Alternative 1-2 |
「勇者様、まさか本当に森に棲み着いた化け物を討伐してくださるとは」
「噂は本当だった。勇者様はなんと慈悲深いお方だ。あれほどの化け物を見返りも求めず退治してくれるなんて」
「勇者様はまさに英雄となるに相応しいお方だ。やはり、ハーヴェスターシャ様の選定に間違いはなかった」
「きっと勇者様がいらっしゃれば、【終末龍(プルトニウス)】の厄災も終わるに違いない」
「感謝いたします、感謝いたします。勇者様、本当にありがとうございます」
「どうかその手で、あの【終末龍(プルトニウス)】を打ち倒してくださいませ」
クロームと共に一仕事を終えた俺は、村を囲む木製の柵に独り寄りかかっていた。入り口付近で帰りを待っていた村人達に取り囲まれ、頻りに感謝の言葉を述べられ、賞賛されるクロームの姿を少し離れた場所からのんびり眺めながら、頬をかく。
柵に囲まれた村には、煉瓦造りのの質素な家ばかりが並んでいる。最低限雨風を凌げるか程度の家屋だ。屋根は茅葺がほとんどで、僅かに瓦の屋根がちらほらと見えるくらいか。造りは幾分か雑ではあるかな。
空はもうすっかり茜色。あの後、森から帰るのに随分と手間取った。クロームの背中への損傷が大きかったのが一番の原因だ。本人は平気だと言っていたが、無理をしてさらに大事となっては俺が困るのである。
結果、比較的道がなだらかな場所を選んだため、大きく迂回する羽目になり、村に帰り着いた頃には日も暮れていた。まあ、仕方ないわな。
数十人の村人に包囲され逃げ場もなく、お礼を言われ続けながらもクロームは変わらず仏頂面だ。なんとなく謙遜とかしたりしてるんだろうなぁ、と予想する。
勇者として、当然のことをしたまでです。とかよく言ってるしな。今回もそんな感じだろう。
それが本心からの言葉なのか、単なるいい人アピールなのか、というのは俺もよく分からない。どっちにしたって、何か問題があるわけではない。
偉そうにふんぞり返っているよりはずっといいはずだろう。
ちなみに村人達は俺に見向きもしない。森に棲み着いた魔物の話を聞いて、進んで討伐してくると言い出したのはクロームだしな。それに森へ向かう際に送り出してくれた時も、俺は一切応援の言葉をかけられなかった気がする。所詮は勇者の仲間、おまけでしかないし。
実際、大した活躍はしてないからいいんだけどさ。
どうにも手持ち無沙汰で俺はジーンズの尻ポケットに突っ込んでいた紙巻き煙草の箱を引っ張り出した。パッケージがソフトタイプであるため、箱はすっかり潰れてしまい、引き抜いた残り少ない煙草もよれよれだ。
ああ、俺のマールボロちゃん……。
まあ、贅沢は言えないよな。吸えるだけまだいい。
オイルライターのフリントホイールを親指で回して、着火しようとするが、中のオイルが大分揮発してしまっているのかなかなか火がつかない。
あー、くっそ……。こんな時に限ってなんだよ、一体。
一度ライターの蓋を閉めて、下に溜まってるかもしれないオイルを上に送るように何度か振り、再度着火を試みる。
一回、二回、三回でようやくライターに火が点いた。こりゃ宿に戻ったらオイルを入れ直した方がいいかもしれない。フリントの方も大分損耗してきているが、こっちはまだ使えるし勿体ないので交換はまだしないでおこう。
ようやく点いてくれたライターの火で、口に咥えた紙巻き煙草の先を炙り、フィルターから流れ込んできた煙を吸い込む。
喉を焼く煙。肺にかかる重み。有害の極みを味わうように体内へと取り込み、その残滓を吐き出す。
なんていう自傷行為。
一仕事終えた後の煙草は最高に美味いのである。
と、さすがにこんな牧歌的な村で吸い殻を地面に落とすのは気が引けるな。えーと、携帯灰皿を確か持ってきていたはずなんだが……。ぽんぽんと体中のポケットというポケットを叩いてみるが、携帯灰皿と思しき感触がない。
「ありゃりゃ?」
もしかして宿に忘れてきたか……?
まずい、非常にまずい……。
勇者のおまけとは言え、勇者の仲間が煙草をポイ捨て? それはいかんだろ、どう考えても……。今後の勇者一行の評判とかにも関わってくるんじゃないのか?
最悪俺が勇者一行から除名されかねない。それだけなら別に構わないんだけど、足手まといがいなくなって逆に戦績がよくなった、とかってなるととてつもなくいたたまれない。俺が。
「ほいよ」
いろいろと下らない考えを巡らせていると、視界の端、左の肩口から細い腕が伸びてきた。背後から聞こえてきたのは聞き慣れた女の声。
後ろから俺の眼前へとやってきた腕は血色がよく、適度に筋肉が付いていて、綺麗な形をしている。手には革製のグローブが嵌められ、その手の中には俺がいつも持ち歩いている携帯灰皿が握られていた。
俺はそれを受け取り、目の前の腕が引き戻された方へと振り向く。そこにいたのは紅い髪をポニーテールにした女。見慣れた顔だった。
俺が人生の中で最も多く見ている顔と言っても過言ではないだろうか。
凜とした赤い瞳は如何にも強気そうであり、実際その印象通りである。とはいえ、力強い目をしているながらも女性的な円らかさもそれ相応には備えているかもしれない。鼻は少し低いが、筋はしっかりと通っている。血色のいい肌は活発さをイメージさせ、実に健康的。薄手のタンクトップに傷だらけのスキニージーンズ、ぼろぼろに履き潰されたスニーカーという服装に反して、肌荒れもなく実に滑らかな肌をしている。
体つきは豹のようにしなやかではあるが、タンクトップを内側から程よく押し上げる胸の膨らみは適度な大きさである。Cのちょい大きめ、くらいだと俺は個人的に推測している。
しっかり鍛えられていながら女性的な丸みを残した体の輪郭は、男の目を惹くには十分すぎるものだろう。
結い上げて尚、膝まで達する長いポニーテールが特に印象的だ。
こいつが幼馴染みでなく、また性格がもう少しお淑やかであったのなら、俺もこいつに少しくらい気を向けていたかもしれない。それくらいの見てくれのよさだ。
そう、幼馴染みでなければ。
「忘れてたぞ、ガンマ」
そいつはにかっと腕白坊主のような屈託のない笑顔を俺に向ける。この幼馴染み――セシウの表情はいつも男勝りで、俺よりも男らしいことがよくある。まるで少年のように邪気がなく、いつでも脳天気で表情が豊かだ。
「ん、あー、サンキュ」
手短にお礼を言って、俺は煙草の吸い殻を携帯灰皿の中へと落とした。
「せっかく持ってきてあげたのに、感謝の気持ちが籠もってないんじゃない?」
「うっせぇな。別に頼んでねぇっつぅの」
「何さ、どうせクロームにいいところ持っていかれて独り寂しく黄昏れてると思って来てやったのに」
ぶーっとセシウを頬を膨らませ、くびれた腰に両手を当てる。こうやって、怒ってますよアピールを何の遠慮もなくできる辺り、やっぱりこいつは擦れてないよな。
そういう真っ直ぐなところが、また苦手なわけだが。
「よ、け、い、な、お、せ、わ、だっつぅの。お前が来てもなんら嬉しくねぇ。むしろ心が荒れる。プラナ連れてこい、プラナ」
