フルアンルージュのサラダ(爆弾添え)
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     1.

 

 バニングス邸のとある一室。

 その部屋の主は机に向かい、ハートマークがあしらわれた便箋に、いかにも少女らしい文字で文(ふみ)をしたためていた。

 それが何のための文であろうか――それは、誰の目から見ても明白である。

 思い悩み、考え――ようやく思いついた言葉をやや躊躇いがちに、だが意を決し書き記していく。

 このような手紙を書くなどと言うのは、何年ぶりであろうか。

 だがこれは必要なことだ――と、書きながら思考する。

 ペンが止まった。

 字そのものは女の子らしい丸っこいものではあるが、使っているペンは黒のボールペンだ。

 思いを伝える為の物に余計な装飾はいらない――持論ではあるが。

 装飾など、せいぜい薄い色で申し訳程度の模様が描かれた便箋で充分だ。

 そう、大切なのは言葉なのである。蛍光ペンや装飾ペンなどを使った文で、どれだけの気持ちが伝えられようか。

 気取った文章など必要ない。純粋たる自分の思いを形にすればいい。

 そういう意味ではこの手紙は――恥ずかしながら、自分の持論に対して理想的な内容である。

 最後の一行を書き終え、読点をつけた。

「まる」

 と、思わず口に出し、そしてそこで終わり。

 書いた文章を最初からざっと目を通し、誤字や脱字がないのを確認し、その上でインクが乾わかす。

 もちろん、乾いたかどうか触ってみる……などという愚は冒さない。

 それらを一頻り確認し終えると、丁寧に折り畳み白い横型封筒へしまった。

 最後に、封筒へ宛名を書こうとして筆が止まる。

 ある意味で、ここが正念場だ。

 全身全霊の思いを込めて、ペンを走らせた。

「ふぅ」

 軽く汗を拭う。

 初夏――それも気温の低い日の夜とはいえ、やはりクーラーもつけずに部屋を閉め切っていると暑い。

 とにかく――仕上げとして、封筒の口をハートマークのシールで封じ、完成させる。

 それから、少しでも早く封筒のインクを乾かしたく、窓を開け払い、そこから手を出す。もちろんその手には封筒が握られている。

 ごうごうと唸るように吹き荒ぶ風が封筒を歪ませる。

 そう――歪ませるのだ。揺らすのではない。

 雨こそ降ってはいないものの、すぐそばまで台風が接近しており、その影響で海鳴全域に暴風波浪警報が出ていたりする。

 それでも、速く乾いて欲しいという一心で、手を伸ばし――

 コンコン

「お部屋にいらっしゃいますか?」

 ノックの音とその声に、びっくりしたフリをして手を離した。

「むぅ……飛んでいってしまいましたな」

 強風に乗って一瞬にして宵闇の中に吸い込まれていった封筒を見送りながら、とてつもなく深刻そうに彼――鮫島某は呻く。

「あの……執事長?」

 コンコンと、再びドアがノックされる。

「ん? ああ、すみません。今行きますよ」

 そして彼は、まるで何事も無かったかのように、自室を出て行くのだった。

 

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     2.

 

 昨日の暴風が嘘のように収まり、快晴となったその日――高町恭也は、八束(やつか)神社の裏林にやってきていた。

 主に早朝や夜間訓練で来る場所だが、彼が昼を終えた炎天下の中、ここに来ていることに、取り立てて理由はない。

 大学は夏季休講であり、恋人である忍とはなぜか今日は連絡がとれず。上の妹は友人と香港に遊びに行っており、下の妹は今日も今日とて魔法使いのお仕事だ。

 それで、両親が経営している喫茶店でも手伝おうかと思えば、夏休み中オンリーのバイトが数人入った都合により、人員は間に合っているから、休みを満喫してこいと言われてしまった。

 手持ち無沙汰となった恭也は暇つぶしと実益を兼ねた剣の訓練に至ったというわけである。

 素振り。投げ物。鋼糸。筋トレ。

 一通りのメニューをだいたい十五セットほど終え休憩をする為に神社に境内に腰を掛けたとき、ふと恭也はあるものが目に入った。

「……封筒、か?」

 可愛らしい白い封筒が、境内の板の隙間に挟まっている。

 それを手に取ってみると、よく見知った名前が宛名として書いてあった。

 

 【クロノ・ハラオウン様へ】

 

