マリア様がみてるSS おいも屋さん
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おいも屋さん

 

 

 3月。冬と春のちょうど境目、冷たい空気と暖かい太陽が混在する不思議な時期。

 薔薇の館の行事予定表にも卒業式や終業式などの予定が記され、それを見ると、ああ一年が終わるのだとしみじみ思う。

 今、薔薇の館には私、福沢祐巳とお姉さまの小笠原祥子さまの二人きり。

 お姉さまはいつものように文庫本に目を落としている。

 私はお姉さまの読書の邪魔をしないように、今日の現国の授業で出された宿題を片付けていた。

 会話がないので部屋はとても静か。

 姉妹になりたての頃は沈黙をよしとせず、なんとか会話をしようとお互いが気を使っていたけれど、今となってはこうやって二人で静かな時間を過ごすことにも幸せを感じるようになっていた。

 ページをめくる音と、シャーペンが走る音だけ。そんな静寂が包む部屋に、

 

い〜しや〜き、いも〜

 

 土足で踏み入るように独特のメロディが流れてきた。

 席を立って窓から外を覗くがおいも屋さんの姿は見えなかった。ただメロディだけが聞こえてくる。

 せっかくの雰囲気ぶち壊しだが、嫌な気はしない。なぜなら私はおいもが大好きだから。

 食べたいな、おいも。甘くてホクホクで。

 しかし、そんなおいも屋さんは冬の風物詩と言うだけあって冬季限定。冬が終わればおいも屋さんも見かけなくなる。

 あーあ、なんだか寂しいなぁ。

 そんな事を考えながら窓の外をぼんやりと見ていると、思わずため息がでてしまった。

「寂しくなるわね」

 不意に声をかけられてはっとすると、文庫本を読んでいたはずのお姉さまが私の方をじっと見ていた。

 寂しくなるとは一体、何のことだろうか。まさか私の心を読んで……?!

「あなたったら、すぐ顔に出るのね」

 お姉さまは苦笑しながら言った。

 ああ、またやってしまった百面相。恥ずかしくって穴があったら入りたい。

 おいも屋さんが居なくなるから落ち込んでいただなんて、お姉さまだから苦笑いで済んでいるけど、これがもし白薔薇さまだったりしたら大爆笑されていたことだろう。

「面目ありません」

 恥ずかしさのあまり顔を伏せると、お姉さまから意外な言葉が返ってきた。

「私だって寂しいわよ」

「えっ、お姉さまも」

「そりゃあそうよ。私はできるだけ顔に出さないようにしているけど」

 ちくり、と言うかぶすりであったが、意外だった。お姉さまがおいも屋さんのことを想っているなんて。

 そうか、最近お姉さまの元気がない理由はこれだったのか。このところ静かと言うか、落ち込んでいると言うか、そんな感じがしていたから。お姉さまとて例外ではない。やはり乙女はみんな、おいもに目がないのだ。

「私はもちろん、祐巳も短い間だったけど、随分面倒をみて頂いて……」

 窓の外、石焼きイモ屋さんの居るほうを見るようにして呟くお姉さまは本当に寂しそうだった。

 私はそれを見て切ない気持ちになって、お姉さまをなぐさめるように優しく声をかけた。

「最後にもう一度食べておきたいですね」

「は?」

 目を点のようにして聞き返すお姉さま。

 あ、あれ?何か間違ったかな?別に食べたくはないってことかな?

