【加筆修正版】Two-Knights 外伝 第一話 「『裏切り』と『覚悟』の代償」
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 簡素な造りをした部屋の奥にあるベッドの上には、一人の若い女が寝転がっていた。

 薄手の部屋着から見てとれるは身体の輪郭。胴から腰にかけて緩やかな曲線を描き、胸は形のよい膨らみ。引き締まった肢体から漂うは、健康的な魅力であった。

 だが、快活そうな赤い髪は寝癖によって乱れ、まるで不精者のよう。そんな彼女から発せられているのは、刺々しいばかりの不平と不満の感情。

 まさに不貞寝の様相。

 彼女は不機嫌な面持ちのまま、退屈さと不満が入り混じった溜息を吐き、気だるそうに寝がえりを打つ。

 そして、傍らにある棚の上に無造作に置かれた、愛用の額飾りを一瞥しては、また溜息を吐いた。

 女とはエリスだった。

 三ヵ月前、この地──グリフォン・ブラッドの街を、ソレイア公国の占領下より解放した戦の先陣を切り、その功績によって、主を失った神官戦士団長を代行するカミーラの要請により『聖騎士』の地位を授かった女騎士である。

『聖騎士』とは、かつて前騎士団長シェティリーゼと司教ウェズバルドが担ってきた『武と教の架け橋』の役割を受け継ぐ高位の騎士の為に設けられた新たな称号。

 しかし、その名誉とは裏腹、今の彼女からは武人に相応しき覇気の類など伺い知る事など出来ない。

 騎士として、武人として日課たるべき武芸の修練に明け暮れるわけでもなく、ベッドの上で寝転び、眠る訳でもなく、その虚ろな視線を天井に投げかけている。

「父さん……」

 静かに呟く。先の戦の折、この手で討った父の名を。

 ソレイア公国が擁する錬金術師団の力によって脳を狂わされ、周辺の集落を襲っては流血と殺戮をもたらす死の尖兵と化した市民達に安楽な死を与える為、自ら先頭に立って、騎士団に市街戦を挑ませる大義名分を与えた父。

 心肺に死病を患いながらも、その為だけに奔走し、そして自らも騎士の剣による名誉ある死を望み、自分に未来を託して死んでいった。

 父を失った事に対する悲しみがないと言えば嘘になる。

 最後に言葉と剣を交わし、最高の手向けをしてやれたという自負がある。故に、エリスの胸中に悔恨の感情はない。

 また、父の遺言に従い、市街戦へと至った経緯を包み隠さず公表したが為、騎士団を表立って責め立てる者は皆無。

 ──しかし、騎士団内での事情は異なっていた。

 止むを得ぬとは言え、本来は守るべき、救済するべき市民らを自らの手で殺めてしまったという矛盾に堪えかね、戦の後に自刃した部隊も数多く存在し、その勢力は激減をしていた。

 また、自害に至らずも、数多くの騎士達が心に大きな傷を負い、ある者は精神を参らせ、またある者は自ら剣を捨て、そしてまたある者は、自らの罪に向き合うことすら出来ず、その重責から逃避する為、批判と誹謗の矛先を先の戦を指導した中心人物となった者へと向けた。

 グリフォン・ブラッド攻撃を決断した騎士団副団長アルファードを、それを黙認した神官戦士団を。

 そして、戦の先陣を切った『双翼の騎士』と、その仲間達を。

 中でも、騎士団長の実子であるエリスに対する批判は最も辛辣であり、彼女を公私の場問わず『親殺し』と激しく責め、罵倒し、時には悪意を込めた中傷を繰り返すまでに至っていた。

 無論、そのような者達に『聖騎士』などという即席の地位がもたらす威光など一切役に立たぬ。そればかりか『先の戦は、実の父より騎士団内の地位を簒奪したいが故の行為』──という、根拠なき批判の材料を与えてしまっていた。

 そして、この謂れなき悪評の数々を重く見た副団長アルファードは、エリスに対し一定期間『聖騎士』としての公務から外れる事を提言し、他に解決策の見つからぬエリスは、それに従った。

 これが二週間程前の事。そして、いまだ復帰の目途が立たぬまま今に至る。

 釈然としない思いが、エリスを苛んでいた。

 その思いの正体とは──苛立ち。

 事の真実に目を逸らし、逃避に終始する者達に向かって。

 ──あの方法以外では、早期に狂いしグリフォン・ブラッド市民による被害を最小限に止める事は出来なかったはず。そして、早期に街を騎士団が制圧する事はできなかったはず。

 ……しかし何故、自分達だけが非難されなければならないのか?

 ソレイアとの最終決戦に臨む為、騎士団は先の戦いによる疲弊と消耗から回復次第、そして、様々な体制が整い次第、すぐに再び戦場に立たねばならない。

 その為に必要なのは、グリフォン・リブ、フラム、そして、このグリフォン・ブラッド──『西の三拠点』と称された都市を、騎士団や神官戦士団に代表される反ソレイア勢力下に置く事。

 それこそが、ソレイアの影響力が以東へと及ばぬようにする為の包囲網を築く為の必要最低条件である。故に、早期のグリフォン・ブラッド制圧が求められていたのは言うまでもない。

 そう、エリスの父・シェティリーゼが、騎士団にグリフォン・ブラッド制圧へと駆り立てさせたのは、自ら犠牲となってでも、その礎を築かせんとする確固たる意思が介在していたのである。

 打倒ソレイアに挑む者達に千載一遇の好機を与える為、彼が遺した唯一にして大いなる遺産であったのだ。

 しかし、今の騎士団の体たらくたるや、愚図愚図と他人の誹謗中傷に終始し、そんな父の遺志を無下にせんとする行為に没頭する有様。

 父の命を賭した願い──その真意と価値を察せぬ程度の愚か者が、どうして今後の戦場で戦い抜く事など出来ようか?