「ふむ……」

封筒の裏も見てみるが特には差出人の名前なども書いておらず、少々思案する。

 差出人の名前が書いてないことに、僅かながら疑念が浮かぶ。

 魔法使い達の話では、クロノはあれで中々の要職に付いているらしい。考えようによっては手紙を使ったブービートラップの可能性もある――

「……馬鹿らしい」

 思わず苦笑する。

 自分で考えておきながら、あまりにも現実味がなさ過ぎだ。

 封筒といい、封をしてあるシールといい――どこをどうみても女の子からの手紙だ。

 昨日あたり、誰かがクロノに渡そうとして飛ばされたものなのだろう。

 クロノも時々翠屋を手伝ってくれている。その時に一目惚れでもした女の子がいたのかもしれない。

「まぁ――暇だしな。届けてやるか」

 幸いハラオウン宅の住所は心得ている。

 送り主が誰であれ、最終的にこの手紙を開けるか否を決めるのはクロノだ。

 自分があれこれ考える必要など無い。

「よし」

 とりあえず、暇を潰す手段が見つかった。

 恭也はクールダウンがてらに、整備体操をしつつ荷物を纏めていく。

 そこへ、

「ん? ああ――鮫島さん」

 誰かがやってくる気配を感じ、振り返ると見知った執事がそこにいた。

「おや? これは恭也様。奇遇でございますな。今日も剣の訓練ですか?」

「ええ。今日は……鮫島さん、お一人ですか?」

 バニングス家の執事である彼――鮫島氏は、基本一人で出歩くことはない。ましてや一人娘アリサの専属でもあるのだ。それこそアリサと行動を共にしているはずなのだが……

「はい。実は、昨晩――とある文(ふみ)が風に飛ばされてしまいまして……」

「え?」

 思わず、恭也は手元の封筒を見遣った。

「おや? それは?」

 その恭也の目線に気が付いたのか、鮫島氏が訊いてくる。

「えーっと――実はそこの境内の板に挟まってまして……」

「見せていただいても宜しいですか?」

「どうぞ」

 断る理由もなく、恭也は封筒を手渡す。

 それをまるで穴が開くほど凝視し、

「こ、これはぁぁぁッ!」

 それを掲げて、鮫島氏は奇声を上げた。

「なんというか物凄い悪寒が」

 その様子に、恭也は身を竦ませる。

「……って、鮫島さん! 何勝手に封を切ってるんですかッ!?」

「いえ――少々確認を……」

「いや、確認って……まさか鮫島さんがしたためていた文って……」

「なるほど――よもや恭也様にこのようなご趣味があったとは意外でした」

「はぁッ!?」

 鮫島氏の予想外の言葉に、恭也が素っ頓狂な声を上げる。

「この手紙から感じ取れる熱きパッション。忍お嬢様という思い人をお持ちになりながらそれとは別に密かに思う禁断の恋!」

「待て!」

「では不肖私鮫島が――この手紙、恭也様の熱い想いであるとお伝えしつつクロノ様にお渡ししたいと思います」

「さらに待て! ……っていうか何が書いてあったんですかッ!?」

「はっはっは――ご冗談を。ご自分でお書きになられたのでしょう?」

「断じて違います!」

 とりあえず、封筒から受けた印象と中身におおよその相違はなかったようだ。

 もっとも、ここで鮫島氏を止めないと後々とんでもない事になりそうだが。

「それでは失礼致します。訓練の続きがんばってください」

「逃がすか!」

 大きく距離を離す鮫島氏に、恭也は素早く鋼糸を放り、巻きつける。

「何故です?」

「いや……あの、何故も何もないでしょう?」

「なるほど。やはり渡すのならご自身で――と、いうことですね」

「全然違うが、そうだと言ってその手紙を返してくれるなら、仕方なくうなずきますが」

「おや認められるのですか?」

「一言もそんなこと言ってませんって」

「ですが恭也様が認める認めない関係なく、私は認めたという事にして、この手紙をクロノ様に届ける義務があります」

 どうやったのか、しっかりと巻きついていたはずのワイヤーから鮫島氏はするりと抜け出すと、大きく跳躍して境内の屋根の上に飛び乗った。

「いや、あの――それ人間の跳躍力じゃないと思うんですが」

「気にしてはいけません。私は気にしてませんし」

「自己完結しないで下さい!」

 隠し持っていた飛針(とばり)を手にし構え、恭也は鋭く叫ぶ。

「では、私は急ぎますゆえこの辺で失礼致します」

「させんッ!」

 わりと本気で恭也は手の中の飛針を投げ付けた。だがそれが着弾するまえに執事の姿は消えていた。

「はーっはっはっはっはっは……」

 そんな乾いた笑い声の残響だけ残して。

「まずい。まずいまずいまずいまずいっ!」

 うわごとのように何度も繰り返しながら、恭也は手荷物を背負う。

「くっそ! なんとしても止めないとッ!」

 あらぬ誤解が広がらぬうちに――

 途方も無い絶望感と焦燥感を胸に、恭也は自己ベストを大幅に更新する速度で、ハラオウン宅に向かって走り始めた。

 

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     3.

