百合と七夕 |
あと一週間で七夕。
高校に入学してから初めての七夕である。
普段の私だったらこんなに意識することのないイベントだけど今年は違った。理由は色々あるんだけど、まずは目の前のこれ。
「……どこから持って来たんだろう?」
中庭には先週設置された大きな笹が何本も、綺麗な七夕飾りが施されている。中庭は下駄箱のすぐ先にあるから目につくし、校舎に囲まれているから廊下からもよく見える。
それから、なんか校長が企画の後押しをしているとかで当日は天体観測会なるものを開くみたい。物知りなクラスメイトから聞いた話によると、どうもうちの校長は七夕が誕生日らしくて、予算を再編したり足りない分はポケットマネーから出したりとかしたそうだ。無駄に大きなこの高校の校長は、かなり変わった人のようである。
こんなことができるなんて、流石私立と言いたいところなんだけど、
「うちって県立なんだよねぇ」
色々無茶してる気がするんだけど大丈夫なんだろうか、と特に心配することもなく、教室前の廊下の窓から中庭を見下ろしながら呟いた。朝のホームルームまでの空き時間、私は窓のすぐ外に立てかけられている笹に吊るされた短冊を眺めて暇を潰していた。私の横には短冊が置かれた机があり、願い事を吊るせるようになっている。かくいう私も試しに吊るしてはみたんだけど――
「それが今回七夕を意識している一番の理由なんだよね」
あんまり人に見られると恥かしい内容だからなぁ。まあ実名を書いてから言うセリフでもないけどね。
まあ、過ぎたことは気にしないことにして、私は数ある短冊に書かれた願い事を眺めることにした。
「えーと、なになに。『世界制服』これやっぱり必ず誰かが書くんだよね、ってあれ字が違う。制服フェチの人? それから、『ケーキが食べたいです』『痩せたいです』隣り合わせに吊るされてるけど同じ人が書いたのかな。気持ちはものすごく分かるよ。『土曜日駅前に集合ね』『十時くらいでいい?』『うん、遅れちゃだめだよ』『あはは、りょーかい』って、短冊で連絡取り合っている人がいるし!?」
なんか変な生徒が多いな、この学校。
「んと、ここら辺は似たようなのばっかりだな。『俺の織姫に会いたい』『僕の織姫はどこですか』『俺の織姫』『俺の織姫』『俺に織姫』『俺を織姫』『むしろ俺が織姫』……」
……もう駄目なんじゃないのかな、この学校。
流石に実名入りの短冊は少なかったが、私はつい溜息をついた。それから、私は奥の方に吊るされた一枚の短冊に目をやる。実はそれが織姫を求める願い事を吊るすブームをもたらすきっかけになった短冊だったりする。けど、昨日吊るされたばかりだと言うのに、今朝までの間にこれだけの枚数が吊るされたことに、私はびっくりを通り越して引いた。というか怖っ! 冗談がほとんどだろうし、『彼女』と書くところが『織姫』に変わっただけなんだと思うけど、皆反応が早すぎるでしょ。
で、それらのきっかけとなった短冊を手に取って見ると、昨日と変わらぬ丸っこい字面で、
『マイ織姫を探しています』
と書かれてあった。左下に目を移すと、
『茅譲葉』
と、きっちり署名されてある。どっからどう見ても女の子の名前で。
――いやまあ、これ書いたの私なんだけどね。
数秒ジッと見つめてから手を離す。願い事を吊るすなんて小学生の時以来だけど、本当に叶うものなのだろうか? てか、こんな願い事を受け取った織姫と彦星に困るだろうなぁ。
苦笑を浮かべながら眺めていたら、ふと目に留まる短冊があった。私の短冊のすぐそば、さっき動かした反動でひっくり返ったみたいで、
『織姫募集』
という四文字が見えた。それだけなら他の短冊と変わりないんだけど、
「なんか可愛らしい文字だな?」
なんというか女の子が書くような文字。私は吸い寄せられるように短冊の左下に目をやる。
「えっと、『朝霧八重』……って、ほんとに女の子だよっ!?」
えっ、ええっ? なに、どういうこと? まさか私と同じ考えの子がいたの? というか織姫様と彦星様仕事早っ! 昨日の今日でこの結果は早すぎでしょっ! いやいや冷静になれ私、たまたまだってことも考えられる。あー、でもこんなにすぐそばに吊るされているということはやっぱりそういうことなのかな? どうなのかな?
