように落ち込む夏侯惇。

だがもともとの気性ゆえか、一晩休んだ次の日には気持ちをすっきりさせ、それぞれの将たちに喰って掛かっている。

そんな姿を見て、曹操と夏侯淵は満足するように笑みを浮かべていた。

 

自軍の戦力をより高めようという思い。

やはり、どこか気持ちが逸っているのかもしれない。

だが、曹操にしても旗下の将兵にしても、逸りはしても無理や無茶というところまでは追い詰めない辺りは、程度というものをよく弁えているといっていいだろう。

彼女らにとって、厳しくも充実した時間が流れていた。

 

 

 

袁紹の抱える将兵は、数では抜きん出ていたもののその質となると今ひとつであった。

なによりも彼女自身が、董卓軍の修練を見て、自身が持つ将兵らが"華麗さ"に足りないと自覚した。

 

彼女には"袁家である"という誇りがあった。

それを保つためならば、足りないものは補ってみせるし、大概のことはやってのけてみせる。

鍛える必要があると判断すれば、自分から修練参加を願い出るくらいのことは大したことではない。

 

「この! 袁本初自ら! 貴女方の修練に参加して差し上げてもよろしくってよ!」

 

大したことはないといっても、それはあくまで彼女の基準の中でのこと。周囲にはただ尊大な態度にしか見えないかもしれない。

面と向かって人になにかを「頼む」「お願いする」には、袁家という看板が邪魔をするのだろう。

それでも、少なくとも曹操鳳灯華祐には、あのような態度でも頭を下げているに等しいことが理解できていた。

あれが物を頼む態度か、と、一部憤る者もいたが。前述の三人が宥めることで事なきを得ている。

 

修練の際にも、袁紹自らその内容を見つつ、反復を怠らない。時には自らも武器を手にし参加するという入れ込みようであった。

尊大な態度は変わらないものの、彼女の中で思うところがあったのかもしれない。

 

ともあれ以後、袁紹軍は、董卓軍との合同修練を積極的に行うようになる。

 

 

 

袁術は、相も変わらず表に出てくることが少ない。

 

「妾よりも良く出来る者がいるのじゃ。ならばその者に任せた方がいいじゃろ?」

 

自領の内政は張勲に、軍部のまとめは孫堅に。そして"袁家"という金看板は袁紹に任せている。

すべてを他に任せ、当の袁術は優雅に蜂蜜水を飲んでいるだけ。

曲がりなりにもそれでうまく回っているのだから、あれこれいう必要はないのかもしれない。

 

西園八校尉の地位に就いたことも、朝廷からの勅命だったからこそ、自ら出向いたに過ぎない。そうでなければ、袁術は自領から出ようとはしなかった。

そもそもその地位に推されるほどの軍閥になったのは、すべて孫堅の業績によるものだった。

袁術も、"その働きに応える褒賞"として孫堅に押し付けようとしていたのだが。

 

「中央に行くなんて面倒くさい」

 

とバッサリ断られている。

 

「軍閥のひとつとして呼ばれているのじゃぞ? おぬしが行かないでどうするのじゃ」

「呼ばれているのは行路なんでしょ? アンタが行けばいいじゃない」

「いやじゃ。面倒じゃし」

 

面倒くさがるのを隠そうともしないふたりだったのだが。

 

「お酒と蜂蜜水、止めますよ?」

 

ある意味、ふたりの命そのものを取り上げられかけ、顔色を変える袁術と孫堅。

笑顔の張勲がかけた脅しに屈する形で、不承不承やって来たという経緯があったりする。

 

洛陽へやって来てからも、袁術のものぐささは鳴りを潜めようとはしない。

袁術の代わりに、袁術軍を統べる孫堅があらゆる面で顔を出してくる。

張勲がそれに同行することもあるが、なにか口を挟むこともなく。彼女は孫堅と並び立ち、ただ笑顔を浮かべているだけだ。

 

「孫堅さんがやってくれるなら私いらないじゃないですかー」

「うるさい。張勲、お前も苦労しろ」

「えー、面倒くさーい」

 

面倒くさがりばかりな袁術陣営であった。

 

 

 

-3ページ-

 

各々が思惑、というには一部首を傾げるところもあるが、まぁ思惑を抱えつつ。

"洛陽を守護する"という名目の下に、軍閥らはそれぞれに将兵を鍛えていく。

 