 

 ずざざざざざざ――っと、砂煙を巻き上げながら駆ける恭也の視界に、見覚えのある金髪の少女の後姿が飛び込んでくる。

「アリサッ!」

 名前を呼び、彼女の真横で急ブレーキをかけた。

「きょ、恭也さんッ!?」

「今、暇か? 暇じゃなくても連れて行くが一応答えてくれ」

「えっと、まぁ――暇ですけど……」

 恭也に早口で捲くし立てられ、アリサは一歩引き気味にうなずいた。

「そうか。ならすまんが付き合え」

「え?」

 言うが早いか、恭也はアリサをお姫様抱っこする。

「え? え? え?」

「生憎と快適とは程遠いがハラオウン宅まで我慢しろ」

「いや――え?」

 目を丸くし、事態をまったく理解できていないアリサのことなど無視して、恭也は再び走り始めた。

「あわわわわあっわっ!」

 アリサは慌てて恭也にしがみつく。

「きょ、恭也さん! 走りながらで良いんで、と……とりあえ、ず……説明をっ!」

「じゃあ、一言説明を――お前の執事を止めて欲しい」

「あ、それ無理」

「即答ッ!?」

 絶望に押しつぶされそうな心を奮い立たせるように、恭也は叫んだ。

「とにかく、お前をハラオウン宅に連れてくという事実は変わりないんでよろしく」

「そ、それは……まぁ……いいんですけど」

 ちょっとだけ顔を赤らめながら、アリサはうなずいた。

 

 

「見つけたぁぁぁぁッ!」

 アリサを抱えたまま走りつつ、ようやく目視できたターゲットに、恭也は思わず声を上げる。

 手紙を手にした執事は、屋根の上を恭也と同じ速度で走っていた。

「うあー恭也さんも大概人間外だけど鮫島も中々やるわねー」

「感心してる場合か」

 まるっきり他人事な口調でつぶやくアリサに、恭也はうめいた。

「っていうか、鮫島ってば今回なにをやらかしたんですか?」

 問われ、やや恭也は答えあぐねる。

「いや、まぁ――その、なんだ……」

「?」

 何ら恭也に落ち度のない出来事ではあるが、説明によってはあらぬ誤解を与えかねない。

 ここは慎重に言葉を選び、説明をするべきだろう。

「恭也さん?」

「ああ、すまない。とりあえずだな――」

「恭也様がラブレターを書かれたのです」

「そうそう……って、待て!」

 思わずうなずきかけて、恭也は慌てて訂正する。

 ついさっきまで先方の家屋の屋根を走っていたはず鮫島氏が何時の間にか横に湧いていた。

「おや? 何かご不満でも?」

「面妖なところへのツッコミはとりあえず置いておくとして――鮫島さんには何一つ説明不要だと思いますが俺はその手紙に関して何ら関わりあいはありません」

「おや? これは異なことを。本当に完全無欠に関わりがないとお思いですか?」

「いや……まぁ……」

 確かに拾ったのは自分であるし、関わりあいが皆無であるかと聞かれると、ノーと言い切る事は出来ないのだが――

「それでは、恭也様のしたためた思い。この私がお届けいたします」

「止めて下さい――っていうか止めろぉッ!」

 アリサを抱えたまま、恭也は器用に手首を振って飛針を投げるが、それを無音のまま執事はひょいと躱した。

「……恭也様とクロノ様の未来の為――私は出来る限りのことを致します」

 そう言って鮫島氏は優雅に一礼すると、踵を返して走り出す。

「逃がさんと言っているッ!」

 再び恭也もそれを追って走り出した。

「それにしても……恭也さんにそっちのケが――」

「断じて違うと断言させてもらうッ!」

 蚊帳の外で会話を聞いていたアリサがポツリと漏らした言葉に、恭也は全身全霊をもって否定した。

 

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     4.