 そして、この二週間にも及ぶ自主的な謹慎期間は、その苛立ちを暗鬱とした感情へ変化させるには十分にして余りある時間であり、遂には彼女を塞ぎ込ませるまでに至っていた。

 気が付けば、既に黄昏の時刻。未だ戦の傷跡が大きく残るグリフォン・ブラッドの街を染める朱の残照を窓より眺め、エリスは本日何度目かの溜息をついた。

「相変わらずだな」

 彼女に向かい、不意に声がかけられた。若い男の声。

 その声に応じるかのように、エリスはゆっくりと上半身を起こした。そして、声の主に向け、ゆっくりと視線を向ける。

「入るなら、ノックしてくれないかしら?」

「……ならば、鍵の一つくらいかけたらどうだ?」

 不用心だぞ、と男の声は呆れの孕んだものへと変じる。

 声の主は黒髪の青年。

 帯剣し、白銀に輝く重厚な甲冑を見に纏っていた。窓から差し込む朱色に照らされ、甲冑は本来のそれとは異なる色彩を放つ。

 目が利く者が見れば、彼が纏う甲冑は希少にして、武具の原材料としては最高品質の金属──純正のエジッド銀によって造られた逸品であると見抜く事が出来よう。

 男とは、レヴィンであった。

 エリスと同じく、三ヵ月前のグリフォン・ブラッド解放戦において『聖騎士』の地位を与えられた騎士──そして、エリスと同様、先の戦に対する痛烈なる批判を浴び、苦悩に苛まれているであろう男の姿であった。

「その格好は?」エリスが率直な疑問を口にする。「レヴィンもアルファード卿の提言に従ったんじゃなかったの?」

「公務から離れろ、との事だったな」彼は平然とした口調で答えた。

「ならば、公務以外の行動であれば、誰にも文句を言われる筋合いはない。だから勝手にさせてもらっている」

「公務以外?」

 エリスは怪訝そうな表情を見せた。

 あの甲冑姿から察するに、彼は出先より帰還後、真っ先にここを訪れたという事に他ならない。

 緊急性の高い事情があるに違いはなさそうだった。

「自由の身である事を利用して色々と嗅ぎ回っていたんだが、この三ヶ月間、我々騎士団が愚図愚図と足踏みをしている間に、水面下で色々と面倒な事が起こっているようだ」

 そう言い、彼の表情が曇る。

 この言葉と表情でエリスは先刻の自分の予想が間違っていなかったことを確信し、彼の話に興味を示した。

 いや、示さざるを得なかった。

 その反応の真意を察したのか、レヴィンは一度頷き、更に続けた。

「会わせたい人がいる」と。

「──会わせたい人?」

「今の俺達にとって、数少ない貴重な『協力者』だ」

「……なるほど、それじゃあまり待たせるのは失礼ね」

 エリスはそう言うと、ベッドから降り、立ち上がる。

「外で待っていてくれる? 今から外出の準備をするから」

「わかった。その間に俺はセティとリリアに声をかけてくるとしよう。表で待っていてくれ」

 レヴィンは、この一言だけを言い残すとエリスに背を向け、足早に部屋から立ち去って行った。

 そして、再び誰もいなくなった部屋。エリスは一度天を仰ぐ。

「愚図愚図と足踏みをしている間に、水面下で色々と面倒な事が起こっている……か」

 ふと、レヴィンが発した言葉を反復する。

 怒りと皮肉に満ちたそれの言葉の箭は、無論、先の戦の失敗に付け込み、罷業に徹している騎士達に向けられたもの。

 彼の言った「面倒な事」が何であれ、その原因は、グリフォン・ブラッドに駐在する騎士達の怠慢が引き起こしたものであるのは想像に難くない。

 恐らくレヴィンは、その問題を解決した功績を手土産に、副団長アルファードにグリフォン・ブラッドに駐在する人員の大幅改編を要求するに違いない。

 改編が実施されれば、その際、他方面より理由の説明を求める声が上がるのは必定。

 ──怠慢の実態が浮き彫りとなるのは言うまでもない。

 そうなれば彼らの名誉は失墜するのは必至。附抜けたとしても一応は名誉を重んずる騎士である。恥辱に晒されれば、流石の連中も目が覚めるだろう。

 そして、気付くであろう。

 あの戦いの、本当の意義に。

 もはや助かる術のない者、そして放置すれば社会に害を与えかねぬ者とはいえ、民を手にかけてしまった騎士団の罪は重い。勿論、その罪から逃れる事など出来ない。

 しかし、その尊い犠牲に報いる為にも、罪を真正面より受け止め、その重荷を背負いながらも、打倒ソレイアを果たさねばならない。

 この国に真の平和をもたらす為に、今こそ前進をせねばならない時なのだ。

 その覚悟すらなく、戦いの意義を見失い、ただ漫然と自分達の歩みを阻むと言うのならば、もはや味方として戦場に立つ資格などない。

 徒に戦場にて命を散らす前に、早々に退場して頂くのが道理。

 そう、エリスは信じて疑わぬ。

「さぁ、赤っ恥をかかせてやるわ」

 そう呟き、外出の準備を始めた彼女には、本来の元気と、武人としての覇気が戻りつつあった。

 

