蒼に還る夏(改)プロローグ −The Wide Blue Ocean−
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プロローグ −The Wide Blue Ocean−

 

 

青い・・・

 

  藍い・・・

 

    蒼い・・・

 

僕の初めて想い出はどこまでも澄んだ青さだった・・・

 

どこまでも続く清澄

 

いつまでも続く静寂

 

僕はずっと世界がそのままだと思っていた

 

”僕”が変わるその時まで

 

僕の中に直接声が響いてくるのを感じたあの時まで

 

「・・・タイプ”トランジエント−α”、幼生体ロールアウト完了、擬似生体部品の融合を開始します・・・」

 

その声が何だったのか、もう覚えていない

 

その時から僕は”私”になったんだ・・・

 

 

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火星暦229x年晩春 ネオ・アドリア海

 

その時、私はネオ・ベネツィア特別水域(※)で任務についていた

 

アクア・アルタの時期は全ての管理水域(※)で厳重な体制がしかれる

 

本来なら特定のエリアに縛られないはずの私まで海洋管理局(※)に総動員をかけられていた

 

この時期のネオ・ベネツィアのA・エリア(※)はあまりにも広くなりすぎる

 

他の仲間達もフルローテーションを組まされ、休む間もなく働いていた

 

唯一の救いは観光客の目に触れる心配をしなくて済むことだけだった

 

私はその海で十数度目の夏を迎えようとしていた

 

それが”私”としての最後の夏になるとも知らずに・・・

 

 

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惑星”AQUA”

 

かつて軍神マルスの化身として”火星”と呼ばれていた朱い星は、

 

いまはどこまでも続く藍い海と蒼い空に包まれた青い星になっている

 

優しい海に育まれ、柔らかな稜線を描く島々が無数に浮かんでいる

 

空は蒼く澄み、海はそれ以上に藍く澄み切っていた

 

大地は緑と花の色で海は珊瑚の色で鮮やかに彩られていた

 

海も、空も、大地も、命の息吹の謳歌が満ち溢れていた

  

癒しの世界と呼ぶにふさわしい暖かさが満ち溢れていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな優しい世界で、我々シャチ族だけは「殺戮」を任されていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ことの発端は単純なことだった

  

それは火星のテラフォーミングが開始されてから半世紀ほどしかたたない頃のことだったらしい

人間の火星植民地化計画は期待はずれの結果に終わった

当初の想定よりも遥かに海進が進んでしまい利用できる陸域があまりにも過少になってしまったのだ

産業界の思惑(※)は頓挫した

彼らは火星に魅力を感じなくなり、投資は引き上げられた

火星開拓は急速に下火となり、細々とした開発しかできない時期が長く続いた

皮肉にもそれが火星の美しさを守ることとなった

人々は故郷の地球で失われた自然(※)を甦らせるべく大地を育んだ

故郷の懐かしい街を思い出しながら木を切り、石を積み、街を築いた

 

優しい海と優しい街の始まりだった

 

その海に一部の浅慮な人々が鮫を放った

故意ではなかった、まして悪意があったのでもなかった、しかし愚かだった

ある中華料理店経営者が新鮮な食材を渇望するあまり自給を目論んだのだ

鮫のクローン胚を密輸すると、人の寄り付かぬ島の入り江に隠れて養殖を始めた

その経営者は愚かだったが、しかし悪人ではなかった

望郷の念と、料理人として自らの料理に妥協を許さぬ信念が決意させたことだった

養殖を行っていた入り江は厳重に封鎖され、外海と隔絶されていた

養殖される鮫の過半数はヨシキリザメといった危険性の比較的低いもので

ホホジロザメやシュモクザメといった最悪のものはごく僅かな数だけだった

ただ残りの半分にイタチザメやオオメジロザメといった厄介なものが含まれていた

それでもそのままならまだ問題にはならなかったろう

 

世界を人の知恵で支配しきれるのなら

 

だが自然は人の力ではどうにもならない偶然を呼び起こす

今ほど気象制御技術が高くなかったその当時、人の手に負えない嵐がいくつも偶発していた

そのうちの一つがその海域一帯を襲った

入り江の堤防は破壊され、飼われていた海の殺戮者が解き放たれた

天敵が何一ついない、海という名の一方的な”狩場”に

火星の海は彼ら鮫にとってあまりにも快適な食卓だった

人間にとって有益な”産業生物”のみが放たれ、そして生きることを許されていたからだ

彼らはひたすら貪り、ひたすら増え続けた

そして飼主は嵐によって命を落とし、その危険を誰にも伝えることができなかった

 

時が経った

 

見放されていた火星に再び光が当てられる時が来た

火星にしかない貴重な価値が認められたのだ

 地球のどこにも残されていない美しい自然

 人々を惹き寄せて止まない懐かしき郷愁の街

 人々の全ての食卓(※)を満たせる水産資源

それらが産業界が気づいた新たな価値だった

人の心を癒す美しい安全な楽園”AQUA”の誕生だった

だがそこでやっと人間達は気づいたのだ

 

優しい癒しの海にそぐわない、いてはならない存在がいることに

 

”種への悔悛”(※)を誓った人間は自分達の手で彼らを殺すわけにはいかなかった

だから代わりが必要になった

海中において鮫に対抗しうる強力無比な戦闘能力を誇り、かつ高度な知能を誇り、人に替わって戦う生き物

そして何よりも人間を決して襲わない存在

”オルキヌス・オルカ(冥府の魔物)”

 

それが必要だった

 

地球で絶滅後、保存されていたクローン種が取り寄せられた

遺伝子操作が施され、さらに機械が埋め込まれ強化された

ただでさえ高度な戦闘能力と知能が極限まで高められた

人の欲する事を理解し、人の欲する事の為に協力し、人の欲する事を叶える為に、人に替わって闘う生き物

そして何よりも人間を命を懸けて守る存在

 

それが手に入った

 

 

 

 

 

 

  

だから我々が絶滅の黄泉路から呼び戻されたのだ

 

 

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火星暦229x年晩春 ネオ・アドリア海

 

あの時、僕はネオ・ベネツィアの近くの海にいた

 

アクア・アルタの頃はネオ・ベネツィアが海で一杯になる

 

だから旅人の僕もここにしばらく滞在することになったんだ

 

海が広くなるこの季節は特別な街、ネオ・ベネツィアはもっともっと広くなる

 

他のオルカ達はもちろん、イルカ達まで手一杯でネコの手も借りたいほどだ

 

でも良い事もある、この季節はお客さんがほとんどいないので気楽なことだ

 

僕は十数度目の夏の始まりをネオ・ベネツィアの海で迎えようとしていた

 

それが”僕”への回帰の夏になるとも知らずに・・・

 

 

 

 

 

 

そしてあの夏、僕は彼女と出会ったんだ・・・

 

プロローグ 終

説明
2006年8月「天野こずえ同盟」様にて初掲載、2009年4月「つちのこの里」様にて挿絵付き細部修正版掲載
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タグ
天野こずえ ARIA 谷甲州 星の墓標 航空宇宙軍史 

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