 

「あの速度で屋根をイナバの兎やってる鮫島も凄いけど、私を抱えながら走って疲れた様子のない恭也さんも化け物よね」

「化け物とは失礼な」

 そう答えつつも、恭也自身も――正直、アリサを抱えながらよくココまで走れるものだと自画自賛してみたくもなる。

 良いトレーニングだと思えばそう悪くは無いのかもしれないが、状況が状況だ。

「あ、フェイトのマンション見えてきた」

「むぅ……どう足掻いても鮫島さんの方が速いな」

 アリサを抱えているからとか、鮫島の方が足が速いとか、そういう次元ではなく――それこそ物理法則すら超越した良くわからない理由で、勝てる気がしない。

「あのさ恭也さん」

「なんだ、アリサ?」

 どうやったらこの事態を収めることが出来るのか――その一点だけを考えていると、ふとアリサが口を開いた。

「確かにクロノにあの手紙を渡されると、色々危険かもしれないけど……」

「ああ。特に俺の印象が、な」

「それ以上に、エイミィさんの手に渡る方が危ないと思わない?」

 そ恭也の背中に、冷たい汗が一筋流れる。

 マンションの入り口手前。生垣に腰を掛けて缶コーヒーを飲んでいる管理局局員が二人。

 件のクロノと――そして、その助手のエイミィ……。

「どうにか――しないと……いや……」

 直後、恭也は視界から色彩が消した。

「どうにかしてみせるッ!」

 ほんの僅かな時間だが、知覚力を爆発的に高める御神流の歩法奥義――神速。

 本来、脳が色彩情報を処理する部分を他の情報処理に割り当てるため、これを使っている間、恭也の目にはあらゆるものから色が抜け落ち、白黒として目に映る。そのあらゆるものがモノクロとなった世界を、恭也は全身の力を振り絞って駆け抜ける。

 だが、奥義を使い一瞬とはいえ極限まで運動能力を高めたにもかかわらず――

「ク・ロ・ノ・さ・まぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 鮫島氏は、恭也の伸ばした手を避けて目標ポイントへと到達する。

「ああああああああああああああああああ」

 視界に色彩が戻っていく中、絶望が喉の奥から迸る。そして、ゆっくりと身体を傾かせながらぐったりとつぶやいくのだった。

「お……終わった……」

 

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     5.

 

「クロノ様。こちらを」

 唐突に渋い声で名前を呼ばれ、いぶかしみながら視線を向けると――見慣れた執事が一人、急ブレーキを掛けて目の前でピタリと止まった。

「また――やっかいごとですか?」

 思わず呻く。

 正直、この執事と関わって良い目をあった記憶がない。

「はっはっは――恭也様に引き続きクロノ様まで異(い)な事を仰る」

 乾いた笑いを浮かべる執事のその遥か後方では、友人の兄がなにやら呻き声を上げながら仰向けに倒れている――というか、深く考えずとも絶望的な状況下でとりあえずうつ伏せに倒れるとアリサを潰してしまうという事に頭が回るだけの余裕があったことは、尊敬に値する。