――キーンコーンカーンコーン。
と、混乱する私に構わず予鈴が鳴った。仕方なく教室に入って席に座るが、頭はそのことでいっぱいだった。私はあごに手を当てて熟考する。
「あ、あのー、譲葉さんそこ私の席ですよ?」
さっきの短冊は一体どういうことなのか。
「譲葉さんの席はお隣ですよー?」
そして私はどうすべきかを。
「ですから、譲葉さーん」
私は考えていたのである。
「ほほう、なるほどなるほど。そんなことを書く豪の者が譲葉さん以外にもいたのですか」
「……いや、豪の者って」
昼休みになって、隣の席のしぐちゃんとお弁当を食べながら今朝の出来事を話してみたら、そんなことを言われちゃいました。そんなに変かなぁ、女の子が女の子を好きだってことが。
昔から男女分け隔てなく友達がいる私だけど、だんだんと恋愛対象として見るのは女子だけになっていた。とは言っても実際にはそんな相手が現れていないから、ただ漠然と彼女が欲しいなぁ、って思っているだけなんだけどね。
「いえ、別に変だとは思いませんし、そのケがあるっぽい友達は他にもいますから気にしませんが」
「あ、そう?」
「ええ」
なんか今ちょっと心読まれた気がするけど、まあいっか。しぐちゃんは、
「えっと、朝霧八重さんでしたね」
上の方に視線をやって記憶を手繰り寄せていた。モノクルをかけてて、少し癖のある銀髪少女のしぐちゃんは私が高校に入ってからの友達。校内で知らないことはないという不思議な少女で、校長の話なんかもしぐちゃんから聞いたことである。
「朝霧八重さんと言えば、うちの隣のクラスの子ですね」
「へぇ、そうなんだ。……って近っ!」
「幾つかの授業で一緒になっていると思いますけど、譲葉さんに心当たりはないのですか?」
しぐちゃんにそう言われて、腕を組んで考えて見るけれど……、
「うーん。覚えがないなぁ」
少しでも接点があれば、私なら割と覚えているはずなんだけど、んー、やっぱり記憶にないなぁ。もしかして名前を知らないだけなのかも。それともやっぱり話したこともない人なのかな?
「――それで」
私がうんうん唸っているとしぐちゃんがゆっくりと口を開いた。楽しそうな笑顔で、である。
「それで、譲葉さんはこれからどうするつもりなのですか?」
「それは……」
どうするつもり。……この程度のことで運命だとか、なんだとかと言うつもりはないけれど、すこぶる気になるのは事実。ならどうすればいいのか。
と、そこまで考えた所でしぐちゃんの笑顔が目に入った。全部お見通しです、といった感じの笑顔。
……うん、そうだね。
「当たって砕けて来るとしますか!」
「頑張ってくださいね、譲葉さん」
お弁当を食べ終わるとすぐに、私は教室を出た。
「……さて、と」
隣のクラスの前まで来たのはいいとして。
「うん。どうしよう」
私はその子の顔分かんないんだよね。名前は分かっているから、呼んでもらう? あー、でもなんて言って呼び出せばいいのかな。いきなり織姫がどうのって言い出したら変な人に思われるだろうし。しかしこのまま帰るわけにもいかない、なにより私の精神衛生上よろしくない。と言うか、さっきしぐちゃんに当たって砕けて来ると言って来たばかりだし。
と、私が他クラスの教室を覗きながら悶々としていると、
「何してはんの?」
真後ろから鈴を転がす様な声で話しかけられた。振り向くと、そこに立っていたのは黒髪ショートカットで、眠たそうに眼を半分閉じている少女だった。私よりも少し背が低いその子は、ゆったりとした空気を纏っているようで、なにより可愛らしかった。
このクラスの子なのかな? そうでなくても、少女からの視線が何だか痛いような気がする。よくよく考えてみたら、こそこそ教室を覗く私って、傍目に見てだいぶ怪しいよね。
「誰かに用があるんやったら、うちが呼ぶけど?」
関西弁のこの子は、どうやらこのクラスの生徒のようである。それならちょうどいいか。物事は前向きに考えることにして、私はその申し出を受けることにした。
「なら、朝霧八重さんって人を呼んで欲しいんですけど」
「……朝霧、八重?」
なんでだろう。私の言葉を聞いた少女が、不審なものでも見るかのように私に目をやる。しばらく黙りこんだかと思ったら、不意に口を開いた。
「……なるほど、そういうことなんやな」
「えっと、何が?」
「あなた茅さんやね。茅譲葉さん」
「ええ!?」
な、なんで私の名前を知っているの!?
