少女の航跡 第2章「到来」 9節「新しき挑戦」
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 黒翼の間での話し合いは終わり、私達は解散という形になった。談合はとりあえず明日以

降に持ち越し、明日は、もっと早い時間から行われる事になるそうである。

 

 もう夜更けの時刻になっていた。王宮の外は真っ暗で、城下町の人々も寝入っている。赤い

月が夜空に輝き、海からも反射して来ている時刻だ。

 

「では…、本当に国には戻らないのだな…? ブラダマンテ嬢」

 

「はい。今の所、戻るつもりはありません。身寄りもいませんし、故郷もありませんから…。で

も、一連の事件に区切りが着いたら、国に戻って、あなた様のお父上、ツヴェルフ大公に会い

たいと思います。そして、無事であるという事だけでも伝えられればと…」

 

 私はディアナ公女に呼び止められ、王宮の、テラス脇の通路を歩きながら会話していた。そ

こはテラスからは吹き抜けになっており、夜風と共に潮風も感じられる。だが、夜だというのに

それほど寒くは無い。『リキテインブルグ』の温暖な気候の為だ。

 

 私がディアナ公女と会話をするのなど、いつぶりだろう。いや、会話すらした事が無かったは

ず。彼女は『ハイデベルグ』を統治するツヴェルフ大公の長女だから、私の父と共に王宮に招

かれた時、挨拶くらいはしていたのだが。

 

「しかし、あなたは大したお方だ…」

 

 ディアナ公女は、私を見下ろして言って来る。彼女の方が、身長が20センチ近くも高かった。

彼女のルビーのような瞳が私の方を向いて来る。

 

「と、申しますと…?」

 

「あなたはたった一人で、この『リキテインブルグ』までやって来た。それも、4年前に。4年前と

言えば、あなたはまだ幼い娘だっただろうに…。私も、今日、こうして『ハイデベルグ』から遠路

遥々やって来たわけだが、どんな早馬でも1ヶ月。いや、もっとかかる道程だったよ」

 

「え、ええ…。私も、辿り着くまで1年くらいかかりましたから…」

 

「それは、大した事だが、危険な事でもある。あなたは今であっても、オルランド家の一人娘で

ある事に変わりは無い。立派な家の跡継ぎだ。例え《クレーモア》が無くなってしまったとしても

な…?」

 

 ディアナ公女の声は、私の胸に鋭く突き刺さった。

 

「勝手な事をして、申し訳ございませんでした。どうかお許し下さい」

 

「そう言う所が、あなたの父上と似ているのだろうな…」

 

「私の、父と…?」

 

 私は驚いたようにディアナ公女を見上げた。彼女は特に表情を変える事も無く、私の方を見

下ろして来ている。

 

「まあ良い。私はあなたを連れ戻しに来るように命令されてはいない。我らが白銀騎士団は、

革命軍の討伐に協力しに来た。あなたも同じ事をなさっているようだが、くれぐれも父や母の仇

を取ろうと危険な事に手を出さない事だ」

 

「は、はい…。分かりました」

 

 ディアナ公女の言った言葉、父や母の仇を取る。今、思い起こされたが、やはり私は敵討ち

の為に、革命軍を追っているのだろうか。

 

 今までは生きる目標が欲しかった。あの時、何が起こったかを知りたい。あの白い光とは何

なのか、革命軍との関連は? なぜ《クレーモア》が攻撃されたのか。だがやはり私は何かと

理由を付けて、父や母の仇を討ちたいのだろうか。

 

 何か、それとは違う気も、私の中でしてはいたのだが、ディアナ公女の言葉で、今一度、私は

考えるようになった。

 

 久しぶりに聞いた北方訛り交じりの言葉が、私には奇妙に説得力を持っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 そんな私とディアナ公女が会話をしている数メートル先では、カテリーナとルッジェーロが並ん

で歩いていた。

 

「なあ、『ベスティア』のアンドレ・サルトルの事なんだが…、お前はどう思う…?」

 

 と、ルッジェーロはカテリーナに尋ねていた。

 

「彼は嘘をついている…。それは分かる」

 

 彼女は落ち着いた口調でそう答えていた。

 