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 暖かい暖炉が、夜風で冷えた若者達の身体を優しく癒す。

 陽が沈み、僅かに欠けた月が天空の円屋根を飾り始める頃、二人の聖騎士は日々の日課を終えたセティとリリアをとともに、小さな酒場の奥にあるテーブルに陣取っていた。

 場末の酒場。先の市街戦による被害を一切受けなかった地域に存在するこの店は、華やかさこそないものの、質素ながらも提供される料理や酒の味は良く、それ故、毎晩復興作業に明け暮れる地元の者たちにとって憩いの場であった。

 言わば、隠れ家的な名店であり、その性質上、異邦人である騎士団の者の殆どはこの店の存在すら知らぬ。それ故、騎士団の内情を気にせねばならぬ立場である四人にとっても、この店は心の安らぐ唯一の場であった。

 だが、謂れなき批判に晒され、大なり小なり胸中に鬱積した思いを抱く中で喉を通る食事は、お世辞にも旨いものとは言えない。

「まだ、いらっしゃらないようですね」

 同席している金色の髪の女──セティが辺りを見回し、言った。

 彼女は普段着であった。旅に出るにも、公式の場に出るにも、そして戦場に立つにも信仰を忘れぬようにと常日頃より神官衣を身に纏う事を心がけているこの神官にしては、極めて珍しい装い。

 それは同席している、もう一人の女──霊術師リリアも同様。普段は、おのれの身分を示す刺青を晒す為、露出の多い服装をしているのだが、今の彼女が纏うそれは、セティと同じく一般に普段着として流通している代物であった。

 神官衣や霊術師の衣装は何かと目立つ。このような場末の酒場に騎士団関係者が訪れる可能性は低いとは言えど、極力人目につく事を避ける為の、彼女らなりの配慮であった。

「いつになったら来るのよ? レヴィンが『会わせたい人』って」

 エリスがレヴィンに尋ねた。

 日が沈み、街人達のささやかな夜の宴が始まらんとしているのか、店内の空席は続々と客らしき人達によって埋まっていく。

 極力、人目を避けたいと思っているエリスらにとって、これは歓迎の出来る事態ではない。

「人が多くなってきましたね。これ以上の長居は……」

 心配になってきたのか、セティもまた不自然なまでに辺りを見回しては、必死に見知った顔を探し、リリアもまた言葉には現してはいないものの、恐怖にも似た感情をその顔に浮かべていた。

 客足は一向に収まる気配はない。

 まるで申し合わせたかのように店内の賑わいは加速し、注文を受ける為、或いは料理や酒を運ぶ為に店内を右往左往する店員の動きもまた、それに比例するかの如く慌ただしさを見せ始める。

 そして、店の奥で必死に気配を殺し、押し黙る女達──エリス達の胸中に存在する不安の渦も、また急速な加速を始めていた。

 遂に彼女らは押し黙り、食事の手すら止めてしまっていた。その様はまるで台座に座する彫刻の様相。

 そのあまりの不自然さに、レヴィンは堪らず噴き出した。

 顔を伏せ、必死に笑いを堪える。

「レ、レヴィンさん……もう、静かにしてください!」

 その声に驚き、慌てたセティが身を乗り出し、口元に人差し指を当てた。

「もし、この中に騎士団関係者がいたら、また何を言われるかわかりませんよ!」

「いや、多分それはないと思うぜ」

 息巻く彼女に気圧され、レヴィンは慌てて言い繕う。

「……どうして、そんな事が言えるのよ?」

 そんな親友に釣られたのか、エリスも眉根を顰め、詰め寄られると流石のレヴィンも観念したのか、参ったと言わんがばかりに肩を竦めた。

「彼らは全員、俺達の『協力者』なのだからね」

「──え?」

 その言葉に、三人の女は素っ頓狂な声をあげ、互いの顔を見合わせた。まるで彼の発言の指し示す意味がわからぬと言わんがばかりに、きょとんとした表情となって。

「どういう……意味ですか?」

 まだ、釈然としないのかリリアが小首を傾げる。

「やれやれ……」

 その様に、レヴィンは苦笑いを浮かべると、すっと右手を挙げる。

 これが合図となり、店内の客が一斉に笑い声をあげた。

 この突然の変化に、エリスもセティも、そしてリリアも全てを理解した。

 ──騙された、と。

「いや、騙すつもりなどなかったのだが、エリス達の反応があまりにも不自然で可笑しかったものでな。少し意地悪をしてしまったんだ……まぁ、許してくれ」

 そう弁明し、容赦なく笑い出すレヴィンに、エリスの胸中に満ちた羞恥は次第に怒りへと変じていく。

 相棒の怒りの形相に怯むレヴィンに、今まさにエリスが掴みかからんとした刹那、店の隅の席に座する一人の青年が立ち上がった。

「レヴィン。お前は相変わらず趣味が悪いな」

「……貴方は?」

 セティが尋ねる。怒り狂い、今まさに暴れ出さんとするエリスをリリアと共に取り押さえんと必死になりながら。

「答えは、そのじゃじゃ馬──いや、シェティリーゼ卿の御息女様が御存じであると思うがね」

「……何ですって?」

 思わぬ方向からの挑発に、エリスはその怒りの形相を声の主へと向ける。そして青年の顔を一瞥した瞬間、彼女は驚きのあまりに目を瞠り、思わずこの青年の名を叫んでいた。

「ナーシェル!」

 

