恋姫外史の外史 その2?3【熱くなれ】 |
▲△▲△
「暑くなひ……」
暑くない。
「暑くなひ……」
暑く、ない。
私はひりひりと痛む舌を庇いつつ、必死に暑さを忘れようとしていた。
今食べたばかりの、禍々しい赤色のラーメンの真の恐ろしさは、その辛さではない。
汗が止まらないのだ。
尋常ではない量の汗が。
自分の体の中に、良くこれだけの水があったものだと驚くくらいの量が。
しかし、その水も汗として全て体の外へ噴き出し、流れてしまっている。
もしかすると今日が、これまで立ったどの戦場よりも辛く過酷な場なのかもしれない。
私は次々に湧き出る汗を拭う体力さえ失っていた。
『最後の試練、激辛ラーメンでの脱落者は九人!そして残った参加者は四人!しかも、そのうち三人が女性だ!これは大会始まって以来初の女性優勝者が出るのか!?――さてさて、ここで数々の試練を乗り越え、命からがら生き残った四人の勇者を紹介しよう!まず最初は、今回の優勝候補。過去に三度の優勝経験のある男……琥茂選手だ!』
「どーも」
張勲の隣に座っている男が軽く手を挙げる。
実は私も気になっていたのだが……この男、ラーメンの時も糸通しの時も、皆が気づかないうちにいつの間にか終わらせていたのだった。
もしかすると普通の村人では無いのかもしれない。
素性を隠し、村人に化け大会を荒らしに……
「な、なに、あんた?さっきから怖いよ……」
私が目を細め注意深く眺めていると、男は途端に縮こまった。
……まぁ、それは無いか。
大体、こんな田舎の大会に参加するような暇人が大物な訳がない。
私は自分の馬鹿な考えを、目の前で燃え盛っている炎の中へ投げ捨てた。
『続いては初参加のこの二人……匿名希望一選手と、匿名希望二選手だ!』
「暑いのじゃ……」
「暑い……」
袁術と張勲は名前を伏せて参加したのか。
しかし、二人は自分たちが呼ばれた事にまるで気づいてなかった。
……さて、次は私か。
私は自分の名が呼ばれる前に居住まいを正した。
「そして最後の彼女もこれまた初参加の……えーと……なんて読むんだこれ?字が汚くて全然読めな……華?華かな……えー……華、華……んーと……華なんとか選手だ!」
「――ちょっと待てっ!私だけぞんざい過ぎるだろ!ちゃんと名前で呼べ!名前で!」
『生き残った四人の精鋭たちに拍手を!』
「私の名は、華――」
「いぇーいっ!」
私は大声で自分の名を叫んだが……しっかり聞こえただろうか?
『さぁ、ここからは試練もなにもない力と力のぶつかり合い、持久戦だ!ここで残った四人の本当の我慢強さが試される!決着は夜につくのか、はたまた四半刻で優勝者が決まるのか。全ては神のみぞ知るところ――』
◇◆◇◆
「おかしい」
おかしい。
「絶対おかしい」
「どうしたんだよ。さっきからそればっかり言って」
「……は?」
「……すんません」
私が睨みつけると、隣に座っている男の人はみるみるうちに小さくなった。
「……だっておかしいじゃないですか。我慢大会なんて。まともな思考を持った人ならこんなこと思いつきませんよ、絶対。初めに考えた人は絶対イカレてますって」
「そんな根本的な事、今更言っても仕方ないだろう」
「……は?」
「……なんだ、その目は?」
男の人と違って、この女の人は睨み返してきた。
しばらくそのまま睨み合いが続いたけど、こんな人と意地を張り合っても仕方ない。
私は深いため息を吐いた。
「大体、暑い季節に暑い格好する意味がわかんないですって。暑い季節には涼しい格好を、肌寒い季節には暖かい格好をするのが常なんじゃないですか」
「それも健康を願っての事だ」
「こんなの逆に不健康になるに決まってるでしょ!そんな簡単なこともわからないんですか」
「いや、それは違うぞ。確かにこんな格好をする事自体は間違いなのかもしれない。しかしだな、そこにあるのはただ健康でありたいという一途な願いが――」
「テーマがテーマなんですから、もっと涼しい話にしてもよかったんじゃないですか!?他は水浴びとか夏祭りとか正統派で書いてるのに!なんなんですか、我慢大会って!」
「ん……?一体何の話をして――」