「じゃあ、『ベスティア』が革命軍とつるんで、この大陸を征服しようとしてるって言うのか…。そり

ゃあ、大変な事だぜ…」

 

 ルッジェーロは驚きながらも、それは自分も分かっていると言った様子だった。

 

「それは無いと思う。ただ『ベスティア』も、結局他の国と同じなんだろう…。革命軍の侵入を許

し、略奪行為を受けている。しかし、私達の国の中では、彼らの国の名誉の為にもそんな事は

言えないのかもしれない…」

 

「メンツって奴か…。だが、あんな態度じゃあ、逆に警戒しちまうぜ…」

 

「ただ…、『ベスティア』は、革命軍と共謀してはいないにしろ、何かを隠している。それだけは、

あのサルトルの態度からして感じ取られた。重要な何かを隠している」

 

「そうか…? お前もそう思ったのか…?」

 

 ルッジェーロは足を止め、カテリーナの顔を覗き込んだ。カテリーナも足を止めて、彼の方を

向く。

 

「ああ、思ったよ。そして、帝国もそれに少なからず気付いている」

 

「『ボッティチェリ帝国』も…。だとォ…」

 

 ルッジェーロは、あの場を思い出そうと考えを巡らせているようだ。

 

「面倒な事になってるな。帝国は、『ベスティア』と革命軍との関係に気付いている。だがそれ

を、俺達に明かそうとはしていない…」

 

「それを材料に、『ベスティア』を揺するつもりなのかもな…?」

 

「とにかく、革命軍の鍵は、その2つの国が握っているって事か…。明日以降の話し合いで、何

か分かればいいが…」

 

 と、ルッジェーロは考え込んだように言った。

 

「『ベスティア』は、もう話し合いに出て来るつもりはなさそうだ。帝国に期待するだけしてみるけ

ど、多分、期待はずれだろう…」

 

 カテリーナはそっけなく答えた

 

「西域大陸全土が、危ういって時にかよ…」

 

「だからこそ、なのかもしれない」

 

 ルッジェーロは再びカテリーナの顔を見つめた。

 

「革命軍が、そこら中の国を破壊し回った後で、帝国が名乗りを上げて革命軍を討伐してしま

えば、再び大陸の覇権を取り戻せるからね」

 

「帝国だって革命軍の襲撃に遭わないって保障はないぜ?」

 

「自分達だったら意図も簡単に革命軍を滅ぼせるっていう、えらい自信なんだろう…。結局の

所、私達がどうかしないといけないようだね」

 

「まあ、オレ達が今、どうこう言ったってしょうがねえよ。明日以降の話し合いで、他国の様子を

もっと観察しないとな…」

 

「ああ…、そうだな…」

 

 カテリーナがルッジェーロを見つめ返す。会話はそこで終わっていた。

 

 今ではテラス脇の通路で歩いていた、私とディアナ公女は上の階に上ってしまい、通路には

誰もいない、2人だけだ。

 

 ルッジェーロには名残惜しいものがあった。会話が終わったからと言って、カテリーナとそこ

で別れる事ができないでいた。

 

 彼はカテリーナの顔を見つめ返し、久しぶりにあったこの女の姿を、少しぎこちなさそうに見

ていた。

 

 この、幼い頃から知っている自分の幼馴染の女が、今では立派な女に成長している。彼女は

ルッジェーロ自身よりも7歳も歳が下だった。18歳の若い娘に過ぎないが、カテリーナには洗

練された大人の女としての落ち着きがある。いや、それだけではない。彼女は、一国の女王に

認められる程の、騎士としての姿もあった。

 

 夜の廊下に差し込んでくる月明かりに、彼女の姿が照らし出されている。

 

 カテリーナは、刃のような銀髪を、肩辺りで切り揃え、肌は白く、眼つきも鋭い。今でさえ背中

に大きな剣を吊るして油断の無い様は、女騎士として立派な姿だろう。だがルッジェーロは、彼

女の女としての魅力も感じ取っていた。

 

