真・恋姫†無双 桃園に咲く 5
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 聖フランチェスカのアリーナの二倍は優にあるのではないだろうか。

 城壁のから見た屋外修練場に一刀はそんな感想を抱く。

 横隊隊形のまま待機する兵数は夥しいといえるほどであり、その全兵が一望できることから、城壁の高さが伺える。

 具体的には、兵の表情が見えないほど高い。

 これでまだ大きさとしては平均に部類するというのだから、暴力的な人口と国土を有する中国のスケールのでかさを否が応でも実感するというもの。

 その広い修練場を埋め尽くすほどの人がいる、という事実にまた二重の驚き。

 

「これはまた、すごいな」

 

 微動だにしない彼らは、工場で整然と並ぶマネキンを思わせた。

 生気を感じないというわけではないが、数からくる威圧感に圧倒される。

 長時間眺めていると眩暈を起こしてしまいそうになって、一刀は意図的に焦点を少しずらした。

 

「ほんとだねー」

「これほど大規模な部隊とは」

「これだけいれば悪者にも負けないのだ」

 

 城壁から身を乗り出して部隊を眺める桃香たちも、やはりこの人数に驚愕を滲ませている。

 どことなく、いつもに比べて言葉の端々に張り詰めたような硬さを感じたような気がする。

 彼女たちにしても、初めての経験なのだろう。

 殲滅を目的とする戦と村を守る戦闘とではどう違うか、暇つぶしに考えてみる。

 いってみれば、それぐらいやることはなかった。

 

 陣割を決めるために集められた桃香たち。

 召集された兵を眺める立場ということは、それなりの地位が保証されているからで。

 厳密に言えば、劉備軍は今回の戦で一部隊を率いるというのだから、義勇兵としては破格の厚遇になるだろう。

 ただし、その余波として一刀に何か大仕事が与えられるかといえばそんなことは全くもってない。

 劉備に属し勝利へ導く天の御使い。

 物々しいいいかたをすれば求心力であり、実も蓋もない言い方をしてしまえばお飾りに過ぎない。

 楽観はしたくないが、気楽なものだった。

 戦いを眼前として、城壁にいる誰もが大なり小なり気を張り詰めているなかで、ぼんやりとその表情を観察するというのは少々作法に欠けているようにも思う。

 せいぜい難しい表情を浮かべているつもりだが、慣れない表情筋を使って福笑いのように面白い顔になっていないか心配だ。

 実際白ランはかなり目立つ。将ほどにもなれば着ている服にも多少の意匠が施されているが、陽光に映えるポリエステルはその中でも異色だ。

 将の男女比は3:7ぐらい。多いのは女性陣。

 そのくせ眼下に広がる兵の比率は目算で8:2ぐらいときている。こっちは男性がぶっちぎり過半数。

 身体構造が違うのかと思えばそういうものでもないようなのだが、どういうわけか文官・武官ともに上位になるほどに女性の方が多くなる。

 

 桃香、愛紗、鈴々、白蓮。

 勝手に肩身の狭い思いをしながら続ける人間ウォッチングは、一人の人物でふと止まる。

 白衣を着込んだ姿は他の将に紛れても目立つことこの上ない。

 背を見せているせいで表情までは読み取れないが、全体から立ち上る雰囲気は初対面のときのそれとは随分と違う印象を受けた。

 彼女もまた、戦に向けて気勢を整えているのだろう。

 

 

 

 原典において『蜀にその人あり』と謳われた趙雲が、かつて公孫賛の陣営にいたことを思い出したのは、かれこれ2日ほど前の話だ。

 

 

 

 

 

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 時は遡り、2日前の玉座の間。

 お互い自己紹介したところでさて本題と相成ったわけだが。

 一刀は耳に両手の人差し指突っ込んで衝撃に備えた。

 

「こっ、これだけ!?」

 

 悲鳴にも近い叫びで指先をわななかせながら確認をとる白蓮が哀れだ。

 出会って数分にもならない彼女だが、もう声が裏返った叫び声を聞くのは2度目だった。

 このままでは『白蓮=絶叫』の方程式が出来上がってしまう勢いかもしれない。それはなんというか、あんまりだと一刀自身思う。

 桃香は申し訳なさそうに頷くが、きっと兵数を水増した不義についてなのだろう。

 いかにも桃香らしい。けれど、たぶん的外れ。

 