西園八校尉という地位にある以上、将兵の質を上げるべく鍛錬をすることは日常のことだといっていい。

だが、これまで抱えていた朝廷軍を基準にして考えるとどうか。

この熱心さは、いささか常軌を逸しているように見える。

少なくとも、自己保身と私腹を肥やすことに熱心な高官たちには理解が及ばないものだった。

 

いや、我々のいる洛陽を守る兵なのだから、強力なことに越したことはない。

 

そんな都合の良い考えに至り、彼ら彼女らはそれ以上考えることはなくなった。

 

各軍閥らの熱心さや武の高さ。

既に名高い"江東の虎"の名。

黄巾賊を三万も屠ったとされる"飛将軍"。

また彼女らに勝るとも劣らない将の存在。

そんな彼女らの下で鍛錬を重ねる将兵。

 

こういったことが口から口へと伝わっていき、朝廷内のみならず、洛陽の町中にまで風聞は広がっていく。

普段から気に留めようとしない高官たちの耳に入るくらいなのだ。それ以外の人たちの、目に耳に入ってくるのは当然のことである。

 

下に伝わるのであれば、上にも当然伝わっていく。

西園八校尉らの噂は、いつしか病床に臥す霊帝の耳に及ぶまでに至る。

 

霊帝も、孫堅と呂布の名は知っていた。その武勇のほども聞き及んでいる。

そのふたりに迫ろうという武を誇る将、華祐。

名を聞くのは初めてであったが、公孫?配下の武将であり、縁あって董卓軍の指導を受け持つに至ったと知る。

黄巾賊討伐の際に響いた、幽州・公孫?の勇名。その一端を担う者であれば、よほどのつわものであるに違いない。

そう、霊帝は納得する。

 

呂布と華祐を擁する董卓軍を中心として、西園八校尉の四軍閥がしのぎを削り合っている。洛陽の守りはこれからより磐石なものになるだろう。

これを知った霊帝は、その頼もしさをより身近なものにしようとする。

あくまで軍部の一角であった西園八校尉を独立させ、皇帝直属の禁軍、つまり厳選した近衛軍として扱うことを下知したのだ。

洛陽のみならず、朝廷そのもの、特に皇帝の周囲を守護するものとして掬い上げたのである。

 

これを進言したのは、張譲と董卓。絵図を描いたのは、加えて賈駆に鳳灯である。

朝廷内において都合よくあろうとする腐敗官吏たちを相手に実力行使を行える、そういった存在を、軍部と宦官よりも上位に作りあげる。不正などが発覚すれば、漢王朝ひいては霊帝に渾なすという理由で正当に処断できる。そういった存在を求めるよう、霊帝の言質を引き出したのだ。

腐敗官吏たちも、はじめはその存在の重要さに気付くことが出来なかった。

だが西園八校尉の面々が、霊帝、その娘である劉弁、劉協、この三人に付き従うようになったところでやっと、事態の重さを知る。

 

霊帝には近づけない。

各々の御輿となる劉弁と劉協にも近づけない。

不穏な動きをしようものなら堂々と取り締まられる。

陰で動こうにも兵のほとんどが既に握られている。

 

狭い朝廷の中において、四面楚歌といってもいい状態に陥っていた。

 

 

 

それでも、何進大将軍は猛然と反発してみせた。

軍部の最上位であるにも係わらず、軍閥の下につくことを強いられるのだ。これが面白いわけがない。

 

近衛軍は独立した存在。大将軍が率いる軍勢とは扱いが別となる。

どちらが上下といった考えを持つには及ばない。

気にするな。

己が統べる将兵たちを用い、これからも漢王朝を支えよ。

 

内心はともかく、皇帝に仕える直臣である以上、霊帝自らにそうまでいわれては大人しく頭を垂れる他ない。

妹である何皇后による懐柔策も用いることが出来ず、何進は歯噛みするばかりであった。

 

 

これに気をよくしたのが、宦官勢である。

身動きが取れないと意気消沈していたのも束の間、軍部に対し強く態度を取るようになる。

 

近衛軍の配置。これの発起人は張譲である。

董卓は軍部・外戚側ではあるが、張譲に従う形になっている。何某かのやり取りを経て宦官側に取り込まれたのだろう。朝廷内にあえて放置した董卓に対する風聞も手伝い、宦官らはそう解釈した。

さらに他の軍閥勢は、董卓軍の指揮の下で動いているように見える。

ならば、西園八校尉のすべては、宦官の兵に等しいじゃないか。

 

彼らは、自分たちに都合の良い捉え方をもって、気を大きくさせたのだ。

 