「自分が書きたい話書いて、登場人物に辛い目合わせてなにが楽しいっていうんです!?そこにあるのはキャラ崩壊だけじゃないですか!?なんで私が我慢大会になんて出てるんですか!?私の立ち位置はここじゃないでしょ!」
「おい、落ち着け――」
「ロクに原作も知らないくせに、しかも間に合うように休日潰して徹夜で書くとか頭弱い人のすることでしょ!――ちょっと聞いてます!?そこのあなたですよ、あなた!あなたのこと言ってるんですからね!」
「な、な、の……あ、つ、い……」
お嬢さまの弱々しい声で、私は我を取り戻した。
熱くなって自分でもわけのわからないことを言っていた気がする。
でも、少し冷静になっても頭の中が暑いのは相変わらずだった。
「……もぉ。ここまできたら絶対優勝してやる。絶対優勝して、賞品もらって帰るんだから」
「お姉さん、賞品が欲しかったわけ?」
私がまた睨むと、男の人はさらに小さく小さくなる。
「賞品なんてなんでもいいんです。私は、私が勝った証がほしいんです。普段はこんなに体張らないんだから、もらって当然でしょ。ううん、もらうべきなんです」
「あー、それわかるなぁ。俺も優勝したい理由はあるけど、それとはべつにやっぱり賞品はほしいし。ほしいけど、賞品がアレっていうのはあんまりやる気がでないけどね」
「……賞品がなにか知ってるんですか?」
「えっ?知ってるけど……ひょっとしてお姉さん知らないの?」
「お金になるものですよね?」
私はじりじりと男の人へにじり寄っていく。
「えっ?えっ?」
「金って書いてあったんですから、高価なものなんですよね?」
「いや、高価もなにも――」
『互いに一歩も譲らない白熱した闘いが続いているぞ!さーて、優勝者は一体誰なのか』
絶対に譲れない。
優勝だけは、絶対に。
賞品だけは――
「タダ券だよ?」
『中華定食キンポーローの三ヶ月間無料食事券を手にするのは誰なのか!』
「……は?」
私は左右の耳から聞こえてきた声の、言葉の意味がわからなかった。
「食事……券?」
「そうだよ」
「でも……金って書いて――」
「あの金は、お金の金じゃないよ。店の名前。金に、包むに、楼閣の楼で『金包楼』」
全身の力が、抜ける。
「金、包、楼……」
「そう、金包楼。大体、こんな田舎村のこんな我慢大会で金目のものが出るわけ――あれっ?ちょっと、お姉さん?もしもし?もしもーし」
私は足もとの、薄汚れた木の床が崩れていくのを感じた……
△▲△▲
私の隣の隣、張勲は先刻から頭を垂れたまま動かない。
間に挟まれた袁術は最早敵ではない。
すると残ったのは……
「だ、だから怖いって……」
「この我慢大会、どうやら優勝するのは私か貴様のどちらからしいな」
「怖い……」
男はどんどん小さく縮こまっていく。
「……ふん、情けない。これはもう、私の勝ちで決まりのようだな」
私の言葉を聞いた男が、急に人が変わったように私を見据えた。
「……俺だって、ここまで残ったんだ。なめんなよ」
吊り目気味の男の、細い目の奥に確かな闘志を感じた。
安い挑発に乗ってくれたらしい。
そう、向かって来て貰わなくては困る。
全力の相手を叩き潰してこその真の勝利だ。
安い勝利など私には必要ない。
「俺だって、あんたにだけは負けたくないんだ。あんたみたいな悪人の仲間には」
「悪人?」
何を言ってるんだ、こいつは。
「とぼけたって無駄だぞ。俺はちゃんと見たんだからな」
「何を見たというんだ?」
「あんたと」男は顎をしゃくって、観客たちのいる方を示した「あのじいさんが話してるところをだよ」
男が示した先には、確かに興奮した観客たちに紛れたあの老爺がいる。
周りの雰囲気に呑まれているのか、杖をついた老爺もまた興奮していた。
「あの老爺が何だというのだ?」
「けっ、あんたもとぼけるのが下手だな。じゃあ俺が改めて説明してやるよ。あのじいさんは、この我慢大会の裏賭博を仕切ってる悪人だよ」
「……賭博?」
賭博という負の響きと、あの人の良さそうな老爺が結び付かない。
「そうだよ。……最初はこの我慢大会も楽しいもんだったけど、いつ頃からか何人かの大人たちが優勝者を予想する賭けをはじめたんだ。それが段々と広まっていって、今の状態だよ。賭けをするやつらは自分に賭けたり、自分の代わりの体力があるやつを参加させたりして……俺は昔の楽しかった頃の我慢大会が好きなんだ。だから俺が優勝して、優勝しまくって賭けをやめさせてやる。あのじいさんが連れてきたあんたなんかには、絶対負けないからな」
