雪解け |
最初、そこで先輩が寝ているという事が信じられなくて、私は目を疑った。
先輩の自宅から少しだけ離れた小さな公園のベンチ。
雪が降ったばかりで真っ白になったその公園で、ベンチに座って彼は眠っているのである。
私が探しにきた時にはすでにそんな状態になってたのだから、かなり時間が経っているはずだ。
頭の上に雪がつもっているし、雪が降っている時からここにいたのかもしれない。
「あの、美空先輩?」
近づいて声をかけてみる。
反応はなく、かわりといってはなんだけど、小さな寝息が彼の口元をほんのりと白くしていた。
「風邪ひきますよ、先輩。ねぇ、先輩?」
ベンチに寄りかかってうつむいている彼の顔を覗き込むと、この寒空だというのに心地よさそうに熟睡していた。
……ちょっとした出来心で、頬に手をそえてみるが、それでも反応はない。
だからというわけじゃないけど、間が差したというか、なんというか。
「薫さん」
名前で呼んじゃった。
いや、恥ずかしい、私!
さあ、先輩も高梨なんて呼ばないで、裕美と呼んでください!
「…………」
「…………」
――まあ、反応はないのだけれど。あっても困るんだけど。
そうしてじっと覗き込んでいても、いっこうに彼が起き出す気配もなく、むしろ間近でみた綺麗な顔にドキリとしてしまった。
なので仕切り直しと一端離れて、一息で動悸を沈めて隣に座った。
公園の時計によると、時刻は二時半。太陽も真上をすぎたところだろうけど、雲が多くて太陽は見えない。
やや白光00をもった雲がお日様のの位置をしめしてくれているんだけど、やはり雪解け前の公園は寒いとしかいいようがなかった。
視線を下ろして、先輩の身なりをまじまじと見る。
高校のブレザーの襟が首元から見えるから、もしかすると学校帰りかもしれない。部活でもやってたのかな。
隣で熟睡中の美空先輩は、黒い防寒コートにもこもこしたマフラー、皮っぽい手袋といった風貌で、寒さ対策は出来ているようにみえた。
それがあんまりあったかいものだから、逆に寝ちゃったのかもしれない。
うん、普通の人なら寝ない。美空先輩だからこんなところで寝れるんだ。普段から寝ぼすけで、休み時間に教室を覗いても七割くらいは机に突っ伏しているような人だし。
「せんぱーい、今日何日だか知ってますかー」
…………。
「12月24日、いぶですよ、いぶ!」
…………。
「ちなみに、私の誕生日でもありますっ」
…………。
「あー、本気で起きないよこの人……デートの約束したのはあなたでしょっ」
思いっきり頭をたたこうとしたけれど、直前、先輩の体がぴくりと動いたようにみえて、慌てて身だしなみを整えた。
「ん……」
お、起きた?
――と思ったけど、再び一定間隔でスーといった寝息が耳元にとどいてきて、ため息がでた。
一応、住宅街の中にある公園ではあるものの、もう少し先に大きくて新しい公園ができてしまったため、このちょっとした家の庭程度でしかない公園には人気がない。
なので、そこに雪なんてものが加わってしまえば、昼過ぎの住宅街ほど無音に近いものはないかもしれない。
だから、あんまりにも、先輩の寝息ばっかりが聞こえて。この世界には私と先輩だけしかいないんじゃないか、などと独りよがりな空想に思いを馳せた。
「静かですねぇ」
言ってから、返ってもこない返事を待つ。なんとなく、どこからともかく「そうだね」なんて声が聞こえた気がしたけれど、きっと頭の中のリフレインかなにかだ。
「先輩、これが初めての外出デートなんですけどー」
私が告白して先輩がOKしてくれてから半年にもなるが、実を言いますと私たちは一度もデートらしいデートをしていないんですよ、ええ。
元々身体の弱い私を先輩が老婆心全開で気遣って、自室でばっかりのインドアな二人の時間。ゲームに読書にゲームゲーム……先輩ゲームやりすぎです。そんな想いとか私の熱意がやっと通じたらしく、二人で遠出しようということになっていた、のだけれど。
「そろそろ起きましょうよー……」
全く反応がないのはいつものことではある。彼が起きるとするなら、満足がいくほど寝たか、これでもかというくらいに揺さぶった後くらいだ。そうしてゆったりと起きてきて、「……あれ、おはよう、高梨。どうしたの?」なんて気のぬけた返事をするのだ。
全く。
ほんとにもう、大好き。
いつもはぼけっとしてるだけなんだけど、私といるときはちゃんと私のことみててくれる。
時々、あんまりにも心配性なのが、逆に私を不安にさせることもあるけれど。それでも、そのやさしさが嬉しい。
でも、具体的にどこがどうだから好き、というのはない。ただ、気づいたら好きだった。先輩も好きになってくれた。
好きなんて気持ちは、雪解けのようなものである。今まで真っ白で全然見えなかったのに、溶かしてみたら、その中に隠れていた芽が息吹を放っている、そんな感じ。
誰かに聞かれたら(聞かれることなんてないかもしれないけど)、私ははっきりといえる。この人にあえてよかった。本当によかったと。
そんな嬉し恥ずかしい気持ちをよそに、眠り続ける先輩をみていると、なんだか私も眠くなってきてしまった。
というか、このままだと中止かなぁ。となるといくとしたら明日かもしれない。
とりあえず町にくりだして買い物! ウィンドウショッピングして、先輩が重いなんていいながら全部の荷物をもってもらって、私が遠慮する先輩から小さい小物の袋だけ奪い取って走り出す。
食事をしてから、電車で更に遠くへ。冬だけど、海にもいってみたい。きっと寒いだろうけど、二人でくっつけば絶対あったかい。
そうやって……
「ふわぁ……ねむくなってきましたよ、先輩」
二人で、ずっとずっと並んで、他愛もない話をして。ずっとずっとくっついていて、そして……。
――そう、そんなの、すでにできてるじゃないか。
先輩に寄り添うようにして、私もゆっくりと目を瞑った。
肌で感じることはできないけど、それでも、やっぱり、あったかいや。
「ねえ、先輩。いつまで寝てるんですか?」
「ん……?」
ふと気がつくと、肌を刺すような鋭い寒気が全身をおおった。それがあまりに寒かったもんだから、思わず身震いする。
「さむ……」
いまいち状況をつかめずにぼけっとしていると、それでも寒さというのは偉大なもので、強制的に僕の眠気を体温と共に奪い去っていく。
「あー……また寝ちゃったのか」
我ながら失笑ものだ。まさかこんな雪まみれの公園で眠ってしまうとは。
ズボンや肩、はては頭にもつもった雪をぱんぱんと取り払う。見上げてみれば、まさにクリスマスらしく、上空の暗雲からゆったりと雪が舞い降りてきていた。
――先輩!