何進もまた、宦官勢と同じ考えに至っている。

自ら招き寄せた軍閥らが董卓と結託し、宦官と外戚の間を日和見していたのを張譲が取り込んだ。

近衛軍と何進旗下の軍は別物だというものの、董卓は既に将兵の多くを掌握していた。

実質、手元の兵力の大多数が敵側に回ってしまったに等しい。

そう思い込んだ。

 

 

 

各派の思い込みと思い違いによって、宦官と外戚の間に不思議な緊張感が生まれた。

互いにいがみ合いながらも、それに干渉する第三者が現れ、表立って逆らうことが許されない。

結果、大きな衝突や騒動が起こることもなくなり、空気が張り詰めていながらも、朝廷内に平穏なときが流れる。

 

宦官にせよ軍部にせよ、裏に回っての陰湿な行動はやり慣れたことではある。

人目につかぬよう裏工作に動く者もいたが、それらも実を結ぶことはなかった。

ここでも、賈駆と鳳灯らが一手も二手も先に敷いて来た工作が活きている。

自分たちの手足である、いや、手足であったはずの兵や官。

これを動かし働きかけようとしても、彼ら彼女らの動きが鈍く、思うようにいかない。

なぜいうことを聞かないのかと怒鳴り散らす姿を見て、下につく将兵たちはより醒めた態度を取り。

それが更に激昂する火種となるが、もはやこれまでと上司の下を離れていく。

"これまで通り"のやり方でなんとかしようとするたびに、各派の高官たちは配下の数を減らしていった。

もちろん、その原因を理解することはない。

 

八方塞であった。

数少なくなりつつある配下を大っぴらに動かすことも出来ず。

離れていった者たちを表立って処断することも出来ない。

正に、賈駆や鳳灯らの目論んだ通り。

腐敗官吏らの手足は大きくもがれた状況となっていた。

 

 

 

 

 

すべてが、張譲、董卓、賈駆、鳳灯、曹操らの思惑通りに転がっていく。

宦官も軍部も、もちろんそんなことには気付かない。その手足をさらにもがれていく。

 

宦官と外戚の諍いとは、漢王朝における権力の奪い合いであった。

現在、その頂点にある霊帝は病床にある。病状は芳しくない。朝廷内の誰もが、崩御のときはそう遠くないと感じていた。

皇帝の崩御となれば、次期皇帝に誰を据えるかが問題となる。

候補はふたり。劉弁と、劉協。

共に霊帝を父とし、劉弁の母は何太后。劉協の母は生後間もなく毒殺されており、霊帝の生母である董太后に育てられている。

劉弁を次期皇帝に推すのは、外戚派だ。何太后の兄はである何進は、肉親という繋がりを持って朝廷を牛耳ろうと画策していた。

対して劉協を推していたのが、宦官。主に董太后の住む宮殿で育てられたため、宦官が接しやすく、傀儡とするには都合の良い存在だった。

 

担ぎ上げるべき御輿。

外戚にせよ宦官にせよ、ふたりの幼い皇帝候補に対して、その程度の思いしか抱いていなかった。

だが、西園八校尉らの台頭により、その御輿に近づくことさえ出来なくなったのである。

 

霊帝の声掛りによって、西園八校尉は近衛軍として扱われるようになり。彼女たちは、皇帝らの身辺警護に立つようになる。

劉弁の傍には曹操らが。

劉協の傍には董卓らが。

そして霊帝の傍に、袁紹と袁術、孫堅らが付き添う。

 

実力行使を厭わない近衛軍。彼女らを前にして、宦官及び外戚らは迂闊なことを進言出来ない。

傀儡とする仕込みにしても、都合のいい人間のみで囲むことも出来ず。

劉弁と劉協からなんとか護衛を引き離そうとするも、近衛の面々はまったく耳を貸そうせず、警護の目が薄くなることはなかった。

 

ことに宦官たちの憤りは大きい。

宦官である張譲の声掛かりで組まれた近衛軍なのだ、董卓を初めとした西園八校尉は宦官の私兵に等しい、と、都合よくそう思い込んでいた彼らだったのだが。まさか近衛軍の面々に一顧だにされないなどとは想像もしていなかった。むしろ顎で扱き使うつもりであったのだから、気持ちの反動はさぞ大きかっただろう。

だからといって、反発はしても反抗することは出来ずにいた。実力のみならず地位の上でも、西園八校尉の四人は遥かに上で、皇帝に近しいところに立っている。

立場は自分たちよりも上なのだ、という現実を、宦官らは今更ながらに理解した。

 