「……ちょっと待て。あの老爺は息子の代わりを探していたはずだ。娘の為に毎年大会で優勝している息子が」
「あのじいさんは独身だよ。子どもの時から知ってんだから、俺にそんな見え透いた嘘は通じないぞ」
男の目を見る。
男はもう目を逸らすことはなく、私の瞳を真っ直ぐに捉えている。
「……今の話、本当なんだろうな?」
「全部事実だよ」
嘘をついているようには……見えない。
私は観客たちに視線を向ける。
既に興味を無くした者たち――そういえば、開始直後と比べてかなり人数が減ったような気がする。
ここよりも遥かに熱い、妙な熱気を帯びた者たち――応援というには些か激し過ぎるだろう。
そして、あの老爺。
あの老爺は後者で、先刻までついていた杖を振り上げて何事か叫んでいる。
腰も、曲がっていない。
「……どうした?」
全身の力が、抜ける。
「……くくっ」
そして後から込み上げて来るのは、笑い。
ただただ私自身が情けなく、笑えた。
◆◇◆◇
「……あーあ、暑いなぁ」
金包楼の金って。
冗談話にしても、ひどすぎるオチだ。
全然笑えない。
「暑い暑い」
私は、私の頭の中の理性を締めつけていた、邪魔で邪魔で仕方ない『たが』が外れるのを確かに感じた。
▲△▲△
暑くない。
「暑くない……」
暑くない。
「暑くない……訳ないだろ」
忘れていた。
どんなに私に似合うように飾ったとしても、『誰かの為』など、私には似合わない言葉だった。
そしてもう一つ。
私が世の中で一番嫌いなもの、それは忍耐や我慢といったものだった。
それを漸く思い出した私は、不思議と身が軽くなった。
●○●○
暑いのじゃ……
『おぉっと!匿名希望一選手と華なんとか選手が布団を脱いでしまったぞ!これで残るは琥茂選手と匿名希望二選手の二人に――ぐぼっ!?』
「暑い!」
「名前で呼べ!」
『ちょ、ちょと、なにするアルか!やめるアル――ぐもぅっ!?』
「暑い!」
「知るか!」
暑いのじゃ……
「お、おい二人とも、暴れ――ぎゅむっ!?」
「暑い!」
「黙れ!」
暑いのじゃ……
「な、なな、なんじゃ一体!?わ、儂の我慢大会がめちゃめちゃ――にぎゅっ!?」
「暑い!」
「貴様の大会じゃない!」
暑いのじゃ……
「う、うわーっ!なんだこの二人!?」
「だ、誰か止めろよ!」
「うるせーっ!お前が止めろよ!」
「俺は逃げるからな!」
「お、俺も!」
暑いのじゃ……
「あ゛ーつ゛ーい゛ぃーっ!」
「ひ、ひぇええーっ!?」
「なんなんだよ、あんたたちは!?」
「私か!?私の名は――」
「お助けをーっ!」
「後生だからーっ!」
「まだ死にたくないーっ!」
「お母ちゃーんっ!」
「ぎゃわぁああーっ!」
「のわぁぁあああーっ!」
暑いのじゃあ……
○◆△●◇▲
「はぁ……気持ちいい」
私は下着姿で川辺の大きな石に腰を下ろして、水の中に足を浸していた。
「うー、冷たくて気持ちいいのう!」
「あんまりはしゃぐと、転んじゃいますよー」
「うむ!わかっておる!」
そう言って返事してるけど、川の中に膝の辺りまで浸かったお嬢さまは、水面をばしゃばしゃと跳ねさせて、大人しくなる様子は微塵もなかった。
ま、いっか。
さっきまであんなに暑い思いしたんだし。
我慢大会の途中で意識を失った私は、気がついた時にはお嬢さまと荷物を担いで知らない山の小川をふらふらと歩いていた。
お嬢さまもすぐに目を覚まして、私たちは一緒に水浴びをして体にまとわりついていたべたべたした汗を流した。
服も下着も綺麗に洗って、今はちょうど岩場で乾かしているところだ。
替えの服もあるけど、もう少し涼みたい私は、新しい下着だけつけてこうして涼んでいる。
お嬢さまなんて裸だし、周りに私たち二人以外は誰もいないから恥ずかしいことはなかった。
「七乃もこっちにくるのじゃ!」
「もうちょっとしたら行きますから」
お嬢さまの相手もしたいけど、激しい運動をしたあとみたいに体中が軋んで、今はそれどころじゃなかった。
意識のない間になにがあったんだろ?