「……も、もしかして」
確かめるように私は少女の顔を覗き込む。目の前の少女は特に表情を変えることもなく、答えを口にする。
「せや。うちがあなたの探し人の、朝霧八重や」
「あなたがあの短冊の朝霧さんっ!?」
「あ、八重でええよ。それにしてもほんに面白そうな人やな。思った通りやわ。……短冊で誘い出したんは、やっぱり正解やったな」
「ん、朝ぎ……えっと、八重ちゃん、どういうことなの?」
表情に動きが少ないのと相まって、何を考えているのか分かり辛かった。
「七夕に『マイ織姫を探しています』なんて願い事を書く奇特な女子が、どんな人なんやと思うてな。似たような短冊を傍に吊るしといたんや」
「そしたら私があっさりと釣れちゃったわけなのね……。じゃあ、あの『織姫募集』ってのは……」
「ただの冗談や。それにしてもこないにすぐ探しに来るやなんて、あの願い事はかなり本気みたいやね」
「……あー、うん、まあ」
私は頬を掻く。そんな私を見ながら、八重ちゃんは楽しげに口元を緩める。とはいえ、ほんの少しの変化だけど。そして腕時計に目をやってから、
「もう昼休憩も終わりやな。ほならまた放課後に」
「え?」
「予想通りの面白そうな人やったんや。付き合ってみとうなってな」
「つ、付き合うって!?」
「別にそういう意味とちゃうよ。まあ、期待持たす言い方をすれば、『今のところ』やけど」
「……」
「ほなな、……譲葉」
私が答えるのも待たず、八重ちゃんは教室に入って行った。取り残された私はしばらく呆然としていたけれど、次の授業までもう時間がないから自分の教室に戻る。
結局、八重ちゃんが何を考えているのかいまいち掴めなかった。あの短冊がそれほどお気に召したのかな。ほんとーによく分かんない子だ。
それにしても、放課後かぁ。特に用事無かったからよかったけど、マイペースだなぁ。付き合ってみるとか言ってたけど、この場合私が八重ちゃんに付き合う形になっている気がする。
――気がするんだけど、
「……不思議だ」
付き合ってみてもいいように思っている自分がいる。それももし用事があったとしてもだ。……なんでだろう?