現状に憤っているのは軍部もまた同様である。

董卓、袁紹、袁術は、元々は何進が呼び寄せた兵力。

であるのにも係わらず、近衛軍となった彼女らに今は手を出すことが出来ない。

軍部の頂点である大将軍の命令にも従わない。そんな彼女らに対し噴飯やるせない何進であったが、一方で、なんとか自分も近衛軍の指揮系統に食い込めないか働きかけていた。

洛陽に呼び寄せたのは自分であるし、今の地位を宛がったのは自分だ、だからお前たちは自分に従うべきだろう、と。

何進は、彼女らの上洛当初の繋がりを取り戻そうとするも、その結果は惨憺たるもの。曹操と袁紹には居丈高に罵られ、董卓に哀れな視線を向けられる。袁術には無視を決め込まれ、孫堅には冷笑を浴びせられた。

性質の違う悪意に連続して晒されたせいか、何進は恐慌に陥ったかのように、顔色を赤くしたり青くしたりと忙しない。

落ち着けば落ち着いたで、周囲に当り散らし喚き散らす。

そんな態度がまた、何進の下から配下がひとりまたひとりと、距離を置いていく原因となる。

思うようにいかない、なぜこんなことになった。

何進は誰にいうでもなく呟く。怨嗟の如き声が、ただ繰り返されるばかりであった。

 

 

-4ページ-

 

「ここまでくると、滑稽じゃな」

「まったくですわね」

 

朝廷内の現状を見て、ふたりは心からの思いをこぼす。

 

護衛の任を孫堅に任せ、いっとき、霊帝の下を離れてひと息つく袁術と袁紹。

もっとも、袁術に関してはすべて孫堅に任せっぱなしで飄々としているのだが。

幼少から彼女をよく知る袁紹も、いろいろな意味での奔放さには匙を投げているので今更なにかをいうこともない。

 

だが現在の腐敗官吏たちの所業と比べれば、袁術など十分にまともなものだ。

袁術自身は非力なりであっても、出来る者を見出した上で委任し、その結果に対してあまり文句をいわないのだから健全なものだ。

人の上に立つ者として、ある意味理想的な姿かもしれない。

 

朝廷内に蔓延っている腐敗官吏は、彼女とは逆である。

出来るかどうかを吟味せずに他へ放り投げ、結果は当然のように自分のものにする。

またその結果が気に入らなければ文句をいい、なぜそうなったかを省みない。

ただただ、気にいらない、なんとかしろ、と、癇癪を起こすばかり。

 

「妾とて、次に蜂蜜水を飲める時間まで我慢するくらいは出来るのじゃ」

「美羽さん、他にいい様はありませんの?」

 

腐敗官吏らの、身の丈に合わぬないものねだり。

その様を見ての感想を袁術は漏らすが。あまりといえばあんまりな例えように、思わず袁紹も言葉を挟む。

 

だが、袁術のいうことは的外れでもない。

程度の差はあれ、我慢が必要となる場合とは、望んだものに対して手が届かない状況だといえる。

なぜ手が届かないのか。それは、手にしようとしているものを抱えきれるほどの力を有していないからだろう。

力の足りないまま手にしたとしても、抱えきれずに手放してしまうか、持て余し潰れてしまうか。大方そんな結果で終わるに違いない。

この"力"というものも、文字通りの意味、権力や知力腕力といったものだけではなく。意志であったり理想であったり決意であったり、そういった形として見え辛いものも含まれる。むしろ前者を方向づけるという意味で、後者の方が重要だといえるだろう。

 

なにかを手に入れようとする。そのために力を尽くす、力を蓄える。

一方で、手に入れることが難しそうだから手を出さない、と諦める。

どちらの判断を取るにしても、己が実力を自ら把握していることが前提となる。

つまり、身の丈を知るということだ。

そこで初めて、手に入れる努力をするか、我慢をし諦めるか、という判断が可能になる。

 

前者は袁紹、後者は袁術。

そういった点では、血縁であるこのふたりは好対照といっていい。

袁紹は、袁家という威光を更に高めるべく、遠慮呵責なく欲をかき、それを手に入れるための労力を惜しもうとしない。

袁術は、幼ささえ残る若さゆえの非力さと出来ないことの多さを自覚し、自ら無理をしようとせず、出来る者に遠慮なく押し付けてしまう。

どちらが正しいか優れているかという問題ではない。

自らの持つ"力"を知った上で、どう反応し行動するかの違いだ。

 