 わかりきっていながら、一刀はぐるりと周囲を見渡す。

 だだっ広い玉座の間に今いるのは白蓮、桃香、一刀、愛紗、鈴々の計5人。減りもしていないが、当然増えてもいない。

 軍がないことがばれてしまった今となっては、何を言うにもこれは少々説得力に欠ける人数であることが否めない。

 援軍だといって通してみたら4人でした、となれば白蓮の落胆は不自然でもなんでもない。人によっては怒りだすレベル。

 

「これだけってことは、桃香と、一刀と、えっと……」

「えっとね、関羽ちゃんと張飛ちゃん!」

 

 怒りだしていいところでも怒らないのが、白蓮。

 驚いたものの、先ほどの拙い交渉から桃香が軍勢を率いていないということをどこかで薄々感づいていたのかもしれない。

 戸惑いながら指差し確認していく最中で、いまだ紹介が済んでいなかった2人の名を桃香が告げた。

 

「我が名は関羽。字は雲長。桃香様の第一の矛にして幽州の青竜刀。以後お見知りおきを」

「鈴々は張飛なのだ! すっごく強いのだ」

 

 ついでに他称・天の御使い、北郷一刀。今後ともごひいきに。

 今度こそ全員の自己紹介終了。あっさりしすぎているかもしれないが、ない袖は振れないし、いない兵はいない。

 全力で聞こえのいいようにいって少数精鋭を前に、複雑な表情のまま白蓮が次の句を慎重に選ぶ。

 

「よろしく頼む、といいたいところなんだが、正直言うと2人の力量がわからん。どうなんだ、桃香?」

「2人ともすっごく強いよ! 私、胸を張って保障しちゃう!」

 

 シンプルかつ抽象的にして楽観的なご説明ありがとう桃香。

 そうくると思っていたのか、白蓮も苦笑を浮かべるだけだった。

 

「保障、ね。桃香の胸くらい大きな保障があれば、それはそれで安心なんだけど」

 

 2人の話を黙って聞きながら、一刀は小さく唸った。なんでもないこのやり取りに、少しだけ引っかかりを覚える。

 考えたのは旧知の友の、突然の訪問。そんな相手に対してどれぐらい信頼できるかについて。

 元の世界で言えば、同じ中学の人が突然インターホンを鳴らして、挨拶ついでに宗教勧誘してくるようなものだろうか。

 無遠慮にいえば、100%胡散臭い。

 しかしそれでも疑惑を向ける視線は、白蓮からは放たれていない。

 これはちょっと判断に困るところだ。白蓮がお人よしだからなのか。それとも、桃香には自分の発言を信じさせるような、一種の『人たらし』な要素があるからなのか。

 現段階で断言できないが、たぶんその両方だと思う。もっとも、桃香の人たらしが通用するは身内だけなのか、それとも交渉の場でもいけるのかはまだわからないけれど。

 桃香の『すっごく強い』がどの程度か。自分と一致するとも白蓮は思っていないだろうから、どこか子どもをあやすような心境なのかもしれない。

 

「それについてなんだけど、一応実績というか。愛紗」

「……はっ」

 

 目配せに一瞬キョトンとしたが、さすが愛紗。すばやく反応してくれた。

 桃香の人たらし成分で印象を深めるのも悪くはないけれど、もう少し具体的なものを示したいところ。

 

「我らは流浪の旅人としてではあるが、荒廃する中原を憂い、暴虐な輩から搾取される人々の為にと武を振るって来ました」

 

 硬い声音に、白蓮の表情も引き締まる。

 救った村落の名を論っていく中で、いくつか反応するものもあった。

 できるだけ幽州周辺で救済した場所をリストアップする、というのは事前の打ち合わせの段階で示し合わせたものだ。

 こういったことも桃香にいってもらうつもりだったが、今となっては別の人間からのほうが効果が望めるだろう。

 

 

 

「……確かに、そのあたりでは匪賊の横行が報告されている。残念ながら旅人に救われた事例まではここに届いていないが」

 

 まぁそこまで期待はしていない。

 村が襲われ、撃退した結果だけを報告すれば上は何らかの手筈を整えるだろうし、一応村の代表者にも沽券というものがあるだろう。

 そのあたりは白蓮も考慮しているのか、もう一度見定めるように愛紗と鈴々をつぶさに眺めた。

 

「今回の討伐戦には義勇軍も募っているんだろう?

