オールドメイド |
【Old maid】
いわゆるババ抜きのこと。
発祥地のイギリスではこの遊びはジョーカーを用いず、クイーンを一枚抜いた51枚のデックで行う。トランプが作られた当初は、ジョーカーが存在しなかったためだ。Old maidとは適齢期を過ぎた独身女性を指す言葉で、最後の残ったクイーンこそが相手のいない、つまりはペアのいない行き遅れと言う訳だ。
久しぶりに、父さんが早く家に帰ってきた。母さんが倒れたからだろう。俺は大学を休み、昼間から母さんを看病していた。と言っても、もう起きあがって元気に家事をしているけれど。
「涼子の具合は?」
「倒れた時は、慌てたけれど。何だか元気そうだよ。病院も必要ないって、今夕食の準備をしてる。俺がやるって言ってるのに、邪魔だからって台所を追い出された」
「ん、そうか」
「それにしても、帰宅が五時台って。何年振りかな」
「そう言えば、そうだったな。家のことは涼子に任せきりで、色々と苦労をかけた。倒れるのも無理はない。今度、家族で温泉旅行にでも行かないか」
今まで家庭のことなんて全く顧みなかった父さんがいきなりそんなことを言い出すと、何だか笑えて来る。
「いいよ、俺は。友達とかと遊ぶ方が楽しいし。多分姉ちゃんも。夫婦水入らずで行ってきたら?」
「そうか。そうだな」
父さんは寂しいとも取れる微妙な表情で笑い、鞄を置いて台所へと向かった。
俺はポケットから携帯を取り出し、姉貴の番号へと掛ける。
『この電話は、現在電波の届かない場所にあるか、電源が入っておりません』
昼からずっとこの調子だ。メールの返事も来ないし、一体何をやっているのやら。そんなことを考えながら台所の近くに行くと、父さんと母さんが何やら話をしているのが聞こえてくる。
「今まで、悪かったな。これからは、もっと家族を。いや、涼子を大切にして行こうと思う」
「あなた……」
聞こえて来るその言葉に、何だか居たたまれなくなって、俺は足音を立てないよう、二階の自分の部屋へそっと避難した。
しかし、仕事一筋だった父さんがこうも変わるとはね。我が家のことながら、安っぽいドラマでも観ているかのようだ。しかしどんなに安っぽいドラマでも、俺の父さんの年収より遥かに高い金が制作に使われてるんだよな。安っぽいのは、ドラマではなくシナリオの方か。
そんなどうでもいいことを考えながら、俺は夕食が出来るまで時間を潰した。
チャイムが鳴ったような気がした。俺は階段を降り、玄関の扉を開ける。
「うわ」
「ただいま」
姉貴が、ずぶ濡れで立っていた。
「ちょっと待ってて」
俺は急いでバスタオルを取ってくると、姉貴へと渡す。
「一体どうしたんだよ、姉ちゃん」
「溺れてる子猫を助けようとして、川に落ちたんだよ」
ごしごしと髪を拭きながら、姉貴は答える。
「電話、ずっと繋がらなかったけど。メール読んだ?」
「いや、携帯壊れたし。何か急ぎの用でもあった?」
「そうか。いや、いいんだ。後で話すから。取り敢えず、お風呂入って来なよ」
「うん、そうする」
姉貴は家を水浸しにしない程度に躰を拭くと、風呂場の方へ歩いて行った。ふと玄関を見て思う。何かが足りないような。
「香苗、帰ってきたのか?」
「ああ、うん。夕立にやられたみたいで、ずぶ濡れだったから今お風呂」
やって来た父さんに、適当にそう説明する。
「そうか」
父さんは玄関を開け、空を見る。
「夕立、か」
丁度、綺麗な夕焼けが見える。俺は父さんにならって何となくそれを眺めていたが、飽きたのか扉は閉められ、鍵が掛けられた。
「それじゃあ、香苗が風呂から出たら夕食にしよう。久しぶりの、家族四人揃っての夕食だ」
「そうだね」
ここで、そういうのは面倒だから一人で部屋で食べるよ、と言うほど子供ではなかった。面倒でも、嫌でも、家族は家族だ。出来る限り仲良くした方が、より多くの面倒を招かずに済む。特に、表面上は。
「それじゃあ、姉ちゃんの着替え取ってくるから」
