オヤマサマ
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 朝起きると、おじいちゃんが地面に頭だけ出して庭に埋まっていた。今年で80になる祖父は、冬の寒空の下に顔だけさらされて、少なくなった頭髪に霜が降っていた。庭に下りると霜柱がしゃくしゃく壊れる。

「……なにやってるの? おじいちゃん」

 しかしおじいちゃんは応えない。ただ、優しく微笑むだけ。わけが判らず立ち尽くしているとお母さんに呼ばれて、後ろ髪惹かれつつ郵便受けから新聞を取って家のなかに戻った。

「ねえ、お母さん。おじいちゃんが埋まってたんだけど」

「あー、あれね。なんかこの村の風習らしいわよ。ね、あなた」

 のったりとコーヒーを飲んでいた父は無言で頷いた。一年前に父は脱サラして、田舎に帰ってきた。わたしとお母さんはその勝手な行動に、最初こそ憤慨したものの、いざ引っ越してみると田舎のゆったりした空気がとても合っていて、それに、大好きなおじいちゃんとおばあちゃんとも毎日会えるので、いまでは殆ど不満はない。唯一あるとすれば、近くに買い物が出来るお店がないことだけだったが、三日前に自転車で十分くらいのところにコンビニが開店したので不満はなくなってしまった。

 とてもいい田舎暮らしだと思っていたのに、あんな風習があるなんて。

「他のうちでもやってるの?」

 わたしが訊ねると父はなんでもないことのように頷いた。「ああ、どこもやってることだ。ちょうど八十八歳になったら、みんな埋められるんだ」

「埋めてなにかあるの?」

「四日後に生まれ変わるんだ」

「生まれ変わる?」

「年を取ると子供に帰っていくっていう話を聞いたことないか?」

「んー、なんかテレビでやってるの見たことあるかも」

「そういうものの一種だと思えばいい」

「でも地面に埋めるのって」

「それなことより、早くごはん食べないと学校に遅れるわよ」

 お母さんに急かされて、わたしはしぶしぶ朝食に手をつけた。なんだか納得いかなかったけれど、ここでこれが普通っていうのならそうなんだろう。

 学校へ行く前におじいちゃんに「行ってきます」といってから、家を出た。おじいちゃんはしわがれた声で「気をつけるんだぞ」といってくれた。

 やっぱりこのままほうっておくのに抵抗があったけれど、バスの時間が迫っていたので、罪悪感を感じながらもわたしは家を出た。

 バス停には同じ制服を来た学生が数人、バスの到着を待っていた。そのなかの一人がわたしに気付いて手を振ってこちらへかけてきた。

「小夜、おはよう」わたしはいった。

「あんたは相変わらずぎりぎりに来るわねぇ」

 時代錯誤なおかっぱ頭の彼女は山上小夜。こっちに来て出来たはじめての友達だ。見た目は日本人形みたいだけど、とても活発なおんなのこだ。

「そうだ。小夜、なんか今日うちのおじいちゃんが庭に埋まってたんだけど」

「え? 亜希のおじいちゃんてもうそんな歳だっけ? そっか。おめでとー」

「おめでとうなの?」

「そうだよ。まあなんていうのかな、この地方独特の米寿のお祝いって感じかな。てきとーだけど」

「そういうものなの?」

「そう」

 もう少し詳しくこの行事のことについて話を聞こうと思ったらバスが来たので、話は一旦中断した。がらがらのバスの座席に並んで座った。バスのなかは暖房が効いていて、コートを着たままだと少し熱い。

「三日目の夜は外に出れないなぁ」急に小夜はそんなことを呟いた。

「三日目? なんで?」

「え? 知らないの? いままでもあったでしょ?」

 そういわれれば、これまで何度か夜外出してはいけない日というものがあった。けれど、わたしはどうして外に出てはいけないのかということまでは判っていなかった。ただ、そういうわれているから、その通りにしていただけだ。

