【まどか☆マギカ】If you were here【ほむあん】 |
夜明けを待つ街は静かで、
今や不夜城の名を欲しいがままにする見滝原の街も、
つかの間の微睡みに身を任せているかのようだ。
東の空は群青に染まりつつあるけれど、
頭の上にはまだ、欠けた月がかかっている。
「魔獣狩りかい、暁美ほむら」
どこからともなく姿を見せたインキュベーターは、
鉄柵の上を器用に走ると、私の肩に飛び乗った。
追い払うこともできなくはないけれど、
追い払う必要も感じないので、
白い誘惑者を肩に乗せたまま、私はうらぶれた路地を歩く。
「もしかすると、君はもう魔獣と戦わないつもりなのかと思ったんだけど」
巴マミが、そして佐倉杏子が、
順を追って私に知覚できる世界から去ってからというもの、
私はしばらく魔獣との戦いから手を引いていた。
戦うのが嫌になった、というわけではない。
魔獣を狩らなくては、無為に失われる命があることもわかっている。
まどかの願いを守るために、この世界を守るために、
戦わねばならないことも、理解している。
でも、体が、動かなかった。
幸い、グリーフシードの余裕はあった。
杏子と二人であちこち旅しては、魔獣を狩って歩いた頃の備蓄は、
そう簡単に使い切れるものではなかった。
それに、杏子は彼女のねぐらに結構な量のグリーフシードを残していた。
彼女の墓があるわけでもなし、
仮に墓があったとしてもそこにグリーフシードを供えるのも無粋だしで、
少し悩んだけれど、私の備蓄と混ぜることにした。
いったん混ぜてしまえば、ただのグリーフシードだ。
人間が生きた痕跡なんて、意外と簡単に消えてしまう。
壁一面にポスターが貼られた路地裏の
夜の闇と早朝の薄明が入り交じったあたりで、数匹の魔獣を見つけた。
肩がけしていた大型のスポーツバッグに手を突っ込み、
SPAS15を取り出して、腰だめに掃射する。
7発を撃ち切ったが、距離が遠すぎたのか魔獣はほとんど無傷だ。
滑るように肉薄してくる魔獣を前に、
私は落ち着いてマガジンを交換、
1歩バックステップして振り下ろされる鉤爪をかわしながら、
もう一度ワンマガジンを撃ちきった。
至近距離で00バックの乱射を受けた魔獣たちは、
あっという間に塵に帰る。
じゃらりと、グリーフシードがばらまかれた。
「暁美ほむら。これはぼくからの忠告なんだけど」
「忠告とは珍しいわね」
「今日の狩りはここで切りあげたほうがいい」
「なぜ?」
「君の戦闘能力は、著しく低下している。それは君もわかっているはずだよ」
私はSPAS15のマガジンを交換し、
初弾をチェンバーに放り込んでから、
スポーツバッグに収め直す。
「久しぶりだったから、距離を踏み誤っただけよ」
「以前の君ならば、絶対にこんなミスはしなかった。
知っての通り、ぼくたちには感情というものが分からない。
だからこれはあくまでぼくたちが観測、記録した、統計上の話だけど、
暁美ほむら、君は死を恐れている。
『死の恐怖』に分類される感情が、君の戦闘能力を奪っていると推測できる」
「まるで心理学者ね」
「統計学だよ」
「同じことよ。それに同じくらい不正確だわ。
私にとって死ぬっていうのは、まどかの元に帰るってこと。
それを恐れる理由なんて、どこにもないもの」
私はスポーツバッグを肩にかけ直すと、薄闇の先を目指す。
まだ、魔獣の気配は強い。
私は、あいつらを狩らなくてはならない。
■
「やっぱさ、なんだかんだで、死ぬのって怖いよな」
私の背後で、荒い息をつきながら杏子が言う。
「――そうね。なんだかんだで、死ぬのは怖いわね」
治療と痛覚遮断に全力を傾けているせいで少しぼうっとする頭で、私はそう答える。
「だよなあ。やっぱりアレだ、生きててなんぼだ」
「少なくとも、死ぬのが怖くないって人と組むのは、お断りだわ」
「まったくだ」
杏子が咳き込むように笑った。
「どうしても生きてなきゃいけない理由なんてないわりに、
あたしらほんと、しぶといよな」
「どうしても生きてなきゃいけない理由がある人なんて、いないわ」
「そんなことはねぇよ」
「そうかしら」
杏子が、私の背中に体重を預けてきた。彼女の暖かさが、肩越しに伝わってくる。
「少なくとも、あたしと組んで戦ってる間、お前に勝手に死なれちゃ困る」
「――それはお互い様ね」
やっぱり、頭がうまく動いてない。話題がループしてる。
私はため息をつきながら、杏子の背に自分の身体を預けた。
目の前に、大型の魔獣2体が迫ってくる。
加えて、右から中型が1体、上空に飛行型が1体。
背後の4体は杏子がうまく捌いているけれど、
倒しても倒しても魔獣の数が減らない。
残弾数が、気になる。
弓に切り替えたほうがいいだろうか。
でも、それで魔力が持つだろうか?
