義帝暗殺の真相を探る その5
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【結論】

 上述のように『漢書』においては呉?に好意的な改竄が行われている。これは義帝暗殺に関しても例外ではなかったようで、『漢書』陳勝項籍伝では『史記』項羽本紀にあった義帝暗殺の記述が抹消されているのである。そして韓彭英盧呉伝において英布による殺害が描かれる。このときの表記は

 

「迺陰令布撃之布使将追殺之?(迺ち陰かに布をして之を撃たしめ、布まさに追いて之を?に殺す)」(『漢書』韓彭英盧呉伝)

 

とあり、英布が単独で義帝を暗殺したことになる。つまり班固は呉?による義帝暗殺の罪を英布一人に被せたのだ。班固にとって呉?はその忠節を劉邦から讃えられる忠臣だが、英布は謀叛を起こし粛清された不忠義者である。義帝というそもそも劉邦が項羽と戦う正当性の発端になった人物を呉?が殺していたのでは非常に「漢王朝の正当性」からはまずかった。そこで該当箇所の修正を行ったのだろう。

 では『史記』黥布列伝に英布の殺害参加をほのめかす文があるのはどういうことであろうか。これについては清代の学者、崔適の説(『史記』探原)を採用したい。彼が述べるところ、黥布列伝にある義帝暗殺の一件は『漢書』の記述の竄入である。何故崔適がこの文章を竄入としたかというと、こののち漢の使者である随何が英布の説得に来た際、項羽の不義として義帝暗殺のことを批難するからである。確かに尤もな話で、英布が義帝暗殺の犯人ならばこれを批難する内容を説得の使者が述べることはあるまい。

 筆者はこの論拠の他にもう一つ、「等」の字を検討することでこの竄入説を補強したいと思う。恐らく竄入を行った人物は『漢書』の内容から『史記』にも英布による義帝暗殺を書いた方が良いと考えた。しかしそれでは項羽本紀の記述と内容が一致しなくなってしまうので「等」の一字を付け加えることで辻褄を合わせたのだろう。また更に言うなら『漢書』はその製作過程でかなり『史記』の記述を参考にしている。6もし本当に初めから『史記』にも「等」の文字があるとするなら、韓彭英盧呉伝でも「等」の文字があってよいはずだ。なぜならこの一件は共敖も片棒を担いでいるため、英布に罪を被せるとしても「等」をわざわざ消す必要は全く無い。「等」が『漢書』には無く、『史記』にのみ存在する点から見るとこの一文はやはり後世の竄入であると見た方が自然であろう。

 以上の理由から筆者は義帝殺しの犯人は呉?、共敖と推察する。今回の分析において重要だったのは『史記』、『漢書』のどちらか片方に完全に依拠することではなく、両者を読み比べることであった。『史記』を読み込むだけでなく、『漢書』との比較を行うことでより楚漢戦争の真実に近づくことができるのは間違いないと思われる。

 

 

6)大木 p30等参照

 

【参考文献】

・大木康 『『史記』と『漢書』』 岩波書店 2008年

・佐竹靖彦 『劉邦』 中央公論社 2005年

・佐竹靖彦 『項羽』 中央公論社 2010年

・楯身智志 「漢初における郡国制の形成と展開」『古代文化』第62号−1 古代学協会 2010年

・寺門日出男 『新釈漢文大系 史記 三 上(十表一)』 明治書院 2005年

・水沢利忠 『新釈漢文大系 史記 十(列伝三)』 明治書院 1996年

・吉田賢抗 『新釈漢文大系 史記 二(本紀)』 明治書院 1973年

・『和刻本正史漢書』 汲古書院 1972年

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項羽と劉邦 古代中国 楚漢戦争 秦楚戦争 

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