そんなことを考えていたら、放課後まではあっという間だった。
「譲葉さん。来てますよ、彼女」
放課後、しぐちゃんの指差す方、教室のドアの外に八重ちゃんが待っていた。
「あっ、ほんとだ。じゃあまた明日ね、しぐちゃん」
「ええ、さようなら」
カバンを手に取り、私は八重ちゃんの元へ早足で近づいた。
「お待たせ、八重ちゃん」
「別にそんな待ってへんから」
「そう。ところでこれからどうするの?」
廊下を歩きながら、八重ちゃんに尋ねる。
「? どうしてうちに訊くん?」
「だって誘ったのは八重ちゃんだよ」
「確かに誘ったんはうちやけど。言ったやろ、付き合ってみるって。せやから、行く場所決めるんは譲葉や」
下駄箱で靴を履き換えながら、八重ちゃんは淡々と私に言う。
「う〜ん。分かるような、分からないようなことを言うね」
「それで、どこに連れて行ってくれるん?」
八重ちゃんは上目づかいに私の顔を覗き込む。
「そうだねー……」
まさかノープランだとは思っていなくて、何も考えてなかったよ。あごに手を当てて考える私は、校門を通り過ぎたところで口を開く。
「とりあえず、お茶でもしてく」
「うん」
ところ変わって学校近くの喫茶店。うちの生徒の御用達の店で私と八重ちゃんは紅茶を飲んでいた。
「……」
「……」
無言で。
私たちは注文の時以外、全く喋っていなかった。何を話していいのか分からないのもあるけど、基本的に八重ちゃんは無口のようだ。
……とはいえ、この空気は私にはとても耐えられない。よしっ、とにかく何か話そう。私は勢いをつけるために紅茶を一気に呷ると、
「あっつ、あつぅぅぅぅ……」
身悶えていた。。熱いよぉ。ホット頼んでいたの忘れてたよ。……ゼェ、ハァ。落ち着いてきた所で、小さな笑い声が聞こえた。涙の溜まった目を向けると、
「ふふっ、ほんま面白い人やわ」
微笑む八重ちゃん。……か、可愛いかも。
「も、もうっ、笑ってよ八重ちゃん」
「ツッコミおかしくない?」
あっ、間違えた。殆ど無表情の八重ちゃんだから、ついつい願望が出ちゃったよ。無表情に戻った八重ちゃんは紅茶を一口啜ると、
「せっかくやし、譲葉のこと聞かせてくれへん?」
「私のこと?」
「誕生日とか血液型とか。好きなものや嫌いなもの、趣味とかな。譲葉ならきっと面白いはずやから」
「いやいやいや。いくらなんでもそんなにそうそう面白いプロフィールは持ち合わせてないよっ!?」
――まあ、でも。
「分かったよ。あっ、でも八重ちゃんのことも聞かせてよ」
「うん、嫌や」
「なにゆえっ!?」
「冗談や。……そのつもりやったし(ポツリ)」
「えっ、なんて?」
「何でもないえ。えーと、まず譲葉の好きなんは女子やったな。他には?」
「他には、の前にまずその発言を取り消してっ!」
「えっ、ちゃうん?」
「物凄く意外そうな目をしてるっ! 若干そうと言えなくもないんだけど、なんかニュアンスが違うから!」
その言い方だとただの女の子好きの危ない人だよっ。とにかく私は八重ちゃんの誤解を解くべく、必死に説得した。
終始、八重ちゃんは私を見ながら楽しそうだった。
翌日以降、ちょくちょくと八重ちゃんと会うことが多くなった。
――ある日の休み時間。
「あっ、八重ちゃんも次音楽? 一緒に行こうっ」
「ええよ」
「そう言えば今日はリコーダーのテストあったよね。八重ちゃん練習して来たー?」
「まあ、少しやけど」
「そうなの? 私はあーいうちまちましたの苦手だから、昨日頑張って練習して来たんだっ。危うくリコーダー忘れそうになったけど」
あはは、と私が頭を掻くと、八重ちゃんは何故だかとても驚いたような顔をしていた。
「えーっと。私が真面目なのがそんなに変かな?」
「ううんそこやのうてな。や、投げ出さんと練習したんは偉いと素直に思うけど」
「なら、どうして?」
「譲葉ならそこはちゃっかりリコーダーを忘れて、好きな人かっこうちこと朝霧八重かっことじのリコーダーをさりげなく借りる、という行動を取ると思うててな」
「八重ちゃんにすごい変な目で見られていること再認識した私っ!?」
「別に変な目やなんてなー。単に面白そうな人、うん、可笑しな人やと思うてるだけやで」
「なんでわざわざそこ言い直すかなっ!?」
「……ふふっ」
八重ちゃんは少しだけ顔を綻ばせていた。
むぅー。こうなったら本当に八重ちゃんのリコーダー借りちゃうのが正解なのかな? 音楽室への道すがら、また無表情に戻った八重ちゃんを横目に私はそんなことばかり考えていた。
――また別の日の昼休憩。図書館に向かうという八重ちゃんに廊下で会ったので、付いて行ってみることにした。
図書館に着くなり私は、気になっていたことを八重ちゃんに訊いてみる。
「八重ちゃんはどんな本をを読むの?」
「せやなぁ。今日はあれにしようかな」
「……あれ?」
「うん、『百合っ気のある友達との上手な付き合い方・五つのポイント』っていう本なんやけど」
「とってもタイムリーな本だねっ!?」
「冗談や」
「分かってるよ!」
「その本は昨日読んだし」
「そういう意味か! というかそんな本があることに驚きだよ!?」
侮ってました、この学校を!