考えながらも、スラッグを詰めたショットガンを連射する。
大型の魔獣2体の頭を吹き飛ばしたが、
すぐに再生が始まった。火力が足りていない。
右から体当たりしてきた魔獣を紙一重でかわし、
上空から突っ込んできた魔獣の鉤爪をショットガンの銃床で払いのけた。
私は腰に下げた焼夷手榴弾を取ると、
頭部を再生し終えた大型の魔獣に投げつけ、
即座にショットガンで手榴弾を撃ちぬく。
信管が衝撃で起爆し、粘性の高い可燃ジェルに火をつけた。
炎のカーテンが空から降り注ぎ、
まともに炎を浴びた魔獣たちは
この世のものとは思えぬ咆哮を上げながらのたうつ。
この手の連中を殺すのは、
銀の弾丸か、さもなくば火と決まってる。
私はショットガンのマガジンを交換すると、
踊る火だるまに向かってワンマガジンすべてを叩き込んだ。
「two down!」
そう叫ぶと、背後の杏子も「こっちも2匹殺った!」と叫び返してくる。
「1匹、ヤバイのがいる! そっちは!?」
私は空中に舞い上がろうとしている魔獣の頭を吹き飛ばしながら、
炎の海のただ中で悠然と立つ最後の1匹を睨みつける。
「1匹、危険なのがいるわ」
「おっしゃ、じゃあお互いノルマはあと1匹ずつだ!」
振り下ろした槍で魔獣を1匹屠りつつ、杏子がそう叫んだ。
ノルマは、あと1匹。
簡単に言ってくれる。
私は弾の尽きたショットガンを捨て、
ソードオフしたM79を構える。
さあ、死んでもらおうじゃない、チャーリー!
目分量で魔獣の頭に照準を定め、トリガーを引く。
シュポンと気の抜けるような音がして、グレネードが飛び出した。
時間を、止める。
凍りついた時間の中でM79を折り、
加熱したシェルを抜き出して、次のグレネードを詰め、
照準を定めて、一瞬時間を動かしつつ引き金を引く。
2発目が射出されたところで、再び時間を止め、3発目を撃ち出す。
時間を、動かす。膝が崩れそうなくらい魔力を消耗したが、まだ戦える。
結果的にほぼ同時に射出された3発のグレネードが、魔獣に襲いかかった。
燃え盛る炎の中で無表情なままの顔面を、胸を、肩口を、
爆発の衝撃と、音速を超える速度で飛ぶ破片が切り裂く。
相手が人間なら、辛うじて肉塊が残るかしら、というくらいの威力。
12ゲージのスラッグ弾と、
焼夷手榴弾の炎を受けても平然としていた魔獣だったが、
さすがにこの攻撃は効いたようで、
爆破解体されるビルが崩れ落ちるように地面に伏せる。
ここで手を緩めてはいけない。
魔獣が倒れたあたりに向けて、なおもグレネードを撃つ。
爆音が轟き、爆風が駆け抜け、衝撃で割れたガラスが舞い落ちるなか、
私は迷わずグレネードを撃ちこみ続けた。
全弾を叩き込んだところで、改めて気配を探る。
――微弱だが、まだ奴は生きている。
このままでは、再生されてしまう。
背後では、杏子が魔獣と激しく打ち合っている音がする。
彼女も苦戦しているようで、戦況は五分か、少し押され気味か。
杏子に援護を頼むことは、できない。
……できない?