「?」
なにか声がした気がして立ち上がる。すると、幻聴ではなかったようで、高梨が怒った様子で公園の入り口からこちらへと歩いてくるのが見えた。
「おはよう、高梨さん。どうしたの?」
その挨拶に目を丸くしたのは高梨だった。そして、すぐにそれがあきれた表情へとスライドされると共に、表情は苛立ちへと移り行く。
いつものことではあるが、そういう顔ばっかりしているとせっかくの美人も台無しだ。
「……どうしたのじゃないわよ、探してたに決まってるじゃないの」
どうにもずっと探していたようで、今更ながら全体的に疲れのようなものが垣間見えていた。
無理もない。
「まあ、見つからないようにここで時間潰してたんだけどね、いつの間にか寝ちゃってさ」
「はあ……そんな事だろうとは思ったけどね。でも、ばっくれたら一生かけて恨むわよ」
「――うん、わかってるよ。ちゃんと行くから、さ」
「当たり前でしょ」
そんな言葉でしめて高梨は歩き出す。
僕もそれに続いて歩き出してから、なんとなく、ベンチに振り返った。
そこになにか大切なものを忘れた気がして、ハッとしてベンチを見渡したけど、それでもそこには何もない。
そんな僕の背後から、先に歩き出していたはずの、高梨久美が隣にまで戻ってきて、公園いったいに響き渡るような声で。
「頼むから……ううん、お願いだから」
僕が立ち止まったことで、それが彼女に対する拒否のあらわれだと受け取ったのかもしれない。
だから。そんな、悲痛な声で僕にお願いをする彼女をみて。このまま逃げ出そうとしていた僕の足は、完全に止まってしまっていた。
「裕美の……妹の葬儀、ちゃんと出て、看取ってあげてね」
「…………うん、わかってるよ」
結局のところ、ようするに裕美はどうしようもないくらいに体が弱かった。
それは付き合ってきた中でさんざんわかっていたのだが、それでもまさかこうしていってしまうほどのものだなんて、誰が想像するだろうか。
走るとすぐ息切れするとか、そういう類の程度だと思っていたんだ。本人も、それくらいにしか僕に伝える気がなかったのかもしれない。
正直、体が弱いだの病気で死ぬだのなんて、僕ら一般人にとってはテレビの向こう、新聞の文字に見え隠れする遠い世界の情報でしかなかった。だというのに、それが今更ながら目の前にころがりでてきて。しかもその遠い世界の先に、裕美はすでにいってしまっている。
そして、そんな遠い世界には白い霧がかかっていて、未だにその先に裕美がいることを、僕は認識できていない。受け入れていない、認めたくないのだと思う。
だからこそ、葬儀なんて"よその話"は、どうしても気に入らなかった。
ただ無言のまま流れていくその時間の中で、僕が語れるようなものは一切なく。
そうして気づいてみれば、ほんの数時間で葬儀なんてものは終わってしまい。葬儀後の、宴会めいた食事会に参加する気もなく、すぐに高梨の家を後にした。
冬ともなればもう夕方らしい夕方などなく、四時過ぎの空は昼と夜の境目を表すように、薄く紫色を描いている。
息をゆっくり、長く、一定に。そうして吐き出せば、紫の空に白いもやがかかって、改めて今の寒さを身をもって体感できた。
防寒装備をしていても寒いと感じながら、どうしても自宅に戻る気も沸かずに、ただ無言で寒空の下をさまよう。
午後も曇りつづきだったせいで、地面の雪も解けることなく。ただただ地面の白いキャンバスは赤と青の絵の具で一面を染め上げられていた。
なんとなく、あの世という言葉を、紫色の住宅街、そのまっすぐ続く道路に名づけたくなる。
そうしてまっすぐ歩いていけば、ひょこっと裕美がでてきて、こんにちは先輩。なんて言うんじゃないか、と。
「こんにちは、先輩」
自分で裕美が言うであろう言葉を呟いてから、ゆったりと歩き出す。
振り返る。誰もいない。
それに一息をついて、前へと振り向く。誰もいない。
目を瞑って、再び開いても、誰もいない。
あんまりにも静かなこの空間に、自分の存在だけを感じて。この世界には僕だけしかいないんじゃないか、などと独りよがりな空想に思いを馳せる。
いや、空想ではなかった。
――裕美。
そう、空想ではない。
ここには、誰もいない。裕美は、いないのだ。
それだけがわかった時、どうしようもないくらいに、僕は裕美を求めたくなった。
目線を足元に向ければ、雫が雪の上にぽつりと落ちて、少量の雪だけを溶かして紫の世界へと溶け込んでいった。
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雪の頃、公園にてキミに出会う | ||
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