 彼女の眼の形は切れ長いものの、その瞳は大きく、唇も赤くてみずみずしい。体型だって、

他の騎士の女が大柄だったり、屈強な肉体をしている中でも、カテリーナの背は特別高いわけ

でもなく、また、体つきも頑丈過ぎなかった。むしろ、ある程度に引き締まり、それは返って魅力

的な体の体型だった。

 

 そんなカテリーナと目線を合わせ、お互いが見つめてしまうと、ルッジェーロは顔を赤くせざる

を得なかった。

 

 彼自身、『セルティオン』王家の近衛騎士団の団長として、優秀な騎士達を引っ張る精鋭の

一人。しかし、目の前にいるカテリーナと眼を合わせていると、そんな彼の態度も、緊張に包ま

れ、どこか恥ずかしいものにされてしまう。

 

 カテリーナはそんな彼の一面を知っているようだったが、不審には思わず、やがて、自分を

見つめて来る男に対し言った。

 

「何か言いたいんだったら、言ってくれ」

 

 と、いつもながらの口調で言葉を発した。今テラスに面した廊下には誰もおらず、夜の静かな

空気が流れている。カテリーナとルッジェーロ。2人だけがそこにいた。

 

 だが、カテリーナに言われ、ルッジェーロははっとしたように、

 

「い、いや…。せっかく、俺もこっちに来たんだ。な、なあ…? せっかくだ。俺に、《シレーナ・フ

ォート》を案内してくれないか…?」

 

 ところどころどもりながら、ルッジェーロは言った。

 

「あんた、何度もここに来ているんじゃあなかったのか?」

 

「い、いや…。街の中まで入って行った事は無いんでな…」

 

 カテリーナに当たり前の指摘をされ、ルッジェーロは、慌てて言い訳をしていた。

 

「騒ぎになるよ。私達が街に出て行ったりしたら。顔を皆知っているんだから。それに、私達が

2人して街を歩いていたりしたら、余計」

 

「はあ?」

 

「『セルティオン』のランベルディ伯の息子、近衛騎士団団長のルッジェーロと、『フェティーネ騎

士団』団長の、フォルトゥーナの娘、カテリーナは、いつの間に婚約したんだってな…」

 

「そ、そんな…。オレはそんなつもりで言ったんじゃあないぜ…!」

 

 ルッジェーロは更に顔を赤らめていた。だがカテリーナは平然とした顔でその事を言ってしま

う。

 

「今は、皆が革命軍の脅威に怯えている。その具体的な解決策は何も無い…。私達にはそれ

を打開する義務がある…」

 

 カテリーナは義務的な口調でそう言った。ルッジェーロにはそれが、素っ気無い言葉に聴こえ

たようで眼を伏せる。

 

「そうか…、オレが悪かった…」

 

 やはり、この女も騎士だ。お年頃とは言え、恋に溺れ、自分の責任も何もかも忘れ、恋愛に

走るような女とは違う。

 

 だが、ルッジェーロはそう言うカテリーナが好きだった。恋になど溺れない。自分の役目を果

たそうと剣を握る彼女が、最も光り輝いて見える。

 

 カテリーナは思い直したように言った。

 

「でも…、この混乱が解決したら、考えてあげても良い…」

 

「本当か!」

 

「私も、もう18だから…」

 

 ルッジェーロはカテリーナの顔を見つめた。

 

 今のカテリーナの顔は、女としてのものだった。ルッジェーロは、彼女が時折見せる、女とし

ての表情を見逃さなかったし、それが好きだった。

 

 騎士としての毅然とした態度、冷静な口調と考え、自分よりも上回る強さを持つカテリーナだ

ったが、時々見せる女としての魅力が、ルッジェーロには魅力的だった。

 

 しかしそれは、シレーナの官能的魅力や、美しい母性的魅力を持つ女神、スカディとは異な

る魅力だ。

 

 女性的な魅力と、勇ましい強さを併せ持つ、戦の女神イライナ。カテリーナはそれに近いもの

が合った。

 

 鎧を纏い、剣を握り、勇ましく戦う姿。そして、女としての魅力、その双方を持っているからこ

そ、ルッジェーロはカテリーナに魅力を感じられるのだ。

 

「お前は、オレにとってのイライナだぜ…。カテリーナ…」

 