「あれはね、神様が山から降りて来るからなんだよ」

「神様が降りてくるって、どういうこと。そいう伝承?」

「伝承っていうのは違うかな。実際に降りてくるの。そしたら、庭先に埋まっているお年寄りに一晩依り付いて、悪いものを持ち去ってくれるの。夜が明ければびっくり、埋まっているお年よりはみんな元気になっちゃうの」

「へぇ。でもそれが外出しちゃ駄目っていうのとどう関係あるの?」

「神様はね、見られると障るんだよ。とっても神聖なことだから、見たらバチがあたるっていうのかな。まあそんなところ。だから絶対に外に出ちゃ駄目よ」

「もし外に出て、見ちゃったら?」

 わたしがその質問をした瞬間、彼女の目つきが変わった。それになんだか周りから視線を感じる。はっとしてバスのなかを見渡すと、すべての視線がわたしに集中していた。

 ねっとりと黒く淀んだ空気がへばりつき、急にここがわたしの知らない場所のように思えて怖かった。

「それは、判らない」

 小夜は低い声で言った。

「誰もそんな罰当たりなことはしないから」

「あ、あはは。そうだよね」なんとかこの雰囲気を吹き飛ばそうと、わたしは努めて明るくいった。

「判ってくれればいいの」

 小夜は嬉しそうに笑った。

 気がつけば先ほどのことが嘘のように、のどかな朝に戻っていた。それが余計に不気味で、いいしれぬ不安が胸を騒がせた。

 それでも、やっぱり夜出歩いたものがどうなるのか、気になって仕方がなかった。かといって誰かに尋ねれば、またあんな思いをしなければならない。それだけは絶対に嫌だった。それならばどうすればいいか。

 そんなことを考えているうちにすべての授業は終わっていた。放課後、一緒に帰ろうという小夜の誘いを断って、わたしは図書館に向かった。この地方の米寿のお祝いについて少し調べてみようと思ったからだ。

 しかしなかなか目当ての情報は手に入らなかった。一応郷土史は見つけたが、そこには大したことは記されていなかった。由来もよく判っていないらしく、まったく役に立たない。他にそれらしい資料を探してみたが、めぼしいものはなかった。

 気がつくと下校の時間が近づいていた。こんなに長く図書館にいたのは初めてだ。諦めて帰ろうとしたわたしを引き止める声がした。

 振り返るとそこに、小夜がいた。

 そんなはずはない。わたしは目を疑った。小夜は、先に帰ったはずだ。

 小夜は、無機質な視線でこちらをじっと見詰めている。窓から差し込む西日が、その面差しを不気味に彩る。

 そして、彼女はなにかを呟きながらゆっくりとこちらに近づいてくる。

 怖くて、とっさに逃げ出そうとしたけれど足がすくんで動かない。

 普段見慣れた顔なのに、よく知っている子なのに。いまの小夜は別人のようで、怖い。

 気がつくと薄暗い図書館で、お互いの顔がよく見えるほどにまで接近していた。

 もう駄目だ。そう思ったとき、わたしはあることに気がついた。小夜の左の目の下に、泣き黒子があった。彼女は確か泣き黒子なんてなかったはず。

「怖がらないで」

 急に耳元で声がした。あまりに突然で、悲鳴を上げることすら出来なかった。

 はっとして振り向くと、彼女の顔がすぐそこにあった。

「……紗耶?」

 わたしの問いかけに、彼女はゆっくりと頷いた。「そう」

 急に気が抜けて、へなへなと床にへたり込んだ。

「脅かさないでよ」

「ごめんなさい」

 彼女は山上紗耶。小夜の双子の妹だ。容姿は、泣き黒子以外全部小夜と見分けがつかないくらいに一緒だ。だから一瞬見分けがつかなかったんだ。彼女は快活な姉とは違って、普段は無口で物静かで、おしとやかなお嬢様タイプの女の子だ。いや、実際山上家はこの地方の名士で相当のお金持ちだから、小夜も紗耶も本当のお嬢様だ。