「ああ。そうだな」
多分、俺も父さんも何がそうなのか解らずに笑顔で別れ、俺は姉貴の部屋へ、父さんはダイニングの方へと向かった。
四人揃っての夕食は、思ったよりも自然な感じだった。
「それでお母さん、本当に大丈夫なの?」
「うん、平気よぉ。こういうのはね、何もしない方が体に悪いの。知ってる? ぼーっとしてる老人と、毎日せかせか何かをしている老人では、後者の方が健康で長生きするの。することがないからって、ごろごろしてたり寝てたりなんかしてると、人間の体なんてあっという間に駄目になっちゃうんだから。あんた達も気を付けなさいよ。使ってこその体、使ってこその人生なんだから」
「そうか。そうだな」
姉貴が話題を振り、母さんがそれを膨らませ、父さんが相づちを打ち、俺はにこにこしながら聞いている。会話がスムーズに進み、こういうのであれば家族の団らんと言うのもそう悪くはないかな、と思えた。とは言え、みんな少しずつ無理をしているからこそ、スムーズに回っている気はするのだけど。
「ごちそうさま、美味しかったよ」
そう言うと立ち上がり、空になった食器を流しへ持っていき、水につける。そして部屋に戻ろうかという時。
「なあ、久しぶりに家族でトランプでもしないか」
父さんが、いきなりそんなことを言い出した。最後に家族でそんなものをやったのは、確実に十年以上前だろう。
「いいけど」
特に用事がある訳でもないしな。
「家族でトランプなんて、十何年振り?」
姉貴は、そう言いながら笑っている。何だか乗り気だ。
「別に、いいんだけど。あなた、悪いものでも食べた?」
「今、涼子と同じ物を食べているはずだが」
「あはは、そうね」
姉貴もつられて笑う。
「それじゃあ俺、歯を磨いて来るから」
そう言って洗面所に向かい、丁寧に歯を磨いて戻ってくると、片付けられたテーブルの上にはトランプが一組乗っていた。
「懐かしいな、何する?」
椅子に座りながらそう言うと、父さんが唸りながら考える。
「ナポレオンは、四人じゃ出来ないしなあ」
「お母さん、そんな難しいのは知らないわよ」
「それじゃあ、ババ抜きなんてどう?」
「それならお母さんも知ってるわ」
「いいんじゃないかな」
「ああ、そうだな」
こうして俺達は、姉貴の提案したババ抜きをすることになった。
「普通にやるだけじゃつまらないから、罰ゲームをつけない?」
「罰ゲーム?」
姉貴のこういった提案には、余り良い思い出がない。
「いいじゃん、やろうよ。ババが残った人は、自分の秘密を一つ告白するの」
そう言われて、少しどきりとする。秘密、秘密か。
「いいじゃないか、やろう」
いつもならそういうことを下らない、と切り捨てる父さんがそう言うのは、少し意外だった。
「そうね、その方が面白そうだものね」
母さんは、いつも姉貴の味方だ。男の子は女の子を守るもの、だとか。弟なんだから我慢しなさい、だとか。最初は色々と納得出来なかったが、世の中の仕組みというものを理解して行く内に、まあ無理もないことなのかな、と思えるようになった。
「わかったよ、それでやろう」
「何だかんだ言って、お姉ちゃんの頼みを断らない弟が好きよ」
「一生、こうなのかな」
「どうかしらね?」
暗澹たる気持ちの俺とは対照的に、姉貴はにこにことカードをシャッフルし、配り始める。
そして。
「あれ、全部捨てられた」
「詐欺だろ」
姉貴は配られたカードのペアを処理してると、いきなり手札がなくなった。確認のため捨て山を見ても、ちゃんと全部揃っていた。
「あら、お姉ちゃん凄いわねえ」
「ああ、そうだな」
「凄いと言うか、こんなことってあるんだな。まあ、天和よりは出やすいか」
気を取り直して、母さんの方へ向き直る。
「時計回りに取っていく、でいいよな?」
「ええ、いいわよ」
俺は一枚母さんから抜き取り、ペアを捨てる。
「それじゃあ、私はお父さんから」
母さんがカードを取り、ペアを捨てる。
