真説・恋姫演義 北朝伝 第六章・第二幕 |
視界の中に映る一つの旗。それに書かれたその字を見た彼女は、ついにこの時が来たかと、心にわきあがる一つの衝動を抑えつつ、腕組みをしながらその口の端を緩めた。
「ここに居ったんか、華雄」
「……霞か」
洛陽の城壁の上。彼女―華雄が立っていたのはそこだった。その華雄の下にやって来た張遼もまた、その視線を華雄と同じほうへ送る。二人のその視線の先、洛陽から少し離れた場所には、西にある函谷関から出陣してきた西涼連合軍二十万が、広大なその地を埋め尽くさんとばかりに布陣していた。
「なんやずいぶん熱心に敵さんを見とるやん。……想い人でも居ったりとか?なーんて」
「……」
張遼のそのからかい気味な声が耳に届いているのかいないのか。華雄はそれに何の反応も示さず、ただ無言で、敵陣の中に立つ一本の牙門旗を見つめ続ける。蒼地に『?』と書かれた、彼女が“良く知る”その旗を。
「……何で黙りこくるねん。いつもやったらそこで、『ふざけたことを言うな!』…ちゅうて怒るくせに」
「さあ、な。……それより霞。私を呼びにきたということは、戦の仕度が整ったということだろう?」
「ま、まあ、そういうことやけど」
「ならば行くぞ。目の前の“敵”を倒しにな」
張遼の言葉をはぐらかし、華雄はその場からすたすたと立ち去る。
「……なあ〜んか、らしくない気がすんねやけど……気にしすぎかなあ?」
立ち去る華雄の背を見つつ、どこか違和感のようなもの感じつつも、その華雄の後を追って歩き出す張遼であった。
そんな二人が向かった先は、洛陽の城の謁見の間。そこにはすでに、洛陽太守である董卓を初めとした洛陽所属の将たちと、許昌から援軍としてやってきた李儒達が、すでにその顔を揃えていた。
「おお、ようやく来おったか、華雄将軍」
「申し訳ありません、命さま。それで、お話のほうはどこまで?」
「もうほとんど終わっちゃったわよ。虎豹騎八万を本体として中軍に配置、洛陽軍を右翼、許昌軍を左翼に展開して出陣って言うところまでね」
「……例の策についてもか?」
「ああ。“船”の準備ももう出来ているそうだし、あとはあたしらがそこにむかうだけだそうだ」
その馬超の言葉に、静かに力強く頷くのは馬岱と姜維、そして李儒と王?の四人である。
「けどほんまに命はんまで一緒に来るん?正直言って危険やで。なんといっても、今の長安は西涼軍の拠点なんやし」
「そうですよ、命さま。もし命様になにかあったら、我々は一刀に対してなんと言えば」
「なに、そんなに心配は無用じゃ。由も彦雲もおるし、馬超たちとて一緒なのだ。それに長安の城のことは、妾もよう知っておるしの。気遣いは無用じゃ」
声をかけた姜維と徐晃のみならず、周囲からも向けられた心配げな表情をよそに、李儒はそう言って微笑んで見せた。
「ねえねえ、司馬懿ちゃん。あの李儒って人一体何者なの?なんだかみんな、彼女のことすっごく大事に扱ってるみたいだけど」
「……まあ、そのうちご本人からお話されると思いますけど、私からいま言えることは一つだけですね」
「何だよそれ?」
「……晋王様の、お后最有力候補の一人、ってことです」
『……まじ?』
「まじです」
ぽかーん、と。司馬懿の何気ないその一言に、思わず呆気に取られる馬超と馬岱であった。
時同じくして、その洛陽近くに布陣する西涼連合軍の本陣では、西涼軍の総大将である韓遂が、その配下である?徳と、とある件について論議していた。
「……?徳将軍。もう一度確認するが、本当に大丈夫なのであろうな?」
「あんたも本当に心配性だな。何度も言っただろう?姜の連中とはきちんと確約を取ってある。この戦の最中には、決して涼州には手を出さない、と」
「……ふん。異民族どもの言葉など、どこまで信用できるものやら。今回のこととて、話をつけてきたのが貴様だしな」
「……」
「分かっているだろうな?え?“混じり物”よ。もしこれが偽りだった場合は」
「(ぎりっ)……分かっている」
あふれ出しそうになる怒り。韓遂の放ったその言葉に、?徳はたまらず殴りかかりたくなるのを、奥歯をかみ締め必死で堪えた。ここでこの男に飛び掛っては、すべてを水泡に帰すことになってしまう。彼にとっての本当の主であり、大恩ある馬騰を救い出すためにも、彼はその、自身にとって最上の侮蔑というべき言葉に、心が引き裂かれる想いながらも、己が心に自制をかけるしかなかった。
(……父上、母上。貴方たちの血を否定されてなお、この男に逆らうことの出来ぬ私をお許しください……。孝よりも、忠を優先させるこの親不孝者を……!!)