 ルッジェーロは、素直に今のままの感情を口にした。

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 だがそれは、カテリーナに鼻で笑われてしまった。

 

「また、そんな飾った口説き文句を言わないで欲しいな…」

 

 そう言ったものの、カテリーナの顔は嫌悪に包まれているわけではない。

 

 彼女の顔は落ち着いている。しかし、ルッジェーロにはいつもと少し違って見えた。誰もいな

い廊下で、夜、暗い中、月明かりにだけ照らされている彼女の顔が、いつもと違って見えてい

る。

 

 ここには、誰もいなかった。誰かに見られる心配も無い。

 

 ルッジェーロはカテリーナの手を引き、彼女の体を自分に近づけた。近づけてみると、背の高

い彼の体に比べれば、20センチ近くは低い身長。カテリーナは顔を見上げてくる。彼女の背

中にある剣が妙に重々しい。

 

 この、普通の女とさして変わらない体格の女に、凄まじいまでの力が宿っている。カテリーナ

は滅多な事でその力を見せない。だが、ルッジェーロには分かっていた。

 

 この女には、侵してはならない領域がある。それは誰にも侵す事ができないし、ルッジェーロ

にしても同様だった。

 

 しかし、今、この場の空気は、その領域に一歩足を踏み入れる事ができそうだった。

 

 カテリーナ自身が、それを解放しているかのようだ。

 

 カテリーナは、ルッジェーロと接近しても、胸を高鳴らせる様子も、表情として恋心を示すよう

な事もしなかった。彼女の落ち着いた胸の鼓動が、手を伝わってルッジェーロにも感じられて

来る。

 

 これでは、自分の方が緊張しているではないか。ルッジェーロはそう思った。だが、ここまで

彼女と接近してしまった以上、ルッジェーロも、カテリーナの心を確かめたかった。誰も見てい

ない、誰にも知られる事の無い、今だからこそできるということ。

 

 2人の顔は接近した。

 

 ここには今、2人の存在しかいない。そして双方共に、その存在を受け入れようとしている。

 

 ルッジェーロは、カテリーナの赤い唇を求めた。カテリーナもルッジェーロの口付けを受け入

れようとしている。

 

 ルッジェーロは今までカテリーナとこんなに近付いた事は無かった。女を口説く事なら幾らで

もして来たが、カテリーナはその女達とは違う。

 

 カテリーナの唇に触れる事は、女神と口付けをする事に等しい。

 

 お互いの唇が触れ合う。あと少しで、

 

 その瞬間。

 

 カテリーナは突然、眼を見開き、ルッジェーロの体を押し飛ばした。瞬間、彼女は背中に吊る

していた剣を引き抜き、廊下の外、バルコニーからやって来た、高速の衝撃を受け止めた。

 

「な、何だァッ!?」

 

 突然の出来事に動転し、カテリーナに突き飛ばされたルッジェーロは、よろめきながら叫ぶ。

 

 カテリーナは大剣で、一つの大きな鉄槍を受け止めていた。その先には、飛び込んできたま

まの姿勢で、一人の女が月明かりに浮かんでいる。

 

 赤く長い髪をたなびかせた、真紅の鎧と兜を身に纏った女だった。

 

 彼女は、カテリーナの大剣から飛び退って間合いを取り、テラスの方へと足を付く。

 

「誰だッ! あいつは…!」

 

 ルッジェーロがカテリーナに尋ねた。

 

「1年ぐらい前から私を狙っている女さ。彼女はディオクレアヌの軍の者だ…」

 

「本当か!」

 

 赤い鎧の女戦士は、カテリーナとルッジェーロの方へと槍を構えている。兜の面頬を下ろして

おり、表情は伺えない。

 

「彼女の狙いはこの私さ。以前、この私と決闘して彼女は負けている。それも主君の目の前で

負けて、名誉を失っているんだ。だから、何が何でもこの私の首を取り、今度こそディオクレア

ヌの期待に応えたいらしい」

 

 カテリーナはルッジェーロを差し置いて、自分だけテラスへと出た。剣を持ち、女戦士と目線

を合わせる。

 

「おいおい、お前一人で大丈夫なのか…?」

 

「大丈夫さ…、任せておきな」

 

