少女の航跡 第2章「到来」 20節「夜露の刃」 |
夜。《ミスティルテイン》の街は、城も港も静寂に包まれていた。ただ、海岸に打ち寄せる海
の波音だけが聞えて来る。
『リキテインブルグ』ほどではないが、温暖な『ベスティア』はこの季節、日中は暖かい風が吹
く。しかし、夜になれば、急激に寒さが増し、家々の屋根には夜露が落ちるようになる。
そんな夜露の一つであるかのように、濡れている刃が、一瞬煌いた。
刃はゆっくりと進んでいき、ある建物の中の、ある部屋の扉を開いた。
それは、誰にも気付かれないような気配だった。足音はおろか、ほんの少しの物音さえも聞
えないまま、ある部屋の中へと刃は移動して行った。
それは、カテリーナやシレーナ達が、今夜限り泊まっている、『ベスティア』城の客間の一つの
中へと入った。
寝息が聞える。人の気配も6つある。ちょうど窓際に置かれたベッドに6人が眠っているらし
い。
普段野営する時、彼女達は決して全員が寝たりはしない。しかし、今は他国とはいえ、警備
のある城の中にいる。
だから、安心し切っているのだろう。
6人の女。内、人間であるのは、カテリーナ1人だけ。3人はシレーナ。1人はドワーフで、1人
はよく知られていない種族の女。とりあえず、目撃者も含めて、全員消せばそれで良い。
それは、『ベスティア』のクローネ大領主直々の命令だった。
まずは、一番厄介なカテリーナからだ。
物音も立てずに、カテリーナのベッドに近付いていく刃。それは、彼女のすぐ横へと近付い
た。
あの女の何よりの特徴である、刃のような銀色の髪が見える。刃が向いているのは、頭の後
ろ。このまま振り下ろせば、簡単にこの女の寝首はかける。
西域大陸一の騎士団の団長。1年前に『セルティオン』は《リベルタ・ドール》とエドガー王をも
救い出した英雄も、簡単に暗殺できてしまうというわけだった。
刃を振り下ろす。だが、
それは、カテリーナの首を、あと少しで落とせるという所で、簡単に受け止められてしまった。
「なッ…! 馬鹿な…!」
静まり返った客室に、女の声が響き渡る。彼女の刃を持っていた腕は、カテリーナによって
握り掴まれていた。
カテリーナは素早くベッドから跳ね起きる。そんな馬鹿な…。この女は、間違いなく眠っていた
はず。呼吸の仕方で分かるのだ。それは、絶対ごまかしが効かない。
「足音も呼吸音も何もかも、完全に気配を消していたのは、凄いよ。でもあんた。殺気までは消
せなかったね。ええっと…、ブリジット、だっけ?」
カテリーナは完全に眼を覚ましている。いつもながらの鋭い目付きも失われていない。今まで
熟睡していたという事が嘘のようだ。
寝首を掻こうとしたブリジットの手をしっかりと握り締め、カテリーナは彼女に言い放った。
「遅れていたお前がここにいるっていう事は、ルッジェーロ達も、もうこの地に到着したんだ
な?」
「知るか…!」
ブリジットはそう言い、カテリーナの手を振り払おうとした。だが、見た目以上にカテリーナは
強い力を持っているようだ。腕の太さにしてみても、ブリジットの方があるくらいだというのに。
「何、何! 何なのよ! あんた何やってんのよ! ここは、男子禁制よ! こらっ!」
ルージェラが、物音に気付いて跳ね起きるなり、見知らぬ人影に対して言い放った。
「安心しな…。こいつは女さ…。だけど、もっと心配しなきゃあならないのは、こいつが、私達に
差し向けられた、暗殺者だって事だな…!」
カテリーナはそのまま、ブリジットの体を押し倒し、取り押さえようとした。そのまま隣のベッド
に叩きつけられたブリジットは呻き、同時に、そのベッドで寝ていた、シレーナのデーラが、びっ
くりしたように跳ね起きた。
「きゃー! 一体、一体、何なんですぅ! 何が起きましたぁ〜!」
半ば混乱しているデーラの事など構わず、カテリーナによって、ベッドに押さえ付けられたブリ
ジット。しかし、反撃とばかりに、ブリジットはカテリーナに向って蹴りを食らわせ、彼女を跳ね
