ご近所エレメンツ |
ご近所エレメンツ◇第一話
カーヴァンという都市は一風変わった造りをしている。
まず中心に市庁舎がある。市庁舎は古いお屋敷が連なる住宅街にぐるりと囲まれ、その北側にはこれまた古めかしい教会が建っている。そして住宅街をぐるりと囲んで立ち並ぶのは新しい家々。そんな、まるでクリームをケチったクリームパンを輪切りにしたような構造のカーヴァン市は、言わば新旧二層市街で形成された円形都市であった。築年数が百年単位で異なる家が道路を挟んで建っているその光景を初めて見た者は、きっと何とも言えない気分になることだろう。
ユノウ=アゼルの家は旧市街に面した新市街に位置する。その向かいに立つ屋敷は当然古く、築二十年そこらのアゼル邸とは比較にならないほど老朽化していた。
その家を窓から眺める度、ユノウは陰鬱な気分になる。
古いというだけなら旧市街の家は押し並べて皆古い。しかし、どの家も古いながらも確かに「生きている」のだ。中には増築とリフォームを繰り返して結果的に不細工になってしまった家もあるが、それも言わばその家の生きた歴史そのものと言えよう。
アゼル邸の向かいに建つ家は、そういう意味では確実に「死んで」いた。
不必要に頑丈そうな鉄柵には幾重にも蔦が絡まり、その向こうのくすんだ赤色の外壁は、恐らく数百年風雨に曝されながらも一度も手入れや補修が為されていないのだろう、あちこちに皹が走っている。
近隣住人が言うには「呪いの館」。実際不吉ないわく付きのその屋敷には現在持ち主がいない。そんな物件の向かいという立地だからこそ、それほど裕福でもないアゼル家が高級住宅街であるカーヴァン新市街に邸宅を構えられたのだという大人の事情もユノウは知ってはいるが、だからと言って幽霊屋敷がある風景を毎日眺めるのは決していい気分ではなかった。
生まれた時から目の前に幽霊屋敷がある理不尽さを唯一嘆き合えた兄は。ウルセナス市の大学へ進学後、向こうで独り暮らしをしているので家にはおらず、こうなっては誰も彼女の気持ちを解ってくれる人はいない。
何が嫌かと言えば、学校からの帰り道、家が見えてきたと思ったら否応なくその屋敷が視界に飛び込んでくることだ。
今日もユノウの視界に自分の家と同時に幽霊屋敷が姿を現す。溜め息をつきながら、それでも慣れた足取りで家の前まで辿り着き――
(……あれ?)
瞬間、今まで見たことがないものが見えた気がして慌てて振り返った。
果たしてそれは、ユノウ自身生まれて初めて見る光景であった。
「屋敷の門が……開いてる?」
◇
よくよく考えると、外見を気にしない者の内面がキレイだなんてことはあるはずがないのである。
もはや廃墟と呼んで差し支えないようなボロ屋の中は予想通り荒れ放題であった。家財道具は片付けられることもなく置き去りにされており、板張りの床は一歩踏み出すごとに悲鳴のような軋みを立てる。ランタンを手に先陣を切るエスカとしては、スレンダーが売りの自分の体重ごときでヒイヒイ言われるのは何となく納得がいかない。
「じめじめしてますねぇ。真っ暗ですねぇ、アリエ様ぁ」
「なあエスカ。めんどくさいから俺外で待ってていい?」
しかしもっと納得がいかないのは、世帯主になる訳でもないのに先陣を切って幽霊屋敷の探検をさせられているこの状況だった。
「アリエ様は外に出ないで下さい。ウェンディはアリエ様から腕と胸を離す。ホラ。いいから」
エスカ自身決して緊張している訳ではないが、それにしても後続の二人の緊張感のなさにはムカつかざるを得ない。
いつからこんなにイライラしているのだろう――ふと俯いて考え込んだエスカだったが、その答えに辿り着くのに三秒も掛かることはなかった。
◇
「だーかーらー。何で契約する段階になってこんなことを言い出すのですか?」
「そうは仰ってもですね、お客様……」
昼下がりの不動産屋で繰り広げられていたのは、どう見ても十二、三歳にしか見えない外見の眼鏡少女がやり手営業マンに食って掛かるという異様な光景であった。