 年の頃は二十代半ばの、このナーシェルと呼ばれた青年は、かつてレヴィンやエリスと同じくグリフォン・フェザー騎士隊に所属していた男であった。

 二人がグリフォン・フェザー騎士隊を離れた数ヵ月後、その優秀さを買われ、王都騎士団への編入を果たし、そして今、若き騎士達を率いた小さな部隊長の地位に就き、このグリフォン・ブラッドに駐留していた。

 そう、店内にいる客は皆、彼の部隊に所属する者達であった。

 彼らは先の市街戦にて部隊を率いて参加し、戦の後、騎士団上層部やレヴィンら『双翼の騎士』に非協力的な姿勢を貫く他部隊の方針に反発するが故に、このような秘密裏の協力を申し出たのだと言う。

「かつては表立って反発していたのだが──連中は我々を若く、規模も少ない部隊として侮り、聞く耳を持ってはもらえなかった。これ以上、反発を続けても叩き潰されるのが関の山と思い、このような秘密裏での協力となってしまった。どうか、許してほしい」

 そう言い、ナーシェルは頭を下げ、謝罪をする。

「しかし、この我々の煮え切らぬ感情を、レヴィンに察して頂き、その激情の捌け口を用意してくれたのだ。一挙手一投足に至るまで監視され、少しでも動きを見せれば批判と中傷が飛ぶ聖騎士殿に代わり、その手足となって働くという道を」

 感謝の言葉もない。そう、旧友の騎士は言葉を添える。

「つまり、先のグリフォン・ブラッドの市街戦によって、乱れた周辺地域の事情とソレイア公国の動きを彼ら──ナーシェルの部隊を使って探らせていたんだ」

 レヴィンが店内の協力者達を頼もしそうに見回した。

 皆、前途のある若者であった。年の頃は十八、九の者が大半を占め、小隊長級の地位にいると思しき者、及び部隊長ナーシェルの側近と思しき数名の人物とて、二十五を超えてはいない。

 その若さゆえか、このグリフォン・ブラッドに駐留する騎士達の間で漂う閉塞感に対する反抗の意思は強い。

 何の政治的判断や打算の介在が一切ない、感情と本能による反抗──それこそが、彼ら若者の心を動かす原動力となっていた。

「──頼もしい限りですね。私の彼女の盲いた目にも、沢山の実直で猛々しい魂の輝きが映っております」

 リリアが満足そうな笑みを浮かべ、頷く。

 その言葉と、柔らかい笑みによって店内の空気は弛緩した。それにより、ナーシェルの緊張も幾分解れたのか、彼は落ち着いた口調で報告を始めた。

 彼が最初に話したのは、ソレイア公国の動向についてであった。

 ソレイア公国首都──かつての聖都グリフォン・テイルは、高山地帯に位置するが故に土地が痩せているという特性上、充分な食料を自給自足する事は不可能。

 その為、ソレイアは錬金術によってもたらされた産物──ホムンクルスや麻薬、毒物といった品を用いて、他地域の闇市場に介入、掌握する事によって外貨を獲得し、国力を維持しているという事であった。

 かつてはソレイア領にして物資の輸送拠点でもあったグリフォン・ブラッドを、三ヵ月前の市街戦によって騎士団の影響下に置かれた事によって、事実上、ソレイア公国はこれら物資の輸送手段を失っている。

「だが、周辺地域の闇市場で、今も尚これらの品々が安定供給されている。恐らくソレイアは密輸という形をとって外貨獲得の手段を再構築している可能性が高いと考えるのが自然だろう」

「──それが事実ならば、その通過点となっているのは、このグリフォン・ブラッドに間違いない。戦の混乱から立ち直り切らぬという街の現状。そして、本来は街の治安を維持する役目を担う筈の騎士隊が一切機能していないのだからな」

 レヴィンが推理を働かせる。椅子に腰をかけ、腕と脚を組んで両目を瞑り、ただ淡々と。

 そして、静かに苛立ちをぶつけるかのように。

「レヴィンの言う通り、奴らはこのグリフォン・ブラッドを通過点としているのは間違いないと思う。ホムンクルスの存在が確認されているのは、主にこのグリフォン・ブラッドを中心とした地方の街。そして、エッセル湖畔の主要な街だという事が明らかとなっているのが根拠だ」

「エルナスからの海路をも使っていると言うの?」

 エリスが眉根を寄せた。

 このグリフォン・ブラッドから南に一日ほど馬を走らせれば、大陸唯一にして最大の港町エルナスが存在しており、エルナスを経由して南の海上からエッセル湖の南側へと接岸すれば、湖岸地域に接近するのは容易。

 また、エッセル湖方面──中でも、湖畔の都市グリフォン・クラヴィスには、大陸内最大級と評される巨大な闇市場が存在していると言われている。表沙汰に出来ぬ品を扱う商人らは、人目につきやすい陸路よりも、この経路を好んで用いる事が多いと考えられた。

 そういった性質上、南の海を東西に運航している船の乗組員らは、同じ海路を他の船が利用していても、相手側より危害を加えてこない限りは互いの素性に干渉せず、また、その事を口外せぬ事が暗黙の了解となっていた。