「それでは」
父さんが俺からカードを取るも、ペアにならなかったようだ。そんなことを繰り返し、俺はどうにか二位で抜け、母さんと父さんの間で数回カードのやりとりが行われた後、父さんの手にジョーカーが一枚残った。
「それじゃあお父さん、きりきり吐いて貰いましょうか」
母さんは、楽しそうに父さんを問いつめる。
「これで浮気してたとかいう話が出たら、どうする?」
姉貴はにやにやしながら俺に聞く。
「実はカツラだった、とか話されるよりはマシかな。俺の遺伝子の半分は、父さんで出来てる訳だから」
大真面目に言ったことなのに、姉貴は腹を抱えて笑い出す。
「大丈夫、お父さんは浮気をしたことはないし、髪は見ての通りふさふさだ。けれども一つ、言えないでいた秘密がある」
真剣な表情で言う父さんに、みんな静かになり、話を聞く姿勢になった。
「今日お父さん、会社に横領がばれて、クビになったんだ」
何と言っていいか、俺にはわからなかった。母さんと姉貴もそうだろう。ただ、父さんを見つめている。
「今までちょくちょく、折を見ては結構な金額を横領してたんだ。ローンを使わずこの家を建てた金もそこから来ていた。みんなには親父の遺産が、とか言ったけれど。結構上手くやって来たはずなんだけど、ついにばれちゃってな。それで、クビになった。本来なら訴えられたり警察に突き出されたりするところだったけれど、こういうのもなんだが、横領した分ぐらいの仕事はして来たからな。横領した分は退職金を払ったという形で、丸く収めて貰った。それよりも結構多い額を、横領してたんだけれどな。だから、当面の生活の心配はない。土地も家もあるし、今ある貯金だけでも十年二十年は普通に暮らしていけると思う。二人の大学の費用とかを考えた上でも、だ」
それを聞いて、俺は怒ればいいのか、悲しめばいいのか、よくわからなかった。父さんは悪いことをしたらしいが、それは父さんのためでもあるが家族のためでもあって。俺だって、ローンで家を買うのとローンを使わずに家を買うのではどれだけかかる金が違うかは知っている。と言うか、そもそも子供なんて金がかかる生き物を作らなければ、経済的余裕は驚く程多く生まれる訳で。父さんがそういうことをした理由には、間違いなく俺や姉貴の存在もあるだろう。
悩んでいると、母さんが父さんの手を握って言った。
「あなたは、よくがんばったと思うわ」
「そうよ、お父さん。仕事なんて、また探せばいいじゃない。会社には悪いと思うけれど、お父さんは、私にとって最高のお父さんだよ」
姉貴のその言葉に、父さんは感極まって涙を流し始めた。
「すまない、すまない」
「姉ちゃんの言う通り、確かに会社の人間には悪かったろうけど。お陰で、俺達は今まで何不自由なく暮らしてこれたんだ。だから別に、いいんじゃないかな」
傍迷惑な話だろう。けれど、所詮人間なんて自分勝手な生き物なんだ。俺の抱いている感情の正体がわかった。それは、安心だ。父さんが訴えられるようなことにならなくて、本当に良かったと。俺は心から喜んでいたのだ。
「さて、それじゃあ続けましょうか」
「まだやるのかよ」
父さんが落ち着いたのを見計らって、姉貴はカードをシャッフルし、配り始める。
「何だか、すっきりしたな。正直、どう切りだそうか、ずっと考えてたんだ」
「私が倒れてよかったわね? あなた。丁度いい切っ掛けになったじゃない」
「涼子には、本当に、いつも助けられているよ」
「それじゃあ、一月ぐらい再就職はお休みして、私と一緒にいる時間を作って下さらない?」
「ああ、そうだな。それもいいかも知れない。今まで何もしてやれず、本当に済まなかった」
会社を失って、初めて残ったものが大切だったと気付く。俺に似て単純だな、と思う。いや、俺が親父に似て単純なのか。
「さて、配ったよ。やろう?」
俺は配られたカードを取ると、ぱっぱとペアを捨てていく。父さんと母さん、姉貴もそれを終え、また時計回りにカードを取っていくのが始まった。