「本当は小説。特にどれって決めとらんから、目についたのを読もうと思うてな」
「へぇ〜。私は何にしようかな」
私がぐるっと見回していると、八重ちゃんがすたすたと奥の本棚の方へと歩き、さほど時間も経たないうちに一冊の本を持って戻って来た。そして表紙が私に見えるように両手で持って差し出す。
「うちのおススメはこれ。『百合っ気のある友達と付き合う友達との上手な付き合い方・百八つの心得』」
「ほんとにあったよ、この本っ!? っていうか心得多すぎない!? そもそもこれを渡された私って、もしかして八重ちゃんにウザがられてるの!?」
「大丈夫や……」
「……え?」
少しへこんでいた私は顔を上げて八重ちゃんを見る。口元を小さく笑みの形にしていた。
「うちは楽しいえ。譲葉と一緒が」
そう言うと、適当な本を取ってから近くの机に座って八重ちゃんは読書を始めた。
うぅ、なんかずるいなぁ。ちょっとドキッとしたよ。私は受け取った本と彼女を交互に見て、
「はあ」
溜息をつく。私は八重ちゃんの対面に座り、この『百合っ気のある友達と付き合う友達との上手な付き合い方・百八つの心得』を読み始めた。
あっ、ちなみに思った以上に面白くて、これは八重ちゃんがおススメするわけだなと納得してしまった。
――とある休日、待ち合わせして私たちは学校の近くにあるどでかいショッピングモールに遊びに来ていた。そして初お披露目である八重ちゃんの私服姿。タンクトップにふわっとしたニットカーディガン、下はミニスカート、足元はウェッジサンダルという出で立ちで、全体的にお淑やかな印象だ。
うん、とても可愛らしい。
ちなみに私はというと、半袖のブラウスにホットパンツ、それから薄手のニーソックス。暑いの苦手だから夏前だと言うのにかなりの薄着。楽なのが一番なのだ。
ショッピングモール内の店を色々と回って来た私たちは、幾つかある喫茶店の一つで一休みしていた。
「それにしてもさっきの漫才コンビは面白かったね」
「せやな」
言いながら思い出す。ショッピングモールの端にあるイベント広場で私たちと同い年の女の子の二人組がやっていたコントである。
「あの子たち私たちと同じ学校、というか同じ一年生だったよね」
「うん。縁があったら話とかしてみたいわ」
興奮冷めやらぬといった様子の八重ちゃん。いつもより活き活きした顔、それからコントを見ていた時の吹き出しそうなのを我慢していた顔とか、今日は色々と貴重なものが見れた。八重ちゃん可愛いなぁ。
「はっ、意外なところで私に得が……!」
「え? 何がや?」
「ううん、何でもないよ」
あはは、と誤魔化しながら心の中で話したこともない二人の同級生に手を合わせてお礼を言う。
「でも、八重ちゃんがこんなにお笑い好きだったなんてね」
そういうと、八重ちゃんは真顔に戻って、
「譲葉、関西人の皆が皆お笑いが好きやなんて思うたらあかんえ」
「えっ、あ、ごめんなさい?」
「うちは大好きやけどな」
「……何だったの、さっきのセリフは」
「ふふっ」
八重ちゃんは話を区切るかのように、ストローに口をつけた。私もコップに残っていたジュースを飲み干した。見ると八重ちゃんも全部飲みきったみたいだから、
「じゃあ、そろそろ出ようか八重ちゃん」
「うん、次はどこ行くん?」
「そだねー。イベント以外はずっとお店廻ってたし。ここは路線を変えて三階のゲーセンなんてどう?」
「あ、それもええなー」
「なら、行こっか」
「うん」