少女の背後には金髪で長身、そして妙に涼しい顔の美形青年と、若草色の髪を背まで伸ばした胸の大きな美少女。一見すると三人兄妹か親子連れにも見えなくはない組み合わせである。と言うかそうとでも考えなければ三人の関係性が全く解らない。そんな正体不明の連中にゴネられるのはやり手営業マンの七年間のキャリアでも初めての体験であったが、彼らも一応お客様である訳でやっぱり誠実に対応せざるを得ない。とは言うものの、彼ら、というか自分に現在進行形で食ってかかる女子中学生っぽい彼女にご納得頂けるようなカードが彼にある訳でもなく、結果としてやり手営業マンは新人時代を思い出さざるを得ないほど対応に苦慮しているのであった。
理由は単純。彼らが借りるはずであった家の家賃が、契約直前になって急に一・五倍になってしまったことだ。家主の事業がピンチなので仕方なくそうなった旨説明するも、このお幼女様は全く首を縦には振ってくれないのであった。
「じゃあその家はもういいです。他の物件はないのですか」
「旧市街は全滅ですね。新市街にはいくつかアパートメントがある程度で……」
「部屋を借りたいのではなく、家を借りたいのだと申し上げているのですが。お忘れですか」
「いえ、とんでもないです」
容赦のない幼女のクレームに急かされつつ物件のファイルをめくるやり手営業マン涙目。
「お姉様、無理にカーヴァンでなくても構わないのではないですか……?」
居た堪れなくなったのか単純に飽きたのか、緑髪の少女が口を挟む。「お姉様」という単語に一瞬耳を疑った営業マンだったが、それよりも折角契約直前まで漕ぎつけた客を逃がすことは出来ないという本能が働いたか――高速でページをめくり始めた彼の手が突如止まり、彼は商談デスクにとある物件情報を叩きつけた。
「……訳ありでよろしければ、一軒だけ空きがございますよ?」
◇
曰く、これまで十人が住み、全員が宅内で謎の死を遂げた「呪いの幽霊屋敷」。その物件で決めるのであればもう家賃は格安で良いが、何があっても責任は取り兼ねる――そんな営業マンの言葉を受け、三人が鍵と地図を受け取ってやってきたのがこの屋敷である。
「呪いだか何だか知らんが、いろいろ気にしなければこのまま住めるんじゃね?」
「却下です」
「そうですねぇ。亡霊ごときに遅れをとることはないですが……正体を確認しておくに越したことはないと思いますよ、アリエ様?」
エスカ、ウェンディの逆身長姉妹にそう言われ、アリエは溜め息ひとつ辺りを見回した。
淀み、湿った空気が肌に貼り付く。外は晴天で暑いほどの気温であったが、屋敷の中はまるで外と断絶されているかのように冷え冷えとしている。雨戸が閉め切られているので日光が差し込まないのが理由と言えそうだが、それは恐らくこの空気の冷たさとは関係のない話だろう。
(例えば、どんな極寒の地だろうが、猛獣の腹の中は体温で温かいとか、そういう類のな)
我ながら嫌な比喩だ、とアリエは思わず眉根を寄せた。しかし、事実この空気はそれに近いものを感じる。
刹那、先頭を歩くエスカの足が止まった。ウェンディ、アリエも足を止め、ゆっくりと今まで歩いてきた廊下を振り返った。
「ほー……」
アリエは思わず苦笑した。
ここまで三人は玄関ホールを通り、二階へ続く階段の下を通って一階の廊下を歩いてきた。しかし、彼らが振り返った先には今まで歩いてきたはずの廊下はなく、ただ暗澹たる暗闇が広がっているだけである。
次の瞬間、エスカの持つランタンが照らす壁に黒い影が過ぎる。まるで侵入者を威嚇するようなその動きに、エスカはあからさまに肩を竦めた。
「もう出ましたか。堪え性のないことで」
しかしこれで逆にテンションが上がったのか、エスカの足取りが軽くなった。それに合わせ、後続の二人も歩く速度を上げる。
進むごとに彼らの周囲で奇怪な現象が起こり始めた。廊下の壁に掛かった絵が突然落下し、閉ざされた扉の向こうからガラスの割れる音が響き、天井からは破裂するような音がひっきりなしに聞こえてくる。
「鬱陶しいですね。一度更地にしてしまった方がよいのではないですか」
あまりの騒がしさに苛立ちを募らせたエスカが呟いた。
次の瞬間、壁から伸びた影が突如エスカに牙を剥いた。槍のように突き出された黒い影は、エスカが立っていた場所を貫くように、壁から壁へ一直線に伸び――背後からアリエに抱きすくめられたエスカは、愕然とその光景を眺めていた。