 廊下からルッジェーロが心配して呼びかけて来るが、カテリーナは構わなかった。カテリーナ

の口調が変わっている。先程ルッジェーロと会話している時の、落ち着いた声とは違う。堂々さ

に満ちた、カテリーナの女騎士としての口調だ。

 

 テラスに出た彼女は、月明かりの下、赤い女戦士と対峙する。一定の間合いを取り、相手を

伺った。

 

「あんた、名前は何て言ったっけ? そうそう、確かナジェーニカだよ。ドラクロワの娘でナジェ

ーニカだっけ。『リキテインブルグ』のシレーナ語の名前じゃあないからさ、発音が難しくてね。

 

 でも、覚えておいてあげたよ」

 

 カテリーナは、剣の刃先を、赤い鎧の女戦士、ナジェーニカへと向けながら、じっと間合いを

取り、立ち向かう。

 

 ナジェーニカの方は何も言わず、ただ、兜の中の目線を合わせながら、大きな鉄槍を構え、

カテリーナの剣と槍の穂先を合わせる。

 

「1年も前からご苦労様…、と言いたい所だけれども、私の方もあんたに首を差し出すような事

はしたくないからね。そろそろ、本当の決着を着けようか!」

 

 カテリーナは口調を変え、その鋭い眼差しを剣と共に相手に向けた。

 

 外は静かだ。海から吹き込んでくる潮風の音が聞こえて来る。しかしそれ以外は、寝静まっ

た《シレーナ・フォート》の王都。

 

 その静けさをかき乱すかのように、2人の女は対峙した。しかも、女同士の諍いや口喧嘩な

どではない。

 

 これは、決闘だ。名誉をかけた命と命を散らす決闘が行われようとしている。

 

 王宮のテラスの手すりで羽を休めていた海鳥が、その気配を感じ取ったのか、急いで飛び去

って行く。

 

 張り詰めた緊張の空気を切り裂き、先に仕掛けたのは、ナジェーニカだった。彼女は槍を低

い姿勢で構え、下段からカテリーナに仕掛けて行く。

 

 そして、彼女の間合いに突入すると、その槍を振り上げた。

 

 それを大剣で受け、防御したカテリーナ。激しく金属同士がぶつかり合う。火花と衝撃が飛び

散った。

 

 ナジェーニカは、先制攻撃に続き、次々と槍を繰り出した。突き、薙ぎ、そして振り払う。槍の

軌跡が、鋭く空気を切り裂くような迫力だった。

 

 それを剣で受けるカテリーナは、ろくに防具を着けていない。鎧姿が代名詞的なカテリーナだ

ったが、今は、騎士の正装をしているに過ぎない。王宮での衣装としては合っていたが、戦い

の装いではない。

 

 カテリーナが一歩、防御を間違えれば、致命的な一撃を見舞う。

 

 だが、カテリーナは冷静だった。そのガラスのような青い瞳を持つ眼、それが揺らぐような事

は一切無い。たとえ、体のすぐ脇を槍の穂先が掠めるような事があったとしても、眉一つ動か

さなかった。

 

 カテリーナは大剣の破壊力を活かし、ナジェーニカの槍を押しやる。

 

 そして、彼女自身が剣を振り上げ、ナジェーニカへと攻撃を加えた。

 

 鉄の塊であるかのような剣が、それ以上の迫力を露にし、ナジェーニカへと襲い掛かった。

剣は衝撃で空気を揺り動かし、そこに、稲妻のような衝撃を生み出す。

 

 ナジェーニカは、後方に避けた。鎧を身につけ、鉄槍を持っているにも関わらず、幾度かの

バック転を繰り返し、カテリーナとの距離を取る。

 

 火花が飛び散るかのような一瞬の攻防。カテリーナとナジェーニカの間に流れる緊張感に

は、まだ誰にも踏み入る事はできない。

 

 広いテラスの、端にまで移動したナジェーニカ。カテリーナは剣を横に構えたまま、彼女の元

まで駆けて行く。

 

 ナジェーニカはそれを待ち構えた。鉄槍を前に構え、カテリーナの攻撃を受け止めようとす

る。

 