その脳裏に、今は亡き両親の顔を思い浮かべつつ、拳を強く握り締めたまま、?徳は心の中でそう詫びた。
混じり物と罵られつつも、今は従うことしか出来ない己のふがいなさを。
ところでその混じり物、という言葉の意味であるが、それはすなわち、漢人と異民族の間に生まれた、混血児のことを指す“蔑称”である。
異民族が漢人を、もしくは漢人が異民族を、戦による“戦利品”として連れ去り、その結果生まれて来た子供たちは、その育つ場所によって扱われ方が大きく異なってくる。
烏丸や匈奴、姜など五胡の地で育てられた場合、子供は等しく宝だとして、混血でないほかの子供同様大切に育てられる。生まれによる差別など無しに。だが、それが漢土となると、その扱いは全くの正反対となる。漢土では、古代から異民族に対する蔑視が根強く残っているため、混血児は忌み嫌われる存在とされているのである。そのため、彼らは混じり物としてどこに行っても蔑まれ、酷い者は幼いうちにその命を絶たれてしまう。
そんな彼らの中にも、世間から容赦の無い迫害を受けつつも、運よく生き残って成人する者も少なからずいる。だが、一度混じり物と判明した者は、なかなかまともな職に就けることが無い。そのため、ある者は食うに困った末に賊に身をやつしたりし、またある者は五胡の地へと渡って、漢土を襲う側になる。そういった現実がまたさらなる差別を生み、混血児に対する迫害がさらに酷くなるという、そんな悪循環を生んでいるのである。
閑話休題
そんな自身の出自に対する屈辱に耐えつつ、韓遂との会談を終えた?徳は、自身が率いる部隊が待機している右翼に戻ってきた。苦虫を噛み潰したような顔で戻ってきた彼を出迎えたのは、彼の右腕ともいうべき一人の少女だった。
「お帰り兄さん。で?どうだったの、あいつとの話は。……何か感づいていた?」
「ふっ。そんな筈があるわけないだろう?こっちの思惑に気づくような頭の回る奴だったら、端から反乱なんぞ起こしちゃいないさ。……だろ?蘭」
「違いない」
ふふふ、と。?徳の言葉に笑って返す、緑色のその髪をボブカットにしたその少女。王双、字を子全。真名は蘭という。その小さな体で無双といわれる怪力の持ち主で、自身の背丈の倍以上ある大鉞(まさかり)を自在に操る、西涼軍では五指に入る実力者である。ちなみに、彼女は?徳を兄と呼んでいるが、血縁者というわけではない。
戦災孤児だった彼女をたまたま保護した?徳が、彼女を自身の養女とした。王双も彼に良く懐き、保護者でとなった彼を兄と、そう呼んで慕っているわけである。
「まあ、それはそれとして、だ。……どうやら向こうさんも、戦の準備が整ったようだな」
「うん。どうやらうまいこと時間を稼げたみたいね。……ところで兄さん、気づいてる…よね?」
「……まあ、な」
王双の言葉に生返事を返しつつ、?徳はその視線を東へと向けた。そこには、洛陽から出陣して軍を展開したばかりの、晋軍十八万の姿がある。そして、彼の視線は魚麟陣をしいている晋軍の最前列、先鋒の位置に立っている旗に向けられていた。
紫の地に、『華』、と書かれたその旗に。
「……やっぱり、生きていたんだな」
「ま、あの人がそう簡単に死ぬとは、私も思っちゃいなかったけどさ。……むちゃくちゃ不本意だけど」
「おいおい。ったく、なんでお前はそうあいつに冷たいかなあ?」
「……分かってないならいい」
「??」
この超鈍感馬鹿兄、と。?徳には聞こえないよう小声でつぶやき、ぷい、と。そっぽを向く王双。そして二人がそんなやり取りをしていたのとちょうど同じ頃。その対陣する晋軍の先鋒部隊では
「……こっちが出陣するのを、ご丁寧に待っていてくれた、か。おそらくはあいつの手管によるものだろうな、ふふ。……変わりなさそうで良かったよ……狼(ろう)」
少し懐かしそうに、安堵の表情をその顔に浮かべ、華雄はそう呟く。狼、と。?徳の真名を、その口にして。
実は華雄、その生まれと育ちが?徳と同じ、西涼のとある田舎の邑なのである。しかも、?徳とは幼い頃、その生涯を共にと誓った仲である。
そして、このことは誰にも話していないが、実は彼女自身もまた、姜との混血児なのである。
姜族の母と、漢人の父との間に、華雄は生まれた。その彼女が生まれた邑には、同い年の一人の少年がいた。それが、華雄と同じ姜との混血児であった?徳だった。そして、彼女たちはとある運に恵まれていた。それは、彼女たちの生まれ故郷である邑が、姜との国境に隣接していたこともあって、古くからかの地との交流が深かったことである。そのため彼女ら混血児に対する差別が、その邑ではほとんどなかった。そんな小さな、それでいて温かな邑で、優しい両親と村人に囲まれて、彼女らはその地で世間の真実の姿を知らずに育った。