 この城で仕えている人と、自分の村を守ろうとする村人との間では戦いに対する認識もちょっと異なるんじゃないか」

「……それも御使いの力か?」

 

 渋面を貼り付けた白蓮の黄金色の瞳が一刀へと流れる。

 試しとばかりにいってみたが、思いのほか的を射てしまったようだ。

 まさか当てずっぽうです、というわけにもいかないから余裕な振りしてまあねと同意してみる。

 観念したように、白蓮はため息をついた

 

「義勇兵とはいえ、一刀のいうとおり今まで鍬しか握ってこなかった者も少なくない。

 募っといてこういうのもおかしな話だが、少し多く集まりすぎたんだ。

 戦闘を有利に進める上で兵数は多いに越したことはないが、それに見合うだけの正規兵の指揮系統が確立しにくくなっている。

 錬度も高いとはいえないし、当然戦の経験もないだろうから士気の低下による混乱も恐ろしい。戦に出たことがないから、どこかで綻びが出来ると一気に瓦解する可能性もあるわけだ」

 

 伝播した恐怖が波状になって自軍の戦力を低下させる。

 戦に出たことがないからイメージするしかないが、わからなくはない現象だ。

 プログラミングされたゲームとはわけが違うのだから、数が多ければオールオーケーにはならない。人が戦うわけなのだから、集団心理なんかも考慮しなければいけない。

 難儀な話だ。

 

「逆をいえば、関羽や張飛がその武を振るってくれるだけで士気が上がる見込みはある。

 けれど、どうもその力量がはっきりしないのがなぁ」

 

 こればっかりは口でいってもどうにもならない。

 打てる手は打ったつもりだし、これで駄目ならそれはそれで。

 売込みとしては十分印象に残ったと思う。

 あとは実践なり、手合わせなりで2人が実力を見せればいいのだ。

 それならと話を打ち切ろうとしたそのとき。

 

 

 思わぬところから、横槍が入った。

 

 

 

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「人を見抜けと教えた伯珪殿が、その2人の力量を見抜けないのでは話になりませんなぁ」

 

 張りのある声だった。

 動く白蓮の視線の先へ4人が一斉に振り返ると、円卓に腰をかける人影が、黒に赤い鼻緒の下駄をプラプラ揺らめかせている。

 まるで今までずっとここにいたかのような無防備さで、あさっての方角に顔を向けているが、さっきまで、少なくとも白蓮が"少数精鋭"に驚くまでは、この場にいるのは5人だったはずだ。

 自分ならまだしも、愛紗や鈴々が気づかないなんてことがあるのだろうか。

 そっと盗み見た愛紗の横顔、琥珀の瞳にわずかに動揺と警戒の色が浮かんでいる。

 

「そういわれると返す言葉もないが、ならば趙雲ならこの2人の力量がわかるとでもいうのか?」

「当然。武を志すものとして、姿を見ただけで只者でないことぐらいわかるというもの」

「まぁ、星がそういうならば、確かに腕は立つんだろうな」

 

 4人を挟んで気安く繰り広げられる会話。

 その中で拾った『趙雲』ということばを、一刀は頭の中で噛み砕いていた。

 そうだ。劉備に仕える前、趙雲は一時公孫賛にも仕えていたんだっけ。

 美周郎こと周喩と並んで、容姿端麗と評された蜀の武将趙雲。

 蜀びいきで描かれた演義ではもちろん人間離れした働きを見せ、『全身之胆也』と主君に言わしめた猛将。

 全体を白でまとめた、着物というには丈の短すぎる衣。紫紺の帯の長い遊びがこちらに歩み寄るたびにヒラヒラ揺れている。

 古典の中ではカタブツだったと思うが、ずいぶんとこちらはフランク印象を受ける。

 とはいえ、その飄々とした風体は何事にも動じないという点ではクリアしているように見えなくもない。

 蒼い髪、鳳の翼が描かれた振袖、そして強く挑戦的な瞳が強くイメージに残る。

 