煙草の煙を吐き出して、俺はセシウの有り難迷惑な気遣いを一蹴する。ちなみにプラナとは、クロームを筆頭とした勇者一行の面子の一人である魔術師だ。
クローム、セシウ、プラナ、俺の計四人で旅をしている。プラナは見てくれも可愛いし、性格も本当に心優しく、何よりセシウと比べなくても女らしい。男の三歩後ろを静かに付いてくる実によく出来た娘だ。プラナがいたら、俺の渇いた心も癒される。
「うっわぁ、あんた本当に人の善意を平気で踏み躙るなぁ……。人としてどうなのよ? それ? このもやし、貧弱ヤロー、根暗、ヒモ、その全然似合ってない伊達眼鏡割るぞ、ごら」
「黙れ、野蛮人。ゴリラ娘、男女、筋肉バカ、大雑把でがさつな女の風上にも置けないような奴が何を偉そうに。お前みたいな野性人には分からないだろうけど、これお洒落なの。これで多くのお姉様方が俺の隠された魅力に気付き始めたから」
いつも通りの皮肉の応酬である。こいつと話すと毎回、こういう売り言葉に買い言葉の連続になる。
セシウは腕を組み、呆れたようにため息を零した。
「隠された魅力ってあんた……。伊達眼鏡よりも近視用の眼鏡を買うべきじゃない? それ掛けて鏡に立ってごらん? きっと隠された魅力より先に公然に曝している猥褻物が目に入って、二度と人前を出歩けなくなるよ」
誰の顔が猥褻物だ、誰の顔が。
「そんなお前とかけて、近視用の眼鏡とといてやろう」
「は? いきなり何さ?」
「ふふふ、脳筋族のお前にはこの高度な知性と教養溢れる話題が理解できないようだな……」
「脳筋族じゃないし! つぅか何が知性と教養だよ? お前の顔にはまず品性が欠けてるんですけど?」
うっさい黙れ。なんでこう、俺への嫌味の時だけ、こいつの頭はやけに回転が速いんだ。
たまに冴え渡ってる時があってムカつくわ。
「で? 答えは分かるか? ん? どうなんだ? 時間稼ぎはその辺にしておけ、ゴリラ娘、略してゴリムス」
「……はぁ……そのこころは?」
すごく面倒臭いかつダルそうな声で言われたが俺はめげない。何故ならこの手の反応には慣れているか。
何か込み上げてくるモノもあるけど、今は深く考えないでおく。
「特徴はどつきです」
「頭蓋骨割るぞ、オイ」
めっちゃ低い声でそんな脅し文句が飛び出してくる。こいつの腕力ならやりかねないし、目が据わっていて今にも実行してきそうだ。
マジ怖い。この野蛮人に知能戦は通用しねぇ!
自分を落ち着けるために煙草を吸い、頭を空に向けて煙草の煙を吐き出す。
茜色の空が目に沁みるなぁ……。
「おーぅい、ガンマァ? 帰ってこーい?」
「帰ってきたところで待っているのはマッスル女だけである。この場所で俺の心を癒してくれるのは空だけだ……」
「……いっそそのまま浄化されて消え去れ」
浄化されて消え去るって俺は穢れだけで構成されているとでも言うんですか……。
「よっと」
俺の隣にいつの間にか歩み寄ったセシウは柵の上に腰を下ろし、ボロボロのスニーカーを履いた足をふらりふらりと振り子のように振り始めた。柵は俺達の腰より僅かに高く、俺は寄りかかっているだけなので、自然とセシウの位置が俺より高くなる。
視線を少し横に向けると、適度な膨らみを持った胸がすぐ隣に並んでいた。
……目のやり場に困り、俺は真っ正面を向いて煙草を吸う。
こういう無防備さは、少しどうにかすべきだと思う。性格は男勝りで大雑把とは言え、見てくれは悪くないのだ。少しくらい気を付けてもらわないと、いろいろと面倒である。
セシウは足を振りながら、村人と会話を交わしているクロームを見ていた。俺はそのセシウの横顔をなんとなく見上げている。
何か感傷に浸っているかのようなセシウの目。一体こいつは何を考えているんだろうか。そんなことを意味もなく思ってしまう。
その時、今まで吹いていたそよ風とは打って変わった一陣の強風が吹き、足下に茂る草が擦れ合う音が耳に触れる。同時に風が俺達の間を駆け抜け、煙草の灰を浚い、セシウの長いポニーテールが靡いた。波打つ紅い髪は炎のようで、甘い石鹸の匂いが風下にいる俺の鼻腔をくすぐる。
セシウは乱れる脇髪を手で押さえ付け、目を微かに細めた。風が耳へと殺到し、唸り声が耳朶を叩く。耳が引き千切られてしまう錯覚さえ覚える。
それでも風は瞬く間に過ぎ去り、後を追うようにやってきた静けさが俺とセシウの間で羽を休めた。
風の唸りが耳を埋め尽くした後からだろうか? 先程までと変わらない沈黙であるはずだというのに、やけに静かに思えた。その静けさが少しばかり耳に痛い。
「……ガンマは、行かなくていいの?」
セシウもそれは同じだったのか、突然そんなことを口にする。意味を掴みあぐね、俺は右の眉を跳ね上げた。
「あ?」
「あっちに」
セシウが指差したのは、クロームを取り囲む村人の輪だった。いや、あの輪の中心を指しているんだろうか。
「俺が行ってどうすんだよ。あいつらはクロームしか見えてねぇよ」
もともと俺達はおまけだ。特に取り立てて取り柄もなく戦果も少ない俺はいる意味自体定かではない。
そんな奴があそこに行って、勇者と一緒に褒められた気になるなんて滑稽じゃないか。狐もいいところだ。
「でも、ガンマも一緒に戦ったんでしょ?」
「バァカ」
その否定の言葉は自分でも驚くほど悪意のない声音で、思わず俺自身が驚いてしまう。
「俺はいつもと変わらず、何もしてねぇよ」
ただそこにいただけも同然。
確かに引き金は引いたかもしれねぇが、放たれた弾丸はあの狼に対してほとんど効果を示していなかった。精々威嚇程度。クローム一人で倒したも同然だ。
評価されるようなことはしていなかった。
「でも――」
「いいんだよ。元々、輪の中心ってのは苦手だしな。俺にはこれくらいでちょうどいい。下手に褒められるのもなんか居心地悪いしな」
それは強がりでも何でもなく本音だった。
細々と舞台裏で何かをしている方が気は楽だ。過度な期待を押しつけられず、任された仕事だけを淡々とこなす程度がいい。
それなりの充実感と、それなりの穏やかさがあれば、それでいい。勇者の旅に同行し、その勇姿を間近で見ることができるだけでも十分じゃないか。
俺には不釣り合いなくらいに特等席だ。
「それにクロームは勇者だからな。主役はあいつの役目だよ。俺達は適度に背景やってりゃいいんだよ」
どうせ台本での役名なんて、仲間A、B、C程度なもんだろう。勇者が活躍すればそれで叙事詩は完成される。余計な連中の活躍なんかも勇者がやったことにした方が話は巧く纏まるしな。
「お前こそ行ってきたらどうだ? 今回は何もしてないけど、いつもは十分活躍してんだろ? あそこに行って褒められるだけのことはしてるんじゃねぇのか?」
俺の問いに、セシウは静かに頭を振った。
「私もいいよ。あんまり人前に出るのは好きじゃないしね、私も」
「ふぅん」
ま、こいつもあんまり目立ちたがるタイプじゃないからな。誰かに評価されるために何かするっていうより、自分がしたいことをしているような奴だ。それを褒められるってのは慣れてないのかもな。