 そのような事情が罷り通っているエルナスを、ソレイアが易々と手放すとは思えない。

 荒れたグリフォン・ブラッドの現状、そして港町エルナス特有の事情を鑑みるに、レヴィンの推理は極めて真実に近いだろう。

 誰もがそう思っていた。

「一日も早くグリフォン・ブラッドが復興し、駐留する騎士隊の治安維持機能が回復すれば、これらの問題は殆ど解決するのでしょうが……」

 セティのこの言葉が、騎士達の心に深く、鋭く突き刺さる。

「……とは言え、先の市街戦で附抜けてしまったグリフォン・ブラッド駐留隊の内、志士と呼べるような者は聖騎士殿をはじめとし、ここに集った三十余名程度。これだけでは街を守ることすら不可能です」

 ナーシェルを補佐する側近の女騎士が、そう言って頭を横に振り、天を仰いだ。

「これでは、グリフォン・ブラッドを押さえた意味がありません。このままでは犠牲となった団長に合わせる顔がありません」

 父の名を出され、エリスの表情が一瞬だけ複雑な色を帯びる。

「それなら、この人数だけで出来る事をするしかないわね」

「我々だけで出来る事──ですか」

 リリアのこの言葉を皮切りに、誰もが沈黙を始めた。

 皆が皆、思考の世界へと入り込み、この少人数で最大限の効果を発揮する方法を模索する。

 ある者は顔を伏せ、またある者は天を仰ぎ、そしてまたある者は腕を組んで瞼を閉じる。思考に耽る際の癖は多様にして、誰一人として同じものはない。

 数十分程が過ぎ、この沈黙を破ったのは──レヴィンだった。

「──交易の実態を解明し、その要素一つ一つを徹底的に潰す事だ。そして、現状の人員で潰す事が可能な要素とは、主に二つ」

「要素?」と、誰かが問う。

「第一に、港町エルナスを押さえる事だ。現在、あの街を実効支配しているのはカロス家という豪商一族。ソレイアがエルナス経由でホムンクルスなどをエッセル湖畔周辺へ輸送をしているという事が事実ならば、港湾の責任者としてカロス家が罪に問われるのは当然。現段階ではそれには至らずとも、我々がその事実を掴んでいる事をちらつかせるだけでいい。それだけでもカロス家の動きを牽制する事が可能だからだ」

「その前に、ちゃんと裏を取らないと後々まずくないかな?」

 エリスが首を傾げ、疑問を口にする。

「カロス家も、伊達に豪商として長年エルナスを支配しているわけじゃない。確かな根拠もなく下手をすれば、牽制どころか我々が嗅ぎ回っている事がばれて、余計な知恵をつけさせる事にもなりかねない。そうなれば奴らも手口を巧妙化させてくるはずよ」

「勿論だ」レヴィンは頷き、相棒の疑問に応じた。「その裏を取る為の方法こそが第二にあげる方法だ」

「──拠点を押さえる事ですね?」

 ナーシェル側近の女騎士が言った。

 その声に応じ、レヴィンが視線を向けると、彼女はその顔に柔和な笑みを浮かべた。

「このグリフォン・ブラッド周辺の、相応の規模を持つ拠点を」

「御名答だ。えっと──」

「オリビアと申します。王都騎士隊より派遣されました。現在はこのナーシェル隊の副官を務めております」

 そう名乗った女騎士は真顔へと戻り、正式な礼をする。

「今でこそ荒れていますが、グリフォン・ブラッドが騎士団の管轄下に置かれている事実がある以上、ソレイアの連中も大手を振って街を通過する事は考えられません。扱っている品が品であるが故、街に流入する──言わば実行部隊は極めて少人数であると考えるのが自然。だが、交易自体はソレイア公国の一大事業であるが故、短期間で相応の成果をあげねばならぬという事情もあります」

「ならば、わざわざ実行部隊を本国まで往復させるよりも、グリフォン・ブラッド西側近くに拠点を設けた方が効率的という訳だ」

 レヴィンがオリビアの発言を補足する。

「無論、在庫をこれら拠点へと動かす手間と、絶えず本国との間で物品と金を往復させる隊が別途必要となるであろうが、グリフォン・ブラッドより旧聖都までは山道を徒歩で往復十五日程度の行程。ソレイア公国の財政事情を鑑みるに、この十五日の差は相当な時間的損失と見て間違いはないだろう」

「……と言う事は」レヴィンとオリビアのやりとりから、何かを察したのか、リリアが口を開いた。

「その拠点では、様々な情報がやり取りされている筈ですね。例えばグリフォン・ブラッドでの治安状況や、警備の状態。そして港町エルナスで手引きをしてくれる人物の情報──」

「なるほど。その拠点を叩き、密交易部隊の連中を締めあげれば、必ずやカロス家を追求できる情報の裏が取れるという事か──」

 そう、誰かが呟くや否や、店内は騒然としはじめた。

 再び考えに耽る者、近くの仲間と言葉を交わして意見を交換する者、また方針が決まった事に安堵してか、仲間と酒を酌み交わしはじめ、その勢いで饒舌に意見を主張する者まで現れた。

 種類は違えども、皆が思考の中、或いは話題に挙げるのは、その拠点の位置など詳細な情報を探る為の方法や、制圧するための方法論についてであった。

 そして、至った結論も同一。

 ──周辺の土地に詳しい地元住民と接触を図り、そういった大規模な拠点を秘密裏に設けるに相応しい場所を教授してもらうという事であった。

「先のソレイア公国による占領と、三ヵ月前の市街戦により、住民の生き残りは恐らくこの街には殆ど残ってはおるまい。周辺の街や集落に逃げ延び、避難生活を余儀なくされていることだろう」