やがて我に返ったか、エスカは拗ねたような顔でやんわりとアリエの腕を解いた。
「こんなの自分で避けられます。アリエ様は過保護過ぎです」
傾いてしまった眼鏡を直しながら呟く。アリエはそんなエスカの髪をわしわしと撫でた。
「あはは、俺がエスカを抱っこするのはいつものことだろうに」
「あー。お姉様ずるいですよう」
し損じた影が追撃を寄越すことはなく、気がつけば辺りは何の変哲もない暗い廊下に戻っている。その様を眺めながら、エスカは口元を笑みの形に歪めた。
「しかしこれでこの家の正体は掴めた。さ、奥まで行こうぜ」
徐々に激しさを増す妨害騒音そして攻撃を華麗にスルーしながら辿り着いたのは突き当りの扉。古めかしい木製の扉はもう随分長い間開けられていないのか、まるで頑丈な壁のように三人の目の前に佇んでいた。
「おお、開いた開いた」
しかしそれを気にせずアリエが扉を開ける。驚いたエスカが慌てたように彼の前に立ちはだかった。
「ななな、何て軽率なことをするのですか。罠があったらどうするのですか」
「あはは、エスカは過保護だなあ」
「あー。お姉様ずるいですよう」
笑いながらエスカの頭をわしわしと撫でるアリエ。妹の声を聞きながら、改めて彼らの緊張感のなさに辟易とするエスカなのだった。
◇
扉の向こうは書斎であった。壁一面が書架で埋められ、最奥の机には何枚もの書き掛けの紙が片付けられぬまま広げられている。
その中央に、真っ黒な影が立ち尽くしていた。
「この家で死んだ十人の一人目――君がこの家の最初の持ち主という訳だな」
「え?」
アリエの言葉に怪訝な表情を浮かべるエスカ。アリエは意味深に微笑んで見せた。
「この家に侵入する者を、この家を害そうとするものに罰を下す理由がある奴という事はそういうことだろう?」
その言葉に、ウェンディがガラス張りの書架に近付く。暗闇に慣れた目で捉えた背表紙の文字に、彼女は感心したような、呆れたような声を上げた。
「どれも聖戦以前の書物ですねぇ。教会にバレたら厳罰モノですよぉ、こんなの」
その言葉に中央の影が耳聡く反応する。刹那、天井から無数の黒い槍が雨のようにウェンディに降り注ぎ、
「おっと」
そのいずれかの切っ先が触れるよりも早く、ウェンディは背後に飛び退り、黒い雨を避けた。
「この家には彼が集めた知識、彼が研究して編み出した数式の数々が眠っている。それはいずれもセクルス王国――この西の大陸では御禁制の知識、東の大陸に端を発する『魔法』に関わるものだ。それを他者に見つかり、否定されることを恐れ、自らの死後もこの家に取り憑いて侵入者を排除し続けた、と……」
アリエの言葉に、影が彼に向き直る。無貌のはずのその顔は、真っ直ぐにアリエを見つめているように見えた。それに応えるように、アリエもまた立ち尽くす影へと向き直る。
「しかし、君に敢えて問おうか。魔法使いとして、君はそれで良いのかね?」
瞼を細めたアリエの視線の先、影の肩が微かに揺れた。
「君がどれだけ生前集めた知識を守ろうとしたところで、こんな物はもう一度世界が戦火に焼かれてしまえば全て灰になってしまうだろうさ。それに、君がここで知識を秘匿する以上、誰もそれに触れることは出来ず、君の研究成果が応用されることもない。つまり、ここにある全ては初めからなかったものと同じ……それって教会に本を焼かれることと、どう違うと言うんだい?」
語りながら、アリエは机の上に散らかった紙を拾い上げた。
それは精霊の魔力を借りた魔法の方程式。人工的な魔法と土着宗教としての精霊信仰を混合した、人間が精霊の力を借りる為の術式が記されている。《聖戦》以前、人と精霊が共存していた時代の知恵を理解した者でなければ作り得ぬその式に、アリエは感慨深げに目を閉じた。
正解を言うならばこの術式は成立し得ない。魔法という人の手による新しい技術に溺れる者を精霊は決して選ばないのだ。精霊への信仰と崇敬、そして精霊との魂の接続があって初めて人は精霊の力の一端を得る。即ちこの紙は〇点の答案用紙と同じだ。
しかしアリエは敢えてそれを口にはしなかった。