セシウは今もクロームの方を見つめていた。何か思うところがあるようで、その表情は複雑だ。
まるで想いを馳せるようでありながら、それでいて取り残された子供のようにどこか寂しげな表情だった。
橙の光を受けたその横顔はどうしても物悲しく見えてしまい、俺はどう言葉をかけていいのか分からない。
何を話そうか考えている間に、セシウがまた口を開いた。
「クロームはすごいなぁ。あんなにたくさんの人、ううん、それ以上の数え切れない程たくさんの人の期待を背負ってるのに、いつも剣みたいに真っ直ぐ」
独白するような言葉だった。その時、俺はようやくこいつの表情が尊敬によるものだと理解した。
多くの人々から評価されるクロームではなく、世界中の期待と信頼を双肩に載せてなお、毅然と振る舞うクロームの志を尊敬していたんだ、こいつは。
嫉妬するわけでも、羨むわけでもなく、ただ純粋にあいつの意志に感銘を受けていた。
こいつもこいつで、本当に真っ直ぐなんだよな。
俺は短くなった煙草を携帯灰皿に押しつけ、火を揉み消した。
「ま、クロームは勇者だからな」
そう、あいつはこの世界を救う勇者に選ばれた男だ。その宿命を背負って、今の今まで戦い続けてきた。世界の平和、人々の安らぎ、そんな陳腐に思えてしまうような、本当にあるかどうかも分からない夢を実現するために生きてきた。
そんなあいつだからこそ、あそこまで真っ直ぐに、誰にも媚びず、また何者に恐れることも屈服することも引け目を感じることもなく、ある種孤高にも似た生き様を貫くことができるんだろう。
俺はあいつのそういうところだけは認めていた。勇者クロームの仲間として共に旅ができていることは、俺にとっての誇りだ。
セシウは俺の言葉を受けて、少し呆けたような顔をした後、ゆっくりと満面の笑みを浮かべる。
「そっか、クロームは勇者だもんね」
クロームの勇者として戦い抜こうとする揺るぎない決意は、俺やセシウ、またプラナにとって何よりも眩しいものであった。その輝きに俺達は全てを委ねているのかもしれない。
俺達にそうさせるクロームはまさしく勇者としての器の持ち主なんだろうな。
勇者は今も、人々の感謝の気持ちを一身に受け止めていた。
感謝をされるのも楽ではない。
そんな贅沢な悩みを抱えざるを得ないほどには、勇者一行も大変なのである。
クロームは村人達に囲まれ土砂降りのお礼を受けても平然としていたがそれはあいつが表情に出ないだけである。それに勇者としてそういうことにも慣れてきているから平気なだけなのだ。
俺のような普段人からあまり感謝されないような人生を送っているような奴にとってすれば、それは地獄のようなものなのである。
今がまさにそれだ。
「勇者様ありがとうございます!」
「勇者様! どうか世界をお救いくださいませ!」
宿へ向かう夕焼けに染まった帰り道、俺達三人はそんな声を浴びながら歩いていた。先頭をクロームが行き、その斜め後ろ側左右それぞれを俺とセシウが歩く。まるで要人の護衛のようだ。
道の両脇に立った人々が次から次へとお礼を俺達へと投げかけてくる。感謝の言葉が尽きないっていうのはこういうことを言うのかね。よくもまあ飽きもせず、似たり寄ったりの言葉を……。中には屋根の上に登って、花吹雪を散らしてる奴もいる始末。
村人の並び方はまるでパレードでも見ているかのようであるが、実際その開けられた道を通っているのは仏頂面のイケメン一人にゴリムス、そして冴えない茶髪眼鏡である。
向こうからしたら勇者一行だから確かに物珍しいのかもしれないが、俺からすればこんな面子、華がなさすぎてつまらんだろうっていう気しかしない。
まあ、俺達はおまけだからな。要は勇者クロームを一目見たいってところなんだろう。
俺からすればこれほどつまらないことはない。なんせちょっと可愛いなぁって思う子がいても、勇者の仲間という手前、あまりちょっかいかけられないからな……。すごく生殺しされている気分になる。
ふと、総人口の関係上かなり薄い人垣から一人の少女が飛び出し、俺達の前へと立つ。まだ本当に幼い子供だ。両手を後ろに回し、もじもじと遠慮気味に俺達を見上げてくる。
「あ……あの……ゆーしゃさま、ま、まものをたおしてくれて、ほんとーにほんとーにありがとございました!」
舌足らずながらクロームに感謝の言葉を述べ、少女は背後に隠していた花の輪を俺達へと掲げた。
クローバーの白い花を編み込んで作られており、サイズ的には冠といったところだろうか。
数は四つ、ちょうど俺達勇者一行の人数と同じだ。俺とクロームが魔物を討伐しに行ってから、ずっと作っていたのだろうか。
俺達三人は互いの顔を見て、微かに笑う。クロームも唇をほんの微かにだが綻ばせていた。
クロームは少女へと向き直り、膝をついて目の高さを合わせる。腰に佩いた剣が地面を柔らかく叩いた。
あの世界を救う宿命を背負った勇者がただ一人の年端もいかぬ少女の前に跪く。そのことが意外だったらしく、周囲の村人が微かにどよめいていた。
俺達からすればごく当たり前の光景なわけだが。クロームは無辜の民に対してはいつだって平等だ。一切の区別も差別もなく、自分と同等、いやそれ以上として扱っている。
「どうってことはないさ。君達を守るのが俺の使命だ。お礼を言われるほどのことでもない」
いつもの剣のように硬質な声とは異なる穏やかな声。こういう瞬間、俺はこいつも人間であるということを再認識する。
当たり前のことなのかもしれないけど、こいつにも感情があって、勇者である前に一人の人間なのだ。
こいつは勇者としての行動と、人間としての性質があまりにも重なり合っているため、勇者とクロームを同一に見てしまうけど、そういうわけじゃないんだよな。
「で、でも! ありがとーございます! こ、これは……私からのお礼です!」
少女は手に持った冠のうち三つを腕にかけ、両手で持った一つをクロームへと差し出す。
クロームは何も言わず、頭を少女へと向けた。少女は夕日を受けて橙に輝く、クロームの銀色の髪へと少し緊張したぎこちない動きでおずおずと花の冠を載せる。
それは本当に幼稚で質素な、世界の命運を背負った勇者とは釣り合わない子供騙しの冠。だというのに、恭しく冠を受け取り立ち上がった後ろ姿は、どういうわけかどんな大国の王にも劣らぬ威厳を誇っていた。どんなに意匠を凝らし宝石を鏤めた豪華絢爛な王冠を以てしても、この小さな花の冠よりも美しい冠はないとさえ思ってしまった。
こんな擦れた俺にそんなことを思わせるくらいに、クロームの姿は誇り高かった。根っからの勇者っていうのは本当に恐ろしいもんだ。
「ありがとう。これは――最高の宝物だ。大事にしなければな」
言葉を飾ることもなく率直に感謝を伝え、クロームは少女の柔らかい髪を優しく撫でる。少女は頬を仄かに赤く染めているように見えるけど、それは夕日のせいか? 錯覚なのか?
このお稚児趣味!