私もお嬢さまも怪我とかは全くないから、変なことされたわけじゃないみたいだし。
私たちを合わせて四人まで残ったところまでは、はっきり覚えてるんだけどなぁ……
ま、いっか。
「はぁ……気持ちいいなぁ……」
「確かに。あれだけ汗をかいた後の冷たい水は格別だな」
すぐ近くで声が聞こえて、私は反射的にそっちのほうを見た。
「何だ?」
「なんだって……いたんですか」
「……村を出てからは、ずっと一緒だったのだが?」
例の銀髪の女の人は、私と同じように足を川の中に浸して石の上に座っていた。
ただ、この人は私と違って裸だった。
「何だ?その手は」
私は下着の上から大事な部分を両手で覆っていた。
「やらしい目で見ないでください」
「見る訳ないだろ!私は貴様とは違う」
「どういう意味ですか、それ」
「おぉっ!華なんとかではないか!いたのかや?」
お嬢さまが華なんとかさん――お嬢さま、名前覚えてたんだ――に向かって大きく手を振る。
「なんとかとは何だ!私の名は――何だ?その手は」
私は両手で華なんとかさんの目を覆っていた。
「お嬢さまをやらしい目で見ないでくださいよ」
「だから見る訳ないと言ってるだろ!袁術をそういう目で見ているのは貴様の方だろう」
「私はいいんですよ。私は」
華なんとかさんは私の手をはね除けると、腕を組んでそっぽを向いた。
「全く……貴様たちと話していると調子が狂う」
「無理して話さなくていいんですよ?誰も頼んでませんし」
華なんとかさんはムスッと押し黙ってしまった。
そんな華なんとかさんの横顔を見ても面白くもなんともないし、私は一人ではしゃぎ回っているお嬢さまへと視線を戻した。
「……これからどうするんだ?」
しばらくそうしていると、華なんとかさんが沈黙を破った。
「どうするって、なにをですか?」
「行き先の話だ。最近、袁術と張勲の名前はめっきり聞かなくなったからな。裏で何か企んでいるのか?」
「なにも企んでませんよ?」
私がさも当然のように言ってのけたことに驚いたのか、微かに眉を持ち上げた華なんとかさんが私をちらっと見た。
そんな華なんとかさんに、私はわざわざ説明してあげる。
「お嬢さまはまた再起を狙ってるみたいですけど……まぁ、今からじゃどう足掻いても無理ですね。遅すぎますって」
「分かっているなら、何故教えてやらないんだ?」
「だってお嬢さまがそうしたいって言ってるんですし。それに、そっちのほうが楽しいでしょう?」
「とんだ快楽主義者だな」
「それが普通ですよ」
そこで話は終わり、また沈黙が生まれる。
華なんとかさんが納得したのか、していないのかはわからなかったけど、正直言ってそんなのはどっちでもいい。
これは私の価値観なんだし、押しつけるつもりもないから。
「七乃ぉ!」
お嬢さまが元気よく両手を振る。
それを見て、私も笑顔で手を振り返す。
「……必要とされてるんだな」
「ん?」
私が顔を見て初めて自分の言葉に気づいたらしく、華なんとかさんが慌てて顔をそらした。
「――すまない。今の言葉は忘れてくれ」
自分で言っといて、勝手なんだから。
でも私は華なんとかさんを責める気にもなれず、またお嬢さまのほうを見た。
「……必要になんてされてませんよ」
お嬢さまはどこまでも楽しげで、私の心まで躍らせてくれる。
「私がお嬢さまを、お嬢さまが私を、必要としてるんです。ただ、それだけです」
また沈黙が生まれる。
私の耳に聞こえるのは、はしゃぐお嬢さまの声と水が跳ねる音だけ。
その沈黙の中で、華なんとかさんの言葉を正したわりには、結局自分も同じようなことを言っていたことに気づいた。
それがほんの少しだけ、おかしかった。
「そうか」
華なんとかさんが納得したのか、していないのか、はっきりとはわからない。
でも、雰囲気でなんとなくは感じとれた。
「……なぁ、張勲。私はだな――」
ずんずん近づいてきたお嬢さまに気づいて、私はひょいっと身をかわした。
「それっ!」
「――ぶっ!?」
お嬢さまが両手で勢いよくすくい上げて飛ばした水が、華なんとかさんの顔に直撃する。
「げほっ、げほっ!――な、何をする!?」
「なにって、ここは川じゃぞ?遊ばなくてどうするのじゃ?」
「別に川は遊ぶところでは――ぶっ!?」
私もお嬢さまの真似をして、華なんとかさんの顔に水を浴びせた。
「お嬢さまの言うとおりですね?。川に来たら遊ばないと」
「うむうむ。そうじゃろそうじゃろ」
「貴様らぁ……」
私はお嬢さまの手をとって、浅いこの川の向こう岸へと駆けだした。
「待てーっ!」
「にゃははっ!華なんとかが怒ったぞーっ!」
「華なんとかさん、怖?い」
「華なんとかではない!私の名は――」
太陽が眩しく照りつけるこの季節。
それを照り返す水面もまた、眩しく輝いていた。
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後編です。 三編に分けないといけないってことは、もしかすると長いんでしょうか? 自分では短編を書いてるつもりなんですが…… |
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