「これであがりっ」
「姉ちゃんは昔から、こういうの強いよな」
「へへへー」
しかし俺も罰ゲームが嫌なので、割と真剣にジョーカーを引かぬよう、表情やカードの動きを見る。父さんと母さんはそこまでして勝とうと思ってないのか、俺は姉貴の次にあっさりと上がった。
また父さんと母さんが幾らかカードのやりとりを行い、今度は母さんの手にジョーカーが残る。
「さあ、お母さん。秘密をきりきり吐いて貰いましょうか」
「秘密、秘密ねぇ。大した秘密はないのだけれど」
「罰ゲームなんだから、ちゃんとそれっぽい秘密を一つ、教えてよね」
「そうねぇ」
母さんは少し困ったような表情をして、言う。
「本当は、お墓まで持っていこうと思った秘密だけれど。折角の機会だしね、言ってしまおうかしら」
「うんうん、言っちゃえ言っちゃえ」
後ろ暗いところなんて何もなさそうな母さんに、そんな秘密があったなんてな。俺と父さんは驚き、黙って成り行きを見守る。
「お母さんね、実は末期のガンなの。手術しても痛いだけで治らない可能性がほとんどだったから、余生を出来るだけ満足出来るように過ごすことに決めたの。薬は痛み止めだけで、なるべく支障なく普段の生活が送れるようにして貰ったのよ。余命は、後一ヶ月ぐらいかな。流石に終わりが近付いて来てるだけあって、今日倒れちゃったね」
母さんがしきりに病院に連れて行かなくていい、救急車も呼ばないでと訴えた理由がわかったような気がした。
「涼子……」
父さんはそう言って、呆然としていた。
「ごめんね、あなた。だけど人間なんて、どうせいつかは死ぬでしょう? だったら、どれだけ生きるかじゃなくて、どう生きるかの方が重要だと思わない? 私、あなたと出会えて、素晴らしい子供達に囲まれて、幸せだったわ」
父さんは立ち上がり、母さんを抱きしめる。
「だからさっき、あなたが会社をクビになったって聞いた時、少し嬉しかったの。最期に、今まで以上にあなたと一緒にいられるなら、私が望むことは他にないわ。私が愛したあなただからこそ、仕事の邪魔をしたくなかったのだけど。仕事の方からなくなってくれるなんて、神様もなかなか粋な計らいをするものよね」
母さんはそう穏やかに笑い、父さんを抱きしめ返した。
俺はまだ、今一つ実感が湧かない。
「姉ちゃん」
思わず、姉貴の方を見て、何か言葉を求めた。
「人生至る所に青山ありって諺、知ってる?」
「いや」
聞いたことぐらいはあるが、意味までは知らない。
「青山ってのはね、お墓のこと。人間はいつ死んでもおかしくないからこそ、生きてる内に堂々とやりたいことをやりなさいってことよ。お母さんは、そうやって生きたのだから。それを誇りに思い、尊重し、見守ればいいんじゃないかな。特別、何かをする必要なんてなくて」
「そう、なのかな」
俺にはよくわからなかった。でも姉貴のその言葉には何の迷いもなく、素直に信じてもいいかな、と。そんな風に思えた。
「夫婦水入らずの旅行って、してなかったでしょう? あなた、一緒に温泉にでも行かない?」
「ああ、ああ。行こう。どこへでも行こう。外国だって、世界一周だって、なんだっていい」
「駄目よ、あなた。そんな慣れないことをしたら、疲れちゃうわ。ゆっくり、穏やかに。そういう風に私は過ごしたいんだから」
「そうか、そうだな。涼子、悪かった。気付いてやれず」
「いいのよ、あなた。一生懸命仕事に励むあなたの後ろ姿、私は大好きだったんだから」
父さんは会社をクビになり、母さんは末期のガンで余命一ヶ月。平和な家庭がいきなり崩壊してしまったような事実を突きつけられたが、それでも不思議と家族との繋がりが深まったような気がした。今まで、面倒だな、ぐらいにしか思っていなかったのに。
「それじゃあ、次いってみよう!」
「そうだね」
俺は思うところがあり、そう言って素直にカードが配られるのを待つ。
