執着。 |
ああくそ。バカみたいだ。
そう思って何度それを捨てようかと迷ったことか。一度は、いや、一度なんてもんじゃない。5度か6度くらいはそれをごみ箱の直前まで持って行ったことがある。あと一ミリでも指を動かせばこの箱は重力に従ってまっすぐその下にあるゴミ箱へと落ちていく。というところまでいって、指がまるで鉛のように動かなくなるのだ。そして呼吸をすることができなくなる。新しい酸素が入らない肺や細胞がもがくように苦しみだす頃に、ようやく俺はその箱をベッドの横にあるサイドテーブルに置けるようになり、そうして初めて息が吸えるようになるのだ。ぜえはあとまるで軽いランニングでもしたように息を荒げて、俺はそのくちゃくちゃになった箱を睨み付けるのだ。
いい加減自分でも笑ってしまう。もうどれくらいたっていると思っているのだ、と苦笑すらしてしまう。
それでも捨てられない箱がある。
不況に続く不況。好景気というものを知らずに生まれた自分が、もう20を過ぎて4年が経った。案の定、俺はその不況の波に綺麗に埋もれた。おかげで職業不特定、給料不安定のフリーターだ。ボロではあるが、6畳の家があるだけ俺はもしかしたらましな方なのかもしれない。
「あれ、お前ってタバコ吸う方?」
「…いや、吸わねえけど。別にお前吸うなら喫煙席でもいいぜ」
東京って街、特に都内は狭いようで広いし、広いようで狭い。夜勤のバイトが終わって、さあ帰るか。と街をのそのそと歩いていたら、「なあ」と声をかけられたのだ。
振り返れば黒い肌に水色の髪。肩まであった髪をバッサリと切り、眼帯を外して、スーツ姿で立っている人物がこちらを懐かしそうに見ている。
「不動、おまえ不動明王だろ!」
「…そういうお前は佐久間次郎か」
お互いフルネームで呼び合って、というか俺の場合フルネームで言われたのがなんか気に食わなくて仕返しにフルネーム呼びをしてやったのだけなのだが。とにかく、6年ぶりの再会にお互いビックリした。
折角だから、どこかでお茶しないか。とスーツ姿の佐久間が言ってきた。俺はどうせ家に帰っても寝るだけだったのでほぼ即答に近い速さで了承した。
「いやー、それにしてもお前と会えるとは思ってなかった。高校卒業したら突然いなくなっちまったから俺も源田も心配したんだぞ」
喫茶店の喫煙席に腰掛けて、カウンターで注文したアイスコーヒーにガムシロップと生クリームのカップのフタをパキっと開けながら佐久間は話し始めた。
「あー…そのことなんだけどよ」
「いいって。鬼道から事情は聞いてたんだ。実家のある愛媛に帰ってたんだろ」
「…おう」
俺は佐久間の驕りであるブレンドコーヒーを啜った。空きっ腹に暖かいコーヒーが広がっていくのを感じた。苦い、と口に残ったコーヒーの味を感じた。
「お前も大変だな。東京には戻ってどれくらいになるんだ?今は何してる?」
「東京には…2年くらい前に戻ってきたかな。今はフリーターやってる」
「そうか…あ、タバコ吸っていいか?」
フリーターなど、帝国出身のお坊ちゃんである佐久間には馴染がないんだろう。どうしようか、と思いつつ何でもないような顔をした佐久間は、適当に濁すようにそうかと呟いた。そんな表情や言葉が言えるなんて6年前じゃあり得ないことだったから、ああ、やっぱり6年って長い年月だったんだな、と他人事のように感じた。
そして胸ポケットから煙草の箱を出そうとする佐久間を見て、コクンと頷く。
「どうぞ。というか吸うようになったんだな」
俺の承諾後に、胸ポケットから赤いマルボロの箱を取り出し、トン、と一本だけ取り出すと、高そうなジッポのライターで加えた煙草に火をつけた。乳白色の煙が漂う。その煙の臭いは俺の知っているタバコの臭いではなかった。
