花火と微笑みと
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 夏の夜空に咲く花は、どうしてこんなに儚いモノなのか。

 姉はそれを人の夢が詰め込まれて、散ってゆくからだと云っていた。人の夢だから儚い。なるほど、まるで駄洒落のようで使い古された表現。しかしながら、それは僕の心に、何故か深く染み渡った。

「綺麗ね」

 屋根の上に登って、僕と姉は遠い花火を見ていた。あまり関心がないから何処の主催のお祭りかは忘れてしまったけれど、毎年この場所から見る花火を僕は楽しみにしていた。

 花開いてから、ワンテンポずれて響く轟音。

近くでは決して見ることの出来ないその全貌を眺めながら僕は、ちら、と姉の横顔を見た。ゆっくりと団扇で仰ぎながら、時折なにかを云いたそうに口を少しだけ開けては、また閉じる。いつもどこか翳のある姉の表情は、遠く花火から届く光によって、数瞬だけ、鮮やかな色に彩られ、侘しげなものによりいっそう染められていた。

僕は思う。花火なんかより姉のほうがもっと儚い、と。浴衣の袖から覗く腕は細く華奢で、触れば壊れてしまいそうな年代物の陶磁器のように繊細。ほっそりとしたうなじも同じだ。――守らなければ、と云う無責任な責任感さえ抱いてしまう。

「――あ」姉が小さく声を上げる。それにつられて僕も空を見た。

 大きな。

まるで夜空から舞い降りる天使の羽根の様な、神々しくも物悲しい光が地上に向かって降り注ぎ、途中で燃え尽きる。

「綺麗ね」

 さきほどから姉はそうとしか云っていないような気がする。

「だね」僕は答える。「――あのさ」

「なあに?」こちらを見ずに、空を見上げたまま姉は答える。

「姉ちゃんてさ、カレシとかいんの?」

「いたらね、こんな所で花火なんて見てないわよ」

 なるほど。確かにそうだった。今まで生きてきた中で姉にカレシが居るなんてことは聞いたことがない。単に鈍感なのか、それとも意図的にそうしているのか判らないけれど。 ――けれど、姉は贔屓目を抜きにしても、とても美人だと思う。

花火とうとう佳境に入り、だんだんと打ち上げられる花火の派手さが増してきた。まるで中距離走のラストスパートのように花火が打ち上げられる。耳を劈くような轟音が夜空に響き渡る。遠くで犬が鳴いている。空はまるで昼のように明るくなって、煙で白く濁りながら、色とりどりの花を咲かせている。僕はまるで魔に魅入られたかのように、繚乱し、散り行く花弁を眺め続けた。

――急に、静かになった。世界が途絶えたかと思った。

――いつの間にか、花火は終わっていた。少しだけ、辺りの空気が火薬臭かった。

「終わったね」

 異様な静寂の中で、姉の声だけがこの世界で唯一存在を許された声だ、そう思った。

 気がつけば、姉の顔がすぐ近くにあった。吐息と吐息が触れ合うような、そんな距離。

僕はどうしたらいいのか戸惑った。姉の澄んだ、少し潤んだ瞳が困惑する僕を映し出していた。

「そのままでいいから」囁くように姉は言った。

 ――不意に、世界が停止した。僕の唇に押し当てられた、僕のものより遥かに柔らかい唇の感触が、全ての思考をストップさせた。ゆっくりと、姉の顔が離れる。

「姉ちゃん?」

「なんでもない」

 本当に何でもなさそうに云って姉は、もう散ってしまった夜空を見上げた。

でも、その横顔が少し微笑んでいるように見えたのは、僕の気のせいではないと思う。

 僕は茫然としたまま、微笑み続ける姉の横顔を、じっと眺めていた。

 

 

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