 ところでこのフォーマルな局面においてひどく俗っぽく、そして今更の疑問なのだが、どうしてみんなこうも丈の短いスカートを履いてるのだろう。

 桃香、愛紗までならそれとなく看過してきたけど、白蓮、そして趙雲とまでくると、どうにも彼女たちのファッションというよりはこれが最低限の正装なのかと錯覚してしまう。

 単に動きやすいからなのか、それともこの世界の文化なのか。

 まぁ文化がどうであれ、鈴々のスパッツは適正だと思う。……失礼。

 

 

「そういう貴女も腕が立つ……そう見たが?」

「鈴々もそう見たのだ!」

「さて……果たしてそれはどうだろうな?」

 

 武をゆくもの同士で感ずるところがあるのか、一刀が肌色の割合を気にしている間に響きあうような会話が広がっている。

 なんだか2人ともどことなく嬉しそうだ。とはいえ。

 

「常山の登り竜、趙子龍か……」

 

 これは好機かもしれない。

 彼女が桃香の元に下ればと、そう考えるのは仮・天の御使い、大まかな先を知るものとしては自然な流れだ。

 初対面にして愛紗たちとの間で起こるある種の共鳴意識もその兆候と捉えるのは穿ちすぎと一概にもいえない。

 反面、本当にそれで正しいのかとも思う。

 原典のままの展開を期待するのは、少し夢見がちというか、見通しが甘いのではないかと、警鐘が鳴る。

 彼女たちの性格にしろ、挙動にしろ、覚えある物語との相違点はこの短い期間にも数多くあった。

 

 彼女が桃香に帰順する保障があるとはいえない。

 これは同時に、趙雲が魏や呉なんかの別勢力に属する可能性もあるというわけで。

 そしてそれは趙雲だけに限った話でもないのかもしれない。

 蝶の羽ばたきひとつで竜巻だって起こる。物語と同じままなんて起こるはずがない。

 ましてや、登場人物は『彼ら』ではなく、『彼女ら』なのだ。

 ……余計な脇役だって増えているし。

 

「ほぉ、なかなかに油断ならぬお人もいるようで」

 

 うん?

 てっきり鈴々や愛紗と話し込んでいると思った一刀は、まさか自分に水を向けられるとは思わず目を瞬かせた。

 自分の世界に耽っていたせいか、前後の文脈が全く掴めない。

 ただ自信に漲る紫の瞳は、明らかに"余計な脇役"を捉えていた。

 いくらフランチェスカが共学化して間もなく、男女の割合が女性優勢だったからといって、異性と親交を深めるほど贅沢な生活を北郷一刀はしていない。

 容姿端麗な趙雲に見つめられて、咽喉が詰まった。

 

「我が字を、いつお知りになった?」

「……あー」

 

 うっかりしていた。

 呟くにしてもどうして一般的な姓名ではなかったのか。

 どうしてだか趙雲は姓字で読む癖が付いてしまっている。名乗りが深く印象に残っているのもあるかもしれない。あとたぶん“龍”が付く名前がカッコよかったから。

 なんとも締まらない話。

 ここにくるまでに聞いた、というのは通用しないだろう。

 そういえばといわんばかりに愛紗が首を傾げてしまっている。

 どういい繕うか答えに窮しながら視線を泳がせ、ベストな回答を求めて宙に漂わせる。

 当然だよ、と自信満々に答えたのは本人ではなく、主君劉弦徳だった。

 

「ご主人様は、天の御使い様なんだから」

「いやその理屈おかしい」

 

 先ほどとは打って変わって、趙雲の声は画鋲で留めるような鋭さがあった。

 確かに理屈としては成立しないが、理由としてはそこまで外れてもいないのだが。

 ここでいう『天』が『北郷一刀が今まで生きていた世界』を指すなら、そうとしかいいようがない。

 逐一成り行きを説明して、理解してもらえるとも思えないし。

 とりあえず曖昧に笑っておくことにした。

 