 だが、カテリーナは、ナジェーニカの元までは到達せず、剣を大きく振り上げると、彼女の槍

の間合いの外で、剣をテラスの床へと叩き付けた。

 

 王宮全体が揺れ動くかのような衝撃が走る。そして、カテリーナの剣からは衝撃波が溢れ、

それには稲妻のように火花が飛び散っていた。

 

 衝撃波は塊となって、テラスの床を抉りつつ、ナジェーニカの元へと向かう。

 

 剣の直接の攻撃では無いとは言え、衝撃波は、床を抉る巨大な鉄球のような破壊力を持っ

ていた。ナジェーニカはそれを槍で受けるような事はせず、その場から高々と跳躍する事でそ

の衝撃を避ける。

 

 バルコニーの手すりに衝撃波は炸裂し、再びそこから爆風を振り撒いた。それは、稲妻のよ

うな火花をも飛び散らせる凄まじいもの。並の火薬の威力がある。

 

 空中に飛び上がったナジェーニカ。だがそこへ、カテリーナが剣を突き出しながら飛び上がっ

て来た。

 

 ナジェーニカは空中で槍を使い、カテリーナの剣を受ける。

 

 空中で、両者の顔が急接近した。カテリーナは鋭い眼差しで相手を突き刺そうとする。片や

ナジェーニカの表情は、兜の面頬で覆われていたが、その奥に臨む事のできる鋭い視線はカ

テリーナに負けてはいない。

 

 両者は鍔迫り合いの状態のまま、バルコニーの外へと落ちて行く。二人が降り立った先は、

王宮と城下町との境、城壁上通路だった。

 

 城壁の上に降り立ったカテリーナとナジェーニカは、再び間合いを取って対峙する。しかし、

それもほんの一瞬、再び彼女達は一気に間合いを詰め、剣と槍が炸裂した。

 

 ナジェーニカの武器は、長い鉄槍だ。間合いは非常に長く、カテリーナの剣よりも遠くまで攻

撃できる。しかしカテリーナはそんなナジェーニカの間合いの深いところに入り込み、剣を振る

う。

 

 カテリーナの動きは素早かった。彼女の体からは、稲妻のように青白い火花が発光し、それ

が、彼女の動いた軌跡を示す。

 

 槍の動きを掻い潜り、ナジェーニカの懐に潜り込んだカテリーナは、その大剣を振るった。だ

が、ナジェーニカも負けてはいない。瞬間、槍を振るい、カテリーナの体を薙ぎ飛ばす。

 

 両者とも、反対方向に飛ばされた。カテリーナの体は、城壁上通路を転がり、壁へと激突す

る。ナジェーニカの体は宙を舞って、見張り塔の中へと、塔の壁を打ち破りながら突入して行っ

た。

 

 カテリーナは直ぐに身を起こした。今のナジェーニカの攻撃は、カテリーナにとって避ける暇

も、剣で受ける暇も無く、思い切り彼女の体を薙いでいた。今のカテリーナは鎧も身につけてい

ないから、怪我をしたはず。

 

 しかし彼女はその鋭い視線を、ナジェーニカの方へと向けながら立ち上がった。

 

 突き破った塔の壁の中から、ナジェーニカが姿を現す。そして、そのまま城壁上通路へと降り

立った。

 

 ナジェーニカも、カテリーナの剣で負傷をしたはずだ。彼女の鎧の一部分が砕けている。しか

しナジェーニカはそんな事など構わないかのように槍を構えなおし、カテリーナと対峙する。

 

「前より、全然強くなったね、あんた」

 

 カテリーナも剣を構え直して言った。言葉は発しても、眼は鋭く相手を見つめる。

 

 再びナジェーニカが仕掛けて来た。今度は激しい突きだ。カテリーナはそれが自分の体に当

たる寸前。剣を使って、その槍を薙ぎ、床へと押し付ける。

 

 だが、ナジェーニカは、槍をそのまま押し戻そうとする。彼女が大きく槍を振るうと、カテリー

ナは体ごと、城壁上の通路から投げ出された。

 

 カテリーナの体は、城壁の更に外、城下町の方へと飛び出して行く。

 