「君の宝物がここで朽ち果てた先も、未来永劫、亡霊として在り続けることが君の魔法使いとしての矜持なのか――俺はそれを、君に問うているんだがね」
「……」
「もし君が今この家を手放し、次の生でも精霊について研究したいと志すならば、俺の許へ来るがいいさ。それまでは俺がこの家を預かろう……この俺、アリエ・アスランの名に誓って、君の宝物を教会に差し出したりはしない、安心するといいよ」
その言葉に、立ち尽くしていた影が膝を屈した。
アリエ・アスラン。それは聖戦の折、セクルス王国の侵略に敗れたという双頭の獅子の名を持つ偉大なる《森羅万象の精霊王》。かつて《聖戦》の折、王国に膝を屈して野に下り、《不死者》として今も大陸に生きる、旧世界の支配者が一人。
王の言葉に背いてこの家を守り続けたところで、書物とて物である以上時の侵食には抗えない。それを悟り、全てを敬愛する精霊の王に委ねることを選んだのか――いつの間にか影は跡形もなく姿を消していた。
「また言葉の飴と鞭でその気にさせたんですね。詐欺師のやり方ですよそれ」
「違いますよ、お姉様。陛下のカリスマですよぅ。陛下は何でもカリスマで解決しようとしますからねぇ」
「ははは。いいじゃないか、結局は元家主に納得してもらったんだから」
これでこの家の怪奇現象は治まるに違いない。
しかし、それ以上にこの荒れ放題の家をどうやって生活出来るレベルまで回復させるか……実はその方が難問であった。
「とにかくアリエ様は今から家の中の片付けをして下さいな。ウェンディは庭の草むしりを」
「えー」
「草むしりはお姉様の得意分野じゃないですかぁ。何の為の《地霊司》の力ですかぁ」
「えーじゃないです。あとウェンディ、町中で精霊を使う訳にはいかないと何度言えば解るのですか。貴女も《風霊司》の力で楽をしようなどとは思わぬようになさい」
あからさまに嫌そうな二人の意見を却下しつつ、ミニスカートに付いている埃を払ったエスカはむん、とない胸を張って見せた。
「私はこれからご近所の挨拶に行ってきます。終わったら手伝いますので、陛下もウェンディも努々さぼらぬように!」
◇
これまで決して開くことがなかった向かいの屋敷の門。そこから一体どんな人が出てくるのだろう――ユノウは、カーテンの隙間からそっと外の様子を窺っていた。何しろこんなことは生まれて初めてだ。これまで十七年間、あの屋敷には管理の手は勿論のこと、近所の子供が悪戯で入ることすらなかったのだから。
(あ、誰か出てきた……?)
思わず窓ガラスに顔を近付ける。視線の先に現れた人物の姿を認めて、ユノウは目を見開いた。
腰まである長い髪の少女だった。眼鏡がどことなく知的な雰囲気を漂わせているが、その姿はどう見ても十二、三歳にしか見えない。
少女はまっすぐアゼル邸へと歩いてくる。そして程なく、階下からは真鍮のドアノッカーが立てる低い音が響いた。
この時間、両親は仕事に出掛けている為家の中にはユノウ一人しかいない。ノックの音は五回聞こえたが、ユノウが窓から離れてじっとしていると、やがて諦めたのか家の中には再び静寂が戻ってきた。
このまま知らないふりを通して、あの少女との遣り取りは後で戻ってきた両親に任せるという手もあっただろう。しかし、再び窓から見下ろした道路の上、出端をくじかれてションボリしている少女の姿を見た瞬間、
「あ、あのっ!」
ユノウは窓を開け、彼女に向かって大きな声を上げていた。
それに気付いたか、少女がついと顔を上げる。やがて、眼鏡越しの綺麗な紫の瞳がユノウの姿を捉え―彼女は、ふわりと笑って見せたのだった。
「今日からお向かいに引っ越してきました。よろしくお願いしますね」
◇続く
説明 | ||
とある世界。唯一神を掲げる宗教国家の弾圧《聖戦》に敗れた異教の神が《不死者》として蔓延る大陸。ある不死者の王は魔王と呼ばれ人々に恐れられた。そして別の王は人間にまじってまったりと生活していた――これはそんな後者のお話。不定期更新。 ※pixivでやってた交流企画「TRI/EDGE」に少しだけ関係しています。 |
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