 最後にレヴィンが、集会の終了をこの言葉をもって宣言した。

「明日より俺達四人がこれら集落へと向かい、情報を集積する事にする。お前達はナーシェルやオリビアの指示の下、通常の訓練と任務にあたってくれ──くれぐれも、他の隊の連中に覚られぬように」

 

 こうして集会は解散され、一人、また一人と店を去っていく。

 いまだ熱気が残存する店内に残るは奥の卓を囲むレヴィンら四人のみ。

 二人の騎士は先刻まで行われていた集会の内容を咀嚼していた。

「本当にこれで良かったのでしょうか?」

 その時、セティが不意に言葉を発した。

「本来、こういった問題は全体で解決させなければならないのではありませんか?」

「──確かに」レヴィンは困惑した表情を浮かべ、頬を掻いた。

「しかし、頑として動かぬ連中に声をかけたとて、徒労に終わるのが目に見えている。それに奴らは俺やエリスが『聖騎士』となった事を不服としている以上、動かぬどころか妨害される可能性すらある。そんな連中の協力など仰げる訳がない。だから俺はナーシェルと秘密裏に事を進めてきた訳だ。団長が命を賭して、俺たちに与えて下さった打倒ソレイアの千載一遇の好機を無駄にしない為に」

「『聖騎士』の勤め──という訳ですか?」

「難儀なものだ」レヴィンが苦笑し、わざとらしく肩を竦めた。

「謂れなき批判に晒されているとはいえ、今の俺達が苦境に立っているのは事実。しかし、だからと言ってソレイアの動きを看過する訳にはいかないだろう?」

「だから、誰かが動かなければいけないのよ。どんな立場に置かれようとも、如何なる批判を浴びようともね」

 そう言うと、エリスはグラスに残った酒を呷った。まるで胸中に鬱積した何かを洗い流さんとしているかのように。

「父さんに──未来を託されたからね。だから私達は『聖騎士』の地位に就く事を承諾したんだよ」

「その『聖騎士』の地位も」

 と、盲目の霊術士──リリアが静かに声を発した。

「母様が司教様なき神官戦士団を立て直す為、レヴィンさんとエリスさんの助力を乞いやすくするのが主たる目的──言うなれば、無力な母様が御二人の名声に肖らんとする為に急遽設けたものなのです。そこまで重く考える必要は……」

「実の母親を、そう悪く言うものじゃないよ」

 エリスが俯く霊術師を優しく諭す。

「司教様より神官戦士団の主導者としての座を譲り受けた事──戦闘経験のない一介の聖職者のカミーラさんにとって、それは相当な重圧であったのは事実だろうね。そして独力ではこれを統率することが出来ないという事も知っていた。だから、藁にも縋る思いで私達に協力を願い出たのだと思うよ」

 しかし、これは極めて危険な判断でもあった。

 この国では武を司る騎士団と、教を司る神殿、政を司る議会。これらの三権が独立し、相互に監視、或いは規定範囲内で干渉しあうことにより抑制均衡を図り、権力の集中や濫用を防止している。

 だが、監視や干渉の権限は騎士団長や司教など、各々の組織の頂点に立つような者、またそれらに相当する地位にいる者のみ有する特権であり、レヴィンやエリスのような多くの武功を挙げてはあれど、若く未熟な騎士にこれらの権限を与える事は、常軌を逸した行為であるのだ。

 グリフォン・ブラッド駐留軍の間に蔓延するレヴィンやエリスに対する反発の根底には、こういった事情も潜在している。

 しかし、今は内乱の只中。その最中、騎士団は団長たるシェティリーゼを、神官戦士団は主導者たる司教ウェズバルドを失うといった非常事態。そして、神官戦士団の存在は打倒ソレイアに欠かす事の出来ない者達である。彼らが存続出来ると言うのならば、この程度の例外など何の障害となろうか?

「それが『聖騎士』としての大いなる責務。『武』と『教』の架け橋──父さん達より引き継いだ役割なのだからね」

「ですが、そう考えると今のナーシェルさんやオリビアさんも、自分の目的の為にレヴィンさんとエリスさんの存在を利用しているだけのような気がしてなりませんね」

 このセティの鋭い指摘に、二人の騎士の表情は一際厳しくなった。

 彼女の憂慮──それは、『双翼の騎士』と言う存在や功績が常に誰かに利用されているのではないかという危惧。

 神官戦士団を立て直す為に、二人を『聖騎士』に祭り上げたカミーラ。

 それを承認した騎士団副団長アルファード。

 そして、先の戦に対する不服故に罷業に明け暮れる騎士隊に反発し、二人を取り入れんとしたナーシェルとオリビア。

 彼らの期待に応え、実績をあげれば無論自分の名声は高まる事だろう。そして、今でこそ罷業に明け暮れる騎士達も、やがては自分達の存在を認めぬわけにはいかず、否応なしに後に続いてくれることだろう。

 だが、その名声とは自分自身の力によるものなのか?