私の脳裏に、一枚のビジョンが浮かんだ。
本能に導かれるまま、私はそのビジョンに従って、再生し始めている魔獣へと突進する。
焼夷手榴弾の炎は、グレネードの爆風でほとんど消えていた。
灰と瓦礫と僅かな燠火が散らばる道を、私は魔獣に向かって走る。
走りながらM79を捨て、ベレッタを抜いた。
こんな豆鉄砲で再生を止められないだろうが、やらないよりはマシだ。
急速に身体を再生させていく魔獣に9mmパラベラムを16発撃ちこみ、
マガジンを交換して15発撃ちこんで、
さらにマガジンを交換して、
形を取り戻した頭に15発を撃ちこむ。
与えているダメージより、再生速度のほうが早い。
でも、再生能力は無限ではない。
こうやって与えたダメージは、確実に蓄積している。
必要なのは、駱駝の背を折る、一本の藁。
目の前の魔獣が、再生を終えた。
少なくとも戦闘力だけは、完全回復している。
風を切って振り回される鉤爪を躱し、
振り下ろされる拳を前転して避けて、
そこに伸びてきた爪にざっくりと腹を貫通されたけれど、
痛覚を遮断しつつ爪に全力で射撃を集中してへし折ると、
うなり音をたてて振りかざされた鉤爪の一撃をギリギリで避けきった。
髪の毛がほんの少し鉤爪に巻き込まれ、ちぎれて宙を舞う。
腹の真ん中を折れた爪に貫かれたままになった私は、もう思うように足が動かない。
ベレッタを魔獣に向けたが、こちらも弾切れだ。
背後では杏子が追い込まれていて、私の背中に彼女の背がつかんばかり。
目の前の魔獣が拳を振り上げた。私たちをまとめて叩き潰すつもりだろう。
背後の魔獣が、進退極まった杏子が苦し紛れに伸ばした槍を跳ね上げる。
杏子の槍が、宙に舞った。
そのコンマ数秒に満たない瞬間、時間を止めて、
舞い上がった杏子の槍を掴んで――時間を動かす。
私は杏子の槍を頭上に掲げて、振り下ろされる魔獣の拳を受け止め、
杏子は私と交差するように1歩下がりながら身体を捻り、
私の腰に下げられた2丁のデザートイーグルを抜くと、
真紅の猛禽類が翼を広げるかのように左右に手を伸ばし、
両側の魔獣の頭を打ち砕いた。
2体の魔獣が同時に灰に帰り、
大量のグリーフシードが地面にこぼれ落ちる。
私たちは互いに背を向けたまま、
無言で右手の甲を打ち合わせて。
――それから、互いの背にすがりつくように、
ずるずると腰を落とした。
■
「後ろだ、暁美ほむら」
インキュベーターの冷静な声が、私に注意を促す。
――そうだ。
もう、杏子は、いない。
当たり前のことを、私は認識する。
それはたぶん、本能だったと思う。
折れた鉤爪に腹を貫かれた私は、
咄嗟に腰に下げた2丁のデザートイーグルを抜き、
上から落ちてくる拳と、背後から襲いかかってきた鉤爪を、
その銃身でがっちりと受け止めた。
ポケットに入れていたiPod touchが衝撃で誤動作したのか、
唐突に音楽が流れ始める。
杏子が好きだった、音楽。
でも、もう、杏子は、いない。
もう、
杏子は、
いない。
魔力の駆動効率が高まる。
私は両手をしっかりと伸ばすと、
体を押し潰そうとする2匹の魔獣を、力で押しとどめた。
トリガーを引き、左右の魔獣の顔面に50口径の弾丸を叩き込むと、
弾かれるように2匹の魔獣は後ろに転がった。
私は2匹に向かって、ありったけの弾を撃ちこむ。
「――何が、悪いってのよ」
よろめく魔獣が立ち上がろうとする隙に2丁のマガジンを交換し、
私はなおも撃ち続ける。
私は、死のうとしていたのだろう。
杏子が立っていた場所をわざと空けて、
あたかもそこに杏子がいるかのように戦って、
その隙につけこまれて死ぬ。
たぶん、そんな筋書きを求めていて、
それでも最後の最後に、私は、生きることを選んだ。
「生きようとして、何が悪いってのよ!」
重たい反動が両手を貫き、体に突き刺さったままの折れた爪を揺さぶる。