ペアになってるものを捨て、カードを引かれ、引き、そしてペアになっても捨てないでおいた。みんなのカードが減っていく。今思えば、父さんも母さんもそうやって自分がビリになったんだな。動きが少し不自然だと思ったんだ。
そうこうしている内に恙無くババ抜きは進み、最後に俺の手元にジョーカーが残った。何を話すかは、もう決めてある。
「秘密、秘密か」
「さあ、きりきり吐きなさい」
「大したことは無いんだけどな」
そう前置きしてからカードを置き、話し始める。
「これは俺の友達の友達の話なんだが、そいつは今から一年前、人を殺したことがあるんだ」
突拍子もない話に、父さんと母さんは息を飲む。
「当時、そいつにはとてもとても憎い男がいたそうだ。軽薄で、人のことを何とも思わず、欲望のままに生き、男も女も体よく利用しては捨てる。だけどその男にはそれだけのことをやっても変わらず色々な人間に囲まれる程魅力的で、またそういうことをやり通すだけの力もあった。欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れ、気に入らない人間はとことん陥れ、何もかも思うがままにしていた。その男に不幸にされた人間は多く、だからそいつはその男に強い憎しみを抱いてたんだそうだ」
「うんうん、それで?」
姉貴だけは楽しそうに続きを促してくる。
「それで、その男がある日、そいつに向かってこう言ったそうだ。『お前、美人の姉ちゃんがいるんだってな?』……そいつは念入りに計画し、その男を殺し、自殺に見せかけて富士の樹海の奥深くへその男を捨てて来た。発見されたのが半年後だったんで、腐敗が進んで死因とかはよくわからず、遺書もあったし自殺ということで片付いた。警察は、殺人事件は躍起になって追うけれど、素行の悪い人間が行方不明になってもそう熱心に追いはしないから。そういう訳で、そいつは今も何の問題もなく、普通に暮らしてるんだ。人を一人、殺したというのに」
父さんと母さんが、まさか、という視線を俺に送ってくる。
「俺の友達の友達の話、だよ」
「その殺された男の人って、本気で言ってたのかな?」
「さあ、どうだろうな。冗談だったかも知れないし、ただそいつの身の回りのことが気になっただけかも知れない。そいつと殺された男は表面上は仲良くやっていて、周りには親友と思われていたらしいから。だからこそ、その男がいなくなってもそいつを疑う人間は誰もいなかったらしいよ」
「ふうん。それにしても、怖いね。人間、どこで誰の恨みを買ってるかなんて、わかったもんじゃないもんね」
「そうだね。いつ、どこで、どんな悪意が向けられるか、わかったもんじゃないもんな。気を付けないとな」
俺がそう言うと、何故か姉貴は寂しそうに笑う。
「お父さんは、お前がそういう風に殺されなくて、よかったと思ったよ」
「ええ、そうね。お母さんもそう思うわ。その殺された男の人は災難だったけれど、自業自得とも言えるしね。世の中には、生まれた時から十年は生きられないだろうと言われる人間だっているし、貧困のため家族の半分は飢えて死んでしまう国だってあるわ。そういうのに比べたら、きっとその殺された男の人も幸せな人生を歩んだんじゃないかしら?」
そいつは、それが悪いことだって知っていた。知っていて、やったんだ。だから後悔はない。けれどもそれは、決して許してはいけない行為のはずだ。けれども、父さんと母さん、姉貴はそれを許すらしい。それが理不尽で、不条理で、明らかな悪だとわかった上でだ。
何故なら。
「さて、俺の話はこれでおしまい。続きをやろうか」
「ああ、そうだな」
人の道理や倫理よりも、大切なものがあると知っているからだろう。
カードが配られ、それぞれペアになったものを捨て、左隣の人間からカードを取っていく。
今回は姉貴のカードが全然減っていかず、俺が一番にあがり、父さんが二番目にあがり、そして母さんと姉貴の間でだけカードのやりとりがなされるようになった。当たり前の話だが、二人でのババ抜きはジョーカーを引かない限りペアが作られカードが減っていく。