「説明にはなっていないかもしれないけど、まぁここじゃない場所の知識ということで」

「ほぉ、噂を耳にしたときには眉に唾して聞いていたが、まさか本物の天の御使いに出会おうとは」

「そういわれると、胸を張って『そうです』とはいえないんだけどね。人の名前がわかるような妙な知識はあっても、この場所じゃ文字も読めない有様だから」

 

 定食屋の品書きを眺めたときから嫌な予感がしてはいたが、案の定この世界は中国文字、それも古代中国文字が使われているようだ。

 そこらへんは時代に準拠しているというか。

 生産性は間違いなく田畑を耕す農家の人以下だというのは、正しい自己評価だと自認している。

 もっとも、それならどうして彼女たちとの会話は成立するのだろうかとも思わなくもない。

 親切なのか、不親切なのか、よくわからない造りだ。

 

「ただその予言の条件は満たされているし、都合が悪いことに本物でなければ生きていけないみたいだからね」

 

 戦乱の世に放り出されるなんて、ぞっとしない。

 追いはぎに殺されるか、餓死した後追いはぎに身包みを奪われるか。

 生き残る確率はマンボウの稚魚とどっこいだろう。

 

「それになにより、初めて出会った桃香たちが俺のことを本物だと信じてくれているから」

 

 自分でも半信半疑どころか三信七疑といったところ。

 無邪気に期待され、求められた導きは到底手に負えるものでもない。

 それでも、と思う。

 

 

「信じてくれてる人がいるなら、本物でありたいとは思う」

 

 

 英雄願望なんて大層なものではない。

 身の丈に合わない大望は持ち合わせていないが、目の前で手を合わせる人の想いには出来れば応えたい。

 できる限りの支援はしたい。

 

 出会って間もない人間をそういった気にさせるのだから、桃香はやはり人たらしなのかもしれない。

 

 

 

 

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「公孫の勇者たちよ! 今こそ功名のときぞ! 各々存分に手柄を立てぃ!」

 

 高らかな声に顔を上げた。

 回想に沈んだ時間は存外長く、白蓮の演説は終わりへと差し掛かっている。

 趙雲と愛紗たちがやけに親しげに話し込んでいたところから、そこからどうも記憶があやふやだ。

 お互いの真名を預けあっていた彼女たちの笑顔まではおぼろげながら思い出せるが。

 趙雲の真名は、確か『星』といっただろうか。知っていても今の一刀には呼ぶことは許されないだろうが。

 真名は本人が認め、それを預けたものだけに呼ぶことを許された名だ。

 

「出陣だ!」

 

 己が剣を振るい陣頭を切る白蓮の背中は勇ましい。

 行軍が始まり、何千何万の兵が歩き出す。高速の移動手段が馬なこのご時勢、ほとんどが歩行をもって戦地へ目指す。

 それは一刀たちも、例外ではない。

 

「おにーちゃん、何ボーっとしてるのだ?」

「ご主人様、行こう!」

 

 一つの隊を率いた桃香たちが、無遠慮に手を振っている。

 一応、一刀の素性も隊の中で知れ渡っているが、さすがに光物でも見るような視線に座りが悪い。

 この乱世を泰平へ導く天の御使い。

 つくづく、身の丈に合わない大層な肩書きだ。

 

 

 

 

 今回の戦、劉備の軍は左翼全権が与えられていた。流れ者の処遇としては破格も破格。良く自軍の将から不満があがらなかったなと心配になるほどだった。

 もっとも、示し合わせたとおりに義勇のもとに募った民が多めに編成されているらしい。兵の連携を落とさぬためにもその方が良いと言いくるめたのだろう。実際、援護がしやすいように後衛はやや左翼よりに展開するとは、趙雲からの情報だ。