除けた。
そして、刃を彼女らへと向ける。更に懐からもう一本の片刃の剣を取り出し、それもカテリー
ナ達へと向けた。
2振りの剣を構えたブリジット。だがその姿を見て、ルージェラは思わず噴き出していた。
「何やってんの? あなた? 1対6よ? 降参した方がいいんじゃあない? 暗殺計画は失敗
ね?」
「言っておくが、私はそんな事は知らんぞ。勝手にやっていろ」
背後から聞えてきた女の声。ナジェーニカは、起きてはいるらしいが、何事も無いかのように
背後で横になっている。
「じゃあ、1対5だな? ブリジット。誰の差し金か? クローネなのか?」
「フン! 貴様らの知る所じゃあない」
ブリジットは、そう言うなりカテリーナに向って刃を振り下ろした。彼女はそれを避けたが、ベ
ッドの枕を刃は切り裂き、中に入っていた羽が舞った。
「いい度胸だな…?」
カテリーナはそう言い、城で与えられたナイトガウン姿のまま、側にあった自分の剣を掴む。
「おっと、降参した方がいいぞ、フォルトゥーナ。貴様を暗殺しに来たんだ。実際、1人で寝込み
を襲えば簡単に収まったが、保険もかけてあるのさ。お前がわたしを殺せば、外にいる刺客が
一斉に貴様らに襲い掛かる。それでも良いのか?」
ブリジットは、カテリーナに大剣の刃を向けられていても嘯いた。
「刺客〜? その分を差引いても、あんたらは良い度胸さ。このカテリーナが、あのゴーレム達
相手にどういう戦いをしたと思ってるの? 例え刺客が100人いたって、楽勝だよ」
そう言うなり、ルージェラも自分の斧を掴み取った。
「だけれども、試してみる価値はありそうだな? お前達をこの《ミスティルテイン》の地に足止
めさせて置くには十分かもしれないな?」
「全く。お前達はこんな時に何を考えているんだ? 私達が、この地に戦争などを仕掛けに来
たわけでは無い事くらい、お前も知っているだろう?
私達が革命軍を止めなかったらどうなる? 真っ先に滅ぼされるのはこの『ベスティア』だろう
な?」
カテリーナがブリジットに刃を向けながら言い放つ。だが、ブリジットは鼻で笑った。
「革命軍の事など知った事か。わたしの任務は簡単さ。お前を殺す事だけだ。貴様も、誰かに
仕える身なら分かるだろう」
「ああ、全く埒が明かないという事が分かったよ!」
カテリーナは刃を振り、まずブリジットの両手にある刃を叩き落そうとした。大剣が振るわれ、
客室の空気がまるで激流に呑み込まれたかのように、激しい気流をなす。
だが、ブリジットはそんなカテリーナの攻撃を避け、どこに避けたのかと思えば、天井に張り
付いてしまった。
「大振りなんだよ。お前の剣の動きは。トロいゴーレム共ならば仕留められるかもしれないが、
わたしはどうかな?」
と言うなり、ブリジットは天井から急降下し、カテリーナの肩へと、まるで肩車でもするかのよう
に飛び乗った。
ブリジットの刃が光る。彼女は何のためらいもなく、その刃をカテリーナの首へと持っていっ
た。
「カテリーナッ!」
ルージェラが叫ぶ。ブリジットの刃が、カテリーナの喉を切り裂こうかと言うその時、
一発の銃声が響き渡った。そして、ブリジットの糸で操られた刃は、その動きを乱され、まる
であらん場所の空気を切り裂いた。
「なッ! 何だとッ」
すかさずカテリーナはブリジットを振りほどいた。
銃弾が飛んできた窓の向こう。そこには、城の外部城壁から、銃で狙いを定める一人の男の
姿。
カテリーナ達が救出した、あのカイロスとかいう男が銃を構えていた。
更に直後、カテリーナ達のいる客室の扉が荒々しく開かれ、踏み込んでくる者の姿。それは、
ルッジェーロだった。
「おいッ! 大丈夫だったかッ!」
剣を構え、武装したままの姿であるルッジェーロは、たった一人で踏み込んできたようだっ
た。
「あ〜ら? 男子禁制よ。この部屋は」
と、ルージェラが入ってきたルッジェーロに言う。
「そんな事、言っていられるって事は、大丈夫だって事だな…。まあ、6人もいるんだから平気