「どっちがババかしら」
「えへへ、どっちだろうね?」
姉貴の手札は二枚。母さんの手札は一枚。母さんがにこにこ笑いながら、姉貴からカードを取る。ペアになり、姉貴の手元にジョーカーが残った。
「あーあ、負けちゃったか」
「姉ちゃんに、秘密なんてあるのかな」
「失礼ね。女の子には、いっぱい秘密があるものよ」
姉貴はジョーカーを放り出し、指を組んで軽く伸びをしながら言う。
「涼子、香苗に結婚を前提としたお付き合いをしてる人がいるとか言われたらどうしよう」
「あらあなた。もしかしたら既に子供が出来てるかも知れないわよ?」
父さんと母さんは、冗談めかしてそんなことを言う。
「ねえ、テレビつけてくれる?」
俺は姉貴に言われるがまま、リモコンでテレビをつける。何となく、姉貴の言いたいこと、やりたいことはわかっていた。二十年も一緒に暮らしていると、そういう勘のようなものは時々働いたりする。
『発見された水死体は、女性のものと思われ、身元を特定出来る品を身につけていないため……』
夜のニュースで、そんな内容が流されている。
「これ、私なんだ。ちょっと今日、犯されて、殺されて、犯されて、海に捨てられちゃった。さっきも話してたけれど、本当に人間どこで恨みを買ってるか、わからないものよね。この場合、恨みと言うより恋愛感情の歪みだったのかな? なんにせよ、私、殺されちゃった」
父さんと母さんは、何を冗談を、と言う目で見ている。けれども俺は、繋がらなかった携帯や、ずぶ濡れだった姉貴を見ていたし、何となくそんな気はしていたのだ。
「ごめんねお母さん、お母さんより長生き出来なくて。でもお母さんの言う通り、人生なんてどう生きるかだよ。いつまで生きるかが問題じゃないの。ちょっとばかり失敗して、私は早く終わってしまったけれど、お父さんとお母さんの子供に生まれて、私は幸せだったよ。とても幸せだった」
「香苗……?」
「冗談、よね?」
真に迫った言葉に、それが冗談ではないとようやく察したようだ。俺は黙って、姉貴の言葉に耳を傾ける。
「犯人を許す許さないとか、どうするかとかは、全部任せるよ。私はもう、死んじゃったから。良くTVとかでは娘の無念を晴らしてやりたいですとか言うけれど、正直無念だとかそんなものはなくて。死者は何も感じないし、何も思わないんだよね。思えないと言う方が正しいかな。だから、報復も復讐も死者のためではなく、結局は残された人達のためのものだよね。残された人達が納得するまで、色々やればいい。けれども、それを死者の意志として掲げ続けられるのは嫌かな。死者はただ穏やかに、眠るだけなのだから」
いつしか、父さんと母さんは泣いていた。俺はただ、自分が犯人を殺したいかどうかを考えていた。
「それじゃあ、今までありがとう。とても、とても楽しかったよ。先に逝ってごめんね、お母さん。大変な時に支えてあげられなくてごめんね、お父さん。最後に、弟よ。一人目が上手くいったからって、二人目も上手くいくとは限らない。それだけは覚えておいてね? それじゃ」
姉貴はそう言うと、幻のように掻き消えてしまった。いや、本当に幻だったのかも知れない。キッチンの方に目をやると、姉貴の分の食事がラップにかけられそのまま残っていた。
電話が鳴る。泣いてる父さんや母さんの代わりに、俺がそれを取った。
『夜分遅くすいません、警察のものですが』
日本の警察は、なかなかどうして優秀だ。俺は姉貴と連絡がつかずまだ帰ってないことを伝えると、確認のためにその水死体を見に行くことを了承して電話を切った。
「……ままならないものだな」
呟やき、ジャケットを羽織る。夏と言えど、今日は冷えそうだ。
そして俺は、闇の中へと歩き出した。
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