 『これから』を考えるのなら、こちらとしてもそのほうが都合がいい。

 正規兵には忠誠を誓った主君がいる。彼女が治める地で暮らす民がそうでないとはいえないが、正規兵と義勇兵ではより与しやすいのは義勇兵ということになる。

 先日の謁見でいったとおり、士気のムラっ気も利用しやすいだろう。

 というのが、素人目からの判断。見当違いとは思いたくないが、すべてがこううまくいくとも全く思っていない。

 描いた絵図に上手く嵌ればいいなぁという希望的観測程度の代物だ。

 そもそもが、こんな無責任なことを考えられること事態が、戦を知らないからこそなのだろうし。

 愛紗曰く、組織化されていない賊などに負けはしない。とはいうが、勝負は水物、という格言も後世にはしっかりと遺されている。

 

「……戦争かぁ」

 

 もっと威厳をもっていえればよかったが、呟いた言葉は間延びして情けないものになった。

 宿題を目の前に頭を抱えた小学生のようだ。

 左腰が不自然に重い。ちらりと見やると、無骨で無愛想な鉄塊がぶら下がっている。

 素材は青銅だろうか。地面へと伸びるそれは直刀、まごうことなき武器だった。

 護身用にと一応持たされたものの、邪魔臭いというのが一刀の正直な感想。かといって置いていくなどもっての外だが。

 刀の切れ味はわからないが、できれば試し切りもご遠慮願いたい。

 それはほぼ間違いなく、命にかかわる非常事態を意味しているから。

 

「どうかなさいましたか、ご主人様」

「……いや。こういうの初めてだからさ」

 

 振り返ると、5桁にも上る兵。何人になるかわからないが、彼ら全員が無事帰ってくることはかなわないだろう。

 途方もない人の犠牲の上で成り立つ。それが戦。

 

「今までの世界では、戦争とかとは無縁のものだったから」

「お兄ちゃんの世界には、戦争なかったのかー?」

「だったらよかったんだけどね。けど、俺の周りはそういうのとはあまり関係がなかったんだよね」

 

 諸所交々、問題がなかったというわけではないが、広義でいえば平和と呼べたのだろう。あの場所は。

 刃傷沙汰が起きれば、法の裁きが下る。そういった社会構造は出来上がっていた。

 今立っているこの場所には、そういった概念がない。下を見れば事に欠かないということを、その下の環境で理解する事になろうとは。

 

「ご主人様……怖い?」

 

 桃香の質問に、一刀は無意識の内に眉を寄せる。

 過去がどうであれ、今いる場所は間違いなく戦禍の中。

 死ぬのが怖くない、というほど悟りを開いている覚えもないし、不安に駆られているといえばそうなのだろうが。

 どうもしっくりこない。

 他人事で済まされないことも理解している。が、実感が追いついていないのもまた事実なのだ。

 

「怖い、とは少し違うかな。強いていえば、わからないんだと思う」

「わからない?」

 

 そうだ、わからないのだ。

 悲壮や哀愁を持ち合わせるほど、死について理解していない。

 両親も祖父も健在。父方の両親は生まれる前からこの世にいなかった。周囲で死に目を見たとすれば、幼少の折に祖母を看取ったときぐらい。それも清潔感漂う白の病室の中で。大往生だ。

 死は恐ろしいものだと、刷り込まれた又聞きの知識と薄型ビジョンの向こう側の戦場では、身を竦むような恐怖心にたどり着くには圧倒的に足りない。

 無知ゆえに、先が見えない不気味さがあるだけだ。

 

「目の前に中身の見えない箱を置かれて中に手を突っ込んでみろといわれたような、そんな感じ」

「そんな感じって……どんな感じ?」

「何が起こるかわからなくて、それが凄く不愉快な感じ」

 

 勝てるのだろうか、負けるのだろうか。

 生き残れるのだろうか、死ぬのだろうか、傷は負ってしまうのか。

 死ぬとしたらどんなものなのだろうか、首が刎ねとぶとしたら、臓腑に穴が開くとしたら、それは痛いのだろうか。

 全部わからない。だから不快。

 

「……なんだか良くわからないけど、大丈夫そうだね」

「たぶん大丈夫かな。要はやってみないと解決しないことだから」

「お優しいのは結構ですが、いざとなれば己が身を守る覚悟を」

「だいじょーぶだいじょーぶ。俺だって死にたくはないよ」

「そんなことになる前に、おにーちゃんは鈴々たちが守るから、安心するのだ!」

「期待してるよ」

 