とか野次を飛ばしたくなったけど、流石にそれを躊躇う程度には俺も空気が読めている。ていうかここでそんなこと言ったら、俺の隣で微笑ましそうに二人を眺めているセシウに蹴り飛ばされそうである。
地面に好き好んでキスをする趣味は俺にもない。
クロームの顔を見上げていた少女は恥ずかしげに俯くと、逃げるようにクロームの脇を通り抜け、今度は俺達の前にもやってくる。
「あ、あの、これ!」
今度は二つの花の冠を俺とセシウに差し出してくる。
俺とセシウはお互いの顔を見合い、お互いにどうするべきかを視線で訊ね合うが訊ね合った段階ですでにこの行動が無意味であることを伝えていた。
受け取っていいべきなのだろうか?
何もしていないような俺達が?
今回は活躍してないにせよセシウは普段、十分すぎる戦果を上げている。お礼を受け取る資格はあるだろう。ここにいないプラナだってそうだ。
だけど俺は?
俺はこの少女が丁寧に編み上げた花の冠に見合ったことをしてきたのか?
そんな疑問が胸から湧き出す。
セシウはすでに自分の中で結論を出し、クロームがそうしたように少女の前で膝をついて、冠を載せやすいようにと頭を下げていた。
少女は優しい手つきでセシウの頭に花の冠をそっと載せる。
「ゆーしゃのなかまのおねぇさん! いつも私達のためにありがーうございます!」
「あはは、ありがと。似合ってるかな」
感謝の言葉に優しく笑い、セシウは少女へと訊ねる。
「うん! とってもきれいだよ!」
「お、上手だなぁ。きっと貴女は将来、別嬪さんになるね」
セシウは両手で少女の小さな頭を撫で回している。そのまま少女の頭を壊してしまわないか少し心配だ。
ていうかお姉さん? 綺麗? 誰のことだよ? とか思ってしまった。
そうか、セシウはヒト科の哺乳類だったのか……!
――馬鹿なことを考えている場合じゃなかったな。考えが行き詰まるとどうでもいい思考に逃げてしまうのは俺の悪い癖だ。
クロームやセシウ、プラナの三人にはその冠を戴くだけの資格がある。だけど俺にはそんなもの到底ないだろう。どう考えたって、よ。
「あの、おにぃさんも……」
足下から聞こえてくる怯えたような声に俺はようやく意識を現実に引き戻される。見下ろすと少女が泣きそうな顔で俺を見上げていた。
「ガンマ、今すごく怖い顔してた」
横からセシウに指摘され、俺は僅かに苦笑する。ここで拒むのはあまりにも空気が読めてないよな。
俺の心がどうであれ、少女の誠意は受け取るべきなんだ。夢を与えるのも、勇者の仕事だよな。仲間の俺がそれを放棄してどうするっていうんだ。
「悪い悪い。ちょっと、な」
言いながら、俺も二人がしてきたように少女の前にしゃがみ込む。
「おにぃさんもまものをたおしてくれてありがとうございます。こ、これからもおーえんしています!」
わざわざ別々に考えてきてくれたんだろうお礼の言葉を受け、俺はゆっくりと頭を下げる。少女からは表情が見えないのをいいことに思い詰めてしまう自分の卑屈さに吐き気を催す。
頭を垂れたのは眩しいからか? 眩しいのは何だ?
夕日か? クローム達か? 少女か? それとも世界か?
俺の眼はあまりにも暗い。
そして暖かい手が頭に載せてくれた冠は、俺にはあまりにも重すぎた。まるで断罪されているような気分である。
クロームが戴けば、あんなにも輝かしい宝物も、俺が身につければ鈍色の罰に成り果てる。
随分と滑稽な話だな。
努めて普段通りの表情を作ってから、俺は少女へと顔を向けた。
「ありがとうな。大事にするよ」
できるだけ優しい声音を選び、俺は少女の頭をぽんと軽く叩いて立ち上がる。俺にはそれぐらいしかできなかった。
これを受け取ること自体、少女に嘘を吐いているのと同じだ。それ以上の罪を重ねることは辛かった。
こんな出来損ないの嘘でも少女を欺くことはできたらしく、満足げに微笑んでいる。この子の夢を壊さなかっただけでもよかったと思おう。
しかし、もう俺への用は済んだはずなのに少女は俺の前から動こうとせず、きょろきょろと辺りを見回してる。
ん? 何を探している?
「あ……あの……もうひとつ……」
少女の手には残り一つのクローバーの冠。
ああ、プラナの分か。
セシウもそれに気付いたらしく、少女の側にしゃがみ込むと優しく小さな手を握る。
「もう一人は今、お留守番中なのよ。だから私が渡しておいてあげる。それでも、いいかな?」
「う、うん! ありがとう、おねえちゃん!」
最後にクロームの前に忙しない足取りで移動し、俺達三人と真っ直ぐ向き合う。頭に花の冠を付けていい歳こいた兄ちゃん姉ちゃんどもが一人の少女と対峙するっていうのはなんともおかしな光景である。
「ゆーしゃさま、ほんとーにありがとうございましたっ! このことはぜったいにぜったいにわすれません! ほんとーにありがとうございます!」
小さな体から絞り出すように、精一杯の大きな声で俺達に改めてお礼を言って、少女は危なっかしい動きで人垣へと逃げ込み、母親と思しき女性の背後へと隠れた。
いい子だな、と人間味のあることを思ってしまう。実際そうなんだろう。だけどそんな感情を抱く自分の心の動きがどうしようもなくおかしく思えた。
クロームは母親の後ろから俺達を覗き見ている少女に小さく手を振って、再び歩き出す。俺とセシウもそれを追うように再び歩き始める。
「似合ってないねぇ、お花の冠なんて、ガンマには」
「うっせ。お前こそなんだ? これから野獣と結婚式ですかぁ?」
「うっさいわ」
浴びせられる感謝の言葉に紛れ、俺達はそんな皮肉を投げ合う。
似合ってないのは俺がよく分かっているさ。
いつもの他愛のないセシウの皮肉。そう流せばいいだけの言葉が、俺の胸に重くのしかかっていた。
人々の感謝を浴びながら、俺達はようやく宿へと帰還することができた。宿屋の入り口の扉を閉めるその瞬間まで、俺達の背中には感謝が投げられていた。
いくらなんでも感謝しすぎだろ、魔物一匹倒した程度でさ。そこまで大したことはしていないはずだっていうのに。
宿屋に入った俺とセシウは同時に深い息を吐き出し、その場にへたり込む。受付だけが置かれている狭いスペースではあるが、三人だけならまだ十分余裕がある。一応隅の方に休憩用のソファも置かれてはいるんだけど、そこまで行くのはなんだか面倒だ。
なぁんか気疲れしたなぁ。
毎度ながらこれが一番辛いかもしんね。
「なんだお前達、情けないんじゃないか?」
「いや、むしろお前はなんでそんなに平然としてるわけ?」
「勇者だから、な」
特に気取るわけでもなく、クロームはさらりとそんな言葉を言ってのける。その称号の重さを知りながら、それを背負う覚悟があるからこそ、言える言葉だろうな。
「感謝されるのはいいんだけどさ、なんかこうそこまで感謝されちゃうと本当に分不相応な感じがしちゃうんだよねぇ」
「分不相応なんて難しい言葉無理して使わなくたっていいんだぞ。ゴリムス」
「ゴリムス言うなーっ!」
「いずれは世界を救う英雄だ。どんな感謝を与えれても不相応なんてことはないだろう」
また下らない舌戦を開始しそうになった俺達にクロームはまたすごいことをあっさり言う。