「仕事でなぁ。タバコ自体は大学入ってからちょくちょく吸ってたんだけど、就職して、俺は営業部門なんだけど、正直タバコ吸わねえとやってらんねえと思って煙草の量が増えて2年経ったな。そしたらもうタバコ無しじゃいられなくなっちまった」
「大変なんだな」
「フッ、お互い様だろ、生きるのは大変だ」
皮肉そうに笑って白い煙を吐き出す顔はすっかり社会人で、大人で、俺の知ってる佐久間次郎は顔のパーツだけになってしまっていたことに目を見開いてびっくりした。
「お前、ほんとに佐久間次郎か?」
だから思わず、怪訝な顔でそう呟いてしまったのだが、それを聞いた佐久間が一瞬だけ目を丸くした後、ケラケラと笑われた。
「なんだが不動はかわらなくて安心したわ」
正直俺はそれをどっちの意味で取っていいかわからず、かといって聞くのも俺のプライドが許さなかったから、あっそ。と、そっけなく返した。佐久間は気にしていない、というか、俺の知ってる不動明王はそんな感じだったなぁ、と納得したような顔でふぅ、とまた白い息を吐いていた。
そのあとは源田のことや、ほかの帝国メンバーの今の話を聞いたりした。そして軽食を食って俺たちはその喫茶店を出た。道を一緒に歩いてる途中で、アイツの携帯がバイブした。佐久間が携帯を取るためにポッケに手を突っ込んだとき、一緒に何かの紙切れが出てきた。あっ、と思ってそれを拾い上げ、佐久間に手渡そうとするが、佐久間自身は電話の向こう側の相手につきっきりで、その紙切れが出たことすら気づいていないらしい。
そうですね。ええ、そういうことになります。と物腰丁寧な佐久間傍から見ていて気持ち悪かったが、スーツに身を包んで対応するその姿は完全に社会人であり会社人であった。ふと、真横にあったショウウィンドウを見る。そこには、明らかに社会人の佐久間と、明らかに無職の、野暮ったい俺の姿があって、思わずショウウィンドウから顔を逸らした。
「はい、そういうことでお願い致します。…それでは失礼致します」
ピ、と携帯を切ると同時に、おい、さっき落としたぞ。と、その紙切れを手渡すと、佐久間は一瞬固まった後ああ、ありがとうと、どこか上の空で言った。
「いきなりどうしたんだよ?」
「いや、さっきの喫煙所じゃ気づかなかったけど、お前タバコ吸ってないって嘘だろ」
「は・・・?」
今度は俺が固まる番だった。正直に言おう、俺はタバコは吸わない。だからお前の持ってるタバコがどれだけ強かったりするのはなんてわからないし、メンストール入りとやらがどういうものなのかもさっぱりわからない。それくらい、俺はタバコについて無知なのに。
「さっきか見渡してくれた時、かすかだけどお前から煙草のニオイがした。俺のじゃないやつ…ええっと、なんだったけ、よく嗅いだことあったから覚えてるはずなんだけど…」
眉を顰める佐久間にいやな汗が背中を伝った。ドクッ、と心臓が蠢いて、体中に酸素を巡らせる。体はサァーっとどこかに血液が行ってしまったように冷たくなっていく。
「ああ、ショートホープだ!鬼道がよく吸ってるやつだったから、ニオイ覚えてたんだ。お前もショートホープ吸うのか?」
「・・・・・」
ドクッドクッと心臓が鼓動するのが鼓膜の奥から聞こえてくる。体内の血液はほんとにどこに行ってしまったんだろう、今は季節的に真夏なのに、寒い。
「…不動?」
「…あ、お、俺用事思い出したから、帰る…!」
「え?ちょ、おい…!」
そのあと佐久間が何か言っていた気がするが、俺の耳は俺の体内の音を拾うばかりで、外の音がほとんど聞こえなくなったから、何を言っていたかは聞き取れなかった。
佐久間から逃げた後も、何かに追い立てられるように走って走って走って、ぼろいアパートの階段を壊しそうなくらいの音を立てて上がり、急いで家の玄関を開けて部屋に入った。
はぁー。はぁー。
カーテンを閉め切っているせいで、昼間なのに薄暗い部屋に俺の荒い息が響いた。息も整わないうちにカーテンを開け、窓を開け、外の空気を入れる。