「どうしてこんなところに?」

 彼女は、静かな物腰とは裏腹に空手部のエースだったりする。熱心な部活で、今日も放課後の練習があったはずなのだけれど。

「亜希ちゃんのおじいちゃんが、オヤマサマを迎えるって聞いたから」

 ――オヤマサマ。それがあの珍妙な行事の名前らしい。役に立たなかった郷土史に、唯一記載されていた信用できる情報だ。

「うん。けど、それがどうかしたの?」

「亜希ちゃんは、外から来た人」

「そうだけど」

「それに好奇心も旺盛」

「なにがいいたいの?」

 じっとわたしの目を見て、彼女は応えた。

「あなたはきっと調べたがると思って」

 彼女の目には不思議な力がある。黒く済んだ深遠な瞳に見つめられると、心のおくまで見透かされているかのような気分になる。

 目を反らしながらわたしは頷いた。

「明日。積み石のところに来て。時間は午前九時」

 そういうと、彼女は立ち去ろうとする。「待って」と追いすがる手をするりと掻い潜って、振り返ったときにはもうその姿はなかった。

「……積み石」

 村の中にそう呼ばれている場所は一箇所しか覚えはない。村の外れの四辻の端に、まるで賽の河原のように石が積み上げられている。林のすぐそばで、昼間でも薄暗くてなにか良くないものが出そうなほどに不気味な場所だ。田舎暮らしは気に入ったけれど、その場所と御山だけは苦手な場所だった。

 無視をするのも気が引ける。最後まで迷ったけれど、わたしは結局行くことにした。山のふもとの日の出は極端に遅い。特に冬場は、九時を回ってもまだ日があたらない場所もあるくらいだ。遠くから見た積み石の周囲は、完全に影に飲まれていた。携帯で時間を確認すると、約束の時間を一分ほど過ぎていた。かなり近づいて、ようやく紗耶が待っている姿が見えた。わたしは小走りになって、そこまで駆けていった。

「ごめん。ちょっと遅れちゃった」

「これくらい。誤差の範囲」

 表情を変えずに彼女はいった。特に怒っている様子はない。

 ほっとしていると「ついてきて」といって、すたすたと歩き出してしまった。あわてて彼女の後ろについていく。

 どこにいくのか尋ねてみても「秘密」と答えるだけで、教えてくれない。そうこうしているうちによく見知った光景が見えてきた。いつも、小夜の家に遊びに行くときに通る路だ。まさかと思って紗耶を見ると、彼女はこちらの視線に答えるように頷いた。

 しばらく坂を上るとすると山上邸が見えてきた。周りを白い土塀に囲われた大きなお屋敷。正面には立派な門もあって、まるで映画のなかの旧家のお屋敷そのもので、なかは広々としていて枯山水があったりして風情のある佇まいをしている。