本気で世界を救う覚悟があって、それを成し遂げることを決意しているからこそ、こいつはどんな言葉を受け取っても物怖じしないでいられるわけだ。
徹頭徹尾勇者と呼ばれるに相応しい男ですよ、本当。お見逸れいたしました。
少し座ってセシウは回復したらしく、すっくと立ち上がる。俺も一人だけ床に座り続けるのは憚られ、疲れは取れていないながらも立つことにした。
と、そこで受付の脇の奥へと続く廊下からドアの開く音がする。蝶番が大分古いらしく、どのように開けても音が鳴るのだ、この宿のドアは。
廊下に面する四部屋がこの宿屋の宿泊用の部屋だ。少ない気はするが、こんな山奥の村だ。妥当な数だといえるかもしれない。
普段宿泊客が来るかも怪しいレベルだしな。
「あら……三人ともどうしたんですか? そんなにめかし込んで」
ドアの隙間からひょっこり出た小さな顔が、俺達三人を見て口元を覆う。
ああ、花冠か。
円らな紅い瞳を大きく見開き、フードは深く被った少女はゆっくりと部屋から出てくる。
全身を覆うのは灰色のローブ。少しサイズが大きいらしくぶかぶかしており、手は隠れているし裾は床に触れている。顔の鼻から上を隠すようにフードを被り込み、脇髪だけがフードから零れ落ちていた。零れる髪は白――それも老いた白ではなく、生き生きとした力強い純白である。
体つきは小柄で華奢。子供と言われても全然驚かないほどに背が小さく、一五〇センチくらいしかないんじゃないだろうか? 女性らしい膨らみを感じさせない体型も相俟って尚更子供っぽい。
顔立ちも童顔であり、あどけなさと幼さが多分に残っている。少し低めの小さな鼻に、形の整った小さい口――全体的に少女を形成するパーツは小さいものばかりだ。大きいものを上げるとするなら目くらいだろうか。血の気を感じさせないほどに白い肌や髪の中で、円らな紅い瞳だけが鮮やかな色を持っていた。まるで体中の血を集約したようだとさえ思ってしまう。
初めて会った時、人形のようによく出来た姿形をしているという感想を抱いた。
常に悲しげな表情と、繊細な体つき、白皙から連想される病弱なイメージ。それらが合わさって、雪のように儚い印象を見る者に与える。
少し力を加えれば簡単に壊れ、その破片さえも溶けて消えてしまいそうである。
ドアを丁寧に閉めた少女はとことこと歩幅の短い歩き方で俺達の方へと向かってくる。裾は床に触れたままで、ずるずると引き摺られていた。
この雪のような美少女こそが、俺達勇者一行の最後の仲間プラナである。
信じられるか? こいつセシウより一個年上の二十歳なんだぜ?
十四歳と言われても信じるぞ、俺は。
「ちょうどよかった。ついさっき戻ったところだ」
クロームは表情を和らげ、プラナに語りかける。長身のクロームを見上げたプラナもまた穏やかに微笑んでいた。
二人とも容姿が端麗なせいもあり、こうやって向かい合っているだけでも一幅の絵画のように芸術的である。
「ええ。話し声が聞こえたので出てきたみたところです。お疲れ様、クローム、ガンマ。無事で何よりです。セシウもお疲れみたいですね」
まるで聖女にように眩しい笑顔を俺達三人それぞれに向けてくれる。
こういうのだよ。こういうのがいいんだよ。これがセシウとプラナの絶対的な違いだ。
なんていい子なんだろうか、プラナ。俺の癒しである。心のオアシスとはこういう子のことを言うんだろうな。
「もう感謝感謝のトルネードで大変だったわ。プラナが来てたら大変だったろうね」
「部屋からも喧噪は聞こえてきてましたよ。よいことではないですか。感謝されて疲れるなんて贅沢な悩みですよ」
ま、確かにな。プラナの言うとおりだな。
人に批判を受けて精神を摩耗させるよりもよっぽど健康的な疲れ方だろう。
「それで、三人ともその花の冠はどうしたんですか? とっても素敵ですよ」
嫌味というわけではなく、プラナは純粋に花の冠に見取れているようだ。こんな些細なことにも皮肉一つ言わないのは、俺達四人の中でプラナくらいだ。
いい子すぎるぜ、全く。
「村の少女から頂いた。俺達へのお礼だそうだ」
「あらあら、随分と素敵なお礼じゃないですか。大切にしなければなりませんね」
「プラナの分もあるぞ?」
先程セシウが受け取っていたのを思い出し、俺はそこでようやく口を開く。
クロームとプラナが話していると口を挟みづらいんだよな、なんとなく。
俺の発言にクロームはふんと鼻を鳴らす。
「なんだ? 珍しく長時間喋らないでいると思ったがもう限界か? ガンマの口は喋っていないと呼吸すらできないのか?」
「うるせぇな。お前はどうせ呼吸と会話が同時にできないから、一言一言が短いんだろう?」
「お前が喋る時、二酸化炭素を吸って酸素を吐き出すようになればいいのにな。そうすればお前が喋ることにも多少の意義が生まれる。新型のガンマは一体いつ世に出回るんだ? この不良品と交換してもらいたい」
「それよりもまずお前を交換したいね。もう少し俺様への感謝の気持ちを素直に表せるように改良してもらった奴」
「安心しろ。それなら今の時点で十分すぎるほど忠実だ」
ぐっ……分かりきっていたことだけど、改めて言われると尚更傷つくじゃねぇの……。
今の完全に俺の失策だった。まさか自分の発言のせいで心に傷をつけられるとは。
クロームはあらゆる面で完璧すぎるので悪口を言い合うと、こっちはすぐにネタが尽きてしまう。対して俺は見事に欠点だらけである。
ハンデが大きすぎだ。
そんな舌戦を繰り返す俺達の傍らで、すでにセシウはプラナに花の冠を渡していた。
「はい、これがプラナの分ね」
言いつつ腰を曲げたセシウはプラナの頭に冠を載せる。フード越しではあるけど。
プラナは季節問わず厚手のローブを着込み、目深にフードを被っている。俺でさえまともに顔を見た回数は数えるほどだ。
今は鼻から上を隠すように被っているため辛うじて目を見ることはできるけど、外出している時などはさらに被り方が深い。鼻先がなんとか見える程度の時だってあるからな。
フード越しとはいえ冠を被ったプラナは鈴を転がすような笑声を漏らし、ローブから取り出した手鏡で自分の顔を確認している。
上手いこと鏡が下から見たプラナの像を映して、俺にも素顔が見えないものかと思ったけど、プラナは背を向けてしっかりガードしている。
厳重すぎるぜ。
「似合っていますかね?」
「うん、ばっちし!」
プラナの無邪気な問いにセシウはぐっと親指を立ててにかっと笑う。フード越しだというのに何を根拠に断言しているのか激しく疑問だ。
自分と比較した結果か? それなら大抵似合っていることになる。
それでもプラナは嬉しそうにはにかみ、自分の頭に載ったクローバーの冠に指先で触れる。
「宝物が増えましたね。これを作って下さったお方にもお礼を申し上げたいところです」
「んー、そうだねぇ。まあ、この村も大きいわけじゃないし、その気になればいくらでも会えるんじゃないかな? きっと」
まあ、小せぇ村だよな、実際。国境付近だし、しょうがないことではあるけどさ。流通面はこの前立ち寄った街の方が得意だし。あそこに上手いこと持っていかれてるんだろうな。