――そんな感じで八重ちゃんとの休日は過ぎていった。
「――それで。結局お二人は付き合っているのですか?」
休み明けの月曜日の昼休憩。一緒にお弁当を食べていたしぐちゃんが唐突にそんなことを訊いてきた。
「直前にここ最近の八重さんとの出来事を話していたのですから、別段唐突でもないと思いますけど」
「さらりと心を読まれたのはともかく、まあ、そうだね」
「で、どうなのですか? お二人は女女な関係なのですか?」
「何その奇妙な関係は!?」
「だってお二人とも女の子なのですから仕方ないじゃありませんか」
しぐちゃんがニコッと笑う。そういうものなのかな。なんか違う気もするけど、気にせず私は考える。――が、
「うーん、どうなんだろうね」
はっきりとした答えが出て来なかった。
「譲葉さんは、八重さんのことをどう思っているのですか?」
「もちろん、好きなのは確かなんだけど……」
「どういう種類の好きなのか。それがいまいち判然としない、と言うわけですね」
言い淀む私の気持ちを、しぐちゃんが代弁した。
そう、よく分からないのだ。会って数日しかないのもあるかもしれないけど、私は八重ちゃんのことをどう思っているのだろう。ただの友達なのだろうか。それとも別の何かなのだろうか。自分で自分の心が掴めないでいる。
――それに、
「譲葉さん」
と、そこでしぐちゃんに話しかけられ思考がストップする。
「何?」
「答えが出ない時は、答えを出さないでいることの方が正解かも知れませんよ。譲葉さんの考えていることは自ずと答えが見つかると思いますが、今ではないと思います。だって――」
「だって?」
しぐちゃんが楽しそうに笑う。
「お隣にいるべき人がいないのですから、ね」
言いたいことを言い切ったしぐちゃんは、お弁当の残りに取りかかった。私も箸を動かしながら、思考を再開する。けど、私の中に答えは生まれそうになかった。しぐちゃんはああ言ってたけど、やっぱり答えが出ないともやもやするなぁ。
――それに、八重ちゃんは私のことをどう思っているのだろう。
私の心にかかる靄は増すばかりだった。
それから数日、八重ちゃんとそれまでと同じように過ごしているうちに、七夕当日がやって来た。放課後、下校時間が過ぎたというのに校内にはかなりの生徒が残っていた。校長が企画していた天体観測会が予定通り決行されたからだ。
「それにしても、たくさん残っているなぁ」
企画の内容的に仕方ないのだけど遅い時間のイベントであるため、自由参加なんだけど、この学校の生徒は割と皆アクティブらしい。
「えっと、……あ、いたっ。八重ちゃーん」
校庭へと降りる石階段の三段目に、待ち合わせていた八重ちゃんが座っていた。声をかけると、八重ちゃんは立ち上がって振り向いた。私はちょっとだけ早足になって傍に駆け寄る。
「遅くなってごめんね、八重ちゃん」
「ううん、そんなに待っとらんから」
「それならいいんだけど。あっ、さっきそこで索餅っていうの貰ったから一緒に食べよう」
「うん、ありがと」
私たちは石段に腰を下ろすと、二人同時に索餅に齧りつく。昔七夕の日にお供えされて食べられていたこの索餅は、米粉や小麦粉をこねて油で揚げた細長いお菓子である。……って、まあついさっき先生から聞いた話の受け売りだけどね。
「うん、サクサクしてて美味しいね」
「うん」
