夢の中の話 |
真っ白な部屋。刻々と年代物の置時計が時を刻む。その中に、僕は座っていた。椅子も年代物。しかしそれに対になるような机は無かった。
この部屋は、明るい。しかし、窓も無ければ電球も無い。光源はどこか、それについて考えた時、思考が鈍る。
――ああ、これは夢か。
「そうだね、これは夢だ」
聞き覚えのある声に、僕の視点は、その方向へと移った。見覚えがあるような……けれどもやがかかって分からない。この部屋では深く考えることが出来ないらしい。立っている姿すらおぼろげで、しかしそれはここでは正しいのだと直感する。
――ここは、誰の部屋だ?
「分からない。お前の部屋かもしれないし、僕の部屋かもしれない」
――分からない?
「分からない。けど、それは些細なことだと、お前も思うだろう?」
確かに、些細なことだ。置時計が時を刻むのも、僕の椅子しかないことも、そして気が付けば彼も椅子に座っていることも。
彼。男、なのだろうか。いや、男だ。僕は知っているはずだ。大切なことは、何一つ欠けてはいない。
心地よい沈黙。全幅の信頼の中にある安堵。僕の幸福が、彼の幸福がそこにはあった。けれど、急に悲愴感が僕を襲う。何故、とは言わない。言えば全てが崩れてしまう気がしたからだ。僕は幸福の欠如にかぶりを振り……彼は悲しそうな顔をする。勿論、顔は見えない。けれど、分かるのだ。自分が現実を肯定してしまえば、夢は終わってしまう。
――終わらせたら、君と会えなくなってしまう。
「そうだね。僕とお前はもう会えなくなってしまう」
拭いがたい悲しみに彼はせめてもの笑みを浮かべる。
それは決別なのか、喪失を埋めるだけのものなのか、判然としない。僕には、分からなかった。
――でも、望めばここは終わらない。
「確かに、そうだ。でも、いつかは終わらせなくちゃいけない」
――僕は、終わらせたくない。
「僕も、終わらせたくは無い。けれど僕達は、前に進まなくちゃいけない」
初めて『僕達』と彼は言った。その言葉に含まれる意味は、別離だ。待ってくれ、僕を、置いていかないでくれ。
「僕からしてみれば、お前が僕達を置いていったんだ。お互い様だ。君は死んだんだ」
瞼を閉じる。
死んだ。そうだ、僕は死んだのだ。
霞んだ思考も、彼の顔も、そして感覚だけだった僕自身も、現実と相違いないものへと変質する。いや、現実だったものを反映させただけだ。僕の身体は、もっとぐちゃぐちゃなのだから。
「僕の身体、見たか?」
「いや、見て無いな」
「まあ見れたもんじゃないけどな」
ははは、と僕が笑うと、彼は苦笑を浮かべる。
「……三億円を見つけたこともあったなあ」
僕は遠くを見ながら言った。
「あれ、実は二億九千九百万円だったらしいよ」
「何で百万円が抜けてるんだよ」
心から笑う。そしてそのことに驚く。ここにきて、僕はまだ心から笑えるのか。
そうか、彼が未練を断ち切ってくれたのか。
「ありがとな」
彼は、何も言わない。けれど、言いたいことは分かる。礼には及ばない。そういうのだろう。
「じゃあな」
迷いを持たない声で、僕は言った。彼は、深く頷いただけだ。
いつしか、置時計も椅子も消えていた。もう僕には必要の無いものだ。
指を鳴らし扉を造る。本棚を造る。窓を、カーテンを、ベッドを……そうして、僕の部屋を作る。
彼は魔法のような出来事に驚いた後、いつもどおりの軽さで言った。
「じゃあな」
いつものように部屋の扉を開けて、彼は出て行った。
◆
目を開ける。
気が付けば現実に戻ってきていて、あいつの部屋の前で立ち尽くしていた。僕があの部屋で体験したことを話せば、一笑に付されるであろう。しかし、話す必要も無い。あれは僕とあいつの別れだ。二人以外、誰も知らなくて良い。
親友を喪った悲しみは、しかし今では湧いてこない。
もう、誰も使わないであろう部屋に、振り返った。言葉も何も浮かばない。別れは済ませたのだ。喪失は確かに埋まった。
通夜の準備をするため、俺は家に戻るのだった。
説明 | ||
気が付けば、知らない部屋に居た。夢の中での別離のお話。 | ||
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友人 別離 夢 | ||
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