自給自足の農業がメインといったところか、この村は。
まあ、何にせよ、小さな村っていう事実に変わりはないわな。人口も少ないのでまたすぐに会えるだろうな、あの子には。
「そういえばクローム、お話したいことが――」
腕を組み、壁に寄りかかっていたクロームはプラナに呼びかけられ、目を開く。
「どうしたのだ?」
「少し気になることがありまして……」
怪訝そうに眉を顰め、クロームはじっとプラナを見下ろす。俺達三人は身長が高い方だというのに、プラナ一人だけやたら身長が低い。そのためプラナは俺達と目を見合って話そうとするといつも見上げた状態になる。首が疲れないのか、心配である。
「ここではダメなのか?」
「で、できれば二人だけで……」
なんか今にも告白でもしそうな言い様だな。
まあ、実際そうなっても不思議ではないんだけどな、この二人は。
クロームも心なしかプラナには甘いしよ。俺の心のオアシスが、クロームに独占されることになった日にゃ俺は一体何に縋って生きればいいのか、途方にくれてしまいそうだ。
クロームは少し思案するように目を細め、俺の眼をこっそりと見てくる。
……なんで俺の顔色を窺うかね。
とりあえず肩を竦めて、顎で部屋の方を示す。
クロームはため息を吐き出し、壁から背中を離した。
「分かった。行こう。ガンマ、セシウ、少し行ってくる」
「あいよー」
「はいよー」
俺とセシウがほぼ同時に似たり寄ったりな返事をする。お互いそれが気に食わなくて、お互いを睨み合う。どうにも行動が似てしまう俺とセシウに、クロームは微かな苦笑を漏らし、プラナと共に部屋へと続く廊下を進み始める。
「あ、そうだ。話ついでに腰の方も直してもらえよー」
「ん? クローム、腰どうかしたの? ぎっくり腰?」
「ゴリムスは黙ってろ」
「ゴリムス言うなっ!」
今にも噛み付いてきそうなゴリムスを黙殺して、立ち止まり無言で俺を睨んでくるクロームへと目を向ける。
「後々引き摺ることになると面倒だ、早めに直してもらっとけ」
プラナは治癒魔術が得意だ。こいつにかかれば、大抵の怪我は痕跡も残さず治してくれる。
無理をされて困るのは俺なのだ。できれば早めに治しておいてもらいたい。
「余計なことを言うんじゃない」
「クローム、腰に怪我をしたんですか?」
「……なんでもない」
今にも泣き出してしまいそうなほどに心配し訊ねてくるプラナに、クロームは顔を顰めて短く答える。
下手に隠してもムダなのにな。こいつは本当に変なところで無理をする。
「魔物との戦いで背中を少し打ったんだ。重傷ってわけじゃあねぇが、ちゃっちゃか治してやってくれよ」
クロームはいつまで経っても認めそうにないので、代わりに俺が教えてやる。俺の余計なお世話にクロームが微かに舌打ちをしているのを俺は見落とさない。
「そうなんですか?」
俺の言葉を聞いて、プラナが再度クロームを見上げる。胸の前で手を組み合わせ、心配するあまり目を潤ませている。
なんていい子なんだろう。胸が痛くなるほどだ。
「別に、大したことじゃない」
「大したことあんだろうが。帰り道なんて歩くのがやっとだった癖によ」
俺に肩まで借りたのだ。大したことないはずがない。しかも俺からの申し出じゃない。こいつ自ら肩を貸して欲しいと言ってきたのだ。
はっきり言っておかしい。クロームが俺に助力を乞うなんてほとんどない。それくらいあの時の損傷が辛いもんだったんだろう。
尚更治してもらわないと困る。
「うっそ!? クロームが!? 立てない!? 何それ、私も見たかったー!」
俺の言葉に何故か外野のセシウが釣れる。お前はいいんだよ、お前は。
まあ、いいや。こいつも利用しておくか。
「そりゃもう酷かったぜ? なんせあのクロームが俺に肩を借りてくんだからな」
「えー! ありえない! なんでよりによってガンマに!? ガンマしかいないからって、そんなことするくらいなら私は体引き摺ってでも自力で帰るね」
そっちに反応すんなよ。ていうかお前は本当に俺を何だと思ってんだか……。
「クローム、無理はいけませんよ? 傷が浅いのなら、すぐに終わります。治療いたしますよ?」
「いや……大丈夫だ。特に問題があるわけでは……」
「無理はしないでください。お願いします」
クロームの声を遮り、プラナが一歩詰め寄る。今までの柔らかい口調に反し、それはとても強く否定を許さないものであった。
こうなるとプラナは曲がらない。いつもは柔和で優しく、自分の意見を口にしないプラナであるが、こうやって一度決断すると梃子でも動かない。
根は意志が強い奴だ。
クロームは困ったように眉根を寄せ、やがてため息を吐き出す。
「分かった……。治療をお願いする」
ついにクロームが折れた。プラナは大輪の花を咲かせるように微笑み、力強く頷く。
「そうと決まれば早い方がいいですね。さ、こちらへ」
言いながらプラナは早足で部屋へと向かっていく。その後ろをクロームが少し遅れて進む。足取りの遅さは未だに納得がいっていないことを何よりも如実に伝えていた。プラナのはしゃぐような足とは正反対だ。プラナからすれば、治療させてもらえるだけでも嬉しいんだろうな。
健気な子である。
二人の背中が部屋へと入っていくのを見送り、俺とセシウは顔を見合わせ苦笑し合う。
「素直じゃねぇな」
「ホントにねぇ」
いつものことだ。クロームはいつだって無理をする。
俺達に心配をかけたくないんだか、プライドが高いんだか、よく分からないけどさ。
「無理せず言ってくれればいいのにね。私達ってそんなに信頼ないのかな?」
特に気にしているというわけでもなく、冗談めかした口調でセシウは言う。しかし、それでもそれは心の根底にある疑問なんだろう。
「別にあいつは俺達を信頼してないわけじゃないだろうさ。むしろ俺達を信頼してくれている。誰よりも。まあ、俺は分からんけど……。あいつの場合、仲間だと思ってるからこそ、心配をかけたくないんだよ、きっと」
あいつはそういう奴だ。
人々を救うことに関しては誰よりも実直で、何よりも懸命で、何者にも追いつけない程に必死だ。だっていうのに、人を思いやることに関して、あいつは幾分不器用だ。
人への思いやりの感情っていうのを相手に分かるように示すことが苦手なところがある。
何ともまあ、本当に剣のような男だ。
セシウは俺の言葉を受け、考え込むように低い天井を見上げた。
「ん……? んー? んん? そーいうものなのかなぁ?」
セシウには分からないだろうな。こいつは俺達四人の中で、一番素直に自分の感情をさらけ出せる奴だし。
それはそれで、こいつのよさではあるんだけど、クロームの不器用さを理解するのは難しいだろう。
まあ、こいつもクロームも仲間というものを思いやっていることに変わりはない。なら、特に問題はないだろう。もしもの時は俺が梃子入れしてやれば、誤解で仲がこじれるってこともないはずだ。
どいつもこいつも根っこがいい奴だもんな。
「うあ……お腹空いた」
唸るような声を上げる細い腹部を押さえ、セシウは無邪気に笑う。
……素直っつぅか本能に忠実なだけか、こいつは?