私は、コンビニに行ってちょっと高いけれどちょっと美味しいスイーツを食べたいし、少しお洒落な服を買って店員にお似合いですよって言われたいし、その服を着てクラブなりなんなりに遊びに行ってちやほやされたいし、たっくんと公園で一緒に遊びたいし、1回でも銃を撃ったらダメになるなあと思ってもやっぱりネイルを綺麗に整えてもらいたいし、ときには少し贅沢なレストランに行って一人でディナーを楽しみたいし、リッチなホテルのケーキバイキングに行って制限時間を気にしながら好きなケーキを思い切りむさぼりたいし、それなりに気が利いて頭が回ってイケメンな男の子と迷路を巡るみたいな恋をしたいし、いちいち言葉で指示しなくてもぴったり息があう相棒と一緒に戦いたいし、エステで体をつるつるに磨いてもらいたいし、どうやって使いきろうかなと思うくらいに溜まったグリーフシードを見て優越感に浸りたいし、コンサートに行ってみんなと一緒に盛り上がりたいし、もしそれを望まれるなら信頼できる魔法少女と二人で暮らしてみたいしその彼女に彼女が私にとっての2番でしかないことを許してほしいしそうして海に行く日を待ちわびてドキドキしながら水着を選びたいしお買い得感があるバッグを買って悦に入りたいし美容室で取り留めもない話をしながら丁寧に髪をケアしてもらいたいし、それなのにいまさら手鏡を買って笑う練習なんてしたくないしいつだって私は胸を張って生きてるし誰も傷つけずに生きるなんてそもそも全然無理なんだし生きていていいなんて許可を貰わなくたって生きていたくて、どこが、何が、悪いのよ!
「何が、世界を、守る、よッ!」
マガジンを交換し、デザートイーグルを乱射する。
「バッカじゃ、ないのッ」
マガジンを交換し、デザートイーグルを乱射する。
「私はッ!」
魔獣がよろよろと起き上がり、私を目指して這い寄ろうとする。
「まだッ!」
マガジンを交換し、2匹の魔獣の頭に照準する。
「セックスしたいのよ!」
トリガーを引くと、魔獣の頭が吹き飛んで、
そうして、そこには何もいなくなった。
銃器を収めたスポーツバッグを肩にかけ、
魔獣との戦場を後にする頃には、東の空はほぼ完全に明るくなっていた。
夜の気配は、もう名残のように漂っているだけだ。
インキュベーターがどこからともなくちょろちょろと戻ってきて、私の肩に乗った。
髪の毛の匂いをクンクンと嗅ぎ、
漂う火薬の匂いに少し閉口したように口元を歪める。
「嫌なら降りていいのよ」
「そんなことはないよ。
この手の原始的な武器は、ぼくらにとっては未知といっていいくらい過去のものだからね。
慣れるのはちょっと難しい、それだけのことさ」
「嫌だって言ってるじゃない」
「そんなつもりはないんだけど」
私は近くの駅を目指して歩き始める。
「ともあれ、良かったよ、暁美ほむら」
「何か良いことでもあったのかしら?」
「また統計の話だけどね。
ぼくたちの集めたデータに基づいて言えば、今の君は死を恐れていない。
君はもう、以前と変わらない戦闘能力を発揮できるんじゃないかな」
私は溜息をつく。
「本当に――あなたたちは、何もわかってないのね」
「そうかい?」
「私は、死ぬのが怖い。とても怖いわ」
「……まったく、君たちの感情というやつは、本当に分からないね」
私は鼻で笑いつつ、ふと思い立って道を曲がった。
「あれ、駅に行くんじゃなかったのかい?」
「ちょっと買い物をね。
コンビニで、ポッキーを買っていこうと思って」
「ぼくも人間の食物データのサンプルを取ってみたいところだけれど」
「あなたに食べさせるために買うんじゃないわ」
「じゃあ、誰が食べるんだい? 君は、お菓子は滅多に食べないじゃないか」
ふと、自分の顔が笑みを浮べていることに気づいた。
「――さあ。誰に食べてもらおうかしら」
(完)
参考
「火の魚」(NHK広島放送局)
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