腐敗官吏たちの場合はどちらでもなかった。

ただ闇雲に"欲しい"というばかりで、手に入らなければ泣き出しねだる子供と大差ない。

彼らに対する評価は、袁紹にしろ袁術にしろ共に低い。

だからこそ、張譲や董卓、曹操らの思惑に乗って見せたのだ。もちろん、自分なりの思惑も絡めながら。

 

 

 

ことの良し悪しを判断する基準というものがある。このふたりにもそれはあった。

 

袁紹の場合は、袁家の長子という自覚と、それに相応しくあろうとする意識、このふたつを昇華させた自分への戒め。

彼女の口癖でもある、"華麗たれ"という金科玉条。

人の上に立つ者としての気概が、彼女の言動をぶれないものにさせている。

彼女はいう。

 

「なにかを欲するならば、それに相応しい"力"を得なければならないのですわ」

 

と。

 

反して袁術は、父・袁逢や孫堅、張勲といった、文に武に突出した人物に囲まれて育ったがゆえに、"自分に出来ることは少ない"という意識を抱えていた。ならば自分でなくとも、出来る者にすべて任せてしまえばいいではないか、という考えに至り。良くも悪くも子供らしい奔放さに任せて成長していく。

袁逢の死後も、出来る者が出来ることを無理なく割り振られたため、自領が混乱することもなく。それが許される家柄立場を持つこともあり、袁術は変わらず放蕩に過ぎない程度の生活を続けることが出来た。

孫堅の教育もあって、実力ある名家の人間として最低限の分別は身についているのだが。自分の"非力さ"を拭うまでには至っておらず、周囲にすべてをまかせるという在り方はそのまま。彼女は"今このときが続けばいい"という、現状維持を望むようになっていた。

彼女はいう。

 

「過ぎた欲をかくと、碌なことにならんからの」

 

と。

 

向いている方向は互いに違っていても、根本のところは同じものを有しているふたり。

 

「楽をして、大きな利を得ようとするな」

 

共に口する言葉の意味は同じ。

袁紹は利を求め、袁術は楽を求めた。

それだけの違いなのだ。

 

 

 

-5ページ-

 

利も楽も、両方とも得たい。

朝廷内の腐敗官吏はそう考え恥じようとしない。

これまでは曲りなりにも、楽をしつつ利を得ることが出来ていたのだ。それを当然と捉えている以上、改めろと迫られたところで改まりはしないだろう。

 

だからこそ、張譲たちは力任せに押さえつけた。

今、朝廷内の政治及び勢力図は、宦官、外戚、そして近衛軍の三竦みが成立している。

この現状に、人死にを好まない董卓や鳳灯はほっと胸を撫で下ろし、徹底した排除を視野に入れる曹操は物足りなさを感じていた。

 

そんな、表向き平穏ではあったものの、どこか朝廷内の空気が悪い中。

御身の傍に近衛を置いたことで、ひとり、心の安寧を得たのだろうか。

霊帝は、思いの外穏やかに息を引き取った。

 

霊帝の崩御。

 

これによって権力争いが激化していくかとも思われたが。

宦官外戚共に、既にその言動を相当に抑圧されており、傀儡として擁立するはずだった皇帝候補も手元にない。

動こうにも動けず、声を上げようにも上げられない。

沸き立つ私欲を抱えながら上から押さえつけられ続けることで鬱積が溜まる。

宦官にせよ外戚にせよ、自分たちの立場の不利さは、この期に及んでさすがに理解出来ていた。

だが、理解は出来ても納得はいかない。

 

張譲の思い描いた通りに、腐敗した輩を排除しつつ、内から漢王朝すべてを組み変えることが出来るかとも思えたが。

私利私欲に執着した者たちが、それらを簡単に諦めるはずもない。

宦官、軍部、それぞれが、近衛軍に反抗を示し出す。

 

洛陽の裏表を問わず、よからぬものが動き出した。

 

 

-6ページ-

・あとがき

やべぇ、なんだか袁術陣営が楽しくなってきた。

 

槇村です。御機嫌如何。

 

 

 

 

前回32話。孫堅さんの髪の色に、皆さん福本作品のごとくザワめいていましたが。

正直、そこまで反応が来るとは思っていなかった(笑)

 

書いている最中、実は娘さんらのことに思考が行きませんで。

途中で気がついたけど、頭の中に現れた孫堅さんが"褐色黒髪長髪"だったから。

そのまま行くことにしました。(笑)

 

後付けだけど、親父周りの設定をいろいろ考えるのが超楽しい。

おかげで呉陣営の設定が充実したよ!