 ──違う。だが、これだけは言える。

 聖都をソレイアによって蹂躙され、ソレイア政権下にある聖都の民は今も尚、尊厳の蹂躙と搾取の対象となり、その日の食事にすらありつけぬ生活を送っている。

 そして、聖都の存在を心の拠り所としている信心深き多くの民もまた、聖都の解放を望んでいる。

 そういった時代が、打倒ソレイアと聖都解放を同時に成し遂げる為の主導者を求めているのだ。

 それが、今の自分。『双翼の騎士』と呼ばれし自分達の立場なのだ。

 運命の悪戯か、はたまた貧乏神に魅入られてしまったのか、偶然この時代に生まれ、騎士としての功績を上げていく時機と、ソレイアが聖都で権力をつける時機が重なってしまったが故、聖騎士となり、そして将来的にはグリフォン・ブラッド駐留隊を率いる主導者的役割を期待されている人物──それが、自分達なのだ。

 そう、主導者となる人間とは、もしかしたら自らの意思でなるものではなく、時代の求めに応じて、何者かの手によって仕立て上げるものなのかも知れない。

 言い換えれば『主導者』とは、所謂誰かの手によって創られた『偶像』。そこに当人の意思、人格などは存在せぬ。

 ──では俺は、私は、誰かに創られた存在なのか?

 そう言っても過言ではない。いや、事実その通りであろう。

 様々な数奇な偶然により、自分達は自らの預かり知らぬところで仕立て上げられてしまったのだ。

 打倒ソレイアの象徴。『偶像』に。

 アルファードに、カミーラに、そして今は亡き前騎士団長シェティリーゼや、司教ウェズバルドらの手によって。

 では、自分達はそういった者達の操り人形なのだろうか?

 ──違う。断じて。

 この時、レヴィンとエリスは同じ情景を思い浮かべていた。

 グリフォン・クラヴィス西の平原での戦いを。

 その戦の折、二人は遊撃部隊を率い、主に敵本隊の撹乱を任されていた。

 自分達の判断如何によって、十分に生存は可能であり、また作戦に成功すれば、その行動の奇抜さ故に、否が応でも功績は際立ったものとなるのは言うまでもない。

 敵陣に突撃する前線の光景──一瞬にして命が奪われた数百の騎士達と、それを横目に遊撃と撹乱に成功し、武功をあげていく自分達。

 その様は、まるで『双翼の騎士』という偶像──レヴィンやエリスの名声を更に高める為に、前線の者達を生贄としたようなもの。

 言い換えれば、あの時に失われた騎士達の生涯は『双翼の騎士』という偶像の為に身代わりとなって閉じられたようなものである。

 ──何故、そのような事になったのだろうか?

 俺は、私は、なぜそこまでして生かされるのだろうか?

 魔物のみならず、人までも殺しておきながら、挙句の果てには恩師を、父を殺してまで、何故『主導者』としての立場を求められるのか?

 今、その意味を考えねばならない。

 ソレイアに敗北を喫する事──それは即ち、死。地獄の悪魔ですら恐れ慄くほどに凄惨な最期を迎える事に他ならぬ。

 二人は思う。故に考えねばならぬ、と。

 このような戦いにおいて、数多なる者が各々の命を賭け銭とし、勝負の卓に乗せ、自分達に託す意味を。

 その『覚悟』と『重さ』を。

 騎士として、誰がこれを撥ねつけようか? 自らのか細い背中に託された命とともに得たものは『聖騎士』としての地位と栄誉。そして何よりも、ソレイア打倒の象徴として果たすべき使命と責任を。

 誰も撥ねつける事は出来ぬ。

 そう、二人は声を出さずに自答した。

 

-3ページ-

 

 <3>

 

 夜半──

 グリフォン・ブラッドの街は、夜の闇によって支配されていた。

 戦禍が過ぎ去ったとは言え、その傷跡が色濃く残るこの街に住もうという者はまだ少なく、通りは静寂の只中にある。

 漆黒の闇と、静寂のみが支配する街の通り、彼方此方に瓦礫が散乱する一角を、慣れた様子で歩く人影があった。

 寒さ凌ぎの外套を纏い、フードを深く被っている肩幅の広い中背の男。

 歩調は大股。周囲に悟られぬよう足音に気を配っているように見えるが、その様はあまりも不自然。心得は然程意味を成してはいないようであった。

 だがここは、廃墟に限りなく近い街。無論、そのようなところに通行人の類などなく、この粗末なる忍び足の男の存在は誰にも気取られる事はない。

 程なくして、男は固く閉ざされた門の前に辿りついた。

 西門──今は固く閉ざされた、旧聖都へ至る門。

 ここに来て、外套の男は慌ただしい様子で辺りを見回し、宵闇の所為で限られているとは言えど、その視界に誰もいない事を確認するや、今度は西門より街を区画する壁に添って北へと歩み出した。

 数分ほど歩いただろうか。男は壁際に山と積まれた瓦礫が存在する一角に出た。

 そこで再び、外套の男は慌ただしい様子で辺りを見回し、遂に誰にも気取られる事無くこの場所へと辿りついた事を知ると、首尾よく事は運んだと、口元に不敵な笑みを浮かべた。

 男はおもむろに瓦礫の山へと近付くと、地面に落ちていた小石を拾い、それを壁の向こうを目掛けて放り投げた。

 壁の向こうの地面に小石が衝突する音が響く。

 それが合図となったのか、ひとつ、またひとつと壁の向こうより人影が現れた。彼らは壁際に堆く積まれた瓦礫の山を踏み台とし、そして滑るかのように山を下っては壁の内へと入り込んだ。

 荷を背負った人間だった。長衣とフードで身を隠したそれは一人や二人ではなく、十数名からなる一団であった。

 地上に降り立ったこれらを視認した男は、合図を送り、招き寄せた。

「早かったな」

 声を顰め、そう挨拶を交わす。

 中年と思しき男の声であった。

「なに、貴様のお陰で俺達は日々の生活に困らずにいるのだ。そんな恩人を待たせるわけにはいくまい。早速、取引といこう。こんなところで共に時間を費やしても、互いに不利益であろうからな」