「ガンマ、なんか食べ物持ってない?」
「お前の頭の上に載ってるだろ」
「これは食べ物じゃなぁい」
唇を尖らせて拗ねたセシウは守るように花の冠を手で押さえる。俺も食わねぇよ。
ただ野生児のセシウなら食うと思っただけのことだ。
意外と人間っぽいのね、とも言おうと思ったけど、言った日にゃ殴り倒されるので黙っておく。
一応防衛本能は働く。
「あら、ガンマ様、セシウ様、おかえりになっていたんですね」
ふと廊下に面する扉が開き、一人の少女が顔を出す。少女が出てきたのは手前の右側の部屋。朝方、俺達の取った部屋でくつろいでいる時、その部屋からなんか人の気配を感じたんだけどな。ちなみに一番奥の左右の二部屋が俺達の取った部屋だ。
少女は少し跳ねた髪を手で押さえ付けながら部屋から出て、ぱたぱたと俺達の方へとやってくる。
この宿の主人の一人娘だった。齢十六、飾り気のない可愛らしさがなんとも村人らしい素朴な少女だ。飾り立てていない自然な感じが、なんだかとても好みである。
俺が勇者一行の一人じゃなければ言い寄ってただろうな。
「ああ、今さっきな。ん? 気付かなかったのか?」
結構和気藹々と喋ってたしな。気付かなかったっていうのは意外だ。外も先程まで騒々しかったし。
「あ、いえ、洗濯やベッドを整えたりしてたので……」
どこか引き攣った笑顔で少女はぎこちなく答える。
……おかしくね?
ベッドを整えるくらいでそんなに時間がかかるもんか。昨日見た段階では、かなりそつなく仕事をこなしていたはずだ。それにこの様子はどう考えても何か隠している……。
後ろ髪の跳ねた毛は何だろうか? どうにも手で必死に押さえ付けているけど……。
「……お前、寝てたな?」
「へ!?」
びくんと看板娘の肩が震える。図星だな、こりゃ。
「さてはベッドを整え終えて、春の心地よい陽射しとちょっと前まで干してあったシーツの匂いに眠気を覚えて、ちょっと横になったら微睡んじまってそのまま今の今まで寝てたな?」
「い、いえ! そ、そんな! ベッドを整え終えて、はあ、今日は本当に天気がいいなぁ。陽射しもぽかぽかしてて気持ちいいなぁ。お日様のいい香りもしてなんだか眠くなっちゃったなぁ。少しくらい寝てもいいかなぁ、とか思ってちょっと横になったら、そのまま今の今まで寝ていたなんてそんなことは全然ありません! 何もないです! 大丈夫です!」
「なるほどよく分かった」
「うん、よく分かったね」
慌てふためく看板娘を前に俺とセシウは頷き合う。何から何まで、全て把握いたしました。
本当に分かりやすいな、この子。
自分が全て白状してしまったことを悟り、我に返った少女は恥ずかしそうにエプロンの裾で顔を覆う。
その頬は恥ずかしさのあまり真っ赤である。触れたらいい感じに温かそうだ。
「うぅ……父には仰らないで頂けますでしょうか?」
「何を? あー、あんたが今日は本当に天気がいいわぁ、陽射しもぽかぽかして気持ちいいわぁ、お日様の良い匂いもしてなんだか眠くなってきちゃったわねぇ? 少しくらい寝てもいいかしら? いいじゃなぁい? 寝ちゃいましょう――となったことか?」
体をくねくねさせながら、出来うる限り女っぽい口調で俺は最早何が言いたいのか自分でも分からないようなことを言う。
隣でセシウが「きもっ」とか本気で気持ち悪そうな顔で言ってるけど気にするな、俺っ!
「ガンマガンマ? 一生のお願いがあるんだけどさ、私達の知らないところで一人ひっそり死んでくれないかな?」
笑顔ながら青筋を立てるという何とも器用で奇妙な表情でセシウが、俺にうきうきとした口調で頼んでくる。今にも語尾に音符でも付きそうであるが、付いてたまるものか、こんな要求に。
「うっさい、お前の一生のお願いはお前が五歳の時に、俺が宝物にしてたバッチを欲しがった時に使っただろうが」
「な、なんで覚えてんだよっ!」
声とほぼ同時に背後から襲ってきた拳を、しゃがみ込んで何とかやり過ごす。俺の反射神経も大分鍛えられてきたな、こいつのせいで。
勢いよくしゃがんだためにずれた眼鏡を中指で押し上げた俺がゆっくりと顔を上げると、目の前の看板娘は俺達に背を向けて、口元を覆っていた。その背中は小刻みに震えている。
「……なんで笑ってんだ?」
「へ!? い、いえ! 笑ってなんかいませんよ!」
少女は素早く否定するけど、その声は上擦っていた。
間違いなく笑ってたな。
「別にそんな面白いことでもねぇだろうよ」
「い、いえ……なんだかとても仲がよさそうで、楽しそうだったというか……」
「それはねぇ」
「それはない」
ほとんど同じことを反射的に言い返してしまい俺とセシウはまた睨み合う。
「ほら、そういうところとか。お二人はすごく仲がいいですよ、やっぱり」
「んなこと……」
「ありますよ」
看板娘は言い切る前に答えて微笑む。
村に来た当初は俺達が勇者一行ということもあって、緊張しっぱなしで表情もぎこちなかったというのに、なんだか随分自然体になったな。
「朝と様子が違うな。すっげぇ緊張してたのによ」
「そ、そんなことは……ありましたよね……」
朝方の自分の言動を思い出して、さすがに否定しきれないと判断したらしく看板娘はがっくりと項垂れる。
言葉も変に丁寧にしすぎておかしかったし、何かと転ぶわ、零すわ、落とすわ、で大変だったもんな。
「朝方は本当、ご迷惑おかけしてしまいましたよね……」
申し訳なさそうに少女は俯く。朝のことを振り返って、また申し訳なさが込み上がってきたようだ。
朝方もずっと謝ってたし。なんか俺達が悪いことしてるような気分にさえなったな。
「いや、そりゃ誰も気にしてねぇけどよ。ただどうしてあんなに緊張してたんだ?」
「あー……その、怒らないで聞いてくれます?」
恐る恐る上目遣いで俺の顔色を窺いながら少女は訊ねてくるので、俺は小さく頷く。
僅かに躊躇いつつも看板娘は口を開いた。
「勇者様の御一行ということで……私、最初はすごく怖い人が来ると思ったんです。だって世界で一番有名なお方ですから。勇者様は。だから、すごく偉そうにしてて、すごく贅沢で、少しでも無礼をしたら殺されてしまうんじゃないか、とか思っちゃってたんですよ……私」
「……それはどこの蛮族だ?」
「すすすすみません! ホンットーにすみません! 怒らないでくださぁい!」
少女の声は今にも泣き出しそうである。
いや、別に怒ってないんだけどさ。そこまで思われるのはさすがに心外だ。
「私達って……そういうイメージ、なのかな?」
不安そうにセシウが俺に聞いてくる。こいつもそこまで思われていたとは予想していなかったんだろうな。
「いや、まあ、世界を救う宿命背負っちゃってるしなぁ、俺達」
「そしたら感謝されない?」
「そんなでっかい使命を背負ってるんだぜ? そりゃ怖いイメージもつくさ。例えばよ、王国の騎士団に所属している騎士様が突然お前の家に来て、一晩泊めてくれと言ったらどう思う? 相手は由緒正しい騎士で、数々の戦場で功績を上げている英雄だ」
「……んー、そんなすごい人に無礼なんかしたらすごい怒られそうだ」
「……そういうこと」
この際こいつの幼稚な答え方にとやかく言うのはよそう。
国家に権力に名誉。そういったものが絡んでくると、馴染みのない人間にとって、同じ人間であるはずの人物も得体の知れないモノに見えたりするもんなんだよな。
ましてや俺達はこんなバカばっかりやってるとはいえ、世界の命運を守るために世界中の国々から協力までされている一応大物なのである。