 門の前まで来たけれど、そこからなかに入らず、右折してずっと塀沿いに行って、森のなかに入って屋敷の右側に回り込んだ。

「ねえ、どこいくの?」不安になってわたしは訊いた。

「もう少しだから」そう答える紗耶は一糸乱れぬ歩調ででこぼこの山道を進んでいく。流石毎日鍛えているだけのことはあるなぁ、と感心していると彼女は立ち止まった。

「ここ」

 壁の一部を指差した。

 ただの壁じゃないのか? そう思ってよく見てみると小さな取っ手がついていた。壁と同じ白い色に塗られていて判らなかった。

 紗耶は取っ手に手をかけると、壁を押した。すると小さな軋みを上げて、向こう側に開いた。

「隠し扉」

 振り返った彼女は少し自慢げにわたしを見た。その仕草が子犬みたいにかわいくて、ここまで来た疲れが一気に吹き飛んだ。

 屋敷の敷地内に入ったわたしたちは、何故か物陰に隠れながら母屋に向かった。

「なんでこんなにこそこそと――」

「静かに」

 人差し指を口にあてて、もう片方の手でわたしの口を塞いだ。わたしは目を丸くして頷いた。それから渡り廊下を指差した。ちょうど、使用人さんが慌しく通るところだった。使用人さんが通り過ぎると、姿勢を低くしたまま小走りで一気に母屋の軒下まで行き、床下に潜り込んだ。もうなにがなんだか判らず紗耶の後姿だけ追いかけていたら、急に紗耶がいなくなった。パニックになりかけたところで、「上」と頭上から声がした。声のしたほうを見ると、床が開いていて、そこから紗耶が手を伸ばしていた。「掴まって」

 紗耶に引っ張り上げられて、ようやくわたしは屋敷のなかに入った。薄暗くて、なんだかかび臭い。

「なんでこんな忍者みたいなことしなきゃいけないのよ」

 色々訊ねたいことはあったけど、とにかくその不満をぶつけずには居れなかった。

「こうしないと入れないから」

 さらりとわたしの言葉をかわして、彼女はコートのポケットからライタを取り出し、蝋燭に火を燈した。オレンジ色の光が闇を散らしていく。

「…………なに、ここ」

 目の当たりになった光景にわたしは息を飲んだ。人が動ける最低限のスペースだけを残して所狭しと並べられた、ぎっしろと本の詰まった書架。

「座敷牢」

 呟くような声で紗耶はいった。

 わたしは耳を疑った。

「座敷牢?」

 紗耶は頷いた。「いまはなかったことにされている」

「でも、何回も来たことあるけど座敷牢の入り口なんて見たことないよ」

「壁の中に隠されているの」

 なるほど、と思った。だからあんな回りくどい方法でここまでやってきたのか。でもまだ解決していない謎も或る。

「どうしてこそこそしなきゃならなかったのよ」

「亜希ちゃんは知りたいんでしょ?」

 ――オヤマサマのことを。無機質なのに、どこか力の篭った声で彼女はいった。わたしは圧倒されて、すぐに答えることは出来なかった。しばらく間があってから、やっと頷くことが出来た。

「ここに、オヤマサマのことが判る資料が置いてある」こちらを見つめたまま紗耶はいった。「でも、隠されている」

 それで何をいわんとしているかようやく理解した。知ってはいけないことを、知ろうとしているんだわたしは。

「けど、どうして」

「友達……だから」

 恥ずかしそうに目を伏せながら彼女はいった。

「そっか。ありがと、紗耶」

 そういってわたしは紗耶の頭を撫でた。紗耶は俯いたまま耳まで真っ赤になって「どういたしまして」と小さな声でいった。

 それから俯いたまま書架から数冊の本を持って、近くにあった机の上に置いた。

「ここに色々書いてあるから」

 適当に一冊手にとって、ページを捲っていく。

「げ」

 蚯蚓がのたくり回ったような字で書かれていた。まずい。これ、読めない。紗耶に助けを求めると、彼女は「やっぱり」といって小さく笑った。

「こんなの読めるひとなんて殆どいないよぉ」

「わたし、読めるよ」

「え? ほんと?」

 顎を引いてリスみたいに頷く。

「このページにはね、『鬼が山から下りてきて悪さをした』っていうような内容のことが書いてあるの」

「鬼が?」

「ここの、ちょうど裏山。この地域では御山って呼ばれているけど、ここには鬼が住んでいるっていう伝承があるの。もともと鬼っていうのは山の神様の別の姿って言う考え方もあるからそれほどおかしなことではないの。それに御山は丑寅の方角にあって、鬼って牛みたいな角が生えていて、虎柄の布を腰を巻いているでしょう? そういうのにも――って、ご、ごめんなさい」