「──そうだな」

 そう言うと、外套の男と荷運びの男は顔を見合わせ、一度頷きあうと、各々は自らの懐より取引の品を取りだした。

 外套の男が取り出したのは、十数枚からなる羊皮紙の束。

 そして、荷運びの男が取り出したのは、はち切れんばかりに膨らんだ革の袋。

 それらを交換した両者は、互いに提供された品の確認をする。

 外套の男は革袋の止め紐を解いて、その中身を。

 荷運びの男は、包む布を慎重な手つきで解いて、中に収められた、羊皮紙の束を。

 刹那、雲間より月が覗いた。白銀の光が漆黒に染められた大地に降り注ぎ、この場にて交わされた取引の品、その詳細を照らし出した。

 荷運びの男より渡されし革袋の中に詰められたのは、大量の金貨。

 そして、外套の男より手渡された羊皮紙の束。

 通行証であった。

 騎士団に認可された商人、商隊が、騎士団の管轄している地域や集落を通過する為に必要な証。

 通行証は騎士団長、或いはそれに準じた地位の者にしか発行出来ぬ者であり、それ故に、これは許可を下した者の署名が記されている。

 外套の男より手渡された十数枚の真新しい通行証──そこにはしかと署名が記されていた。前騎士団長シェティリーゼの名が。

 今は亡き男が、そのような署名などを新たに記せる筈がない。無論、この通行証は偽造された代物である。

 だが、これら通行証の文面と署名は、傍目には本物と見分けがつかぬほどに巧妙な物であった。

「──しかと確認した。いつもいい仕事をしてくれて助かっている」

 出来栄えに満足したのか、荷運びの代表者は大きく頷く。それを視界に認めた外套の男の緊張が一気に弛緩する。

 荷運びの男の所作と言葉、それこそが取引成立の合図であった。

「光栄な事よ」外套の男は安堵の息を漏らした。「私も危ない橋を渡った甲斐があったというものよ」

「貴様の事は、我が主君ソレイア様に耳にも届いており、その働きを高く評価して下さっている」

「噂にはかなりの美女であると聞く。是非とも御目に掛かってみたいものよ」

 その瞬間、ソレイアの走狗達より発せられる気配が氷の冷たさを孕んだものへと変じた。

「それは叶わぬ」そして、発せられる声も刺の如き辛辣さが帯びる。

「冗談だ。気にするな」

 その気配と声に恐怖心を煽られたのか外套の男は肩を竦めた。

「貴様らソレイア公国の中枢を担う者は、ソレイア殿に心酔し、神聖視しているというのは知っているさ」

「ならば、その聖なる御名を濫りに発するな」

 荷運びの代表者は装束の中に右手を入れる仕草をした。

「わかった。すまなかったな」

 その所作は隠し持っている武器の確認──そう察し、装束の男は慌てて謝罪する。

「こんな所で事を荒げたくはない。私にだって立場というものがあるのだからな」

「──ならば、謝罪ついでに一つ頼まれてくれぬか?」

「何だ?」

「騎士団の連中が、俺達の動きに気付き始めているようだ。聞くところによると、我が部隊の拠点の存在を察しているようで、近々調査の為に人を送る動きがあるとか……」

「馬鹿な。グリフォン・ブラッド駐留隊の者どもは、先の市街戦で騎士団長アルファード卿を失った影響で附抜けてしまっている。そんな駐留隊を立て直さんと躍起になっている『双翼の聖騎士』も、所詮はあの戦にて先頭に立っていた人物だ。あの方針に反発する大半の者達の批判に晒され、孤立している現状にある。水面下とはいえ、そのような動きに出るような余裕などないはず」

「だが、あの二人は駐留隊の外部──騎士団副団長アルファード卿や、神官戦士団長カミーラからは信を置かれている。また『打倒ソレイア公国の象徴』として、民衆の人気も圧倒的であるとか。今は孤立していたとしても、時が経ち、立ち直りの早く血気盛んな若い部隊が盛り立ててれば、再び台頭してくる可能性は高いのではないか?」

「先の戦より、もう三ヵ月──か」

「立ち直るには、十分な時間よ。ならば、その水面下の動きとやらが、『双翼の聖騎士』復活の伏線と考えるのは──」

「確かに、下らぬ邪推……とは考えられぬな。それに──」

 外套の男は、何かに思い至ったのか、少しだけ思考する。

 荷運びの代表者は、その思考の理由を察し、問いかけた。

「何か、心当たりがあるようだな。大方、あの聖騎士を焚き付けんとする『若い部隊』の存在か──」

「……」

「その部隊の動きとやらに、精々注意を払う事だな。だが、安心しろ。我々も万一の際には適切な処置を講じるつもりであるからな」

 黙し、一切語らぬ外套の男の反応に、ソレイアの手先は呆れ気味に肩を竦めた。

「我々に何かがあれば貴様も破滅。それをくれぐれも忘れぬよう」

説明
C80発表の「"Two-Knights" 外伝短編集」のうち、
第一話の序盤部分を公開いたします。

現在、本作品は同人ダウンロード専門店「DLsite.com」「DiGiket.com」での購入が可能となっております。
http://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ127218.html
http://www.digiket.com/work/show/_data/ID=ITM0093149/
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