 何と返そうか考えあぐねていると、たん、たんと階段を昇る足音が部屋に響いた。

 程なくして扉が開くと、現れたのは紅薔薇さまこと水野蓉子さまだった。

「ごきげんようお姉さま」

「ごきげんよう紅薔薇さま」

「ごきげんよう二人とも」

 お姉さまは紅薔薇さまのお姿を見るや一転して表情が明るくなり、席を立って紅薔薇さまのいつもの席の椅子を引いた。

「ありがとう」

 柔らかく微笑んで座る紅薔薇さまは、いつものように完璧で、所作の一つ一つが美しい。

 おっと、見惚れてぼんやりしていてはいけない。

「お茶を入れますね」

 と、流しに向かおうとしたのだが、お姉さまに「待って」と呼び止められた。

「今日は私が。祐巳は座っていて」

 そう言って流しに向かうお姉さま。

「なんだか特別ね」

 紅薔薇さまは嬉しそうに言った。

 お姉さまは丁寧にティーポットを温めてから、紅茶の茶葉を入れて、お湯を注ぎ、蒸らして、紅薔薇さまお 気に入りのティーカップへ紅茶を注ぐ。部屋に華やかな紅茶の香りが広がった。

「どうぞ」

 紅薔薇さまは、差し出された紅茶の香りを深く吸ってから一口。

「美味しいわ」

 満足そうに笑みを浮かべた。

 私もお姉さまが淹れてくれた稀有な紅茶を一口。おいしい。せっかくだから大事に味わって飲まないと。

 それにしてもお茶請けにおいもがあれば、なお素晴らしいのにな。

「そういえば、お姉さまお聞きになって」

 お姉さまがくすくすと笑いながら話を切り出した。

「祐巳ったら先ほどまで、ため息をついて窓の外を見ながら寂しいって落ち込んでいましたのよ」

「お、お姉さま!」

 ああなんてこと、おいものことを考えていたらまたもやこの話になってしまった。

「ね、祐巳」

「あら、そうなの祐巳ちゃん?」

 紅薔薇さまとお姉さまは私の慌てるさまを見てころころと笑った。

「お、お姉さまこそ寂しいとおっしゃっていたじゃありませんか」

「ゆ、祐巳ったら」

 負けじと言い返すとお姉さまも顔を赤くした。それを見た紅薔薇さまは、あっはっは、と声高く笑った。

 そうしてひとしきり笑った後、一拍おいて紅薔薇さまが呟く。

「そうね、もうすぐね」

「はい」

 一瞬の沈黙。そして、

「……春なんて来なければいいのに」

 そう言ったお姉さまの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

「やだ祥子、なに泣いているのよ」

 紅薔薇さまは驚いてあたふたとした。

 私も驚いた。普段気丈なお姉さまが……。

 春が来て、おいも屋さんが居なくなるというだけでお姉さまは……。

 いや、お姉さまも大好きなのだ。おいもが。

 おいもが食べられなくなるだけでこんなに悲しいなんて思ってもみなかった。

 お姉さまの涙を見ていると、私も同じように悲しい気持ちになって、ついには涙が出てきてしまった。

「祐巳ちゃんまでどうしちゃったのよ」

 そう言う紅薔薇さまの目も真っ赤だった。そうだ。紅薔薇ファミリーはみんなおいもが大好きなのだ。

「ひっく……私も……ひっく……おいも大好きです……!」

「……えっ?」

「おいも?」

 その時、ばたんと荒っぽく部屋のドアが開いた。現れたのはなんと白薔薇さまだった。

「表で焼きイモ売ってたから買ってきたよー……ってどうしたの?」

 勢い良く入ってきた白薔薇さまだが、部屋の中の異様な雰囲気に驚いて目を丸くした。

「なんでもありません」

 お姉さまはそう言って泣いているのがバレないようにそっぽを向いたが、勘の鋭い白薔薇さまは、ははあと何かを心得たようだった。

「祐巳ちゃん、どうしたのかな〜?」

 白薔薇さまが私に照準を切り替えて、邪悪な笑みを浮かべて迫ってくる。

「え、えっと」

 どうしよう、正直においも屋さんが居なくなるから泣いていたなんて言ったら大爆笑されしまう。それだけは避けないと。

 ……ここは嘘をついてごまかすしかない。白薔薇さまでも納得するような上手な嘘を何か……はっ!

 私はとっさにひらめいた嘘を、バレないように、できるだけ堂々と、白薔薇さまを正面から見据えて言った。

「正直に言います。紅薔薇さまのご卒業が悲しくてみんなで泣いていました」

 

 

おしまい。

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