活きるかどうかは分からないけどな!!

 

 

 

 

 

本作品について。

 

恋姫どころか、実際の歴史まで都合よく改変しています。

西園八校尉は初めから皇帝直属だろ、といったような突っ込みどころが多々あります。

これ以降も、都合よく史実を取り入れたり改変したりということはありますので。その点はご容赦を。

 

物語をでっち上げるスタンスとして、

 

"ネタ(史/資料)を調べるだけ調べた上で、おもむろに嘘をつく"

 

というのを、司馬遼太郎氏が著書でいっていたような気がする。

さも本当のように、都合の良い嘘をつく。

そんな書き方で行くつもりですので、読まれる方は注意してください(笑)

でも、"ここはこうじゃね?"といった突っ込みは歓迎します。むしろカモン。

 

 

 

劉弁と劉協を、息子にするか娘にするか、本当に悩んだ。

それが後々どう動くかは分からない。

 

説明
朝廷内、蠢動。

槇村です。御機嫌如何。



これは『真・恋姫無双』の二次創作小説(SS)です。
『萌将伝』に関連する4人をフィーチャーしたお話。
簡単にいうと、愛紗・雛里・恋・華雄の四人が外史に跳ばされてさぁ大変、というストーリー。
ちなみに作中の彼女たちは偽名を使って世を忍んでいます。漢字の間違いじゃないのでよろしく。(七話参照のこと)

感想・ご意見及びご批評などありましたら大歓迎。ばしばし書き込んでいただけると槇村が喜びます。
少しでも楽しんでいただければコレ幸い。
また「Arcadia」「小説家になろう」にも同内容のものを投稿しております。

それではどうぞ。
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
4038 3264 49
コメント
ロンロンさま>「恋姫だから」といっちゃったらそれまでなんですけど。でもなんだか、『恋姫無双』よりも『三国志』に傾いてきた気がします。(makimura)
O-kawaさま>いや、おかしいって酷くね?(笑) 麗羽さんは、これからがオンステージの予定。(makimura)
アロンアルファさま>袁家のふたりは、悪い人にするにはなにか足りない気がするんです。槇村的には。(makimura)
Raftclansさま>身の程といっても、相当スペック高いですけどね(笑) ウチの美羽さんなら、仲王朝建ててもいけるんじゃね?(makimura)
ネムラズさま>そういっていただけると嬉しいです。前にも書きましたが、美羽さんらを書くのがすげぇ楽しい。(makimura)
よーぜふさま>まともです。えぇ。なんとかして出す意味をつけようと思ったら、おバカのままだと都合が悪かった(笑)(makimura)
シグシグさま>どちらが就くか、というのも決めてはいるのですが。どうしようかまだ悩み中。(makimura)
PONさま>洛陽炎上編のオチはもう決まっています。もう少しかかりますが、お楽しみに。(makimura)
槇村です。御機嫌如何。書き込みありがとうございます。(makimura)
「都合のいい嘘」は恋姫自体が三国志を題材にした創作物だから問題ないでしょう。別に歴史書作ろうって訳じゃないんですし。けどこんなに有能な袁家初めて見た。(龍々)
おかしい、各外史でいい子になってる美羽様はともかく麗羽様もいい人に見えてきた・・・。 「都合のいい嘘」は外史だからいいんじゃないでしょーか。(O-kawa)
ヤベ、袁家がいい人に見えてきた・・・(アロンアルファ)
ふむ、身の程を弁えた袁家というのは見ていて面白いですねw片や力を付けようとし、片や適任者に任せる、対照的ですがどちらも在り様として正しいですね。(Raftclans)
ただの放蕩ではなく地に足が付いているのならばある意味で一人前と言えそうな美羽、ぶれない軸のある麗羽、どんどん成長する各陣営も相まって非常に楽しい作品ですね。心より応援しております。(ネムラズ)
袁家がまと、も?(よーぜふ)
劉弁と劉協のどっちが帝位を継ぐのか?愚物にどのようなとどめがなされるのか?次回が楽しみです。(シグシグ)
今のところうまくいってますね。後はイタチの最後っ屁がどの程度の威力かが問題だ。たまにはこのまま大きな意味ではうまく行って終わるのも見てみたいが…無理かなぁ。(PON)
タグ
真・恋姫†無双 愛雛恋華伝 麗羽 美羽 萌将伝 

makimuraさんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。

<<戻る
携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com