「こんにちわー鮫島さん」

「はい、エイミィ様もお元気そうで」

「ところで何を持ってるんですか?」

「ああ、こちらですか?」

 エイミィに問われ、手に持っている手紙を手渡した。

「恭也様からのお手紙です」

「へー」

 適当なあいづちをうって受け取るエイミィは、勝手に封開けると中身を取り出した。

「おいエイミィ」

「はいはい。後で読ませてあげるか……ら……」

 クロノの不満声を適当にあしらおうとしたエイミィのセリフが途中で止まる。

「まさか――美由希ちゃんのお兄ちゃんにそんな趣味がッ!」

 エイミィが悲鳴染みた声を上げた。

「ですがエイミィ様。その事実――受け入れなければなりません」

「そ、そんな……」

 執事に乗せられて呆然とするエイミィの頭をコツンと小突いて、クロノは手紙を取り上げる。

 それにザッと目を通すと、恭也を放置してこちらへと向かって来るアリサを手招きした。

「何? クロノ」

「これ――ちょっと目を通してくれ。僕の記憶が確かならば、キミの字に似てると思うんだが」

 手紙を受け取りながら、アリサは訝しげにそれを読む。

「うーん……確かにあたしの字っぽい――でも……」

「わかってる……」

 考えたくない事ではあるが、なまじ前回のことがある。

「何を仰られているのですがお嬢様。昨晩、書かれていたではありませんか」

「そうかしら? 昨日はずっとすずかと電話でお喋りしてたんだけど……」

「いえ、そんな事はございません!」

 失礼ながら――と、付け加えて、執事はアリサの目の前で指をにょろにょろ動かしながら告げる。

「アリサお嬢様がお書きになりまいた。お書きになりました。書いた気になってくる〜なってくる〜」

「洗脳しようとするなッ!」

 そんな鮫島氏をクロノがはたき倒す。

「えーっと……」

 目の前で繰り広げられている事に思考が付いていかないのか、困っているアリサにクロノが告げた。

「大丈夫だ。別にこの手紙に関しては、恭也さんの物だともキミの物だとも思わないよ」

 やれやれと肩を竦めて嘆息するクロノの横で、

「アリサちゃん……」

 エイミィがなにやら拳を胸元で握り締めている。

「なんです?」

「私のクロノ君は絶対に渡さないわよ!」

「キミも信じるなッ!! っていうか渡さないってなんだ!? 僕はキミの物じゃない!」

「まぁ別に私はいらないですし」

「うぅ……その言い方は傷つくなぁ……」

 まるで一緒に魂まで飛び出すのではないかと思うほど盛大なため息をついてから、クロノは改めて手紙を見直す。

 見れば見るほど、女の子の書いたラブレターだ。自分にまったく無関係であっても、見るだけで少し照れてくるような、こっ恥ずかしくなってくるような、そんな純粋な甘さの詰まった文面。

 これがイタズラではなく、誰かが真剣に書いたものではないかと錯覚してしまうほど真摯な言葉。

 だが、届けてきたのがこの執事で、恭也――そしてアリサというお膳立てが揃っている以上、疑う余地も無く、執筆者は目の前にいるこの執事なのである。想像するだけでもおぞましい事実であるが。

 大きく息を吐く。吸う。そして再び大きく息を吐く。

「鮫島さん。あのですね――」

 この辺りで、やはりこの執事とは決着をつけるべきだと思う。

 恭也とアリサの――そして何より、自分の心の平穏のためにも。

 意を決し、言葉を告げようとした時、

 コーケコッコーーーーーーーーッ!

 突如、ニワトリの鳴き声がした。

「は?」

 呆然とする周囲を横目に、鮫島は何事も無かったかのように胸元から懐中時計を取り出すと、

「おや? もう三時になるのですな。ではアリサお嬢様、私は先にお屋敷に戻りティータイムの準備をしてきますゆえ、お先に失礼致します」

「え――あ、うん……」

 反射的に――というか、きっと何かを考える余裕などなかったのだろう――アリサがうなずく。

 それに、執事は丁寧にうなずき返すと、クロノ達へと向き直った。

「それではクロノ様、エイミィ様、私は失礼させて頂きます。そして、クロノ様――恭也様と末永く――」

「ちょっと待って下さい……」

 執事の言葉を遮って、クロノの底冷えするような声が響く。

「?」

 せっかく意を決したというのに、それを発散するタイミングを逸してしまった。

 しかも、自分でアリサが書いたことにしたくせに、最初の恭也説を気が付くと採用している。まったくもって、この執事は自分の行動に責任を持つということを知らないらしい。

 というか――そもそも、話し合いでどうにかなるような問題でもない気がする。

 つまるところ、しばらくこの執事が動けなくなれば世の中に少しは平和が訪れるのではないだろうか。カオス理論で考えるのなら、ここで鮫島氏を叩きのめすことが、どこか別の世界での世界平和に繋がる可能性が無いとも言い切れないのだから。