「紗耶って、そういうの好きなの?」

 わたしが訊ねると紗耶は俯きながら「……うん」と答えた。

「そうなんだ」わたしは感心していった。「それで、それがオヤマサマと関係あるんでしょ?」

「えっと、」

「どうしたの?」

「気持ち悪がったりしなの?」

「え? なんで?」

 そう答えると、彼女はきょとんとした顔でこちらを見て、それから安心したような笑みを浮かべた。

「亜希ちゃんって変わった子」

「紗耶も大概だと思うけど」

「じゃあ、似たもの同士」

 わたしたちは顔を見合わせて、それから声を殺して笑い転げた。こんなに笑ったのは久しぶりだ。なんだか小夜といるときよりも楽しい。

「それじゃあ、話を続けるね」

 ひとしきり笑った後に、ページを捲りながら紗耶がいった。

「さっき、鬼が悪さをしたっていったでしょ。その悪さっていうのが老人をさらうっていうものだったの」

「老人をさらう?」

「山に連れて帰って食べちゃう。ってここには書いてある」

「ひどい」

「うん。ひどい話。けど、ここからオヤマサマが始まったともいわれているの」そういって今度は別の資料に手を伸ばした。「鬼に連れ去られないために、老人を地面に埋めて結界で囲って守ったという伝説があって、そこから始まっているんじゃないか。っていうのが表向きの話」

「どういうこと?」

「さっきの鬼の話だけど。別の資料によるとね、この地方には昔、姥捨伝説みたいな風習があったっていわれているの。姥捨伝説、知ってる?」

「……聞いたことはある、かな」年老いた親を山奥に捨てに行く話かなにかだったはずだ。「って、まさか」

「うん。もしかしたら、自分の親を捨てに行くその子供を鬼と表現していたのかもしれないってこと。口減らしで自分の子供を殺す母親が鬼の姿で描かれた絵馬が残っているくらいだし、そんな風に例えられていても、おかしなことじゃない。現代でも非人道的な行いをする人間を鬼って揶揄したりもするし」

「でも、じゃあオヤマサマってなんなの?」

「擬似的な姥捨、ってわたしは解釈してる。四日間地面に埋めるでしょ? 四っていう数字は、シと読めてつまり死に繋がる。だから四日間埋めることで擬似的に殺してしまうというわけ」

「でも、それじゃあ山の神様は? 埋めている間に悪い物を持ち去ってくれるってきいたんだけど」

「そこなの」そういって紗耶は腕組をした。「実際に、四日目を迎えた老人は、みんなまるで別人のように元気になってしまうの。持病が治っていたり、末期のガンが治ったっていう事例まであるの」

「それって、すごくない?」

「とっても不思議。これだけは本当に意味が判らない」

 そこで話は止まってしまった。埃っぽい沈黙が降りて来る。静かになると途端に、周囲から威圧感のようなものを感じて、あのことを訊ねてみた。

「ねえ紗耶。オヤマサマの、三日目の夜に外を出歩いちゃ駄目っていうのあるじゃない。あれって破ったらどうなるの?」

「ああそれは……」

 少し躊躇った様子を見せて、それから意を決したように口を開いた。

「積み石の数が増えるの。そして、破ったものはいなくなる」

「いなくなるって、それどういう意味?」

「そのまんまの意味。夜が明けると、忽然と消え去ってしまうの。神隠しみたいに」

「実際に、そんなことってあったの?」

 静かに紗耶は頷いた。「三年前にひとりいなくなった」

「……三年前って」

 結構最近のことじゃないか。わたしが引っ越してくるたった二年も前にそんなことが起こっていたなんて。

「でもなんで、いなくなったら石が増えるの?」心のなかの動揺を隠しながらわたしは尋ねた。

「賽の河原って知ってる?」

「うん」

「あそこで子供が積み上げているのは供養塔なの。それと似たようなものなんじゃないかとわたしは思ってる。あれはいなくなったひとを弔うためのもの。ただ、誰がいつ石を積み上げているのかは誰も知らないの。三年前も気がつくと石がひとつ増えていた」