私たちはのんびりと、満天の星空を見上げる。体育館前や校舎の屋上とかでは、設置された望遠鏡(校長先生が奮発したらしい)に生徒が集まり、あの星がベガだとか先生から教えて貰っていた。けど私と八重ちゃんはゆったりと綺麗な星を眺めていたかったので、石段に腰を落ち着かせていた。近くに人がいないからゆっくりできる。
「……」
私は視線をこっそり夜空から八重ちゃんに移す。そんな私の行動に気づいていないのか、八重ちゃんは星空を見つめて目を細めていた。
――私の気持ち。
この前しぐちゃんと話したことがきっかけになったのか、あれ以来そのことを意識するようになった。
でも、どうしても分からない。
八重ちゃんと一緒にいることは楽しくて、八重ちゃんの笑った顔は可愛くて。
それだけは、はっきりしているのに……。
というか、八重ちゃんこそ私のことどう思っているのよ。この悩みの原因の一つは、八重ちゃんがあんな短冊を吊るしたことだというのに。あー、でもあれがなかったら、知り合えなかったわけだし……。
――ねえ、八重ちゃん……。
「はあ……」
「どうしたんや、譲葉?」
私の溜息に気付いた八重ちゃんが不思議そうにしていた。
「ううん、何でもないよ」
「? ならええんやけど」
口ではそう言いつつも、八重ちゃんはしばらく私の顔をじっと見続ける。私は心の中を見透かされてしまうように思えて、少しドキッとした。
「なあ、譲葉の願い事は叶ったんやろか?」
「……えっ!?」
びっくりしたせいで、私は大きな声で反応してしまった。八重ちゃんは星空とは逆方向、地面に目を落として続ける。
「譲葉、うちが面白そうなんて理由だけで、あんな短冊吊るしたと思う?」
八重ちゃんが言っている意味が、私には分からなかった。私が何か言葉を返す前に、八重ちゃんは口を開く。
「ところで、うちと譲葉が初めて会ったんは一週間前とちゃうんやけど、気づいてた?」
「……そうなの?」
あれ、まずい。すみません、全く覚えがないんですけど。えっ、ほんとに?」
「まあ覚えてなくても無理ないと思うえ。一言も喋ってないし、うちの顔もまともに見てないはずやし、それにあの頃のうちは眼鏡かけてて髪も腰まであったかんな」
と言って、八重ちゃんは腰に手を当てる。うーん、それだけ変わってたら記憶になくてもしょうがないかも。というか眼鏡っ子だったんだ八重ちゃん。ということは今はコンタクトなのかな。
「それにしても話もしてないなんて、一体どういう状況だったの?」
「まあ、言ったら思い出すと思うから、こっからは盛大なネタばらしやな」
「言いかたおかしくない?」
いつもの調子でツッコム私だけど、内心は先が気になりすぎて気が気じゃなかった。
「あれは四月、体育の授業中。倒れたうちは譲葉に保健室までおんぶされたんや」
「……あー」
そう言えばそんなこともあったなぁ。あの時の子が八重ちゃんだったのか。髪型に眼鏡の変化、それにあの時の八重ちゃんは今より前髪も長かったし、運んだ後は保健の先生に任せたからはっきりと顔見れなかったんだよね。
「と言うか盛大なネタばらしの短かったね」
「まだ続くから安心してや」
「そうなの? それにしても急激にイメチェンしたね」
「…………たんや」
ぽそぽそと呟くので、なんて言ったのか分からなかった。私が黙っていると、八重ちゃんは繰り返した。
「譲葉の髪型を真似たんや」
「私の?」
コクリと八重ちゃんが頷く。そう言えばあの頃の私の髪は今よりも短くて、ちょうど今の八重ちゃんと同じくらいだったかも。でも、
「なんで?」
「……あこがれ、やから」
えっ? あれ、今八重ちゃんなんて言った? あこがれ? 誰を? 私?