だったか…。しかし、《ミスティルテイン》で不穏な動きがあったからよォ…。どうも、カテリーナ・
フォルトゥーナ様ご一行は、招かれざる客達だって言うな…」
踏み込んできたルッジェーロを、ブリジットがにらめ付ける。
「貴様〜。外にいた奴らをどうしたッ!」
ルッジェーロはブリジットの方に向き直った。
「ここまで踏み込んできた訳だからな…。あらかた片付けさせてもらった…。悪いが急いでいた
もんで、手加減はできなかった」
「おのれッ! 我が国の城に勝手に踏み込んだ上に…!」
「随分なお嬢さんだな? あんたらも、自分達の城で、『リキテインブルグ』の要人の暗殺を企
むなんて、戦争をしたいって、言っているも同然なんだぜ?」
すると、ブリジットは吹き飛んでいた自分の剣を掴み取り、その刃を、今度はルッジェーロの
方へと向ける。
「知るかッ! このヤサ男がッ!」
「カテリーナ。このお嬢さんは、俺と、カイロスって奴が引き止めておく。お前は、街の外にいる
仲間達と早く合流しろ…」
「させるかッ!」
そう、ブリジットが言い放ち、カテリーナへと一歩、力強く脚を踏み込んだ時だった。再び一発
の銃声が鳴り響き、まるでブリジットの行く手を阻むかのように弾丸が彼女の足元へと命中し
た。
「く…」
窓の外から、別の男が狙っている。ブリジットはカテリーナの方には一歩も踏み出せなくなっ
ていた。
「あんたの相手は、この俺だ。悪いが、カテリーナ達がこの街を脱出するまでの間のな?」
「ならば、貴様の首を掠め取るまでだッ!」
ブリジットはルッジェーロへと力強く踏み込み、その両手に手にした双刃で切りかかった。
「おい! 今の内だ。さっさと支度してこの城を出るぞ!」
カテリーナが皆に言い放った。皆、この城にいる間、警戒はしていたものの、寝るときばかり
は普段の装備は全て脱ぎ去っていたのだ。
「ねえ、あんた。とっとと起きなさいよ! もう出発するの!」
ルージェラが、まるで周りで起こっている出来事は人事であるかのように眠りについている、
ナジェーニカを叩き起こそうとする。
すると、ナジェーニカはすぐに起きた。素早く甲冑を身に着けようとするカテリーナ達をさて置
き、ナジェーニカはと言うと悠々と服を着始める。
「あ〜! もう! もっと早くしてよ! お出かけに行くんじゃあないんだって!」
そんなナジェーニカの態度にルージェラは苛立つが、
「人間共のくだらん争いなど知った事か。私の首を掠め取るとか言っていたが、全く良い度胸
だな? 私は、貴様らがここを出るのだから、それを追うだけに過ぎんという事を忘れるなよ」
「デーラ、ポロネーゼ、あと…、」
カテリーナがシレーナ達に呼びかける。彼女も2人の名前と顔は知っていたが、3人目のシレ
ーナは知らなかった。
「ビアンカです」
はきはきとした声で、一番年上のシレーナは名乗った。
「じゃあ、ビアンカ達は、空から私達を援護してくれ、多分、私達をただではこの街から出さない
だろうからな…」
「りょうかいです。カテリーナ様」
素早く支度を済ませるカテリーナ達。半分途中だったが、残りの甲冑は走りながら身に着け
つつ、カテリーナは先頭になって客室を飛び出す。
その時、カテリーナはルッジェーロと目線を合わせる。
「任せたぞ…」
そのカテリーナの声は、ルッジェーロに届いただろうか、彼は暗黙のうちに、カテリーナへと
言葉を返していた。
「ああ…、任せておきな…」
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21.陰謀への回廊
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ベスティアにて滞在する事になった一行。しかしながら、そんな彼女らを狙う者たちの姿が現れます。 |
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