次に着ている衣服を脱いで洗濯機に叩き込み、たった一日分の衣類なのに、カップ一杯の洗剤を入れて洗濯機を回した。そしてそのまま風呂場に行き、体全身をかきむしるように、力任せに洗った。
風呂から出てくるころには帰宅後よりは息も、心としても落ち着いていた。ふぅ、と息を吐いて落ち着け、と自分に言い聞かせる。そして、深呼吸をしてベッドの横に座り込んだ。横にあるサイドテーブルに目が行く。
そこにはタバコが2,3本のこったショートホープの箱がくちゃくちゃになって転がっていた。
佐久間、確かに俺はお前に嘘をついた。
でもそれは俺がタバコをやらないということじゃない。それは真実だ。
俺がついた嘘は、高校卒業後に実家に帰ったということだ。
嘘だ。俺はあれから6年間ずっと東京にいた。
そうだ、ずっと東京にいたんだ。ずっと鬼道クンに飼われてたんだ。
ヒモ、なんてもんじゃなかったと思う。俺はこのぼろアパートのこの部屋が全てで、衣食住に困ることない代わりに移動が極端に制限された。
佐久間は知らなかったが、鬼道クンとは高2の終わりから恋人同士だった。その時は穏やかな関係だったと思う。でも、卒業と同時にそれは変わった。
鬼道クンは今まで通り優しかったが、それは部屋を出なければの話で。少しでも出れば手ひどいことされた。それ以外は、言葉遣いも何もかもそのままだった。
俺は最初こそ反抗していたけれど、どうやっても抜け出せない現実に体がマヒして、心がマヒして、それこそ従順な犬みたいに飼われてたんだ。
ただただ、愛玩されるだけにいる犬だったんだ。
でも、2年前のある日。鬼道クンはおれにこう言ってきた。
「しばらく、自由にさせてやろうと思う」
何から?しばらくていつまでだ?聞きたいことはたくさんあったが、その時は喉がかれて何も聞けなかった。体も疲れていたし、そんなこと聞くよりも早く寝てしまいたかった。その時も、鬼道クンはタバコをふかしていて、ゆらゆらと揺れる乳白色の煙を今でも鮮明に覚えている。
それから鬼道クンはここに来なくなった。二日経ったとき、試しに玄関を出てみた。咎められなかった。次の日にはアパートの階段を下ってみた。咎められるどころかそれから一週間経っても、1か月たっても、俺がコンビニに行くようになっても、電車を使って移動するようになっても、鬼道クンは来なくなった。
でも、そのかわり、2,3本タバコの残ったその箱を、鬼道クンはベッドの横にあるサイドテーブルに残していった。
それが何の意味を示しているのか。俺は知っているからこそ背筋がぞっとする。
だから、俺は必死にその箱を捨てようとするのだが、従順になったからだがその箱一つすら捨てることを許さない。
バイトをして、部屋が借りれるくらいの金がたまったらこの家を出ていくつもりである。そういって、通帳にはもうそれに十分足りるくらいの金がたまっているのに、俺はこの部屋から出ていくことができない。
「鬼道クンが俺に執着してるんじゃない、俺が執着してるんだ…」
バフッ、とベッドの、シーツの海に埋もれる。確かにこのシーツからもなんだか煙草のニオイがする気がした。
一生来ないでほしいと思う反面、今すぐその扉を開けてあのドレッドのサングラス姿の男が現れないかと期待している。
くちゃくちゃになったショートホープの箱を握りしめる。
それを捨てることはできない。
俺に、それを捨てることなど、一生不可能なことなのだ。
「鬼道クン…」
俺はそのタバコの持ち主の名を一つ呟いて、目を閉じた。
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10年後きどふど。鬼道さんが出てこない。 | ||
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