「……楽しかったな、あの頃は。ととさまやかかさまもいまだ健在で、狼と一緒に時を忘れて遊びまわったっけな……。いつまでもこの時が続くものだと、本気で思っていたものだ……十年前の、あの日までは」
十年前。そのとき華雄たちの邑で、とある事件が起こった。その事件により、邑で生き残ったのは華雄と?徳の“二人だけ”だった。だが、あの時邑で何が起こったのかを、華雄も?徳も覚えていない。思い出そうとしても、頭の中に靄(もや)がかかったかのように、その日のことだけがどうしても思い出せなかった。
その後二人は、それぞれの親族の下へと引き取られた。……混血児に対する世間の冷たさを、その引き取られた先で二人は嫌というほど味わった。それでも二人は歯を食いしばって、そんな世の中を生き抜いた。必ずまた、生きて再会しようという、あの日の約束を胸に。そしてその再会の日は、今から五年ほど前になされた。
黄巾の乱が勃発して間もない頃、涼州での賊退治のさなかに、二人はひょんなことから再会した。ただ、?徳がその時すでに王双を養女にしていたことを知った華雄は、「私というものがありながら幼女に走るとは何事だ!」とか、「婚約など今日この場で破棄してやるこの変態が!」などと叫びながら、全力全開で?徳を追い掛け回してフルボッコにしたが。
「……早とちりしたうえに、ああまで痛めつけてしまったからなあ……。狼の奴は笑って許してくれはしたが、蘭にはあれで完全に嫌われてしまったな……」
その時の、全身包帯状態になった?徳と、その彼を看病する王双の顔を思い出し、口の端をひくつかせる華雄だった。
「……さて、と。いい加減昔のことを思い出すのはこれくらいにしておいて、と」
先ほどまでの穏やかな表情を一転し、真剣な面持ちでその視線を北へと転じる。
「……馬超たちが向こうについて、目的を達成するまでにどれほどの時間がいるものか……。後のことは、月さまと詠の采配にお任せするしかない、か」
そう呟いた華雄の言葉通り、それから四半刻(約三十分)後。晋軍と西涼軍のその前面に、それぞれの総大将である董卓と韓遂が進み出た。
戦前の舌戦が、間も無く開始されようとしていた。
〜続く〜
説明 | ||
北朝伝、第六章の二幕です。 間も無くその戦端を開こうとしている、 月率いる洛陽軍と、韓遂率いる西涼軍。 今回はまずその前に、両軍のとある二人の人物に、 スポットを当ててのお話です。新しいオリキャラも一人登場。 とりあえず、この場で宣言しておきますが。 今回ははっきりいって、作者の自己満を多分に含んでますw そのことご承知の上でご覧くださいませw それでは。 追記:1p目、少し修正しました。7/9、14:58。 |
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コメント | ||
kabutoさま、はっはっは。さてなんのことやらwww(狭乃 狼) 華雄のキャラが違う!!?ホウ徳の真名は狼ですか・・・あれ?狭乃さんも・・・(kabuto) mokiti1976−2010さま、大事にしているように見える、と。そういうつもりで書いたんですが、当てはめる言葉を間違えたかもです。そこのところ少し修正しましたw(狭乃 狼) ブンロクさま、はい、婚約者、フィアンセ、でございますw(狭乃 狼) 村主7さま、次回で二人は激しくバトル!・・・さて、どうなるでしょうね?w(狭乃 狼) jonmanjirouhyouryukiさま、そうそう、気にしすぎです。・・・くすwww(狭乃 狼) anngetuutekiさま、そうですけどそれが何か?www(狭乃 狼) 劉邦柾棟さま、一応、命のことを大事に扱っている、という意味で書いたんですが、ちょっと当てはめる言葉を間違えたかもですね。その部分、ちょっと書き直してみます。(狭乃 狼) 李儒さんの正体を知らない方から見たら腫れ物扱いに見えるということでしょうか?(mokiti1976-2010) まさかこの様な背景(バックストーリー)があったとわw<華雄さんと?徳さん 出合った際の遣り取り・・・これは楽しみになってきました(村主7) 華雄が婚約していた・・・だと?(anngetuuteki) 更新まってましたwwwww!? 何やら華雄の昔の話がありましたが人にはそれぞれ歴史があるということですかね。 あと、命を腫れ物扱いとは劉弁なんだよ元陛下なんだよ色々まずくない?(劉邦柾棟) はりまえさま、元、じゃあないです。現在進行形ですよw(狭乃 狼) poyyさま、はい、してましたw 真名を明かしていない理由の一端ですw(狭乃 狼) まさかの元婚約者?・・・・どうなる邂逅やら(黄昏☆ハリマエ) 華雄さん婚約してたんだwww(poyy) |
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