 どうやら怖いとか、怖くないとか、それ以前の段階で躓いているみたいだ。

 この世界で、暴力と死の中で生きている人たちは、殆どがそういった理不尽な現象で大切な人を亡くしているのだろう。

 だからその対象を恐怖するのだ。きっと。

 そこが平和ボケした自分との差だと、一刀は思わずため息を吐いた。

 素直に恐怖すら出来ないとは、何たる不便。

 元の世界では情緒だって人並みにあったはずなのに、非現実的な体験のせいで、そのあたりの計器が軒並み壊れてしまったのかもしれない。

 

 

「全軍停止! これより我が軍は鶴翼の陣を敷く! 各員、粛々と移動せよ!」

 

 

 いよいよ全面衝突の時。

 前線へと駆ける伝令兵の眺めながら、これでも少しだけ心臓が締め付けられるような緊張が走った。

 

「いよいよですね」

「兵への指揮は愛紗、鈴々。任せたよ」

「合点なのだ!」

「御意。桃香様はご主人様とともに」

「うん、気をつけて」

 

 戦力外はさっさと後衛へ。

 何ができるわけでもないが、命を張る人々を残して後ろに退がるのは、なんともいえない罪悪感を感じる。

 適材適所。自分の価値はあくまで現状求心力であり、飾りだ。

 せめて堂々としていようと前を向いて歩き、兵の視線を掻い潜る。

 鮮血を賭する愛紗や鈴々、兵のために今後できることを。

 そのためにも、この戦場は見届けなければいけない。

 

 

「聞けぃ! 劉備隊の兵どもよ!」

 

 

 威勢のいい愛紗の声を聞きながら、一度だけ砂煙る地平を見つめた。

説明
 桃香がフィーリング中心な分、ウチの一刀は頭でっかち。
 用兵理論とかは一刀が言うように作者の創作による強引なこじつけです。広義的に平和な世の中で戦時中の理論なんてわかるわきゃない!

 某名作ホラーゲームを見ながら、猟銃を2丁背負って手には妖刀、弾薬と手榴弾を吊り下げ耳にヘッドホンでロックがかかっている一刀が無双しないか考えてみる。
 異界に巻き込まれた凡人が覚醒するシチュはおいしいよね。
 というか既にどこかに転生モノとしてありそうだ……

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コメント
ko-ji@GM様:オリジナル要素を詰め込めないのは偏に創作能力というか、三国志全体の知識が乏しい牙無しの圧倒的実力不足っっ! ただ原作を踏襲しながら彼なりの答えは見出していこうとは思います(牙無し)
あさぎ様:原作の一刀はもうちょっと素直な子なんですけどね。ウチの彼は異世界に放り込まれて、感情移入ができてないような感じです。その分頭で物事を噛み砕いていくしかない。感情的になりがちな蜀の保護者兼ご意見番+交渉人といったところです(牙無し)
yosi様:この頃の遠距離武器で銃の代わりといえば弩でしょうかね。諸葛亮は連発式の弩を既に開発していたという話もありますし、個人vs連隊ぐらいで戦わせると面白いかも。……まぁ高度な戦闘描写がなければ痛々しくなりそうですね(牙無し)
このドライな感じの性格は嫌いじゃないです。こういう性格をしている人が軍師に向いているのかなぁ、と思ってみたり。(あさぎ)
ここの一刀さんはクールだなあ。 異世界で銃で無双する展開は面白そう、ただ厨二色が濃くなるから上手く書かないとかなり痛いssになりそう。(yosi)
アーマイル様:おぉ、ふ……。こっちはナチュラルに勘違いです。竜と龍の差まであるのか中国大陸……いや、当然か。ご指摘ありがとうございます(牙無し)
子龍の龍が竜になってる。(アーマイル)
mokiti1976-2010様:オウフ……完璧なミスですね。ご指摘ありがとうございます(牙無し)
2Pの白蓮のセリフの中の「関羽や鈴々」って、そこは「関羽や張飛」では?鈴々とは真名を預けあったようには見えませんでしたが・・・・・・。(mokiti1976-2010)
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