「結局いなくなったひとは見つかったの?」

 紗耶は首を横に振った。「いまもまだ」

 

 帰りは来た道をそのまま辿って、積み石のところまで戻ってきた。紗耶の話を聞いてから、この場所にくるとなんだかとても恐ろしいところのように思えてくる。

「そういえば」ぼんやりと積み石に視線を投げながら紗耶はいった。「辻って、なにかに行き会い易い場所なんだって」

「そうなの?」

「うん。ある種の境界っていうのか、不思議な場所」

「へ、へぇ」

 余計に怖くなってきた。

「それじゃあ今日はありがと」

「どういてしまして」紗耶ははにかみながらいった。「あ、そうだ。亜希ちゃん。絶対に明日の夜は外に出ちゃ駄目だよ。絶対に」

「うん。もちろん出るわけないよ。あんな話聞かされたら、なんだか怖くて関係ない日でも夜出歩けそうにない」

「ならいいの」ふふ、と意地悪な笑みを浮かべた。

 紗耶と別れたわたしは真っ直ぐに家に帰った。庭ではおじいちゃんが、昼過ぎののんびりした日差しを受けてぽかぽかしていた。埋まったままだけれど、飲み物も飲んでいて食事も少しだけ取っているのでまだ元気みたいだ。それに、土のなかにいると結構暖かいらしい。

 今日は二日目。問題の日は明日だ。夜布団のなかに入ったわたしは、なかなか寝付くことが出来なかった。目を閉じるといろんな小さな物音が気になって、それがまるで見えないなにかが近づいてきているような、部屋のなかでわたしの姿をじっと誰かが見ているような、そんな風に思えてきて怖くて目を瞑っていられなかった。かといって目を開いたときにそこにいたらどうしようと思うとうかつに目を開けることも出来ずに、布団の奥でずっと蹲ったまま夜は更けていった。

 結局ほとんど寝ないまま朝になってしまった。幸い今日は日曜日なので、一日中眠そうにしていたって不都合はない。

 いつもの日曜日のようにだらだらと過した。朝からリビングのソファに陣取り、テレビを見たり、部屋でごろごろしたり。そうこうしているうちに眠たくなってきて、こっくりこっくり舟をこいでいて、気がつくと日が暮れていた。どうやら少し長めの昼寝をしていまっていたらしい。おかあさんが呼んでいる。

 夕飯の食卓は、少しいつもと空気が違っていた。今日が三日目の夜だからなのだろう。どこかそわそわした空気が漂っている。庭が見える窓にはカーテンが引かれていて、外が見えない。

 いつもより口数の少ない夕食を終えて、お風呂に入って、部屋でごろごろとして時間を消費した。それから眠ろうとして布団にはいったけれど、相変わらず寝付けなかった。昨日みたいに物とが気になる上に、昼寝で寝すぎたせいか、まったく眠たくなかった。それでも眠ろうと目を瞑ってじっとしていると、昨日以上に音が気になる。それに在るはずのない視線まで感じるようになってきて、余計に怖くて眠れなくなってくる。そんな悪循環に陥っていると、ふといままでとは違う音に気がついた。

 ざっ、ざっ、ざっ、と土を掘るような音だ。それになにか話し声のようなものも聞こえる。どこから聞こえるのか。体を起こして音の発生源を探った。そして、外から聞こえているのだと気がついた。

 見てはいけない。そういわれていても、気になる。それに外に出なければどうということはないだろう。そう思ってわたしはカーテンの隙間から外を見た。わたしの部屋は二階にあって、すぐ真下に庭を見下ろせる。恐る恐る視線を庭の方に向けると、そこに信じられない光景が広がっていた。

 二体の黒い人の形をしたものがいた。奇妙な形をしていた。胴体が異様に長くて、それにあわせるように腕もありえないくらいに長い。それに比例して足は短くて、頭は小さい。とても不恰好なその怪物は、必死に庭を掘っていた。傍らには長細くて白い袋が置いてある。