思考がぐるぐる回るなか、私は八重ちゃんをみる。暗がりで分かりにくいけど、少しだけ頬に赤みが差している気がした。
「きっかけは、そのおんぶ。それからな、うちの目は譲葉のことをよく追っ駆けるようになったんや。明るくて、いつも元気で楽しそうで。それから笑顔が可愛くて。遠くから眺めているだけで、うちは元気貰えた」
「八重ちゃん……」
あこがれと言ってくれたことは、いまいち実感が持てなくてピンと来なかった。ただ八重ちゃんが心の内を見せてくれていることが、ただただ嬉しくて言葉が出ない。
「そしたら、その譲葉があんな短冊を吊るしてたのを見てな。……チャンスや。って、そう思ったんや」
ほんの少しだけ八重ちゃんの口調が速くなってきている気がする。出会ったころだったら気付けなかった程の、ほんの少しの速度。
「……うちの短冊もな。あの願い事もな、ほんまは冗談やないんや」
そこまで言って、ようやく八重ちゃんは顔を上げて私に視線を向ける。切なげな表情をしていた。
泣きそうな顔にも見えたし、今にも微笑みそうな顔にも見えた。
八重ちゃんは小さく深呼吸すると、意を決して言葉を紡ぐ。
「うちは譲葉のことが好き。……これは、ほんまの気持ちやで」
……八重ちゃんが私のことを好き? この場合の好きは、友達としてじゃなくて、やっぱりそういうことだよね。
ふと、私はここ一週間のことを思い出す。
八重ちゃんとお茶して。
八重ちゃんとお喋りして。
八重ちゃんと遊びに行って。
――そして、八重ちゃんと一緒に、笑い合って。
答えは至極単純な事だということが分かった。
「……八重ちゃん」
「うん」
……あー、ちょっとだけ緊張するかも。これ、なんだかんだで人生初だったね。八重ちゃんを真似して深呼吸。……よしっ。
「私も、……私も八重ちゃんのことが好き。八重ちゃんといつまでも一緒にいたいって思ってる」
「譲葉ぁ……」
八重ちゃんが泣きそうな顔をしていた。ほんとは笑顔が見たいはずなのに、その表情がたまらなく愛おしく思う。
私は八重ちゃんの目じりに溜まった涙を指で拭い、笑った。
この日、私、茅譲葉に彼女が出来ました。
朝霧八重という、とても可愛らしい彼女が。
――の、はずなのだけど。
天体観測会もお開きになり、私と八重ちゃんは連れ立って帰路に着いたわけだけど。
「……」
「……」
二人して無言だった。照れ臭いとかそういう話ではなく、ただ八重ちゃんがいつもの調子に戻ったからである。隣りを歩く八重ちゃんを見やるが、いつも通りの無表情ぶりだった。
あれー? 私たち付き合うことになったんだよね。しぐちゃん曰く所の女女の関係になったはずだよね。でも手も繋いでないし、これだと今までと全く変わんなくない?
そんな私の胸中を知ってか知らずか、八重ちゃんは口を開く。
「ほな、譲葉。うち、こっちやから」
「えっ、あ、うん」
八重ちゃんは右手を小さく上げ、それから横の道に入って行った。私はその後ろ姿を眺めるけど、諦めて帰ることにした。
「……うぅ、私の彼女は冷たいよぉ」
涙目で織姫と彦星がいる星空を睨む。……どれがベガで、どれがアルタイルか分かんないけどね。
と、
「譲葉っ」
そんな時に後ろから声をかけられた。振り向くと八重ちゃんがいた。どうしたんだろう?
「えっと、あの。なんて言ったらええんか分かんないんやけど」
「?」
考えをまとめているのか、ちょっと黙った後、八重ちゃんはいつもより大きな声で、
「こ、これからも、よろしくな。譲葉」
それだけ言い、今までで一番嬉しそうに微笑んだ。
……うわ、可愛い。
「あっ、と。そ、それだけや」
そう言って、ほっぺたを真っ赤に染めた八重ちゃんは走り去って行った。うぅ、私も頬が熱くなってきたよ。
八重ちゃんの姿が見えなくなってから、私は踵を返して歩きだした。頬は熱を帯びたままで、しばらく冷めそうにもないよ。
――冷たくなんかない。
私の織姫は照れ屋で、優しくて、いじらしくて、とてつもなく可愛らしい女の子だ。
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