「何か仰いましたかな? クロノ様」

「捏造した事実を祝福しないでください――っていうか、一応アリサが書いたことにしたんじゃなかったんですか?」

「ええっ! 捏造だったの!?」

 驚くエイミィを無視して、クロノは告げる。

「ともかく、僕らのイメージが悪くなるようなあらぬ誤解を――」

「では、みなさんの為に市役所にでも寄ってから帰りたいと思います」

「行かせるかッ!」

 クロノの言葉を遮ってお辞儀をし、踵を返した鮫島氏にクロノはわりと全力でブレイズキャノンを解き放つ。

 それは執事の足元に突き刺さり爆炎を巻き上げる。

「ちょ、ちょっとクロノ君!?」

「さ、さすがにそれは――」

 女性陣の口からは驚きの言葉が漏れるが、クロノは気にせず煙を睨む。

 すると、

「では、お嬢様。紅茶が冷めてしまわぬうちにお帰りになられてください。私は先に戻りティータイムの準備をしておきます」

 煙の中からそんな声が聞こえてきて、やがて晴れると――そこには、小さなクレーターだけが残るだけだった。

「うーわ。アリサちゃん、鮫島さんって人間?」

「――だと思うわよ」

 クロノは撃ち損じてしまったことに、悔しそうに舌打ちする。

「だけどまぁ―ー」

 とりあえず、この手紙が世間に知れ渡ることがなかったのは僥倖といえるだろう。

「こんものッ!」

 そして――

 当たり所のない不安をぶつけるように、クロノは飾り気のない無地の便箋をメチャクチャに破り捨てるのだった。

 

-6ページ-

 

     6.

 

 絶望に打ちひしがれ、地面に横たわる恭也の腹の上に、執事は突然現れた。

「ぐげぇ……」

 恭也は思わずカエルが潰れるような声を漏らすが、なんと悶えることだけは堪え、その足を捕まえて無造作に振り払う。

 足を払われた執事は、頭から地面にぶつかった。

 それから、ゆっくりと立ち上がり、

「何をするのです?」

「それはこっちのセリフです」

 即座に言い返し、恭也は乱暴に起き上がる。

「とりあえず私はこれで失礼しますね」

「あ、ちょっ……鮫島さん!」

 恭也の伸ばす手は執事を捕まえることなく、空しく虚空を切るだけ。

 捕まえられなかった事に、思い切り歯軋りをしていると、ふわりと目の前に白いものが舞い降りてきて、思わず捕まえた。

「これは――?」

 先ほどの騒ぎで使われていたものと、同じ封筒。その表には、先の封筒に書かれていた文字と似たような筆跡で、やはり【クロノ様へ】と書いてあった。

 訝しみ、裏をみるとこちらには差出人が書いてある。

 鮫島アリサ・バニングス。

 眩暈がした。それはもう強烈なくらいクラクラと。むしろグラグラと。

 と、

「ひどい……」

 唐突にすぐそばの電柱の陰から声が聞こえて恭也はそちらに視線を移す。

 居たのは、中学生ぐらいの少女。この辺りではあまり見ない制服で身を包んだその少女の視線の先で、クロノはラブレターを破り捨てていた。

「せっかく……せっかく書いたのに……」

 その少女の瞳からは涙が零れている、

(あの娘……どこかで……)

 何とか記憶の糸を手繰り寄せ、思い出したのは翠屋でのこと。

 クロノが手伝ってくれていた日、彼に熱い視線を向けていた少女――

(ということは――あの手紙は本物……ッ!?)

「なくしたと思って……奇跡が起きたんだと思ったのに……」

 彼女は涙を拭うこともせず、電柱にもたれかかり嗚咽を漏らす。

 しばらく悩んだあと、

「あの――」

 恭也は少女に声をかけた。

「その……これ。さっき拾って、イタズラに使おうと、差出人の名前を書いてしまったんだが――もしかして無くしたという手紙はこれだったりしないか?」

「え?」

 少女は顔をあげ、恭也から手渡された手紙をしばらく凝視する。

「あ、はい! そうです、きっと――じゃあ、さっき彼が破いていたのは……」

「きっと、よく似た別の手紙じゃないのかな」

 彼の言葉に少女はパァっと表情を明るくすると涙を拭った。

「拾ってくれてありがとうございます」

「いや、だが――」

「いいんです。封筒くらい買い直せばいいんですし。中身さえ無事なら、次はきっと!」

 彼女はペコリとお辞儀すると、颯爽と恭也の前から去っていく。

 その後ろ姿を見ながら――

「……本当にこれでよかったんだろうか――」

 中身を確認せずに、彼女に手渡したことを今更ながらに後悔するのだった。

 

 その後、彼女がどうしたかは恭也も知らないし、クロノに聞くこともなかったという。

 

 

                          【Love Letter Panic!! - closed.】

 

 

説明
投稿テストがてらに 過去の作品を一つ。ブログ(http://cataract.sakura.ne.jp/) 及びオフセ本『リリカルJUNK 執事の馬鹿力』収録してるものと同じ奴です。この手のサイトのうpテスト用SSと化してる気がするお話(ぉ どーでも良い話だけど、フルアンルージュとは食用の赤薔薇品種の一つ。

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