 なんなんだあれは。そう思っていると黒い化け物たちは、庭からおじいちゃんをひっぱりだした。そして代わりに袋から出したなにかを生めた。それは――。

「うそ、なにあれ」

 おじいちゃんだった。

 どういうこと? おじいちゃんが二人? 混乱する頭にふと、座敷牢で紗耶と話したことを思い出した。

 ――四日目を迎えた老人は、みんなまるで別人のように元気になってしまうの。

 別人のようにじゃない。別人なんだ。じゃあ、でも、おじいちゃんはどうなるの? じっと怪物たちを観察していると、引き抜いたおじいちゃんを、偽者のおじいちゃんを入れていた袋にしまって、のそのそと立ち去っていく。

 わたしは――、おじいちゃんのことが気になって、気がつくと服を着替え玄関のところまで来ていた。靴を履いて、扉に手をかけたところで一瞬躊躇った。掟を破ったものはいなくなる。けどこのままだとおじいちゃんが連れて行かれてしまう。そんなの嫌だ。

 一度深呼吸をして、それから音を立てないようにそっと玄関の引き戸を開いた。外は月光に照らされて、灯りがいらないほど明るかった。

 わたしはあの怪物たちを探した。黒い体は夜の闇によく溶け込んでいたけれど、背負っている袋は真っ白で、それが月光を反射してよく目立っていた。それを目印に、できるだけ距離を空けながら怪物たちを尾行した。

 怪物たちの歩みはのそのそしているようで以外に早く、早足でついていかないと距離を離されてしまうほどだ。

 夢中で追いかけているうちに、積み石のところまで来ていた。怪物たちは御山の入り口で、立ち止まっている。どうしたんだろう。近くの木陰にかくれて様子を窺う。なにかもめているようにも見えたが、しばらくすると何事もなかったように歩き出したので、すぐに後を追った。

 山のなかに入ると、怪物たちの歩みは少しだけ遅くなった。登山道から外れたところを登っているからだろう。見失わないように必死で追いかけた。

 しばらく登ったところで、怪物の姿が見えなくなった。見失った場所の近くにいってみると、大きな岩が重なりあっているところがあった。岩の隙間からなにか物音が聞こえる。どうやらこの隙間に入っていったらしい。

 ここにきて急に恐怖が戻ってきて、岩の隙間を覗くことを躊躇した。しかし、恐れる心とは裏腹に好奇心はどんどん膨らんでいく。本能の警告と知性の欲求の間に板ばさみになって、胸が早鐘を打つ。

 手が足が、震えているのに覗きたい欲求には耐えられなかった。そっと隙間を覗き込んだわたしは、思わず悲鳴を上げそうになった。

 岩の隙間の奥では、火が焚かれており、それを取り囲むようにさっきの怪物が十体ほど車座を組んでいた。なにかわたしの聞き取れない言語で騒いでいる。

 おじいちゃんはどこ。視線をめぐらせ、すぐに見つけた。あの袋からは出されて、大きな石の台の上に寝かされていた。

 いったいなにをやっているのだろう。その台のそばに、こちらに背を向けてしゃがんでなにか手元で作業している怪物がいる。しばらく様子を見ていると怪物が立ち上がった。その手には冗談みたいに大きな包丁があった。

 まさか。

 そう思った瞬間、無造作に包丁が振り下ろされた。ぽーんとまるい何かが飛んで、こちらの足元まで転がってきた。

 絶対に見てはいけない。そう判っているのに見てしまった。

「や――――」

 それは、おじいちゃんの頭だった。

「いやぁぁぁぁぁ!」

 限界だった。張り詰めた糸が切れた。恐怖の波が一気に襲ってきて、悲鳴を上げて、なりふりかまわず逃げ出した。

 背後で何かが追って来ているのが気配で判った。

 逃げなきゃ。捕まったらわたしもおじいちゃんみたいに殺される。

 必死で走った。ただ山から出たくて斜面を下っていく。しかし比較的平らなところに来たとたん、どっちへ向かっていいか判らなくなって、だから出鱈目に逃げ回った。ときおり後ろを振り返ると、あの怪物が追って来ているのが見えた。