 カテリーナは、空中で体勢を立て直し、城壁の外、町の屋根の上へと降り立った。続いてナジ

ェーニカもカテリーナを負いかけ、屋根の上へと飛び降りて来る。

 

 今度は、《シレーナ・フォート》の民が寝静まっている、街の屋根の上での対峙だった。

 

 両者は剣と槍を向け合い、再びそれを炸裂し合う。皆が寝静まった街の上で、金属同士が激

しくぶつかり合う音が響き渡る。

 

 ナジェーニカの槍がカテリーナを突き刺そうとする。カテリーナはそれを剣で受ける。しかし、

槍の攻撃力が強く、カテリーナの体は弾かれ、後方へと飛ぶ。

 

 すかさずナジェーニカは彼女の体を追い、飛ばされたままの姿勢のカテリーナを槍で再び薙

ぐ。槍の攻撃をそのままその身に受ける事になったカテリーナ。

 

 彼女の体は飛ばされ、建物の煙突の方へと飛んで行く。

 

 そんな彼女に追い討ちを加えようと、ナジェーニカは高々と槍を構えながら飛び、落下すると

同時に、その穂先をカテリーナの方へと向けた。

 

 彼女の槍がカテリーナを捕える。その瞬間、カテリーナは煙突へと剣を突き刺しながら、空中

でその体勢を立て直す。ナジェーニカの槍はそれ、屋根へと深く突き刺さった。

 

 カテリーナは剣を軸にしながら回転。そしてそのまま、ナジェーニカへと蹴りを食らわせた。

 

 ナジェーニカの体が、屋根を転がっていく。

 

 再び、両者の間合いが開いた。

 

 またしても、ナジェーニカから仕掛けてくる。槍を突き出し、カテリーナの体を捕えようとする。

 

 だが、カテリーナは槍を避け、ナジェーニカの懐深くへと潜り込んだ。

 

 カテリーナは剣を振るった。鉄の塊であるかのような剣の衝撃と、稲妻のような衝撃が合わさ

って、ナジェーニカを確実に捕える。

 

 彼女の体は大きく飛ばされた。屋根の上を舞い、やがて重々しい音を立てながら、屋根を打

ち砕きながら転がる。

 

 ナジェーニカは、その体を起こそうとした。しかし、体が持ち上がらない。兜が脱げ、露になっ

たその顔からは、苦悶の表情が現れている。

 

 やがて、彼女の喉元へと押し当てられる冷たい感覚。それは、カテリーナの剣だった。

 

 彼女は月を背にし、ナジェーニカを見下ろしながら立っている。ナジェーニカの目線には、剣

が、巨大な塔のように見えていた。

 

「決着を焦ったな。私をもう少しで捉えられたのに、それを逃してしまった。それに焦ったあんた

は、勝負を急ごうとした。

 

 だから今の突きは、正直隙だらけで見切れたんだ。

 

 あんたらしくない…、勝負を焦るなんてね」

 

 カテリーナの静かな声。ナジェーニカはその赤い瞳を持つ眼を彼女へと向け、鋭い目線と共

に言い放つ。

 

「お…、おのれぇ…! あと一撃。あと一撃、貴様を捕える事ができれば…! 貴様を倒す事

ができたと言うのに…!」

 

 ナジェーニカは口を開き、カテリーナに向かって言い放つ。しかし、彼女自身は身動きできな

いでいた。

 

「そう…、あと一撃。そう思う事が一番怖いのさ。あと少しって思う所に隙が生じる。特にあんた

見たいに1年もこの私を付け狙って来て、やっとって所にね…」

 

「小娘ごときに、そんな事を言われたくは無いわ…!」

 

 だが、そうナジェーニカが言っても、喉に剣を押し当てられていては、全く抵抗できないのだっ

た。

 

「あんたには、聞きたい事が沢山ある。話してもらおうか…?」

 

「ふん…! 例えこの身を焼かれても、貴様らなどに話す事など何も無い…!」

 

 ナジェーニカは、そのエルフのように整った美貌を、恐ろしげな表情に変え、カテリーナに言

い放っていた。

説明
カテリーナに、前章で二度刃を交えた女騎士、ナジェーニカが再び決闘を挑んできます。

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