そりゃ怖くないはずがない。
「でもなんか傷つくなぁ……」
「うぅ……すみません……」
「いや、別に怒ってるわけじゃないよ、責めるつもりもないし……」
しゅんとなる看板娘に、セシウは慌てて否定する。
このままだとさらに怖いイメージを植え付けてしまいそうだな、それはそれで申し訳ない。
「で? 実際は? 正直なところどうなのよ? 怒らないから言ってみ?」
「あ……その、怒りません?」
「怒らねぇよ」
「な、なんだか……そのぅ……すごく普通な感じがしました」
だろうな。
むしろ普通でよかった。見る人から見ればバカにしか見えねぇもん俺達。特に俺とセシウ。
俺達二人は昔、芸人みたいだ、という感想を言われたこともあったしな。
「だろ? 普通だよ、普通。俺もこいつも、あとクロームもプラナも全然普通だよ。この村に住んでる奴と大して変わりゃしねぇ」
俺達四人とも生い立ち自体は別に特別なこともないしな。ただちょっとした偶然で俺達四人は選ばれた。まあ、クロームに関しては素質もあったんだろうけど、それでも元は普通の人間だったし、今も根は普通の人間である。
「そ、そうなんですね……なんだか、意外でした……」
「なんだ? 日夜世界を救うことばっかり考えてると思ったか?」
「は……はい」
肯定されちゃったよ。
まあ、そういう印象を持たれてもしょうがないっちゃしょうがないよな。俺達っていうかクロームの名は世界中に知れ渡っているけど、俺達が実際にどういう人間なのかってのは知らない人がほとんどだしな。
勝手なイメージもつくわな、そりゃ。
「理想を壊すみたいだけどよ、俺達って普段はバカばっかやってるぜ? 娯楽もするし、雑談もするし、冗談だって言う。あっちこっち旅してるから、観光名所とか巡ったりもするしな」
「そ、そうなんですか?」
「うん、そんなもんだよ」
俺の代わりにセシウが笑顔で答える。こいつもイメージをよくしたいと思ったりするんだろうか。
悪く思われていい気はしないもんな。
「特にこのガンマなんて超バカなんだよ? いつもくだらないことしか考えてないし、どうでもいいくだらない悪戯とかやってるし、その辺の人達よりバカかも」
「え……?」
驚いた顔で俺を見てくる看板娘。
やばい、これ絶対本当だと思われている。否定したいけど、実際そんなようなことしてるから否定できない。しかもさっきなんて体くねくねさせちゃったし、俺。
これは否定しても説得力ない。
はい、今、私自分の軽率な行いをとても後悔しております……。
視線から逃れるようにズレてもいない眼鏡を押し上げ、俺は咳払いを一つする。
「と、とにかくだな、みんな普通なんだよ、お前らと同じ。特に変わってることなんかないんだから、普通の人に接するように接してくれよ」
「お前はバカだけどな」
「黙れ」
このゴリムス、本当にヤダ。一つ叱ってやりたいところだけど腕力で勝てないので諦めるしかない。貧弱な自分が憎い。
「クローム様も普通なのですか? とても実直で真面目で、使命感が強いお人で……その……」
「冗談が通じなそう?」
「……ま、まあ、はい……」
セシウの予想に看板娘は頷く。そんなイメージ抱かれてもおかしくないか、あいつの場合。いつも仏頂面だし、寡黙だしな。
「あいつも冗談言うぜ、結構?」
「そ、そうなんですか? あんなに真面目そうなのに……」
「まあ、真面目だけどな実際。あれは生まれ持っての性格みたいなもんだし。勇者とか別に関係ねぇよ。な? セシウ?」
腰に両手を当てたセシウは真顔でうんと頷く。
「うん、なんか勇者じゃなかったら、七三分けで憲兵とかやってそうな感じ」
「それは想像すると面白すぎる」
吹き出しそうになったわ。
いくらなんでも反則すぎるだろそれは。似合いすぎる点で。
ていうかセシウもクロームにはそういうイメージ持ってたんだな。
「ま、クロームも融通効かないところは多少あるけど、偏屈ってわけじゃねぇよ。冗談言えば通じるし、簡単に怒ったりはしない。勇者らしい寛大な奴だよ」
「そうなんですね、やっぱりなんだか驚きです」
心底意外そうに看板娘は俺達の話を聞いている。
「なんだかんだ、癖はあるけど普通だよ、やっぱ。だからあんまり緊張せず、普段お客さんに接するように接してくれれば大丈夫だよ。誰も咎めやしねぇ」
「は、はい!」
俺達は別に冷徹でも残酷でも、勇者の地位を鼻にかけているわけでもなく、この世界を救う使命を与えられたから勇者一行として旅しているだけで、人間らしさは一切捨てていない。
少なくとも俺はそうだ。付き合いの長いセシウもそうだということは分かる。
プラナやクロームまでは断言できないけど、みんなある程度自然体に生きているだろう。
なので、そこにいるだけで周囲にプレッシャーを与えているというのはあまり望ましくない。
なんなら「よう、勇者」とか「おっす、勇者の仲間、今日飲みに来ないか?」とかぐらいがちょうどいい。
そのぐらい普通なのである。
主題は違うとはいえ、旅をしているんなら人付き合いってのは大事にしたいしな。
「さて、俺達も部屋に引っ込んで少し休むわ。お前も仕事頑張れよ、寝てた分な」
「はい、頑張ります。ガンマ様とセシウ様も頑張って下さいね」
看板娘はにっこりと屈託のない笑顔を俺達に向ける。それはようやくこの子が見せてくれた素直な表情だった。
「その様ってのもいらなくね? なんか仰々しすぎるわ」
「あー確かに。私達様付けで呼ばれるような人間じゃないもんね」
本来なら呼び捨てにされてもいいところなのだ。俺もセシウもあまり持て囃されるのは好きじゃないので、こう尻がむず痒くなる。
「え……じゃあ、ガンマさんと、セシウさん?」
「んー……」
まあ、さっきまで緊張してたんだし、さん付けでも十分進歩してるのかもな……。
この際俺達も譲歩せんといかんか。
「まあ、よしとしよう。では俺達勇者の仲間二名は世界を救うことを考えなければならないので、これにて失敬させてもらおう」
自分の声の中では最上級のイケメンっぽい美声でそんなくだらない冗句を言って、俺は廊下の方へと歩き出す。酒場とかで女を口説く時に使う声色である。マジどんな女もイチコロ! だったらよかったのに……。
残念ながらそれでもクロームの美声には勝てないのである。あいつは何から何まで完璧超人なのである。
「はい、頑張って下さいね、ガンマさん、セシウさん」
笑顔で手を振ってくれる看板娘に軽く手を振り返して、俺は廊下を進む。傍らを歩くセシウはなんだかにやにやしている。
「ねぇねぇ? 今の格好つけたつもり? 何? 今のちょっと低い感じの色気ありますよ、的な声色? それ格好いいと思ったの? 思っちゃったの? 思っちゃったんでしょ? ねぇ、今どんな気分? 年下の女の子に合わせてもらった気持ちは? 聞かせて下さいよ、ガンマさん」
小声で俺に精神攻撃を仕掛けてくるセシウはこの際黙殺するとしよう。
セシウとプラナと看板娘を足して、さらにそこへクロームを足して、花冠をくれた少女も足し、これを二で割って、二をかけ、クロームを引き、看板娘を引いて、セシウを引いて、花冠をくれた少女を引いて、看板娘を足し、二で割ったら理想的なんだけどなぁ。
いやはや、実に惜しい。
何か文章的に遠回りをした気がするけど、気にすることはない。
実に簡単な頭の体操である。
注文が多いようで、俺の理想は実に分かりやすい。
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