 後ろを気にしながら走っていると、急に地面がなくなった。何が起こったのか理解する前に世界がぐるぐる回って固い地面に叩きつけられた。耳元で水が流れる音がする。立ち上がろうとすると地面が石ころだらけで、河原に滑り落ちたのだと判った。

 すぐに逃げ出そうとしたが、足が痛くて走れなかった。ジーンズの膝のところが破け、傷口からは大量の血が流れ出していた。

 走れなくてもなんとかして逃げなければならない。それにここは川。つまりこの流れにそっていけば村にたどり着ける。

 痛みで朦朧としながらわたしは進んだ。追いつかれる前に。わたしは絶対にいなくなったりしない。絶対に、わたしは帰るんだ。それから、この出来事を紗耶に話してあげよう。きっと驚くに違いない。

 いまから逃れるために未来に思いを馳せていたわたしの目の前に立ちはだかる人影があった。ゆっくりと近づいてくるそれは、人間の形をしていて、月に照らされた顔には見覚えがあった。

 ――紗耶。そう名前を呼ぼうとして泣き黒子がないことに気がついた。

「……小夜? よかった。助かった」

 これで助かる。そう安堵しかけたわたしは、しかし冷たく言い放った小夜の言葉に凍りついた。

「ごめんなさい」

「え? 小夜。なにいってるの?」

「あなたは掟を破ってしまったから」

 小夜の目には憐憫の色が浮かんでいた。わたしは何をいっているのか理解できなかった。

 背後で、派手な物音がした。振り返るとあの怪物が五体もいた。言葉に表せないような咆哮を上げながらじりじりと獲物を追い詰めるように近づいてくる。

「いや! 小夜! 逃げないと。ねえ!」

 しかし小夜は無反応なまま、わたしを見下ろしていた。

 嫌だ。死にたくない。

 わたしは死に物狂いで、小夜にすがり付こうとした。けれどわたしが伸ばした右手は彼女に届かず、強烈な力で後ろに引っ張られて絶望なほど離れてしまった。

 首の骨が折れそうなほど強い力で首根っこを掴まれて、わたしは悲鳴を上げることもままならぬままずるずると引きずられていく。

 小夜が遠ざかっていく。

「助けて! 小夜! やだ! 助けてよ小夜! わたし死にたくない! ねえ、小夜ぉ!」

 死にたくなくて、必死に助けを求めた。

 けど小夜は、顔を伏せて、わたしに背を向けた。

 その瞬間目の前が真っ暗になった。助けを求める声はしなびて、何も声が出なくなった。小夜の背中が見えなくなって、景色が山のなかに巻き戻されて、気がつくとあの石の台の上に寝かされていた。

 もう、反抗する気力なんてなかった。

 ただぼんやりと振り上げられた刃を見つめていた。

 そして――。

 

          ※※※

 

 河原にしゃがみ込みなにかを探す少女の姿があった。少女は石を探していた。これでもない、これでもないと拾っては投げ拾っては投げ。やがて目当ての石を見つけたのか、河原から引き上げると村の外れの四辻へと向かった。

 そして、積み石の前で少女は立ち止まった。先ほど拾ってきた石をじっと見詰めて、そっとてっぺんに置いた。

「……亜希ちゃんの馬鹿。あんなに駄目っていったのに」

 少女は目じりに浮かんだ涙を拭うと、馬鹿ともう一度いって、積み石の前から立ち去った。

 

説明
テスト投稿はこれで最後。なんかホラーのようなシュールな何かを書きたかったので書いた作品だった気がします。
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